骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

尾張・三河霊場をさらに骨で聴く

2009-08-13 13:20:42 | 骨で聴く巡礼旅


 天変地異や不況に負けず、骨伝導ヘッドセットを装着しての巡礼旅は続きます。
 尾張・三河という現在の愛知県は、前回(⇒ 尾張・三河霊場を骨で聴く)だけで終わりません。弘法大師空海との関係が深い巡礼地ですが、他にも着眼点があります。

 骨伝導「きくちゃん(⇒ 骨伝導きくちゃん詳細)」をつけて考えてみましょう。

霊場と武将の街

 名古屋を基点にして、尾張・三河の巡礼旅は弘法大師縁の霊場だけではありません。主な霊場を列挙してみましょう。

  ・尾張三霊場
  ・尾張四観音霊場
  ・尾張六地蔵霊場
  ・尾張七福神霊場
  ・尾張三十三観音霊場
  ・三河三封寺霊場
  ・三河三不動霊場
  ・三河七福神霊場
  ・三河七御堂霊場
  ・三河十二支霊場
  ・三河白寿観音霊場
  ・三河三十三観音
  ・三河海岸弘法霊場
  ・奥三河七観音霊場
  ・知多半島くるま六地蔵霊場
  ・知多三十三観音霊場
  ・南知多五色観音霊場
  ・南知多七福神霊場
  ・南知多三十三観音霊場
  ・東海七福神霊場
  ・東海三十三観音霊場
  ・東海白寿三十三観音霊場
  ・東海三十六不動尊霊場
  ・東海四十九薬師霊場

 その他、三十三観音霊場では城東、豊橋、愛知梅花などにもあり、小牧では三大師や十観音などの霊場もあります。まさに尾張・三河の愛知エリアは霊場の宝庫だということがわかります。

 これは「うつし巡礼」が活発なだけでなく、異なる趣旨の企画巡礼も開創されているからに他なりません。
 ここで改めて大きな疑問が出てきます。

 なぜこの地方にそれだけ霊場が多いのかという疑問です。

 知多半島や三河のように弘法大師の聖跡と一緒になっている特殊事情とは別に、何か理由がありそうです。

 勝手に憶測してみると、西に京都、東に江戸という、公家と武家の中心地に挟まれた立地が関係しているのかもしれません。

 霊場の開創は、確かに近代以降が多いのは事実ですが、歴史と地理の関係から代々受け継がれた特別な理由が内在していても、決して不思議ではないでしょう
 時代を遡ると、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、戦国の世の覇者に縁多い地であることが分かります。さらに付け加えると、源 頼朝の生誕地でもあるのです。意外だと思われますが、名古屋生まれの最初の天下人なのです。

 頼朝の生母は熱田神宮の大宮司・藤原季範の娘でした。当時の慣習は妻の実家で出産でしたから、現在の名古屋市熱田区が頼朝の生誕地だったことになります。熱田神宮の東側にある誓願寺の境内には、頼朝の産湯の井戸があります。また白鳥公園では、頼朝公生誕祭で武者行列をします。
ちなみに、知多半島の野間大坊は、頼朝の父・義朝が謀殺された場所です。
 戦国武将だけでなく、日本最初の武家政権を確立した頼朝とも関係深い地だということに、何らかの暗示がありそうです。
 源氏と平家の時代、南北朝の動乱期、そして戦国時代と、尾張・三河は重要な意味のある地でした。

 乱世という日本史の表舞台に大きく影響された地域は、ここに生きた庶民の潜在意識に、心の平安を望む「祈り」が受け継がれているのかもしれません。

 徳川時代から明治、大正、昭和と激動は続き、「死」と隣り合わせの時代が形を変化させながら存続してきました。
 一般に巡礼を始める動機に「喪失感」があるといいます。天下奪取の波に襲われた平常心の喪失、戦争に翻弄された安定感の喪失など、あらゆる要素が、失われた自己を取り戻すための霊験・功徳を求めたのでしょうか。その結果が神聖な霊場を形成していったのかもしれません。

 喪失感は現代の日本経済にも通じます。
 今こそ巡礼かもしれません。
 ただし、現代には骨伝導があります。耳では聴こえない音を骨で聴くことができます。現代は骨伝導の特許技術を活かして巡礼に出かけるのが最適かもしれません。

 そこで疑問。

 なぜ巡礼と骨伝導なのか?

 答えは骨伝導専門サイト「骨で聴くドットコム」の中にあります。特に脳波との関係には注目です。