南光坊という坊さんがいた。
正式名称は慈眼大師南光坊天海といって、天台宗比叡山系の坊さんだ。
この坊さん、前半生は謎に包まれとるんだが、
比叡山延暦寺の高僧として名を揚げるとともに、
徳川家康に見出されて、家康の有力なブレーンとなった。
異名は「黒衣の宰相」
なんだか怖ええあだ名もあったもんだ。
その異名をつけられるのも無理もない。
大阪の陣の発端となった方広寺の文句の件や、
家康の神号たる東照大権現の「権現」のアイディアを捻り出した男だ。
まー細かく話すと難しいんだが、
とにかく徳川幕府創立時の影の部分を仕切ってた男だ。
今日テレビをひねったらたまたまこの南光坊天海についてやっていて、
なんの期待もせずに見てたんだな。
そしたらさ
「南光坊天海の正体は明智光秀だった!!」
来たよ、ってか来ると思ったよ。
この「天海=光秀」ってのは歴史上有名なゴシップで、
「義経生存説」とか「天草四郎は豊臣の血筋」とか言うのと並ぶような話なのよね。
俺はどう思うかっていうと、この手のゴシップは大好きで、
こういう東スポ的歴史観は大好きなんだな。
家康と天海が始めて話したとき、「御坊とは初めて話した感じがしない」って言ったとか、
天海の筆跡が光秀の筆跡にやけに似てるとか、
春日局(明智の重臣斉藤利三の娘)と初見のとき
「お久しぶりでございます」と春日局が言ったとか言わないとか…
こういう話を基に「天海=光秀」説は作られてく。
もしその話がホントなら1643年に他界した天海僧正、
享年は116歳になっちまうが、この辺はどうすんだ?ということを抜きにして。
それでも歴史上のファンタジーを俺は愛して止まない。
最近のガチガチの学説じゃあ、
「武田騎馬軍団は合戦のときは馬を降りた」
とか
「長篠の合戦のとき鉄砲三段撃ちは成立しない」
とか
「川中島の合戦のとき、信玄と謙信の一騎打ちはなかった」
とか
「上杉謙信は才女山に登ってない」
とか
まーこれがイロイロあるわけよ、夢をつぶすような話が次から次へと。
その手の話を読むとさ、これがまあ大学の教授やらなんやらが、
信憑性の高い資料と実地検分や実験を基にして書いとるわけで、
アリの這い出る隙間もネエようなご立派な理屈なんだな。
全く納得させられる。
「へ~、ほ~、ふ~ん」と
全く面白い。納得。
俺たちの知ってる歴史なんてのは、
その後の講談やなんかで、面白おかしく書かれた物を
まんま信じ込んでるわけなんだな。
さらにはそのまんま歴史の教科書になっちまってるモノもあるっちゅうもんだ。
そのメッキがはがされつつあるのが、ここ10年ぐらいだと思う。
全く面白い、
チョット考えて、
自転車の上ですら槍を振り回せねえだろうに、
いわんや馬の上で出来るのか?
確かに出来ネエだろうなあ。
チョット考えて、
初めて鉄砲を渡されたであろう寄せ集めの足軽たち、
仮に引き付けて火縄銃をぶっ放したとして、その一列目が三列目に行く段で
「右に回るのか左に回るのか?」そんな訓練はどうしたんだ?
全くそうよ、その通り!
でもよ、でもなのよ。
それを知りつつ、わかりつつ、
俺はゴシップを歴史として読んでいく。
だってさ、そっちの方がおもしれえじゃん。
下馬する武田騎馬軍団なんか見たくねえじゃん。
義経には生きてて欲しいじゃん。
よって、南光坊天海は明智光秀と同一人物と言うことで決定!
ちなみにそのテレビの話、
「南光坊と春日局が共謀の末、明智系で徳川政権を作り上げようとした」
って結論付けるんだが、
幕末に至って政権を放棄する「大政奉還」の企画者、坂本龍馬が
明智の血筋と言うことはどう説明付けるのだろう?
