鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

大川小学校 5

2021-03-16 15:16:27 | 思いつくまま

  

前中は陽も差して、それなりにいい天気だったのですが、午後からは曇ってきて、ぽつぽつと雨が降ってきたりして冴えない天気に変わりつつあります。予報では時間の経過とともに天気は悪くなるようでしたね。

 

3月もほぼ中間地点ですね。早いです、弥生三月も半分が終わってしまいました。きのうは月曜日で、朝の登校の見守りにつきましたが、中学校や高校の3年生はもう卒業してしまいました。やはりなんかいつもと比べて登校する生徒たちの数が少ないです。

 

そうか、あの子はもう卒業したのか、3年生だったのかと後から思ったりして・・・。小学校の卒業式は19日金曜日にあります。今年も卒業式に出席できません。残念です。行事予定表によると、卒業式当日の1年から4年生は臨時休業のようです。

 

そうそう、きのうの朝、見守りの場所に向かう時いつもの可愛いGFに遭いまして、いろいろと話をしながら歩いたわけです。GFのほうからいっぱい話しかけてくるのです。こんな可愛い娘を持って親御さんはさぞかし嬉しいだろうなあと思わざるを得ません。

 

本当に両親の愛情をいっぱい受けて伸び伸びと明るく成長しています。今学校で日本の県の勉強をしているそうです。日本には47都道府県があるということ、東北地方や関東地方とかにも分類できること、東北地方には6つの県があること。

 

6つの県を言えるのかと聞いたら、おぼえたと言って青森県から言ってくれました。でも、まだ47都道府県の位置関係は不確かで、そりゃそうですよね、我が家では妻さんは中国地方や九州地方となるとさっぱりです。私も島根県と鳥取県の位置関係はよく悩むところです。

 

中国地方は東から瀬戸内海に面している県を言うと、兵庫県・岡山県・広島県・山口県となりますが、山口県と広島県に接している県が島根県なのですね。島根県と言えば、出雲大社や松江市が有名です。

 

その昔むかし、若かりし頃境港から船で隠岐の島へ行ったことがありましたっけ。境港と言えば水木しげるさんの鬼太郎で有名なところですね。私が行った頃は全くそういう気配はなかったですね。

 

そして、隠岐の島では初めて闘牛なるものを見ました。迫力満点でした。闘牛と言えば隠岐の島が有名ですが、たしか宇和島もまた有名ですよね。そうなのです、闘牛の試合の時、隠岐の島の闘牛だけではなく、宇和島からも闘牛に参加していました。

 

だから両方の闘牛を運よく見ることができました。いまでも覚えていますが、隠岐と宇和島で対照的だったのがあるのですが、何だとおもいますか? 牛のわきには男衆がつきますが、そのとき牛の首に綱をつけているかつけていないかの違いがあります。

隠岐は綱があり、宇和島は綱がなかったと思います。横綱同士の対戦では、見た目は宇和島の方が大きくて強く感じたのですが、勝ったのは隠岐の牛でした。筋肉が引き締まっていたからかな。

闘牛の場所は草ぼうぼうの平らなところです。その周りに確か竹で丸い柵を設けます。そして格下の牛から土俵入りということではないのでしょうが、その柵に沿って一周するのです。横綱は最後です。そうして、伸び放題の草むらを平らにするのです。

またまた古い話を延々と書いてしまいました。これでもはしょってはいるのですが。

 

それにしても、しつこいですよね、またしてもタイトルは「大川小学校」です。11日を境に静かになった東日本大震災関係の番組や記事ですが、私はそれに逆らって11日を過ぎたからこそいろいろ思い出しながら書いていきたいと思ったわけです。天邪鬼な鮎と同じです。

いままで何回もしつこいくらいに「子まもり」像の写真をアップしてきました。この像も、最初は大川小学校の入り口付近にあったのですが、その後犠牲者の家族のみなさんが建立した慰霊碑群のなかに移されました。

そして、この新しい慰霊碑群の写真撮影は禁止されました。正面にそういう看板が立てられていましたが、立てられる前に行って写真を撮った記憶があります。

禁止される前に写真を撮りましたが、私はあくまでも日本のみなさんに大川小学校の悲劇惨状を知ってほしくて写真を撮り、このブログで発信していきたい、少しでも多くの人に知ってもらいたいという気持ちから写真を撮っています。でも、この場所が写真撮影禁止ということは、公開もしないでくれということなのでしょうから、遺族の気持ちには従いたいと思っています。

  (2011年10月)

 

 

 子まもり像のことは、このブログでも書いています。2011年10月27日です。その時に像の製作者の浜田さんからもコメントをいただいておりますので改めて紹介させていただきます。

 ”””『石巻・大川小に母子像 死亡・不明の児童ら84人に祈り』

 富士吉田市の石彫り作家浜田彰三さんが、大川小学校の悲劇を決して忘れてはいけないという思いで、遺族の心の安寧のため”形あるものに気持ちを託してもらえたら”と考えて彫ったといいます。

 花崗岩を使って、幼子を抱く母の姿を彫りました。台座には「子まもり」とあります。 ”””     (”””・・・ ”””の記事は私のブログからの引用の一部です。)

 

(引用開始石巻大川小学校 (浜田彰三)2012-04-09 22:05:28

丁寧にお気持ちのこもった取材をしていただきまして有難うございました。
大川小の惨事は悲しくて、残酷で悔やまれてしかたありません。
せめて行政は被災者遺族本位に行動してほしいと思います。
遺族はとてもつらい気持ちで日々を過ごしているのだと思います。
浜田彰三  (引用終わり)

 

   (2012年3月)

 

 

 


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大川小学校 4

2021-03-15 15:02:10 | 思いつくまま

 

いやあ、きょうの天気は最高ですね。少し風がありますが、それを太陽が押しやっている感じです。明るくまぶしい外の様子、気温も14度を超えています。こういう時に日陰でうつらうつらするのは、まさにゴールデンスランバーなのでしょうか。

 

きのうですが、東京では桜の開花が宣言されたようです。お花見、観桜会を盛大にやることはできない状況ですが、去年、今年と、思うに多分、桜はいつもよりもきれいに見事に咲いているのじゃないかと思うのですが。人出がない分、少ない分、桜の木は思いっきり咲き誇っているのかも。人様の気持ちも慮っているのかも・・・・。

 

仙台はまだ隣家の梅の木以外は、梅でさえまだ満開にはなっていませんね。まあ、何も桜は慌てることはございません。ゆっくりと自分のリズムで咲きだせばいいのです。この分なら仙台も4月前に咲きだすかもしれません。

 

そういうことは思うだけでうれしいのですが、嬉しくないこともありました。4,5日前のこのブログでも書きましたが、やはり衆議院宮城5区から、宮城県に縁もゆかりもない輩が、女だからということだけで、若いからというだけで、名前が売れているからというだけで立候補するようです。

 

何とも不愉快極まります。森下千里とかいう39歳の元タレントが自民党から立候補するそうです。まさかこんな刺客に負けるような第5区のみなさま方とは思いませんが、もしも負けるようであったら、もうおしまいですね。

 

