【日野草城】『ミヤコホテル』
硯水翁の句と比べますと、本日紹介いたします【日野草城】『ミヤコホテル』は、「かわいい」ものと前回記しました。
昭和9年(1934年)日野草城(ひのそうじょう)が『俳句研究』4月号に、新婚初夜をモチーフとしたエロチシズム濃厚な連作『ミヤコホテル』10句を発表したところ、それが論争を呼び起こし「ミヤコホテル論争」となったことは、俳句を齧っているものには、噂で知っていたり、密かにその句を読んでいたり、また「すっとぼけ」ていたり、実に「エロエロ」ですが・・・
ここでその連作10句をご披露いたします。
けふよりの妻(め)と来て泊(は)つる宵の春
夜半の春なほ処女(おとめ)なる妻と居りぬ
枕辺の春の灯は妻が消し
をみなとはかかるものかも春の闇 ※(注)をみな=おんな(女)
薔薇にほふはじめての夜のしらみつつ
妻の額に春の曙はやかりき
麗らかな朝の焼麺麭(トースト)はづかしく
湯あがりの素顔したしく春の昼
永き日や相触れし手はふれしまま
失ひしものを憶へリ花曇
※ホームページ ミヤコホテル論争 (washimo-web.jp)から。
なんだか今あらためて読ませていただきますと、ワタクシは硯水翁の「詩あきんど」43号(令和3年5月20日発行)【ぽるのぐらふいー】を読んだことにより、もう充分免疫力がついておりますので、「ずいぶんうぶな句だなぁ~」という感想をもってしまいました。こんな句が論争になるなんて、やっぱり「時代の風」というものがあったんだと。
ちと下品な喩で恐縮ですが、「ポルノ映画」を初めて見たときに抱く「興奮」も、何回も見ているうちに「もうつまらない、もう飽きた!」という感想に似ているのかもしれません。
※典比古
いかがでしょうか。草城自身は新婚旅行などはしておらず完全にフィクションの句ということですが、発表するやいなや『ミヤコホテル』論争として俳壇を賑わし、高浜虚子の逆鱗に触れ破門。その詳しい経緯は上記のホームページに譲ります。
もう一つご紹介しますのは、ワタクシも度々覗いておりました、清水哲男の『増殖する俳句歳時記』にこんな句が。そのまま鑑賞文も載せておきます(赤字は典比古)。
事果ててすっぽんぽんの嚔かな 谷川俊水
★ 今日は趣向を変えて1996年末の「余白句会」より一句。「嚔」は「くさめ」。
こんなものに誰が点入れるのか、に騒々子、敢然として地に入れる。これがいいのです。騒々子、今回の選のコンセプトはグロテスクと馬鹿笑いである。(中略)
「事果てて」が凄い。他に言いようがないのかねえ…。虚脱している男の間抜け面が目に見えるようで、これは他に言いようがない。川柳に破礼句(バレく)の分野あり。男女間の性愛を詠む。ここでも近世以降は傑作なし。
やはり江戸期の「風流末摘花」などであの手のものは尽きています。この句などはだから新しい。俊水、字余り句は作るは、自由律句を作るは、バレ句は作るは、自由奔放、といえば聞こえはいいが、要はムチャクチャ俳諧。その元祖となる気配あり。……(「余白句会報告記」・騒々子<井川博年>)(清水哲男)
注)典比古
上掲の句は、なんと詩人の谷川俊太郎さんの句。俳号が「俊水」。清水哲郎さんによると、「小学三年生ではじめて俳句をつくったときに、つけたという。」と。
清水哲男さんは「川柳に破礼句(バレく)の分野あり。男女間の性愛を詠む。ここでも近世以降は傑作なし。」と記しておりますが、ちょっと待ってください、我が「詩あきんど」に硯水翁あり、そして「俳句バレ句」の元祖ここにあり!
次回は「詩あきんど」43号(令和3年5月20日発行)【ぽるのぐらふいー】(硯水翁)を記事に。
横尾忠則の若き頃の作品