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紀州藩領「松阪城」の歴史 三重県松阪市

2016-08-07 13:31:48 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では三重県度会郡玉城町出身の元紀州藩士・村山龍平氏の功績を取り上げた。
田丸城と同じく三重県内で紀州藩が治めていた城がもうひとつある。
田丸城から北西へ約15キロにある「松阪城」だ。伊勢路のルートから少し離れるが、今週は松阪市を紹介したい。

松阪市は三重県の中部に位置する人口約16万3千人の町。織田信長の伊勢侵攻に伴い天正3年(1575年)に織田信雄が田丸城に天守閣を設けたが5年後に焼失したため、天正8年(1580年)現在の松阪市内の沿岸部に松ヶ島(まつがしま)城を築城。

織田信雄の家臣が城主を務め、その後は豊臣秀吉の家臣・蒲生氏郷へ渡り伊勢国の南部を統括する拠点として栄えたが、城下が手狭となり天正16年(1588年)に松阪城を新たに築城。

蒲生氏郷の考えにより、松ヶ島城下の町民を松阪城下へ移住させ、近江商人を城下の中心部に呼び楽市楽座を設け、さらに地域の豪商を誘致するなど、日本三大商人のひとつとされる伊勢商人が活躍する礎を築き、松阪は商都として大いに栄えた。

蒲生氏郷は小田原征伐の軍功により会津・若松城へ移り、服部一忠、古田重勝へと城主が変わり、元和5年(1619年)に南伊勢が紀州藩領となり城代が置かれることとなった。

かつては3層5階の天守があったとされる松阪城だが、正保元年(1644年)に台風により倒壊し、以後再建されることなく現在に至り、天守台のみが残っている。


【写真】松阪城の天守閣跡(松阪公園内)

現在は松阪公園として整備され、天守閣があったとされる広場が一般に開放されている。
園内は広く石垣の配置から南伊勢を統括するにふさわしい風格を感じることができる。

松阪公園は玉城町から車で30分程度。JR・近鉄松阪駅から徒歩約15分。ぜひ訪れてみてほしい。

(次田尚弘/松阪)






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