笛吹奮闘記

遠州に春を告げる「三熊野神社大祭」。祭りを彩るお囃子は、静岡県無形文化財「三社祭礼囃子」。四十を過ぎた男の笛吹挑戦記!

ある男の話

2006年07月07日 11時50分47秒 | Weblog
笛をはじめて1130日目。
 水曜日の夜は出掛けていて、結局帰宅も遅くなってしまったので、笛が持てませんでした。
 昨夜は、用事も無く早めに帰宅、9時から10時まで頑張って笛を持ちました。「頭」部分を重点的に、また指をしっかり叩くということを少し意識しながら吹きました。

 日曜日は稽古日ですが、今朝商工会葬祭事業から連絡があり、日曜日葬儀を行うことになりましたので、稽古はお休み順延にしてもらわなくてはならなくなりました。

 今日はある男の話をしたいと思います。勿論彼も笛を吹きます。
年は今年19歳、2年ほど前から笛を吹き始め、その頃からちょくちょく店に寄るようになり、色々と話をするようになりました。当時は高校生で、友達と一緒に近所の人から笛を習っていたようです。勿論会に所属するわけでもなく、師匠からほとんどマンツーマンで教えてもらっていたようです。いつも私が言っているとおりで、結局ある程度の所まで行くと師匠から離れ、自分一人で吹くようになります。それでも彼はそれを逆境とせず、祭りの時などは、色々な所に出向いては、「笛を吹かせてください」とお願いして、色々な所の屋台に乗り込んでは笛を吹いていたようです。実際、屋台や祢里を作って間もない新興の地域は、笛吹がしっかりいるところもあまりなく、彼の要求と地域の要求が合致したということなのです。その様な行動も、会に縛られない自由な身であると共に、彼の凄い行動力があるからこそ、結局上達も早く、研究熱心ででもあるので、腕はどんどん上がっていったのです。

 高校卒業で進路をどうするのかと訪ねると、「彫刻師になりたい」と言いだし、富山県へと修行に出掛けたのです。親方の所で住み込みで修行をしながら、昼間は専門学校に通うという生活のようです。しかしながら、一年を過ぎた今年春、労働監督署の指導があり、一番年下の彼は兄弟子達からの嫌がらせで濡れ衣を被され、その為に修行を止め帰ってくることになってしまったのです。

 志は捨てきれないようで、聞けば来春京都にある専門学校で一から彫刻の勉強をしたいと言っており、今は充電期間として親の仕事を手伝いながら、地元に帰ってきています。

 先日の日曜日も、彼の家の近くまで配達に出掛けると、笛を太鼓の音が聞こえてきました。探しながら車を走らせると、近くの山の頂上にある公園で稽古をしていました。久しぶりに聞く彼の笛は確かに上達はしていましたが、逆を言うなら細かいところが自己流でもあるなと感じる笛でもありました。そんなに熱心に稽古しているなら、毎週火曜日は私の地元でお囃子の稽古をしているので顔を出したらと誘いました。
 早速彼は、先日の火曜日顔を出しました。稽古においでとは言いましたが、笛を吹く前に必ず挨拶をしっかりすること、そして太鼓をまず叩くこと、勿論正座で吹くことを条件と私からお願いしました。彼はそれをきっちりと守り、正座の足も最後まで崩すことなくずっと正座のままでいました。

 しかしながら残念な事は、今近所の別の人から習っているようですが、それでは以前と全く代わり映え無く、同じようにいつかは師匠から放り出されてしまいます。以前の師匠から比べたら、より遠州横須賀の笛調に近づいてきていますから、今の笛を吹くことは決して無駄にはならないと思います。以前書いた兄弟弟子と同じように、熱心で時間があれば笛を吹いています。だから、何とかしてあげたいとは思いますが、私にはどうすることも出来ません。

 彼は何気なしに私に、「どうしたら横須賀の祢里で吹けるようになりますか?」と訪ねましたが、いくらこの先彼が一生懸命稽古して上手い笛を吹けるようになっても、今のままでは可能性は残念ながら0%ですと答えるしかありません。
 私と違って彼はまだまだ若いし先はあります。「いつかは横須賀で吹きたい」という目標を持ち続け色々とこれから模索していくことが必要でしょう。その前に、一人前の彫刻師になるという夢も頑張って叶えなければなりません。とにかく、頑張ってとエールを送るしか私には出来ません。

 今時の若い子に珍しく、色気もなく本当にむさ苦しい男ですが、こんな男こそ「ねりきち」なんです。今後の彼の成長に期待したいと思っています。