Go abroad ~未来へ~

留学から帰ってきた大学生(大学院生になります)

リニューアル

2021-02-07 20:56:59 | 2019年1月~

Hi! It's KARA

 

あまり更新していなかったこのブログですが

リニューアルします!

 

留学してから本当にいろいろありました。

私はとても不器用でなかなか更新はできなかったのですが

 

こんな私でも就職をし、2020年11月に結婚をしました。

スウェーデン人と結婚をし、毎日の生活も本当に刺激的で楽しい生活です。

今後は留学後の生活を中心にブログを更新していけたらと思いましたので

リニューアルしようと思いました。

 

こんな気分屋のブログではありますが

 

・留学に興味がある人

・留学ごの逆カルチャーショックを経験した人

・海外での生活に興味がある人

・スウェーデンに興味がある人

・海外での仕事に興味がある人

 

などなど、何か共通点がある方に見ていただけたらと思います。

興味があればぜひご訪問ください!

 

http://karalife.livedoor.blog/
 
ではまた!
 
KARA

 


ホストファミリーとのトラブル編

2020-06-28 10:10:00 | 2019年1月~

Hi! It's Kara!

 

毎日連続ではないですが、頑張って、投稿続けていますね・・・・

月日は流れ、2020/6/28になってしまいました。

まさか世界が新型ウイルスで大変になることがあるとも思っていなかったですね。

現時点では少し落ち着き始めていますが、この出来事がきっかけで日本もいろんなシステムが変わってきている気がします。

最近の私はどうしているのか、書きたいところですが、

下書きで残していた文章を投稿し終えたいと思います(笑)

下で書いた文章は2018年の話ということを覚えておいてくださいね。


少し、私の話になりますが、

私は今、大学院1年生でして、生物系の研究室に所属しています(はい、2020年現時点ではすでに社会人でございます。)

同じ分野の方は分かるかもしれませんが、忙しいですよねぇ^^;

と言いつつ、最近はやっと慣れてきたという感じ

慣れすぎて、昨日は、自分の研究の進捗報告があったんですけど

適当にやりすぎて、先生から「意味が分からん」と言われてしまいました笑

慣れと適当は違うんですけど

なんでも、初心を忘れずに、準備をすることは必要ですね^^;

そして、時間がなく、家にインターネットが今ないので

このブログを研究室からお届けしております笑

そんな暇あるのかって???

ないはずなんですけど笑

書きたいんです・・・

 

というわけで、書いていきましょうホストファミリー・トラブル編から

 

ーーーーーーーーーホストファミリー・トラブル編ーーーーーーーーーーーー

先に言っておきますが、このトラブルは、私にも非があります。

ホストファミリーがすべて悪いわけではありませんが、

いろんなことが積み重なって、こうなったということで、

このホストファミリーも要因になっている、と後になって思うわけです。

 

前回書いたように、ホストファミリーのお母さんは急に怒り出すような人でした。

そして、1か月ぐらい過ぎて、2か月目のお金700ドルをお母さんに払った時に、

私の頭の中で「私はここに700ドル払う必要があるのか」と思ってしまったのです。

 

それまでの1か月を振り返りましょう~

 

 

始めの2日はご飯を作ってくれましたが、

それ以外は、残飯を食べることが多かったです。

例えば、ホストファミリーがタイフードとか買ってくるんですよ

タイフードについてくる白いご飯はホストファミリーはいらないのです。

そして

「さやか、これ、あなた朝ごはんに食べればいいじゃない」

と言って、残しといてくれるんですけど

それだけなんです。

私のごはん

私、料理がすごく好きなのですが

使っていいのは電子レンジだけなので

その残してくれた白いご飯をあっためて醤油かけて食べる・・・みたいな感じになります。

 

私も、今だったら、文句言えるんですけど

そもそも、皆さん知ってます?