大震災を利用しての立候補、そこには何としても安住淳を蹴散らそう、蹴落とそうという自民党政権の魂胆が見え隠れします。どうか、第5区の有権者は決して騙されることなく、あやかし、まやかしに惑わされることなく、賢明な判断をなされることを今から祈っています。

 

どういうことなのでしょうか、今宮城県では新型コロナの感染者が毎日50人前後出ています。これは不吉です。これからまたいろんな団体の総会等が予定されますし、今年も総会等が書面評決となったら、事業計画等でいろいろと話し合いができなく、議論が深まりません。

 

3月中旬に入ってからの感染者数は、10日・36人、11日・53人、12日・49人、13日・55人、14日・49人となっています。今日の感染者等の発表はまだ聞いていません。この数値は福岡県の感染者数を上回っています。べつのことで上回るのなら歓迎なのですが。

 

 

 

しつこくてすみません。きょうもタイトルは大川小学校です。大川小学校の悲劇惨劇を思う時、現場を訪れた人ならだれでも思うはずです。なぜ、裏山に逃げなかったのかと。

 (2011年10月の写真は5枚です)

 

児童からも山に逃げようという提案があったようですし、先生の一部からも話が合ったのではなかったですか。ただ、当時は校長が不在だった。

 

子どもたちは普段から裏山に上ったりして遊んでいたのです。低学年の避難先としては困難だということは決してなかったはずです。

 

51分間、51分間寒い中校庭で待たされただけです。そして、どういうわけか死の行進を開始し、全員津波にのまれてしまいました。

 

先生方や5,6年生が主導して低学年生を山に逃がすことは十分にできたはずなのに、本当に現場に立ってみれば、なぜ裏山に逃げなかったのかと誰しもが思うでしょうし、悔しさが沸き起こってくることと思います。

 

ということで今回の大川小学校は、2011年の10月と2012年の3月に撮った
(写った)大川小学校の裏山を中心にアップしました。

 (以下の写真6枚は2012年3月です)

 

 

 

 

 

 


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大川小学校 3

2021-03-14 14:29:48 | 思いつくまま

 天気自体はパッとしないのですが、その割には暖かいので助かっています。出来ればもう少し明るい外の陽気であってほしいものですが無理な願いでしょうか。

 

きょうは3月14日、バレンタインデーではないホワイトデーですが、みなさんは奥様に何かプレゼントを用意しましたか。バレンタインデーで何かもらったかな?はっきりしないというみなさんも、それはそれとして何か奥様にプレゼントした方がいいですよ。

 

外出した際に神戸のめったに手に入らない?、すぐには手に入らない? 欲しくてもすぐには買えないとかいうチーズケーキを買ってきました。税込み1,350円です。これで当分は穏やかな日々が続くかと思います。

 

なんか今日が日曜日だなんて気がしません。まあ、これは今に始まったことではないのですが、毎日が日曜日であるので、曜日の感覚がおかしくなります。というか、週末の土曜日とか日曜日の感覚がおかしいのだな。平日は平日らしい感覚でいられます。

 

まあ、そんなことはどうでもいいのですが、きちんと会議等の日程を把握していればいいわけですが、手帳にも書いて、すぐそばのカレンダーの余白にも会議や通院の日程は書き入れています。

 

きのうの雨により、広瀬川はどれだけ増水し濁りが入っているか興味があったのですが、大したことはなかったな。がっかり。もっと上流部では降って、広瀬川の流れも急激なもの、激流となり、川底の小石等を流してくれたらよかったのですが。

 

  (カモも中州で一休み?)

とくに、広瀬川分流の下流ですね。中洲に渡るために石を積み上げるのはいいのですが、ダムのようにびっちりと積み上げるのはやめてほしいのです。20センチ、30センチくらい空けてくれたら何も文句はないのです。

 

現実はそうではなくて、もうびっちり積み上げてしまうのです。川の主人公”魚”のことを考えていないことに腹が立ちます。どうして””魚の通行権””に思いをはせることができないのでしょうか?

 

川は魚たちのものです。もっとほかの生き物たちの生存権のことを考えてほしいのです。だから私はできるのであれば、石積みの一部を壊してきます。流れをよくするのとともに、魚が本流から上がってこれるようにするためです。

 

分流に魚たちがいっぱい集まってくれば、それを目当てに鳥たちも集まってくることでしょうし。人間たちはあまりの横暴ですし、傲慢すぎます。

 

きのうのブログで、大川小学校の当時6年生だった愛さんを大津波で亡くした狩野あけみさんの記事を紹介しました。愛さんは三女です。二女の唯さんがお母さんに言った言葉「大川小学校は母校で、思い出が詰まった場所。多くの子どもたちが犠牲になった事実がしっかりと伝わる場所になってほしい」と。

 

        (校庭の奥の方、山よりのところにあります。)

「思い出が詰まった場所」の大川小学校。校舎はとってもモダンですし、校舎に付属するいろんな楽しそうな建造物があるのです。ふつうの小学校以上に進んでいます。先生方の指導も素晴らしかったのでしょう、それがおのずと偲ばれます。

 

 

また子どもたちも先生方の願いを見事に体現してくれていると思わざるを得ません。これも2012年3月の撮影ですが、あらためてもう一度ご覧いただきたいと思います。

 

 

 これらはどのように保存されているのでしょうか。大変気になります。

 

 大川小学校で学んだ児童たちは、本当に伸び伸びと過ごしていたんだなあと思わずにはいられません。

 

 

 これらの壁画は先輩たちから後輩たちへと伝わっていったのですね。

 

 何度も思います、なんで山に逃げなかったのか、と。十分時間はありました。

 

 51分寒さに震えながら校庭にいるだけ。その間順繰りに裏山へ逃げられたのに。子どもからの提案もあったと言います。でも、無視された。

 

 検証記録にも、子どもたちの発言は掲載されなかったとか。

 

 自然豊かな環境のようです。 それだけに悔しいですね。

 

 あの日校長は出張で不在。いたらどう判断したのか。そして唯一助かったたった一人の先生の証言を聞きたい。今彼は何をおもいつつ生活しているのでしょうか。

 

 2012年3月の写真です。

 

                合掌


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大川小学校 2

2021-03-13 14:56:09 | 思いつくまま

 

朝方の河原の散歩のときはポツポツ雨は降り始めていましたが大したことのない雨でした。

 

それが時間の経過とともに雨脚は強くなり、しかも風も出てきたようです。当然2階から見る外界もどんよりとした空、空と大気との区別がつかないような空で、雨は降りつづけています。

 

これからますます降り方も激しくなってくるようで、夕方から明日にかけてが雨降りの本番のようですね。今朝方の広瀬川は全く水量に変化はなかったですが、今頃(午後3時頃)は増水しているかな、濁りも入っているかな。

 

個人的には、湿気歓迎です。ずーと乾燥肌で悩んでいますので、時々は雨も降って湿度も多くなる日があってしかるべきです。晴れたり、曇ったり、降ったりの繰り返しがあってこそモンスーン地帯に住む我々日本人にとっては必要なことなのです。

 

 

3月5日の朝日新聞の記事です。「東日本大震災10年 うつりゆく記憶①」で大川小学校で6年生の三女を津波で亡くした母親のことを書いていました。

 

