lien

日々触れる情報から様々なことを考え、その共有・一般化を図る

頭でっかちが良いとは言わないがバカや無関心の方がもっと良くないかもしれないし

2005-09-20 22:52:11 | 社会
大学発「ブランド品」花盛り、少子化でPRに躍起 (読売新聞) - goo ニュース


「2007年問題」と言えば、団塊の世代がまとめて定年を迎え始め、それによって労働力不足や退職金の急増による企業体力低下のみならず、企業からノウハウや技術が一気に失われる危険性があるって問題だが、「もう一つの2007年問題」とされるのが、『大学・短大の志願者数が、入学者数と一致する"大学全入時代"(文科省の試算によれば約69万9千人で一致するとされる)』の到来という問題である。

勿論、志願者数と入学者数が同じになることは、「大学進学を望む(主に)高校生全てが、一様に何もせずに希望する大学に入れる」ことを意味"しない"。
かつてのような学歴信仰が今ない、高度成長期の頃に比べればパラダイムシフトが起きているにしても、やっぱり人間は自分の所属であるとか持ち物であるとかに個性-ではなくちょっとした「他との差異」を求めたがるものである。(ここら辺の突っ込んだ話は主旨からは外れるのでエッセイの方にでも譲る)

だから「ブランド」や「格」という捉え方はそう簡単になくなるものでもなく、そのブランドや格を定める際の基準が変わりつつある・今後大きく変わるにしても、「イメージが良い・人気の高い大学」「それなりの大学」「全然ダメ、或いはそういう捉え方すら最初からされない大学」は必ず出てくるし、大学全入時代になってどうなるかというと、この三極分化の現象がよりはっきり出てくるだけだろう。

昨年、国公立大学も「一応」(*注1)法人化され、東大なんかは「経費削減で運営費交付金の一部を浮かせることができた」から昨年は50億強の黒字になったらしいが、ともかく、日本の全ての大学で生き残りをかけた競争が今後更に激しくなっていくのは間違いない。
最近は、コンビニ・ファーストフード店・書店などを誘致している大学も増えてきているようだ。「若者に馴染みの深い店」ってことで学生の需要もかなりあるらしく、大学側もテナント料頂けるから、店も大学も学生も皆にとって「オイシイ」ってことなんだが、これで本当にいいのかは正直分からない。
とりあえず経済のことだけ言うなら、大学の周囲の地元商店街なんかにとっては迷惑な話だ。私の卒業した大学も、昔っからちゃんと「学生のための、学生でもってるお店・商店街」はあったし今もある。「街」としての機能を考えれば、わざわざ構内に店を引き込むこともないとは思える。


そういう細かい話はともかく、大学改革は少なくとも数年前からは積極的に行われてはいるけれども、現状これで良くて未来が明るいのかと考えると、やはり悲観的にならざるを得ない。

サバイバルが激しくなる=競争原理がはたらくこと自体は悪いことではないにしても、そもそもなんでそうなっているかと言えば、少子化なんかかなり前から予測できていたことなのに大学を造り過ぎていたからである。大学を造り過ぎていたというのはすなわち、大学新設にあたって、文科大臣が容易に認可していた(学校教育法第4条による)ってことでもあり、実質的な諮問・審査機関の「大学設置・学校法人審議会」が(結果論的に言えば)余り機能していなかったってことでもある。

昨年度、入学定員割れになった私立大学は約3割、短大は約4割もあったそうで、データは探してないけれども、主要都市部と地方でどちらが定員割れ大学が多かったかを考えれば当然地方だろう。様々な失敗例がある地方の企業誘致と同じようなものだ。
無闇に大学造って、学生来ないからって無闇に留学生じゃんじゃん呼んで、日本の物価に付いていけないごく一部の留学生が、籍だけ大学に残して都市部に働きに行ってしまったりつい犯罪に手を染めたりなんてケースもあって(2001年の酒田短大の一件や2002年の大分での建設会社会長夫婦殺傷事件などは記憶に新しいところだ)、こんなでは「大学=最高学府」どころの騒ぎではない。

で、言うまでもなく、大学生自体の質の問題も避けては通れない。
大学生の学力低下については、6/8の記事でも触れたのだが、新聞・TV報道や大学教授の著書などを素直に受け取れば、少なくとも大学生の平均的な基礎学力は、程度はどうあれ落ちていることは疑いようがない。

私だって大学時代は文字通り「遊び呆けて」いたから彼らを非難する気はないが、実は口幅ったいことを言えば、入学前は、学問をする気は十分にあった。十分にあったのだが、元々志望していた学部に落ちたこと、真面目に取り組んでいたある一科目で単位を落としたこと、専門科目で難解で付いていけない科目が出てきたこと、ハマれる面白い遊びを見つけてしまったこと・・などの要因で、すんなり挫折してしまった。ただ、そうやってすんなり挫折してしまったけれども、それでも知的好奇心や、「知に対する畏れ・憧れ」や、その裏返しとしての自分の浅学さ・知的怠慢に対する羞恥心・コンプレックスはあったし、それは今も強くある。

彼らに問題があるとすれば、それらすらなかなか感じられない、つまり大学在学期間を就職するまでの単なるモラトリアムと捉え、学問とは何の縁もない行為に精を出すか、或いは「実用的」な資格の勉強に精を出すか、いずれにせよ即物的になりつつあるってことだ。
学問の中には、実社会・人類に本当に有益なフィードバックが間接的にでもなされているのか甚だ心許ない学問もあるし、それゆえに学問は高尚なもので云々とやるつもりもないが、現在の大学の多くが「何をしているのかよく分からない場所」になってしまっているのは確かだろう。

即物的になりつつある原因を考えれば、大学側が経営に手一杯で人件費にコストを割けず教員の質も低下・・という悪循環もあるんだろうが、初等教育の段階から親も学校も、「学ぶことの面白さ」や「当該知識を学ぶことの必要性」を教えないから、そのくせ基本的な識字能力や計算能力をしっかり身に付けさせていないから(最近は百マス計算なんてのも流行ってるようでこれはいい傾向だが)っていう根深い原因もある。

初等教育で習う基本的知識であれば「詰め込み」でも何も問題はないが、それが今は主に身の回りのトリビアルな「情報」に取って換わられている。「情報」を覚えただけでは何も生まれない。その情報から何を見出し何を考え何に役立てるのかが重要であるのは言うまでもない。
根深いというのはそういう意味で、学力低下が単に「そこまで教えていない」とか「勉強時間が足りない」だけならすぐに解決する話だが、そもそもの「学問的姿勢」が感じられないからこそ深刻な訳だ。


まぁ、今後大学が過当競争になれば自然に淘汰はされていくかもしれないし、数が「適正」になった後は、これまでの受験競争のように入るのを難しくするんじゃなくて出るのを難していけば、ある程度何とかなるのかな、とも思うけれども。
大学受験、プラス中学受験までやって、エネルギー使い果たして挫折した私のような人間の例も増やしちゃいかんですしね(苦笑)


*注:
(1)
「一応」と表現したのは、確かにこれまで文科省の組織の一部だった国立大学は組織から独立したのだが、研究や教育で優れた取り組みに対して重点的に配分される「特別教育研究経費」や「運営費交付金」は国から支給されるし、国が経営評価を行う部分もまだあるからである。
「特別教育研究経費」は各大学の自助努力が必要だからいいんじゃないのとは言えそうだが、国がこうした公募型事業を増やして大学間で競争させて資金配分するってことは、やっぱり国公立大学に対して国の影響力が強く残るってことでもあるし、様々な利権も絡みそうだからちょっとキナ臭い話なんではある。

コメントを投稿