神谷ネコ丸がおくる暇人日記

発達障害&ひきこもり&起立性調節障害を持つ高校生が、色々言うてます

#37 ビビり転生者は幸不幸の狭間で葛藤を~愛は彼らを救う~

2018-11-17 11:53:55 | ビビり転生者は幸不幸の狭間で葛藤を~愛は彼らを救う~
元の小説は「小説家になろう」にて連載中。
https://ncode.syosetu.com/n8771eu/


前回のお話はこちら。
https://blog.goo.ne.jp/nekomaru14/e/9261c52dc26842af6ca7d705c86e13ed

#1の記事はこちら。
https://blog.goo.ne.jp/nekomaru14/e/e9c7b8c249a7ede51228b3129ba64778

キャラメーカーによるキャラクターのイメージ画像集はこちら。ネタバレ注意!!
https://blog.goo.ne.jp/nekomaru14/e/ed15c8a663b710b6e3f51cbcda3aac14



161,アイザックは嗤う



「さぁ、地獄の始まりだ。」
刀を右手に、大軍を眼前に、地面を蹴る。
まずは前線にいる敵の足元を拘束するように、流れゆく景色のなか強くイメージ。
そして左足を前に出した瞬間に。
一気に凍らせる。
驚愕の表情と共に、大半の敵が、意識を私たちから足元の氷へ。
敵を目の前によそ見とはなと口角をあげながら、早速響き渡る爆発音を小耳に、左手で素早くサブマシンガンを持ち。
右で敵の首や胴を斬りつけながら、左でトリガーを引いてゆく。
血が舞い上がり、殺したものから氷は蒸発し。
左手から伝う銃の振動も、ただただ笑みの糧にし。
少し笑い声を漏らしながら、全ての冷気が戻ってきた時。
案の定四方八方から。
だが落ち着いて。
先程と同じく、足元を。
イメージ、からのすぐに発動。
小気味よい音が鳴り響き、私を中心に。
また意識が氷に向く奴らに嗤いながら、悠々自適にサブマシンガンの弾をかえ。
ゆっくりと、眼前の敵に照準を合わせる。
既に自分のペースで暴れまわっている彼らを背景に。
トリガーを引く。
そしてヘッドショット。
次、左。
ヘッドショット。
次、更に左。
ヘッドショット。
次、更に更に左。
ヘッドショット。
次、更に更に更に左。
ヘッドショット。
頭から血の華を咲かせて。
手も足もでない状況で。
全ての光景が、スローモーションに見える。
血が蒼空を舞い、崩れ落ちると共に氷の支えはなくなり。
からんころんと武器の軽い音を響かせながら。
がしゃりぐしゃりと防具の重たい音を響かせながら。
最後にはどさりと、鈍い音を響かせながら。
そして、最後の一人を殺し終えた時、スローモーションは消えた。
冷気も戻り、右手に血の滴る刀を持ちながら、左手で銃を構えて。
ゆっくりと歩きだす。
血の流れだす草原のなか。
ゆっくりと歩きだす。
悲鳴。
呻き声。
怒声。
雄叫び。
叫び声。
弓のしなる音。
刀のぶつかる音。
木の折れる音。
炎の音。
氷の音。
水の音。
雷の音。
様々な音と匂いが、私を刺激する。
特に、悲鳴だ。
もっと泣き叫べ。
もっとすがりつけ。
私たちは容赦を知らない。
刀で攻撃を防ぎつつ、左からの敵をヘッドショットで次々にうちのめしてゆく。
私たちは加減を知らない。
顔は正面に向けたまま、ただ気配だけを頼りに、ただ聴覚だけを頼りに。
私たちは普通を知らない。
氷も時たま使いつつ、歩きながら、次から次へと。
私たちは正常を知らない。
何人殺したんだろう。
解らない。
ただ、殆ど意識もなく。
説明するのも面倒なくらい。
撃って弾いて防いで斬って貫いて。
殺す音。
殺す音。
殺す音……。
自分は一体、何を殺してるんだ?
人間、なのは解る。
けど、それらに家族は……?
脚がとまる。
そもそも、同じヒーローだっただろ……?
黒いブーツに、赤が混じって。
どうして、殺してるんだ……?
誰かが私の名を呼ぶ。
なんで、なんで、罪のない者を……。
こんなの、ただの殺人鬼だ……。
どんと、視界が揺れる。
だが、きんと甲高い音が流れ。
少し振り返る。
ああ、将軍のもつ魔術で確か、重量級甲冑の性能がそのままついていたなと思いつつ。
と、恐らく刺そうと突撃してきた敵の首が跳ね。
すぐさま、肩を一回叩かれる。
赤い布。
神獣化。
魔物。
そういえば、魔王は放置していていいのだろうか。
「小豆! 小豆?!」
狼狽した様子の声。
終戦後は、混乱するらしい。
軽く頬を叩かれる。
なんか、親みたい。
ああ、そういえば、私、母親だった。
レクシー、大丈夫かな。
「ちょっ……何でこんな時に!」
襲いかかってくる敵を、片手で。
左手は、私の頬に。
よくこうやって、触れてくれる人がいた気がする。
「一石二鳥……イバラの鉄壁!」
刀を地面に突き刺すと同時に、私とアイザックを囲むようにして、色のない炎が巻き上がる。
「小豆……小豆!」
両手で、頬辺りを掴まれ。
少し揺らされる。
既視感。
違う人なのに。
なんでかな。
自分のために、忘れてたのに。
なんでかな。
「ああもう……駄目だって。」
ぎゅっと、抱きしめられる。
なんでかな。
違う人、なのに。
凄い、既視感がある。
忘れてた、はず、なのに。
するりと、両手から刀と銃が零れ落ち。
それぞれの音を奏でて。
「ごめん……私……無理、かも……。」
視界がかすむ。
でも、訳が解らないまま、両腕を相手の背中へ。
「無理はしな……無理は、すんな……。他の奴らが、やってくれる。落ち着くまで待てばいい。」
聞き慣れた口調に、ぐっと眉間に皺を寄せる。
「もう、何もかも嫌だよ……。」
殺したいのに、殺したくない。
「そうだな。俺も嫌だよ……こんな、馬鹿げた戦……。例え終わったとしても、地獄は続く。嫌になって当たり前だ。」
どうすればいい。
「……ねぇ、私、何もしなくていい……? 戦が終わるまで……。」
したいのに、できない。
「ああ、何もすんな。俺が側にいる。俺が、お前の代わりに戦ってやる。」
「ごめん……ありがとう……イーサン……。」
「……ああ。」

暫くそのままで時間は過ぎ。
軽く背中を叩かれ。
ふっと、眼を開ける。
透明な炎はない。
ただ、それぞれ返り血を浴びたみんなが。
ゆっくりと、アイザックから離れ。
「ごめん……なさい……。」
深く頭を下げる。
戦場でこんなこと、許される訳がない。
怒られるに決まってる。
そう、なぜか歯を食いしばる。
「……無理しない方がいいよ。」
フィリップの優しい声音。
と、背中に手が置かれ。
「ああ、九条さんも一人の女人だ。家族のこともあるなかで、戦に専念できる訳がない。」
カルロスさんも、優しい声音で。
本当にそう思っているのか、疑心暗鬼は募るが、恐る恐る顔をあげ。
すみませんと小さく謝る。
が、また背中を軽く叩かれ。
上目遣いに見ると、二人とも笑みを浮かべて。
刹那。
一人の怒鳴り声が轟き。
カルロスさんが、過剰に反応を示し。
えっと振り返った時。
一つの人影を捉えた時。
私の左から、アイザックが飛び出し。
続いて、カルロスさんも。
何だと眉間に皺を寄せる。
と、クソジジイという怒鳴り声が反響し。
少し離れたところで、二対一の攻防戦が。
魔術は使っていないのか、刀の甲高い声が響き渡る。
兄弟二人がすぐさま反応し、アイザックが大きく吠えた。
それだけで、見当はつく。
あの人影は、二人の父親。
アイザックを苦しめたクズな父親。
と、また視界がスローモーションになり。
その父親の白刃が、アイザックの首に。
嘘だと、反射的に脚を踏みだす。
やめろと大きく叫びながら、左手を向けて。
カルロスさんも反応を示すが、どうやら相手は二刀流らしい。
軽々と刀で遮られ。
またやめろと叫びながら、ただ躍起になって。

気が付いた時には、自分は、アイザックと父親の間に。
間一髪で盾をつくったお陰。
舌打ちをかます相手は、渋々刀をどけ。
すぐさま盾を戻す。
「……息子に、謝ること、あるでしょう。」
震える声を振り絞り、睨みつける。
と、ややあって、両手の刀をおろし。
カルロスさんも、少し呆けた面持ちで。
「謝ること? 例えば?」
低く冷たい声に、眉間に皺を寄せる。
「忘れたんですか……? アイザックの背中、切りつけましたよね……? あと、無理矢理性行為させたり、とか……。」
と、何がおかしいのか、矢庭に嗤いだす。
「ハハハハ、勇者様にまで話したのかお前は! 勇者様と婚約を結べなかった落ちこぼれ風情がなに──」
「落ちこぼれにさせた原因、お前だろ……。」
ぐっと身を乗りだす。
笑い声も何もかもぴたりと止み、ややあって見下した黄色い瞳が向けられる。
「ふん。ホワイト家に嫁いだ人間が、何を偉そうなことを。アイザックが婚約し、子も産んでいれば、こうなるはずはなかった。」
「……前々から思ってたんだが……お前、転生者のこと、何にも学んでないだろ……。」
不動明王の化身のことは知らずとも、せめて転生者の秘密ぐらいは知っているはずだ。
それなのに、まるで解っていないかのような口振り。
また下から睨みつけながら、少し驚きの色を見せる相手を待つ。
ややあって。
「転生者のこと、だと?」
呆けた声に、深く溜息を吐き。
簡単に説明を始める。
転生者は不幸な人間のためにも生まれる。
だから、イーサンと婚約を結ぶまでの流れは、絶対に逆らえないもの。
また、本来転生者は子どもを産めない。
受精卵ができない。
できたとしても、すぐに死ぬか、奇形になるか。
だが私の場合は、天照大神のお力によって、健康的で元気な娘を産んだ。
神の子と言われているが、私とイーサンの遺伝子がなければ、確実に産まれてはこない。
だから、私たちの子どもに変わりはないし、もうアイザックとも何回かやっている。
それでも妊娠はしない。
もしアイザックと婚約を結んだとしても、子どもは産めない。
そもそも運命的におかしいし、何より、私はアイザックにとって、お姉さんの代わり。
その運命的な、不幸な人間の一人。
私が姉のような存在になることに、逆らうことはできない。
「全て神仏の……いや、天照大神様の慈悲なんだよ。」
解ったかと、ぐっと睨みつける。
案の定呆けた面持ちを見せる父親。
カルロスさんも、少しそうだったのかと言うような面持ちだが、そこまでの油断はない。
「お前の望む肉体関係は、既にあるんだよ。けどもうできないし、子どもを産むのは、嫁であるエマの役割だ。というか、私と肉体関係を結んだ理由も、突き詰めれば全部お前のせいだろ。何もかも、お前のせい。お姉さんが死んだのも、お前のせい。今活躍している侍も、殆どはお前の傘下に入ってる奴らの若い衆だ。今回の戦で、一体何人の侍が死んだ? 例え終戦を迎えたとしても、敵軍についたプロ連中は全員……切腹ものだろうな。元々数が少ない、限定された家の者しか活躍できない職種を、更に減らす……。解るか? 国全体にも負担がかかるし、何よりそのお家が潰れる。お前のせいで、な。」
最後に鼻で嗤い、その狼狽した様子の面持ちを見つめる。
ここで謝るか、はたまた命乞いをするか。
それとも、発狂する、か。
どちらにせよ、私はアイザックを守り、こうして口答えするしか、抵抗する方法はない。
直接手を下すのは、ここにいる兄弟だからだ。
刹那。
瞬きをするあいだに。
眼前に二つの刃先。
背中を伝う温もり。
自分の首の前に、一本の白刃。
ぎちりと、刃同士の音が鳴る。
「小豆はやらせない……。イーサン君が帰ってくるまで、ボクが護る……。」
近くで鳴る声に、父親を見据える。
うなだれ、影になった顔。
黄色い瞳だけは、こちらに。
その異様な眼差しに内心怯えつつも、睨み返す。
「父上……アイザックにも九条さんにも、謝る気はないんですか。」
父親の後ろから、刃先を向けて。
「俺と妹は、まだ優秀だと言われて大切に育てられてきた。だが、アイザックは本当であれば、俺たちなんかよりも、ずっとずっと優秀で優しい子のはずだ。自慢の弟だ。正直俺は、アイザックだけでも、ホワイト家の養子として離したかった。こんな汚いお家なんかより、綺麗で、暖かみのあるお家に。皮肉な話だ。グレイと、ホワイト。灰色と、白色。その名の通り、グレイ家の当主は、グレーな場所を渡ってきた。いや、ブラックな場所も時には渡ったか。どちらにせよ、父上、貴方は名に恥じぬ行いをしてきましたよ。ですから、侍らしく、潔く、この場で命を絶ちましょう。」
なぁ? アイザック、と低く名を呼び。
ややあって、そうだね、兄さんと、意味深長な声音で。
「もう、殺して忘れよう。こんな親父。母さんのことも知らない。あの人も、酷い人間だから。」
刹那。
きんと甲高い音が鳴り響いたかと思えば。
一枚の絵を飛ばして見たように、カルロスさんの刃が後ろから頭を貫き、アイザックの刃が前から胸を貫き。
兄弟と血の繋がる父親は、兄弟に見放され、更に貫かれ、ややあって、その場に倒れこんだ。




162,終わり



その日の夜。
グレイ家の当主である父親が殺されたため、女大将と同じく、戦力は更に減り。
ホカドウ街の大名に仕える人間が、夜な夜な一人で訪れ。
カルロスさんとアイザックに刃を向けられながら、羽織りをかけた私の前で。
土下座をしながら。
「せめて和睦だけでも! お願いします! もうこれ以上の戦はしたくありません!」
何度も何度も。
結局これだ。
結局、こうなる。
アイザックの密かな目的は達成できたし、私ももう耐えきれない。
だから、正直、私は嬉しい。
ただ、愚かな人間だなと、悲しくも思う。
最後まで殺せれば、中途半端なぶつ切り状態にはならないだろう。
だが、私はそれができない。
切腹するのを、遠目で見つめることしか。
「……解りました。明日の朝、将軍様に文を届けます。その返事に許すと書かれていれば、戦は終わるでしょう。ただ……貴方たち敵軍の者は、切腹から逃げられない。それだけは、覚悟を。」
そう言いおき、そそくさと踵を返す。
ありがとうございますと言う声を背景に、アーロンにハチベエさんに伝えておいてくれと言い。
軽く溜息を吐いた。
約一ヶ月間の戦争。
長いのか、短いのか。
どちらにせよ、四人に関する情報は、一向に入ってこない。
治療は上手くいったのか。
生きているのか。
それだけが、頭のなかを回転する。
それしか、考えられない。
荒唐無稽な流れであろうと、私にはそれしか、ない。

いつも通りに部屋に戻り。
程々にいい時間になった時。
案の定、誘われ。
父親を殺せたこと、そしてこれ以上の血を流さずに終戦を迎えそうな状況になったこと、そして、無気力な私を癒すために。
口付けを交わしながら、相手に合わせて、上を脱ぎ。
ただ、全てを本能に任せて。
何も、考えないで。

@@@

将軍からの返事は、YES。
すぐに敵軍についた人間は、一般人以外全員切腹、という条件つきで。
予想通りの返事に文をハチベエさんに返しつつ、どうするかと腕を組んだ。
刹那、とんと、城の玄関口に矢が突き刺さり。
一瞬警戒を見せるものの、そこに一つの文が。
近くにいたエヴァンが拾い、軽く眼を通す。
と、少し驚くような面持ちを見せて、ぎこちなく顔をあげる。
「イ、イーサン・ホワイト、エマ・グレイ、アルバニア・ジョンソン、ギアナ・ミラー……全員、完全回復……。」
シロと銅香の本名と思しき名前よりも、完全回復という単語に、ふっと眼を丸くする。
「え、えっと……何でも、イーサン・ホワイトには不動明王が、エマ・グレイには千手観音が、アルバニア・ジョンソンにはウカノミタマが、ギアナ・ミラーには天照大神が……それぞれの身体の上に、現れて……それで……。」
「完全回復、させた……?」
驚きのあまり、眉間に皺を寄せながら、そう呟く。
うんとぎこちなく肯くエヴァン。
そういえばと、暴走した時に来てくれた不動明王の台詞を思い出す。
我々も、力を溜めている、とか何とか、そんなニュアンスの。
まさか、四人を元に戻すために?
刹那。
『上手く行ったかのう? お主の旦那、本当は凄い優しい人間だったんだな。』
けたけたと笑う、女性の声。
ウカノミタマ様……。
『……うん。これも我々の仕事じゃ。こっちの都合だけで御霊を呼び起こすような無礼者ばかり。その分、これ以上の不幸は呼びたくない。天照大神様も、赤子を産めるように走り回った時以来よと、笑っておられた。』
あ、ありがとうございます……。
そう、脳内で返事を返し。
べたりとその場に座りこむ。
完全、回復。
本当なのだろうかと、疑いたくなるくらいに。
と、アーロンが静かにやってき。
「精神病棟に行こう。」
渋く落ち着く声で。
三人のことも気になるが、今はイーサンに会いたい。
うんと小さく肯き、襦袢に羽織りを着たまま、いつも通りに大きくなったアーロンの背に跨がった。

暫く走り、いつも通りに病棟前で。
敵はもう来ないと解っているため、アーロンも一緒になかに入り。
ルイーズ・ホワイトですと受付に告げる。
と、普通の部屋にいると案内され。
看護師の背を、追う。
高鳴る気持ちに少し息を吐き、ややあって、止まった看護師に視線をやり。
「この部屋にいらっしゃいます。」
柔和に微笑む看護師に、無言で会釈を返し。
ゆっくりと、指された部屋の前に行き。
そのとってを見つめ。
右手をかける。
いつも通り。
いつも通りがいい。
そう、引き戸を、開ける。
と共に、顔をあげ。
視界に。
柔和な微笑みを見せるイーサンを捉え。
子どものように、わっと抱きつく。
「お前……力つえぇよ……。」
苦笑を漏らすイーサンに、だってと泣きながら。
やっぱり違う。
少し筋肉質すぎる身体が、懐かしい。
と、ややあって、背中に感覚が走り。
「心配ばっかかけたな。けど……もう大丈夫だ。」
逆に、ぎゅっと抱きしめられる。
エマたちも治してくれたと、嗚咽混じりに言うと、そりゃ良かったなと優しい声音で返され。
ややあって。
「やっぱお前……アイザックと何かあっただろ?」
少し肩を押され、涙を拭きながら離れる。
僅かにある脳闘の模様は、確かに右頬に。
それにしても、随分と柔らかい面持ちに、軽く小首を傾げた。
「まだすんだよ、アイツの匂いが。」
ああと、思わず声を漏らし。
眼を丸くする。
だが、柔らかい雰囲気は変わらず。
「何でもいい。なにかあるんなら、教えてくれ。」
な? と親指で頬を拭われ。
眼を伏せる。
アイザックと肉体関係になっている、とはすぐに言えず。
うんとと色々と悩みながら。
ややあって、上目遣いに見つめ。
あれこれと説明しながら、ぎこちなく打ち明け。
最後に、昨日もやったと、また眼を伏せた。
殴られるくらい、覚悟はしている。
早く、何か言ってくれと、歯を強く食いしばり。
眼を瞑る。
が。
「そうか……いや、俺は、何も言わねぇよ。ただ……アイツ女たらしだから、物足りないって感じるかもな。」
微苦笑混じりの声に、へっと呆けた声を出しながら、顔をあげる。
相変わらずの笑み。
「ほ、本当に……? 許してくれるの……?」
赤い双眸を見つめる。
「ああ。責める理由がねぇだろ。」
少し肯く。
「そ、そう……。」
視線を外す。
「……早く帰ろう。な?」
軽く頭を叩かれ。
「ごめん……家、焼かれちゃったから……。」
そのまま止まる。
「……仕方ねぇよ。また新しい家でも建てりゃいい。取り敢えず、城に戻ればいいんだろ?」
ほらと、促される。
ごめんとまた呟きながら、ふらふらと立ち上がり。
鼻を啜りながら。
襦袢に羽織りって、寒くねぇのかと至って普通に言われ。
別にと、涙を拭う。
アーロンがいるから、このまま城まで帰ると、顔をあげ。
解ったと肯くその微笑みを見つめる。
と、荷物が少しあるからと、動きだし。
じゃあ、部屋の前で待ってると言いおいて、廊下に出た。
扉の横で座りこむアーロンに視線をやり、後ろ手に扉を閉めながら、軽く告げ。
ああと肯いたのを確認し、視線を外し。
その横に行き、壁にもたれかかる。
いい方向には行っている。
が、問題が多すぎる。
家のこと、政治のこと、国のこと。
他にも色々と細かく。
アイザックの言うとおり、一番忙しい立場になるだろう。
イーサンが元に戻ってくれただけ、みんなが元に戻ってくれただけ、まだ運が良いほう、というより、神仏が運に抵抗してくれたお陰だ。
本来であれば、三人は死か、植物人間か。
イーサンは、治療が失敗して……。
いや駄目だ。
今ある事実に眼を向けよう。
そう、深く溜息を吐いた時。
「待たせた。」
約一ヶ月間ぶりの声に、顔をあげた。

@@@

互いに抱き合ってうるさく泣き叫ぶグレイ夫婦に呆れつつ、カルロスさんとエヴァンをイーサンに紹介し。
シロと銅香にも、あれこれと忙しく説明し。
シロの本名が、アルバニア・ジョンソン。
銅香の本名が、ギアナ・ミラーということを確認しつつ、また無気力に戻りつつある自分に溜息を吐き、ハチベエさんと今後のことについて話し合い。
何とも言えない喧騒のまま、いつもの部屋に敷かれた布団に倒れ込み。
左の部屋から聞こえてくる、二人の喧しい声に苦笑いを漏らしつつ、イーサンを一瞥し。
深く重たい安堵感を味わいながら、いつも通りに、何となく眠りについた。

翌朝。
一般人が帰ってくる前に、死体や血痕、武器、破損した物の掃除をすることに。
無論、完全回復した四人も加わり、忙しく、然し効率よく片付けていき。
途中イーサンに、少し雰囲気変わった? と言われ、ああと腰に手をやりながら暴走のことを伝え。
そうかと苦笑混じりに返されつつも、早く終わらせるぞと仕事に取りかかり。
やっとこさ終わった時には、昼過ぎに。
城の玄関口にある椅子に腰掛け、水を飲みながら会話をするアイザックとイーサンを何となく見つめ。
本当に許してくれてるのかと、視線を外そうとした時。
わっと後ろから肩を組まれ。
驚いて右を見ると、にっと笑顔を見せるエマが。
なんだよ、びっくりさせるなと苦笑を漏らしつつ、同じように右腕を肩に回し。
また胸デカくなったんじゃないのーとからかうように言うエマに、錯覚だと笑って返す。
と、案の定少し驚くエマに、先程と同じく、暴走のことを告げ。
エロいこと言っても、面白い反応は返ってこないぞ、竹で出来た水筒を呷る。
なーんだ、面白くないのと少し膨れるエマを一瞥し。
まぁ、何か色々変わったなと、眼を伏せる。
戦争。
これが乱になるか、変になるか。
乱で収まってくれればいいが、あの麿様のことだから、もしかしたら変えてしまうかも知れない。
次の将軍を。
次の政を。
そうなれば、この戦は、変になる。
首都の変、とかか。
何かダサいなと思いつつ、何となくお似合いなハチベエさんと銅香を一瞥し、フィリップとシロに話しかける二人のところまで行き。
適当に会話に加わりながら、やっとこさ作業から戻ってきたカルロスさんとアーロンに視線をやり、賑やかに、平和に、時間を過ごした。



163,帰宅



その日の夕方頃。
家ができるまで、グリッド寺院の宿で過ごすことになり。
一般人や医者、警鳥隊たちが、将軍側についたプロたちに護衛されながら、帰ってきた。
家を焼かれ、着物の類もなくなった私は、エマから少し小さめの着物を借り。
イーサンはアイザックから借り。
武器も持たず、全員で門に続く大通りに並ぶ。
見えてくる何台かの馬車。
その先頭は、麿様とその娘である姫様。
早速ハチベエさんに手をとられながら、姫様が降りてくる。
一回遠くで見た程度だが、姫様らしい豪華な赤い着物に身を包んでおり、黒く長い髪を腰まで伸ばしており、赤黒い瞳は大きく、如何にも清楚でおしとやかな美人といった感じである。
無論、全員深く頭を下げ。
鈴の鳴る音を小耳に。
ややあって、私の前で、音がとまる。
「お顔を。」
小さく、静かに鳴る鈴声に、はっと短く返事を返しながら、ゆっくりと顔をあげる。
私よりも低い姫様に、手を後ろに組んだまま。
「姫様、無事ご──」
「わたくしは姫ではありません。今日から、第二十六代目将軍、徳川千と、名を改めます。」
えっと眼を丸くし、その赤黒い大きな瞳を見つめかえす。
だが、私たちの驚きも余所に。
「この国にいらっしゃる転生者様は、全て日本国という、とてもよく似たお国からの来訪ばかりです。貴方様も、先代である佐藤様も、日本名をお持ち。ですから、わたくし、日本国について学びました。父上、麿様と呼ばれていらっしゃる父上から、わたくしが次代将軍として国を支えるように言われ、どうせならと、日本国の将軍となっていらっしゃった徳川様からお名前を拝借しました。千姫という、徳川家のご息女もいらっしゃったので、僭越ながら、千という名を。」
と、ゆっくりと頭を下げる姫……将軍様。
小さく鳴る鈴の音に、何とも言えない驚きを噛みしめながら。
またゆっくりとした動作で顔をあげる将軍様を、眼で追う。
「年号なども、全て変更致します。新時代、とも言うべきでしょうか。もし、民の不満が募り、父上が非難された時、いつでも腹を切れるようにと、わたくしに将軍の座を。まだまだ未熟なわたくし。政など解りませんし、ハチベエ殿やその他の重臣に頼る他ないのですが……いいお国を目指して、頑張っていく所存です。」
そう、最後に少し微笑みを見せ、ハチベエさんに促されるがまま、また馬車に乗り。
慌てて道の端にはけ、深く頭を下げる。
蹄と車輪の音を小耳に、少し上目遣いに馬車を見る。
麿様も乗っているのか、はたまたオーカサに残っているのか。
どちらにせよ、姫様が将軍だなんて、大丈夫なのか。
重臣は前々からいるし、政に関しては問題ないだろう。
だが、女が将軍なんて、それこそ批判が集まる。
差別というか何というか。
然も、どこか暗い陰があったし、これはまた問題が増えたなと、溜息を吐いた。
と。
ママ、パパ、という、聞き慣れた声。
はっと顔をあげる。
駆け寄ってくる五人の子ども。
そして、牛の半獣人族に抱えられた赤ん坊と、アヴァとノア。
約一ヶ月。
短いように感じるが、いつも一緒に過ごしていた人間と離れ離れになるのは、例え一週間であろうと辛いもの。
おかえりと、その場にしゃがみこみ、アヤとサヤを受け止める。
ぐずぐずと泣き始める二人の頭をそれぞれ撫で、ごめんねと眼を伏せる。
戦争で離れ離れにさせてしまったうえに、家まで失ってしまった。
私たち大人はいいが、子どもたちにとっては、大分悲しい出来事だろう。
だが、きちんと何もかも話さなければ。
イーサンのことも、暴走のことも。
と、ややあって。
預かり人が柔和な微笑みを見せ。
少し鼻を啜りながら、ゆっくりと立ち上がり。
その腕に抱えられたレクシーを見つつ。
慌てずに、優しく受け取る。
約五ヶ月経ったレクシーは、更にしっかりとした赤ちゃんに。
好奇心があるのか、手を伸ばしてくるレクシーに笑いかけ。
「多分、離乳食を始めても大丈夫だと思いますー。あと、レクシーちゃんは好奇心旺盛なので、色々と外に出掛けてみたりして、活発的に動いてみましょー。」
預かり人のやんわりとした声音に顔をあげ、ありがとうございますと軽く会釈を返す。
いえいえーと言いながら、あれこれと少し会話を交わし。
じゃあまた何かあれば呼んでくださいと言って去っていく預かり人に、本当にありがとうございましたと、レクシーを抱えながら深く頭を下げ。
軽く溜息を吐きながら、顔をあげる。
と、アヴァがただいまと微笑みながら言ってくれ。
おかえりと、ノアに対しても。
ただいまですと柔和に返され、本当に良かったと、自然と口角があがる。
と。
銅香がやってき。
グリッド寺院の宿にそろそろ戻りましょうと、着物姿で。
お家はー? と言うアヤとサヤに、後で色々話すと頭を撫で、銅香の後に続いた。

