福島ズボラーヌ

https://blog.goo.ne.jp/nekozora-f

大阪市福島区(並びにその周辺)をうろうろ徘徊。

中央電気倶楽部(2)新館

2013-04-19 | ・北区堂島・堂島浜ほか:風景・建築・史跡
素晴らしい近代建築である本館のお隣に白い建物があります。





表札を見ると、こちらにも「中央電気倶楽部」の文字。
倶楽部のHPを拝見したところ、昭和40年に竣工したものだそうです。



本館に比べるとインパクトが若干弱いのですが
タイル貼りの瀟洒な建物です。





学生時代の就職活動以来、ご縁のなかった中央電気倶楽部でしたが
その後、転職した先の企業でしばしば名前を聞くことになりました。
電機に関する会社だったので、会合などで上司がよく訪れていたのです。

ある日、出先の上司から
「忘れ物をしたので、中央電気倶楽部に届けてくれ。
 入り口で社名と要件を言ってくれたら、中に入れるから。」
との電話が入りました。
ラッキー!
憧れの中央電気倶楽部に入れる!

喜びいさんで、倶楽部に出かけたところ、
残念ながら上司は玄関を出たところで待っていました…。
「ほな、ご苦労さーん」
と忘れ物を手渡したところでお別れ。
せめて玄関ホールに入りたかったなぁ。

後日、入り口受付の女性に見学したいとお願いしたところ
やはり、一般人の入場は不可能とのことでした。
単に会員企業に勤務しているだけではダメなのです。
「上司の方に紹介していただくという方法もありますよ」
と教えてもらったのですが、
そんな個人的なことを上司に頼むのもなぁ…

そうこうしている間に私は大阪から離れることになりました。
忘れ物を届けに行った時に
「実はこの内部を見てたいので、ちょっといいですか?」
と上司にお願いして、見学させてもろたらよかったなぁ。

※「北区の風景・街並み

中央電気倶楽部(1)本館

2013-04-18 | ・北区堂島・堂島浜ほか:風景・建築・史跡
堂島のオフィス街にある近代建築。





いつ見ても格好いい表札。しびれる…(電気だけに)

中央電気倶楽部

wikipedia:中央電気倶楽部

大阪市北区:えぇとこガイド 中央電気倶楽部

本館の竣工は昭和5年。
HPの「倶楽部小史」のページに設立の由来として
創立は大正3年11月6日です。
当倶楽部は、明治45年東京中心の日本電気協会(東京)に反発した関西支部が、
大正2年分離独立し、日本の中央であるとして、大阪に「中央電気協会」を設立した。

とあります。
ああ、由来までもが格好いいではないですか。



内部には会議室や食堂のほか、ビリヤード室もあります。
大阪人の反骨精神と都会的なサロン文化の融合の結果生まれた
素晴らしい建物。





大阪市のHPでは、大阪倶楽部、綿業会館と並ぶ
大阪を代表する倶楽部建築のひとつと紹介されています。
綿業会館には残念ながらまだ行ったことはないのですが
大阪倶楽部には一度、イベントで中に入ったことがあります。
こちらも素晴らしい建物でした。



大阪と言えば、猥雑で庶民的なイメージですが
こうした豪華な倶楽部建築などに見られるような
都会的で洗練された文化もあるのだということを
世間の皆さんに是非知っていただきたいと思う。





学生時代、就職活動でここに訪れたのが、このビルとの最初の出会いでした。
訪問先企業の人事の方(東京から来阪)が、何度も
「本当に素晴らしい建物ですねぇ」と感嘆されていたことをよく覚えています。
残念ながら、その企業とはご縁がありませんでしたが…。

尚、こちらは会員制倶楽部ですので、部外者の立ち入りはできません。

中央電気倶楽部
住所:大阪市北区堂島浜2-1-25
竣工:昭和5年
構造:鉄骨鉄筋コンクリート造の地下一階地上四階建
設計:葛野建築事務所(葛野壮一郎)
施工:大林組

※「北区の風景・街並み

福島一丁目(3)

2013-04-17 | ・福島:風景・建築・史跡


梅田橋近く。



ここにも蔵がありました。
「富島運輸」という会社のもののようです。

富島運輸(トミジマアート)
美術品輸送の専門業者さんのようです。
HPによると、会社の設立は昭和31年とのこと。
この蔵はそれよりはるか前に建てられたものだと思います。



