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業界最高年齢社長Halのゲーム日記 その510 S.T.A.L.K.E.R.は何故S.T.A.L.K.E.R.となりえたのか編

2012-05-29 11:44:00 | ゲーム S.T.A.L.K.E.R.
S.T.A.L.K.E.R.のバグの多さは有名だが、海外サイトNowGamerの特集で『ここ10年の最も壊れたゲーム』TOP10がある。 ここでは三国志にも光栄にも我がS.T.A.L.K.E.R.のShadow of Chernobylが3位にランクされている。

なんせランクインした諸作は、Call of Duty: Modern Warfare 2、The Elder Scrolls IV: Oblivion、更にはHeavy Rainなど錚々たる名作迷作揃いなのだ。 

尚、トップはあの超迷作Big Rigs: Over The Road Racingが栄えある殿堂入りをしている。 家だろうと橋だろうとャ潟Sンは全てそのまま通り抜け、90度近い崖もそのまま横になって走る、という会心作である。 

S.T.A.L.K.E.R.のバグはSOCよりCSの方が多い位で、3作合わせれば間違いなくこの賞のトップを狙える。 


それはひとまず置いて、常日頃不思議に思っていることがある。 それは「S.T.A.L.K.E.R.は何故S.T.A.L.K.E.R.たりえたのだろう?」というものである。

私はS.T.A.L.K.E.R.は「奇跡の名作」と考えているが、失礼ながらウクライナという片田舎の弱小メーカーGSCが、どうやってあのような名作を作ってしまったのか?

単なる推測に過ぎないが、GSCはそれほど資金力や技術力のある会社ではないと思う。 それが何故どうして?

S.T.A.L.K.E.R.は一応ストルガツキー兄弟の小説「ストーカー(原題・路傍のピクニック)」とタルコフスキーの映画「ストーカー(原題・願望機)」が原作ということになっているが、内容的にはまるで別のものといってもよい。

小説や映画の舞台は「エリア」と呼ばれる異星人の訪問地であるが、ゲームでは「ゾーン」と呼ばれてチェルノブイリ原発とその周辺地である。 このあたりの設定がゲームとしての成功の一つの要因ではないか。 

ャ潟Sンで描画される風物は、それぞれ入念に調査されたモデルがあり、現地を訪れた人によると「驚くほど現実に近くリアル」だそうだ。 この写実主義的リアルさは、風物だけでなく人物や武器などにも充用されており、現実感を増大させている。

この視覚面でのリアルさとは裏腹に、ストーリー面ではかなり非現実的でSF的な面が強調されていて、視覚面でのリアルさとの食い違いが、ゲームでの幻惑的な世界を構築するのに貢献している。

S.T.A.L.K.E.R.は、放射線により汚染された世界という点ではFallout 3と共通していて、荒廃した街、跋扈するミュータント、陰鬱な雰囲気など、相通ずる所が多い。

私は最初はGSCはFallout 3の成功を見て、その真似をしたのかと思っていたが、発売時期が時間的に接近しすぎているので、パクるための時間的余裕はなさそうだと考え直した。 それにS.T.A.L.K.E.R.は開発におよそ5年かかっているので、少なくとも直接のパクリではなさそうだ。 但し、Fallout 1.2を見てインスパイアされたということなら考えられないこともないが・・・


ところでこのS.T.A.L.K.E.R.、最初から今のようなゲームにするつもりではなかったのではないかと思う。 いじっているうちに、偶然あのようなものが出来てしまったという気がしてならない。 恐らくはもっと単純な内容のゲームにするつもりが、何らかの理由で「偶然」このようなゲームに仕上がってしまったのではないか。 

上記の推測は確たる理由はない。 しかし、例えば全ての設定やスクリプトがベタテキストであり簡単に編集できるという点。 これはMODが作りやすく、ユーザーによる設定変更も楽であるので、実に大量のMODが製作され、S.T.A.L.K.E.R.の人気に拍車をかけた。

これなどは当初から考えていたものなのだろうか? 聞くところによると、S.T.A.L.K.E.R.2はMODの製作を許さない仕様であったという。 既にS.T.A.L.K.E.R.2は幻の作となってしまったが、もしこれが発売されていたら、これまでのユーザーからは総スカンを食らっただろう。

そのようなメーカーが大事な第1作に、ユーザーが自由にいじくり回せるような仕様を意図して作るものだろうか? 技術的或いは時間的な問題で、「やむなくそうなってしまった」のではないか、という疑問がどうしても残るのだ。

又、S.T.A.L.K.E.R.は第1作のShadow of Chernobylから実に入念に細部まで作り込まれている。 なのにこのゲームバランスの悪さ、とっつきにくさはなんなのだだろう。 

ここまで作り込む余裕があるのなら、序盤のタスクの難しさ(ここで投げ出した人はわんさといるだろう)を顧みる余裕がない筈はない。 このゲームバランスの悪さのために、恐らくは数十万本のお客さんを逃しているだろう。

ここを通り越せれば、現実感とそれに相反する幻惑感を堪能できる世界が待っているのに・・・

このように考えてくると、やはり制作者側が当初考えていたゲームとは、かなり異なる内容と感覚のゲームになってしまった、という気がしてならないのである。

ではその制作者が当初考えていたゲームとはどのようなものか。 このあたりになると推測以前の憶測に過ぎないが、もっとタイピカルな(一般的な)正統派FPSではなかったかと思う。 最も無難で購買層の多いものである。

綿密な作り込みで十分な現実感を与え、プラスチェルノブイリ原発事故による後遺症的な世界での冒険を楽しむという、Fallout 3やOblivionのようなゲームを目指していたのではないか。 S.T.A.L.K.E.R.にRPG的要素が強いというのも、そのためかも知れない。

それが発売が延び延びになっている内に、いつの間にか少しずつずれてゆき、現在のS.T.A.L.K.E.R.に「なってしまった」、というのが私の憶測なのだ。 なぜずれていったのかは、私に聞かれてもわからんぜよ。

とまあ、このように矛盾の中に更に矛盾を抱えた奇跡の名作、それがS.T.A.L.K.E.R.である。


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