(以下の写真は、2012年3月に撮ったものです。この写真の右端に子まもり像がみえます。)

(引用開始)『 2週間たった。もうだめなのかもしれない。校舎の近くに並べられたランドセルを見ていた時だった。「すみません」。長いコート姿の見知らぬ女性に声をかけられた。どこかのメディアの記者だった。 

 

(2011年10月の時はマフラーや手袋はありませんでした。3月とはいっても春は名のみですから、また川沿いの学校ですし、冬は寒かったろうなと思います。また2011年3月11日の午後は雪も降ったりして、津波に襲われたら、なおのこと寒かっただろうと思います。)

「地震が来た時は車で20分ほどの職場にいて、まさかこんなことになっているとは思わなかった。学校にいた三女を探している」 そんな話をすると、女性は不思議そうに言った。 「え、なんで迎えに行かなかったのですか?」

 

 あけみ(三女の母親)さんは顔をそむけ、何も言わず立ち去った。 四十九日に当たる4月28日。愛(三女)さんが見つかった。

 

 遺族らが裁判所前を歩む様子がテレビに映った。学校側の安全対策の不備を問う裁判。あけみさんは参加していなかった。 あの日の問いかけが、頭によみがえった。 「なんで迎えに行かなかったんですか?」

 

 行けなかったんじゃない。大きな津波は来ないと踏んで、私は「行かなかった」ーー。私は先生を責められない。チャンネルを変えた。

 

 失った我が子を大切に思う気持ちは同じでも、状況や考え方はそれぞれだった。複数の家族を亡くした遺族もいる。自分は夫と2人の娘、自宅も無事だった。

 

 ふとした会話で他の遺族を傷つけないか怖かった。娘の墓がある寺は他の遺族も通うため、いつしか月命日を避けて墓参するようになった。

 

何年たっても校舎は直視できないまま、震災の話は家族でもしづらかった。でも、自助の唯さんと、隣町の高校までの30分の送り迎えの車の中で時々話すことがあった。

 

 ハンドルを握るあけみさんがつぶやく。「校舎を教訓として残すのはわかるけど、見るのはつらいんだよね」。助手席の唯さんは「そうだよね。うんうん」とうなずいた。

20年3月。仙台で社会人になった唯さんが取材に応じた記事が、ある新聞に載った。「大川小は母校で、思い出が詰まった場所。多くの子どもたちが犠牲になった事実がしっかりと伝わる場所になってほしい」という趣旨の内容だった。

あけみさんはスマートフォンで記事を撮り、「こんな風に思ってたんだ」とLINEを贈った。「唯の大好きな学校だったからさ」と返ってきた。

「ごめんね。ありがとうね」涙をぬぐった。自分にはつらい記憶を呼び戻す存在でしかなかった校舎でも、唯にとっては大切な母校なんだ。

後悔は消えない。校舎を見るのはいまもつらい。でも、20年後か、30年後。もしかしたら、残ってよかったと思えるかもしれない。「愛を思い出して話しながら、泣いたり笑ったりすることが、供養になるんだろうね」 』(引用終わり)

 

 3月11日を挟んでいろんなことが放送されましたが、きっとみなさんも大川小学校の語り部の人とバックの大川小学校の校舎をご覧になったことと思います。今校舎は震災遺構として残すための工事が行われて、この春に公開されるようです。

新任の校長先生の研修等でも、ようやく先生方が訪れるようになってきていますが、今後は教員が学校防災を学ぶ研修の場としても活用されるとのことです。

 

 

 

 

 


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あらためて、大川小学校

2021-03-12 14:15:05 | 思いつくまま

 

           (河北町立大川第一小学校)

きのう3月11日、認定NPO法人「カタリバ」の主宰で、二女(旧大川小学校6年生のみずほさん)を亡くした佐藤敏郎さんが、オンラインの防災授業をしたそうです。

 

(写真は、私が実際に行って、見て、撮ってきた大川小学校です。初めて行ったのは、2011年10月下旬です。七か月後のようすです。)

それがHUFFPOST日本版に掲載されましたので、私からも改めて紹介させていただきたいと思います。

 

10年前の東日本大震災での最大の悲劇といっていい大川小学区での惨劇は永遠に語り継がれなければならないと思っています。この拙いブログでも微力ですが、紹介させていただきたいと思います。

 

『泥だらけの子供たちが何十人もブルーシートをかぶせられて並べられていました。うちのみーこも、その中にいて、名前を叫んで肩を揺さぶっても目を覚ましませんでした。ブルーシートをかけられていた子、皆、知ってる子でした。その光景は忘れられないし、忘れてはいけないんだと思いました。このことを何て伝えたらいいか、まだ私も受け止め切れていないです。だから、それぞれが想像できる範囲で考えて受け止めていただけたらなと思っています。』

 

『地震から51分経っているんです。何とかならなかったのかなって。裏の山に走っていけば間に合いました。宮城県には津波が来るという情報もありました。時間も情報も、手段もありました。でも、助けられませんでした。これが大川小学校でのあの日起きたことです。』

 

           (裏山です)

 

『私たちもたくさん調べました。調べれば調べるほど、あの時、学校はパニックになっていたんです。私も、自分の勤めていた学校のすぐ下を津波が流れて行って、パニックになった。ならない人はいません。』

        

『「予想していなかった」といった子がいましたが、予想はされていました。津波が来るぞということは予想されていた。予想されていたのに対策は不十分だったんです。でも例えば、今後、南海トラフ地震が来ると予想はされていますね。でも本気になって準備はしていますか?』

『いざという時にパニックになる。みんなそうです。パニックになっていない時に、準備をしておかないといけないいんです。何もない、落ち着いている時にちゃんと準備をしているかどうか。していた学校は助かりました。』

 

『平和な時ってみんな気づかないんです。震災後に改めて思いました。あの日大事だと思ったことは、今日も、いつも大事だということです。飲み物、食べ物、寝る場所は、震災後だけじゃなくて、今も大事ですよね。空気と同じ。でも失ったときに気付く。それでは遅いんです。大事なもの、、見えにくい、気付きにくいもの。命はその最たるものだと思います。』

『「もしもは、いつもの中にある」この10年間で気づきました。何事もない時に同準備すればいいのか。避難するっていうことは、この宇井ら山をちょっとだけ登ればよかっただけのこと。大事なのはいざという時に、避難するそのスイッチを入れやすくなっているかどうかなんです。』

 

『「校門を出て津波に向って行った時、娘はどんな顔をしていたかな」って想像します。怯えていたと思います。自分たちもそこにいると考えてください。それが想定です。私も津波のいろんな訓練もしました、準備もしました。でもその準備の中に、私は娘を想定に入れていませんでした。』

 

『今日、お話を聞いたその中に、自分や自分の大事な人がいると思ってください。だから防災っていうのはそれを助けるということ。防災は恐怖ではない。助かるためにやるんです。希望です。ハッピーエンドです。津波は襲ってくる、でも皆さんは助かるんです。避難訓練も、自分や命を守ることを思ってください。今日の授業を聞いている先生たちも大勢いますね、すぐスイッチが入れられるように本気になって準備してください。』

  

 大川小学校は2011年の10月ですが、南三陸町の防災庁舎に行ったのは2011年6月下旬でした。

  