@@@

テレビやタンスなどの必要最低限の家具があるなか、子どもとアヴァ、ノアに対し、あれこれと告げ。
最後に、これから大変なことになるかも知れないと言い、口を噤んだ。
早速、姫様……将軍様の慈悲により、ある程度の着物や、赤ん坊のためのグッズなどを貰ったため、レクシーは落ち着いており、溜息を吐きながら、反応を待った。
だが、特にこれと言って反応はなく。
ただ、ノアが一言。
「取り敢えず、みんな無事で良かったですよ。」
ね? と宥めるように言われ。
まぁそうだなと、無気力に返す。
と、アーロンが静かにやってき。
正座している私の脚に少し触れて、右横に丸まった。
あえて言葉を使わず。
あえて何も言わず。
アーロンも今まで大変だったなと、その頭に触れ。
自然と、いつも通りの流れに。
早速テレビを見始めるドングリーズの背を見つつ、脚を斜めにし。
少し欠伸を漏らす。
と、左に。
「俺もできる限り手伝う。絶対一人で背負いこむなよ。」
視線をやると、横目で一瞥をくれ。
な、と笑みを見せた。
黒に混じる何本かの白い筋。
精神病が根本からなくなった今は、髪色も相俟って、大分優しげだ。
ストイックな部分やサディスティックな部分が精神病故のものなら、程々に自分でやってくれるのだろうか。
レオナルドさんを見る限り、優しすぎるイクメン、か?
もしかしたら、アイザックよりも物腰柔らかな人間になっていたりなと、視線を外し。
久しぶりの静かな時間に、心を落ち着かせた。
暫くして、辺りも暗くなってきた時。
銅香が晩飯ができたと告げてくれ。
食堂の方で食べるかとドングリーズを促し、みなで移動し。
指されたところに行き、既に賑やかな食堂のなか、一つの長い座卓に。
相変わらず座椅子なのねと、よいしょと座りこむ。
と、後ろから。
「離乳食でもいいと言われて。」
口に合うか解らないけどと微笑む銅香から、器に入った粥を受け取り。
ありがとうとお礼を返し、早速スプーンに少しよそって、右腕に抱えたレクシーに近づける。
食べれるかー? と口に運んでみると、んまんまと口を動かし。
お、とタイミングよく、少し中に入れる。
と、んむんむと口を動かして、手で口元に触れ。
垂れてきている粥に気がつき、スプーンを置いて、その辺りにあるティッシュで軽く拭き取る。
暫く見つめていると、どうやら上手く食べれたようで、よだれでべたべたな手を伸ばしてき。
はいはいとその手も軽く拭きながら、先程と同じように。
暫くその繰り返し。
神の子だけあって、成長の速度は少し早いらしい。
アンタの母親、これから忙しくなるのになと思いつつ。
ややあって、レクシーも満足し。
既に食べ終わったイーサンに渡して、そそくさと無心になって食べ進め。
暫くして、私も食べ終わり。
風呂も大浴場があるのでと言う銅香に返事を返しつつ、そそくさと食堂をあとにし。
午後九時頃。
じゃあその大浴場に行くかと、男女で別れ。
先にレクシーをそそくさと洗い、脱衣場で寝かせ。
他の人もいるなか、アヴァと色々と話しながら、身体を洗い。
アヤとサヤに、よしじゃあ湯船に入るぞーと言い、わーいと駆けてゆく背中に微苦笑を浮かべつつ。
一番広い浴槽に入る二人に続いて、私もゆっくりとなかに入る。
が、アヴァだけ足湯で。
のぼせた? と小首を傾げると、ちょっとと苦笑を漏らして。
無理はすんなよと返し、一息吐く。
急展開、というか何というか。
色々と訳が分からない、まとまっていない出来事の連続に呆れつつも、取り敢えず終戦を迎えられたことに、安堵を覚えた。
取り敢えずみんな、元に戻ったんだ。
変わってしまった部分は多くあるが。
何も考えるな、と思うものの、何度も考えてしまう。
色々と、あれこれと。
だから駄目だってと自分に叱りつけるものの、何度も考えてしまう。
まぁ、仕方ないかと、軽く汗をかきつつ、溜息を吐いた。

@@@

いつも通りに風呂からあがり、歯磨きもし、布団もひき。
全員で川の字になりながら、早速布団に倒れ込む。
今日も疲れた。
家を最優先に、あとドングリーズの入学に関しても。
恐らく明日、将軍様から呼び出しがかかるだろう。
アイザックが言っていたとおり、プロの手綱は私が握ることになるのだろうか。
どちらにせよ、するべき事が山積みだ。
そう、溜息を吐き。
消される電気に合わせて、身体を横にし、布団に潜り込む。
左にはノアが、右にはイーサンが。
何となく右の方を向き、枕元にある手に、自分の左手を重ねる。
と、少し瞼が動き。
赤い瞳を見つめ、おやすみと口パクで言う。
同じく口パクで返してくれ、互いに手を握りながら、眼を瞑った。




164,現将軍様



翌日、案の定将軍様から呼ばれ。
黒い着物に羽織りをき、髪を下の方で一つ結びにし、レクシーを抱っこ紐に。
さっさと行って帰ってくると告げ、下駄を引っ掛け、足早に。
いつも以上に賑やかで喧騒に飲まれているなか、何もかもを無視して、一直線に城に向かう。
玄関口まで行くと、一人の重臣に促され。
二階の自室においでですと言いおき、そそくさと案内をはじめ。
少しぴりりとした空気を肌で感じながら、その背に続く。
暫く無言で階段をあがり、廊下を歩き。
一つの部屋の前で重臣がとまる。
勇者様のご到着ですと低く言い、襖を開け。
促されるがまま、頭を下げながらなかへ。
襦袢に身を包んだ将軍様の御前で正座をし、右手をレクシーの背にやりながら、左の拳を畳につけ、また頭を下げる。
「お顔を。」
控えめな声に、小さく返事を返し、ゆっくりと顔をあげる。
と、至って普通に近づいてき。
「赤ちゃん。お名前は?」
軽く覗き込む将軍様に、少し身体を斜めにし。
「レクシーと言います。旦那が考えてくれて。」
無礼ながらも、将軍様の左横に、すっとおさまる。
と、手を伸ばすレクシーに対し、細く白い指をやり。
「いいお名前。父上からお話は聞いていたのですが、想像以上に可愛らしい子。旦那様は、あのホワイト家の方?」
きゃっきゃと笑うレクシーから視線を外し、横目で右を見る。
綺麗な横顔に、どこか陰のある笑みを浮かべて。
「はい。案外子ども好きですよ。」
と、少し顔をあげて。
「わたくしも、小さい子は好きなのです。そういえば、今年六歳になるお子さんもいらっしゃるでしょう? 初歩学校には、やはり入学させるのですか?」
ことりと小首を傾げる。
笑みの消えた今は、陰のある面持ちのせいか、まるで人形のような冷たさと美しさがある。
根は優しいのだろう。
だが、将軍には、姫様には何かがある。
そう思いつつも、軽く肯く。
「一人、狩人になりたいって豪語している子がいまして、それもあって。ああ、あと、モンクか侍になりたいって言う子も。」
「それは、男の子? 女の子?」
「前者は男子で、後者は女子です。」
「まぁ、それは、親を見て憧れているのだわ。旦那様は狩人でしょう? だから男の子は父親に憧れて、女の子は強い貴方様に憧れているのです。」
「確かに。深く考えてなかったけど……モンクも侍も、私と似た職種だし……。」
「ええ。きっと、強くて立派な戦士になれます。その時、きちんと支援できるように、わたくしも頑張ります。」
また笑みを見せる将軍様に、私も精一杯御守りしますと笑みを返す。
と、ややあって。
急に暗い面持ちを見せると、神妙に。
「実は、提案したのです。戦闘許可のおりている戦士たちのまとめ役として、勇者様である貴方様を“最高軍事隊隊長”及び、“鬼神の総大将”に任命したい、と。勇者という名前も、“閻魔”に変え、勇者御一行ではなく、“鬼神一同”にしよう、とも。監獄や犯罪に関するレベルなど、何かしらが地獄や鬼神に例えられているのですから、勇者やプロたちもそれらに例えた方が、統一感がでるのでは、と。また、許可つき、と言われている人たちも、鬼神とすれば、纏まりが出てくるかと思いまして。」
なるほどと肯き、通ったんですかと小首を傾げる。
「……いえ、まだ。少し考えすぎというか、シンプルな方が、国民も解りやすいと言われて……。」
俯く横顔に、少し鼻で嗤う。
「いや、許可つきとかいう中途半端な名前よりも、幾分か解りやすいですし、何より犯罪防止になると思います。鬼神とか地獄とか、イメージ的に恐ろしいですし、寧ろ威圧感があった方がいいかと。警鳥隊もそうですが、マツ組も元任侠組なだけあって威圧感がありますし、その分、下手な犯罪は減ってるんじゃないですか?」
と、顔をあげ。
思いきってやっちゃいましょうと微笑みかける。
「は、はい、そうですね。では、もう一度話してみます。」
また、陰のある笑みを見せる。
「……あと、閻魔様のお家も、既に手配はしてあります。ですので、普通の二階建てのお家にするかどうかは、後日来るでしょう大工の方と、ご相談を。あ、あと……切腹させるのは嫌なのですが、父上からの命で、敵軍についた者は一般人以外切腹させることになりました……。その時の介錯人に、閻魔様と、あのお仲間のお侍様をと……。一応昔の作法はあるのですが、何せ数が多いので、身分関係なく次々とやると……。」
最後の方は俯きながら、嫌そうに言い。
血生臭い話は苦手なのかと思いつつ、解りましたと肯く。
「日時などはまだ決まっていないでしょう。それまでに伝えておきます。」
と、ありがとうございますと小さく呟き。
黙りこむ。
やはり、何かあるのだろうか。
身分の高い人間なのは変わりない。
だが。
「千姫様、何かありますよね?」
無理はなさらないでと、遠慮がちにその華奢な肩に手を置く。
と、少し顔をあげて。
「実はわたくし、怖いのです……。世間の声が、世間の眼が……。」
ああと、一回畳を見、もう一度、その綺麗な横顔を見つめ。
「大丈夫ですよ、千姫様。重臣の方々は何も言ってないでしょう? それに、堪えきれなくなったら、私を呼んでください。一緒に悪口でも言いましょう。ね。」
ややあって。
「ありがとうございます……。やっぱり、閻魔様は頼りになります……。」
少し顔をあげ。
またややあって。
「あ、あの、もし宜しければ……お茶でも? 少し、世間話がしたいのです。」
あら、将軍様がいいんですかと小首を傾げると、はいと肯き。
「やるべきことは、もう既に。あとは重臣からの言葉を待つだけ……。」
やはりまだわたくしが未熟だからと小さく呟き、取り繕うように慌てて顔をあげ、少しお待ちくださいと言いながら立ち上がり。
襖を開けてひょっこりと顔だけを出して、恐らく廊下にいるのであろう重臣に対し、何やら小声であれこれと告げ。
ややあって静かに帰ってくる。
先程と同じく座り込んだのを見届け、口角をあげた。
「あ、お時間、訊いてなかった……。」
あちゃというような面持ちを見せる千姫様に、大丈夫ですよと微笑みかける。
でも、赤ちゃんはと、ことりと小首を傾げる。
「大丈夫です。強い子ですから。」
なぁとレクシーに話しかけると、あうと嬉しそうに笑顔を見せてくれ。
千姫様が、何となく横にき。
「こんにちは、レクシーちゃん。」
細い指でレクシーの頬に触れる。
と、またきゃっきゃと笑い。
「元気な子。成長したら、どんな子になるのかしら。」
「多分、可愛い系の美人になると思います。」
「え? でも、お二人とも綺麗な顔立ちでしょう?」
「まぁ、確かにそうですけど……旦那の方、目つき悪いだけで、結構中性的な感じなんですよ。寧ろ、侍の方が綺麗系です。」
「え、そうだったんだ。性格とかで変わるのかな……。」
「ええ、多分。今は髪色も元に戻ってるので、余計に。侍のほうは……病気のせいで口元だけですけど。」
「病気……一応、鬼神一同に関する情報は早めに取り入れているの。まだ完璧じゃないけど……確か、神獣化の……?」
と、丁度声がかけられ。
お茶と茶菓子ですという控えめの声に、あっと立ち上がろうとする。
が、千姫様に遮られ。
わたくしの方が若いのですと言いながら、少し開けられた襖から、まずはお茶を運び。
ああすみませんと言いながら受け取り。
最後に茶菓子の乗った皿を持ってくると、よいしょと座り。
早速お茶を啜る。
ちょっとした、何気ない仕草。
それさえも一つの芸術品のようで、同性の私でも、ついつい見とれてしまう。
と、湯飲みを置き。
「その状態で飲めるかしら?」
宜しければ、何かお布団でもと言う千姫様に、いえとかぶりを振り。
ややあって、あっと愚考が過る。
「あ、あの、赤ちゃん、抱っこしてみますか?」
と、少し固まって。
い、いいのですか? と思った以上に興奮気味に。
ええまぁと言いながら抱っこ紐を外し、慣れた手つきでレクシーを抱え。
お茶と菓子を避けつつ、千姫様の横まで行き。
「髪とか、引っ張られてしまうかも。」
と恐る恐る横顔を見る。
が、視線はレクシーにやったまま。
「そんなの、気にしないわ。赤ちゃんは好奇心旺盛な生き物よ。」
じゃ、じゃあと、上手く千姫様にレクシーをやり。
ゆっくりと手を離す。
軽く抱っこの仕方を教えつつ、大丈夫かなとゆっくりと離れ。
元の位置に戻り、いただきますと小声で呟き、お茶を啜る。
少し苦味が強いが、不味いものではなく、寧ろ旨味として舌のうえを転がる。
熱さも丁度よく、お茶の風味も損なっていない。
これは旨いなと思いつつ、静かに置き。
顔をあげる。
「思ったよりも重たいのね。いつも抱っこ紐なの?」
レクシーのお陰か、幾分か明るい面持ちの千姫様に、ええと肯く。
「前までは片腕でも行けたんですけど、流石に長時間は。旦那は楽々と抱えられるんですけど……ちょっと私が特殊すぎて。」
微苦笑を漏らしつつ、頬を掻く。
「特殊?」
「ええ。力というか、筋力が安定してないんです。まぁ、詳しいことは曇葉さんに訊かないと解らないんですけど……とにかく、危機的状況になると筋力があがるのに、普段はあんまり。ただ、女性が丸太一歩軽々と運べる時点で大分アレですけど……。」
「そうなの。それは特殊だわ。あ、確か、旦那様は力をあげる魔術を持ってらしたでしょう。それと似たようなものかしら。」
「んー……まぁ、大雑把に言えば。あっちは元々が筋力あるので、破壊力がえげつないんですけどね。」
「そうね……旦那様はちらりと遠目で見た程度だけど、案外筋肉があるように見受けられました。あと、この前の。時間がなかったせいで、貴方様とだけでしたが、眼が惹かれるような方でした。いつかしっかりとお話したいのですが……何せわたくしが女だからか、男性をお招きすることができなくて……重臣以外は……。」
また暗い色を見せる千姫様に、少し苦笑を漏らし。
「宜しければ、私が引っ張ってきますよ。流石に嫁の前でおかしな事はしないでしょう。それに、あの人は基本的に女の人に興味がないから。」
と、驚くように少し眼を見開いて。
「本当? 旦那様、堅物そうでしょう? 大丈夫かしら。」
「今は色々あって性格が変わってるんです。大丈夫ですよ。」
だから、連れてきますよと微笑みかける。
「まぁ、ありがとうございます。閻魔様、思った以上にお優しい方……。こんないい母上に大切にされて……きっと、凄くいい子になるわ。唯一無二の子よ。」
レクシーに笑いかける千姫様。
神の子と、人形のように美しい現将軍。
何ともいえない組み合わせに、静かに茶菓子を頬張り。
静かに時間を過ごす。
途中、レクシーが泣きはじめ、千姫様が慌てだし、はいはいといつも通りに受け取って、試しに乳をやり。
すっと落ち着いたのを見届けつつ、流石は母上と感心する千姫様に笑みを漏らし。
また静かに。
レクシーも落ち着き、また抱っこ紐をつけながら、適当に世間話を続け。
結局夕方頃まで。
すみません、こんなにと何度も頭をさげる千姫様に、いえいえとかぶりを振り。
お詫びに茶菓子をどうぞと言われつつ、いいのにと思いつつ、ありがとうございますと紙袋を受け取り。
じゃあまた、いつでもお呼びくださいと最後に頭を下げ、帰路についた。



165,己の腹をきれ



ごめん、遅れたと言いつつ、また平和に時間は過ぎ。
翌朝。
銅香が忙しくやってき、閻魔などの名称の変更、そして軍事隊隊長及び鬼神の総大将任命がすぐさま決定され、憲法改正もすぐさまやると告げてくれた。
そして、今日、急遽切腹を始めると。
まだアイザックに話してないぞと言うと、国の方から話は行き、すぐさま了解と返ってきたらしい。
また私を置いてけぼりに話は早く進む。
じゃあレクシーのために預かり人を呼んでくれと言いおき、銅香に促されるがまま、城に向かった。
切腹は城の前でやるらしく、既にいたアイザックと軽く挨拶を交わし、喧騒にまみれたなか、城のなかへ入り、よくある黒の着物と袴に着替え。
私はいつも通りのポニーテールを、アイザックはオールバックをし。
何百本と用意された刀のなかから、適当に一本取り出し。
早速、ただの首切りが始まった。
最初は大名から。
だが、案の定見物人の方はやかましく。
警鳥隊に取り押さえられている家族と思しき人たちを一瞥し、刀を両手で持ち、左側に行き。
ホカドウの大名だとぼそりと告げられ、刀を下にやりながら舌打ちをかます。
そして、ハチベエさんの声に合わせて。
かちゃりと刀を鳴らし、相手の首に集中し。
どっと、腹を斬った瞬間に、作法も関係なくその首を跳ねる。
と同時に悲鳴と怒鳴り声。
国は罪のない人間を殺す大悪党だ何だと言われつつ、もう斬りやすい姿勢でいいとハチベエさんに言われ。
解りましたと、片付けられる死体を一瞥しつつ、右手だけで持ち。
次。
またどっと腹を斬った瞬間に、右腕だけを動かして首を跳ねる。
群衆の声はどうにかならないのかと溜息を吐きつつ、次。
ハチベエさんの声がかかる。
が、全く動かず。
既にアイザックの方では切腹が完了しているのに。
何をしてるんだと、後ろから覗き込む。
刹那。
切っ先が、こちらに。
えっと思った瞬間、反射的に左足をあげる。
ぎりぎりで袴をかすり。
このやろうと、睨みを男にやり、そのまま蹴ろうと動きだした時。
独りでに、首が跳んだ。
慌てて右足だけで飛び退き、左足を下げる。
どうやら、アイザックが魔術で無理矢理跳ばしたらしい。
本来なら駄目なのだろう。
だが、これも仕方のない話。
ったくとかぶりを振りながら元の位置に戻り。
死体は片付けられ。
次。
今度はきちんと、首が跳ぶ。
次。
首が跳ぶ。
次。
首が跳ぶ。
次。
次。
次。
次……。
「はぁ……はぁ……はぁ……。」
切れる息。
冷や汗を拭い。
吐き気を唾と共に飲み込む。
返り血ばかり。
血だまりのなか。
死体とか血とかじゃない。
周りの、親族の声だ。
悲痛な叫び。
そして私と国を罵倒する言葉。
遂には、善悪の判断も掠れて。
その度に取り押さえられてゆく彼らを見つつやっていくのが、流石に堪えきれない。
ふらふらと頭が揺れるような感覚に、刀をゆっくりと左側に移動させ。
激しく息を吐きながら。
腹を斬ったと同時に、刀を振るう。
刹那。
なぜか右手から力が抜け。
刀が跳ねる。
ざわめきがあがるなか。
どうして手から力が抜けたのか、解らないまま。
吐き気にこらえながら。
「一旦中止だ! 休憩させろ!」
ハチベエさんの怒鳴り声。
「ボクだけやります! 魔術で何人か同時に斬れますし。」
「じゃあ……四人一気にやれ! 閻魔は二階の部屋に運べ!」
と、すぐさま空気が流れ。
抱えますよと言われつつ、何とか肯き。
一人の重臣か家臣かにまた姫様抱っこをされ、息を切らしながら、眼をかたく瞑る。
普通の人間なら平気なのだろう。
だが、私は国民に幸せを届ける身。
転生者としての宿命。
そのせいで、余計に彼らの言葉が突き刺さり。
このまま気絶すればいいのにと自分を恨みながら、空気と音だけを感じて。
暫くし、ゆっくりと布団の上に。
予定のあいてる看護士や医者はいないのかという、騒がしい声も余所に。
身体を横にし、眉間に皺を寄せる。
吐きそう。
死にたい。
それくらいダルい身体に、ただただ息を切らし。
「姫様! 貴方様は──」
「どいてくださる?! 将軍からの命よ!」
どたどたと。
「姫様!」
ばんと襖が勢いよく開けられる音。
と、足音が近づいてき。
ふっと、頬に。
「冷たい……熱はないようね……。吐き気が酷いのかしら?」
静かに鳴る声に、何とか肯く。
「吐き気止めの薬でも魔術でも、なんでもいいわ! それさえ抑えられれば、幾分かマシになる! ほら、早く!」
千姫様の慌てた声に、はっと言う声と、どたどたと騒がしく鳴る足音が連なる。
頑張ってたえてと、優しい声音のあと、頭を軽く撫でられ。
すみませんと、息を切らしながら。
「無理しないで。気持ちは解るわ。親族の方々のお声よね?」
落ち着いた声に、はいと肯く。
「どちらも理解できることよ……けれど、今回ばかりは、相手方の方が悪い。これは変えられないことです。それをきちんと理解できる親族の方は、あまり居られないでしょう。」
耳を塞いでしまうのはアレですが、今回ばかりはと溜息混じりに言い。
暫く、吐き気と戦いながら。
ややあって。
「ああ、将軍様。」
一人の男性の声に、薄く眼を開ける。
白衣。
医者かと、また眼を瞑り。
空気が流れ、ややあって、みぞおち辺りに手の温もりが。
と、一気に。
すぅっと楽になってゆく。
自然と眉間から力が抜け。
一つ息を吐く。
「楽になりましたか?」
みぞおち辺りから温もりは消え、そう訊かれる。
はい、ありがとうございますと、眼を開けながら肯く。
と、頬に仄かな感覚。
視界に千姫様の心配そうな面持ちがうつり。
「今日はもうお帰りになって。ああ、そうだ……忠勝! 閻魔様の旦那様をお呼びして! それと、閻魔様のお着物を!」
急に顔をあげ、奥の方に叫びつけ。
はっと、一人の渋声が響く。
更なる足音のあと、ゆっくりとこちらに向き直り。
「旦那様とお帰りになった方がいいわ。」
ふっと、笑みを見せる。
すみません、わざわざと言いながら、何とか起き上がり。
医者にもお礼を言いつつ、深く溜息を吐く。
「暫くは表に出ない方がいいわね……なるべく目立つようなことは差し控えて。」
「解りました……。」
本当迷惑ばかりと、軽く胸を撫で下ろす。
と、じゃあもういいかなと、笑みを見せながら医者が立ち上がり。
ああわざわざすみませんと、千姫様と頭を下げつつ、いえいえではと去ってゆく白衣を見つめ。
思った以上に面倒な状況だなと、視線を外した。
ややあって、着物が先に運ばれてき。
千姫様が、わたくしと閻魔様のみよとキツく言い放ち、苦笑いをこぼしつつ立ち上がる。
今は寺にいるから何とかなっているが、これが家なら余計に厄介なことになっていそうだなと、脱ぎつつ考え。
途中、千姫様が手伝ってくれ、やらなくてもいいのにと微苦笑混じりに言うも、いやいやとかぶりを振り。
これは聞かないタイプだなと思いつつ、元々着ていた黒い着物の帯をしっかりとしめ。
一息吐く。
「白い華やかなお着物もお似合いになりそうだけど……あまりお好きでないの?」
ことりと小首を傾げる千姫様に、ああまぁと、髪を解きつつ。
「基本は黒とか赤とかです。まぁ、何着か白っぽいのは持ってたんですけど……。」
燃えちゃいましたしと、紐を左手に、軽く髪を撫でつける。
「んー……なら今度、わたくしと一緒にお着物を選びましょう。帯とか、ちょっとしたアクセサリーもついでに。ほら、隣街にあるでしょう? 洋服も取り扱っている百貨店が。」
まさかのお誘いに、えっと右を向く。
「でも、目立つようなことは……。」
私はともかく、将軍が出向くとなるとと、頬を掻く。
が、千姫様はくすくすと笑い。
「変装よ、へ、ん、そ、う。それに、閻魔様のご家族もご一緒に来れば、それだけ隠れられるわ。髪型とかを変えて、サングラスや帽子を使えば、上手く紛れられるわよ。」
ね? と小首を傾げる千姫様に、まぁと視線を外す。
変装って言っても、一般人とは違う雰囲気みたいなものがあるしなと、眉間に皺を寄せる。
「んー……じゃ、じゃあ……ワンダフルライフの店長様に、何かいい物はないか、ご相談しに行きます……。」
もじもじと呟く千姫様に、そんなに私と行きたいんですかと小首を傾げる。
と、ばっと顔をあげ、うんうんと肯き。
「閻魔様とは親睦を深めたいのです。」
麿様とは違う、若い姫様らしい回答に、じゃあまぁ、そんなに言うならと微苦笑を返した。
と、渋い声が。
「補佐官のご到着です。」
あらと襖の方を見ると、旦那様だわと千姫様が近づき。
襖の横に立ち。
「お入りに。」
静かに鳴る。
と、静かに襖が開けられ。
「補佐官って……イーサンのことか。」
そこに立つ自分の夫を見、少し笑う。
私が閻魔だから、イーサンは補佐官と。
悪くないがと思いつつ、心配かけたなと、少し近づき。
「無理すんなよ。」
と、優しい笑みを見せられ。
ごめんてと苦笑を返しつつ、じゃあ帰るかと、左を見る。
「千姫様、ご心配をおかけしました。」
ぐっと頭を下げ、ややあって、ゆっくりとあげる。
いえいえと小さくかぶりを振る千姫様に、では失礼致しますと言いおき、控えめに廊下に出。
また自然と私が左に行き、解いた髪を撫でつけながら、外に向かって歩きだす。
「目立つようなことはするなって。」
少し下を見つつ、そう呟く。
「だろうな。まぁ、暫くは一人で行動すんな。」
「……ねぇ、家は?」
「ん、ああ、取り敢えず前の家と似た形にしてくれって言っといた。親父が細かい設計図を持ってるって言ってたから、その辺も。」
「そう。」
「……ちょっと寄りたいとこあんだけど、いいか?」
え? と階段を降りつつ右を一瞥する。
こんな丸々自分だと解る状態で大丈夫なのかと思いつつ、まぁいいけどと返事を返し。
階段もおり、そこにある自分の下駄に足を滑らし。
少し振り返りつつ、外へと。
が、未だに続いている切腹が眼に入り。
脚がとまる。
「アイザック……あれ、大丈夫なのか……?」
刀を右手に息を切らす後ろ姿。
恐らく、何人かの首を、離れたところから同時に跳ばす魔術を使っているのだろう。
一体何人連続でやったのか。
数は知れないが、明らかに限界に近い。
「一応病人なのにな……他の人間は何してんだ? 別にアイザックじゃなくても、ある程度の実力がありゃあ、首くらい斬れるだろ。」
確かに、どうしてアイザック一人にやらせてるんだ。
然もわざわざ私まで呼んで。
まさか、批判を集めるため?
将軍側の主力として動いていた私とアイザックに斬らせて、親族たちの怒りを……。
「将軍から、私たちに向けるための……?」
そうだとしたら、一体誰がこんなことをと、軽く舌打ちをかます。
とにかくここから出よう。
また気分が悪くなるだけだ。
そう、イーサンの腕を引き。
眉間に皺を寄せながら、足早に、自分の陰を消した。

