鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

寒くなりました。

2007-11-16 23:13:47 | お知らせ

 寒くなりました。

 昨日から手袋を着用しました。

 今日はマフラーが欲しくなりました。持ってはいますよ。

 でも、マフラーはもう少し我慢しようかなと思っています。

 帰りが仕事で遅くなったのですが、耳が冷たく、ああこれから本格的な冬を迎えるのだな、感慨にふけりながらというか嫌だなあと思いつつ帰途に着いたNEWONEでした。

 寒いのは嫌いです。

 またも、でも、このブログも寒くなりました。

 これは自業自得というか、NEWONEの責任そのものなのですが、10月のブログの総括です。

 一日平均の閲覧数は、「124件」、アクセスIP数は「61」でした。

 9月は、それぞれ「187」と「83」でした。

 10月の閲覧数の最高は9日の「201件」で、最少は21日の「75件」でした。

 それでも、1年前の10月と比較すると、去年の一日平均数はそれぞれ「60」と「30」でしたので、一年で丁度倍になったということになりますか。

 それはそれですごいことだと思います。ありがとうございます。

 今後ともよろしくお願いします、といいたいところですが、11月はもっと悲惨な状況となっているわけで、そのことは来月にお知らせします。やっぱりシーズンオフはこんなものなのかも・・・・・。

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由比忠之進さn

2007-11-15 23:52:22 | お知らせ

 1967年、今から40年前の11月11日夕方、当時の佐藤栄作首相の訪米に抗議するために、首相官邸近くで焼身自殺をした人、その人が「由比忠之進」さんです。

 ベトナム戦争に対する抗議です。アメリカのベトナム戦争に追随した日本政府に対する身を賭しての抗議です。

 あの頃はベトナム戦争が激化の一途を辿り、日本でも鶴見俊輔や小田実らを中心として「べ平連」(ベトナムに平和を市民連合)の活動が活発でした。

 彼の追悼集会が11月10日、名古屋市内でささやかに行われたということです。(詳しく知りたい方は11月13日の”Jan Jan”の記事を読んでください。)

 もうあれから40年も経つのですね。でも由比さんの名前はかすかに覚えていました。

 

 朝日新聞の11月13日の記事。「ベトナムと私」は作家の高樹のぶ子さんで、『ひっそりと戦争の傷跡』の後半の話しに私もビックリしました。

・・・「一夜婚」には驚いた。戦争の後遺症で結婚できない元女性兵士のため、農村では「一夜限りの性交渉」が許された。子どもを持てば生活の支援を受けられる。そうして静かに生活している母子に会ったのだ。『恋愛』という言葉がとてもぜいたくなものに感じられました。・・・・

 そういうことがあったということはまったく知りませんでした。なんとも切ない話しではないですか。国家の独立のために身をささげ、負傷し結婚できなくなってしまった女性、彼女たちの生活を助けるために考えられた「一夜婚」

 結婚しては離婚してを繰り返し、夫婦で離婚会見を笑いながら開いたり、恋愛や結婚というものをもっともっとまじめに考える必要があると思います。

 

 写真は、一昨日の写真紙芝居「魔境横断」のせりふです。本当に殴り書きと行ってもいいようなひどいものです。


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美と醜

2007-11-14 22:42:01 | お知らせ

 NHKテレビで放送した月から見た地球、すごかった。

 地平線ならぬ月平線?から顔を出す地球。

 月平線に沈む地球。南極を上にして沈んでいく。

 こういうものを見ると科学の進歩というのは素晴らしいと思ってしまうのですが・・・。一概にそういえないのが悲しいところです。

 同じ日の同じ新聞で、こういう対照的な写真が掲載された。

 一方は全く今まで見たことがなかったアングルからの地球の写真。

 見られてとってもよかった。それだけならよかったのに・・・。

 

