羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

この人は、エヴァンジェリスト・伝道師だ!

2008年09月12日 19時16分49秒 | Weblog
 昼間の残暑は、時計の針が5時半をまわったころから、少しずつ影を潜めていった。
 そのころ、ぼんやりしていた月は、今しがた見ると秋の輪郭を見せ始めている。

 さて、昨日から二日間、仕事の合間に老後の設計を考えていた。
 30代からの20年は、いろんなことができそうな希望と迷いが交錯している。
 ところが60代からの20年間を想像すると、胸の中心にスーッと流れ込む冷たい風を感じる。
 出来ることが限られてくるある種の落ち着きのなかに、なんとも言いようのない寂しさを運ぶ風なのかもしれない。

 それにしても3年後の予想もたたないのだから、老後のことなど考えようにも、とっかりが見つからない。
「これまでの人生は、概ね‘よかった’?」
 もうひとりの自分が問いかける。
「はい。いろいろありましたが……。有難いことに、これからもそんなに悲観してはいません」
 答えるもうひとりの自分。

「まぁっ、いいか」
「あんたはいつもそうなのよ」
 もうひとりの自分が咎めつついう。

 自問自答しながら、そばにあった本を開いた。
『ジョブズはなぜ天才集団をつくれたか』原題『The Apple Way』
 ジェフリー・L・クルークシャンク著 徳川家広訳 講談社

 信者とまではいかないが、Mac贔屓の知人の顔が浮かんできた。
 話の時代は1980年代から90年代を中心に現在まで。
 自分が生きている時間とピタッと重なり合っていて面白い。

 第七章「信者を育てろ!」で‘マック・エヴァンジェリスト’なる言葉を発見。
 福音伝道師を意味する‘エヴァンジェリスト’なるカタカナ語に、思わずニヤッとしてしまった。
 ヒッピー文化がパーソナルコンピューターの世界を切り開いたとしても、この本に書かれているビジネスの流儀に、キリスト教布教活動の色合いを感じてしまう。 この読みは、おそらく私の偏見と独断に過ぎないとおもうが。
「宗教は最高のビジネスモデル」と言われることもまんざらではない、とおもえるからだ。
 
 読みつつ、思い出したことがある。
 本日(12日付け)の日経新聞朝刊‘春秋’に、謎の肩書き「エヴァンジェリスト」というフレーズがあった。
 なんでも筆者が日本IBMに問い合わせたところ、「最上級の技術者だけが名乗れる肩書き」という答えがかえってきたそうだ。
《斬新な技術や思想ほど他人に理解されにくい。手の中で温めていても世の役には立たない。だからこそ「伝道師」の役割は重い》と言葉は続く。

 それに重なって、以前こんなことがあったことを思い出した。
 かれこれ7,8年前、社屋がまだ東銀座にあった電通を訪ねたときの出来事だ。
 もの凄く嫌味であくの強い50代後半の男性の方に、野口三千三先生が出演された「セゾン3分CM 人物映像ドキュメンタリー 野口三千三」を見せた時のこと。
 
 CMの最後にコピー‘お手本は自然界’の瞬間に、彼は叫んだ。
「この人は、エヴァンジェリスト・伝道師だ!」
 
 さすが野口体操の本質を、彼は瞬時に掴んだのかもしれない。
「野口は誰から啓示を受けたのか」
 彼の顔にはそう書かれていた。
「それは彼自身の内側に潜む‘デーモン’が、戦争によって封印を解かれ、顕在化したとは考えにくいのですが……」
 私は、答えを飲み込んだ。
 むろん言葉に出して問われたわけではないのだから……。
コメント
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