コメント

#36 ビビり転生者は幸不幸の狭間で葛藤を~愛は彼らを救う~

2018-11-17 11:29:21 | ビビり転生者は幸不幸の狭間で葛藤を~愛は彼らを救う~
元の小説は「小説家になろう」にて連載中。
https://ncode.syosetu.com/n8771eu/


前回のお話はこちら。
https://blog.goo.ne.jp/nekomaru14/e/36c438a455757b95e6999aa2e34e5722

#1の記事はこちら。
https://blog.goo.ne.jp/nekomaru14/e/e9c7b8c249a7ede51228b3129ba64778

キャラメーカーによるキャラクターのイメージ画像集はこちら。ネタバレ注意!!
https://blog.goo.ne.jp/nekomaru14/e/ed15c8a663b710b6e3f51cbcda3aac14




156,膝枕に子守歌




少数精鋭部隊をつくり、指揮していた女大将の拠点は全滅。
私の暴走もそうだが、同じく捕らわれたアーロンが他の敵も殺したおかげで、たったの一日で壊滅してしまった。
また更に敵軍全体の士気が下がるなと、次の敵軍が来るまで時間を潰し。
結局、イーサンにも会わずに夜へ。
晩飯も食べ終わった、少し暇な時間帯。
また甘えだしたアイザックに苦笑を漏らしつつ、膝枕のまま耳掻きをしてやってる時。
そろーっと右にある襖が開けられ。
ちらりと一瞥をやる。
「アンタもやるか? 暇だし、今なら何でも聞いてやるよ。」
と、うとうとしていたアイザックが起き。
「普通してくれないからねぇ……。限定だね、限定……。」
暇だからなとぶっきらぼうに言い放ち、耳掻きをやめ、エヴァンに向き直る。
相変わらず顔を覗かせて。
「どっち? 耳掻きでも何でもいいけど。」
「早くしないと、ボクが代わりにしてもらうからねぇー……。」
だって、と少し呆れた風に笑ってみせる。
と、ゆっくりと出てき。
「み、耳掻きでいい……。」
うじうじと顔を赤くしながら言うエヴァンに、はいじゃあアイザックはその辺に寝とけと、軽く叩く。
はいはい解ったよーとむくれながら、渋々退くアイザックから視線を外し、左手で膝の上を叩いて促す。
ぎこちなく来るエヴァンに軽く微笑みかけ、はいはいと、綿棒を反対側にし。
ゆっくりと横になったのを見届け、何かあったらすぐに言えよと呟きつつ、先程と同じく耳掻きを始める。
たまに子どもたちの要望に応えてやっていたが、まさかアイザックとエヴァンにもやるとはなと、軽く欠伸を漏らし。
「左手、冷たくないか?」
「え……あ、いや……。」
「……そ。」
「……お母さん、何だよな?」
「え?」
「いや……子ども、いるんだろ。」
「ああ……。養子が五人に、赤ちゃんが一人な。」
「養子……。」
「ん?」
「……いや……実はオレ、ガルシア家の実の息子じゃない……養子、だって……。」
「そうなのか……。」
「……だから、何か、オレの後に産まれた実の子どもばっか構ってて……。ずっと、放置気味っていうか……。」
「……私の所と同じだな。五人の方は今五歳で、今年六歳になるんだが、赤ちゃんの方は血が繋がってるから。」
「じゃ、じゃあ……小豆も……。」
「バカ言うんじゃない。」
「っ……ごめんなさい……。」
「養子だろうが何だろうが、私たちの子どもに変わりはないんだ。アンタの事はまだ信用しきれないが……アンタが望むんなら、母親の役でも何でもやってやるよ。」
「……じゃあ。」
「なに。」
「お母さん……後で一緒に寝よ。」
「……どっちの部屋で?」
「……こっち。」
「だって。」
ふっと横目で視線をやると、苦笑を漏らしながら肯いた。
また視線を外し、ただ静かに時間を潰す。
姉さんになってくれって言われた次は、母さんになってくれ、か。
暴走までした今の私に、そこまでの重荷は背負えない。
だが、無意識のうちに何もかも受け入れてしまう。
転生者の、不動明王の化身の性か。
どちらにせよ、最近感情が薄れてきている気がする。
エヴァンに下着が見えてると言われた時も、どちらかと言うと面倒くさいと感じた。
羞恥心というか、何かが抜け落ちた感じ。
何だろうか。
何かが、無気力。
と。
「寝よ……。」
ん、と手を離し、そうだなと呟き。
左側が私の布団だからと言いおき、部屋の隅にあるゴミ箱を見据え。
座ったまま、ふっと投げる。
狙った通りにゴミ箱に入ったのを確認し、右を見る。
既に横になっており、軽くおやすみと言うと、寝ぼけた声で適当に返してくれ。
今までなら、平和で少し笑えただろう。
だが、気持ちは相変わらず暗い。
何とも言えない、まるで感情全てが鉛玉になったかのような。
これが一番の平和であり癒しなんだがなと思いつつ、エヴァンを左に、横になり。
軽く布団をかける。
「どした……?」
やけに顔の赤いエヴァンに、左手で頭を支えながら問いかける。
可愛い系というか、タイプ的にはフィリップのような顔立ち。
いや、フィリップよりも中性的だなと思いつつ、何となく右手をその頬へ。
少し驚き、上目遣いに。
「ん……?」
と、視線を外し。
「……お母さん、だけど……どうしても異性に見えて……。」
ああと軽く溜息を吐き。
「そりゃあ、親子というか、姉弟の年齢差だからな。一人で寝るか?」
「……いや、落ち着くのは変わらない……。」
そう、少し深呼吸をし。
おやすみなさいと小さく呟いた。
「……おやすみ。」
眼を瞑ったその綺麗な顔を見つめ、左手を伸ばし、頭を枕のうえへ。
ややあって、右手を頬から離し、少し遠慮がちに、エヴァンの背中へまわす。
今日の移動で疲れたのだろうか。
すぐにすやすやと寝始めたようで、まるで夢のなかで動くかのように。
んーと言いながら、逆にぎゅっと抱きついてきた。
愛情に餓えていたせいか、実年齢よりも幾分か幼く感じる。
親からの愛情はありつつも、いじめなどで大人びた性格になってしまったイーサンとは、全くの反対。
アイザックは……まぁ特殊すぎて何とも言えないなと思いつつ、私も眼を瞑った。

@@@

気配。
ふっと眼が覚め。
暗闇のなかで、少し身体を動かす。
エヴァンを一瞥し、起こさないように、布団のうえに座る。
何だ?
何か、嫌な気配がする。
そう、眉間に皺を寄せた。
刹那。
右から衣擦れの音が鳴り、窓にある格子が破壊音を起て、反射的にエヴァンに覆い被さり。
がきんと甲高い音が鳴り響く。
更に眉間に皺を寄せ、流石に起きたエヴァンの声も余所に、後ろを見る。
月光に照らされたなか。
瞬時に私の刀を抜いたアイザックが、こちらに背を向けて。
長い白刃と交わるのは、同じく日本刀。
相手の姿は見えないが、窓にある木の格子は、粉々に砕け散っている。
こんな夜更けに、わざわざ私たちの部屋に奇襲だと?
相手の独断か、それか敵軍の作戦か。
どちらにせよ、油断も隙もない。
ぎちぎちと鳴る白刃同士の音に、視線をエヴァンにやる。
こんな時にも顔を赤くしやがってと思いつつ。
「アンタは動かなくていい……。いざとなれば、氷でやる……。」
な? とぶっきらぼうに言うと、こくこくと何度か肯き。
また視線を後ろへ。
ただ刀同士の悲鳴が聞こえるのみで、動きはない。
刹那、アイザックの持つ刀が炎にまみれ。
少し驚いたが、相手は更に驚いたらしい。
がっと少ない動きで相手を押し、あっという間に、その炎の刃を。
どんと、突き刺す。
静寂が訪れ。
ややあって、刀を抜く。
炎は既にない。
紅を散らせて、その場に崩れ落ちる相手を一瞥し。
「ごめん。手入れしてたのに、汚した……。」
少し振り返るアイザックに視線をやり、いやいいと呟き。
「寧ろ……ありがと……。」
と、窓に向き直り。
刀を軽く振るうと、その場に捨てたのであろう鞘に仕舞い。
静かに床に置くと、死体となった相手に近づいた。
流石にもう来ないかと思いつつ、恐る恐るエヴァンの上から退き。
その横に座り込む。
立てた右足の上に腕を起きつつ、軽く欠伸を漏らし。
ややあって、溜息を吐きながら立ち上がるアイザックを眼で追う。
「変な刺青がある……。また、ヘロイン・ガルスみたいな奴らかも……。」
はぁ? と溜息混じりに言い、面倒ながらもふらふらと立ち上がり。
血を踏まないように近づき、どこにあんのと、死体の側にしゃがみこむ。
「ここ……。」
自分の胸元を指すのを見、少し死体の肩を動かす。
男性っぽいが、さらしを巻いているし、何より少し膨らんでいる。
また女かと溜息を吐き、左手でそのさらしを少し下げた。
と、そこには、黒色で二つの頭を持った竜のような模様が。
ただのファッションじゃないのかと言いつつ手を離し、死体から離れ。
「いやぁ、そこは解んないけど……。まぁ、何にせよ、寝込みを襲われるのは大分マズいかな……。」
左の人差し指を血だまりにつけ、冷気を強める。
「確かに。早めに対処しなきゃな。」
すぐに凍り始める血を見つめつつ、溜息を吐く。
「……取り敢えず、朝方まで起きとくよ……。」
「はぁ? バカ言うな。私が起きとく。」
「いや、一番強い人間が寝不足だったら……色々支障が出てくるでしょ……?」
「……バカ。」
何でバカだけ、と言いつつ、布団に戻るアイザックを一瞥し。
これ以上汚れないように殆どの血を凍らせたあと、四つん這いで布団に戻り。
灯りだけ付けさせてというアイザックに、どうぞお好きなようにと、布団に潜り込みながら返し。
「大丈夫か……。」
エヴァンに問いかける。
「う、うん……。」
ぎこちなく肯くも、眠そうな面持ちではない。
流石に寝れないわなと思いつつ、右手を背中にまわし。
軽くその背を叩く。
「そういやアンタ、歳は……?」
「じゅ……十四……。」
「あれ、十五だと思ってた……。まぁ、そんな変わらないか……。」
そう、少し微笑みかけ。
ややあって、一つの子守歌を。
「ねんねんころりよ、おころりよ。ぼうやはよい子だ……ねんねしな。」
日本の代表的な子守歌だが、ラサーワにはない。
静かに、なるべく高くゆっくりと歌いつつ、エヴァンを見つめる。
少し驚くような面持ちだが、年齢に似合わず、徐々に瞼を閉じてゆき。
暫くして、完全に眠りこけた。
もういいかなと歌をやめ、私も眼を閉じる。
「結婚式の時もそうだったけど……小豆君って、声にも魅力があるよね……。」
そういや起きてたなと思いつつ、小声で返す。
「転生者だからな……。」
「まぁ、それもあるけど……。褒めてるんだよ……。」
からかっている時の声音に軽く溜息を吐き、バカと言いおいて、眠りにはいった。

@@@

翌朝。
重みを感じつつ眼を開けると、私のうえにエヴァンが乗っており、胸で窒息しないのかコイツと思いながらも起き上がり。
やっぱり恥ずかしさとか全然ないなと溜息を吐き、寝不足気味のアイザックを放置し、そそくさとハチベエさんに夜中のことを告げ。
カルロスさんとフィリップにも挨拶をし、エヴァンと会いたいとうるさいため、はいはいと部屋に戻り。
まだ寝てるアイザックを無視して、エヴァンの横にしゃがみこみ。
ぺちぺちと頬を叩いて起こし、適当に紹介すると、寝ぼけているのか、やけに甘えた声で。
あの生意気加減はどこ行ったんだと、布団のうえで座り込むエヴァンに言うと、ぴたりと固まり。
ややあって、はっとした表情を見せ、掛け布団のなかに潜り込んでしまった。
はぁあと溜息を吐きながらかぶりを振ると、二人は可愛い子だねと言いながら笑い。
医者であるフィリップが、襦袢姿のまま、僅かに震える山の側にしゃがみこみ。
気楽に行こうと優しく問いかける。
と、少し動き、ひょっこりと顔を出して。
カルロスさんも、愛嬌がある方が今の状況には良いんだと微笑みかけ。
二人の顔を交互に見るエヴァンを見つめていると、最後にこちらを見。
「生意気な子どもじゃ、ママにはなれないな。」
そう、すっと眼を細める。
と、じゃあ本当のオレを見せてやると元気良く布団から飛び出し、二人に対して、朝からうるさい程の声量で自己紹介を始めた。
立ち上がったフィリップとカルロスさんに何故か褒められつつも、第一印象とはかけ離れた雰囲気でふにゃふにゃと笑い。
しゃがんだまま頬杖をついていると、矢庭に振り返り。
ん、と視線をやる。
「オレ、親はいるんだけど、養子でさ。小さい頃から大切にされてなくて……代わりに、お母さんになってもらってるんだ!」
やけに元気だなと思いつつも、視線を二人にやる。
カルロスさんは苦笑を漏らし、大変だなと呟き。
フィリップは医者らしく、良かったねと頭を撫で。
またエヴァンに視線をやると、にっと大きく笑みを返してくれた。
まだ十四なのにコイツも歪んでんなぁと、まるで五歳のカツのような雰囲気に、軽く溜息を吐いた。




157,鉛玉はどたまに



「アンタ……子どもの前でやるなよ……。」
「いいじゃん、ね……?」
後ろからアイザックに抱きつかれつつ、胸を触られつつ、溜息を吐く。
やっぱり、おかしい。
感情どころか、性格まで変わったような気がする。
まさか、暴走に対して成長していくと、性格が変わっていくのか?
それか、今のこの状況に、精神的に壊れはじめているか……。
戦争、そして旦那のことだけで精一杯なのに、次から次へと色々と来るせいか……。
どちらにせよ、私も限界に近い。
まだこの程度で収まってくれればいいんだがと思いつつ、また溜息を吐き。
「今すぐやんないとダメか。今日の夜でいいんなら、そっちの方が助かるんだが。」
依存症であるアイザックを優先するのは解っているが、それでもやはり、何もかもが無気力。
「……じゃ、今日の夜ね。」
絶対だよと言うアイザックに、はいはいと返し、乱れた襦袢のまま欠伸を漏らし。
イーサンと会うべきかどうか、軽く考えだす。
と、アーロンが慌てた様子で。
「今すぐ精神病棟に行くぞ! “イーサン殿が狙われておる!”」
ふっと、また心臓が掴まれる感覚に慌てて立ち上がり。
カルロスさんとフィリップは城に残ると既に指示は届いているらしく、じゃあ私とアイザックで向かうと早口で返し。
互いに肯きあい、その場で戦闘服に着替えだす。
と。
「オレも行く。」
はぁ? と襦袢を脱ぎながら振り返る。
仁王立ちで、眉間に皺を寄せて。
相変わらず右目だけ隠しているが、その水色の瞳には、強い意志が見てとれる。
どのくらい強いのかは解らないが、将軍家直属の家にいるのであれば……。
そう、少し考え、手を動かしながら肯いた。
「援護でやれ。私が先陣を切るからな。」
正面に向き直り、解ったという声を背後に、素早く着替え。
ベルトをしめ、銃を軽く確認し、すっとホルダーに入れ。
髪を括りながら、廊下に向かって歩き出す。
「向こうの数は解らないのか。」
ちらりとアーロンを一瞥しつつ、足早に。
「正確な数は解らぬ。だが、五人以上は確実にいると見た。」
そうかと舌打ち混じりに返し、きゅっと紐を結び。
両手を拳にしたまま、とにかく早足で廊下を歩き。
ややあって階段に差し掛かる。
この程度なら跳躍で行けるなと思いつつ、とんとんとんと何段か降り、少し跳び、素早く一階へ。
振り返り、アイザックとエヴァンを確認し、外へと。
と同時、アーロンが更に大きくなり。
よいしょと背に乗り、二人を待つ。
ややあって全員乗り、狼の咆哮と共に、景色が動き始めた。
城ではなく精神病棟に攻め行ったということは、ガチ恋勢か、はたまた私たちを混乱させるための作戦か。
どちらにせよ、人数が増えた今は、私がいなくてもどうにかなる。
カルロスさんもフィリップも、決して弱くはない。
どうにかなるはずだ。
まずは目の前のことを、片付ける。

暫く走り、騒がしい病棟の前へ。
アーロンの背から降り、私を先頭になかへと向かう。
室内での戦闘なら、刀じゃなく銃がいい。
そう、右手にサブマシンガンを持ち、早足に。
混乱を極めているなか、私たちの登場に、安堵の表情を見せる者が多い。
なかには神様のように拝む者もおり、進めに進めない。
苛立ちが募るも、何とか抑え込み、溜息を吐く。
刹那、奥の方から、轟音。
はっとそちらに視線をやり、イーサンがいる方だと叫び、患者たちの上を跳んでゆく。
歓声、悲鳴、破壊音。
嫌な混沌に、歯を食いしばる。
相手はどうなってる。
イーサンはどうなってる。
ぎぎっと歯が鳴るのもお構いなく。
隔離部屋に続く廊下へ、着地。
そして顔をあげる。
「っ……!」
白黒の髪に、高い身長。
確実に、イーサンの後ろ姿。
なんで部屋から出てるんだと、眼を丸くしながら、脚を踏み出す。
と、左前にいる担当医が、何かを取り出し。
イーサンに向かって、投げた。
えっとそれを追う。
黒い、棒……?
何だと思っているあいだにも、それは首に当たり。
がちゃりと変形しながら、イーサンの首に纏わりついた。
は? と間抜けな声を出す。
刹那、がくりとその場に座り込み。
私に気が付いていないのか、担当医はそれを見ると、すぐさま駆け寄って行き。
ややあって、首輪をつけられたまま、ふらふらと。
なん、だ?
また隔離部屋に行く姿を眼で追う。
と、肩を後ろから叩かれ。
「ぼーっとしてる場合じゃないよ。」
はっと我に返り、右を見る。
奥を見据える横顔に、視線を正面へ。
恐らくイーサンがやったのであろう死体のなか。
まだ、数人の男が。
「来る!」
アイザックの声と共に姿勢をあげ、すぐさま銃を構え、ロックオンの魔術に指示を出しながら、こちらに向かってくる野郎の頭に照準をあわせ。
トリガーを、引く。
左手でもグリップを握り、完全に固定した状態で。
だが銃一人で全てはやれない。
残りの人間に対しては、近距離のアイザックが姿を消しながら至近距離でやっていき、中距離のエヴァンは、更に突っ込んでくる人間に対して、狭いなかで上手く立ち回り。
一、二とキル数を呟きながら、次々とヘッドショットをかましてゆく。
白い四辺に紅が散るのも知らない。
とにかく、殺せ。
と、一人が崩れ落ちてゆくなか、更に奥に。
こちらに顔を向ける、銃口。
眼を見開きつつ、素早く右へ転げる。
と同時に発砲音が鳴り響き、壁から、硝煙が立ちこめる。
ガンナーもいるのかよと舌打ちをかまし、すぐに姿勢を正し。
然し低姿勢で、そのガンナーに向かって。
走りだす。
途中で返り血を上から浴びながら、一気に。
と、ガンナーは驚きつつも、臨機応変にまた銃口を。
くそと眉間に皺を寄せ、低姿勢のまま、右へまわる。
横目で見ると、まだ銃口が。
どうすべきだと思いつつも、こちらも銃口を相手に。
左手は離し、右手だけで、銃身を横に。
ロックオンの魔術に指示を出すと、ぐっと更に正確に照準が合い。
そのまま、左手を下に、滑り込むかたちで。
トリガーを引く。
互いの発砲音が響き渡る。
が、数秒差で、私の方が速かった。
銃弾を受けたまま相手は死に、こちらに向かってくる弾は、頭上すれすれを掠め。
視線を足元にやり、トリガーから人差し指を外し。
また魔術に指示を出しつつ、すっと停止し、次の敵が来ないうちにふっと立ち上がり。
アサルトライフルやショットガンも持ってたなと思いつつ、サブマシンガンをホルダーに入れつつ死体に駆け寄り。
脚でうつ伏せにし、その背中にあるアサルトライフルをとる。
と同時にこちらにやってきた騎士一人に対し、右足を横に大きく踏み出しながら、トリガーに指をかけ、構えつつ照準をそいつの胴へ。
発砲音。
が、鎧のせいで全て弾かれ。
舌打ちをかまし、すぐさま跳び退き、照準を上へ。
やっぱり、ヘッドショットで。
お互いに動いているため、照準はブレる。
が、丁度、頭に入った時を狙って。
発砲。
どどどと数発当たり、ばたりと倒れる。
よしと思ったのも束の間、後ろからの気配に、ばっと振り返り。
また騎士連中かと舌打ちをかまし、照準を見つつ、後ろに下がりつつヘッドショットを狙ってゆく。
一、二。
またキル数を呟きつつ、取り敢えず全員やった。
と同時に弾は切れ。
舌打ちと同時にその場に投げ捨て。
また死体のところに戻る。
次はショットガンでと、右手に持ち。
未だに残っている敵を、後ろから。
「アイザック! 銃使うから!」
大きく叫びつつ、仁王立ちでショットガンを構える。
と、飛び上がっている最中のアイザックが、すぅっと姿を現し。
その奥にいる騎士の頭に照準を合わせ。
少し近づきつつ。
トリガーを引く。
流石はショットガン。
瞬殺だ。
すとんと降りたったアイザックから視線を外し、前に動きつつ、警戒心を高める。
と、最後の一人か。
エヴァンが静かに後ろから首を跳ねた。
死体と血があるなか、静寂が訪れ。
ショットガンをおろし、一つ息を吐く。
どうやらこれ以上は来ないらしい。
エヴァンとアイザックに目配せをやり、ショットガンをその場に捨て、歩きだした。
と。
「ルイーズさん。」
担当医の声に、脚を止める。
「イーサン君……謝りたいって、言ってましたよ……。」
この前のことを思い返しながら、かぶりを振る。
「今、あの人に会えるような精神状態じゃありません。」
「……本当にいいんですか?」
妙な声音に、えっと振り返る。
黒く吸い込まれそうな瞳。
仁王立ちで、何かを決心するような面持ち。
「“もう、イーサン君とは、会えませんよ。”」

@@@

困難を極めている精神病の治療。
症状と合う魔術がない、というのもあるが、何せ脳闘が敏感すぎて、なかなか使えない。
そのため、ある程度治せるまで……。
特殊治療室への移動及び奴隷化装置の装着、そして、魔術……脳闘の、一時的封印……。
下手をすれば、脳闘は封印されたまま、イーサンの身体に戻れず、自然消滅をしてしまう。
馴染みすぎた魔術は、一時的封印だとしても、術者本人に大きなダメージが行く。
簡単に言えば、生きたまま、心臓を取り出される……。
イーサンと脳闘の場合なら、右頬を中心とした激痛、高熱、吐血、鼻血、気絶。
オーバーヒートが最高までいった時の反応と同じになる、のだとか。
幾ら精神病を治すためとは言え、そんなのはたえきれない。
話を聞いた私は、もっといい方法はないのかと怒鳴り散らした。
だが、それが一番いいのだとか。
魔術を犠牲に、脳闘を犠牲に、確実に治すか。
何もせずに、ただ一生涯精神病に悩まされるか。
二択しかない。
嫌だと泣き崩れながらも、結局、脳闘を犠牲にすることになり。
最後にイーサンと会い、静かに口付けを交わした。
これしか、方法はないんだ。
そう、思いつつ。
余計に無気力になりながら、余計に虚無感に苛まれながら。
首都へ、城へ戻った。