 そしてもう一つは、醜悪そのものの過去の人。まだ生きていたのですね。恥も外聞もなく。恥晒し。よくも国民の前に顔を出せたものだ。国のトップによる敵前逃亡。即刻死刑です。自ら政治家を辞職すべきです。頭を丸めるべきです。そして永久に蟄居閉門

 でも、首相経験者として復活するのでしょうね。周りもそれを許すのでしょう。何をかいわんやです。


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恐れ多くも畏くも

2007-11-13 22:36:21 | お知らせ

 今日の朝日新聞(に限りませんが)に(起立!)天皇陛下の恐れ多いお言葉が掲載されていました。

 何となんとナント南都は南都祐次、外来魚の代表格の”ブルーギル”は1960年に当時は皇太子だった天皇陛下がシカゴ市長から寄贈を受け、水産庁の研究所に再寄贈したものだそうです。

 琵琶湖には、1963年に国から琵琶湖の県水産試験場にブルーギルが分与され、注意して飼育していたものの何らかの経緯で逃げ出し、1960年代末までに一般水域で確認されるようになったということです。

 1960年といえば、敗戦からまだ15年くらいしか経っていなくて、池田内閣の所得倍増計画の前でしょうか、国全体がまだ貧しかったし、食べ物だって豊富にあったわけではありません。正にもったいない精神で国民は生きてきたのではないでしょうか。

 当時は鯨の肉がとっても貴重なものでした。鯨肉は、味噌付けにしてよく食べた(食べさせられた)し、(”尾肉”なんて食べられず、貧乏だったので筋金入りの鯨肉で、噛み切るのが大変でした。)学校では肝油も給食のときに出されました。

 でも、鯨の肉が当時の国民の栄養状態を悪化させなかった、または栄養状態を向上させたといっていいのかも。鯨様様だったはずです。無駄なく余すところなく鯨を利用しました。食べるだけではなく、骨や歯、ひげも民芸品として、装飾品として利用しました。

 何でブルーギルから鯨に話しが移ったのか??

 そうそう、当時の皇太子がブルーギルを持ち帰った背景には、国民の食生活、栄養状態の問題があったのです。『食用や釣りの対象になれば・・・』という考えで持ち帰ったということです。

 なぜか?、ブルーギルは食べてうまいからだそうです。だから、釣ったら持ち帰って食べて欲しい、と願っていたそうです。

 アメリカではブラックバスも食べているということです(前にこのブログでも紹介しました。)し、それが、何故か日本では「キャッチ&リリース」がバス釣りの世界では確立され、その旺盛な繁殖力で今やいないところがないというくらいに増えています。

 でも、ブラックバスは本当に汚いとしか言いようのないため池や野池にもいますし、とても食べられるような環境にいないことが、食べられない、食べる気にならないということになってしまったのでしょう。

 同じ日の朝日新聞の「天声人語」によると、滋賀県庁の食堂にブラックバス料理が登場したそうですし、金沢市ではブルーギルのバーガーが試食されたとのこと。

 これからは、少なくとも綺麗なところで釣ったブラックバスやブルーギルは持ち帰って食べましょう。リリースが禁止となっている河川等が大半ですから、食べないのなら肥料や猫、鳥類の餌ですか。

 これを契機に河川や湖、沼等はみんなの力で少しでも綺麗にしていきましょう。自然を大切に、環境をよくしていこうではないですか。

 ”外来魚から環境・食料を考えよう”

 

 写真は昨日に続いて古い紙芝居のレプリカです。「魔境横断」


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(その3)紙芝居②

2007-11-12 21:58:45 | お知らせ

 普通紙芝居を見てもなかなか紙芝居の裏というか、せりふが書かれている部分を見るのは少ないのではないかと思います。

 まして昔の紙芝居においておや。(一気に古文調へ)

 写真は、紙芝居「妖怪大名」の”せりふ”です。せりふの文章というべきなのでしょうか。”シナリオ”?

