お月様が公転している

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真面目すぎるのだろうか

2021-03-06 13:52:00 | 日記

自動車の免許をとってまもなく2年。

しかし未だ車を持っていなくて、家族の車をたまに運転するだけです。なので未だに運転に余裕がなく慣れません。駐車は超ド下手です。

車を運転するにあたっていつも思うことがあります。

「私は法律を破らなければならないのか」

法定速度を忠実に守っている人は世の中にどれほどいるのだろうか。
教習所の先生がおっしゃった話を忘れられません。「これは本当に申し訳ない。これから免許をとる君たちは道路交通法を学ぶ一方、今現在免許をもって運転している大人の多くがそれを守れていない。勝手ながら申し訳ない」と。
私は「まったくだな」と思いました。

何故、法律を守って真面目に運転している者が煽られたり注意されなければならないのだろう。

***

教習所に通っていたときの頃。
高速教習の後、戻りは一般道を運転していました。
平日だったため、お仕事中のトラックが多く走っていました。

私は速度を守って走行していたのですが、先生に「ごめん。もうちょいスピード出してあげて」と言われました。
トラック運転手さんからしたら生活がかかっているので、ちんたら走られたらたまったもんじゃないでしょう。理解はできます。
しかし、私のなかで矛盾が深まるばかりでした。

***

車の運転が上手な知人が言いました。
「法律通りに運転したら逆に事故が起きる」

速度制限が50のところでその通り50で走っていたときのこと。
私の前を走っている人は50以上で走行していたので、車間距離には余裕がありました。
知人には「もう少しスピードを出して前の車についていったほうがいい」と言われました。
そうでなければわき道から車が急に無理やり入ってきたりして事故のリスクがあがるからだ、とのことです。

確かに言ってることには納得できます。
でも、そのために私が法定速度を破らなければならないのか?
多少スピードが出ていても警察は見てみぬふりをして、捕まることはないでしょうが、
私の中にある正しくありたい心は傷ついていく。

***

同乗者に言われました。
「なんで今の行かんかったん!?」

信号が赤に変わるかまだ変わらないか、という微妙な場面。
「ここの信号は青長いから行けるって」と同乗者に言われて行けるかなと思ってしまった私がいけないのですが、ある程度のスピードを保ったまま、交差点手前まで来たとき信号が変わり、私はブレーキを踏みました。
急ブレーキほどではないですが、強めにブレーキを踏んでしまいました。
バックミラーで後ろを見ると、後ろの車との距離が近く、下手すると突っ込まれたかもしれない。

「危ないやんか。なんで行ってしまわんかったんや」と怒られたのですが、まだ交差点に進入してはいなかったし、止まれたから止まったわけです。
確かに後ろの人にもびっくりさせて、危なかったのは事実。

しかし、私は思いました。
後ろの人がちゃんと車間距離開けとけば良いだけの話では?
私にくっついて信号行ってしまおうと思ってたんじゃないの?

もちろんもし事故が起きたら怪我をして痛いし車がへこむし裁判沙汰になったりして大変で、そんなことなら多少無理にでも行ってしまったほうが良い、という考えも納得できる。

そして私がもっと早くに止まろうと判断すればよかったわけですが、判断が遅れたとはいえ、信号が変わったから止まっただけ。
怒られるような悪いことはしてないのでは…

***

親が運転する車に乗っていて「この車遅い!」とか「今の行けるやろ!」とか子供の頃から聞いて育っていました。

今はその言葉が全て自分に向けられているように思えます。周囲の運転者にもそのように思われているかもしれないと想像すると、とてもしんどい。

私がゲームをしていると「なんかワケわからんな。よくそんなのできるな。絶対できんわー」と言われるのですが私からすれば車の運転のほうが「よくそんなのできるな」って思います。
ゲームで間違っても誰も死なない。
車は間違ったら誰かが死ぬんですよ。

皆がきちんとルールを守ればきっと事故は起きない。
皆が守らないから、守ってる人が危険を被る。

お笑いコンビのロザンの宇治原さんが、「ルールを守ってる人がカッコいい」はずなのに何故か「無茶な運転ができる人が運転上手でカッコいい」風潮があると以前言っていました。

ほんとにその通りだと思いましたが

私は真面目を通り越して変なんでしょうか。
うーん






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