158,性



帰ったあと、戦闘服のままアイザックに抱きつき、もう嫌だと泣き崩れながら。
「下手すれば……脳闘はなくなって……。イーサンにも、魔術の器が空になって……その分、性格が変わる、し……。然も……自己破壊の代わりに性欲の方が悪化するかも知れないって……。」
ぎゅっと抱きつきながら、ただただ言いたいことを垂れ、涙を流し。
「大丈夫だよ。成功するって、祈っておこう……。」
おろした髪が、さらさらと肩から垂れてくる。
「神仏に近い私が祈っても何も変わらないんだよ……! 神仏に、運が……奇跡が……世界が逆らってるからっ……!」
ぐっと着物を掴むと、大丈夫だってと頭が撫でられ。
ただ、嗚咽を漏らして。
「もう……何も信じられない……。アンタさえもいなくなったら……どうしていいか……。」
「……ボクはいなくならないよ。無茶はしないし、しても意味がない……。それに、今は小豆君の事を優先するべきだって思ってるから。ただ……君は君の事が解ってない。この中で一番危ないのは、小豆なんだよ……。」
そう、強い抱擁に、少し驚きつつも、震えた声で名前を呼ぶ。
本当に、地獄だ。
現実世界では戦争なんて文字と写真ばかりで、実感なんてわかなかった。
だが、その戦争と言うべき災いに出会している今は……。
ただただ、世界を恨み、敵軍を恨み。
イーサンの精神病は元から持っていたものだとしても、本格的に発病しだしたのは、この戦争が引き金。
何もかも、この戦争が……。
「ごめんね小豆ちゃん。定期検診の時間なんだ……。」
フィリップの優しい声音に、ぴくりと肩を震わせ。
ややあって、少し振り向く。
柔和に微笑むその面持ちに、鼻を啜り。
「今じゃなきゃ……ダメ……?」
まるで小児科医と子どもの会話みたいだなと思いつつ、ゆっくりとかぶりを振るフィリップから視線を外し。
赤い布を見つめ。
「後でやろう。アーロンもいるしさ。」
また軽く頭を撫でられる。
眼を伏せ、ややあって、解ったと呟き。
徐にアイザックから離れ。
ごめんねとまた微苦笑を浮かべるフィリップにかぶりを振り、去ってゆく二人の背を見つめ。
いつもの部屋のなか、一人で座り込む。
と、エヴァンがこっそりとやってき。
特に何も言わず、一瞥をやって痛む頭を押さえた。
「だい、じょうぶ?」
恐る恐る訊いてくるエヴァンをまた一瞥し、かぶりを振る。
「大丈夫じゃない……。」
自分の鼻声に頭から手を離し、脚を開き。
「ただ……。」
軽く手招きをする。
「人がいるだけ、まだマシ、かも……。」
と、恐る恐るとだが、脚の間に入ってき。
少し微笑みかけ、ぎゅっと抱きしめる。
「アンタ……歳のわりに小さいね……。」
左手で背中を軽く叩きつつ。
「……だってオレ、」
と、少し肩を押され。
ん? と離れる。
ぺたんと座り込むエヴァンは、どこか悲しげな面持ちで。
ややあって。
「オレ、“女だもん。”」
えっと間抜けな声を出し、眼を丸くする。
ほら、股触れば解ると、右手をとると、徐に。
少し身体が熱くなるが、ふっと触れたのは、私と何ら変わりない。
何もないと驚きつつ、少し指を這わす。
確かにない。
女性のそれと、全くの同じ。
じゃあなんでと、手を離し、視線をエヴァンへ。
顔を赤くしているが、これは聞いておかねばと、両手を脚の間に置き、少し身を乗りだす。
「何か、あるんだろ……? 教えてくれ……。」
そう、鼻を啜りながら。
だが、視線を逸らし、顔を赤くしたまま。
「大丈夫だから……。」
な? と小首を傾げる。
と、ややあって。
「実はオレ……身体の性別と精神の性別が、合ってないんだ。身体は女だが……心は男で……。恋愛対象も女だし、まるっきり、何もかもが合ってないんだ……。それに、この声だって作ってんだ。本当はもうちょっと高いし、可愛い、感じ……。」
徐々に三角座りになり、眼を泳がせながら。
確かにこうして見ると、女の子にも見える。
なるほどなと肯き、少し近づき。
「それで、か……。辛いこととか、あっただろ……。」
「……ないよ。」
「え? だって……。」
「放置されてたんだから、オレのことなんて……。」
ぐっと、顔を隠し。
「ごめんな……。」
初っ端から、エヴァンには興味がなかったのか。
ただの戦士として育てていたのか。
何にせよ、これ以上は何も言わない方がいいなと、右手でその黒髪に触れ。
ゆっくりと撫でる。
と、矢庭に抱きついてき。
わっと驚くも、少し強い力に、微苦笑を浮かべ。
両手を背中へ。
「アンタそれ……窒息しないの……?」
胸に顔面を埋めるエヴァンに、軽く背中を叩く。
「んー……てんごく……。」
こもる声に、天国ってと少し笑い。
何か話してやろうかと言うと、やっとこさ顔をあげて。
相変わらず赤い頬のまま、面白い話とか、と呟き。
じゃあと、何もない日の、何気ない、しょうもない出来事を適当に話し出した。
カツが木に登ったはいいものの、全く降りれずに泣きべそをかいたこと。
とあるイベントで、私が司会を務め、会場にいるお客さんには全く知らせていなかった特別ゲストとしてイーサンが出てきた時、まさかの黒猫衣装で色々と騒がしかったこと。
またそのイベントの企画で、普通に喋っていたイーサンが噛み、にゃんでふ、と言ってしまい、また騒がしくなったこと。
他にも、エマが勘違いしてお寿司! と急に叫んだことや、シロとマッサンの自然な漫才が繰り広げられ、笑い転げたことや、相変わらずレクシーに泣かれる刑事部隊隊長のことや、普段落ち着いている銅香がとあるアイドルのファンで、推しメンと仲良くなったイーサンのツテで会い、気絶したことや……。
とにかく、色々なことを。
エヴァンも笑顔を見せ、私自身も、自然と口角があがり。
心配の念は相変わらずある。
だが、治療する道があるのなら……。
それに、かけるしかない。

@@@

夜、エヴァンに一緒に風呂入るかと問うと、何故かアイザックも参戦してき。
絶対にヤバいことになるからと少し怒鳴り、オレの独り占めだなとにやにや笑うエヴァンの手を引き、襦袢と下着を片手に城内にある風呂へ。
本当は王様が使うところだが、今は誰が使ってもいい。
ひのきの香りが漂う、大きな風呂場。
早速着物を脱ぎはじめると、エヴァンがまた顔を赤くし。
「オ、オレ、一応中身は男なんだけど……。」
帯も外し、着物自体を脱ぎかけ。
「ああ……。まぁでも、デメリットはないだろ。」
少しいつも通りの自分に戻れたが、数時間経った今は、やはり無気力で。
戦争が原因、というより、暴走が原因な気がすると視線を外し、袖から腕を抜き。
手を動かしながら、思考に耽る。
もしまた、暴走して成長したら、笑みさえも消えてしまうのだろうか。
もし、イーサンの病気が治って、穏やかな性格になったとしたら……。
逆に私は、嘗てのイーサンよりも冷たく無気力になるだろう。
どうせなら、今までの私で、穏やかになったイーサンを迎えたい。
レオナルドさんもソフィアさんも陽気で感情豊かな人だ。
その息子なら、絶対……。
「えっ……えろひ……。」
震えた、少し可愛らしい声に、えっと振り返る。
眉間に皺を寄せて、ぷるぷると震えながら、口元を手で覆って。
さらしを巻いていたのか、思ったよりも胸があったんだなと思いつつ、早く入るぞと風呂場に向かう。
相変わらずいい匂いがすると、少し深呼吸をし、先にシャワーの前へ。
「あ、先に洗うか? 私、頭洗うの時間かかるし。」
軽く振り返りつつ言うと、相変わらず顔を赤くしながら何度か肯く。
じゃあ適当にストレッチでもしてるかと呟き、その辺で伸びをしたり前屈をしたり。
水の音を小耳に、息を吐きつつ。
気楽に、気楽に行こう。
忘れてしまう程度が、一番いい。
だから、全くエマに会ってないアイザックは、そこまでの悲しみを背負っていない。
忘れてしまう程度。
いや、寧ろ、終戦を迎えるまで、病気がある程度治るまで、忘れてしまおう。
そうすれば、幾分かマシだ。
「ねーちゃん?」
今まで以上に高く可愛らしい声に、あっと我に返り、右を見る。
前髪をオールバックにしたエヴァン。
然しその右目は、水色ではなく、全くの白。
真っ白な義眼を埋め込んだかのような姿に、少し眼を丸くする。
と、気が付いたエヴァンは、ああと右目の近くまで手をやり。
「小さい頃に右目を無くしたんだ。それで、義眼をつけてる。どうせなら同じ水色の眼にしてやるって言われたけど……値段的に真っ白な方が安くて。ただ、怖いって言われたから、右目だけ前髪で隠してる。左目しか見えないし、隠しても支障はない。ただまぁ、風とかで前髪があがると、流石に。」
微苦笑を浮かべるエヴァンに、そうかと呟き。
じゃあ適当に湯船でも浸かっておきなと言いおき、そそくさとシャワーの元へ。
心地よい温水を頭から被りながら、眼前にある鏡を見る。
確か、魔術を使いすぎると左目が無くなる、と言ってたなと思い返し。
その氷の腕で、眼の下に触れる。
恐らく、頬にある氷が広がり、左目さえも凍らしてしまうのだろう。
最初の頃よりも、確かに広がった。
暴走のこともそうだが、今の私には、感情のブレーキがきかない。
もっと痛い鞭で、自分を抑え込む。
そうしないと、すぐに壊れてしまう。
色々と厄介だなと溜息を吐き、シャワーを止めた。

暫く無言で洗い続け、最後にトリートメントをつけ、軽く一つ結びにし、湯船の方へ。
また手で口元を押さえて震えるエヴァンを一瞥し、ゆっくりと右足からお湯に入り。
少しシャワーを熱くしすぎたため、ひのき風呂の淵に腰かけ、足湯のように。
軽く両足をばたばたさせ、一息吐く。
「やっぱ、お母さんじゃなくて、お姉さんがいいな。」
やっとこさ落ち着いた様子のエヴァンに、だろうなと視線をやり。
「親にこだわらなくていい。取り敢えず、愛情が欲しいんだろ?」
「う、うん。どういうもんか、解らないけど。」
「これから解るようになる。それに、似たような境遇の人間と既に接してるし、心配せずとも、私はアンタにも幸せを届けてやるよ。」
少し口角をあげると、ややあってうんと肯き。
「ありがとう。」
と、笑顔を見せてくれた。
本人は男になりたいのだろうが、どうしても私には、女の子に見えて仕方がない。
幼さ故の可愛らしさというか、男になりきれていないというか。
どちらにせよ、きょうだいの方がやはりしっくりくる。
アイザックとの関係は大分ややこしいがと視線を外し、また一つ息を吐いた。
刹那。
破壊音。
はっと反射的に振り返る。
まさかと左手を淵に置き、素早く湯船から脚をあげる。
と同時に、更に風呂場に破壊音が轟き。
立ち上がり、仁王立ちで身構えながら。
「アンタは戦えないだろ。だから私の後ろで隠れとけ。」
低く唸る。
と、数秒差で。
甲冑の音と共に。
「エヴァンと自分を除く冷笑……。」
大きく息を吸い込み。
駆け上がってくる冷たさに。
視界に数人の騎士と侍を捉え。
また大きく、吐きだした。
刹那、炎が巻き上がる。
えっと眼を丸くする間にも、炎は冷笑を全て掻き消してしまい。
戻ってくる冷気に舌打ちをかましながら。
「相手は無防備だ! さっさとやっちまいな!」
反響する女の声と、それに応じる男共の声に、にぃっと口角をあげた。
僅かな水蒸気が晴れるなか、ぐっと身構え。
次のイメージを膨らませる。
が、急に男共の動きが止まり。
思わずイメージが途切れてしまう。
顔を赤くして、少し震えて。
目線は、それらしいところに。
ああと合点が行き。
少し姿勢を低くして。
「折角の身体だ……。母親の役割以外でも、存分に使ってやる!」
わっと地面を蹴り、一気に距離を詰め。
にぃっと下から睨みつけながら、相手の股間に右手を伸ばし。
素早く、握りつぶす。
と同時に離し、左に顔を向けながら、次は左手をその驚きと興奮の混ざった顔面に近づけてゆき。
イメージを膨らませながら。
掌が口元に触れた瞬間に。
穴のなかから体内へ。
あとは時限爆弾のように死ぬだけだと手を離し、更に後ろにいる敵に対して。
視界が、自分が、何もかもスローモーションになる気がしつつ、素早く思考を巡らす。
ここは体術を使わず、身体と演技を使って全員戦意喪失させ、先に黒魔道士らしき女を片付け、最後に男共をまた冷笑でやれば簡単だが、サキュバスでない限り、絶対的に虜にすることはできない。
だが、私には何か得体の知れない魅力がある。
そう、周りから言われているのだから、信用していいだろう。
なら、早速作戦開始だ。
どんと一人の侍を押し倒し、半ば強引に馬乗りになり。
左手の人差し指で自分の唇に触れながら。
「ねぇ……私を殺さないって約束してくれたら……。」
少し過剰な程に、声に色気を出し。
「いいこと、してあげる……。」
ふっと笑みを見せてやる。
と、ややあって押し倒した侍が肯き。
良い子ねと、あいた右手の人差し指で相手の首筋をなぞり。
少し顔をあげて、左手を唇から離す。
周りを見ると、確かに全員釘付けになっている。
女の口調から声音からして、こいつらは全員マゾか。
アイザックでも易々と敵の手には乗らないだろう。
いや、寧ろ乗ったふりをして、一気に殺す。
あいつならやりかねないが、恐らくここにいる奴らは完全なる変態。
女がやった方法と同じことをすれば、全てこっちのもん。
くすくすと笑い、ふらりと立ち上がりながら、黒魔道士に向かって歩きだす。
「全員、武器をおろせ。」
冷気を強め。
「はぁ?! バカ言うんじゃないよ! さっさとやっちまいなって!」
少し左腕をあげ。
「フフッ……大人しく従ってくれたら……。」
途端に増える、刀と剣の転がる音。
「このっ……惑わされるな!」
更に冷気を強めて。
一気に腕を肩まであげ、地面を蹴り。
鉤爪なら、刃なら、相手の炎は関係ない。
にぃっと口角をあげながら、また下から見つめ。
はっとした面持ち。
すぐさま指示を出そうとするが、その前に。
鉤爪を、その横腹へ。
どんと、突き刺さり。
更にそこから体内へ。
ふっと抜き、脚をとめる。
眼前で崩れ落ちながら呻き声をあげる黒魔道士を見下し。
白い息を吐く。
徐々に震え、頬に霜をつくりながら。
最期には、戻ってくる冷気を感じながら、その場に倒れ込む相手から視線を外し。
振り返る。
如何にもな面持ちに、軽く溜息を吐く。
刹那、右腕をがっと掴まれ。
眼を丸くしながら、右を向く。
と同時に、引っ張られる感覚。
ヤバい、挑発しすぎた。
クソと舌打ち混じりに言い、慌ててバランスを保とうと脚を踏み出す。
が、一人の騎士に押し倒され。
全身が、きりりと痛み。
すぐさま、左手を相手の口元へ伸ばす。
だがまた、掴まれて。
ああくそと喉からうなり声を絞り出しながら、強くイメージ。
途端、その場に伸ばしていた右腕を踏まれ。
イメージが途切れる。
思わず呻き声をあげ、ぎりぎりと痛む右腕に視線をやる。
相手は一般人じゃない。
然も、筋力の差がある。
私は暴走したり、その直前まで行ったりすると筋力があがるが、基本的には程々の力だ。
女性モンクと、ほぼ同じか、少し上か。
侍であるアイザックにも、恐らく力で負ける。
男女の差、というより……。
私自身が、特殊すぎる……!
「エヴァン! 誰でもいいから呼べ!」
喉が潰れるのも厭わず、大きく叫び。
とたとたと言う小さな音がすぐに鳴ったのを確認し。
右腕の嫌な痛みに歯を食いしばりながら。
イメージを膨らます。
と同時に、股の方に手が。
先に守れ。
氷で。
早く。
そして全員、殺す……!



159,夜中の拘束



先に股、それから胸、そして武器として、すねと両手に刃と鉤爪を。
躍起になって、がっと上に乗る騎士に頭突きを食らわし。
雄叫びをあげながら、左手を右腕に乗る脚に伸ばし。
ついでに右腕にも力をこめ。
左手の鉤爪が甲冑を引っ掻いた時。
がんと右腕があがり。
相手はバランスを崩して。
だが、未だに乗っている相手に向かって。
あがった時の反動をそのままに、鉤爪を戻して、拳をつくり。
そのこめかみに。
ごろごろと転がる音も余所に素早く起き上がり。
眼前にいる者から、素早く。
左手の鉤爪を首に。
抜いたと同時に左にいる敵の顔面に右の拳を叩き込み。
そのままぐっと押し込みながら脚を踏み出し。
次の敵に近づき。
自然と右手から離れたと同時に、左足を高くあげてその首に氷の刃がついたすねを当て。
そしてぐっと更に力をこめ。
右足を軸に回転。
と、すぱんと首がはね。
すっと左足も地面につけると同時に眼前にいる敵に一気に近づき。
にぃっと口角をあげながら左手の鉤爪を隙間にさしこみ。
そこから侵入。
すぐに離し、少し飛び退く。
刹那。
敵の首に何か透明なものが纏わりついたかと思うと。
小気味よい音を起てて。
全員の首が、とんだ。
えっと眼を丸くし、その異様な光景に、戻ってくる冷気に白い息を吐く。
と、かちんという、刀がおさまる音が静かに響き。
音のした方に視線をやる。
「小豆。大丈夫?」
襦袢に、左手に刀を持って。
その横にエヴァンがいるのを一瞥し、はぁと大きく息を吐きだした。
と共に、全身にあった冷気が戻ってき。
右手で頭を軽くおさえながら。
「ちょっと、見くびってた……。」
身近にいる男が特殊すぎるせいか、はたまたこいつらがおかしいのかは解らないが、どちらにせよ、身の危険を感じる程にやり過ぎたのは否めない。
いや、そもそも自分がおかしいのか。
身体というか雰囲気というか、その辺りも普通じゃない。
だから、無理に身体を使った戦略は、逆に不利になってしまう。
力と同じで、色々と面倒くさいなと、歩きだす。
が、そういやと思い返し。
右手を見る。
血に混じる白い液体。
最初に確か、思いきり潰したなと溜息を吐き、ついでに血も流すかとシャワーの方へ。
前までは恥ずかしさが上回り、上手く戦略に使えなかったが、無気力な今は十二分に使える。
相手を選ぶものだが、性と本能は大きな武器だ。
これが逆でも、恐らく上手くいけるだろう。
アイザックにも一応伝えておくか。
同性同士だと、睨みなどの迫力でしか怯ませられない。
なら異性同士で相対し、本能的に動きを鈍くさせた方が、成功する確率はあがる。
一応はプロ相手。
相性が悪ければ、下手すりゃ死ぬ。
それなら、何でも武器にしなければ。
そう、またお湯を浴びながら考え、ややあって全て洗い流し。
振り返る。
ああ、そうだったと、口元を押さえる二人に溜息を吐き。
「取り敢えず、私たちが最後で良かったな。多分死体の回収なんかは明日の朝にやるだろうし。」
それに、いい加減話し合わねば。
精神病棟だけでなく、私たちの部屋も風呂も特定されている。
将軍がいない、とばれるのも時間の問題。
さっさと片を付けねばと、軽く眉間に皺を寄せながら、アイザックの横を通り過ぎ。
脱衣所まで一直線に行き、無心になってタオルで拭き取り、下着も着、最後に襦袢の帯をしめながら。
「約束しただろ。夜やるって。だからエヴァン、今日は隣の部屋で寝な。そこから覗くなり何なりは自由にしていいけど、一応アンタ、子どもだからな。」
ほら、さっさと着替えないと風邪ひくぞと言いおき、またそそくさと廊下に出る。
と、ややあってどたどたと。
左についたアイザックを一瞥し、軽く溜息を吐いた。
「連日の襲撃。本当に油断も隙もないな。もしかして、昼とさっきのだけじゃなくて、夜中にもまた来るとか……。」
昨日の夜中もそうだったが、何せ私たちが油断している時に来ている。
このまま連続して来ても、おかしくはない。
「かもね。なら寧ろ、長いこといちゃいちゃしなきゃ。」
けたけたと笑うアイザックに、はぁ? と左を見る。
相変わらずの横顔。
「幾ら敵と言えど、普通の人間だよ? 男女がいちゃこらしてたら、大抵は動きが鈍る。特にやってる最中なら……性別関係なしに大きな隙はできるんじゃないかな。」
「確かにそうだが、こっちも結構な隙ができるぞ……。」
「あーまぁ……。」
バカだなと溜息混じりに言いながら視線を外す。
「……取り敢えず、ボクだけ動けるように刀を置いとくよ。」
「理性ぶっ飛ぶだろ、アンタ。」
「残念、飛んでない。色々と身につけてるんだよ、数年の間にね。」
ふーんそう、とだけ返し、特に会話も広がらず、無言で部屋まで帰り。
既に敷かれている布団のうえに座り込む。
「そういや、何ですぐに来てくれなかったんだ?」
脚の間に両手を置きつつ、少し身を乗り出す。
刀を少し見たあと、んーと言いながら右にある布団に腰をおろし。
「足止めを食らってたんだよ。ボクだけじゃなくて、アーロンも兄さんもフィリップ君も。」
「なるほど……それでか……。なら、狙いは私か……?」
顔をさげ、左手を顎にやりながら。
「多分ね。正直、将軍よりも勇者の方が価値はあるし、何より強いから。ボクたちよりも勇者を先にやった方が、色々とメリットもあるしね。」
そうだなと呟きつつ、溜息を吐く。
なら尚更厄介だなと、顎から手を離し、顔をあげ。
少し小首を傾げる。
「まだ十時半だし、夜中になるまで待ってみるか? ついでに敵を捕らえて、目的や作戦を吐かせてもいいし。」
と、刀を布団のうえに置き、矢庭に近づいてくる。
「流石に無理だろ。」
「その辺りのも身につけてるんだよー。」
「ああそう……。でもこっちは身につけてないから、長時間は無理だ。適当に話でもしよう。」
「あれ、案外いちゃこらするの好きじゃないの?」
右横に座ったアイザックを一瞥し、いやとかぶりを振る。
「別に普通だ。というか、他の話をしよう。」
「例えば?」
「……例えば、戦のこととか。」
「戦のことかぁ……。戦争中の今はなるべく話したくない話題だけど……まぁ仕方ないよね。」
そう、少し暗い気持ちのまま、会話は続き。
途中、エヴァンが帰ってき、もしかしたら敵が来るかも知れないことを告げると、そそくさと左の部屋へ引っ込み。
そういえば女の子だったんだねというアイザックの一言から、少しエヴァンや子どもの話になり。
暫くして。
懐中時計を見る。
「もうこんな時間か……。」
針は既に零時をまわっており、程々にいい時間帯だ。
来るのかどうか警戒しつつも懐中時計を置き、アイザックに視線をやる。
「一応作戦という認識でやるからな。」
解ってるってと少し笑うアイザックから視線を外し、軽く溜息を吐く。
と、早速。
いきなり口付けかよと思いつつも、いつも通りに、だが少し神経を尖らせつつ。
このまま何もなければ一安心。
捕らえるかどうかは後からでもできるだろうし、ここは何もないことに賭けておこう。
そう、流れに身を任せて。

@@@

「まって……来る……。」
襦袢の上だけを脱いだまま、少し強引に口を離し。
肩越しに見える窓に視線をやる。
「動ける……?」
右耳の近くで鳴る囁き声に、いやと身体を熱くしながら。
「切り替えができてない……。」
今すぐ戦闘に持ち込めるかと言われれば、はっきりとNOと言えるだろう。
ここはアイザックに任せた方が、無駄なく済む。
そう同じく囁き声で返し、拘束だけは私がやると肯きあい。
神経を尖らせながら、警戒しながら、演技としてまた口付けを交わし。
かちゃりと、刀が静かに鳴った。
時。
襖が開けられる音。
私の背後。
反射的に振り向こうとするが、頭を押さえられ。
少し声を漏らす。
気配だけ。
音だけ。
然し、これと言って動きはない。
もしかして、成功したか?
そう、眉間に皺を寄せた時。
唇が放れ。
「明鏡止水……月下美人の花園……!」
瞬間、かちゃりと刀が鳴ったかと思うと、きんと甲高い音が耳を劈き。
すぐさま刀の跳ねる音。
と、左腕に感覚。
とんとんと叩かれるそれに、瞬時にイメージ。
相手は見えない。
だが、気配を探して。
拘束……!
「ナイス……。」
ちゅっと、軽く頬に口付けをされ。
少し驚きつつも、はぁと息を吐く。
相変わらずアイザックの胡座の上に乗ったまま、ゆっくりと振り返る。
そこには両手両足を拘束された男が一人。
昨日の夜に来た女と似たような着物に、少しさらしの白が見えている。
「さて……このままいちゃいちゃ続けちゃうか、早速吐き出させるか……。そこは女王様である小豆に任せるよ。」
やけに色気のある声に、男から視線を外し、赤い布を見つめ。
「一度入ったスイッチは元には戻らないの。」
少し眼を細めながら、顔を近づける。
「だから、続けよ……。」

暫く戦も夫も子どもも何もかも忘れ。
やっとこさ落ち着き、肌の上から直接襦袢を着たまま、拘束した男に近づく。
鼻血なんて垂らしちゃってと呆れながら、腰に手を当て、左手でその顎を少し持ち上げる。
興奮と狼狽、恐怖が入り混じった妙な面持ちを見据え。
眼を細める。
「お前の大将は誰だ。どこの街の大名だ?」
声を低く鳴らせながら、答えを待つ。
が、案の定一言も離さず。
溜息を吐きながら、少し振り返り。
布団の上に座り込むアイザックに対し、顎で男の方を指した。
と、刀を左手に徐に立ち上がり。
視線を男に戻しながら待っていると。
かたりと一つ鳴り。
瞬きをする間に、月光を反射する白刃が。
男の首に。
ひっと少し声をあげ、己の右にある刃に視線をやる。
「早く言った方がいいよ。痛くて熱くて死ねない地獄を味わいたくないのなら……。」
低く静かに鳴る声に、男は鼻を啜りながら、恐怖の色を見せ。
ややあって、私に視線をくれると。
「た、大将は……ホカドウ街の大名、で、です……。」
ホカドウ街の大名。
今回の総大将とも言うべき人間だ。
そうと一言言いおき、顎から手を離す。
それにしても、昨日の女と似た着物なのは妙だな。
刺青まで同じなら、何かの組織か、はたまたお家関係か。
どちらにせよ、今ならじっくりと観察できる。
少し身を屈め、右手でそのさらしをぐっと下げる。
と、確かに。
黒色で、二頭の竜が。
やっぱりかと溜息を吐き、手を離し、姿勢を正しながら。
「何の組織だ? 昨日の夜も敵をよこしただろ。」
腕を軽く組み、顎を引いて男を見据える。
何をまた興奮してんだかと言うような面持ちも余所に。
「ほら、さっさと吐きなよ。女王様の餌になりたくないんなら。」
左からの声にああそうだと胸中で肯き、じっと見つめる。
と、またややあって。
「き、奇襲として……侍と忍だけの隠密組織を……。な、名前は、普通に、隠密隊、ですが……。」
当たり前すぎる情報に溜息を吐き、ぐっと顔を近づけ、下から睨みつける。
「何の組織かって訊いてるんだ。解るだろ? もっと重要な情報を寄越せって言ってんだ。」
吐けよと眼で促しつつ、答えを待つ。
と、視線があからさまに。
「そんなに胸が気になるんなら、寧ろ出してやろうか? ああ……そうだ。お前を殺すのは勿体ないし、ここは交渉と行こう。さっきから興奮冷めやらぬって感じだし、お前が一つ情報を言い、私たちがいいと判断すれば、私からご褒美をやろう。それでどうだ? デメリットはないぞ?」
最後に更に顔を近づけ、にっと口角をあげる。
さっきから興奮しているうえに、情報を言うだけで死は免れ、然も女からのいやらしいご褒美をくれる。
これだけの好条件ならすぐに承諾するだろうし、アダルトサイトに仕組まれた詐欺と同じ要領で、色々と騙せるだろう。
組織の情報だけでなく、総大将や敵軍全体の情報もゲットできれば……。
少数でも、無理なく駆逐していけるはずだ。
「な? アイザック。」
葛藤の色を見せる相手を見つめたまま、そう話しかける。
「小豆らしくないけど……まぁ、生かしておく方がいいしね。」
けたけたと少し笑うアイザックに横目で一瞥をやり、刀の仕舞われる音を小耳に、どうだと小首を傾げる。
と。
「あ、ああ……話す、話しますよ……。」
少し震えた声に、よく言ったとばかりに、更に口角をあげた。