 

 3・11が過ぎたので、私はこれから折に触れて自分なりに10年前の大震災について考えていきたいと思っています。お付き合いください。

 

 今朝の広瀬川の定点観測・撮影です。

  

    

 

   

     

      

      


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あの日から10年

2021-03-11 16:15:02 | 思いつくまま

  

きょうは朝からテレビラジオは東日本大震災一色です。新聞も1か月以上前から大震災を取り上げ、3月11日に向って否が応でも雰囲気を盛り上げて?来ました。

 

今は3月11日木曜日午後4時18分ですか。2時46分からは1時間半経過しています。今日は午後から定例会があり、会議の初めに全員で東日本大震災で亡くなった方の冥福を祈り、黙とうをしました。

 

ちょうど10年前にも、今日と同じ会議室で大地震にあった人もいます。何しろ11日の本震の前に、9日と10日にも大きな地震があったのですから。先月の大地震は余震だそうで、絶対にまた大きな地震がやってくるなと思います。思わざるを得ません。

 

みんな地震には過敏になっています。実際怖いです、地震は。特に真夜中の地震は絶対にごめん被りたいのですが、地震の神様はそんなことは関係ないでしょうし、いくら宿命と思っても腹が座りません。運命というべきか。

 

加えて、このごろはコロナ禍です。宮城県は減るどころか20人台から30人台をキープしています。これは下げ止まりとしか言いようがないでしょう。拘置所でも10人以上感染していますし。

 

でも、でも、こういう時代だからこそ、少しでも明るく生きたいものです。そうです、ここで久しぶりに登場です。あの軽快な音楽が、メロディが流れてくると元気づけられたものです。なんだと思いますか?

 

そうです、NHKの朝ドラの『あまちゃん』です。このドラマは脚本ももちろん素晴らしいですし、引き込まれたものですが、テーマ音楽の力もとっても強かったと思います。9日の朝日新聞に作曲した大友良英さんが言っていました。

 

『旧知のディレクターからNHK連続テレビ小説で音楽を担当してみないかと打診された。「自分たちがやってきたことを、(朝ドラという)誰もが見る場所でやってみたい。「あまちゃん」(2013年)の音楽を引き受け、オープニングをとびっきり明るい曲にした。』

 

『つらい現実に向き合うようなアート作品とは全く逆にした。震災がなかったら間違いなく生まれなかったと思います。』と。

 

 週刊現代が”あまちゃん”特集を写真と文でしていました。

 

 どうですか、この顔ぶれを見て思い出しましたか?アキちゃんとユイちゃんのふたり、よかったですねえ。初めは反目ばかりしていましたが、いつしか恩讐?を超えて仲良しになりましたね。

 

今は能年玲奈も橋本愛ももうりっぱな俳優として活躍しています。個人的には、能年玲奈がなぜかその名を使えないのが納得いかないし悔しいですね。

 

 ””潮騒のメモリー””、よかったですねえ。

3・11から10年 『あまちゃん』は最高の朝ドラだった

 

母と娘をめぐる人間関係が深く描かれた物語

 

震災を描いた最初のテレビドラマだった

 

社会現象になった『あまちゃん』

 

劇中に出てきた三陸鉄道をたどる

 

「じぇじぇじぇ」の地、北三陸はいま

上下2巻のシナリオの本もあるはずなのですが、ちょっと探しただけでは見つかりませんでした。今思い出してみると、アキちゃんとユイちゃんは当然よかったけど、母親役の小泉今日子や女優鈴鹿ひろ美役の薬師丸ひろ子の演技も光っていたなあ。

なんだ、みんなよかったのじゃないか!!!そうです、脚本・音楽・配役・スタッフ・監督、すべてが良かったのです。万歳!万々歳!! あまちゃんの再放送を目指しませんか!?

この際、「あまちゃん」の再放送(再々放送?)をNHKに要望しましょう!!!「あまちゃん」がこの閉塞状況を打破してくれるのではないでしょうか?!

 


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あしたで10年目ですね

2021-03-10 16:10:16 | 思いつくまま

  

風が強い一日でした。朝方は雲っていましたが、その後は日差しもあり、春も間近かななんて思ったりもしますが、その気持ちをあざ笑うかのようにときおり強風が吹きます。

  

気温は毎正時のデータを見る限りは9.5度くらいが最高気温のようです。きのうは10.1度か。珍しく午前7時でも9.5度となったり、午後2時過ぎまでは9度か9.5度で推移しました。

 

今気象予報士が言っていました。今日の最高は10.4度とか。湿度がかなり低くなっていることに加え、花粉症が猛威を振るっているようです。まあ、私は鼻水がしょっちゅう出るくらいの症状で軽いのです、おかげさまで。

 

午後から車を運転したら、フロントガラスには花粉がびっしりとついている、こびりついているといった感じです。ワイパーをかけても、水では消えないようです。

 

『(日本舞踊の)師匠が言っていたんですが、もう震災を体験していない東北の子どもたちが育っています。彼らは被災地の外からは震災の当事者として扱われるし、それを演じなきゃいけないかもしれないが、震災を知らない非当事者でもある。』

 

『ここには、すごく重要な問題があります。戦争を語っていく時に、体験している人がいなくなった場合、どうしたらいいか。日本ではこれまで、有効な言説が出てこなかった。そのことの悪い効果が今、世の中に出ています。』

 

『当事者であれ非当事者であれ、お互いにオープンにその体験や歴史に向き合い、語り合う権利があるし、そうすべきで、そういう自由な言説のスペースを作らなければいけない。』

 

『当事者問題は表現に必ず出てくる問題ですが、当事者では語れないことがあるというのも事実です。・・・。そこにはきちんとした批評の場がなければならないと思います。』

 

『被災者への補償がどんどんなくなって、10年だからと区切りをつける方向にどんどん行っています。10年を超えたら、さらに語られなくなるじゃないか、と現地の人も思っています。』

 

『東北にも亡くなった方がたくさんいて、今も生きている人がたくさんいて、また別の苦しみを持っている人たちが別の場所にたくさんいる。お互いを想像でいたわりあうということは、すごく大事で、人間らしいことで、目指すべきことです。』

 

『今、僕は「被災学」をやりたいと思っています。災害が起きたときにメンタルケアはどうすべきか、被災された方がどうやって一時的に暮らすか。そういうことを東北の方々が主導して声を上げてほしい。100年かけてやる被災学というものの最初が、たまたまこの10年だったと思わないといけない。』

  

『10年経ったので終わります、ではない。ここからなんですよと。人間だから心があるよ、と。東北での学びが残り、それを東北の人たちが誇れるような被災学ができるといいと思っています。』

  

以上は、今日の朝日新聞の””明日へのLESSON””で、作家のいとうせいこうさんと朝日新聞DIALOGの対談で、いとうせいこうさんの発言を抄録しています。

 

    ””被災してなくても いたわり合える””

 

 (以下の3枚はきのうのものです。)

いとうせいこうさんといえば、何と言っても「想像ラジオ」です。この物語ほど、静かにじわじわと心に訴えかけ、しみじみとした気持ちが心を満たし、心が温かくなり、生きていこうと思わせるものはないと勝手に思っています。

  

決して声高に叫ぶところはなく、それこそしんみりと?語りかけてくるのです。津波から生き残った人は、負い目を感じることはない、生かされた命を生き抜いてほしいというメッセージが伝わってきます。

 

その際大事なのは想像力を働かせる、想像し続けるということかな。まだ読んでいない方は、是非とも書店でお手に取ってお読みください。震災文学の金字塔と言っていいのかも。

 


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(またまた)見ましたか?

