鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

健康に自信ありますか?

2014-09-25 15:15:53 | 思いつくまま

 昨夜から雨が降りました。 分流の水量も少し増えました。

         

 早朝の降り方は結構強くて、こりゃあ立哨の時はいくらレインコートを着て行っても濡れてしまうな、なんてトイレに起きる度に雨音を聞いて思っていました。 でも、時間の経過とともに雨足は弱まる傾向にあり、内心すこし嬉しくなりました。

     

 でも立哨の時には完全に止んだわけではなく、雨用の重装備をして出かけました。 今どきの子どもたちの雨の時の服装と言いますか、出で立ちはどうなのかなと少し興味を持って見ていました。

    

         (広瀬川のイギリス海岸もほぼ消えてしまいました。)

     

 

 ほぼ半数に近い子どもたちは長靴を履いていました。いまは長靴何て言わないで、レインブーツというのでしょうか、カラフルな長靴を履いています。 いいことですね。 雨の日には迷うことなく”長靴”、これはかっては当たり前のことだったのですが、その後長靴は格好悪いという理由からでしょうか敬遠されるようになってしまいました。

 それがまた最近はカラフルになってきたことにより、また見直され、若い女性でも長靴を履くようになってきました。 その女性たちが母親になり、その子どもたちにも迷わず雨の日には長靴を履かせるようになったのでしょうか。いいことです、本当に。何と言っても長靴は川に行くときには必需品です。行動範囲が広がります。話しは少し飛んでしまいました。

 子どもたちの長靴ですが、男子よりは女子の方が履いている子は多い感じですね。何と言ってもカラフルで、昔のように黒一色何ていう長靴はありません。男子用の長靴も黒一色のものは見当たりませんでした。

 

           (雨に濡れた彼岸花も情緒があります。)

                 

 雨の日ですから当然傘を差しています。ただ一人の女子が傘はもっているのですが、どうしてか差しませんでした。大事そうにしていたから、さすのがもったいないとおもったのかもしれません。

 その傘だって、昔とは雲泥の差ですね。黒一色、赤一色なんてことはほとんどありません。 低学年の子どもほどカラフルな、見て面白い傘を差しています。まだ幼稚園や保育園の延長という感じですね。

 傘の骨の数は何本あるのでしょうか? 前方が見えるように少しだけ透明なビニールになっていたり(これは昔からあったかな)、傘の上に動物の顔が出ていたり、ある男の子は刀式の傘を差していました。つばを持って雨に中を歩くなんてカッコいいじゃないですか。

 今朝は落し物がありましたので、学校まで届けてきました。

 

 今回の神戸市の事件もそうですが、登校時よりも下校時、下校後の子どもたちの行動をどうやって世間で、社会でお互いに見守っていくかが大事なことです。 下校後も安心して一人でも遊べるような環境が周りにあるかどうか、できれば集団での遊びが望ましく、そのような環境があるか、あったとしてその場合どのように見守るか、連絡の方法なんかも考えるとかなり大変なことになりそうです。

               

 帰ったら家に中だけで遊ぶこととか、学校全体で午後5時頃まで時間を過ごすこととかになってしまうのはあまりにも子どもたちに可哀そうですし、伸び伸びと、広い交通事故の心配のない空間で、子どもたちをあそばせてやりたい! でもどうするか?

                    

 子供会の親たちの連携とか、子どもたち(その親も含めて)と町内会との連携、とくに時間を持て余しているだろう(?)高齢者たちと子どもたち、高齢者たちの健康も兼ねての散歩のときの活用、やはりこれからは高齢者は家に閉じこもっていてはいけません。積極的平和主義の精神で行かないといけません。 

        

 高齢者達は元気なうちは積極的に外に出て町内を歩きまわること!!たくさんのこれからますます増えてくる高齢者が小学区内を歩き回る、胸に名札を付けて、徘徊老人を間違われないようにして歩き回る。地震(きのう夜2回も結構大きな地震がありました)の、ならぬ自身の健康のため、地域の健康のため、子供達を見守るため歩き回る、ただ歩くだけでは起きるでしょうから積極的に子どもたちに声を掛ける、子どもたちと声を掛け合いながら歩き回る、どれだけ足腰が鍛えられることでしょう、一石二鳥、一石三鳥になります。

 地域の元気な高齢者の皆様方、これからは積極的平和主義の精神で町内を歩き回りましょう!!家に閉じこもってテレビばかりとか、居眠りばかりではいけません。 健康寿命の延伸も兼ねて歩きましょう、子どもたちのためになることをしましょう、家のなかで悶々として一日を過ごすなんてはっきりいえば”罪悪”です。残り少ない、彼岸に近付いている人生を、これからの子どもたち、将来性のある子どもたちのために大いに使いましょう、社会貢献、最期の社会に対する御奉公です。社会が自分たちに何をしてくれるかではなく、高齢者自身が社会に貢献しましょう!!、社会に恩返しをしましょう!!それこそが生きがいじゃないですか。 かって知ったる地域の道路で人知れず前向きに倒れ伏す、病院でチューブまみれになって最期を迎えるよりもはるかに素晴らしいのではないか!?

      

 なんてことをこれを書きながら思ったりして・・・妄想も入っていますが、大筋としては間違ってはいないような気がします。 増え続ける一方の高齢者(私も高齢者)の活用としては望ましい方向性を示してはいないでしょうか。

 

 当初考えていたところとは大はばにずれて行ってしまいました。ほんとうは自分自身の健康状態について書こうかなと思っていたのです。 脱線もいいところです。 気楽に気ままに無責任に気のすむまで書けるところがブログのいいところでしょうか? 読む人は堪らないかもしれませんが。

 ごきげんよう


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