160,情報の有無



翌朝。
まずは話し合いが先だと、情報を聞き出すお楽しみは後にし、朝食を食べたのち、ハチベエさんと軽く会話を交わし。
恐らく今後も来るだろうから、オーカサ街に行った優秀な戦士を更に厳選し、一人でもいいから戦力を増やすことにすると肯きあい。
隙の出来る時は、各自、動けるように警戒を怠らず、何かあれば口笛を吹き、近い者から駆けつけるようにと。
とにかく警戒する。
それしか方法はないが、全員、常に警戒しておくことに苦痛はないと肯いた。
また、狙いは私かも知れない、という予測をたて、エヴァンもしくはアイザックと常にいるようにとも。
アーロンが常に巡回し、ハチベエさんが常に情報収集を行っているため、警戒を強めた今は、そこまでの危険性はない。
突撃してきても数人相手に応戦できたし、城でも焼かれない限りは大丈夫だ。
とにかく、あとは情報を集めるだけ。
あまり気乗りはしないが、これも国のため、将軍のためだ。
エヴァンを遠ざけ、一つの空き部屋に向かう。
無論、アイザックも刀を左手に。
特に会話もなく、男のいる部屋の襖を開け。
少し薄暗いなか、腕を組みつつずかずかと。
両手を上から縛られ、立ち膝のまま猿轡をされた男を見据える。
「さてと……もう適当に聞いて行くか……。」
溜息混じりに言い、腕組みをとき。
近づいて、少し身を屈め。
猿轡を外してやる。
わざわざこんなものしなくてもと思いつつ、姿勢を正して、左に立ち止まったアイザックを一瞥し。
早速鼻の下を伸ばす変態に対し、また腕を組みつつ小首を傾げる。
「お前たちの狙いは私だろ?」
軽く見下しながら、低く問いかける。
と、少し笑い。
「対価は……。」
にやにやと気色の悪い笑みを浮かべて。
はぁと溜息を吐き。
また見下しながら。
少し下がって。
右足に力をこめ。
素早くその首に蹴りを入れる。
大きな音が鳴り響くなか、脚を下げながら。
「テメェと交渉すりゃあ、じゃあ次はこうだ、じゃあ次はああだって、徐々に我が儘を言い出すはずだ! テメェみてぇなド変態な敵に対して、拷問なしの物々交換なんてしねぇよ! 褒美はテメェが素直に吐いてからのお楽しみだ! 痛い思いをせずにエロいことしてぇんなら、さっさと吐けこのクズが!」
喉が潰れる心配も余所に、そう大きく怒鳴り散らす。
俯くその黒髪を見つつ、ほら早くと。
「ねぇ、お兄さん。最後まで吐かないと、褒美も何も貰えないよ? ボクたちは無駄なく情報が欲しいんだ。君の沈黙は、ボクたちにとっては凄く無駄なんだよ。合理的に情報が欲しいのに、そんな無駄を作られちゃあ……。」
ふっと男の耳に近づき。
「何かが吹っ飛びそうだよ……。例えば、殺意の箍とか、ね……?」
最後まで言い、ゆっくりと離れる。
と、男の黒髪が少し揺れ。
「ね、狙いは……勇者です……。将軍よりも先に、って……。正面からじゃ無理だから、隙を狙って一気に奇襲をけしかけるっていう、作戦で、やってます……。それもあって、俺たち隠密隊がつくられ、ました……。」
恐る恐る顔をあげるその双眸を見据え。
「ふぅん。なるほど。」
狙いが私なら、エヴァンとアイザックだけでなく、フィリップもカルロスさんも常に私の周りにいれば、確実に敵を潰していける。
嘘を吐くようなバカじゃないだろうし、後でハチベエさんに報告しておこう。
「まぁまぁいい情報だな。」
一つ褒美をやるから、次もきちんと吐けよと少し口角をあげ。
男の前でしゃがみこみ。
右手を後頭部へやり。
がんと胸へ押し当てる。
嬉しいだろとけたけた笑いつつも、右腕に力をこめ。
ややあってそのまま。
「じゃあ次だ。軍の動きはどうなってる? 少数精鋭はまだ来るのか? それとも、お前ら奇襲連中だけか?」
情報をきちんと吐くってんなら、頑張って声を出しなと言い。
更に腕に、手に力を込める。
と、んーと苦しそうな声が聞こえてき。
よしじゃあ吐けと、次は髪を引っ張り、強引に顔をあげる。
顔を赤くしながら、息を切らしながら。
「しょ……少数精鋭は……まとめてた大将が死んだんで……暫くは来ない、です……。っ……今は、勇者を殺すことに専念しろって、言われてて……俺ら隠密隊以外の戦士も……っ……作戦に、加わって、ます……。」
やはりあの女大将が頭だったのかと思いつつ、なら余計に戦力を固めなければと口角をあげ。
右手を離し。
「なるほど。それなりにいい情報だ。戦力をどうするか、安心して考えられる。そうだな……対価としては……。」
右手を胸元にやりながら、ぐっと顔を近づけ。
「口付けと半裸でどうだ? 手は使えないが……まぁ、好きにしていい。正し、時間は三十分。次が欲しくても、今日はもう終わりだ。明日、しっかりと吐いてくれれば、更に自由時間を与えてやろう。」
な? 情報を素直に言うだけだと、少し嗤った。

襦袢を着直しながら廊下を歩き、先にハチベエさんと話し合おうと呟き。
軽く指の関節を鳴らす。
「なんか……暴走してから変わったよね。エロいのとか結構苦手だったのに。だから何だろう……イチャイチャしてる時と普通の時のギャップがなくなったから……ちょっと物足りない感じはする。」
物足りないってと呆れつつも、腕を組み。
「自分でもよく解らない。ただ、性格が変わってるってのは自覚してる。何だろうな。無気力な感じというか、冷たい時のイーサンに似た感じというか。」
溜息を吐く。
「確かに。まぁでも、今までは見た目に反して案外可愛いところがあるって感じだったから……現在の小豆も、別に変ではないよ。」
「周りからの評価とか印象とかはどうでもいい。ただ、もしイーサンが元に戻って、病気もある程度治って穏やかな性格になったとしたら……。子どもたちも混乱するだろうし、何よりイーサン本人が一番驚くだろうし。」
「ああ……その辺りは難しいねぇ……。でもさ、これ、終戦になったら、性格の変化どころの話じゃないよ。幾ら敵と言えど、相手はボクたちプロと同じ土俵にいるヒーローだよ? それらが全員駆逐対象になってしまったら……活躍しているプロの数は一気に減少してしまって、人員不足に陥る。それに、塾の講師や特別教師などの長期的な仕事を受け持っていれば……大きく混乱を招くだろうね。勿論、彼らの家族も混乱する。幾ら敵についたのが悪いと言っても、家族ってのは盲目になりがちなんだよ。それこそ……直接手を下した小豆か、軍師になっていたイーサン君かに刃が向けられるかも知れない……。あと、その街を戸籍にしてるプロは、その街の大名に手綱を握られてる。将軍からの命令や警鳥隊からの要請も、一度大名に行って、そこからプロに行くんだよ。だから……今回の戦を受けて、憲法改正に乗り出すんじゃないかな。例えば、勇者である小豆に全ての手綱を渡す、とか。国の政は将軍がやるんだから、勇者は国の軍事をやるって感じでさ。絶対忠誠を誓う勇者にボクたちも含むプロ連中の手綱を握らせれば、大名による反乱も起きることはない。だから、すぐにやると思う。ただ……混沌は免れないね。小豆は家のこともあるし、家族のこともあるし、そして何より勇者のこともあるし……一番大変な立場になると思う。だからその時になったら、ボクたちも色々と手伝うよ。」
最後にぽんと軽く頭を叩かれ。
少し驚きつつも、ありがとうとぶっきらぼうに返した。
確かに終戦後の方が大変だなと軽く溜息を吐き、特に会話も広がらず、ハチベエさんのいる部屋まで行き。
手短に告げ、カルロスさんとフィリップ、アーロンにも同じことを伝えておいてと言いおき、いつもの部屋へと。
エヴァンにもある程度のことを話し、一息吐き。
暫くはゆっくりしておけるかなと、刀の手入れを始めた。

@@@

昼頃から、カルロスさんもフィリップも近くの部屋に移動し、アーロンも巡回をやめ、常に私たちの部屋にいることに。
何かハーレムみたいだねというアイザックに、正直嫌なハーレムだよと返し。
アーロンと戯れながら、何となく時間を過ごし。
夜へと差し掛かり。
晩飯も風呂も済ました夜の十時頃。
エヴァンが槍を片手にやってき、今日は一緒に寝ると言いだし。
仕方ないなと微苦笑を漏らしながら、何となく時間は流れ。
また、エヴァンを左に抱き合いながら横になり。
眼を瞑る。
暫く静かな夜の時が流れる。
すやすやとエヴァンの寝息を小耳に、うとうととした気持ちで。
また、暫く……。

夢。
夢。
夢。
うとうとすやすや。
夢。
夢。
夢。
うとうとすやすや。
夢。
夢。
ゆ。

ふっと眼が覚め、少し身を起こす。
と、そこには。
人影一人に対し、刀を左手に柄に手をかけ、仁王立ちで佇むアイザックと。
人影一人に対し、右掌を向け、睨みつけるフィリップと。
人影一人に対し、白刃を向け、上から見下ろすカルロスさんと。
人影一人に対し、三つ叉の刃を向け、低姿勢で固まるエヴァンと。
人影一人に対し、少し唸りながらこちらに背を向けるアーロンが。
その異様な、然し頼もしい威圧感のなか。
上半身をきちんと起こし、人影を見据える。
「……殺される覚悟は。」
アーロンの低く渋い声に、人影は微動だにせず。
静寂が訪れる。
既にこっちにはいい人間を捕らえている。
これ以上の人間はいらないし、どうせいつか殺す連中だ。
「何でもいい。早く殺しな。」
低く突き放すように呟く。
刹那、敵の首が薄暗いなかで跳び。
とんと、落ちる音。
カルロスさんの持つ刀から、血が滴りおち。
ややあって、それぞれゆっくりと動きだした。
死体は俺が持って行くとカルロスさんが言い、軽くお礼を言いつつ、寝ようと促してくるエヴァンに肯きかえし。
また軽く抱き合いながら、枕のうえに、頭を乗せた。

また夢へと落ちながら、いつの間にか朝になり。
いつも通りに布団を畳んで。
いつも通りに朝食をとって。
いつも通りに洗濯物を干して。
いつも通りに洗濯物を畳んで。
いつも通りに食器を洗って。
いつも通りに、時間を過ごして。
また情報を絞り出しながら、とても戦争中とは思えないような日常に、少し溜息を吐き。
日も流れ、案の定やってくる敵を簡単に打ちのめしつつ。
いい加減飽きないのかこの奇襲作戦と思いつつ。
いつも通りに、月日は流れ。
二月も、終わりを迎え。
情報を手に入れるだけで、こうも楽なのかと、昨日殺した例の男の死体を適当に燃やし。
明日から三月だなと、昼飯も食い終わり。
また夜を迎え、眠りにつき。
その三月一日へと。
相変わらず朝食を食べ、少し暇な時間を持て余していた時。
アーロンが静かに。
「敵軍を確認した。遂に戦力だけで押しかけてきたらしいな。城の護衛はいいから、ワシも含む全員、草原に出向けと。海や空からの奇襲はないと見た。完全なる真正面からの戦じゃ。」
少し口角をあげる狼に、おおそうかと愉快に返事を返し。
早速、襦袢の帯に手をかけ。
「アイザック、背中は任せたぞ。」
横目で一瞥をやると、勿論と肯き。
大暴れしてやるさと胸中で呟きながら、襦袢を脱ぎながら、口角をあげた。


コメント

#35 ビビり転生者は幸不幸の狭間で葛藤を~愛は彼らを救う~

2018-11-05 09:58:49 | ビビり転生者は幸不幸の狭間で葛藤を~愛は彼らを救う~
元の小説は「小説家になろう」にて連載中。
https://ncode.syosetu.com/n8771eu/


前回のお話はこちら。
https://blog.goo.ne.jp/nekomaru14/e/19c5aa297de4ee0b488163252c040874

#1の記事はこちら。
https://blog.goo.ne.jp/nekomaru14/e/e9c7b8c249a7ede51228b3129ba64778

キャラメーカーによるキャラクターのイメージ画像集はこちら。ネタバレ注意!!
https://blog.goo.ne.jp/nekomaru14/e/ed15c8a663b710b6e3f51cbcda3aac14





151,Bridge&Doctor



翌朝。
抱き合ったまま寝てしまったようで、また寒い風に身を震わせながら襦袢を着。
あれこれと忙しなく朝食を食べ。
アーロンから伝言が来るまで、いつもの部屋で軽くストレッチをし始める。
昨日の夜、話し終えたあと、また少し話したのだが、その時の会話と状況に、何となく既視感があった。
夢のような現実のような。
正夢というか、予知夢だったら怖いなと思いつつも、ぐっと立ったままブリッジをしてみせ。
ると同時に襖が開けられ。
あれとそちらに眼をやると、カルロスさんが。
「なっ……何かお話でも?」
よいしょと両手で畳を押し、ブリッジからまた立ち上がり、腰に手を当てながら小首を傾げる。
凄いなと言うカルロスさんに、いやいやとかぶりを振る。
と、ややあって恐る恐る訊いてきた。
「昨日の夜……やってた、よな……? それぞれ、パートナーがいるはずじゃあ……。」
あっと思わず声を漏らし、ぴたりと固まる。
そうだった、話してなかった。
受け入れる前に言ったものの、アイザックの本音を聞いた直後に忘れてしまい、そのまま……。
面倒くさいことになった。
実の兄だし、もしかしたら怒ってイーサンやエマに言うかも知れない。
だがはぐらかしても意味がない。
明らかに声が聞こえてたようだし、どうやって嘘を吐けばいいんだ。
んーと眉間に皺を寄せ、どうしようかと悩んでいると。
「……俺は何も言わない。例え二人の関係が、所謂不倫だとしてもだ。」
はっきりとした声音に、恐る恐るカルロスさんを見。
じゃあと、二の腕を掴みながら。
「実は、一昨日の夜にアイザックが泥酔して……それで襲われたんですけど、正直なところ凄く嫌って訳でもなくて、結局……そのまま……。んで昨日は、シラフの状態で。ただ、エマも瀕死状態で、お姉さんも亡くなって……もう私しかいないって、凄く悲しそうな顔をしてて……素直に受け入れました……。正直な気持ちを言うと、アイザックにも、好意があるというか何というか……。でも凄く好きなのはイーサンだし、恋人とまではいかない感じで……。なんか、とにかく微妙なんです。仲間とか親友とかで収まるような関係じゃないし、かと言って恋人以上でもないし。ただ……アイザックが色々と話してくれまして……。刀傷の事とか、その、強制猥褻の事とか……。お姉さんが大好きだったんだってのも、それらを聞いて……。だから、何だろうな……代わりというか、とにかくアイザックがこれ以上壊れないために、私が支えてあげてるっていうか……。ああああ別に不倫とかそういうのじゃないですから。そんな、そこまでアイザックが好きって訳じゃないし、ななななんかほら、凄くヤバい感じがするでしょう? お互いのパートナーが病院にいるのに……。なんか……。」
途中で取り繕うように両手を振り、最終的には視線を外して、また二の腕を掴んだ。
不倫じゃない。
浮気じゃない。
そう思っても、もう二回もやってる。
何とも言えない、禁忌に触れ続けているような、居たたまれない感覚に、下唇を軽く噛む。
「……まぁ確かに、九条さんと妹は似ている。だからと言って俺たち兄弟や母上と似ている、という訳ではない。オーラというか、雰囲気のようなものが似てるんだ。凄く、妹にな。だから、アイザックが九条さんに甘えるのも訳ない。エマさんとイーサン君には申し訳ないことだが、黙っていれば、そうそう気づかれることはない。ああ、俺もわざわざ告げることはしない。弟のため、というのもあるが、何せこういうのは昔からよくある。特に戦国時代。女も男も関係なく戦に駆り出されていた時代。無論、精神的にお互いを癒すため、本当は夫がいる者と愛しあい、本当は妻がいる者と愛しあい、どうにかこうにか士気を保っていた。まぁ、それらは借りのものだから、月日が経てば自然となくなった。だから気づかれることはなかったし、何よりよくあることだったから、一般人側の家族はみな、渋々肯いていた。勿論、夫婦で戦に出る場合もある。その場合だと他者と愛しあう必要はないのだが、どちらか一方が戦死すれば……。まぁだから、こういうことはよくあるんだ。昔からというか、多分この国の人間は、全員そういう性質を持っているんだと思う。それもあって、余計にアイザックは九条さんを愛し、九条さんはアイザックを受け入れているんだろう。」
気に病むことではないというカルロスさんに、ただただ肯く。
昔からあったのかと思いつつ、お姉さんと似ているという言葉に、少し眉間に皺を寄せた。
転生者は、不幸な人間が大切にしていた故人に似る。
アヴァもイーサンもそう。
だからこそ、親子と夫婦になった。
だが、アイザックのお姉さんに似るというのは、何なんだ?
然もまるで狙ったかのように、お姉さんは自殺した。
まさか、転生者がいる時点で、不幸な人間の支えとして……?
一見して有り得ない話だが、幾らなんでも揃いすぎだ。
「どうした? 何か、また……。」
「あっ……すみません、私の悪い癖で……。」
すみませんと小さく呟き、微苦笑を浮かべる。
そうかと頬を掻くカルロスさんに、まぁそういう関係ですと視線を外した。
「……九条さんは俺の方がアイザックを支えていけると言ったが、恐らく逆だろうな。アイツは、所謂シスコンというやつだから。俺よりも姉をとる、そんな奴でな。だから、姉と似ている九条さんの方が、アイツを支えていける。」
それだけは把握しておいてくれと言いおき、静かに去っていった。
お姉さんと似ている私の方が、か。
なら、親子と夫婦に続いて、姉弟に?
同い年なんだがなと、軽く苦笑を漏らし、嫌に綺麗な晴天を見つめた。

@@@

アーロンからの伝言により、戦闘服に着替えた私は、十字路のところで。
アイザックの病気のこともあり、一度オーカサ街まで行ったフィリップが、一人で首都に帰ってくるのだとか。
医者一人が馬に乗って走り回るなんて、随分と危険すぎやしないかと思いつつ、柄の上に左手を置き、ぼうっと待った。
と、ややあって、遠くの方から蹄の音が響いてき。
警戒しつつも、音のする方に視線をやる。
また暫くその状態で、一本の道から、白衣を着たフィリップが。
おーいと右手を振り、軽く近づく。
何かでかい荷物を背負ってるなと思いつつ、私の前で上手くとまったフィリップに、大丈夫だったのかと小首を傾げる。
馬から降りながら、魔物も無視して来たけど、敵兵はいなかったと元気そうに答え。
軽く白衣を払い、早くアイザック君の様子を見たいと言い、じゃあ行こうと歩きだす。
刹那、気配が背後から。
はっとして素早く左手を鞘に、右手を柄にやり、振り返りながら右足を大きく出し。
抜刀すると同時に、視界は後ろへ。
が。
大きな爆発音。
と共に爆風。
えっと眼を丸くし、抜刀したまま固まる。
煙に巻かれて相手の姿は見えないが、何で急に爆発がと、視線を左へ。
無表情に右手を相手へ向けたまま固まっていたフィリップだが、ゆっくりと動きだし、何事もなかったかのように城へ。
えっと思わず声を漏らし、慌てて刀を仕舞い、馬を左手に歩きだすフィリップの後を追う。
早足で右横に行き、何なんだあの爆発と横顔を見つめる。
と、至って普通に答えてくれた。
「爆破の魔術だよ。僕、イーサン君と同じ学校に行ってたって話したよね? 実はね、元々黒魔道士を目指してたんだ。けど、爆破だけしか使えなくて……然もそれだけに特化しててね、諦めて医者になったんだよ。イーサン君と同じ時期に中退して、慌てて医学の勉強をして、何か凄く向いてたから、数ヶ月でプロ入り。多分、イーサン君も同じくらいにプロになったんだと思う。許可つきと免許もちじゃあ世界が違うから、詳しいことはお互いに知らないんだけどね。勿論その時から神獣化のことは勉強してて、それもあって神経科にいったんだ。」
黒魔道士を目指してたのかと、少し驚きつつ、じゃあ今はと視線を外す。
「神経科の魔術と……爆破の魔術を持ってるってことか……。」
「そーなる。医者で実戦ができる人は少ないらしいから、今も爆破の方は鍛錬をしてるよ。ああ、戦が終わるまで僕もいることになったから。爆破だけで良ければ、いつでも戦えるよ。」
少し気怠げなフィリップに、そりゃあ頼もしいなと肯いた。
爆破は属性魔法のなかでも強い方だ。
然も特化していると言っていたし、私やイーサンのように、その魔術と術者にしかできない技も持ってそうだなと、会話も特別なく、ただただ歩き。
城の前に馬を繋ぎ、そそくさとなかへ入り。
もう既にハチベエさんには話がいってるから、真っ先にアイザック君に会いに行こうと言うフィリップに、多分二階にいると階段に向かい。
いつもの部屋の前まで行き、そっと襖を開ける。
案の定いた。
然もアーロンと戯れている最中。
全部は開けず、ひょっこりと顔を覗かせた状態で、小さくアイザックの名を呼ぶ。
と、振り返り。
どうしたのと言うアイザックに、アンタの担当医が来てるよと言いながら、襖を最後まで開け。
元気そうだねと言うフィリップを一瞥し、少し笑顔を見せるアイザックに微笑みかける。
そそくさと入るフィリップは、早速背中のリュックをおろし、向き直ったアイザックに対して、あれこれと会話を始めた。
基本は医者として、時々戦力として。
ベルトを外しながら、二人の会話を小耳に、部屋のなかへ入る。
カルロスさんは鍛錬か何かかと思いつつ、手甲鉤のついたままの刀を部屋の隅に立てかけ、銃と懐に入れた弾も取り出し、刀の足下に置き。
ふぅと一息吐き、少し離れたところに座り込む。
大分落ち着いたのか、いつも通りの笑顔を浮かべるアイザックを見つめ。
こちらにやってくるアーロンを両手で受け止めながら、お姉さんと似てるという言葉を、何回か噛み締める。
もふもふとした感触に癒されながらも、考え事に興じ。
一つ溜息を吐いた。
本当のシスコンなら、恐らく大分歪んでいる。
いや、元々お姉さんを恋愛対象とは見ていなかったのだろう。
だが、堕ちたところから、行方をくらませたところから、お姉さんを思い返しては似た感じの女性と遊び。
エマと出会ってからある程度は落ち着いたのだろうが、恐らく完全に依存症になっているのだろう。
それが女性に対するものなのか、はたまた行為そのものに対してかは解らないが。
結婚した後も何回か遊んでいるし、依存というか中毒というか。
然も泥酔するとそれが酷くなる。
元々酒好きで、徐々にそうなっていったとすれば、余計に歪んでる。
で、今は支えてくれるエマが消え、身近にいる女性は私一人になった。
然もお姉さんと似ているとなれば……。
実の姉が亡くなった今、女性としても姉としても。
恐らく依存症や中毒症なのだろうが、今更治すことはできないだろう。
病気だけでも精神的に辛いのに、これ以上の苦痛は味わわせたくない。
もう不倫とか浮気とか関係なく、ただアイザックに尽くすしかない。
私一人で落ち着いてくれるのであれば。
案外責任重大だなと思いつつ、アーロンの頭を撫でながら、視線をアイザックから外した。




152,オートブロック



病気の方はやはり運良く落ち着いているようで、結果を聞いた私は、また溜息を吐き。
相変わらず動きのない敵軍を怪訝に思いながらも、ベルトを巻きつけ、アーロンと共に精神病棟に向かった。
フィリップにも三人とイーサンの話は行っているようで、ただ気をつけてと言うのみで。
アイザックの要望に応え、行く前に軽く頬に口付けを残してきた。
私に対してだけ、今まで以上に弟っぽい雰囲気で接してくれる。
現実世界の私の年齢からすれば、少し年下にはなるが、大人っぽいというイメージは徐々に剥がれてきており。
このまま姉弟のような、微妙な関係になるのだろうかと、色々と思考を巡らしながら、流れてゆく景色に視線をやった。
暫く走り、いつも通りアーロンからおり、病院前で待っておいてくれと言い、軽く深呼吸をしてから施設のなかへと。
ホワイト姓の方で名前を告げ、看護士に促されるがまま、担当医のところまで行き。
軽く会話を交わし、担当医と共に、例の部屋へ。
部屋が近づくたびに、嫌に心臓が締め付けられるような感覚が走り、胸の前で右手を握り込む。
元気なのだろうか、いつものイーサンなのだろうか。
と、担当医に言われ、部屋から見えた廊下側の鏡の前で止まる。
ゆっくりと顔をあげると、そこには鏡とは正反対に、透明なガラスが。
やはりマジックミラーかと思いつつ、こちらに背を向けて椅子に座るイーサンを見つめ。
息苦しい気持ちに、担当医の声に肯く。
また重たい扉の音が鳴り、ゆっくりと、然し気持ちは速く、部屋のなかへ。
徐々に早足になり、わっとイーサンの正面に行く。
と、案の定少し驚いて。
「小豆……来てくれたのか……。」
相変わらず元気のない、眼を逸らしたいほどの雰囲気に、軽く鼻を啜りながら、また抱きつく。
少し体温が低い。
だが、いつも通りの感覚に、自然と口角があがり。
やっぱりイーサンが好きだ。
大好きだ。
「……お前、アイツとなんかやったか……?」
えっと声を漏らしながら、少し離れる。
赤い瞳を見つめ、アイツってと小首を傾げる。
と、ふっと視線を逸らし、ややあって。
「アイザック……。アイツの匂いがすんだよ……お前から……。」
あっと思わず声が漏れるのを何とか抑え、そりゃあ多少は移るんじゃないかと、色々とはぐらかし。
小首を傾げる。
が、眼を合わせてくれず。
「そいつの服でも着ねぇと、そうそう移らねぇよ……。それか、“長時間抱き合う、か……。”」
匂いだけであれこれとつつかれ、多少驚きつつも、平然と嘘をついてみせる。
「戦ってる時に助けたり助けられたりしたら、そりゃあ多少は移るだろう? 今は常にアイザックと一緒にいるし……定期的に洗濯物を洗ったり干したりしてるし。布団も決まってないから、たまたまアイザックが使ってた布団を私が使ったりするし……。アンタが敏感なだけで、今の状況じゃあ仕方ないんだよ。別に抱き合ってる訳でもないし、心配するな。」
ふっと微笑みを見せ、反応を待つ。
と、視線をくれないまま。
「アイツ女たらしだし、信用できねぇ……。やったんだろ……アイツと……。」
いやだから違うってと、嘲笑と苦笑を交えて、頬に手をやる。
刹那、口角があがり。
一瞬にして、右目の白が、黒へ。
慌てて飛び退き、扉の近くまでとんとんとんと。
ヤバい。
幾ら抑えられてるといっても、病気は治ってないんだ。
ゆっくりと椅子から立ち上がるその後ろ姿に、得も言われぬ恐怖を覚え。
早く扉をと、マジックミラーを睨みつける。
そしてまた視線をやった時。
左から、蹴りが。
ふっと眼を丸くし、ほぼ反射神経だけでその場にしゃがみこむ。
刀がぶつかる音も余所に、更に飛び退き。
扉の前まで。
ちょっとした廊下は薄暗い。
両手に枷をされ、常に笑っている異様な人間が、ゆっくりとうなだれながらやってくる。
それだけで恐ろしく、半ば躍起になって、足で扉を蹴り。
「早く開けて! イーサンには敵わないんだよ! 早く!」
声が裏返るのも気にせず、大きく叫び散らす。
歯を食いしばり、やってくる相手に対し、少しずつ下がってゆく。
何でだ。
タイミングを見計らって開けるって、言ってくれただろ。
なにしてんだよ。
そう胸中で罵詈雑言を垂れるも、べたりと、背中に冷たい壁が当たる。
逃げたい。
逃げたい逃げたい逃げたい。
今の最高強度じゃ、イーサンの力には耐えきれない。
だから氷を使っても、逆に不利。
刃や銃は使いたくないし、体術なんて以ての外。
すぐに脚をとられて、一気に殺される。
だから……私には何もできない。
「やめて! 正気に戻って! お願いだから! ねぇ、イーサン!」
とにかく叫ぶ。
お願いだからやめて。
それの繰り返し。
だが、もう逃げ場はない。
すぐ近くまで。
駄目だ。
手足が震える。
右手が疼く。
駄目だ。
銃を使えと、右手が疼く。
駄目だ。
駄目だ。
駄目だ──