2021-03-09 14:08:22 | 思いつくまま

    

今午後2時過ぎです。午後2時の気温は9.6度で、きのうは9.8度でした。午前中はきのうよりもあったかかったですね。外は毎度毎度の明るくまぶしく光って?います。風もないです。

  

このところ暖かい日がづいていますので、桜の開花も早まり、3月末頃になるのではないかと気象予報士が言っていました。まだ私は困ってはいませんが、花粉はいっぱい飛んでいるようです。

  

昨夜のNHK総合テレビ、ご覧になりましたか。遠藤憲一主演の「星影のワルツ」です。実話ですね。ひとりで43時間も海を漂流したのです。まさに想像を絶します。遠藤と奥さん役の菊池桃子、この夫婦役、よかったですね。

  

よくぞ気が狂わなかったものだとまず感心します。自分に置き換えてみると大谷さん(本人)の強い精神力にただただ脱帽です。2人が好きな歌、二人とも歌が好きだったのが夫婦の絆を強めていたのかも。

 

それが「星影のワルツ」でした。それこそ満天の海上にたった一人、しかも歌の通り空には星があふれかえるくらい。不安定な中での漂流。奥さんへの救えなかった罪悪感、飢えと渇き、そして寒さ。

 

でも、乾いた布団が流れてきたときには、自分のことのように喜びました、ほっとしました。

 

海のそばで生活している人々にとっては、大きな地震が来たら、津波を思い出し、まずは高台へ逃げること、一回逃げたら戻らないこと、このことはどんな時代になっても語り繋いでいかなければなりませんね。

 

いやあ、驚きです。朝方見たmsnニュースだったかな、愛知県出身の元グラビアアイドル森下千里が、こともあろうに宮城県の第5選挙区から衆議院議員に立候補するらしいとか。

 

それも自民党から。これは主義主張はネトウヨ的であれば何でもよく、しかも女性で、若くて、話題性のあるということで選んだようです。宮城県の第5区の現職は安住淳です。今は無所属扱いなのかな。実質的には民主党の議員ですか。

  

この選挙区はずーと安住淳が勝ち続けていて、どうしても自民党は議席をとれないところです。そこで森下何某にめをつけたということのようです。まあ、何とも馬鹿にされたものです、宮城県民は。

 

第5選挙区は石巻地方周辺ですが、宮城県とは縁もゆかりもない人物が突如として愛知県からやってくるなんて。所詮は自民党の集票の役割しか期待できない輩が、憎っくき反自民の牙城を崩すために派遣される?なんて許せません。

  

宮城県民で、10年前のことを経験している人物が立候補するというのならまだしも、ただただ名前が知れ渡っているというだけで、利用されて全く関係のない県から立候補するなんて、なんてひどい話でしょうか。

 

きのうかな、新聞を読んでいるとある人が「私は東日本大震災復興基本法」の”基本理念”が大好きだと言っていました。それで、そういう法律があったなあと思い出し、条文を見てみました。

 

1条が目的で、第2条が基本理念となっています。その第2条の第1号は次のようなものです。

 

「・・・・、被害を受けた施設を原形に復旧すること等の単なる災害復旧にとどまらない活力ある日本の再生を視野に入れた抜本的な対策及び一人一人の人間が災害を乗り越えて豊かな人生を送ることができるようにすることを旨として行われる復興のための施策の推進により、新たな地域社会の構築がなされるとともに、二十一世紀半ばにおける日本のあるべき姿を目指して行われるべきこと。この場合において、行政の内外の知見が集約され、その活用がされるべきこと。」

 

いやあ、そうですか、何とも立派な条文であることか、確かに。でも、でも、現実はどうなっているか?原発の再稼働等を見ても、エネルギー政策における原発の存在は前のように大きくなりつつあるし、どこに21世紀半ばにおける日本のあるべき姿を目指しているといえるのか。

 

「行政の内外の知見が集約され」ということに至っては、物笑いの種?みたいなものです。各省庁が我先にと便乗して予算を獲得し、関係のないような事業を展開しているじゃないですか。

町並み等は復旧復興されつつありますが、肝心の住民が戻ってきていません。「新たな地域社会の構築」には程遠いのが現状です。 まだまだやらなければならないことがいっぱいあるわけです。残っています。そこに何も地元のことが分からない、どこの犬の骨?か分からないような輩がやってきてどうするというのですか。

馬鹿にするのもほどほどにしろ!!と叫びたいです。

  

 

 

 


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いやあ、すごかった!

2021-03-08 14:20:01 | 思いつくまま

  

きょうもきのうと似たような天気の推移となっていますが、午後になってからはきょうの方が暖かくなっているようです。朝方は寒かったな。午前5時はマイナス1.0度で、7時はマイナス0.5度です。

 

きょうは朝の見守りに立ちました。空気が冷たかったので、朝だけでも下ズボンを履こうかなと思ったのですが、強く思ったのですが、いやいやそれではいつまでたっても卒業できないのでやめておけ、我慢しろという意見が勝ちました。

 

ということで、下ズボンは履かずに交差点に立ちました。そしてきょうは中学校が休みな日でした。6日ですか、卒業式があったもので今日が振り替え休日扱いでした。

 

ということで、今朝は小学生が中心で、それに女子高校生も加わったのですが、中学生がいなくても子どもたちは多いなと感じ、嬉しくなりましたね。やはり、地域に子どもたちの歓声や動き回るさまが見られないとさみしいものです。

 

そして、一つだけ嬉しいことがありました。小学生にひょんなことで「今何歳?」と質問しました。ちょっと小さく感じたからかな、ひとりだけでさみしい感じだったからか、声がけしたものです。

 

回答は「9歳」ということでしたが、ついでに私を指さして「何歳に見える?」と半ば冗談で聞いてみました。その答えは、小学生として”忖度”したのでしょうか?『50歳』と言われました。

 

冬用のオーバーコートを着て、帽子をかぶって、マスクを深くしているからかもしれません。確かに顔の大部分を隠しているという状態ですからね。それに小さい子どもにとっては、50歳ということもかなりの高齢であるという範疇に入るのかもしれませんね。

 

このところ、東日本大震災関連の記事やニュースが多くなっていますが、昨夜のフジテレビ系列の「Mr.サンデーSP」ですか、妻さんが見ていたので、私はPCをいじりながら何気なく見ていたのですが、途中からくぎ付けになりました。

  

津波被害の状況が克明に記録されていたんですね。なんか初めて見るかのような印象を持って見ていました。まさに固唾をのんでといった表現がぴったりかな。

 

そして、きょう午前、昨夜録画しておいたNHKの番組を見ました。NHKBS1「映像記録東日本大震災 発災からの3日間」という番組です。これは、私が見始めたところに妻さんが下りてきて一緒に見ることになったわけです。