私、めちゃめちゃ引っ込み思案な奴なんです笑

そんな人が思い切って留学してるんです。

そして、ホストファミリーを紹介してくれる会社があるんですけど

その会社からは

「やってもらうのが当たり前だと思わず、その家のルールに従う」

と言われていたので

頭の中が混乱しているのです。

「これは、きっとこの家のやり方なのだ」と・・・

そして、まずは、自分でできる解決策を考えます。

何を考えたかというと

使っていい食材は最大に使って、あとは食材を自分で買ってきて

電子レンジでできる料理レシピを考えることです。

そして、それでよく肉じゃがを作っていました笑

ジャガイモと玉ねぎを自分で買ってきて、それを電子レンジで作る

でも、おそらく・・・

電子レンジで私が料理をし始めたもんだから

それは、ホストファミリーの理想じゃありませんでした。

多分心の中で(そんなに電子レンジ使わないでよコイツ)

と思ってたと思います。

そして、私も悪いのかもしれませんが

調子に乗って、電子レンジ料理をたくさん作るようになります。

そしたら、ある日、こんな張り紙がしてありました。

「さやか、もう、食材は自分で全部買ってきたのにしてちょうだい」

はい?

あ、そうですか

まあ、買ってきていましたよ、自分で

この人たちは、私にそんなに食材を与えるつもりはないのだと思いました。

 

他にもあります。

 

私が風邪をひいたとき、

風邪をひいた、という話をすると、先に言われたのは

 

「なるべく物に触らず、ちゃんと手を洗ってちょうだい」

 

と言われました。

 

「ん?まずはそこなのか・・・」

と思いまいした。

おこがましいかもしれませんが、

心配が先じゃないですか?

そして、娘が風邪をひいたときは

「おーかわいそうにMy baby」

みたいな笑

もう、笑っちゃいました笑

 

そして、この娘さん!!!!

娘さんは悪い子ではないのですが

甘やかされて育っているため

お母さんにすこーしだけ注意されただけでとても泣きます。

撃たれ弱すぎます。

これはやばい・・・・

 

そして、実は、家と学校が遠かったです。

(バスを乗り継いで1時間以上かかって行ってました。)

バス代もかかるし、

ご飯は満足に食べられず、

しかも、お母さんは短気で、何かにいつも怒ってる

 

そう、このお母さんの沸点がよくわからなかった

本当によくわからなかった

逆に言えば、いつも何かに怒っているという生活はかわいそうだった。

毎日が穏やかではなく

ストレスでいっぱいという感じ

 

 

こういうことが続き、家を探さなければ

こうなりました。

しかし、この家が私のお金を頼りにしてるのも何となくわかっていたので

私が他に家を探すというと

そのストレスがまた私に当たると思いました。

というわけで、とりあえず、次の新しい家のあてができるまで、自分で内緒で探すことにしました。

そして、あてが見つかったら、ちゃんと家を出る2週間前に言えば、ルール的にも大丈夫でした。

つまり、私には時間がなかった

「早く探さなければ!」

でした。

今から思えば、アメリカに行ってまだ1か月で

しかも引っ込み思案の奴がよく家を探したと思います・・・・

そして、これが大きなトラブルに発展するのです・・・


とりあえず、ここまでですかね

この続きはいつ投稿されることやら笑

 

とりあえず、また近況かけたらいいな

 

KARA

 

 

 

 


アメリカ編

2019-01-11 10:28:55 | 自己紹介

Hi! It's KARA!

 

うわー3日連続投稿!って言いたかったのにーーーー

3日坊主どころか2日坊主・・・・

でも、実はちょっとずつ書いていたんですよー

でも、わけあって・・・今、家でインターネットがない環境なんです・・・

まぁ、気を取り直して、

 

さて、アメリカ編でしたね!!!!

