私が書いている長編時代小説に、割と生々しく「銭」が登場する。かなり好い加減な金銭感覚なのだが、次のように考えている。
一両 = 四分 = 十六朱 = 四千文
一分 = 四朱 一朱 = 二百五十文
現在の円に換算して注釈を入れているのは、屋台の二八蕎麦の代金が元になっている。
蕎麦、あるいは上方の饂飩が十六文、これは落語などに登場する代価である。
蕎麦 = 四百円 として、一文は二十五円 故に、一両は 十万円
( 一文 = 25円 一朱 = 6250円 一分 = 25000円 )
根拠の蕎麦代を幾らに見るかによって、一両の価値が著しく変化するから、
如何に怪しげな価値かが伺えるだろう。
鷹塾の月並銭は、一応十六文に設定している。一ヶ月四百円を貰っていることになるが、払えない家の子供は無料であるし、源太の兄、三吉は鷹之助の助手という名目で逆に月百文払っている。
武士の子などが通う寺子屋では、束脩(そくしゅう)と呼ばれる入学金、謝儀、月並銭、その他諸々を合計すると、年十万円程度を納めることになる。
これから見れば、鷹塾は「ごっこ」の域を出ない。
一両 = 四分 = 十六朱 = 四千文
一分 = 四朱 一朱 = 二百五十文
現在の円に換算して注釈を入れているのは、屋台の二八蕎麦の代金が元になっている。
蕎麦、あるいは上方の饂飩が十六文、これは落語などに登場する代価である。
蕎麦 = 四百円 として、一文は二十五円 故に、一両は 十万円
( 一文 = 25円 一朱 = 6250円 一分 = 25000円 )
根拠の蕎麦代を幾らに見るかによって、一両の価値が著しく変化するから、
如何に怪しげな価値かが伺えるだろう。
鷹塾の月並銭は、一応十六文に設定している。一ヶ月四百円を貰っていることになるが、払えない家の子供は無料であるし、源太の兄、三吉は鷹之助の助手という名目で逆に月百文払っている。
武士の子などが通う寺子屋では、束脩(そくしゅう)と呼ばれる入学金、謝儀、月並銭、その他諸々を合計すると、年十万円程度を納めることになる。
これから見れば、鷹塾は「ごっこ」の域を出ない。