羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

暗澹たる年の瀬

2013年12月29日 06時26分15秒 | Weblog
 まず、昨日の良きことから。
 朝日カルチャー「野口体操講座」2013年の最後のレッスンは、無事に終了。
 一人、二人の方をのぞいて、全員が参加された。しばらくお休みになる方、曜日をかえられる方、地方の実家に戻られる方など、それぞれから挨拶をうけた。
 おかげさまで、一年をしめくくることができたことに、お礼を申し上げたい。ありがとうございます。
 そして最後の番外編として、学生に評判のいい、一青窈「ハナミズキ」、ゆず「友~旅立ちの時」、井上陽水「少年時代」を全員で歌った。体操の威力か、からだが本当にほぐれることの意味か、予想を超えて素晴らしく伸びのある声が、歌いはじめから出ていた。そんなこともあって、教室のあるカルチャー4階エレベーターホールまで歌声が響き渡った、と帰りがけに担当者の方から伺った。滅多に歌いませんが、気遣いを忘れていたこと。今後は気をつけたいと反省することしきり。

 さて、昨日に限ったことではないが、殊にレッスン終了後、教室で個人的に話を伺う中で、浮き彫りになったことがある。
 それは、高齢になった親御さんの問題を抱えておられる方が、多いということだった。
 私自身も同様で、他人事ではなかった。
 実は、先週で年内の大学授業が終わった。ほっとするのも束の間、母の肋間神経痛が悪化しさし歯が取れたりして、年末年始の休みの前に、整形外科と歯医者通いに奔走した。つまり、寝たきりにならないための手だてに精を出したというわけだ。
 その間、年末の始末や年始の支度を、時間をみつけてはじめてはいた。はかどらない!はかどたないことに半ば諦めて「これからはこんな状態が常態になるのだ」と覚悟をきめたものの、正直かなり辛いものがある。辛さの原因は、早晩、自分も高齢者として、起こりうるさまざまなことを予め見せてもらっているのだから。

 たとえば他にも、ご近所付き合いの延長線上にある“防犯パトロール”。参加して2年が過ぎた今年、新しい若い人の参加がまったくなく、これまで以上に高齢化がすすんで、すすんだだけでなく癌やその他の病気を抱えた方が、無理をおして活動を支えている現実である。
 このままでは街の中で支えあうコミュニティーを作ろうとしても、現実には非常に難しい。支えあうにも限度がみえる。
 それぞれが智慧をしぼって、破局を先伸ばし、実のところ介護支援を受ける以前の家庭にも問題が山積していることがわかった。

 そうした内側だけでなく、そとに目を向けてみれば、見苦しい都知事辞任劇を見せられた。かたや強引な手法で法律を通し、ごり押しで何事も進め、人道とはいえ何処にもはからず他国軍に武器を提供したことを事後報告されたことも記憶に新しい。
 更に、ここに来てご自身の鬱憤を晴らすことで、東アジアだけでなく先進各国、国連からも顰蹙を買う総理をいただいて新年を迎えることになってしまったことは憂慮以外の何ものでもない。権力を得ると慢心が頭をもたげていることに、気づかなくなるのだろうか、とまではいいたくないのだが。
 
 何とも、2013年、年末は、鬱鬱とした気分をからだの奥にしまい込み、なんとか明るく振る舞っている。誰しもが同様で、思いを潜めたまま、あの人もこの人とも暮れの挨拶を交わすのが、この数日のきまりになっている。

 そうした気分を引きずっている中、一冊の本にであった。
 今年最後の本のプレゼントである。いただいてから時間はあまりたっていない。まだ読みはじめたばかりだが、早朝、日の出前の静寂のなかで、“旅の随筆”を超えた哲学的な思索の本のページをめくっている。
 たとえば……トンガ王国に滞在し「最後の木の島」に思いを馳せる章では、ロナルド・ライトの『進化小史』から、想像と思索を巡らす著者・管啓次郎の言説は鋭い。
『最後の木を切り倒した人々には、それが最後の一本だということが見えていたし、もはや二度と島に木が生えないことも完全に確実にわかっていたはずなのだ。それでもとにかく、かれらは伐った』
 ポリネシア人が移住の地で行った自然破壊は、結局のところその民族を破局へと向かわせた。
 今、私たちが行おうとしていることは、『地上の唯一の生産者は植物だ』ということを忘れて、便利さを謳歌する文明を生きている。
 著者は破局へと向かう歩みを点検する小史から書きすすめていく。

