鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

頼むよ、仙台育英!

2017-08-20 13:37:01 | 思いつくまま

 

            (午前9時15分過ぎ)

 野球での”唯一”の希望、仙台育英、夏の高校野球甲子園大会。13時からの対広陵戦、両チームとも先発投手はきのうとは異なりますが、その結果は今のところ広陵に味方しているようです。

              

 

 1回の表にコントロールが定まらないピッチャーは四球とヒットで3点を計上してしまいました。1回から3点は重いです。

             

 

 それにしてもテレビで見る阪神甲子園球場はいい天気です。快晴、夏そのもの。試合開始前のグランド整備でないやに水を撒いていました。 まあ埃が立たないように水を撒いているのでしょうが、こちらとしては暑さを冷ます打ち水のように感じました。 わざわざ水を撒くのかよ?とさえ言いたくなるくらいです。

 

 仙台はあさから小雨霧雨、時々止む、蒸し暑く感じたと思ったらすぐまた前に戻ったり、不安定極まりない天気となっています。これで30日連続の雨となるのでしょうか。

 

 分流もこれだけの水量があります。でも濁りはほとんどなくなりかけています。あとはコケがどれだけつくかですが、天気が影響していますので、なんとも・・・・。ここまでひどい天気が続くと鮎も困っているのではないかと思います。同病相哀れむ?

 

 ただ水は冷たくなっています。

 

 

 

 みなさんはもうお読みになりましたか? 終戦記念日は過ぎてしまいましたが、とっても読みやすい新書です。読みやすいですが、考えさせられることを平易に書いていますので、まだ読んでいない方は是非ともお読みになられることをお勧めします。

 

                 

 きょう午前バスで駅前の大きな本屋へ行ってきました。地元の本屋だけではなかなか読みたい本が見つかりませんので、たまには市内中央にも行って見る必要があります。そしたらPR雑誌にこういう記事が掲載されていました。

  両方とも集英社ですから。

        

 きのうの新聞にも広告が載っていました。

 この本がユニークなのは、「日本人は戦争(現代戦)に向いていない」とはっきりと断言していることです。その理由は以下の通りです。( P246-247) ①から⑦のとおり。

 ①国内戦と国際戦の違いがわからない。

 ②現代戦では、死ぬことより、生きることが重要なのに、日本人は死に酔ってしまう。

 ③戦争は、始めたら一刻も早く止めるべきなのに、日本人は、だらだらと続けていく。

 ④日本人は、権力に弱く、戦争を叫ぶ権力者の声に従ってしまう。

 ⑤頭の中では反対でも、沈黙を守り、賛成しなかったからいいと、自分を納得させてしまう。

 ⑥日本人の場合、社会の前に世間があって、その世間に屈して、社会的行動を取れない。

 ⑦日本人が、一番恐れるのは、「臆病者」とか「卑怯者」といわれることである。だから「臆病者」「卑怯者」といわれるのを恐れて、戦争に賛成した。

 以上の項目を現代にまで広げて次のようにまとめています。

 勝算なしに戦争を始めた。  敗戦が続いたら、和平を考えるべきなのに僥倖を恃(たの)んで特攻や玉砕で、いたずらに若者を死なせてしまう。(私はここにもう一つ加えたいことがあります。それは、『戦死した同僚に申し訳ない、申し開きができない』という気持ちです。)   終戦を迎えたあとは、敗戦の責任を、地方(現場)に押し付けた。   戦後は、現在まで戦争はなかったが、原発事故があった。   その時も、虚偽の報告を重ね、責任を取ろうとせず、ひたうsら組織を守ることに、汲々としていた。

 ⇒ これではとても、現代戦を戦うのは、無理だろう。 ⇒  良くいえば、日本人は、平和に向いているのである。

 新書の「第3章 日本人は戦争に向いていない」には非常にたくさんのなるほどなと思わせることが書かれています。時間のない人は第3章だけでも目を通すことをお勧めします。

 <精神主義・決戦主義・桶狭間信仰・兵站・死守・(中央の)無責任・戦陣訓の罪・猪突猛進・勝手な思い込み・疎開戦法・自治自律・感情論・飽き易い・大楠公精神・勝敗は目的でない・陸軍刑法・上意下達の背景・沖縄を利用し、疑った日本軍・救助の支度・死を気楽に唄う日本人≫

 そのなかでへえそういうことがあったのだと思ったことがあります。(P177~179)

 戦闘機の代表は陸軍では「隼」、海軍では「ゼロ戦」でしたが、陸海軍で別の戦闘機を持つのは無駄だということで、陸軍の飛行場で性能比べをしたそうです。性能比較では、陸軍の「隼」には海軍のパイロットが、海軍の「ゼロ戦」には陸軍のパイロットが乗り、模擬空戦を繰り広げました。

 その結果、両軍のパイロット共に「ゼロ戦」が秀れていると言ったそうです。特に陸軍のパイロットは、ゼロ戦の方が最高速度も、航続距離でも秀れていると絶賛した。 特に戦闘機では攻撃手段である機銃が重要ですが、隼は翼に機銃を装備できないのに比し、ゼロ戦は機首に7.7mm機銃二丁と翼に20mm機銃2丁を持っていた。隼は機首に7.7mm機銃(あとで12.7mm機銃となった)2丁のみとのこと。

 でも陸軍はゼロ戦の採用には反対した。その理由は、「隼が、ゼロ戦に比べて、性能が劣るということは、陸軍のパイロットが、腕でカバーしてきたということで、誇りにすべきである。性能のいい飛行機にすることは、それに安心して、技術の鍛錬を怠ることになる」という呆れた精神主義でした。

 こういうところでも陸軍と海軍の不一致があったのですね。総力戦と言われながらも「海軍あって国家なし」「陸軍あって国家なし」(P187)という組織第一主義が幅を利かせたということで、これは今の日本にもあてはまるのではないですか。 

 「省益あって国家なし」

 

 

 


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