ロシア日記

~ペルミより愛を込めて~
日本語教師と雪のダローガと足跡

~サンクトペテルブルグ~
雪の上の足跡

マヤ

2017年06月05日 | 日記
  サンクトペテルブルグでテロが起きたことはここでの生活の悲しい出来事の一つでしたが、その少し前にもう一つ心淋しくなることがありました。行きつけのアゼルバイジャン店で出会った3年前の頃から働いていたマヤがサンクトペテルブルグでの生活を切り上げて故郷のウズベキスタンへ帰って行きました。
  通常、ウズベキスタンやタジキスタン、カザフスタン、トルクメニスタンなどの中央アジア出身の労働者は故郷の経済状況が悪いことが理由でロシアへ出稼ぎにやってきます。そして大概、カフェやスーパーマッケトの店員、掃除員、土木作業員などのブルカラーの仕事に就きます。3年前に石油価格の大暴落が起きてからロシア国内は一段と景気が悪くなり、人々の生活も苦しくなりました。ロシア自体の経済状況も決していいとは言えない中、ここに出稼ぎにやってくる国の経済状況はさらに悪いのだろうと推測できます。

  ロシアが石油で潤い始めた2000年から2008年の時点で月の給料が1000ドルを超えたら中産階級の仲間入りとされました。これはロシアの中の外国と呼ばれるモスクワの統計も入っているので、モスクワ以外に住む人々の月額を見ると更に低くなります。ロシア第二の都市であるサンクトペテルブルグの平均給料は30000ルーブル(6万円)です。70000ルーブル(14万円)で高給取りと言われます。カフェの定員の時給は2,3ドルと言われ、人口50万以下の小さな街では10000ルーブル(2万円)の月給らしいです。その割には、物価はコーヒー一杯120ルーブル(240円)、カフェラテ200ルーブル(400円)程度とその他の日常用品も含め日本とあまり変わりません。ちなみに年金は10000ルーブルから25000ルーブル(2万から5万円)です。
  以前、共に働いていた同僚は、ロシアはG8に入ったりしてるから大国と思われるけど、実際はまったくそうじゃないのに援助も受けられずに困ると言っていました。私自身もいつもロシアに来てロシアの人々を見るたびに、いったいどうやって暮らしているのか不思議に思います。けれど親しい人とのちょっとした会話の舌に上る言葉の本音から生活の苦しさが垣間見れます。

  マヤが故郷のウズベキスタンに帰る決心をしたのもそんなことがきっかけで、生活の向上を思ってサンクトペテルブルグに出てきたけれど朝から晩まで働いてわずかな賃金をもらい、カフェの店員では一人で部屋も借りることがままならないという状況の中、旦那さんが出て行ったあと彼女はここに住む意欲を失ったんだと思います。青空も見ずに働きづめで疲れた、と言っていました。
  マヤの話を聞き、ロシアの大変な経済状況を肌で感じ、私がここを引き上げるよりも先にマヤがいなくなることがショックでした。こういう状況を目の当たりにするといつも、先進国に生まれるということとその反対、国の経済力が強いということと弱いということ、お金があることとないことの違い、人々が生活していくということ、日本に生まれた自分とロシアに生まれるということ、人生の厳しさなどを考えさせられます。

  以前見た番組で、チュニジア出身の女性がアメリカ人に対して「強い国に生まれたということは本当にラッキーなことなのに、アメリカ人は何時間もテレビの前に座ってバラエティ番組を見て時間を過ごすと聞きました。どうしてそんなことを?」と言っていたのを思い出します。「私はアメリカのことをよく知っている。あなたたちの文化も音楽も知っているし、英語だって精一杯話している。あなたたちは私のチュニジアという国のことを知ってる?」と。

  濃い化粧のシャム猫のような目をしたマヤは今頃どうしているかな。6月初旬のこの季節の故郷は辺り一面花が咲き乱れ、それは空港に降り立ったときから街中が花の香りで匂い立つのだと言っていました。

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