横から煉瓦壁が見えました。


※「福島区の風景・街並み

福島一丁目(2)

2013-04-16 | ・福島:風景・建築・史跡
二号線沿いにある人気パン店「VESTA」のすぐ近く。



ここにも石畳があります。
メンテナンスが行き届いているのか、とても状態が良いです。



石畳舗道の東側は駐車場になっていますが、西側には建物が並んでいます。





真ん中の建物(中谷商店)、いつも
「お医者さんみたいやなぁ」と思って見ています。
医院の建物ではなく、お医者さん(人間)の顔です。
上の部分は手術着のキャップ、二階の窓が眼鏡でシャッターの上部分はマスク。



※「福島区の風景・街並み

福島一丁目(1)

2013-04-15 | ・福島:風景・建築・史跡
「大大阪パノラマ地圖」(大正12年)に書かれた福島一丁目界隈。



画面右にある「大学病院」は「阪大病院(大阪大学医学部附属病院)」。
wikipediaによると、堂島浜通に移転したのは大正13年。
その後、1993年に現在地(吹田市)に移転。
跡地は「ほたるまち」になっています。
大学病院の左に流れているのは、蜆川。別名を曽根崎川、梅田川、福島川とも。

江戸時代は近郊農村だった福島区。
明治42年の「キタの大火」(天満焼け)で大きな被害をこうむりましたが
わずか15年ほどで、これだけ建物がびっしり建てこんでいます。
福島駅あたりは「古き佳き下町」と呼ばれますが
「下町」としての歴史が始まったのは、
大火の復興後のこの時期からではないかと思います。

現在は二号線沿いなどにビルが並んでいますが、そこから少し入ると
古い建物が点在する下町風情漂うエリアです。



コインパーキングになる前は何か建っていたんだろうけど
思い出せない…
長屋だったような気がするけど。







福島は市内中心部からも近いし、交通の便も良い。
(昔は国鉄以外にも市電が走っていました)
また近隣には大きな工場があったので
長屋には会社や工場にお勤めのサラリーマン家庭が
住んでいたのではないかと思います。





こんなところに空き地が。
私が子どもなら、ここで絶対遊ぶやろなぁ。





路地(ろおじ)をうろうろ歩くのが楽しい場所です。
ただカメラ片手に歩いていると、変な人と間違われないかちょっと心配。
そういうわけで、できるだけコギレイな格好で出かけるよう
気を付けています。

※「福島区の風景・街並み

堂島三丁目(1)

2013-04-14 | ・北区堂島・堂島浜ほか:風景・建築・史跡
淡路島地震から一日経ちました。
「報道ステーションSUNDAY」のトップニュースは
「浅田真央、引退を示唆?」でした。
てっきり、地震情報の続報やと思ってチャンネル合わせたのに。
東京の放送局にとっては、近畿地方の災害なんてそんな程度なんやなぁ…。



昔で言う所の、梅田橋のあたり。





その昔、梅田橋の近くに「編笠茶屋」と呼ばれる遊所があったそうです。
正確には浄祐寺の南側だったそうですが。

「wikipedia:編笠茶屋

ウィキペディアによると、「遊郭に入る際に顔を隠すための笠を貸し出す茶屋」とあります。
顔を隠さんならんほど恥ずかしいんやったら、行かんといたらええのに…
それはさておき、堂島にあった編笠茶屋の編笠とは、
お客さんが顔を隠すためのものではなく、お客さんの忘れ物。
「いつか取りに来るかも」と店頭に飾っておいたものの
結局誰も引き取りに来ず、お店の看板みたいになっていたようです。

近くには日本中の蔵屋敷があるし、曽根崎川の北岸は農村だし
お得意さんは地方から上阪したお侍さんなのか
それとも近隣の農家のおじさん達だったのか。

こちらの遊所の名物はきれいなお姉さんでも悲恋物語でもなく、雀鮨。

「語源辞典:雀寿司

雀寿司というと、鯛の身が敷き詰められた押し寿司というイメージだったのですが
それとは違い、小鯛をまるごと用いたものだそうです。
(昔は小鯛ではなく、他の魚だったみたいですが)

