昨日、東京藝術大学美術館で、今月29日まで開催されている『円山応挙から近代京都画壇へ』を見てきた。
応挙は、農家の生まれで詳しい生い立ちは謎。
それまでの大和絵や唐絵とは異なる写生を重視した新しい画風を打ちたて、それに続く多くの画家の開祖となった。
確かに、草花、樹木、水の動き、獣、犬、・・・・自然を観察して写実的に描く「写生図巻」は、圧巻。見事であった。
微細な描写、美しい彩色、生き生きした動き、自然を活写する力は、それでまでの日本画には見られない画期的な作風だ、ということが伝わってくる。
想像だが、幼少期から身の回りの自然を素直な眼差しで観察し、それを写し取る能力を養い、開花させたに違いない。
障壁画や屏風、襖など、かつて画集などで目にしたことのある作品が展示されている。
どの作品もキーワードは「自然」ありのままを描く『自然直伝』である。
人物画では、のちの上村松園に続く源流となる作品を見ることができる。
来年の野口先生二十三回忌の準備を始めた矢先のこと。
会場としてお借りできた東京国立博物館庭園の「応挙館」は、その名の通り円山応挙ゆかりの書院である。
およそ300年前に建てられ、ここに移築されたのは昭和2年。
なんと野口先生の墓所まで、直線距離にして100メーターあるかないかの場所である。
博物館裏手と寛永寺の墓所に挟まれた道は、鶯谷駅で下車した先生が、32年間ときには「おっかさんランニング」をしながら通ったゆかりの道である。
そんなこんなでますは、「応挙展」を見ておきたいと、早速出かけていった次第。
墓所に報告を済ませ藝大美術館へ。
見終わってはじめてかの有名な「大浦食堂」で早い昼食を食した。
上野駅から帰路につくために公園をゆっくりと散策していると、かつての寛永寺の「時の鐘」正午の音が聞こえてきた。
目を閉じて佇む。
今しがた目にしてきた応挙作 忠臣蔵「大石内蔵助とお軽」絵が目の前に現れて江戸時代にタイムスリップ。
おまけ付きの半日。
幸先いいスタートです。