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金子兜太の一句鑑賞(二)   高橋透水

2016年09月10日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
曼珠沙華どれも腹出し秩父の子 兜太   

 
  一九五五年(昭和三十年)の『少年』に収録されているが、初出は昭和一七年十二月号の「寒雷」という。
  「自選自解」を参照すると、秩父に帰郷したときの句という。「これは郷里秩父の子どもたちに対する親しみから思わず、それこそ湧くように出来た句。これも休暇をとって秩父に帰ったとき、腹を丸出しにした子どもたちが曼珠沙華のいっぱいに咲く畑径を走ってゆくのに出会った、そのときのもので」と述べている。昭和一六年に東京帝国大学経済学部に入学しているので、休暇とは夏休みに帰郷したときのことらしい。
 こうした子供の光景は、戦前と限らず戦後も多く見られ、それも山国の秩父だけでなく田舎ならどこであっただろう。ただ暑い盛りでなく、朝晩の気温の下がる山国の秋分のころであるが、遊びに夢中な子らは着物が肌蹴て臍をだしても平気なほど元気だった。
 〈学童のざわめき過ぎて麦萌えぬ〉〈日毎なる静寂に麦の萌え出づる〉(「成層圏」に発表)は一九歳の作品。〈葡萄の実みな灯を持つてゐる快談〉(「土上」に掲載)は島田青峰主宰に「胸のすくやうな爽快な感じがあふれてゐる」と評された句である。
 加藤楸邨は「この句(曼珠沙華の句)は、秩父の風土をしっかり把握した作である。兜太は都会に学んではゐるが、この句では秩父の子に深い愛情の眼をむけてゐる」と「寒雷」で評価している。
 兜太の故郷志向、郷土愛はこうした若いときから強く、同じころに〈蛾のまなこ赤光なれば海を恋う〉〈山脈のひと隅あかし蚕のねむり〉があるが、これは兜太が「郷里想望風なリリカルな心情表出だった」と語っているが、「秩父の子」の句にも通底する想いが通っていたのだろう。
 秩父の曼珠沙華は畑の畝や畦道に多くみられるが、大振りで純朴である一面どこか怪しげで、しかも負けん気の強いように見えるのは兜太のことが頭にあるからか。

 
俳誌『鴎座』2016年・9月号より転載

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