「止まれ……。」
低く震える声で、右手の人差し指をトリガーにかけながら。
無論、銃口は、相手の顔に。
と、ぴたりととまり。
うなだれたまま。
静かに、小さく息を吐きだす。
「お願い……落ち着いて……ねぇ、イーサン……?」
なるべく優しく言うも、声は恐怖で震える。
もし相手が襲いかかってきたら、多分私は反射的に、トリガーを引く。
そうならない為にも、一度かけた指をトリガーから離し。
安全装置をつけたまま、ただ銃口だけを向けて。
「私はイーサンが好きだから……。」
落ち着かせろ。
相手を肯定して。
「アイザックなんて……。」
暴れだした原因を、否定して。
「嫌いだから……。」
胸が締め付けられるが、こうでもしないとダメな気がして。
「アンタが大好きなの……。」
胸中でアイザックに謝りながら、一歩、近づく。
「ね? 落ち着いて……。」
口付けでも何でもいい、相手が元に戻るのなら。
「魔術……おさめてくれる……?」
また一歩、近づく。
「大丈夫……。」
右腕を、少し下げ。
「私はアンタだけのもの……。」
また一歩、近づく。
「ほら……だから落ち着いて……?」
また右腕を少し下げ。
大丈夫と、なるべく優しく言いながら、ゆっくりとした動作で銃をホルダーに入れ。
刺激しないように、ぎゅっと抱きしめ。
その顔に微笑みかける。
「アイザックのことは、好きじゃないから。」
と、笑みが消え。
ただ脳闘だけは発動したまま。
どうしよう。
口付けでおさまってくれれば。
そう、半ば強引に唇を。
暫くその状態で。
ゆっくりと離れる。
それでも、模様は消えない。
じゃあこれ以上。
先程、少し担当医と話したが、イーサンは“本能的性欲不満症候群”という精神病もあるそうで、三大欲求のなかの性欲が常に不満状態なのだそう。
確かに変態っぽい部分もあったし、神様が発情期のオス人格と言ったのも肯ける。
本能的食欲不満症候群や、眠欲不満症候群もあるのだが、とにかく食べ続けるのもとにかく寝続けるのも、どちらも身体に悪影響が出る。
然も依存症になる場合があり、禁断症状まで。
まだ自己破壊症候群に比べれば軽い方だが、性欲によってイライラしたり、行為の回数などによっては身体がぶっ壊れる場合もある。
今まではそういう人間として受け入れていたが、そこも精神病なのかと溜息を吐き。
口付けをしながら、右手を下へ。
取り敢えず欲求のスイッチを押せば、精神病に精神病が重なり、自己破壊の方が落ち着くはず。
片方は性格に近く、もう片方は本能に近い。
理性が性欲の方にぶっ飛んでくれれば、私としても何とか安心できる。
そう、苛立ちと緊張と不安を募らせながら。

@@@

「バカ……。」
息を切らしながらふらふらと立ち上がり、一つ大きく溜息を吐く。
取り敢えずは落ち着いた。
そう安堵の気持ちと共に、またバカと言い、椅子のうえで同じく溜息を吐くイーサンを一瞥し。
アイザックとは何の関係もないから、勘違いすんなよと言いおいて、やっとこさ開いた扉に行き。
少し顔を赤くしている担当医を一瞥し、廊下に出た。
後ろで鳴る重たい音を余所に、軽く前髪を整える。
すみませんと小さく言う担当医に、横目で一瞥をやったあと、軽く溜息を吐いた。
「原因はなんです?」
ややあって、申し訳無さそうに。
「オートロックの方にエラーが出まして……。イーサン君が椅子から立ち上がった時には、既に開けようとしてたんですが……。それで慌てて修復を……。やっこさオートロックの方だけ開きまして、早く扉をと向かったら……まさかの展開に、ちょっと……動揺してます……。」
いつもは真面目そうな担当医だが、どこかしどろもどろな雰囲気に、恥ずかしい気持ちも出てこず。
ただ苦笑を漏らし。
「もう一つの精神病を知っていたというのもありますが、何せ私だったから何とかなったんですよ。あの人は私以外を受け付けない。幾ら精神病でもね。だから、もし看護士がいて同じ状況になったとしても、この手は使えません。嫁以外の女にはやられたくない、そんなんだったらアイザックにやられた方がまし。そう考えるはずです。」
軽く一瞥をやり、一呼吸おいて。
「……ようは、オートロックなんか使わない方がいいって話です。それなら、二つ鍵穴をつくってしまった方がいい。というか、イーサンなら脱げ出せますよ。扉じゃなくて、マジックミラーの方から。本人がきちんと自覚してるから枷も両手だけで収まってるんでしょうが……本当なら、脚も何もかも固定して、完全に閉じ込めないと無理ですよ。」
また横目で一瞥をやり、すみません、早めに変えておきますと言う担当医に、軽く溜息を吐く。
何となくマジックミラーの方を見ると、椅子にうなだれたまま。
今回ばかりは私が誘導していったが、自分が上でないと気が済まないという症状に関しては、大丈夫なのだろうか。
何もかもを私から。
普段とは違うが、上手く不満症候群の方が働いてくれればいいんだがと、取り敢えず今日は帰りますと言いおき、歩きだした。




153,火事場の馬鹿力



城に戻るや否やアイザックに抱きつかれ、何とも言えない気持ちのまま受け止めつつ、戦闘服のまま昼飯を食べ。
敵軍の動きが全くないなと、少し暇を持て余していた時。
「火の手があがっている! 然もワシらの家から!」
そう吠えながら駆けてきたアーロンに、えっと眼を丸くする。
すぐに消火活動に当たれとアイザックが更に吠え、フィリップもカルロスさんも動きだした。
私たちの家から火の手? と訳が分からないまま、刀を左手に素早く城を出。
周りの声も余所に、なんで火の手がと、ただただ家の方に。
そもそも、火も使っていないのに燃えるのはおかしい。
じゃあ、敵の誰かが?
何でもいい、早く行かないと。
服もそうだが、マリとタツの絵もある。
それに、写真も。
通帳などの大事なものはアヴァとノアが持っていってくれたが、それ以外にもあるのだ。
この数ヶ月で築いたものが。
「うそでしょ……。」
眼前にあるのは、煌々と燃え上がる見慣れた家。
もう既に倒壊し始めており、所々煤けている。
周りの声が、大きく反響するなか。
怒りのようなものが、湧き上がってくる。
誰だ。
誰がやりやがった。
ふざけるな。
そう、とにかく叫びながら。
ぱききと小気味よい音を起てて、左足から地面を伝って。
アイザックのやめろと言う声も余所に、水を強くイメージ。
爆発しない、爆発しない程度で炎を消す。
それくらいの温度。
強く。
強く……!
と、瞬時に氷が水へと変化し、大きな津波のように、家全体を、炎全体を包み込み。
波の音と共に、一瞬間にして、炎は消え。
はぁと止めていた息を大きく吐き出し、その場にへたり込む。
「やっ……た……。」
属性をも越える変化を、感情だけでやってしまった。
自分でも訳が分からない。
ただ、戻ってくる冷気に、白い息を吐き。
周りの唖然とする声に、左手を見る。
氷が、水に。
精々雪まで、そう思っていたのに。
刹那、大きな音を轟かせて、家の半分が崩れはじめ。
はっとして素早く立ち上がり、半ば躍起になって地面を蹴る。
「小豆君! 駄目だって!」
うるさい、大事なものが沢山あるんだ。
そう胸中で叫び、煤けて煙のあがる家のなかへ。
右手で口元を覆いながら、更に悲惨なことになったなかを見渡す。
入り口から見て左側、私たちの部屋がある方が主に燃えたらしく、庭の方はあまり煤けていない。
然しそれでも、コンクリートでない家はえげつなく。
時折咳を漏らしながら、私の部屋へと。
運良くそこだけ天井が落ちておらず、燃えてボロボロになった襖を蹴り破り、なかへ。
ハチベエさんが既に死体を片付けてくれていたが、奴らがもっていた写真も何もかも、悲惨なことに。
じゃあ壁に飾っていたものはと右を見る。
「やっぱり……。」
籠もる自分の声に、焼けただれ、顔を覆いたくなるほどの姿になっているそれらを、見つめた。
まだ何とか元の姿が見れるものもあれば、完全に灰になってしまったものもある。
そんななか、あの日、壁に叩きつけ、額縁から外れた写真を。
左手で、それを拾い上げる。
運がいいのか何なのか、それだけは完全に焼けることもなく、全員、いつもと変わらず。
笑顔なんてできない今の現状では、写真のなかの私たちは夢のまた夢。
そっと懐に仕舞いながら、少し咳を漏らし。
またみんなで笑える日が来るまで、嫁として、母として、これを大切にしよう。
そう、軽く深呼吸をし、倒壊する前に、早々と外へ向かった。

外に出ると、真っ先にアイザックが抱きついてき。
多少驚きつつも、そんな心配することじゃないよと、軽く頭を撫で。
妙な気持ちのまま、ゆっくりと離れたアイザックに微笑みかけ、犯人は誰なのかという会話に耳を傾けた。
刹那。
「城に攻め手が! ハチベエ殿が危うい!」
狼の咆哮に、思考よりも先に身体が動く。
カルロスさんもフィリップもすぐさま城に向かって走り出し、後からついてくるアイザックを一瞥し。
「多分、小豆君の家を焼いてボクたちを集合させて、城に一気に攻め行ったんだと思う。一番厄介な小豆君を長いことその場に止めるためにも、ね。」
「そうだな……。わざわざ私の家を焼く動機が見つからない。」
軍を動かさず、油断していたところを上手く誘導し、一気に攻め行った。
相手は戦国時代に活躍した名家が多い。
動けないうえにこういう奇襲に慣れていない私たちは、簡単に乗せられてしまう。
甘く見ていたなと軽く舌打ちをし、早速鳴り響く爆発音に、右手を太股へ。
「刀二人に爆破一人……なら銃一人で……!」
眼前、城の前で繰り広げられる殺し合いに、アイザックを先に行かせ、銃を構える。
ハチベエさんから言われた通り、勝手に照準を合わせる魔術に、脳内で指示を飛ばす。
と、すっと銃身の動きがとまり。
敵単体を爆発させてゆくフィリップを一瞥し、簡易的なスコープを見、敵の顔を狙って。
少し近づきつつ、トリガーに指をかける。
無論、取り出す時に瞬時に安全装置を外した。
丁度いいところで、トリガーを。
顔面に直接当たり、すぐに倒れる。
「一キル……。」
ほぼ癖になっている言葉を呟きつつ、次々とヘッドショットをかましてゆく。
そして最後、アイザックが首をはね。
静寂が、一斉に辺りへ。
どうやら城の手前でハチベエさんが耐えてくれ、奥には誰一人としていないそう。
一息吐き、安全装置をまたかけながら、ホルダーにしまいこむ。
刹那、頭上から笑い声。
なんだと上を見る。
と、そこには黒魔道士の姿をした女が、一人。
きっと身構える。
ややあって、笑い声はやみ。
「イーサンくんを奪った罰だよ、ブス。」
低い声に、爛々と光る灰色の瞳を見つめ返す。
宙に浮く黒魔道士。
そしてその台詞。
ああ、家を焼いたのは、こいつか。
こいつが犯人か。
「へぇ……また、ガチ恋勢かぁ……。」
もしかして、頭のイかれたガチ恋勢は全員敵軍についたのか?
そんな愚考が飛ぶが、いくらなんでも多すぎる。
私の部屋で気持ち悪い死に方をした二人の次は、家を焼いて奇襲をしかけてきた。
いくらなんでも、ガチ恋勢に当たりすぎている。
そう、右手を柄にやり。
すっと鞘から抜く。
にぃっとあがる口角に、また灰色の瞳を見つめ返し。
「ここにイーサンがいたら、アンタ、殺されてるぞ。」
と、まだ上から。
「アッハハ、寧ろ殺されたいよ。弓矢じゃなくて、手でね。」
狂ってやがると溜息を吐き、大人しい三人の方を一瞥し。
「旦那を出汁に使うバカ女は私が始末する。アンタらはアンタらで動きな。」
ふっと灰色の瞳を睨みつけると、意味深長ににやりと笑い。
また溜息を吐き、口角をさげる。
「盲目的というか何というか……ファンなのはいいんだが、狂信者になるのはやめてくれ。気持ち悪い……。」
背後で鳴る足音と話し声を余所に、左手を首筋に。
「はぁ? うっさい、ブスのくせに。」
「それしか言えないのか、アンタ。」
「あーそうだよ、悪いかブス。」
「暴言はブスだけか? アンタの大好きなイケメン王子様は、ブスである私の旦那なんだがな。」
「っ……うるさい! ビッチ!」
「……イーサンの方がそうだけど。まぁ、本能的性欲不満症候群っていう精神病だがな。」
と、驚愕の色を見せ。
すっと眼前に降り立つ。
なにと、嫌悪感を込めた睨みをやるが、女はただ眼を丸くして。
「それ、ホント?」
敵ということも忘れたような声音に、毒気を抜かれ、ああまぁと視線を外し。
「あと今、脅迫性自己破壊症候群で精神病棟に軟禁されてる。今日会いにいったけど……暴走して、然も扉のオートロックがエラッたらしくて、逃げられないところだったんだが……銃を向けながら相手を肯定して、その性欲の方のスイッチを押してやって、なんとか、なった……。」
「そう、なんだ……。へぇ……そう……。」
どこか妙な声音に、また視線をやる。
と、ふらふらと後退りながら。
軽く笑う。
何がおかしいんだと、眉間に皺を寄せる。
「アッハハハハ……イーサンくんがね……精神病か……。」
ある程度離れたところで、ふっとこちらに一瞥をやり。
「精神病って……頭イかれた奴ばっかだよね……。」
嘲笑混じりの声に、はぁ? と反射的に睨みをいれる。
と、けたけた笑いながら。
「私嫌いなんだよねぇ。精神病患者。だって怖いし、あんなイかれた連中……人間じゃな──」
「黙れ!」
首もとから手を離し、ぐっと歯を食いしばりながら、裏返る声を。
人間じゃない、そう言おうとした相手を、強く睨みつける。
精神病患者に対する偏見も甚だしい。
夫がそうだから、というのもあるが、なんせ私は、現実世界で精神病患者や知的障害者とよく接してきた。
福祉の仕事もいいな、そう思ってたくらいに、あの人たちは賢くて優しさに溢れている。
みんな、なりたくてなってる訳じゃない。
それを、人間じゃない、なんて……。
「アンタだけは絶対に許さない……。私たちの家を焼いた挙げ句、旦那を偏見だけで見て……。」
ぐっと口角をあげ、ゆっくりと近づいてゆく。
「絶対に、許さない……。」
冷気を強めて。
「アッハハ、キチガイの嫁もキチガイってぇ? マジウケる。」
白い息を吐き。
「こっちの台詞だ……。イーサンは何も悪くないのに……。こんな、こんなクズにっ……!」
がっと地面を蹴り。
左肩まで刀を動かし、眼を見開き、その首に一瞥をやり。
微動だにしない女の首を。
振るう。
が、甲高い音が鳴り響く。
慌てて地面に足をつけ、左手も柄へ。
そうだった。
黒魔道士だから、属性魔法は殆ど全て使える。
無論、属性魔法には、氷がいる。
それでも限界はあるはずだと、更に力をこめ。
「こわっ。」
嘲笑混じりの声に、灰色の瞳を睨み返す。
「今のお前の顔、まさしく精神病患者の顔だよ。」
けたけたと笑いだす女に、がんと刀を動かす。
半ば力だけで、予想外の動きに驚愕を見せる女の腕を、下にやり。
素早く離し、今度こそと、更に眼を見開いて、にぃっと首を捉え。
殺せ。
殺せ殺せ殺せ。
白刃が、驚愕の色を見せる女の首へ。
吸い込まれてゆく──

反射的に、ただ本能的に、屋根に飛び上がる。
何が起きたか解らないが、瓦屋根に着地すると同時に、大きな落雷が。
思わず軽く眼を瞑る。
自分でも解らないが、恐らくあの落雷に当たっていれば……。
死は免れない。
ちっと舌打ちをかまし、ふらりと立ち上がり。
下から見上げてくる灰色の瞳を、白い息を吐きながら睨み返す。
刹那、刃物が眼前から。
ばっと視線を動かすと同時に左腕を顔の前へやり。
盾をイメージ。
そして瞬時に生成。
甲高い音が鳴り響く。
と、刃物は全て消え。
また魔術かと思いつつ、盾を戻し、水蒸気を纏いながら、屋根からおりる。
足がついたと同時に地面を蹴り、両手で刀を上にあげ。
女の後ろから。
素早く。
が、爆破。
反射的に右に逸れたが、左の頬が軽く焼ける。
ひりりとした嫌な痛みに歯を食いしばり、冷気を更に強め。
右に逸れたため、その場にとまり。
はぁっと息を吐き出しながら、刀を両手で構え。
じりじりと、女に近づいてゆく。
殺せ。
殺せ。
殺せ……!
脳内に鳴り響くそれらに、ただ口角をあげ。
頭上からの音に、素早く地面を蹴り、背後すれすれに落ちてくる稲妻も余所に、女の周りを周り。
最後の一つらしき落雷を背後に、がっと女の横から刀を振るう。
首だ。
首を跳ねろ。
柄から離れた左手を拳にしながら。
軽く笑い声を漏らす。
と、また甲高い音が鳴り。
また刃の魔術かとすぐに飛び退く。
厄介だなと軽く舌打ちをかましながら、右手に刀を持ち、左手の拳を開き。
ゆっくりと、相手に向け。
人差し指で、指す。
女の横顔。
刀はいい。
こうなりゃ、こっちも魔術を使う。
拘束及び体内への侵入をイメージ。
冷気をドライアイス以下にまで下げ。
右頬に霜がおりるのを感じながら。
一気に、動かす。
刹那、小気味よい音を起てて、瞬きをする暇も与えず、大きく血が噴き出るかのように、氷が相手の脚を絡め。
遠隔操作の技を駆使して、相手に悟られないように穴から体内へ。
これには流石の黒魔道士も驚きの表情を見せ。
炎をその右手に乗せ、足元の氷に翳す。
が、そんなもので溶けるはずがない。
嘘と呟き、徐々に躍起になってゆく。
刹那、急に苦しみだした。
にやりと口角をあげる。
来た。
体内に入れば、こちらのもの。
恐らく相手も、身体に魔術を宿すタイプなのだろう。
だが、数が多い分、それぞれに対する信頼度や愛情は低い。
氷ばかりを、マヤばかりを育ててきた私と比べれば……。
勝敗は決まった。
これは、私が勝ちだ。




154,虚無感と虚無僧



反響する自分の笑い声。
何もかもを凍らした黒魔道士を見下ろし、腹から笑う。
逆鱗に触れるのもいい加減にしろ。
家を焼いて、ブスだと言って、然も旦那を主語に気持ち悪いことを言いやがって。
かと思いきや、精神病患者だと解った直後に、偏見で差別だと?
ふざけやがって。
軟禁しないと元には戻れない、そう言われた私の気持ちも、本人の気持ちも理解せずに。
ふざけやがって……!
がっと湧き上がってくる涙に口角を下げ、歯を食いしばりながら、刃を下に両手を柄へ。
軽く歯軋りを鳴らしながら、氷付けにされた、呆けた顔を睨みつけ。
訳も分からずにただ怒鳴りながら、思いきり、刃を下に、突き刺した。
小気味よい音が鳴り、ややあって、突き刺したところから全てが割れはじめ。
ぱきん。
そう、原型を留めずに、陽光を反射しながら粉々に。
石畳に突き刺さる刃を一瞥し、両手を柄にやったまま、うなだれる。
冷気が戻る感覚も余所に、息を吐く。
好きな人が、精神病患者。
然も、病棟で軟禁。
今思うと、たえきれない。
やっぱり、たえきれない。
戻ってきてほしい。
いつも通りの、イーサンに。
歯を食いしばり、流れ落ちる涙も余所に、柄の上に両手を重ね、その甲に額を乗せ。
鼻を啜りながら。
「誰でも良いからっ……私の夫を返して!」

@@@

陽も沈みはじめた頃。
戦闘服のまま、武器類を部屋の隅に、ぼうっと外を見つめる。
仲間であり友達である三人が瀕死状態というのも苦しいが、何せ旦那があの状態じゃあ……。
幾ら慰めてくれる人がいたとしても、あの人の代わりになる人間なんていない。
と、ふわりと、後ろから抱きつかれ。
多少驚きつつも、その温もりに、安堵の溜息を吐く。
「アンタ……本当、急に弟らしくなったな。」
腹辺りにある手に、軽く右手を重ねる。
「だって……姉さんに似てるんだもん……。」
「……もしかしたら、アンタのお姉さんがどうなるか見越したうえで仕組まれたのかもな。」
「どういうこと……?」
「転生者は特定の故人に似るっていうのは、前に話しただろ? 私の場合は、アヴァの娘さんと、イーサンの幼なじみに似るように創られた。顔も多少は似るんだが、まぁ雰囲気とか、何となく似てるって感じで。それで、似てるってだけじゃなくて、運命的に……悪く言えば、仕組まれたシナリオ通りに、その人たちと関係を結ぶんだよ。アヴァとは親子に、イーサンとは夫婦にって……。洗脳みたいなものだけど、お互いに幸せならそれでいいし、私も二人のことは愛してるし。だからそれを、お姉さんのことを見越したうえで、同じように仕組んだんじゃないかって。普通なら転生する前に作り替えたり仕組んだりするんだよ。それを、転生した後にやった。いや、寧ろそれも事前にやったのかも知れない……。まぁそこは解らないんだが、とにかく、私とアンタの関係も……多分、アヴァやイーサンと同じもの何だと思う……。年齢的におかしいし、姉弟なのに一線を越えちゃってるから、二人のようにはいかないけど……。」
微妙だよなぁと溜息混じりに言い、身体を任せるように、少しもたれかかる。
ややあって、静かに。
「何でもいいよ……。身体の関係はエマが戻ってくるまでだし……。今は色々あるから複雑なだけで、元に戻れば……姉さんになってくれるでしょ……。」
今まで以上に甘えた、どこか悲哀のこもった声音に、軽く溜息を吐きながら、右手を肩の方へ。
手探りでアイザックの頬に触れ、眼を伏せる。
「まぁ……アンタがいいなら。別に嫌いじゃないしね、アンタのことは。」
ふっと今朝のことを思い返しつつも、小さくお礼を言うアイザックに、口角をあげる。
「……実はさ、イーサン、もう一つ精神病を持ってたんだよ。」
「え……?」
「本能的性欲不満症候群とかいう名前で、他にも食欲とかのもあるらしいんだが……まぁ、自己破壊のやつより軽いらしくて、こっちは今すぐ治さなくても大丈夫だって。酷いと身体が壊れるらしいんだが、イーサンはまだ個性とか性格とかで片付けられるくらい……。」
「そう、なんだ……。」
「……アンタもさ、病気とかじゃないけど、依存症というか、中毒にはなってるよな。女たらしって言ってるけど。」
「……多分。」
「多分じゃない。完全に中毒だって。まぁ、だからって治せとかは言わないけどな。ただ……やっぱアンタとイーサンって……似た者同士だなって……。」
「……嫌いだよ、その言葉……。」
「あ、ごめん……。何も考えてなかった……。」
「……いいよ……。実際、似てるから……。」
何とも言えない声音に、口を紡ぐ。
色々と複雑だなぁと軽く溜息を吐き、右手をおろし、ただ温もりに眼を閉じた。

暫くその状態で、軽く寝そうになっていた時、アーロンの声に何とか意識を取り戻し。
アイザックの手を引きながら、いつも通りに晩飯を。
食べ終わったあと、一番最初に風呂に入り、襦袢に着替えて。
白い数珠にまたイーサンを思い返して、深く溜息を吐きながら、敷かれた布団のうえに倒れ込む。
微妙というか、複雑というか。
何なんだろうか。
この状況は。
この関係は。
そう、暫くして。
同じくあがったアイザックを一瞥し、欠伸を漏らす。
「フィリップとカルロスさん、違う部屋に行ったって……。」
また一瞥をやり、そう呟く。
右側にある布団に座り込むアイザックは、苦笑を漏らして。
「夜、うるさいから?」
「らしい……。カルロスさんなりの気遣いだよ。今一番精神的に壊れてんの、アンタだから。」
「……ごめんね。」
「いいよ……。デメリットは、ないし……。」
と、普通に横になり。
何となく右を向く。
「……たまには話してよ、辛いこととか。」
いつも通りの声音に、ややあって、じゃあと身体を横にし。
イーサンのことや黒魔道士のことなど、淡々と話してゆく。
だが、やっぱり湧き上がってくるものがある。
最終的に半べそをかきながら、鼻を啜った。
と、腕を引かれ。
驚きつつも、近づく。
また抱きしめられるが、弟っぽい、どこか幼い感じではなく。
一人の人間のような、落ち着く抱擁。
ぐっと歯を食いしばり、溢れ出てくる涙に、軽く声を漏らし。
頭を撫でられる感覚に、早くみんな、戻ってきてくれと、胸中で泣き叫んだ。

@@@

翌朝、いつも通りに起き、朝食を食べ。
殆ど半壊してしまった家を見つめ、ハチベエさんからの指示を待つ。
またイーサンに会いに行こうかなと思いつつも、甘えてくるアイザックの相手をし。
少し時間が経ったのち。
アーロンが静かにやってきた。
「ハチベエ殿からだ。主ら二人で、一番近い敵拠点に侵入してほしい、とのことだ。重量級甲冑か着物、それか虚無僧の格好で紛れ込むことができればそれで良いとな。カルロス殿とフィリップ殿は護衛のために城に残るが、ワシもお主らの犬として侵入してみせよう。」
まさかの命令にアイザックと顔を見合わせ、なら一番解りにくい虚無僧の格好で、普通の刀だけを携えようと話を進め。
私だけ両手を覆う手袋をつけることになり、アーロンは中型犬ほどの大きさで、何かあればすぐに逃げろと言われた。
通信機も一応持ってはいるが、下手な動きはできないし、何より陰を消して侵入するだけでいい。
一人で行動するのが好きな私は、よく陰を消していたし、いざとなればアイザックだけ姿を消して首都に帰れる。
よしじゃあと、最後に例の深い笠を被って、アーロンの背に乗った。
暫く走り、目的地であるグマン街へ。
大砲を受けたナノガ街と隣接している街で、一番強固に拠を構えている。
どうやら東北側も一般人はホカドウ街に避難させているらしく、ゴーストタウンを遠目に見つめながら、アーロンの背からおりた。
すぐさま中型犬ほどの大きさになるアーロンを一瞥し、目配せと肯きをそれぞれ交わし、ナノガ街への視察に行っていた組と合流することに。
不自然にならないよう、気配を消して。
すっと、それらのなかに入り込む。
騎士や槍闘士、黒魔道士のなか、虚無僧の格好でおかしくないのかと思いつつ。
少し緊張する身体に、小さく深呼吸をし。
敵拠点のなかへ入り込む。
ここ最近で仕上げたのであろう、大きな木造の城。
気配を消しているため、門番にも気づかれず、そのまま内部へ入り込む。
まさかボッチ活動の技がここで活かされるとはなと思いつつ、すぐさま組と離れ、情報がありそうな場所へと。
アーロンの姿は敵軍にはバレていないし、何より中型犬程度なら、そうそう気にとめる程のものでもない。
どこかの街にある寺院の僧と、その飼い犬。
それだけで十分だと、軽く手でも指示を出し合い、一つの部屋へ。
また気配を消し、忙しく動き回る人間たちの間をすり抜け、何事もないかのように入り込む。
どうやら、軍略に関わる話し合いの場らしい。
部屋の片隅に止まり、更に気配を消す。
まるで大河ドラマの撮影現場に入ったかのような光景に、少しワクワクしつつも、大将らしき人物を見つめる。
軍服に身を包んだ、優しそうな女性。
一見して強そうには見えないが、謎の貫禄がある。
と、部下と思しき数人と共に。
何人か私たちのように突っ立っている人間がいるし、そうそう怪しまれることはない。
そう、暫くその状態で時間は過ぎた。
簡単に話を纏めると、軍全体の士気は下がっているらしく、何人かの大名も白旗をあげようと怯えているそう。
だが、主力となるホカドウ街の大名、そして大将が大きく宣戦布告の旗を掲げているようで、もうやめようと言う派閥といやまだやるという言う派閥で、多少の悶着が起きている。
そのため、軍全体は乱れており、纏まって首都に攻め込むことはできず、少数精鋭をつくるしかない、と。
だからグレイ家を先頭に少数で乗り込んできたのかと思いつつ、次は槍闘士と狩人の部隊で行こうという情報を記憶し、不自然のないように部屋から出。
ようとしたが。
「待って。そこのお二人さん。今度の部隊に組み込んでやるから、後で私の部屋にきなよ。」
嘘だろと、女大将に背を向けた状態で固まる。
が、そのままの状態で左手を軽くあげ。
「そこまで強くはない。もっといい兵士はいる。」
低くつくった声を静かに鳴らし、立ち去ろうと、右足を出した。
刹那。
背中にどんという感覚。
えっと眼を丸くしたのも束の間。
徐々に視界が霞。
あれと思う間にも──



