笛吹奮闘記

遠州に春を告げる「三熊野神社大祭」。祭りを彩るお囃子は、静岡県無形文化財「三社祭礼囃子」。四十を過ぎた男の笛吹挑戦記!

半纏と法被

2006年05月05日 11時14分29秒 | Weblog
笛をはじめて1066日目。
 昨日は、庭の草刈りをするために、日の高いうちに帰宅,草刈りをした。その後、夕御飯が出来るまでに時間があり、午後7時前だったので、15分ほど外で吹いた。近所迷惑かも知れないけど、いつも部屋の中でばかり吹いているのでたまには外で吹くと、笛の音もまた違って聞こえ、また音を通すために、いつもよりすこし意識して強く吹くために、また違った稽古になります。祭りの時、遠くまで通った笛の音色を聞かせるためにも、時々外で吹くのは良いなと感じました。
 下手な時は、雑音で近所迷惑だけど、最近は少し聞けるようになったのでと思い、外で思い切り吹きました。お陰様で、近所からの苦情はありませんでした。

 半田・亀崎の「潮干祭」を見に行って勉強になった事が沢山あります。その一つのお話しをしたいと思います。仕事柄、秋の祭りシーズンになると、祭り装束の販売を行っております。いつも議論になるのが、「法被なのか半纏」なのか?ということ。私はずっと、「祭半纏」という言い方をしていますが、まだまだ「法被」という言い方が一般的に浸透しています。「半纏」というと、「綿入れ半纏」を想像してしまう人が多いようです。しかしながら、江戸町火消しを見ても、「印半纏」というように、「半纏」と言う方が正解と思います。

 それでは「法被」とは何だということになります。亀崎には、しっかりと「法被」と「半纏」がありました。タイトルの写真の方は、「法被」をきています。いわゆる着物の「羽織」と同じ様なもので、特徴は衿と、結び紐にあります。衿は羽織と同じ様に、後ろで二重に返ります。前身頃では、衿は外に向くようになり、羽織紐で結びます。また、袖も「袂(たもと)」が少しあり、筒袖ではありません。従って、法被の下にきている装束は、腹掛・股引出なく、着物を着ていました。海に入ると言うことからでしょうか、着物の裾はどの人も帯のところに挟み上げていました。
 また、山車につく若衆等は、揃いの半纏、亀崎では「組看袢(くみかんばん)」と呼んでいましたが、腹掛・股引に、手甲、脚絆を付け、黄色帯を締め、足元は白足袋で足袋裸足もしくは、わら草履を履いていました。

 また、山車運行の最高責任者は、拍子木を持ち、豪華の刺繍が施された真紅の火事羽織形態の看袢に、胸当、たっつけ袴の出で立ちでありました。

 さすがに、国指定重要無形民俗文化財に指定されてだけあって、祭り装束はきっちりと皆揃えられており、良くある「祭りだから、自分だけ人と違った格好したい」なんて事もなく、正に男粋を感じました。山車の海浜上げを見ていると、横で法被を着た古老が色々とお話しをしてくれました。「茶髪の男は一人もおらん」、正に昔ながらの伝統を守っていたのです。

 そして、遠州横須賀と同じで、白足袋に頭にはきっちりと、揃いの手拭いを誰もが締めていました。しかも、神社の前では「手拭い取れよ~」という声も聞かれ、本当に素晴らしい祭りであると思いました。