 

津波被害と原発避難の様子が流れましたが、声が出なかったですね。こちらの映像もショッキングなものが多く、圧倒的に迫ってくるのです。我が家に限らず、ほとんどの家庭では地震後停電になりました。2,3日で復旧はしましたが、被災直後の被害状況等はテレビで見ることができませんでした。

 

妻さんは涙ぐみながら終わりまで見ていました。10年前にこういうことがったのです。もう10年、まだ10年、たった10年、どれもが一致するような気がします。時と場所によって受け取り方は異なってきます。

 

 (この2枚はきのうのものです。休工です。)

テレビを見ることができなかったということで、われわれ夫婦は蚊帳の外、自分たちのことしか考えていなくて、何という能天気だったかと恥じ入るばかりです。このブログでも何回か書きましたが、3月14日から夫婦での台湾旅行を計画していたのです。

 

11日の午前はそのための靴を買って、お昼を食べて帰宅して一服している時に巨大地震に襲われました。長い長い長い大きな揺れが続き、立ち上がれず、もうだめだ、家がつぶれると思ったのに、その後落ち着いてからは、こんなことを考えていたのです。

 

何か仙台空港にも津波が来たようだけれど、14日までには復旧するだろう、だから台湾に行けるだろうと思っていたのです。すべて自分に都合よく、甘く考えているのですね。いくら惨状を知ることができなかったとはいえ、同じ宮城県でこういう状況です。本当に恥ずかしく思っています。申し訳なさでいっぱいです。

  

そして、いまでもしっくりきませんが、自分は被災者なのか? 被災者ではないのか? 被災者と名乗っていいのか? どうとらえるべきなのか? 同じ日本でも遠くの府県に住んでいる方から見れば 被災者 なのかもしれません。

  

でも、自分で自分のことをしっくりくるような括り方をすることができません。中途半端なのです、本当に。ずーとそういう気持ちでした。

だからこそ、自分としては10年前のことを決して忘れないこと、そしてそのことを自分なりに伝え続けていくこと、これだけは生きている限り守っていこうと思っています。

 


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ご覧になりましたか?

2021-03-07 14:09:27 | 思いつくまま

 

気温はきのうの半分くらいなのに2階はとってもあったかくて助かります。外は見ているのがちょっと辛いくらいの明るさ眩しさとなっています。でも実際の気温は7度前後なのですよね。

   

午前10時でのきのうときょうの比較は、14.5度と3.5度なのです。お昼13.0度と6.0度です。 でも、私としてはきょうもヒートテックの下ズボンははいていません。これで三日連続の快挙?です。このまま行ければいいのですが。

 

きのうNHKで放送された10年前の東日本大震災関連のテレビドラマ、ご覧になりましたか? ふたつとも録画をしました。それでも、きのうは先に放映された綾瀬はるかさん主演の「あなたのそばで明日が笑う」を同時に見てしまいました。

        

感想はと聞かれると、困ってしまいます。うーんとうなってしまいます。まあ、いかにも綾瀬はるかさん主演のドラマらしいと言えばそうなのですが、何かなあ、いまいち静かにそれでいて深く重くじわじわと訴えかけてくれるようなものに欠けていたかなあ~。それが惜しい。

 

彼女の明るさの奥に隠された暗く重苦しいものも少しは見せて、ドラマに奥深さを与えてくれたらよかったのにと思うと少々残念です。

         

 

もうひとつの草彅剛主演の「ペペロンチーノ」、こちらは午後になって妻さんが見ていて、感動しているようでした。私は連続してみることは避けて、「ペペロンチーノ」は3月11日にひとりで見ようかなと思っています。それまで我慢するつもりです。

  

 

5年前後毎日使ってきました、富士フィルムのFINE PIX S、いよいよハチャメチャになってきたようです。日付が勝手に動くのはまあ仕方ないとしても、今朝は画面の表示ができないようになってきました。

ファインダーからは辛うじてのぞけるようですが、すこしそれで使ってみようかなと、それで嫌になったら、去年独裁者からいただいた?10万円の残額でカメラを買おうかなと思っています。

         

きょうの写真は、それでもう10年位前になってしまう富士フィルムの非常にコンパクトな防水カメラで撮ったものです。軽いし、場所を取らないし、鮎釣りのベストにすっぽり入っても違和感がないようなコンデジです。いつまでもつのか?

         

でも、この3枚の写真は5日にいつもの望遠で撮りました。

         

  メジロ?

以下の写真は今朝方コンデジ防水カメラで撮ったものです。

         

 

         

 そして最後はしぶとく生き続ける、咲き続ける我が家のシクラメンです。もう何回冬を越したのでしょうか?今年も咲いてくれました。

 

私も見習って、しぶとく ”死ぬまで生きる”  ことにしようと思います。

 

 

 


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顔を出していました、

2021-03-06 13:34:12 | 思いつくまま

  

今午後1時30分過ぎです。2階から見る外の様子は全く申し分のない”春本番”という感じです。午前中はあった風もないようですし、日差しが強く眩しく感じられます。気温も高いように思います。といってもお昼で13度ですか。

  

今日は午前10時前後が一番気温が高いようで、予報ではその後はずーときれいに下がってきています。午後6時では3.6度の予報となっています。

 

そうそう、きのうは啓蟄だったのかな。だからというわけではないのですが、というかすっかり忘れていました、きのう夕方の河原の散歩で見つけてしまったのですね。気がつくのはいつもよりも早いような気がします。

 

きのうの河原の緑地帯では、小中高校大学の児童生徒学生たちがいっぱいいて、それぞれ思い思いの球技をしたり、じゃれ合ったり、走り合ったりしていました。いいですね、10代の子どもたちが元気に動き回っている姿を見るのは。

  

しかも、男女一緒に遊んでいます。それが不自然に感じられないところがいいです。そういえば、きょう6日は中学校の卒業式の日でした。1日が高校で、小学校は19日ですか。

 

去年の3月から卒業式も入学式も出られずじまいです。変な話しですが、こっちのほうががっかりしてつまらなさを味わっています。何と言っても卒業式は、子どもたちが中心の感動そのものの儀式です。そういう感動の場を共有したかったのですが。

 

なんか話が逸れて言っています。きのうの夕方見つけたのです。と言えばご想像がついたかと思いますが、そうです、つくし・土筆です。これが顔をのぞかせていました、まだ遠慮深げに。

 

本当に頭の先っぽを出しているだけという感じでした。以下の3枚はきのうの夕方撮ったものです。

 

            

 

以下の2枚は今朝方のものです。別の場所です。

             

 

分流に小魚はまだいました。でも徐々に数は減っていくようです。

 

 以下は我が家の魚です。DIYで買ったメダカです。5匹飼いました。水槽は大きくて十分に余裕があります。確かに5匹いたのですが、目にするのは最大で4匹なのです。1匹はもうすでにお亡くなりになっている感じです。

 

          

 どんない小さくても、数は少なくても生き物を飼っているということは、何かこころが穏やかになるというか、メダカなんかよりも我々大人の方が癒され続けています。エサをやりすぎないように注意して育てています。

 (この3枚の写真は3日前のものです)