155,Go away&Gun



はっと眼が覚めた時には、後ろ手に縛られ、笠もとられ。
にやにやと笑う敵兵に囲まれた状態で、左を見る。
頭を垂れ、同じように笠をとられ、後ろ手に一本の柱に縛られ。
うっと呻きながら、ゆっくりと顔をあげる。
と同時に、どういうことだと、視線を眼前の女大将に向け、大きく吠える。
と、女大将はどこか異様な笑みを見せ、こちらに一瞥をやり。
「わざわざ主力二人が来てくれるなんてねぇ。然も……」
ぐっと顔をアイザックに近づけ、眼を細める。
途端、あっと声をあげて、女大将から逃げるように動くも、じゃりと鎖が鳴るのみ。
「“十六歳だったアイザック君じゃないか。”少年のくせに、それなりに良かったぞ。まぁ、結局私の不具合で子は宿らなかったが……。どうだ、もう一度やるか? 今度は勇者様の前でも、みんなの前でも、な。」
その台詞に合点がいった。
コイツが例の相手。
敵軍にいてもおかしくはないなと、ぐっと歯を食いしばり。
前屈みに睨みつける。
「ほざけ。アイザックから離れろ。」
と、すっと流し目をくれ。
少し笑い。
「おやおや、そんな怖い顔をしては、綺麗な顔が崩れる。」
余裕そうにくすくす笑う女大将に、喉からうなり声を絞り出しながら、更に前屈みに。
じゃらりという音と、ぐんと引っ張られる感覚が走るが、そんなのはどうでもいい。
と、私のことなど無視して、矢庭に赤い布に手を伸ばし。
「また見せておくれよ。あの怯えた眼を……。」
恍惚とした横顔を一瞥し、手首の痛みも無視して、大きく叫ぶ。
「やめろ! 取るな!」
喉が潰れるのもお構いなく。
と、流石に手をとめ。
ふっとこちらに視線をくれる。
嫌な冷たい目つきに、何だとぐっと眉間に皺をよせる。
「……女は取り押さえとけ。」
低い声に、はぁ? と反射的に言う。
や否や、がんと頭と背中を押さえつけられ。
思いきり鼻を強打し。
手首は引っ張られてるわ顔面は痛いは無理な前屈だわで、踝辺りの骨が皮膚を押しつぶし、全身がきりきりぎしぎしと痛む。
くそと叫びながら、頭だけでもと力を入れるも、更に強い力で押さえられ。
はぁっと息を吐きだし、歯茎が痛むほどに歯を食いしばる。
くそ。
クソクソクソクソクソ!
結局こうなる。
結局失敗する。
世界が、運が、憎い。
成功させろ。
成功させてくれ。
やめろ。
とるな。
赤い布は、絶対にとるな。
がっと眼を見開き。
すっと後ろの紐が外され。
きっと女大将を睨みつけ。
わっと息を吸い。
ぐっと、眉間に皺を寄せ。
布が外される前にと、逸る気持ちを声帯にのせて。
ただやめろと、大きく咆哮をあげた──

何だ。
何だ何だ何だ。
視界に映る。
自分の脚。
だが、紅がある。
木目が見えないほどの、紅。
何だ。
恐る恐る、右手を見る。
紅。
痛みは、ない。
じゃあ、返り血。
左手は。
相変わらずの、氷。
はぁと息を吐く。
と、白い煙が。
冷気を、強めている。
何だ。
何が、起きた……?
恐る恐る、顔をあげる。
「!」
そこには、血と死体の山。
海。
川。
大地。
何で。
地獄の沙汰。
周りを見る。
全て同じ。
死体と血だけが転がる。
無惨に。
凄惨に。
然も、どこの部位かも解らない肉も転がり、腸さえも散らせて。
何だ。
記憶がない。
誰がやった?
アーロンか。
アイザックか。
「小豆君……大丈夫……?」
はっとして、振り返る。
赤い布を巻いたアイザック。
そしてその奥に、大型犬ほどの、返り血を浴びたアーロンが。
何とも言えない表情。
怯えてる?
いや、驚いてる。
微妙な表情。
思わず、ふらりと一歩後ずさる。
と、ぐちゃりと嫌な音を起てて。
二人じゃない。
これをやったのは、二人じゃない。
じゃあ……私……?
でも、記憶がない。
どういうことだ?
まさか、“暴走”を……?
「やめろって叫んだあと、一気に周りを凍らせて……枷も力任せに引きちぎって……“まるで、狂犬みたいに暴れ回ってたんだよ。”然も、ずっと笑って。もしかして、覚えてない……?」
恐る恐る訊いてくるアイザックを一瞥し、血の海を見つめる。
凍らせた?
引きちぎった?
覚えてない……。
「アイザックは、アンタは……怪我とか、ないの……?」
「ないよ。小豆君が護ってくれたっていうか……正直ボクも、何が起こったのかさっぱり。」
少し苦笑を漏らすアイザックに、そうかと呟き。
左手を顎にやりながら、また辺りを見る。
記憶がない。
然も、まるでミキサーにかけられたかのような血肉が散っている。
刀も没収されていたし、これだけの数を、一人で……。
やっぱり、“暴走”か。
だが、確か敵味方関係なく殺すはず。
それに、こうしてぱっと元に戻れるなんて……。
『成長を遂げたようだな。』
脳内に響き渡る声。
正月以来の、不動明王の声だ。
慌てて眼を瞑り、脳内で返事を返す。
成長って……暴走のことですか?
『ああ。成長を遂げれば、暴走も一つの武器となる。更に強くなれば、いずれ意識を失わずに暴走時の力をコントロールできるであろう。実はな、暴走を武器にしてしまったのは、“お主が初めてなんじゃ。”』
武器、か……。
『うむ。ただ、これは苦悩を味わい、極限状態にならねば成長はできぬ。外道に逸れてはならぬ、然しもっと強い力がいる、その葛藤の狭間で限界を突破すれば、また一つ成長できるのじゃ。所謂脱皮と同じ。』
……解りました。
『……“我々も、神仏共に力を溜めておる故。それまで、たえよ。”』
と、ぷつりと声は切れ。
ふっと眼を開ける。
暴走を、武器に。
そして最終的には、自分の意思でコントロール。
果たしていいことなのか、それとも良くないことなのか。
どちらにせよ、葛藤故の成長ほど、辛いものはない。
そう、一つ溜息を吐き。
首都に帰ろうと、二人を促した。

@@@

無気力なまま襦袢に着替え、情報などをハチベエさんに伝え。
一つ大きく溜息を吐いた時。
「小豆殿に会いたいと言う者が。一見して小僧だが……。」
アーロンの少し間抜けな声に、何だと軽く眉間に皺を寄せ。
敵だと何だからと、アイザックもついてくることになり、襦袢のうえからベルトをしめ、刀を一本腰に携えながら城の外へ向かった。
流石に寒いなと思いつつ冷気を強め、少し道へ出た時。
屋根から一つの人影が飛び降りる。
ゆっくりと近づいてくるその人影は、十五、六辺りの少年。
背中に背負われた、大きな刃がついた三叉槍を一瞥し、私たちの前で止まった少年を見つめ返す。
身長は私よりも低い。
156辺りか。
綺麗な顔立ちだが、なぜか右目だけ前髪で隠しており、水色の瞳は綺麗に陽光を反射し。
「……オレはエヴァン・ガルシア。槍闘士だ。戦力をあげるために来た。」
すっと右手を差し出してくる少年……エヴァンに、アイザックと顔を見合わせ、警戒しつつも右手を重ね。
「九条辰美が通り名。本名は浜松小豆だ。呼びやすい方でいい。」
「……ふぅん。じゃ、小豆で。」
何か生意気だなと思いつつも、右手を離す。
と、アイザックにも同じように。
「え? ああ……アイザック・グレイだよ。」
少し間抜けな声を出すアイザックに、やれやれというように溜息を吐き。
同じように握手を交わし、じゃあアイザックでと、どこか生意気に。
と、また私に向き直り。
腰に手を当てながら、軽く小首を傾げる。
「ねーちゃん、下着見えてる。」
無表情に指を指すエヴァンに、は? と下を見る。
ああと溜息を吐き、軽く襦袢を正し。
「んで、アンタを信用してもいいんだよな?」
恥ずかしさも何もなく、少し欠伸を漏らしながら問いかける。
と、エヴァンはこくこくと肯き。
「オレのいるガルシア家は将軍家直属の槍闘士。お前たちと同じだ。」
お前ってと軽く顔をひきつらせながら、そうかと呟き、じゃあアンタの部屋をどこにするか決めるからきなと、背を向けながら言い。
腕を組みつつ、城内へ。
「何か、イメージしてた人と違うな。」
「あーまぁ……色々あって、厳しい感じになってるんだよ。」
「ふぅん。あ、ホワイト家のにーちゃんは?」
ぴくりと心臓が反応を見せるが、何とか落ち着かせ。
「あの人は病院にいる。今日は、まだ会ってない……。」
階段をあがりながら、右手首にある白い数珠を人差し指でなぞる。
「あのにーちゃんが病院?」
「っ……。」
「まぁまぁ、後でボクから教えてあげるから。」
取り繕うような声音に、数珠から指を離す。
と、会話は途切れ。
無言のまま、私たちが使っている部屋の横まで行き。
腕を組んだまま、エヴァンを一瞥し。
「私たちの横で良ければ。ここ以外だと少し狭いが。」
と、正直どこでもいいけどと言いながら、襖を開け。
槍を背負ったまま、なかへ入る。
おーひろ、と少年らしい感想を垂れるエヴァンの背を見つめ。
「ね、ねぇ……。」
耳の近くで囁かれる声に少し驚きつつも、なにとぶっきらぼうに返す。
「やらないにしてもさ……思春期の男の子を近くにおくのは……。」
あ、と今更ながらに思い、あーと溜息を吐く。
恐らく十五歳くらいだろうし、流石にダメだなと、その背に向かって問いかける。
「ごめん。他の部屋にしないか?」
案の定、何でと振り返るエヴァンに、頭を掻きながら。
「大人の、そういう、アレがあるから。」
「……オレ、ここがいい。」
すとんと槍を横に座り込む少年。
あーと、苛立ちを抑え込むように上を仰ぐ。
「ごめんねエヴァン君。色々あるんだよ。」
優しい声音に、ふぅと溜息を吐き、上を仰いだまま。
「ああそうだ……色々と、あるんだよ……。」
だが、それでも退かないエヴァンに、うなり声を小さく絞り出しながら、顔を下げる。
と、呆れるような溜息を吐いたアイザックは、少し部屋に入り。
「エッチィ声が横から聞こえてきても文句は言わない?」
そう、ズバリと訊くアイザックに、軽くかぶりを振りながら溜息を吐く。
「文句というか、何か、年齢的に色々あるだろ。幾ら十五、六でも結婚できるって言ってもな……。」
ジト目でじぃっとエヴァンを見つめていると、少し驚いた表情のまま固まり。
徐々に顔を赤くして。
「む、寧ろ……ここがいい……。」
あーと、また溜息と共に上を仰ぐ。
思春期めと軽く苛立ちを募らせていると。
「エヴァン君がいいんなら。流石にうるさいってなったら、自由に変えてもらってさ。」
はぁ? とアイザックに軽く睨みをやり、溜息と共にエヴァンの方を見る。
相変わらず顔が赤い。
エヴァンが良くても、私は良くないんだけどと、頬を掻き。
まぁまぁ、いいじゃないとにやにや笑うアイザックを一瞥し。
んーと眉間に皺を寄せながら考えに考えまくり。
結局。
「……変な事言わないんなら。私たちので興奮しても知らないからな。自分で何とかしろ。」
ふんと少し息を吐き、腕を組んだまま、その左にある私たちの部屋に向かった。
「一応お母さんだから、色々と厳しいよ。」
「え? お母さんなの?」
「あれ、知らなかったの?」
「知らなかった……。じゃ、じゃあお父さんは?」
「あー……君の言ってた、ホワイト家のにーちゃんだよ……。」
「え……? じゃあ何で……え?」
「いやぁ……アッハハ……。」
結局面倒な話にしかならないなと溜息を吐き、ベルトを外した。



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#34 ビビり転生者は幸不幸の狭間で葛藤を~愛は彼らを救う~

2018-10-27 09:49:48 | ビビり転生者は幸不幸の狭間で葛藤を~愛は彼らを救う~
元の小説は「小説家になろう」にて連載中。
https://ncode.syosetu.com/n8771eu/


前回のお話はこちら。
https://blog.goo.ne.jp/nekomaru14/e/ae227d53577a27ba9852801f3c1d7d49

#1の記事はこちら。
https://blog.goo.ne.jp/nekomaru14/e/e9c7b8c249a7ede51228b3129ba64778

キャラメーカーによるキャラクターのイメージ画像集はこちら。ネタバレ注意!!
https://blog.goo.ne.jp/nekomaru14/e/ed15c8a663b710b6e3f51cbcda3aac14




第146話 貴方が追っていたのは精神病患者です



家の前まで来ると、その扉は破壊されており。
もしやとアイザックと顔をみあわせ、恐る恐る中に入ってゆく。
敵が潜んでいるのであればすぐに殺す。
味方なら逃がす。
と、家のなかはグチャグチャで、テレビも倒れ、タンス類も全て開けられていた。
まるで強盗に入られたかのような有り様に、舌打ちをかます。
寝室の方にいき、襖を開けると、案の定私たちの着物も何個か消えており。
高かったチャイナドレスも、下着類もやられている。
何でだとまた舌打ちをかますと、後ろから。
「勇者だから、じゃないかな。それか、所謂ガチ恋勢か。どっちにしろ、もう死んでるよ。」
間延びしていない声に、ああそうかと溜息を吐いた。
たまにいる。
イーサンを本気で愛してるファンとすれ違うと、舌打ちされたり睨まれたり。
そういう奴が軍のなかにいても、おかしくはない。
何とも言えない苛立ちに歯を食いしばりながら、試しにイーサンの自室に行ってみる。
私の方ならそれはそれで虫酸が走るがと思いつつ、廊下を歩き、左手にある襖を乱暴に開け放つ。
「やっぱり……か。」
漁られたあとのタンスに、散らばるトロフィーの類。
マフラーなど、実際にイーサンが使っている物は、確かに消えている。
変態地味た痕跡に、片付ける気も起きず、じゃあ私の部屋はと廊下に出。
また乱暴に襖を開ける。
が、予想外の光景に、眼を見開く。
畳に壁に散らばる血。
そして部屋の中心に、こっちを向いて、二人の女が。
狩人の格好をした二人は、恍惚とした表情のまま、半裸になって。
血にまみれ、一見して見分けがつかないが、二人が手に持つのは。
「着流し……ねぇ……。」
引きつる顔面に、元々白かった着流しを見つめる。
確か、それなりに気に入っていた一着だ。
然もよくよく見ると、他の衣服も餌食にあっている。
自殺したのか、はたまた誰かが見つけて殺したのか。
一歩異様な光景のなかに踏み込み、その場にしゃがみこむ。
と、畳のうえ、銀髪に染めたのであろう女の足下に。
写真らしきものを見つけ、人差し指と親指で嫌々つかみあげる。
「イーサンが好きなのはいいが……やり過ぎだろ……。」
思いきり顔を歪ませながら、その写真を見つめる。
そこには盗撮らしきアングルで、イーサンの姿が。
右手に包帯を巻いているところを見ると、結構最近のものだ。
まさか、ずっと付け狙ってたのかと写真を放り投げ、女に近づく。
血にまみれるのも厭わず、胸の前で持った着流しを掴み。
両手で持ちながら、立ち上がってばさりとやると。
血とともに、ばらばらと数枚の写真が。
やっぱりかと舌打ちをかまし、血を吸って重たくなった着流しを左に置き、その場にしゃがみこんだ。
ぱっと見ただけでも、それなりの数はある。
十枚以上はあるなと、そのなかの一枚を拾い上げ。
親指で血を拭うと、赤く筋があとを追う。
が、やはり盗撮らしき構図で。
然もスーツ姿の時。
結婚式か、ガルス暗殺の時か、それか、夏祭りの時か。
どっちだとじっと見つめる。
と、よくよく見なくてもすぐに判断できた。
アイザックとエマの結婚式の時のだろう。
丁度イーサンが一人になった時に盗撮した、ということか。
なら、一体いつからいつまで……。
嫌な怖気が走り、ぶるりと身体を震わせながら、躍起になって他の写真も見る。
ピアスをつけていない時のもあれば、買い物袋を持っている時のもあれば、戦闘服の時のもあれば。
然も、右手の傷が塞がった後の写真まで。
レクシーを抱えている時や、カツを肩車している時や。
流石にオーカサ街での写真は見受けられないが、ほぼ一年間、ずっと。
然も勘の鋭いイーサンに気づかれずに、上手く一人の時を狙って。
携帯電話はないし、わざわざ異国の高いカメラを買ってやっていたのか。
最後に、どこか遠いところから撮ったような、寺院の修行場で拳を構える写真を見て、溜息を吐いた。
恐らくまだあるのだろう。
本当に頭のイかれた奴らだなと、既に怒鳴ることもできない死体を一瞥し。
痛む頭を抑えながら、立ち上がった。
片付けもしないといけないし、ずっと死体を置いておく訳にもいかない。
血にまみれた衣服は全て処分しないといけないし、畳なんかもすぐには落ちないだろう。
そう、何となく右側の壁を見る。
飛び散る血のなか、一つの写真。
重たい脚を引きずり、それを壁からとる。
みんなで撮った写真。
その、私の顔にだけ、べったりと血が。
ぐっと拳を握りこみ、躍起になって、額縁に入れたその写真を壁に叩きつけた。
がしゃりと鳴るガラスと共に、畳の上へ。
最悪すぎると舌打ちを残し、さっさと部屋を出た。

@@@

荒れた居間のなか、イーサンの横に座るアイザックに、場所を変えようと呟く。
何かあったのと訊かれながら、玄関へ。
適当に返し、死体があるなかで休めないと言い、そそくさと外へ出た。
壊れた扉を一瞥し、雨があがり、血が流れるなか、舌打ちをかます。
遅れて出てきたアイザックに、城の方に行こうと促し、歩き出す。
刹那、狼の遠吠え。
えっと眼を丸くすると、城の方からアーロンが走ってきた。
何だと眉間に皺を寄せると、私の前に止まったアーロンは、早口に。
「ハチベエ殿からの指示だ。“イーサン殿を精神病棟に連れていけと。”詳しいことは解らぬが、ワシが貴殿らを運ぶ。精神病棟の場所は聞いておる故。」
そう言い終えるや否や、しゅううと音を起てて、それなりに大きな姿へ。
なんで精神病棟にと驚きつつも、アイザックに促され、素早くアーロンの背に。
未だに失神したままのイーサンとアイザックも乗り、落ちないように私が軽く支えると、渋い声と共に、視界は動きだす。
まさか、本当に精神的な病気がと、嫌な予感が的中しそうなむずがゆさに、眉間に皺を寄せた。

暫く走り、トウキヨ街にあるという精神病棟前で、アーロンはとまった。
血も乾き、霜と共に洗い流しながら、病棟前で待つ白衣の男性に一瞥をやり。
先にアイザックがおり、後からイーサンを抱えながら私がおりる。
と、すぐにアイザックが助けてくれ、またおんぶをすると、白衣の男性に近づいた。
男性は神妙な面持ちで会釈をし、なかで話しましょうと、病棟を指す。
心配の念が渦巻くなか、しゅううという音を背後に、男性のあとに続いた。
病棟に入ると、一つの部屋に案内され、イーサンだけ車椅子に乗せられ、一人の看護士と共にどこかへ。
両手の血も全て凍らして取り除いた私は、軽く両頬を叩き、促された部屋の椅子に座った。
ややあって、先程の男性が眼前に座り、神妙なまま。
「すみません、急に。ですがハチベエさんから情報を貰い、これはダメだと判断した結果です。単刀直入に言いますが、イーサン君は、“脅迫性自己破壊症候群”という、精神病です。イーサン君が小さい時からそれらしい部分があったんですよ。例えば……自分が怪我をするまで鍛える、とか。あとは自分を犠牲に大切な人を護ったり、どんな事があっても、貴方や子どもを躍起になって助け出したり。逆に、他人が自分のペースを乱しにきたり、言うことを聞かなかったりするとすぐに怒る。自堕落な人や努力しない人などを見ると、イライラして説教をしたり無理矢理やらせたりする。そして、自分が上じゃないと気が済まない。貴方たちのなかでは自然とイーサン君が上になっているので、そうそう怒ることはないとは思いますが、何せ自分が上でないと落ち着かないんです。所謂サディスティックと同じなので、恐らく貴方たちはサディスティックな性格だと思っていたのでしょう。ですが、この病気の場合は……“殺すことに快感を見出す。”ルイーズさん、貴方の残虐性と同じです。ただ、貴方の場合はきちんと認められており、暴走しないように訓練をすれば安全なものです。然し、イーサン君の場合は違う。自らに自覚がなく、然も暴走しないように教えても全く学ばない。また、殺さないとしても、暴力によって愛する者が傷つくことに快感を覚える。まだここまではいっていないようで、少し安心しましたが……去年、殴り合いの喧嘩をしましたよね? その時、イーサン君の表情はどうでしたか?」
脅迫性自己破壊症候群という単語を咀嚼しながら、当時の記憶を探る。
私が飛びかかり、一発顔面に拳を入れたあと。
ぐっと左腕を引かれ、バランスを崩した時に見た顔は、確かに口角があがっていた。
その時は怒りに任せていたし、何より一瞬間の出来事だったから、そう気づくこともなかった。
確かに笑ってましたと答えると、先生はそうですかと溜息を吐き。
ややあって、続ける。
「まだ家庭内暴力になるまでいっていないので、これからの治療である程度は治せると思います。然し、この病気は全て自分でやる、という症状があります。言われればやる、それがどんなものであろうと。だから軍師に対してもすぐに引き受けたのでしょう。勿論、経験のないイーサン君に魔術の絡む高度な戦略はできない。魔術を禁止した肉弾戦ならば、イーサン君でも上手く行けたかと。何せ、海での待ち伏せと忍による奇襲は成功しましたから。それに遠距離と回復を自由にさせる、というのも上手くいき、その自由にしていた白魔道士数名が瀕死状態の三人を発見し、すぐさま手当てに動きましたから。イーサン君の考えは、戦略のせも勉強していないにも関わらず、それなりの成功はおさめています。ただ、それでも被害は大きい。貴方を最後の駒として残しておいたのがマズかったのでしょう。まぁ、それもあって、暴走する寸前まで自分を追い込んだ。髪色が一気に変わったのも、この病気の症状の一つです。元々あのカラーリングはストレスなどで落ちるという欠点があったのですが、イーサン君の家系は若い頃から白髪になる家系なので、過度なストレスによって大きく色が変わっていったのでしょう。普通ならそうすぐには変わらないのですが、この病気だとその場で一気に変わるんですよ。そして大きく笑いだしたのも、過度なストレスによって感情がおかしくなったのでしょう。ああ、イーサン君はいじめで感情を無くしたと言っていますが、実はここにもこの病気が関係しているんですよ。いじめられっ子は必然的に下になる。絶対に自分が上じゃないと気が済まない症状を持っているなかで、無理矢理下にされれば、それだけで大きなストレスを負う。然も自分を追いつめやすい、という症状もあるので、自分が全部悪いんだと思い始めてしまえば……感情を爆発させる症状が逆に作用し、感情を封印してしまった。また、アイザック君に口付けをしたのも、色々と精神的に乱れ、とにかく自分を落ち着かせるために見知った人間にやったのでしょう。まぁ……今までは許容範囲内でおさまっていましたが、今回のプレッシャーやストレスで一気に狂ってしまったのでしょう。もうこうなると……“軟禁しながら治療していくしか道はありません。”」
突然の連続に、またスポンジのように吸収するしかなく、最後の言葉にも、ただ頭を抱えるのみ。
やっぱりか。
やっぱり精神病だったのか。
明らかにおかしい雰囲気だったし、自分を犠牲に、というのも肯ける。
サディスティック、ストイック。
そんな言葉で片付けていたが、確かにおかしかった。
程々にしろと言っても全く聞かなかったし、流石に無理しすぎだからトレーニングの管理は私がする言った時も、無駄にキレられて、結局断念してしまった。
注意しても聞く時は聞くが、しっかりと直したことは一度もない。
なかには一回注意した程度で不機嫌になったものもあるし、基本はイーサンが上だという感じだった。
徐々に私が下になり、多少高い買い物をしてきても、最近では注意することもなくなり。
鬼嫁なんていう言葉とは正反対の立場になってきていたが、まさか病気とはなと、無気力に、アイザックに支えられながら部屋から出た。
もう後は任せますと言いおき、廊下にあるベンチに腰掛け。
膝を抱え、そのなかに刀を持ち。
思ったよりも辛い現実に、溜息を吐く。
と、頭に感覚が走り。
少し右を見る。
相変わらずの面持ちに、頭を撫でられながら、視線を外す。
「なんか、みんなボロボロだね。」
「……私だけピンピンしてるとか、凄い皮肉にまみれてる……。」
「そうだね……。でも仕方ないでしょ? それにボクは運がいい方だよ。難病とよく解らない病気を持ってるのに、こうして動けてるんだからさ。」
「……ごめん、ありがとな。」
「……取り敢えず、暫くはエマに会わないから……あんまり辰美君も会わない方がいいよ。軟禁って言ってたし、魔術を持ってるから、多分……両手の枷くらいはするんじゃないかな。そんな状態のイーサン君に会っても、精神的に辛いだけだし、さ?」
柔らかい声音に、また右を一瞥し、いやと呟いた。
会った方がいい。
例え辛くなる状況だとしても。
「私は会う。アイザックはそれでいいと思うけど……。」
ややあって、一つ返事が返ってき、会話は途切れた。
脳闘があるイーサンを軟禁かと、溜息を吐き、白い床を見つめる。
エマもシロも銅香も、生き残るのか死ぬのか解らない。
そんな状況で精神病が本格的に発病して、然も精神病棟で軟禁。
元に戻るのかどうか、まだ解らないだろうし、一気に三人とも殉職して病気もある程度戻らなければ……。
世界は崩壊し始めている。
無論、運命も。
神仏からの予言も外れている今、みんな元に戻れる保証はできない。
一つまた溜息を吐き、今度は私が感情を失いそうだなと、眼を伏せた。




