鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

天気晴朗なれど、

2013-06-17 15:49:21 | お知らせ

 午前中は曇り空で、いかにも梅雨間近という感じでしたが、午後になり一気に快晴、眩しい暑さとなりました。 何でもあしたあたり仙台地方も梅雨入りが宣言されるとかされないとか。 まあ、どっちにしても大騒ぎをするようなことではありません。

 きょうのアブラハヤです。 細いのと太っちょのと。もう1匹いますが。

   

 

 きのうの「八重の桜」見ましたか? 二本松少年隊の最後。 いたいけな少年たちの戦いに、思わず目頭が熱くなってしまい、耐えきれませんでした。 さぞかし怖かっただろうと思います。 西軍が守りの薄くなった二本松城に攻め入ってきたため、城を守るため、同盟の信義を守るため12歳の子どもまでが旧式の銃を持って、第一戦に出て戦火を交えなければならなくなってしまいました。

 圧倒的な物量と最新式の装備を誇る西軍の攻撃は、想像を絶する凄まじさだったでしょう。 それでも信義のために戦い、負傷し、戦死してしまいました。 絶望的な戦いでの怖さ、悔しさは如何ばかりだったか。 こんな子供たちまで巻き込んだ戦いとはいったい何なのだ! 想い馳せると腸が煮えくり返ります。 

 ひたすら恭順を示し、嘆願書を連名で認め、何とかして不毛の戦いを避けようと必死の努力しても、最初から聞く耳を持たず、何が何でも会津を中心としたみちのくを徹底的に殲滅する、そのために殺戮のための殺戮を繰り返す。殺したいから殺す、ただそれだけ。

 【こう書いて来てふと待てよ、これは約70年後の日本にも当てはまるのではないかと思いました。太平洋戦争です。 薩長軍閥が帝国陸海軍をつくりあげたものの、国際情勢を見る眼がなく、戦略戦術に長けることもなく、装備も不十分なままアメリカを相手に叩きを挑み、なすすべもなくやられてしまった先の大戦。 アメリカの物量と最新式の装備によって、南方戦線では完全に絶望的な戦いを強いられ、戦うどころか、逃避行を繰り返すうちに病死、餓死で圧倒的多数の若い軍人が死ななければならなくなってしまった。支援の部隊を送っても送っても輸送船は潜水艦の餌食となり、溺死を繰り返し、海の藻屑と成り果てた。薩長の思い上がりが後年の莫大な国家的な損失を生むこととなってしまった。何という皮肉でしょうか。 でも大きく異なるのは、信義があったかなかったということです。 みちのく諸藩は、戦いたくはなかったのに戦わざるを得ないように仕向けられて、その結果会津を中心とした諸藩は完膚なきまでに破壊、殺戮されてしまいました。】

 12歳から17歳の少年兵部隊は全部で62名在籍したようですが、木村銃太郎隊長指揮下の25名の大檀口の戦いが大きな悲劇を生みました。 12歳の隊士は負傷し、13歳の隊士9人中4人が戦死しています。 150年前の出来事です。たったの150年前。

 そして今福島県は東京電力福島第一原発によって、またしてもこれでもかこれでもかと攻めたてられている、この現実。 原因の究明も全くなされていないというのに、今では少しでも早く原発を再稼働させたくてうずうずしている自民党と産業界、それだけでなく外国に輸出しようと売り込みに余念がない、この現実。 福島や青森を原発の廃棄物の最終処分場としようと画策している、この現実。

 今こそみちのくに住む我々は、はっきりと意思表示をしなければなりません。その意思表示は脱原発とともに脱自民党です。 7月こそがそのチャンスです。 参議院でも自民党が過半数を確保したら、今の安倍晋三如きが総裁の自民党が躍進なんかしたら、またしても長州による、有無を言わせぬみちのくの支配・搾取・破壊が始まります。 そんなことを許してはなりません。 ならぬことはならぬのです。

 


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