 これが何とも乱雑なのです。大きな字で、マジックで書かれたような字で、漢字にはひらがなが振られています。

 しかも裏面一杯に渡って書かれています。紙芝居は木の枠を使ってその中で”演じて見せる”ものなのに、これでは上下(左右)の”せりふ”が少し見えなくなりませんか。

 もっとも全て暗記をしているのでしょうが。

 でもこれはまだましな方です。別の紙芝居はもっとひどい書き方、かつひどい字でした。

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(その2)紙芝居①

2007-11-12 21:31:11 | お知らせ

 一昨日のことですが、紙芝居、それも昔々の紙芝居を手にとって見る機会がありました。

 宮城県図書館からの借り物で、当然?レプリカですが。でなければ触ることなんてできません。

 写真は「妖怪大名」という紙芝居で、何と多分当時はあんまり売れてはいなかったであろう、あの”水木しげる”先生です。妖怪と心が通じる、分かり合えるきわめて数少ないとても貴重な人物です。

 「新日本画報社」版。「4」というのは4巻目ということでしょうか。

 子どもの頃の紙芝居については、去年のいつ頃かブログに書いたことがありますので、繰り返しませんが、紙芝居っていうともう少し大きいのかなと思っていましたら、そうではなく、「B4」版の大きさなのですね。

 今の社会は、日本仕様の「B版」から「A版」に代わって15年くらいになりますか、今で言う「A3版」くらいかなあと思っていました。

 でも紙芝居の絵は何とも独特のものがありますよね。昔のものだから古臭いのは当たり前としても、子ども時代は何ともおどろおどろしいというか、うわっと襲われるような、覆いかぶされるような、虜にしてしまうようなそんな魔力みたいなものがあったような気がします。

 この紙芝居の記憶は全くありません。


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(その1)今日の広瀬川

2007-11-12 21:08:16 | 広瀬川

 寒くもなく暑くもなく、過ごしやすいといえば過ごしやすい一日。

 とはいっても休みの日にはもうセーターを着ていますが。今日は休みの日です。

 広瀬川は静かです。水量は少ないです。中央右よりの部分を見てもらえれば分かりますが、川の中の石がかなり見えています。

 写真を撮りに川に行ったら、丁度若い親子連れが散歩をしていました。

 お母さんと子ども二人。上の子は娘で、補助輪つきの自転車で遊び、下の子は2歳ちょっとの男の子で、まだ少し足元がおぼつかない感じ。

 娘は離れて遊び、息子は母と一緒。お姉ちゃんが「こうちゃん」と呼ぶと、弟は今にも倒れそうになりながら走ります。その後を追いかける母親。空にはとんびが舞っている。

 とってもいい光景でした。このままいい関係でいってくれればなあと老婆心ならぬ老爺心で、見送りました。


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大京都展

2007-11-11 22:47:39 | お知らせ

 今日も仕事で、勤務終了後久し振りにデパート巡り。

 藤崎DPは催し物会場では大したことをやっていないのでパスして、三越DPへ。明日11日まで「大京都展」を開催していました。

 物産品から食べ物まで、本当に盛りだくさんです。見て回るだけで、時間がかかるし、試食品を全部食べてみたら、飲んでみたらどうなるのでしょう。いつか体調の万全なときにやってみたいと思ったりして・・・。

 やはり、食品売り場を見て回るのがおもしろい。二品買ってきました。

 

 一つは、田中長奈良漬店の都錦味醂漬。ウリでは面白くないので、珍しい”しょうが”漬けにしました。生姜は大人の味です。9月下旬のうちの町内のお祭りのときの餅つきでも、一番うまいのは”生姜餅”です。

 生姜をすりおろして、しょうゆをつけただけのものですが、その辛さが餅の温かさとマッチしてうまい、疲れをとってくれるのです。

 

 もう一つは例の?”わらびもち”です。これもあっさり、まろやかな味がたまりません。文の助茶屋のわらびもちです。きな粉付けとお茶付けと2種類ありますが、きな粉にしました。3人分。

