羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

「骨」

2017年09月22日 14時10分15秒 | Weblog
 父の骨を分骨して、母と三人で、新しい都市型墓苑に永代供養しようという思いたったのは先週末のことだった。
 実際に二カ所を見学して、そのうちの一カ所を選び、気持ちは決まっていた。
 それは月曜日のことだった。

 そこで先祖の墓がある寺を、昨日訪ねた。
 住職さんと寺を蔭で采配している母君と、親戚のものも加わって話をした。
「寺でも守る方がいなくなって、返還されるドーム型の大きな墓を永代供養の為に整理することになりました」
 母君は語る。
「このままご一緒に、なさったらいかがですか」
 ということで、分骨することに反対されてしまった。

 複雑で入り組んだ家族関係であっても、今までもこれからも親戚同士仲良くしていくのだったら、最後の人になるまでこれまで通りに私の母も、私自身もこの寺に入ることをすすめられた、というわけだ。

 親戚の者も、私の思い通りにすればよい、と
「ゆっくり考えたら」
 寺の近くの喫茶店で3時間ほど、じっくり話をして別れた。
 
 その時は、揺るがないほどにこころは決まっていた。
 父の骨を一部のこして、あたらしいところに、母と三人ではいることにしよう、と。

 実は、こうした思いも、とても不思議な感しなのである。
 母の行く末を考えはじめた当初は、私が先に逝った場合に、誰かに母を今の墓におさめてもらい、自分は散骨でよいと思っていた。
 ところが実際に、都市型墓苑を見学したことで、親子三人でおさめてもらいたい気持ちが強くなった。
 そして、確実に納骨してくれる人を、本気で探そうと思いはじめている自分に気づいた。

 で、今の寺でも永代供養のために合祀する墓を準備していることを知った翌日。
 つまり今朝のことだ。
 都市型墓苑では、継承する者がいなくなったら、京都の八瀬に樹木葬になると聞いている。
 最初は、そのことに納得していた。
 にも関わらず、急に母の気持ちを慮っている私だった。
 そもそもこの都市型墓苑に決めた理由は、両親・私ともに、生まれ育った所の目と鼻の先にあり、遊び場だったからだ。
 
 しかし、今の寺が永代供養を今の場所にしてくれる、と知ったことで、京都に行くことに違和感を感じはじめたのだ。
「縁もゆかりもない京都!」
 母はきっと嫌がるだろう、と思えた。
「死んでしまえばわからない」
 葬儀も埋葬も、残された人の問題なのだから。

 それでも念のため、母の気持ちを確かめたいと施設に出かけた。
 ところが、数日間の睡眠不足で、ようやく昨晩よく眠ることができた延長で、朝食の後に車椅子に腰かけたままぐっすり眠っている。
 介護士さんも肩をたたいて起こそうとしてくれたが、手で払いのけて起きる気配は全くなかった。
 しかたがないのでそのまま、帰宅してしまった。

 先日に見た映画「禅と骨」の影響だろうか?
 自分に問いかけている。

 骨になれば、国籍も人種も、目の色・髪の色・皮膚の色、言語も文化も何もかも関係なく、真っ白な「無」にちがいない。
 しかし、そこに「もの」がある。
 時にそのものは「物の怪」でもある。

 いざ、自分が終末期を過ごし、葬儀、埋葬、そしてその後、を具体的に想像すると、最後に永代供養される場所が、遠くなることに不安を覚えるのである。
 これって生への執着か?

 死んでしまえば、どこであろうと関係はない、と頭では考えている。
 しかし、骨に対する思いは、人間としての抜き差しならない「情念」と「業」に違いない。
 ミトワさんが自分の手元に、あんなに沢山の骨を集めていたではないか。

 骨になっても、親子は親子なのだ。
 すでに私の中からは、散骨への思いは消えている。

 たかだか一週間にも満たない時間に変化した自分の気持ちに驚かされている。
 父も母も、私自身も、京都には行きたくないのだ。

 なんだろうかこのこだわりは?

 生まれ育った東京・新宿、そこに隣接する寺のある幡ヶ谷に対する思いは、どこから来るものなのか。

 今さら、同じ寺に墓を建ててもしかたがない。
 しかし、……。。。。。。

 理屈では説明できない、情がわき起こっている。
 あぁー。
 人間とは、自分とは、いかにも御しがたい。
 あぁー。
 やっぱり私は死んでいない、生きているんだ!
 あぁー。
コメント