羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

湿潤な風土では考えられない、しかし……

2007年07月02日 09時22分08秒 | Weblog
 昨晩、NHKスペシャル「失われた文明」①インカ空中都市を見た。
 21世紀の現在でも、民俗の風習に残されている「ミイラと暮らす人々」がいることに驚くが、インカ帝国に滅ぼされた民族が維持していた風習を、帝国建立と帝国維持に利用していく話には、とても興味をひかれた。
 
 番組によって、6000メートル級の山岳地帯から少女と少年のミイラが発見され、古代帝国の政としての祭祀が解き明かされるのである。
 子供たちは、お腹いっぱい食事が与えられ満腹状態だった形跡が胃に残されていた。恐怖心を忘れさせるためにお酒も饗された。もしかして麻薬等も使用されたのではないかと思う。
 身につけていたものといえば、国中から集められた豪華な衣装をまとっていた。そして時を経ても眠るように凍死したすがたのまま発掘された。聖地の山に捧げられた生贄なのである。
 子供たちの出自は、貴族階級に属していたらしい。ほくろや傷やシミのない美しい少年少女のミイラだそうだ。この子供たちが伝えるメッセージは、その後インカ帝国がなぜ滅びたのか納得させてくれる力があった。

 日本のような湿潤な風土では考えられない。
 乾燥地帯の「死」の様相なのだ。
 万年雪をいただく高山地帯の「死」の様相なのだ。
 
 インカ以前、はじめは自然にミイラになっていった。
 家族は「死」の現実が認識できず、いや、認めたくなく、髪をとかし衣服を代え食べ物を与える行為を続ける。そのうちにそれが民俗の風習となって、祀るようになる。畏れ多い自然の神への生贄であり、祈りの法具として。
 インカ帝国を作り上げた外来民族は、その風習を利用して領土を広げ統治していくのだ。死者を祀る行為が、そのまま政治なのである。
 
 いつしか利用していたはずのミイラに支配されるようになってしまう。
 帝国が強大になるにしたがって、歴代皇帝のミイラは手厚く世話を受けるようになっていく。潤沢な資金が、そこに投入される。ミイラを専属に世話する集団が、歴代皇帝のミイラごとに生まれてくる。その人数が増え、次第に国家財政を圧迫するところまで膨れ上がった。もちろん特権階級を生み出していく。
 
 そこで屋台骨が危うくなることを真に懸念した生きている皇帝が、その制度を改革しようとした。抵抗勢力間に内乱が起きてしまった。
 その内乱につけこんだのが、武器と聖書を持ったスペイン人だった。
 スペイン人は邪宗としてミイラをこの世から殲滅し、インカ帝国を完全に滅ぼしたという筋書きだった。
 そして多くの人々がキリスト教に改宗させられ、現在に至っているというのだ。
 
 しかし、ここからが人間のしぶとさを見せつける。
 実は、古い風習は脈々と生き続けていた。
 風習の裏側にべっとりとぬられたインカ帝国の人々とそれ以前に滅ぼされたもともとの風習を持っていた民俗の「死生観」は、消えることなくこの世に存在している。 
 生贄を捧げる儀式やミイラを拝む風習は、細々とであるが未だに継続されている。
 
 はじめのうちは失われた文明の話かと思いつつ、興味津々、見ていた。
 見終わってみると、この死生観は誰の中でもあることかもしれないと思い始めた。日本では自然ミイラは出来ないだけで、位牌があるじゃない、と。
 仏壇があって供え物をし祈りを捧げる暮らしは、今でも続けられている。
 お盆があり春と秋に彼岸があり、祥月命日があって法事がある。これは仏教の場合だが、かならずしも仏教徒が行っているわけではない。日本のこの風習は、仏教とはいえないかもしれない。仏教以前に人々が自然に抱いた心情がこうした形をとっているだけではないだろうかと思えてきた。
 
 そういえば土葬だったころの墓地は、先祖代々の石塔があってその周りに一人ひとりの小さな墓石が、それを丸く囲むように作られていった。その一つひとつに供え物をする。
 母方の祖母の実家の墓地は、山の上にありその名残を残していたのをおぼろげだが記憶している。

 インカとその前の民族が、死にゆくものに抱いた心情は、日本人がもっていた心情とあまりかけ離れたものでないような気がしてきた。
  程度の差と表向きの表現方法に違いがあるだけ……、いやいや、程度の差と表現方法を決める要因は自然における気候風土条件なのだと思った。
 
 東京のお盆は近い。

 昨日の老齢年金の話の次は、「死者の弔い」というのでは、話が出来すぎ! かな?
 
コメント (4)
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