 

 

 

ーーーーーーーーーアメリカ編ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

無事、手続きが終わり、アメリカに行くことになりました。

意外とアメリカの大学申請の手続きが始まってからはスムーズに物事が進みました。

あっさりと、

もう明日アメリカに行くのか、、、

という感じでした。

いや、そうでもないのかな・・・

このブログを見返してもらえばわかりますが

めちゃめちゃ不安でした笑

岐阜から出たこともない人間でしたし

実家暮らしでしたので

世の中のいろいろな事務処理的なことすら知りませんでした。

(一応家事一般は好きだったのでできました(自慢))

そして、このころ、お付き合いしていた彼がいましたが

付き合う時から、私は絶対にアメリカに留学に行くと話していたので

留学自体は応援してくれていました。

まぁでも、この留学で1年離れるし、

私の心の中で、その彼とは遠く離れてうまくいく自信はありませんでした。

(そしてその予感は的中しました^^;)

これは、アメリカ・彼氏編でも作って書こうかな!笑

 

そして、アメリカに飛び立ちました。

寂しかったのと同時に、希望を持っていました。

羽田からの直行便でシアトルに行きました。

これもあっという間だった。

一応、最初の何か月かはホストファミリーを申し込んでいたので

空港までのお迎えをお願いしていたのですが

空港ついて早々ホストファミリーのお迎えがめちゃめちゃ遅れました

はい、不安。

そして、ホストファミリーが到着

最初の第一印象は、笑顔が素敵だったので、いい方たちに違いない

と思いました。

(これがまた間違い笑)

ここから、アメリカ編の中のホストファミリー編に移りましょう

ーーーーーーーアメリカ・ホストファミリー編ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

なんと、一癖も二癖もあるホストファミリーでした。

まず、説明しますと、アメリカのホストファミリーはお金かかります。

私は700ドル(日本円で約7万円くらい)払っていました。

一応、このお金の中に食事代も含まれている、ということでした。

しかし、ホストファミリーの中には、ビジネスでやっている人もいますので、

この7万から少しでも利益を出そうとするホストファミリーもいます。

見分け方としては、めちゃくちゃケチになホストファミリーはそんな感じ。

食費を浮かせようとして、めちゃくちゃ少ないご飯を出してくるホストファミリーもいます。

私のホストファミリーは、こんな感じでした・・・・

 

ホストファミリーの家について、最初の2日はよかった

ご飯も作っていただき、

動物園も連れて行ってくれました!

(なんて優しい)

と思っていたんですけど

3日目ぐらいから、すこし、違和感を感じるようになります。

一つ目は、私が触っていいのは電子レンジと水回り(トイレとシャワー含めて)のみでした。

洗濯機触らないで

コンロ触らないで

という感じ。

コンロは納得していたつもり

だって、火事になったら大変だもんね

あと、洗濯は一応やってくれるんですけど

生乾きのまま洗濯完成という感じ。

冷蔵庫は、一応これとこれは食べていいよー

みたいな感じだけど、まず、私が食べていい食材は少ない・・・

(ひどいときは、ホストファミリーが残したご飯とかを食べてました。)

生活しずらいな・・・

と思い始めました。

そして、ホストファミリーは

お母さんと娘だけの家

(両親は離婚してるらしい)

そのため、娘溺愛

だから、娘がいないと、料理を作る仕草がないんです。

つまり、私はご飯なし。

そこで、私も言えばいいんですけど

英語がまだたどたどしく、ちゃんと話せないので、ちゃんと伝わってるのか不安でした。

 お腹すいた、みたいなこと言うと、

缶のスープを出してきて、それを温めて、それを出してくれる。

それだけ。

でも、一応出してくれたしな・・・・贅沢言ったらだめだよね・・・と思っちゃうんですよね。

でも、体は正直なので、お腹がすくのです

仕方ないので、リビングに隠れて、日本から持ってきたチョコレートを食べようとすると

急にホストファミリーの顔色が変わりました

「What are you eating now.....? Don't eat here!」

何食べてるの・・・・?ここで食べないでちょうだい!!!

