羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

「泣き」が消える

2008年10月03日 19時23分46秒 | Weblog
 午後、帰宅して一息入れてから、二階の座敷を掃除した。
 きれいになった部屋の真ん中に横になった。
 窓からは湿気の少ない風が入ってくる。
 手足はのびのび! 気持ちがいい。
 そうだ、新聞の切抜きを読んでいなかった、と思い出す。

10月1日日経新聞「夕刊文化」に掲載されていた『演歌から「泣き」が消える?ー感情の起伏 伝わりにくく』と題して森進一さんのインタビューだった。

 最近の音楽界では強い感情表現ははやらないようだ、とある。
 森さんは演歌から「泣き」が消えてしまうと危惧しているという。
『一般社会で、すぐに泣いたり怒ったりする人は嫌われてしまうらしい。そんな中で人々の感情の起伏そのものが小さくなっているようだ」

 森さんの歌を私は好きだ。「泣きの演歌」のために生まれてきた声の持ち主だとずっと思っている。
 女心の震えをハスキーな高音で歌い上げる力量は凄いと感じている。
 
 何事も右にならえの時代でも、ひとり‘森節’は貫き通すらしい。
 そうして欲しい、と切に願う。

 季節が晩秋から年の瀬にかけて、森さんにかぎらず、演歌が聞きたくなる時がある。
 一年のうちに溜め込んだ感情を、年末に吐き出して、新しい年を迎えたい自分がいるのかもしれない。
 ゥム、ムムムッ、私も案外、露骨な感情表現を押さえ込んで、現代社会に生きているのかしらネ。
 そういえば、若いときほど泣かなくなったなぁ~。
 映画は別だけど……。

 秋の夕暮れは、日が落ちるのが早くなる。
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4 コメント

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流行は繰り返すもの (かめいど)
2008-10-03 20:55:56
「泣き」はまたいつか流行ると思います。それが森進一さんの思う通りの「泣き」であるかどうかはわかりませんが。
世間の流行りすたりにそんなに気を回さなくてもと思ったりします。楽観的(あるいは無神経)と言われるかもしれませんが。
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Unknown (古々米)
2008-10-04 07:39:16
私は「着てはもらえぬセーターを涙こらえて編んでます」タイプの演歌は好きでないのですが、森さんの演歌は好きです。

何が違うのかなぁ…?
声だけじゃない気がします。
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声だけじゃない (羽鳥)
2008-10-05 07:47:22
古々米さん。
確かに声だけじゃないですね。人格の問題でもなさそう。いろんなもののバランスが崩れていても、最後に踏みとどまったところで、‘歌’があるって感じかな?
歌詞と曲を超えて、歌い手が曲を作ることに突出してません。そこで作曲家との間でもめてしまったようなきがします。
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流行り廃れ (羽鳥)
2008-10-05 07:51:01
おっしゃるとおりかと。
涙で思い出すのは、‘山一’の倒産の時の社長会見の涙、最近では清原の男泣き、「おくりびと」の男性観客のすすり泣き、……結構あります。
実際のところ、お涙頂戴は好きじゃありませんが。
時と所と次第によって、涙はいいです。
話がはずれました。ごめん!
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