夫婦でも、今何匹泳いでいるとか、今日は4匹石の陰から出てきたとか話をするようになり、自分の方が4匹の元気そうな泳ぎを見たりすると、なんか得したようなかんじで自慢したくなります。

 

生き物を飼うという行為は花を育てたりするのとも同じようなものなのでしょうね。飼っている人間の方を優しくしてくれます。この前の夜中の大きな地震の時は水槽の水がこぼれましたが、メダカにとってもびっくりしたのではないかと思います。

  

きょう6日夜、NHJKテレビで震災のドラマが放送されます。見てください。①NHK総合で夜7時30分から「あなたのそばで明日が笑う」、②NHKBSプレミアムの10時30分からは宮城発地域ドラマ「ペペロンチーノ」です。

「あなたのそば~」は綾瀬はるかさんが、「ペペロンチーノ」は草彅剛さんが主演です。もうこの頃は私の映画出演も激減しましたが、綾瀬はるかさんとは「海街ダイアリー」でご一緒?しています。アイスクリームをごちそうになりました。

「海街d」では、綾瀬さんのほかに長澤まさみ、夏帆、広瀬すずというそうそうたるメンバーがそろいました。今となっては懐かしいばかりです。

スマップの連中とは、キムタクとは「華麗なる一族」で、香取慎吾とは「凪待ち」で共演?していますが、ほかの3人とは縁がなかったようです。

こうやってみると、エキストラとして出てみるというのは面白いものですね。自分の地味な人生にほんの少しだけパッと明るいシーンが加わるような感じです。みなさんも積極的に参加してみてはどうですか。楽しいですよ。


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やっぱり、春!?

2021-03-05 13:52:12 | 思いつくまま

 

ニュージーランドで立て続けに大きな地震がありましたね。M7.4とM7.3の地震があった後M8.1の本震?があったようです。これはいやですね、たまりませんね、こんなに連続したのでは。

 

福島県沖の地震は、その後落ち着いてきているのか、小さい揺れはあっても大きな地震はないですね。このまま行ってくれればいいのですが。地震、噴火、台風、これらの自然災害からは逃れようがないですからね、日本は。

  

今日は朝からあったかくて助かります。それで、自分としては一大決心?をしてきょうはあさから下ズボンを履いていません。きのうまでは日中はヒートテックの下ズボンをはいていたのですが、今朝は履かずに、様子見です。

  

今、時間は午後2時ですか、外は明るくはないのですが、寒いような感じはしないし、毎正時の気温を見ても14度を超えているようなので、今日はこのまま行けるなあと喜んでいるわけです。これも春のおかげ?ですか。

 

次は上の方の下着で、同じくヒートテックの長袖シャツを着用しています。こちらの方も、半袖シャツからノースリーブになって行けばいいのですが。まあ、焦らなくても、そのうちそうなるでしょう!(当たり前か)

 

 

きのう紹介した紅梅は、地元では公務員住宅と言われている敷地内にある紅梅です。かなり大きな住宅です。今は鉄筋コンクリートの4階建てで、偉い人用と一般というか偉くはなっていない人用と2種類あるのです。

図らずにも、いま日本で問題となっている上級公務員(国民)用と中級・初級公務員用とに分けられているというわけですね。ほかにもすぐ近くに警察官の宿舎があるのです。既婚者用と独身者用と2種類あったのですが、今一棟は壊して、整地して大きな穴を掘っています。

              

今はこの警察官舎の建設と、広瀬川の河川改修工事のダンプカーがひっきりなしに走っています。話が脱線していますが、要はきょう紹介する紅梅は公務員住宅の紅梅ではなく、堤防のそばのものだということを言いたかったわけです。

(河川工事用のダンプカーの列です。ショベルカーから土砂を受け取るべく並んでいます。)

  

こちらの紅梅の木は小さくて可愛いものです。撮影は3日午後です。

               

 

 この鳥は何でしょうね。4日撮影です。

                

 

 下の写真をよくご覧ください。右下だけではなく、左上にも同じ小鳥がいます。

     

 

 

そうそう、今朝は分流にカモも3羽いました。私と戯れることなく、すぐに飛んでいきましたが。

     

それと、きのうも紹介しました分流の下水溝に群れていた小魚アブラハヤですが、今朝もほぼ同数近くの小魚が屯していました。まだ鳥たちには気付かれてはいないようですね。

 

 


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数値以上に暖かく、

2021-03-04 17:11:35 | 思いつくまま

  

 

きょうは朝方こそ高くはなかったですが、10時頃からは気温も上がり、実際の数字以上に暖かく感じる一日でした。ありがたいです。助かりますね。

 

でも、午後からちょっと体を動かして来たら、もうすっかり、ぐったり。なさけないですねえ。体力の衰えが際立ちます。後期高齢者、75歳までは何とか元気に生きていたいのですが、どうなるのか、もう地震ならぬ自信がありません。

 

気力が足りないから、病は気から、と言いますが、たぶんにそういうことはあると思います。気力と体力との相関関係をどう考えたらいいのか。

 

ついさっき(2,3日前)放送された、大杉漣主演の映画「教誨師」、これは彼の遺作となったようですが、淡々と進む中で、じわじわと重さが増してくるというか、死刑制度についても考えさせられる映画です。

 

大杉漣さん、渋いですよね。教誨師を演じていましたが、さすがだなあと感心しきりです。北野監督作品には欠かせない役者でしたが、惜しい人を亡くしたなあと思います。その中で印象に残った言葉、「(人間は)生きているから生きるんだ」という言葉です。

 

この言葉は、私が時々このブログでも書いていますが、私の人生観『死ぬまで生きる』と相通じるものがあると思いませんか。うん、やはり重きのある言葉だなと勝手に思ったりしています。

 

このところ高い気温の日が続いているからか、白梅は咲き始め(隣家の白梅はもう満開に近いですが)、紅梅も咲いていました。自然は巡って来るのですね、人間界とは関係なく。紅梅の写真です。これはきのうの夕方前の撮影です。

 

     

 

        

  

こういう写真を見ると、やはり弥生三月という気がしますね。だからでしょうか、きょうの分流の下水の排水口の様子です。

 非常に小さい魚、アブラハヤだともいます。どこからこんなに湧くように出てくるのでしょうか。明日もこれだけいるかというと、これが意外と少なくなったりもするのです。

 

数はどのくらいでしょうか?数百匹?千匹以上いるかもしれません。

            

これだけ小魚が集まれば、もっと鳥類がここに集まってもいいのではないかと思うのですが、意外とそうではないのですね。カワセミなんかいっぱい来てくれれば最高なのですが。

 

 

 


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瀬田匡志、アユの友釣り完全教書

2021-03-03 14:50:05 | 思いつくまま

 

もう過ぐ午後3時になりますが、午後2時のきのうと今日の気温をみてみると、きのうは15.5度できょうは5.5度のようです。ということは10度も低くなっているのです。

 

でも、その割には思っていた以上に寒くはないです。だから、助かります。朝7時の比較では、14.5度VS2.0度で、12.5度も違います。この差、まあ本当にすごいですね。3月は天気が目まぐるしく急変するようです。

  