つまり、リビングで食べるな、と。

そして、リビングだけではなく、部屋でも食べるなと言われました。

食べていいのは、キッチンのあるカウンターのところのみ。

今思えば、これも本当に生活しずらいと思いますが、

その時は「それがこの家のルールだもんな・・・仕方ないな」

みたいな感じでした。

でも、よく見ると、ホストファミリーの人はリビングで食べてるんですよ・・・

私は頭の中が「?」でした。

これ以外にも、このホストファミリーのお母さんの奇行が目立つようになります。

いきなり怒って帰ってきて、地団駄踏んで怒ってたり

(理由をよく聞くと、スーパーの店員さんが咳をしながら商品を触ってるのが嫌だったらしい)

仕事から帰ってきて、「疲れてるから話しかけないで!!!!」と叫んだり

なんだこの人

みたいな感じでした笑

私はこの時、初めてちゃんとアメリカ人と一緒住んだし、

ホストファミリーと一緒に住むときに、ホストファミリーを仲介してる会社に言われたのは

・その家族のルールがあるのでそれを受け入れること

・なんでも当たり前だと思わないこと

・時には我慢も必要

・でも、自分の意見も言うことも必要

みたいなことでした。

これって・・・・難しくないですか?

どこまで我慢するべきか

どこから自分の意見を言うべきか、分からないんですよ。

しかも、自分の意見を言ってるつもりで、言えてなかったりするんですよ日本人は!!!

このせいで、トラブルに陥っていくのです・・・

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

今回はホストファミリー中心で書かせてもらいました。

次は、そのホストファミリーとの間に起ったトラブルと、ほかのアメリカの生活に言及できたらいいなと思います。

 

それでは、またお会いしましょう^^

 

KARA


大学に入ってからのお話

2019-01-10 10:01:11 | 自己紹介

Hi! It's KARA!

 

はい、連続投稿がやっとできました笑

これが今まで続けられなかった^^;

さて、昨日からの続きなので、大学に入ってからのお話ですよね?

 

ーーーーーまずは大学受験編ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私は高校の先生と親の勧めから、留学するなら一番費用のかからない道を進むことになります。

それは

地元の国公立に入り、自宅から通学

そして、交換留学制度を使い、アメリカに1年間留学する

という道です。

そして、もし、国公立に受からなければ、留学のための専門学校に行き、海外の大学に直接留学する

という道です。

正直、最初の考えはみんな考えることだと思うんですけど、

2つ目の考えは、私の周りにはあまりいませんでした。

つまり、私は滑り止めは受けずに、国公立1つだけを大学受験したんです。

絶対留学したい、という想いだけを胸に、受験勉強しました。

正直、日本の大学はどこでもよかったんです。

でも、アメリカの大学に行きたいのに、日本の大学を受けるのは

モチベーションを維持するのに非常に大変なことでした。

それでも一応、自分なりに留学以外に興味があることや、将来何になりたいのか自分なりに考えて

当時、自分の頭の実力や適性を分析し、

工学部の生物・化学系に進もうと考えました。

理由はいろいろあります。

(頭がもう少し良ければ農学部系の学部や薬学系の道に進みたかったのですが)

当時はとりあえず工学部に行けば、就職先も広がるだろう

と考えていたのです。

そして、理系の世界でも英語は必要になるので、英語を学びつつ専門分野を学ぶのは魅力的でした。

まぁ、考えが甘いところはありますが、高校生で考えて決断したのは自分に褒めてあげましょう・・・・

しかも、日本の受験システムが本当に嫌でした。

それでも、逃げずにやった自分を褒めてあげましょう・・・

そして、見事に合格。地元の大学に通うことになります。

ーーーーーーーー大学編(前半)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

大学に入学

しかし、今から思うと、この時にはいろいろ疲れ切っていました。

少し鬱っぽかったと思います。

私が留学に対して想いがあるのはいいのですが、

私に足りなかったのは柔軟性です。

もう少し柔軟になって考えて、日本の受験システムが嫌でも、前向きになって取り組めばよかったのに

当時は、無理やり取り組んでいたという感じ。

(そして、当時大好きだった彼から振られたのは大分でかい笑)

