羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

ひとりごと

2018年09月30日 10時56分59秒 | Weblog

 今年の誕生日をすぎたときのこと。

「古希だ!」

 呟いた。

 呟いたが、実感は、まったくなかった。

 ところが、昨日のこと。

 朝日カルチャーのレッスンを終えて、近藤早利さんと新宿駅まで歩いていた。

 ふと、口をついて出た。

 脈絡もなく。

「野口先生が亡くなったのが83歳。あと13年なんですよね」

「私も、考えることがありますね」

 語尾が少し消えかかっていた。

 短い沈黙・・・・・

 それから駅までは、話題を変えて、当たり障りなく会話する。

 西口交番そばで、持ってくださっていた荷物を受け取ってお別れした。

 山手線から出て来た大勢の人の波を避けながら、慎重にホームへと階段を上がった。

 人にぶつけてはいけない。

 秋のミネラルフェアで手に入れた、ネパールの2キロ以上の重さがある金属製鉢を持っていたから、慎重にならざるを得なかった。

 ホームに着くと、ちょうど中央・総武線の三鷹行きが滑り込んで来た。

 かなり混み合っていたが、運よく椅子に腰掛けることができた。

 電車が新宿駅を出て大久保駅に差しかかったとき、なぜか先ほどの会話を思い出した。

「先生が83歳、父はは80歳。残された時間を10年から13年と見積もって・・・・」

 私は、いったい何をするのだろう?

 私は、いったい何をしたいのだろう?

 私は いったい何をしたほうがいいのだろう?

 何々を、絶対にすべき!

 とは、決めたくなかった。

「13年すぎた後も、生きているとすれば、それが本当の意味で “余生” だと思いたいー」

 かつてある人が言った。

「羽鳥さん、50を過ぎたら余生よ」

 その言葉に従えば、すでに余生に違いない。

 だが、まだ、余生としてではなく、やっておきたいことがある。

「やっておきたいことがあるって、幸せじゃないの?」

 これだな!

 あとは野となれ山となれ。

 誰かがなんとかしてくれるだろう、と無責任を決め込んだ。

 ほどなく電車は高円寺駅に到着した。

 わずか6分間のひとりごと。。。。。。

コメント
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