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ゾンビだから出会えた。/ゾンビランドサガ 第4話「ウォーミング・デッド SAGA」

2018-11-01 | ゾンビランドサガ
                                
                             巽さんとさくらの関係が好き(笑










この回のセリフで「ゾンビだから出会えた。」ってセリフがあります
確かに、ゾンビはいつまで経っても(多分)ゾンビのままなんだろうから、ある種的を得た解釈ではある
生まれた時代も境遇も全く違うみんなが、一堂に会して“何か”を目指して一つになろうとしている・・・・・。
それはそれで素晴らしい事ですし、
「死んだ」とか
「腐ってる」とか
「普通じゃない」とか
「人間扱いされない」とか、
ある意味根本的なネガティブを一瞬で吹き消すくらいに説得力のあるパワーワードだな、、、って思いました
それは勿論ネタ的な意味合いではなく、文字通り前向きになれる魔法の言葉・・・ですよね。






結構(自分もそうですが)、
人間って一つの側面や結果に捉われてしまう節があるというか、
例えば厭世的になってしまうような出来事や失敗をそのまんまの意味合いに落とし込み過ぎな気がするんです
一度死んでしまったのも、“みんな”とは違う自分になってしまったのも、そのまま考えれば明らかにマイナスでしょう
でも、だからこそ、発見出来た自分の想いだったり、誰かと分かち合える感情があるのもまた事実で・・・。
マイナスをそのまんまマイナスにしない強さ、、、が誰しも必要なんじゃないか、って思うんです
全ては捉え方次第。。
そんなフランシュシュのメンバーの一致団結の始まりが描かれていた4話目だったと感じましたね。






正直、これまではフランシュシュは「寄せ集めのメンバー」という側面が強かったように思う
最初はまるっきり赤の他人同士、オーディションすら無かったので正真正銘の赤の他人ですよね(笑
だからぶつかり合ったし、すれ違いもあったし、元々友達同士とかじゃないから当たり前ではあるんですけど、
だからこそ、
リーダーのサキの提案でみんなで観光して、
一緒に笑ったり楽しんだりして親交を深める・・・という構成は納得出来たし、
また「フランシュシュとして」一歩成長する為には必要不可欠な過程だったんじゃないかな。と思いました
何より、そんなみんなのガールズウォーク及びガールズトークの相様がいちいち面白くて終始ニヤニヤしちゃってましたね笑
冒頭の純子が温泉好きな感情を露呈してさくらが微笑むカットなんかも凄く微笑ましくて良かったですし・・・
女の子同士の交流、っていうか
そういうものの良さ・・・みたいなのは存分に描けてたんじゃないか、と。
一緒に足湯に入ったのも、ある種お互いを曝け出す~というメタファーのようなものだったのかもしれません。
そこで、ちょっとずつ、一歩ずつ同じ目標に向かって決意をするみんなの相様もまた素敵でした。






また、今回のライブシーンも良かったんです
前回は前回であれで正解だったと思う(その前もその前もね)けれど、
今回はちゃんとみんなで歌えていたし、何より“お客さんを癒す”という、
ある種コンセプチュアルなステージを徹底出来ていて、あれはあれで前向きになれるライブだったんじゃないかと。
何より、純粋に歌そのものとCGのライブ映像が観ていて楽しい・・・っていうのもあります
実際にこれライブで聴いたら盛り上がるんじゃないだろうか、、、と思いつつ、
純子が言ってたように、
純粋に歌だけで勝負出来てた訳ではないのは事実なので、
まだまだ課題を残しつつ、けれど「本当の始まり」としては最良だったんじゃないでしょうか。

結構題材や仕掛け、演出としては奇抜な部分も目立つんですけど、
こういう風に「王道の作劇」も出来るんだよ?というバランスの良さも感じた話数でもありましたね
首が取れたり、目玉が取れたりもするけれど(笑)それだけじゃない・・・っていう笑
独特のフォーマットのダンスもまた見応えがあって楽しいですね!






また、温泉のシーンが、
ゾンビらしいゾンビ演出を含みながらも、
さくらも純子も基本的にはいっぱしの可愛い女の子なんだなあ。。という
そういう事実を感じさせるものに仕上がっていてとても良かったですね
また、冒頭の純子の態度が伏線になってたのも巧いと思う。

まだ、未熟な部分も目立つフランシュシュだけど、
それでも一歩一歩進めてるのは元アイドルの純子も認めるところ。
最後に失敗もしてしまったけれど(笑
全部が全部上手く行くなんてことは有り得ない事なんだから、
多少つまずきつつ、それすらも糧にして前に進んでいけばいい。

かつてだったら最後の失敗で「もう無理!」ってなってたかもしれない、
だけど、みんな(良い意味で)それを気にしてないところに成長も感じられた結末でもありました
それはきっと、もうみんな「一人じゃない。」って意識があるから・・・なんだと思う。
アイドルものとしても、ゾンビものとしても“らしさ”を発揮出来ていたこれまた素晴らしい4話目でしたね。
