だから、せっかく大学に入ったのに、いろいろ燃焼した後みたいな感じでした。

それでも留学への想いだけは独り歩きするというか

口では

「絶対に留学に行く」

と言いながら、行動が反映されない、という状況

とりあえず、留学に行くためにすぐにバイトを始め、お金を貯め始めました。

理系にいたということもあり、勉強もおろそかにしたくなかったので、専門の勉強も頑張りました。

しかし、判断力も鈍っており、

英語の勉強をしなければならないのに、

なぜかめちゃくちゃ厳しいテニス部に入部します笑

なぞ笑

テニスができるようになったのはいいのですが、

本当に、あの1年は私にとって、少し誤った道でした^^;

結局、鬱症状が大きくなり、2年生のころになると何も手が付けられず、

部活もやめ、勉強は進まず、病院に通うようになります。

交換留学の試験も受けるのですが、落ちてしまいました。

もともと引っ込み思案で自信がない奴だったので

それに元通り、という感じです。

本当に、トンネルの暗闇にいるようでした。

うちの両親は、お金のことをいつも心配していて、

だから国公立を選んだのに、留学に行けなったら私の大学生活何だったんだ、、、

と思っているところ

うちの母が

「あんた、自分で行きなさい」

と言ってきました。

私「どうやって?」

母「私費で」

私「お金は?交換留学で行くつもりだったから、私費で行くためのお金を用意できてないです・・・」

母「私が少しは貯めておいた」

私「へ?!」

ということで、うちの母が私費留学のためのお金1/3を貯めててくれてました。

そして、留学をすごく応援してくれました。

残りの2/3のお金はどうしたかというと、

留学のローンを組みに行きました。

私が留学から帰ってきたら、少しずつ返済するという契約で

両親と一緒にローンを組みに行きました。

本当に、頭が上がりません。

自分で行け

と突き放すこともできるのに

応援してくれました。

これ以外は自分で探しました。

エージェントを使いましたが、普通のエージェントを使うとお金がさらにかかるので

エージェントと提携している大学を探して

そこの大学ならエージェントは無料で留学を手伝ってくれるということなので

シアトルにあるカレッジに留学することに決めました。

なので、エージェントに払うお金はありませんでした。

手続き云々を順調に進め、日本の大学の休学手続きも済ませ、

見事留学までこぎつけたのでした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

大学編後半

というより、アメリカ編はまた明日書きたいですね^^

 

こんなかんじで、アメリカ留学に行くことになり

少しでもアメリカでのこととかを記録しようとこのブログを作ったのです。

 

それではまた明日!!!

BYE

 

KARA


このブログは本当に気まぐれ日記

2019-01-09 14:11:07 | 自己紹介

Hi!  It's KARA!

みなさんあけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

さてさて、平成ももう終わりになってしまいます。

平成生まれの私としては、平成って、昭和の方々から馬鹿にされて終わった、、、というイメージです。

 

そしてここからが本題

本当にこのブログは気まぐれすぎる笑

 

私が書きたいときに好きなように書く

ただの日記です。

こんなのに足をわざわざ運んでくれた方々、ありがとうございます。

適当ワールドへようこそ。

 

こんな私ですが、いまさらながら、ブログをリニューアルしようと考えていたんですけど、

リニューアルするほど、ブログに力を入れているわけでもなく

力を入れているわけでもないんだけど、このブログは私の歴史なんです。

そこで、途中から来た人が少しでも私のことや今までのことがわかるように、

今日は自己紹介をしようと思います。

そして、しっかりと今までの記事などもカテゴリー化したいです。

(ほとんどが私の気持ちをつらつら書いている日記なのですが、)

私は留学している経験があるのと、国際恋愛継続中ですので、これから留学したい人や、国際恋愛を頑張っている方々のためになるブログに少しでもなればいいな、、、

と思い、今日から毎日(?)更新できるといいな。

 

はい、自己紹介!

