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山口誓子の一句鑑賞(9)高橋透水

2018年07月20日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
冷水を湛ふ水甕の底にまで  誓子 

 昭和二十年作で、句集『遠星』に収録。誓子の自選自解によれば、「冷水」は「れいすい」と読むという。しかし「冷水」に季感はあるが、季語ではない。また句は「冷水」を満たした「水甕」が描かれているだけである。そんな句をあえて取り上げたのは、この句が根源俳句であるとされるからで、特に平畑静塔や西東三鬼などの評価に触発されたからだ。
 そもそも「根源俳句」は誓子の造語だが、誓子は「根源俳句」の精神を『天狼』(昭和二十三年奈良で創刊)に発表し、『酷烈なる精神』を発揚した。そこには、
「私は現下の俳句雑誌に、「酷烈なる俳句精神」乏しく、「鬱然たる俳壇的権威」なきを嘆ずるが故に、それ等欠くるところを「天狼」に備へしめようと思ふ。」
と述べられている。
 が、それ以前すでに誓子に俳句作りの心構え、論理があったわけだが、改めて、「物事の根源は生命の根源であらう。生命の根源を探求して、『酷烈なる精神』を発揚することが私の念ずるところである」と外部に向かって発信したのである。
また『酷烈なる』精神は「生命の根源を探求するところから導き出される精神である」とするが、「根源俳句」の明確なる定義がなければ、『酷烈なる精神』の理論が外部に展開されていないので、それぞれの俳人が自己の生き方に即した意見や自己の都合による理論を展開してゆくことになった。もっとも誓子の狙いはそこにあったのかもしれないが。
 この誓子の思い至った「生命の根源」は、戦時中の病気療養中でも欠かすことのなかった句作と日々の写経から自得したものと思われる。それを発信し自己の立場を明らかにしたのは、戦後の昭和二十一年、桑原武夫の発表した「第二芸術論」の影響も考えられる。
 しかし鑑賞句は「生命の根源に一体となった表現の追求」が生かされているかは疑問であるが、『天狼』創刊後に俳句界に議論を呼んだ、根源俳句の嚆矢であることは確かだ。

   俳誌『鴎座』2018年7月号より転載

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