羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

「ライフログ」ご存知ですか?

2012年09月28日 08時25分39秒 | Weblog
 日経新聞の記事もご紹介。
「ネット人類 未来」『第一部 巨大データの光と影 3」ー『「記録したい」本能と葛藤 忘れられる権利』
《目標は完全なる人生の記録》ということで、アメリカのコンピューター産業を牽引してきた重鎮の方の話。
 自分にまつわるものを全てネットに取り込んで残そうとすることを「ライフログ」というそうだ。
 1999年から研究に取り組んで、著書や論文、走り書き、クレジットカードの明細、はては航空券の半券や写真等々をスキャンして記録に残しているそうだ。
 9億5千万人が使う(SNS) Facebookがライフログには最も簡単な道具であるらしい。
「現実の人同士のやりとりを再現して、個人の人格を丸ごとネットに載せる」
 永遠に残る言を希望する人っているのだろうか?

 とはいえ、野口三千三の資料をスキャンしてデジタル化している私の行為も、すでにその領域に踏み出しているのだ。
 今朝は、はたと手を止め、足を止めて読む二つの記事に出会った。
 それがこの記事と、一つ前のブログに紹介した村上春樹寄稿文だった。

 話を戻すと、ネット上で一回クリックも積み重なれば価値を生む、という価値観の恐ろしさである。
 個人がネット上で丸裸にされてしまう現実がある。
 記事は指摘する。「個人情報へのルールづくりが求められている」と。
 何気なくマウスを押す側も『情報は永遠に残る』そのことを認識すべきである。と

 何事にも裏と表があり、光と影がある。
「守られるべきもの・こと」と「秘すべきもの・こと」をどのように関わっていくのか、という新しい課題が市井に生きる個人にも問われる時代がすでに走りだしている。一気に地球規模なのだ。
『光圀伝』でも提示されていた。ある組織やある個人にとって不都合な出来事も記録として残していくことで、後の世が歴史を評価するために史書を書くことの意味だ。
 今、私たちはネットという媒体で、膨大な量の歴史を描いているのかもしれない。

 野口三千三の記録を残したい!という思いが、デジタル化とネットで実現している今こそ、この記事が示唆している『「記録したい」本能と葛藤』そして「忘れられる権利」という問題を、考えてみたいと思った。
“危うさという雲”に乗って、人は何処に行こうとしているのか。
 
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村上春樹さんの寄稿文

2012年09月28日 07時47分54秒 | Weblog
 今朝の朝日新聞朝刊の一面にハッとし、紙面を捲る手の動きがじれったいほどでした。
 全文は3面にあって、静かに読み終え「こうした主張を待っていた」というわけです。
 ぜひ、クリックして読んでください。
 村上春樹さんの「領土問題」への思いが綴られています。
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