小さな魚のお腹の中にご飯を詰め込んだもので
ぷっくりと丸い形状が雀に似ていたから、雀寿司と呼ばれました。
三善貞司さんの著書には、
「福島あたりの古老は臨月の妊婦さんの様子を『雀鮨のようだ』と表現する」
とありました。
1980年代に出版された本で、取材したのはさらに前のことでしょうから
いつ頃の「古老」かは不明ですが、
明治生まれの人の話ではないでしょうか。

今の梅田橋には雀鮨のお店は見当たりませんが、
ここを発祥の地とする有名なお寿司屋さんがあります。

総本家 小鯛雀鮨 鮨萬 -江戸時代から、大阪すしの味を伝える すし萬-

すし萬のHPによると、1670年頃には雀鮨は福島の名物として知られていたそうです。

編笠茶屋の遊所、雀鮨のお店とも、今はこのあたりにはありません。
いつのタイミングで無くなったのか、よく分かりません。
遊郭については、明治時代に各地で整理されたので
そのタイミングかなと思います。
明治時代のキタの大火(天満焼け)でこの辺りは大きな被害を受けているので
この火事の前後で町の景色はがらっと変わったのではないかと思います。

さて、梅田橋と言えば、近松門左衛門。
今年四月の大阪公演の演目はこの梅田橋が登場する「心中天網島」。
北新地を舞台とする心中物語です。

国立文楽劇場4月文楽公演

西に見て朝夕渡るこの橋の天神橋はその昔菅丞相と申せし時
筑紫へ流され給ひしに君を慕ひて大宰府へたった一飛び梅田橋あと追ひ松の緑橋
別れを嘆き悲しみて後にこがるる桜橋 
今に話を聞渡る一首の歌の御威徳
かかる尊きあら神の氏子と生れし身をもちてそなたを殺し我も死ぬ


残念ながらゴールデンウィークにはもう公演が終わっているので
ちょっとフライングして帰省し、なんとか見に来たいなと思っています。
もちろん、幕間のお弁当は「すし萬」のおすしで。


※「北区の風景・街並み


文楽 「心中天網島」 河庄 1

海老江四丁目(5)

2013-04-13 | ・海老江:風景・建築・史跡
福島区の面積はわずか4.67km²。
2キロ四方くらいしかない、狭い区です。



中之島や梅田に近く、ビルが立ち並ぶ福島と
野田や海老江ののんびりした景色。
狭いところに多種多様な景色がぎっしり詰まった面白い区です。



海老江では、八坂神社や南桂寺のあたりが特に好きです。
南桂寺にホトトギスがいた頃、周辺のお店は見物客でにぎわったそうです。
そんなのどかな時代の空気がまだ残っているような気がします。



今朝(4/13)朝方の地震、ニュースを見てびっくりしました。
大阪市内のことはニュースで取り上げられていないので
詳しくは分からないのですが、被害等はなかったのでしょうか。

家族に電話したところ、みんな
「あの時のことを思い出した」と言っていました。
震災から18年経ちましたが、まだまだあの時のショックは忘れられません。
今回は発生した時間帯も似ていたし…

※「福島区の風景・街並み






海老江四丁目(4)

2013-04-12 | ・海老江:風景・建築・史跡
狭い道が迷路のように入り組んでいる中に、
古い長屋や蔵のあるお屋敷が次々に登場する魅惑の町、海老江。









蔵の白壁を追いかけるように迷路の中をくねくねと歩きました。
結果、建物のことはよう覚えてるんですが、
それらがどこらへんにあったのかはサッパリ思い出せません。

海老江四丁目に区分してますが、
中には六丁目あたりの建物も混じっているかも…


※「福島区の風景・街並み

海老江四丁目(3)

2013-04-11 | ・海老江:風景・建築・史跡
酒屋さんの近くにも蔵や古い建物が残っていました。



道幅が非常に狭いので、うまく写真が撮れない…
(どんな環境でも上手に撮れないんですけどね)



壁が真っ白だったので、比較的最近メンテナンスをされたのでしょうか。



私は建築について疎いのですが、
これが上方の商家に多いと言う表屋造なんかなぁ。
道に面した部分とその奥に双子のように建物が続いています。
入り口の格子も美しいです。

参考:京都町屋資料館 町屋の基礎知識


※「福島区の風景・街並み