名前:KARA

→ちなみにこれは、アメリカにいるときにアメリカの友達が私につけてくれたEnglish nameです。

生まれ:平成

職業:日本で大学院生(理系)

生まれ:岐阜

育ち:岐阜

趣味:モダンダンス、テニス、言語習得

自己紹介、これ以外に書くことが思いつかない・・・・

ということで、今までの私の経緯を書きましょう。

このブログを始めるきっかけになったのはアメリカ留学です。

このアメリカ留学の話をしだすと、高校生までさかのぼらなければ・・・

 

ーーーーーーーーーーーーさかのぼること高校入学ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今から思えば、私の人生はここから大きく変わりました。

行きたい高校のために、一生懸命頑張って点数をあげてぎりぎりで入った高校だった。

そこでの入学式の日に、渡された紙切れの中の一つに

「ホストファミリーをしてみませんか?」

という紙を見つけた。

どういうことか、私は「これだ!!!」と思った。

私は岐阜から出たくない引っ込み思案な奴だったのだけれど、

帰国子女でアメリカでの生活を経験している中学の後輩に憧れて、

自分もアメリカの生活を知りたいと思っていた時に、ホストファミリーの募集がかかったもんだから

「これだ!!!」と思ったのでしょう。

即座に「応募する!!!」と言った時のうちの母の顔は拍子抜けしてたな笑

だって、引っ込み思案で、誰とも話したくないような奴なのに

いきなりアメリカ人を受け入れるだって?!

そして、その間の世話はうちの母がしなければならないのに、、、、

うちの母は軽く反対しました。

それでも、私の熱意に負けて「女の子なら受け入れていいよ」と言ったのに

私が「性別はどちらでもいい」みたいな項目を〇したので、

なんと

アメリカ人の男の子がうちに来ました笑

お母さんの驚いた顔が忘れられません・・・・・

でも、この男の子がきっかけで私はどんどんアメリカにひかれていくのです。

私は岐阜から出たくない引っ込み事案な奴だったので、

他の世界を知らなかったんです。

でも、アメリカの男の子の話から、アメリカの教育がいかに自由で、日本のやり方と違うかが伝わりました。

本当にそうなの?

本当にそんな自由な国なの?

どんどん気になってしまい、男の子が帰ってからは、次は私がアメリカに行くことに決めました。

私の高校がアメリカの姉妹校へ行く派遣生を募っていたので

次はそれに応募することになります。

そして、見事、小論文と面接の試験に合格し、派遣生に選ばれたのでした。

選ばれたときは、本当に本当にうれしくて

飛び上がって喜びました。

そして、アメリカの高校に短期留学するのですが

これがまた、刺激的でした。

今から思えば、アメリカは高校から日本でいう大学のようなカリキュラムで

自分の専門が決まっていました。

高校生の時から大学の授業を早めにとって、いわゆる飛び級みたいなのを利用して

早めに自分の進路を決めている子もいれば、じっくり考えている子もいるし

個性的な子もいるけれど、それも認められる社会

高校生の私からはそういう風に見えて、魅力的に映りました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この短期留学がきっかけで私はアメリカ留学を志すようになるのです。

日本の大学に行くという選択が邪魔になるほどでした。

しかし、それまでは日本の大学に行く以外の選択肢を考えていなかった、ということと

母や先生の勧めで、とりあえず大学を1校だけ受けて、落ちたら留学に行くための専門学校に行くと決めました。

それ以外の道をその時の私は本当に知らなかったし、

正直、弱かったなーと思います。

だって、他にも道はあると思うんです。

奨学金を見つけてきて、大学から留学するとか

高校卒業してからフリーターになってでもお金をためていくとか

もちろん、両親の思いもあるし、私の人生は家族含めて自分の人生だとも思っているので

両親が進めてくれた道は正しかったと思います。

しかし、なんでも受け身体質で、自分で調べるという行為がこの時は足りてなかったと思います。

自分の足で訪ねて、自分で調べることはどこに行っても大切になりますよね。

さて、もともと、なんでこの話になったかというと

私がこのブログを始めるきっかけになった出来事の紹介からでしたね笑

それでは、明日は大学に入ってからの出来事を紹介したいです^^

 

Bye!

 

KARA