正式名称は慈眼大師南光坊天海といって、天台宗比叡山系の坊さんだ。
この坊さん、前半生は謎に包まれとるんだが、
比叡山延暦寺の高僧として名を揚げるとともに、
徳川家康に見出されて、家康の有力なブレーンとなった。
異名は「黒衣の宰相」
なんだか怖ええあだ名もあったもんだ。
その異名をつけられるのも無理もない。
大阪の陣の発端となった方広寺の文句の件や、
家康の神号たる東照大権現の「権現」のアイディアを捻り出した男だ。
まー細かく話すと難しいんだが、
とにかく徳川幕府創立時の影の部分を仕切ってた男だ。
今日テレビをひねったらたまたまこの南光坊天海についてやっていて、
なんの期待もせずに見てたんだな。
そしたらさ
「南光坊天海の正体は明智光秀だった!!」
来たよ、ってか来ると思ったよ。
この「天海=光秀」ってのは歴史上有名なゴシップで、
「義経生存説」とか「天草四郎は豊臣の血筋」とか言うのと並ぶような話なのよね。
俺はどう思うかっていうと、この手のゴシップは大好きで、
こういう東スポ的歴史観は大好きなんだな。
家康と天海が始めて話したとき、「御坊とは初めて話した感じがしない」って言ったとか、
天海の筆跡が光秀の筆跡にやけに似てるとか、
春日局(明智の重臣斉藤利三の娘)と初見のとき
「お久しぶりでございます」と春日局が言ったとか言わないとか…
こういう話を基に「天海=光秀」説は作られてく。
もしその話がホントなら1643年に他界した天海僧正、
享年は116歳になっちまうが、この辺はどうすんだ?ということを抜きにして。
それでも歴史上のファンタジーを俺は愛して止まない。
最近のガチガチの学説じゃあ、
「武田騎馬軍団は合戦のときは馬を降りた」
とか
「長篠の合戦のとき鉄砲三段撃ちは成立しない」
とか
「川中島の合戦のとき、信玄と謙信の一騎打ちはなかった」
とか
「上杉謙信は才女山に登ってない」
とか
まーこれがイロイロあるわけよ、夢をつぶすような話が次から次へと。
その手の話を読むとさ、これがまあ大学の教授やらなんやらが、
信憑性の高い資料と実地検分や実験を基にして書いとるわけで、
アリの這い出る隙間もネエようなご立派な理屈なんだな。
全く納得させられる。
「へ~、ほ~、ふ~ん」と
全く面白い。納得。
俺たちの知ってる歴史なんてのは、
その後の講談やなんかで、面白おかしく書かれた物を
まんま信じ込んでるわけなんだな。
さらにはそのまんま歴史の教科書になっちまってるモノもあるっちゅうもんだ。
そのメッキがはがされつつあるのが、ここ10年ぐらいだと思う。
全く面白い、
チョット考えて、
自転車の上ですら槍を振り回せねえだろうに、
いわんや馬の上で出来るのか?
確かに出来ネエだろうなあ。
チョット考えて、
初めて鉄砲を渡されたであろう寄せ集めの足軽たち、
仮に引き付けて火縄銃をぶっ放したとして、その一列目が三列目に行く段で
「右に回るのか左に回るのか?」そんな訓練はどうしたんだ?
全くそうよ、その通り!
でもよ、でもなのよ。
それを知りつつ、わかりつつ、
俺はゴシップを歴史として読んでいく。
だってさ、そっちの方がおもしれえじゃん。
下馬する武田騎馬軍団なんか見たくねえじゃん。
義経には生きてて欲しいじゃん。
よって、南光坊天海は明智光秀と同一人物と言うことで決定!
ちなみにそのテレビの話、
「南光坊と春日局が共謀の末、明智系で徳川政権を作り上げようとした」
って結論付けるんだが、
幕末に至って政権を放棄する「大政奉還」の企画者、坂本龍馬が
明智の血筋と言うことはどう説明付けるのだろう?
後から知ったよ、というか最近か?
で、織田信長は両刀で森蘭丸よね?
あってる?
コレもゴシップ?というか、ゲイだけど世継ぎを作らなければ行けないから子供作り?
ひげがゲイっぽいと思ったよ。
ちなみに戦国自衛隊19xxなんとかってみた?
その感想をネタバレせずに夜露死苦(なにしろまだ昔のしか見てない。。。)
私は日本史詳しくないのですが面白かったですね~。
私は歴史上の因縁みたいのが好きです。
この人を討ったのは実は先祖を辿っていくと仇だった!
というような。適切な例が思い浮かびませんが。
あと、歴史ドラマの
「のちに明治維新の立て役者となり、新政府の元老に
なる○○が落城の夜に詠んだ歌であった」
とか、
「○○はその後、昭和~年、80歳の長寿をまっとうし
実に~年振りに飯盛山の墓地で懐かしい友と再会するの であった」
みたいなナレーションが好きです!
歴史=ロマンですな。
作家や作品の評価って、時代の権力ある人に
よって作られているのがわかったので
歴史もそうゆうものがあるのかも。
そうゆうの高校時代に教えて欲しかったな。
みんなにもしって欲しいです。
というのは別として
私は実際の戦闘再現などが大好きです。
長篠については聞きたいのが
鉄砲もたす人たちってそんなあほっぽい足軽?
SWATみたいな精鋭なのでは?
武田の騎馬部隊はどうして?地形がわるいから?
馬がちっさいから?
古今東西、騎馬民族って強いじゃないですか!
知りたいどす。
でも天海=明智説はダメ。春日局も含めて
明智勢キライ。
でも天海和尚が陰陽道にももとづいて
最強の江戸という都を作り上げたっていうのは
ロマンを感じます。え?ちがう?
ちなみに隊長、私がおすすめしている
「皇国の守護者」呼んでくださいよ!
では、またなんか書いてください。アデュー!
『明智惟任日向守光秀』からとったのではないでしょうか?
天海の年齢からすると、天海は
斉藤利三のまわりの『戦上手』の人だったのでは
ないかと思います。
例えば、『お福他預けるから連れて逃げろ。
俺は捕まって死ぬ。』とか利三が命令するような者。
たとえば、利三の影の参謀。だれだったっけ
柴田源左衛門 だったかな