 さっそく夕食後に3人で食べました。冷たくて美味しかったです。

 

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先月15日の河原の花花(その1)

2007-11-09 23:22:51 | お知らせ

 写真は堤防の花々です。これから続きます。

 撮影は、10月15日の好天時です。

 

  こんばんはこれで終了とさせていただきます。  


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過ぎ去りし夏の記録(その1)

2007-11-08 23:15:36 | お知らせ

 このところの天気は好天続きで、幾分温かいです。助かります。

 街路樹は葉を脱ぎ始めました。至る所落ち葉がたまっています。

 写真は青葉通りと晩翠通りの交差点を、東側から撮ったものです。

 昨日の出勤時で、中央分離帯に太陽が当たっています。

 

 【河川ごとの釣果数】

 広瀬川:12回・73匹(1回当たり6.1匹)

 小国川:3回・13匹(同4.3匹)

 寒河江川:2回・4匹(同2匹)

 最上川:5回・11匹(同2.2匹)

 米代川:2回・25匹(同12.5匹)

 合計 :24回・126匹 となります。

 24回(日)は延べ回数(日数)となります。実日数は21日です。合わない3日は、7/7が小国川と広瀬川、8/7は寒河江川と最上川、9/25は最上川と寒河江川に入ったからです。

 半分は広瀬川で竿を出し、約60%は広瀬川で釣りました。広瀬川様様ですが、これは一体どういうことか??気力・体力の衰えのためか!!近場でごまかそう、満足しようということが如実に現れています。

 全くもって恥ずかしい記録です。貧果です。来年への戒めとして、誓いとして、後悔しつつ公開します。

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赤胴鈴之助

2007-11-07 22:57:24 | 思いつくまま

 昨日の朝日新聞です。 

 「よみがえる『真空斬り』 マンガ『赤胴鈴之助』復刻」と題して、昔のマンガのヒット作「赤胴鈴之助」が復刻されるというのです。

 しかも、2社からの復刻です。団塊の世代向けとのこと。

 子どもの頃と還暦の頃と2回に渡っていい思いをしようという魂胆でしょうか。果たしてそううまくいくかどうか。

 (歌)4/4♯♭ 剣をとっては日本一に(の) 夢は大きな少年剣士 親はいないが元気を出して 正しいことをやりとおす おっ、がんばれ 強いぞ 僕らの仲間 赤胴鈴之助 ♯♭ (すごい!よく覚えている!!認知症の始まりか??)

 当時の掲載雑誌は何だったでしょうか。”少年”という雑誌がありました。当時の表紙を常に飾っていた少年の名は「おばた みのる」ではなかったでしょうか。違うかな。「おばた やすし」ではないし。

 一方の少女雑誌の表紙の少女は「松島 とも子」「小鳩 くるみ」だったでしょうか。

 どっちも付録も一杯ついていたような気がします。

 本当の原作者は「福井英一」ですが、第1話を書いて急逝してしまい、代わって「竹内つなよし」が連載したというのです。初耳です。

 当時、赤胴鈴之助の宣伝で抽選により当選者に竹刀をくれるということがあり、抽選に当たった友達から竹刀をもらったのです。

 そうなのです、当時の竹刀は倉庫に眠っているはずです。素晴らしい。

 歌に戻りますが、歌詞でこれは矛盾ではないかと皆で話し合ったことを覚えています。「親はいないが・・・」とありますが、両親はいなかったのですが、母親はいたはずで、これはおかしいのではないかとまじめに話し合ったものです。

 この当時もう一つのちゃんばらマンガがありました。どっちかというと私はこっちの方が好きだったと思います。

 その名は「矢車剣之助」。覚えている方もいるでしょう。赤胴鈴之助の真空切りに対して矢車剣之助の必殺技は何だったか、何かあったはずなのですが出てきません。分かりません。覚えていません。

