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富沢赤黄男の一句鑑賞(3) 高橋透水

2019年08月10日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
秋風の下にゐるのはほろほろ鳥 赤黄男 

 『旗艦』昭和十一年十二月号に初出。
 「秋風」そして「ほろほろ鳥」、それだけで物悲しい赤黄男の心情が伝わってくる。秋風の下にいるほろほろ鳥は鳴いていなかったかもしれない。しかしこの句を読むと、秋風の中にけたたましくも哀し気なほろほろ鳥の声が聞こえてくるのだ。
 同時代の〈落日の巨岩の中に凍てし鴉〉も落日のなかの鴉がなんとも哀れに浮かぶ。ほろほろ鳥も鴉も赤黄男の内面の影のようだ。
この頃の赤黄男の生活をみてみよう。
 昭和十年、日野草城の俳誌『旗艦』創刊と同時に、赤黄男は同誌の同人となり新興俳句の作り手として頭角をあらわすことになる。先人としての高屋窓秋に傾倒し、また「俳句は詩である」と宣言するなど新興俳句の理論的展開も担った。当時の句日記に、「本当に俳句をやりたくなった。旗艦が創刊せられる事は現在の僕には初めて俳句を心からはじめる気を起さしめる」と俳句への情熱と並々ならぬ決意を記している。
 他方で私生活は不安定な状態が続き、昭和十一年二月に妻の実家が経営する酒造会社に入社するも、その年の十二月に退社する。間もなく病気の父を残して大阪に向かい、水谷砕壺の世話を受けながらも苦しい生活が続く。砕壺は赤黄男のよき理解者としてその後も物心両面から援助を受けることになる。
 昭和十一年四月に父が死去し、赤黄男自身も肺炎にかかるなど生活はどん底を迎えた。
 そのころの生活環境を窺わせる句がある。
〈さぶい夕焼である金銭借りにゆく〉や〈金銭貸してくれない三日月をみてもどる〉などである。(ただし金銭は「かね」と読む)。
 父の死後、生活苦のため義母は赤黄男たちから離れた。そうした困窮に喘ぐ赤黄男一家に金を貸してくれるものは誰もいなかった。
 ついに祖父の代からの土地を手放し、年の暮れに砕壺の世話で大阪に家を借りた。そこで職に就くも、勤務は長続きする性格でなかった。まさに秋風の身に沁みる生活が続いた。

俳誌『鴎座』2019年5月号より転載

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