そしてきょうは3月3日、お雛様、雛祭りです。もともとは、上巳(じょうし)の節句といい、曲水の宴を催し、桃の花を浸したお酒を飲む行事だったそうです。お酒ですか~、私が夜中に時々飲む甘酒はノンアルです。

  

酒自体は、ビールも日本酒もここ数か月全く飲んでいません。数か月どころじゃないか。1,2年は、もっとかも、アルコールは飲んでいません。2年位前はノンアルビールは飲んでいたかと思います。

  

もう自分から飲みたいとは全く思わなくなりました。もともとが飲める体質ではなかったし。現役のときにアルコールパッチテストを受けたときの結果は、飲めない体質ということでした。

 

でも若い頃は、無理にでも付き合って飲んで、飲んでは吐き、飲んでは吐きを繰り返して何とか飲めるようになったのですが、現役引退後は元に戻ってしまったのでしょうか。もう自分としては一生分のお酒の量をのんでしまったということと思っています。

 

妻さんは風呂上りに缶ビールを飲んでいるようです。大っぴらにではなく、少しは気兼ねする形で飲んでいます。もらったお酒もまだそれなりにありますから。

  

改正ならぬ快晴に誘われるか形でバスで外出してきました。目的はもう古くなりすぎてうまく剃れなくなった電気髭剃りを買うのと、大きな本屋で瀬田さんの雑誌を買うためです。

  

電気髭剃り機はまあピンからキリまでいっぱいあるようです。でも私には数千円のもので十分です。ひげも濃くないですし、1日2日剃らなくても目立ちません。

  

瀬田さんの雑誌はちゃんとありました。「アユの友釣り完全教書」です。2冊あったかな。地元の本屋にもいままdネオ例ですと必ず入荷していたはずなのに、今年はどうしたのでしょうか、ずーと入ってはいなかったのです。それで、しびれを切らして街中の大きな本屋へ向かったわけです。

 

これからじっくり読ませていただきますが、今年の鮎釣りは、できればの話しですが、瀬田色一色で行ってみようかなと思っています。瀬田教の信者として、信心深く彼の仕掛けや釣り方をまねて川に入って行こうかなと思っています。

         

こういうことがあってもいいのではないかなと勝手に思っています。釣りビジョンで国内の釣行記を見ても、話が分かりやすいし釣り方にも同感です。画面から伝わってくる人柄にも惹かれました。

   背表紙 

このままコロナ禍が下火になっていき、幅広くワクチンの接種も行われ、集団免疫ができたという状況になれば、もしかして鮎釣り大会も開催されるのではないでしょうか。私の体が動けるうちにぜひとも鮎釣り大会を開催してほしいです。

もしも、開催されたのならもう後悔しないように精いっぱい戦いたいと思っています。それこそ「一日一生」の精神ですね。一期一会といってもいいのか。

瀬田名人は巻頭言で言っています。「アユ友釣りの醍醐味とは」、と題して、初心を思い出させる文章が並びました。 以下、引用させていただきます。

 

『アユの友釣りは非常に分かりやすい釣法です。・・・。アユの生育環境が整っていれば、・・・そこにオトリを送り込めば誰でも掛かる。ずばり、簡単なのです。』

そして醍醐味をいくつか挙げています。『・・・アユの引きをいなして「やるかやられるか」の駆け引きがたまらない。・・・。30cmに満たないアユの引きを全身で感じる瞬間は、間違いなくこの釣りの醍醐味です。』

『もうひとつはエサが生きていること。友釣りはアユを使ってアユを釣る。・・・。前アタリを感じて「来るぞ、来るぞ」と待ち構え、目印がドッカーンと下流にぶっ飛ぶ瞬間は何度味わってもたまりません。』

『またスレで掛かるので毎回引き味が違う。それも飽きずに続けられる要因の一つです。・・・。私の場合その川にいる一番の良型アユを上手く循環できた時こそ、納得のいく釣りができたと感じています。』 (引用終わり)

         

「アユの友釣り完全教書」はつり人社発行で、定価は税込み1980円です。発行は2021年3月1日です。

 


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ようやく、ほかの木の梅も咲き始めて、

2021-03-02 16:29:28 | 思いつくまま

 

なんでしょうね、きょうの天気は。早朝から暖かい。朝の冷気というものが感じられませんでした。何しろ朝5時の気温は12.7度ですから。きのうのお昼過ぎの気温と同じです。

午後2時頃までは上がり続けましたが、3時以降は下がりつつあります。6時頃には6度台くらいのようで、その後も下がり続けます。朝から風がありました。時々小雨も降りました。

 

天気予報では夕方まで雨という予報でしたが、雨降りというまでの雨降りとは異なると言いますか、思い出したように降る雨でした。おひる前から風はとっても強くなってきましたね。でも、気温が高いから寒さは感じません。

 

ぬるい感じの風となっています、今のところは。まあ春のぬくもりと言っていいものかどうかは分かりませんが、ようやく堤防沿いの梅の木の梅も咲きだしたようです。今までは隣家の梅がきれいに咲き誇っていましたが、この分では公務員宿舎の紅梅もそろそろ咲き出すでしょうか。

 

 もちろん、桜はいいですが、梅も捨てがたいというか、年(歳)とともに梅の方がもしかしていいかもと思う気持ちが大きくなりつつあります。

 

 やはり、それは梅の方が桜よりも早く咲くからかもしれません。晩冬に咲き始める潔さというか先を切り開く凛とした姿勢がいいのかな。

 

今日は3月2日で、来週は3月11日を迎えます。しかも10年目という節目も節目です。そういう時期に自分として何ができるか?何をしなければならないのか?、自分なりに考えています。

        

マスコミはテレビも新聞も先月からいろいろな特集を組んでいます。私はとてもじゃないですが、マスコミ等の真似はできません、できるはずがありません。自分としていったい何ができるのか?

 

何とか自分なりの答えを見出して、このブログを使って形として表していければいいなあと思っています。まじめに思ってはいますが、どれだけ行動に移せるものかどうか、何とも言えません。

         

少なくとも、最低限のこととして、甚大な被災地に住む者としてあの日のことを忘れない、””2011年3月11日午後2時46分””を、生きている限りは記憶し続ける義務があると思います。

 

それと、そこからもう少し進んで、このブログで ”発信し続ける” ということも必要かと思っています。 我が事として、記憶し続け、自分なりに発信し続ける。その上に何ができるか、しなければならないか。悩みます。

        

こういうことも、やるべきことかもしれませんね。3月6日夜10時30分からNHKプレミアムで放送される「ペペロンチーノ」をお知らせすること、これだって必要なことかもしれません。

 

製作はNHK仙台放送局で、主演は草彅剛です。その妻役は吉田羊です。2人の熱演は必見のようで、二人を囲む國村隼と矢田亜希子の熱演しているそうです。6日土曜日の放送です。

    

また、再放送ですが、アジアテレビジョンアワードで最優秀作品賞を受賞した、地元東北放送作成の「小さな神たちの祭り」も3月11日(木)夜11時56分からTBCで放送されます。

 

これの初回放送は2019年11月20日ですが、とっても感動的な物語でした。TBC開局60周年記念ドラマです。番組予約をしておいて、あとでゆっくりとみるのがいいのではないでしょうか。

 

 


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