 ただ証拠が残らない殺人方法として、”つらら”を使った殺人の場面があったのは覚えています。

 小学館の復刻版を買うことになるかも・・・。馬鹿ですねえ。

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ALWAYS 続・三丁目の夕日

2007-11-06 21:54:22 | お知らせ

 写真の写りが悪くてすみません。接写したつもりですが・・・。

 

 4・5・6日と3連休のはずだったのですが、5・6日だけの出勤を伴う中途半端な連休となりました。

 

 今日見てきました、「ALWAYS 続・三丁目の夕日」。今回もとってもよかったです。2時間半近くもある長い映画なのに、長さを感じさせません。笑いと涙であっという間に終了となりました。

 平日の12:30からの上映なのに、席は前のほうしか空いていなくて、しかも結構若い人たちも来ていました。

 今回は新しい子役が登場します。一平(いっぺい)の”はとこ”の美香(みか)ちゃんです。(二人とも漢字が間違っているかも)小学生です。

 

 映画の出だしがすごい!!圧倒的な迫力で”ゴジラ”が東京都内、もちろん東京タワーも、破壊しつくす。鈴木オートもぺちゃんこです。

 もちろんこれは茶川の小説の中の話ですが、このゴジラ、はっきり言って今まで見たどのゴジラよりも迫力がある。子どもが小さいときは随分と映画のゴジラを見たものですが、そのどれよりもド迫力、迫力満点です。アングルがすごいのか、圧倒されました。

 あとは見てのお楽しみにしないと面白くないでしょうから、ストーリーは書きませんが、前回はでなかった東海道本線を走る特別急行「こだま号」が走る場面がありました。

 新幹線が走る前は、特別急行、急行、準急、普通という電車が走っていました。東北本線でも、仙台東京間は、特急が「ひばり」、急行は「まつしま」でした。「ひばり」は片道4時間、「まつしま」は片道6時間かかりました。それでも早かったものです。

 それが今では新幹線で2時間未満で着いてしまいます。将来の計画では時速340キロ?で走るとか。仙台東京間は360キロですから、1時間ちょっとで着いてしまいます。確かに便利ではあるのでしょうが、それで幸せとなるのでしょうか。生活が潤いのある豊かなものになるのでしょうか。

 「そんなに急いでどこに行く」、昔流行ったキャッチコピー(当時はそうはいわなかったですが)ですが、滅亡に向かっているのではないかと思うのはあまりに天邪鬼でしょうか。

 個人情報保護が過保護になり、地域コミュニティが崩壊した現在、かってこういう社会があったということに改めて思いを馳せてみるのは無駄ではないと思います。

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11/5(その3)今日の広瀬川

2007-11-05 22:08:16 | 広瀬川

 赤とんぼでしょうか。

 まだ1匹飛んでいました。

 排水溝のコンクリートの上。

 ふらふらと。

 少し飛んでは、すぐ休む。

 飛ぶといっても1メートルもない。

 しかも、低空飛行。

 弱っています。

 いつまでもつのでしょうか。

 

 少しでも長く生きろと、つぶやいてしまいました。

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11/5(その2)今日の広瀬川

2007-11-05 21:59:54 | 広瀬川

 写真は、大雨などのときに下水のポンプ場で処理しきれない場合に雨水などが流れてくる排水溝です。

 いつもこの排水溝の左側を通って川に向かっています。

 先端の砂地のところで、上流側に向かって写真を撮っています。

 

 画面の枯れ草。

 草というよりも小さい木が林立しているようですが、紛れもない草です。

 夏までは緑の葉で覆われていました。

 何とも異様な感じです。

 高さは優に2メートルを越えています。

 きれいに高さが揃っています。


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11/5(その1)今日の広瀬川

2007-11-05 21:49:52 | 広瀬川

 さっぱり代わり映えのしない、今日の広瀬川です。

 でも周りは確実に晩秋の気配。

 水量は少ないです。

 浅いところには藻があります。

 


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