にしても、巽さん、今回も超イケメンだな・・・笑
みんなを適当にあしらいつつ、影では地道に努力しているそのギャップに惚れてしまいます。
そりゃさくらも惚れるわ。ま、俺の妄想だけどな(笑

個人的に男「も」魅力的な美少女アニメが大好きです。




一人にでも伝われば。/ゾンビランドサガ 第3話「DEAD OR LIVE SAGA」

2018-11-01 | ゾンビランドサガ
                               
                             アイキャッチも好き(笑)。











前々回、前回はノリと勢いでどうにかした節があったけど、
今回は真正面から「素人」という問題にぶつかってしまう運びとなった
そりゃそうだ、いつまでも飛び道具のままじゃ決してアイドルとは言えないでしょう
そしたら、踊りは踊れないわ、歌はまともに歌えないわと綻びだらけの現状で・・・
気合いだけで上手く行くのはほぼ最初だけでそれだけじゃ乗り切れない壁が早速メンバーを襲った訳なんですよね。






それでも、
紆余曲折あってグループ名も無事決まり(腐乱臭衆という漢字表記がまた皮肉が効いてて面白い笑)、
リーダーも決まって、みんながみんなそれぞれの役割をこなして一つにはなろうとしていた・・・のが
この回のみんなの相様だったと思います
理不尽に殴られたさくらには同情しつつもちょっと笑ったけど(笑
あれもまた、各々に見せ場を作りたい・・・っていう制作側の演出だったんでしょうね
みんなを実質的に繋げたさくら、リーダーの役割を買って出たサキ、グループ名のきっかけとなったたえちゃんに、
実質命名者のリリィ、気合を入れ直したゆうぎり、そして、最後に協力してくれた愛ちゃんと純子・・・。
さり気に個々を目立たせよう、とする意識が感じられるのがいいところです。






だけど、肝心のライブは上手くいかなかった。
歌は(わざとそういうテイクを録ったんでしょう)下手だったし、
踊りもぎこちなく、ミスも多発、
案の定ぶつかってしまうリリィに、
歌詞を忘れてしまうさくら、
そして通りすがりの観客には嘲笑されて・・・決して完璧とは言えない初ライブだった。

でも、正直素人の初ライブなんてあんなもんだと思います 
それを「恥」とか思う必要もないっていうか、
勿論本人ら的にはもっと上手くこなしたかったでしょうし、練習の成果ももっと出したかったでしょう
ただ、みんな最初は「下手」だったり「未熟」から始まるのが当たり前だしそうあるべきだとも思うから。
ちょっとずつ大きくなっていけばいいし、ああいう経験を積み重ねる事でどんどん成長していくものだとも感じます
むしろ、そういうある種の無様な姿を描く作劇にこの作品の本気と誠実な姿勢を垣間見ましたね
こういうステージがあるから、後の“結実”にも価値が出る・・・
そう、信じています。






ただ、この日演じたことのすべてが無駄ではありませんでした。
ただ一人、たった一人、立ち止まって真似してくれたお客さんが居たんです。
それは小さな子供、物心もついてない感じの子供だったんで、ステージに魅せられた・・・っていうよりは、
みんなが拳振り上げて動いてるのを観て純粋に真似したくなった、面白いと思った、、、という所でしょうね
だけど、本気でやってるから、楽しんでやってたから、“アイドルの楽しさ”の欠片は伝えられたと思う。
歌って、踊って、みんなを盛り上げて・・・
その片鱗を伝える事が出来た。。というだけでも「大成功」だったんじゃないかな、って思います
いつか、こういう原体験が「何か」に変わるかもしれないですしね。






でもこれってある種表現者の原点なのかもしれないですね。
最初は小さな一歩から始まるんです。
例え大勢の心は掴めずとも、
それでもただ一人、
ちゃんと「自分たち」が届いた一人がいる
表現は決して勝ち負けなんかじゃない
ただ一人にさえ届いていれば、“それ”は決して無駄でも空虚でもない・・・っていう
ある種根源的な歓びを描いていた話数だったんじゃないかな、、、と個人的には思いましたし、
頑張ったみんなへのささやかなご褒美として粋な演出だったなあ。と素直に感じましたね
その嬉しさと、
そして同時に存在する悔しさを胸に、
どんどんと成長していくフランシュシュへの想いを高ぶらせてくれるような3話目でした。

今抱えている愛ちゃんや純子の「葛藤」も、いつか新しい「希望」に変わればいいな、と。
前者は絶頂で亡くなってしまった事への未練、後者はぼっちだったからこその闇・・・があるんでしょうか
なんとなくの想像ですけど。最後の二人のカットも丁寧に描いていて個人的に好きでしたね。












最後に、
「ゲリラライブ」を英語で書こうとして書けなかった巽さんの描写が人間味に溢れてて良かったです・・・笑
こういうの大事だと思うんですよね。