(1)島の最後の木を切り倒した人間がいた。
(2)人間の文明=都市化は本質的におなじかたちをとる。
(3)過去一万年の気候の安定は僥倖でしかない。

 この三点をあげて、文明のもつ危うさを歴史軸にそって思索していく。
《生産、流通、消費、社会管理、自然の追求、知識の伝達、外敵との戦い、遊興、こうした人間の基本的営みが、ある程度以上の規模で運営されるとき、ヒトの社会はおのずから同型性をおびる。文化の個別性や多様性を重んじ、差異を賞賛することにぼくも大賛成だが、その一方で「普遍性」はどんどん評判が悪くなり、否応なく惑星化した人間社会の基本的メカニズムを考えることに、人文学はともすれば臆病になってきた。けれどもヒトという生物の種社会をつらぬく統一的な論理は、あるレベルではたしかに存在し、それは地球のどこでも似ている。そしてその抜きがたく似ている部分の収束が、現在の全地球化した資本主義世界のシステムを根本で支えていることにも、疑いの余地はない。》
 こうした前提で、普遍性の中身を挙げてくれる。
 これはすごく納得。
《「市場」を市場だと認識できるとき、初めて出会った者どうしでも交易が成立する。「王」や「兵士」をそうしたものとして認識できるとき、戦闘と征服が成立する。「僧侶」や「寺院」が認識できるとき、物質的実在のレベルを超えた権威や支配が成立する。「劇場」が認識できるとき、現実とそれを模倣する虚構という構図も成立する。こうしたすべての同型性の果てに、現代の地球社会があり、そこでもヒトはこれまでつねにそうであったように、貪欲で、渇き、永久に欠乏を訴えつづける》
 
 更に、ざっと一万年前に始まった農耕文明は、余剰食料を手にすることを可能にした。その大前提は、現在のような安定した気候サイクルに依るところが大である。管氏の言葉を待つまでもなく、地球約46億年、宇宙約140億年の悠久時間のなかで、たかだか一万年は、ほんの僅かな時でしかない。いつ、また今ある安定が崩れるかは、誰にもその時期を予測することも、そのことへの事前の対処も出来る筈がない。

 自然災害、食料危機、水飢饉等々、ひとたび局地的であったとしても破局がおこれば、ただちに全世界に波及する。つまり《「持つ者」と「持たざる者」がそのまま「食う者」と「食わざる者」に転換しても、それをとどめようという声はどれほどか細かいものになるだろう》と著者は言う。
 行を追っていこう。
 刮目!↓
《われわれの生き方、社会、生産から消費にいたるプロセスが、過去一万年の気候を前提としたものでしかないこと、中略。そしてヨーロッパが世界を一つのシステムにひきこんだ過去五百年の異常な革新が、世界全体を、すべてがすべてにむすびついた手に負えない錯綜体としてしまった現在、暴走はいっそう慣性を増して、とめどなく続いている》

 地球から離れてたかだか四百キロ程度であっても、地球表面を鳥瞰する目を私たちは手に入れてしまった。そこで、地球最後の木を発見して、それを切り倒す日がくるかもしれない比喩を残して、著者はこの章を閉じている。
 かつて最後の木を切り倒した民族はテレヴァカという名の山頂から、島全体を見渡して最後の一本を見つけ出した。
 現代、すでに惑星全体を鳥瞰する視線を手に入れた私たちには、テレヴァカにあたる山頂はないけれど、《手がとどかない遠隔視力のせいで恐怖に凍りついた人々が息を飲むのを尻目に、血走った目の誰かが泣きながら最後の木を切り倒す日が、いますでに生まれている子供たちの生涯のあいだにも、避けがたく訪れるのだろうか》

 おかれている環境から旅に出られない私個人的な嫉妬から、定住するのではなく旅人として通りすぎていく著者にその土地の何がわかるのだろうか、という思いで読みはじめた随筆紀行文だが、この章に出会ってそれは不遜であることを思い知らされた。
 現在の少子高齢化の問題を考える、あるいはグローバリゼーションとローカリゼーションの問題を考える前提に、このことを抜きにしてはならない、と今は思う。

 どこを旅するのか、何を見て何を聞くのか、何の匂いを嗅ぎ、何の味を確かめるのか。そして過去から現在・未来にどのような風を感知するのか。更に、更に、そこに立ち止まって何を思うのか。
 単なるノスタルジーを得るためではない。単なる癒しを求めるのでもない。単に文明の衝突を嘆くのではない。かつてのヨーロッパ人がオリエンタルなものに、上から目線で憧れを持ったような旅でもない。宗主国と植民地の関係に思いを馳せるだけではない。
『斜線の旅』という題名が、なぜつけられているのかの意味が伝わってくる一章である。

 つまり、詩人は、現実の世界が向かおうとしている路線をちゃんと変えるだけの力は持たないかもしれない。しかし、今、まだ、目には見えない、耳には聞こえない直線的な未来を見抜き聞き分け、車線変更を促す悲鳴を、感情のままに任せた怒号としてではなく、洗練されたレトリックで静かに訴えることは出来る、と読んだ。
 実は、私たちは何本もの斜線を手にしている。気づかないだけだ。一本道ほど危ないものはない。
 たとえば、過去の戦争が突き進んだ道には、斜線がその時々にあらわれた筈だった。しかし、気がついたところで車線変更を行えなかったさまざまな理由がある。いや、行う勇気を持てないうちに、時すでに遅し、泥沼のなかで身動きがとれなくなってしまったのだろう。
 
 さぁ~このつづきを読みたい。が、ここまでを備忘録としてまとめておきたかった。
 暗澹たる年の瀬に、早朝の時間だけは保っておきたい。
 不得意の政治や社会といった手に負えない問題ばかりではなく、私自身のことに目を向ければ、“来年は斜線に気づきなさい”という贈りものだったのだろう。きっと、そうに違いない、と、膝を打った。
 そして、ゆっくりと、指を折る……大つごもりまで、あと、二日ばかり。
コメント
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