第147話 既婚者同士



その夜、ハチベエさんとアーロンと共に城で晩飯を食べ、そのままあてがわれた部屋へ。
二階にあるその部屋からは、外の景色が見れる。
死体と血、武器の転がるゴーストタウンを見つめながら、布団に倒れ込む。
と、横の部屋に繋がる襖が開けられ。
ふっと左を見ると、襦袢姿のアイザックが。
相変わらず赤い布だけは巻いているが、余裕そうな笑みを口元に。
「なに?」
仰向けになったままそう問いかけると、何も言わずに入って来る。
ただ、左手だけは見せず。
眼で追っていると、私の左側に腰をおろし、にやにやと左腕を動かし。
「酒、飲まない?」
その手に握られた酒瓶を揺らし、二枚の杯を畳のうえに。
こんな時に酒ってと思いつつ、まぁいいかと起き上がり。
軽く襦袢を正して、注がれた杯の一つを右手にもった。
「乾杯。」
アイザックの声に合わせ、軽く杯を当てる。
そしてぐっと仰ぎ、少し度数の強そうな味に、舌鼓をうつ。
枕の上にあるほんのりとした灯りのなか、病人が酒なんか飲んでいいのかと問うも、何もとめられてないよと言われ。
ふーんと返しつつ、次は少しだけ注ぎ、また飲み干して、一回畳の上に置いた。
脚を動かし、横に流すように座り直して、月明かりに照らされた畳を見つめ。
「ハチベエさんが言ってたんだけど、あの部屋には元から監視カメラをつけてたんだって。だからイーサン君の言動や行動も全部見えてたらしい。」
一切間延びしていない声に、そうなのかと返し。
「男同士の口付け、慣れてないだろ、ハチベエさん。」
くすくす笑いながら視線をやると、酒を飲みながら小さく肯き。
一回杯を置き、同じように笑った。
「正直気持ち悪かったって。然もボクが微動だにしてなかったから、余計にさ。」
「確かに、結構異様だったぞ。」
「だってエマの事で頭がいっぱいだったんだもん。というかイーサン君、力強すぎて結構痛かった……。」
そう言いながら二の腕をさするアイザックに、あ、ごめんと慌てて手を合わせる。
「いいよ、仕方ないでしょ? 病気……だしさ。」
苦笑混じりの声に、手を下げながら、少し眼を伏せる。
「脅迫性自己破壊症候群、だったよな?」
「……うん。初めて聞く病名だけど、精神病って難しいらしいね……。」
「……治るかな、イーサン。」
そう、アイザックに視線をやる。
と、口元から笑みを消し。
何とも言わず、頭を掻く。
「イーサン君から言われてたけど……辰美君のネガティブ思考は厄介だね。」
苦笑を浮かべ、また酒を飲みだす。
ネガティブ思考ねぇと、視線を外し。
少し欠伸を漏らす。
と、私の方の杯に酒が注がれ。
「まぁ、今日は沢山飲みなよ。酔いには勝てないでしょ。」
いつかのイーサンも同じことをやってたなと思いだし、少し笑みを見せ、じゃあと杯を仰いだ。

@@@

心地よい気持ちに、布団の上に寝転ぶ。
時間も忘れて、一つ欠伸を漏らして。
「……一応ボク、女たらしだからね。」
ふっと微笑むアイザックを一瞥し、そーでしたねぇと言いながらごろごろと右へ。
いやぁ心地よいと、にゃーにゃー言いながら、また戻ってゆく。
うにゃあと伸びをしながら元の布団に仰向けになる。
刹那、ぐっと覆い被さられ。
えっと眼を丸くすると、不敵に笑うアイザックが。
「いいよね。イーサン君も許してくれる……。」
どこか呂律の回ってない声に、流石に眉間に皺を寄せ。
「ダメ。」
内股に脚を動かすも、アイザックはどいてくれない。
案外強い力のせいで両手は動かせないしと、じぃっと赤い布を見つめる。
「じゃあ……口付けだけでもさぁ……。」
そう少し近づくアイザックに、だからダメだってと、眉間に皺を寄せる。
だが、両手首を掴まれ、無理矢理腹の前まで持っていかれると、片手でがしりと固定され。
えっと眼を丸くする暇もなく、唇に感覚。
んーと抵抗しようと脚を動かすも、内股にしていたのが運の尽き。
両端から挟まれ、完全に拘束された。
かと言って氷は使えないしと、入ってくる舌に、眉間に皺を寄せる。
幾ら何でもダメだってと胸中で叫び、何とか声帯を震わすが、全てんーという音に。
イーサンなら力で押されてしまうが、まさかアイザックにまでも押されてしまうとは。
見た目はもやしっぽいのにと、案外上手い口付けに、ぐっと眼を瞑った。

暫くそのままで、やっとこさ離れたと思いきや、口付け以上のことにまで。
結局、アイザックの巧い誘導に乗せられてしまい。
「ダメだって……。」
掛け布団で顔を隠し、皮膚に直接あたるシーツの感覚に溜息を吐く。
ダメだってと何度も言っているくせに、されるがままだっただろと自分に怒る。
恐らく泥酔で襲ってきたのだろうが、禁忌に触れてしまったような気がし、布団のなかで小刻みに震える。
幾ら仲間でも、幾ら友人でも、どっちも既婚者。
エマはまだ寛容的だろうが、イーサンは……。
ああだからダメだってとまた同じことを呟きつつ、アイザックに背を向ける。
と、酔いと疲れもあり、すぐに眠気がやってき。
ふっと、眼を瞑った。

@@@

翌朝。
裸のまま寝てしまったようで、窓からの風に身を震わせながら、下着と襦袢を着。
一つ欠伸を漏らして、枕元の懐中時計を見る。
「六時……いつもより早いな……。」
ぽいと半ば放り投げ、左を見る。
横になって寝ているアイザックに、はぁと溜息を吐き。
相手が相手だからいいものの、本当なら一番嫌いなタイプだ。
流石に怒らなきゃなと思いつつ、布団から出、軽く背伸びをする。
と、ややあって衣擦れの音が。
ふっと振り返ると、ゆっくりと上半身を起こし。
コイツも裸のまま寝てたのかよとまた溜息を吐き、低く、おはようと言う。
腕を組み、じぃっと見ていると、気がついたアイザックは、欠伸を漏らしながら。
「おはよ……。って……もしかしてだけど、またやらかした……?」
どこかあやふやな言葉に、ああと睨みつける。
あっと固まる相手に、溜息混じりに吠える。
「酒で無差別に女を襲うんなら、もうやめろ。全員が全員アンタが好きな訳じゃないし、エマにも辛い思いをさせる。今までは運良く回避してたんだろうが……もし相手が本気にしたら、エマが狙われるんだぞ? アンタにもファンがいる。ガチ恋勢にばったり出会してそのまま酒を飲みにいって……ああ、考えるだけで鳥肌が立つ。とにかく、今回だけは眼を瞑るが、その代わり、今後一切酒は飲むな。それか限度を守れ。まぁ、酒好きっぽいし、禁酒するのが一番だがな……。というか、本当は凄く嫌なんだぞ? アンタみたいな人間。まだアンタは自覚してるし常識的だけど……正直、今日一日話したくないかも。」
眼を伏せ、後頭部を掻く。
イーサンに似た感じだからまだいいがと、また腕を組む。
怒られたアイザックは、ごめんと呟いて固まるのみ。
常識的だし、すぐに直してくれるだろうと思いつつ、取り敢えず服着なよと言って、外に向き直った。
相変わらず地獄のような光景だが、今日のうちに全て片付けるのか、それか何もかもが終わるまで放置しておくのか。
腐敗が始まれば、幾ら血の匂いに慣れてる私たちでもしんどいぞと思いつつ、視線を外した。
時、襖が開けられ、アーロンがちょこんとそこに座る。
なんだと軽く小首を傾げると、少し早口に告げた。
「朝飯を食べたのち、例の精神病棟に行くぞ。イーサン殿からの要望らしい。ああ、敵軍に動きはない。まだ将軍の位置はわれておらぬから、来るとしたら首都だとも。」
じゃあ待ってるからなと言いおき、アーロンは去ってゆく。
イーサンからの要望ねぇと頬を掻き、先に行ってるからなと言い、そそくさと部屋から出た。

暫く歩き、一つの部屋に行き。
既にいたハチベエさんに挨拶をし、指された椅子に腰掛け。
いただきますと軽く手を合わせて、もくもくと食べ始めた。
食料だけはたんまりとあり、私たち三人でも全ては食べきれない。
と、相変わらず生肉を喰らうアーロンを一瞥し、何の肉なんですかとハチベエさんに問うと。
「人肉だ。新鮮な、な。」
意味深長に眼を細め、すっと視線を外される。
人肉、然も新鮮。
その辺りに転がってる死体かと一つ溜息を吐き、また食事に戻る。
暫くして遅れて来たアイザックを一瞥し、ただ無言で食べ続け。
最後の一口も食べ終わり、食器類は拙者がやると言うハチベエさんに甘え、既に食べ終わっていたアーロンに近づく。
すっと座り直すアーロンの頬辺りを両手で撫でながら、アイザックが終わるまで待ち。
ややあって、迷惑かけてばかりだねと言いながら立ち上がり、慌てて後を追う。
何とも言えない背を追いながら、ちょっとキツすぎたかなと頬を掻く。
「エマじゃないのに、何か偉そうにごめんな……?」
「んー、いやぁ、大丈夫だよ。正論だもん。というか、本当にごめんね。」
少し振り返るアイザックに、いやと二の腕を掴む。
「……ちょっと気持ちがブレてる……。」
正直なところ、アイザックが嫌いという訳でも普通という訳でもない。
出会った当初は気味悪がっていたが、今は微妙な気持ちだ。
特に刀を持った時の姿など、妙な気持ちになる。
確かにアイザックも顔立ちはいいし、今までは当たり前の反応だと気にしていなかったが。
今回、互いのパートナーが病院送りになったせいで、少しずつその気持ちの正体が解ってきた。
イーサンがいながらも、確かにアイザックにも好意を寄せているということを。
だが、相手は女の扱い方に慣れている。
もしかしたら、上手く扱われることに、今まで味わうことのなかった気持ちよさを感じているのかもしれない。
だからこそ、盲目的になっている。
その可能性は高いなと思いつつ、先程の部屋へ戻り、戦闘服に着替えるため、アイザックだけ左側の部屋へと。




148,真っ白な彼



精神病棟。
薬と魔術である程度は落ち着いているらしく、危険性はないとのこと。
ただ、昨日の夕方辺り、流石に眼を覚ましたようで、それから落ち着くまで色々大変だったとか。
病気が本格的に発病しているなか、貴方は精神病を持っていますと言えるはずもなく、色々とはぐらかしながら進めたそうで、力は強いは睨みは怖いはで、何人かの看護士が泣き出したらしい。
普段の睨みでも恐ろしいのに、発病している今は、異様な雰囲気もあって余計に恐ろしいものになっている。
然も、感情が無くなったあとに感情が狂う症状が出ているため、一番封印していた楽が暴走しているらしく、何かあれば口角をあげ、酷い場合は夜中でも大きく笑うのだとか。
まだ愉快な笑い声ならいいものの、悪魔のような、どこか狂気に満ちた笑い声なため、余計に恐怖の対象になってしまっている。
たった数時間の間なのに、既にイーサンを怖がっている看護士は何人か出ている。
また、両手の枷に対しても抵抗を示し、結局つける時だけ魔術で気絶させることになっているらしく、既に隔離部屋の机はへこんでいるのだとか。
たった数時間、今日の朝までの出来事を聞いているだけで、本当にイーサンなのかどうか解らなくなってくる。
だが、落ち着いている今は比較的元の性格に戻っている、らしい。
両手で刀を抱えながら、担当医の後に続く。
精神病棟のなかでも一番頑丈で防音効果もある部屋。
そこにいると言われ、右を歩くアイザックを一瞥する。
赤い布のせいでこちらに視線をくれたのか解らないが、何とも言えない笑みが返された。
すっと正面に向き直り、ぎゅっと両手で鞘を掴む。
幾ら落ち着いていると言われても、大好きな人が精神病だったというだけで、相当なダメージが入る。
だが、その人が望んでいるのであれば。
そう、少し深呼吸し、暫く歩いたのち、がちゃりと鍵の鳴る音が轟き。
ふっと顔をあげると、頑丈そうな扉が開かれており、担当医が。
「幾ら落ち着いていると言っても、病気自体は治っていません。もし手を出してくるようなら、すぐに抵抗してください。スキを見つけて私が扉を開けますから、その間に。ああ、一応病気のことは言ってあります。特別な反応は見せなかったので、恐らく貴方から言いだしても大丈夫でしょう。」
少し微笑む担当医に会釈をし、恐る恐るそのなかへと。
そしてしっかりと部屋に入った時、また重たく閉まる音が。
出入り口だけ少し廊下になっており、白い壁にかけられた絵を一瞥し、左へ。
更に強く刀を握りながら、外の廊下側にある鏡を見る。
恐らくマジックミラーになっているのであろうそれから視線を外し、そのまま右へ。
脚が止まる。
心臓が波打ち、何とも言えない気持ちが湧き上がる。
「小豆……。」
掠れた声に、歯を食いしばる。
涙で歪む視界には、椅子に座り、白い着流しに身を包み、両手を固定されたイーサンが。
どこか疲れたような面持ちに、微かに笑みが浮かぶ。
髪色は黒のなかに白が混ざっており、また違う雰囲気に。
ただ、相変わらず光るピアスを一瞥し、ゆっくりと近づいてゆく。
頬を流れてゆく涙も拭かず、ただ。
「ごめんな……。」
病気のことは話してあると言っていた。
イーサンのことだから、全て自分が悪いんだと思っているのだろう。
だがそれも、その病気のせい。
涙を漏らしながら、前まで来る。
俯き、少し鳴る刀を見つめ。
わっと後ろに捨て、躍起になって抱きつく。
がたりと大きく鳴る音を背景に、ただ嗚咽を漏らし、懐かしい温もりに旦那の名を呼ぶ。
震え、言葉にならない声に、ぎゅっと。
抱きしめてくれる訳ではないが、代わりのように首筋に口付けをしてくれ。
更に嗚咽を漏らしながら、早く戻ってくれと、胸中で叫び散らした。

暫くその状態で、やっとこさ落ち着き、鼻を啜りながらゆっくりと離れ。
微笑みを見せながら、その場にしゃがみこむ。
比較的穏やかな面持ちに、良かったと呟き、両手を相手の脚の上に。
「……記憶自体は、あるの?」
鼻声になる自分の声に、口調がブレる。
甘えたい、今すぐに。
その気持ちが、口調を乱す。
「ああ……。ただ、夢なのか現実なのか、よくわかんねぇ感じ……。既視感があんのに、ハッキリと現実の記憶だって認識できねぇ……。先生から言われて、何とか理解しようとしてるがな……。」
そう、少し顔をあげて微笑むイーサンに、何度か肯く。
「理解しようとしてるなら、すぐに治るよ。ね……。」
どこまでが本当の性格か、病気の性格か。
境界線は見えないが、イーサンも辛いんだと、右手を動かし。
開かれた脚の間にある手に、そっと触れる。
「ごめんな……。三人とも、俺のせ──……。」
「アンタのせいじゃない。」
少し大きく、ぎゅっと手を握りながらかぶりを振る。
驚いた面持ちを見せるイーサンに、違うと微笑みかける。
「私たちに刃向かった敵軍の総大将が、全部悪いんだよ……。アンタは悪くない。アイザックもフィリップも、マッサンも曇葉さんも、誰もアンタを責めない。攻めるのは、敵軍の総大将だ。」
な? と左手でも軽く握り。
少し傷跡の感触に眉を八の字にさせながら、またごめんなと言うイーサンに、肯きながら微笑みかける。
昨日のアイザックとの記憶を思い返しながら、ただ手を握って、何も言わずに口角をあげるのみ。
こうして呼んでくれたのになと思いつつ、赤い瞳を見つめる。
アンタも治って、三人も生きて、みんな帰ってきたら、また平和に喧嘩でもしよう。
それまで、私たちが走り回るから。
私たちが、元凶を殺すから。
心臓の一片まで、平和を返せって叫びながら、殺すから。
全員、一人残らず、この手で殺すから。
だから、お願いだから、精神的に、死なないでくれ。

@@@

「敵軍を発見した。然も今回は少数。大将らしき影も見えるが……。」
精神病棟から城に戻った時、ハチベエさんに呼ばれ、そう早口に告げられた。
アイザックと肯きあい、すぐに駆逐しますと言いおき、アーロンの背に跨がる。
草原の方にいるらしいと告げ、流れてゆく景色に眉間に皺を寄せる。
「アンタの魔術は知らないから、上手く私とアーロンを避けてくれよ。」
少し振り返り、そうぶっきらぼうに言い、正面に向き直る。
「心配しなくても。というか、本当に危険だと判断したら叫ぶから。」
了解と返事を返し、視界に集中。
アーロンも探しているようで、少しスピードが落ちた。
聴覚にも集中しつつ、左手を鞘へ。
「相手がどの職種か解らない……。用心してかかれ……。」
声を潜めながら呟き、眉間に皺を寄せる。
刹那、狼が吠える。
と同時に右に人影を捉え。
すぐさまアーロンの背から飛び降り、そのまま地面を蹴りながら刀を抜く。
軽装用甲冑に身を包む相手。
体つきからして女か。
顔は俯いたまま、左手を鞘にやったまま固まる相手に、突きの構えに。
甲冑の間を、やる。
がきん。
えっと眼を丸くした時には、右手から柄は離れ、眼前に白刃が。
何が起こったんだと思う間もなく、こちらに迫る刃の側面をぼうっと見つめる。
が、また甲高い音が鳴り響き、その刃が止まる。
はっとしてやっと身体が動き、慌てて飛び退くと、そこには刀を横に振るったまま固まる相手と、それを逆手で持った刀で受け止めるアイザックが。
微動だにしない二人だが、軋む刃の音からして、大分力が入っている。
ただ、咄嗟にやってしまったせいか、逆手で力が入らず、少しずつアイザックが押されてゆく。
このままではヤバいと判断し、地面に突き刺さる刀を拾い、すぐさま女に向かって。
業なんてどうでもいい。
いつも通り、力で。
一気に距離を詰め、少し跳躍し、地面に突き刺すように刀を持ち替え、相手の顔面を狙って、両腕を少し引き、雄叫びをあげて。
いけ。
殺せ。
平和を取り戻せ。
刹那、視界ががくりと動き。
えっと眼を丸くする。
思考が追いつかないうちに、いつの間にか。
背中に伝う地面。
視界には、青空と、アイザックの横顔。
なんだ。
何が起きた。
速すぎて訳が解らなかった。
「危なかった……。ちょっと遅かったら、今頃死体になってるよ……。」
ぐっと歯を食いしばるアイザックに、一体何がと問う暇もなく。
立ち上がり、すぐに刀を片手に私から見て右に、飛び出してゆく。
慌てて上半身をあげ、去った方に視線をやると。
アイザックの持つ刀が炎を纏い、その後、一回止まって鞘の近くまで刀を持ってゆくと、素早く抜刀するような動きを見せる。
と、炎で出来た、ブーメランのような形のものが何個か飛び、敵に向かってゆく。
だがそれを見守る訳でもなく、すぐに動き、両手で刀を持ち、敵の背後へ。
無論、ブーメラン形の刃は正面から。
それでも微動だにしない敵に、アイザックは姿を消して。
刃が敵の首もとにまで行き、やれると立ち上がった時。
全てが消えた。
えっと思わず声を漏らす。
炎の刃が、全て消えた。
その手には確かに刀が握られているが、眼で追えない程の速度に、唖然とする。
刹那、ばっと敵が後ろを向き、甲高い音が鳴り響く。
ややあって、交わる刃が現れ、柄から手、腕へと。
姿を消していたにも関わらず、上手く防がれた。
何なんだと思いつつ、互いに押し合う二人を見つめ。
軽く戦意喪失しだした時。
「もうやめろよ! “姉さん!”」
響き渡る声に、はっとして女の方をみる。
こちらに背を向ける女だが、一瞬刀が緩み。
がっとアイザックに押され、そのまま地面に倒れる。
幾ら鍛えていると言えど、男と女では力が違う。
上から押さえられれば、すぐに負けてしまう。
案の定、徐々に女の刀が押されてゆき、最終的に刃の背が身体に。
やめろと言われているのに、恐らくまだ殺そうとしているのだろう。
右手を刃の背にやり、更に押し込む。
相手があのお姉さんなら、今のうちに救いたい。
そう、刀を右手に走り出し。
「親父の言うことなんか聞くな! 私たちと一緒に……。」
左手を向けながら、大きく叫ぶ。
刹那、刀ががきんと素早く動き。
血が、吹き出す。
は? と眼を丸くする。
その間にも血は、お姉さんの首から。
がたりと重たい音が鳴り、慌てて脚を止める。
アイザックの刀がごろりと地面を転がる。
血はついていない。
ということは、自分で……。
「なんでだよ……なんで……。」
馬乗りになったまま、右手で頭を抱え。
ややあって、父親の名前を叫びながら、天を仰いだ。
恐らく、両親の代わりに兄と姉が優しくしてくれていたのだろう。
だからこそ、大きく泣き叫んで。
救うって約束したはずなのにと、左手で目元を覆う。
私たちについてくれれば、絶対に匿うのに。
そう文句を垂れても、お姉さんは帰ってこない。




149,お兄様と傷跡



「絶対に殺す!」
今まで以上に凶暴性を見せるアイザックに、取り敢えず落ち着けと、刀を投げ捨てて駆け寄る。
「まだお兄さんも手中にいる。次は刺激させないように救出しよう? それから親父を殺せばいいし、その時は私も退くから。な?」
上目遣いに見るも、舌打ちが返ってくるのみ。
エマのこともあるし、大分キレてるなと、少し躊躇いながらも、ぎゅっと抱きつく。
甲冑のごつごつした感じに眼を瞑り、落ち着けと呟く。
と、ややあって、背中と後頭部に感覚が走り。
ふっと上を見ると、どこか遠くを見つめたまま。
「ごめん……。」
少し掠れた声に、一つ溜息を吐く。
「怒る気持ちは解るが、今は冷静にならないと生き残れない。」
な? と言いながら、身体から離れる。
が、ぐっと抱きしめられ。
離れようにも離れられずに、ちょっとと眉間に皺を寄せる。
「離れないでよ、絶対に。」
どこか影のある声音に、ふっと上を見る。
相変わらず遠くを見つめているが、その頬を流れる涙に、ゆっくりと両手を動かす。
顔を下げ、一つ息を吐き出しながら、ぎゅっと背中の布を掴む。
エマもどうなるのか解らない、然もライバルこと親友は精神病で軟禁、然も然も、産まれた時からいてくれた姉が、目の前で自殺。
自分は神獣化とよく解らない病気を持ち、親は敵軍。
頼れる者は一人しかいない。
私もそうだ。
仲間が、親友が、一気に三人とも瀕死状態に。
然も、イーサンは精神病で軟禁。
幾ら護られていると言っても、アヴァたちへの心配の念は拭えない。
まだアニマルセラピーのように癒やしてくれるアーロンがいるだけいいが、旦那や親友のように頼れる人間は、アイザックしかいない。
お互いに支えあうしかないんだ。
お互いに。
あんまり喋りたくないかなって言ったくせになと、胸中で嘲笑いながら、強い抱擁に眼を瞑った。

暫くそのままの状態でいると、アーロンの遠吠えが。
はっとして眼を開ける。
「少数……然も姉さんがいた……。ということは、グレイ家の侍連中か……。」
軽く舌打ちをかますアイザックに、お兄さんがいたら武器を捨てようと言い、お互いに離れた。
さっきは私から飛びかかってしまったがと、一つ深呼吸をし、刀を右手に遠吠えがした方に。
暫く無言で歩き続け、どの辺りにいるんだと辺りに視線をやっている時。
がたりと、刀が大きく鳴る。
はっとして振り返ると、そこには刀を捨てたアイザックと、刃を向ける軽装用甲冑の男性が。
頬当であまり見えないが、何となくアイザックと似た感じだ。
恐らく、お兄さんなのだろう。
いざとなれば私が後ろから羽交い締めにすればいいし、ここは上手くこちらに引き入れるように……。
二人を交互に見つつ、ゆっくりとお兄さんの後ろへ。
無論、刀は仕舞って。
「兄さん……今ならこっちに来れるよ。」
「……勝てるのか? そっちはたったの二人。然も魔物一匹。そんな少数で……。」
「勇者がいるんだよ、こっちは。神獣使いも一人で片付けたし、寧ろ兄さんが加わってくれれば……もっと強くなれる。」
ぐっと歯を食いしばりながら、お兄さんの反応を待つ。
相変わらず刃先をアイザックに向けているが、いつ首に持っていくか解らない。
「……もし、俺が親父を裏切ったら……俺はどうなる。」
「……どうにもならない。今回の戦で、あの爺を殺すから。」
「殺す、か……。親父を支持してる他家は多い。そのなかで親父に辿り着けるかどうか……。」
「だからこそ、兄さんが必要なんだよ。こっちには勇者がいるし、魔物も十分に強い。心配する要素なんてないんだよ。ただ、兄さんが加われば、戦力は一気にあがる。」
低く、少し震えた声に、お兄さんの後ろ姿を見つめる。
メリットは十分にある。
あの日、父親に抵抗した時のような勇気があれば。
早く決めてくれと、少し姿勢を低くする。
と。
「……解った。寝返るよ。」
すっと刀を仕舞い、小気味よい音が鳴り響く。
おおと眼を丸くすると、お兄さんが振り返り。
アイザックとは正反対な、少し目つきの悪い瞳と目が合い。
あっと姿勢を正した時、頬当を外しながら少し笑った。
「やっと貴方のご希望に添えた……。本当、面倒くさい人間で申し訳ない。」
やはり笑うとアイザックと似るなと思いつつ、いえいえとかぶりを振る。
と、頬当を首にぶらさげ、こちらに向き直ったお兄さんは、頭をさげ。
「カルロス・グレイと申します。いつも愚弟がお世話になっているようで……。」
ああいえいえと近づき、軽く肩に手を置く。
少し顔をあげるお兄さん……カルロスさんに、腰を低くしながら、気軽にしてくださいと微笑みかける。
「堅苦しいのは止しましょう。」
と、ややあって、ではと言いながら顔をあげるカルロスさんに合わせ、少し離れて見つめ返す。
「九条さん、これからも宜しく頼む。」
すっと出された右手に、同じく宜しくお願いしますと言いながら、手袋をつけた右手を重ね。
軽く握手を交わし、すぐに戦に戻った。
ぼうっとしていたアイザックに笑いかけ、カルロスさんの情報により、敵の位置と数が知れた。
まだお姉さんが自殺したことは知らないようで、時々お姉さんの名前を言い、その度にアイザックが苦笑を見せ。
取り敢えず終わってからにしようと眼を伏せた時、遠くからアーロンが駆けてきた。
例の魔物かというカルロスさんに、ええと返し、私の前に止まるアーロンに小首を傾げる。
流石にカルロスさんが気になるようで、ちらちらと見ながらも、私に向き直って話しはじめた。
「どういう訳か、敵軍は全て退いた。取り敢えず、次が来るまで首都で待機しておいていいだろう。」
あらとカルロスさんと顔をあわせ、じゃあ帰るかと頬を掻く。
と、アイザックがお姉さんの事を言い、案の定、カルロスさんが驚きの表情を見せ。
ややあって、静かに。
「妹の遺体だけ回収しよう……。」
仕方ないことだと溜息混じりにかぶりを振り、首都に向かって歩きだした。
俯くアイザックを一瞥し、帰ろうと促し、私も歩きだす。
どうせなら二人とも救いたかったなと思いつつ、首に手を当てた。

@@@

ハチベエさんにもあれこれと告げ、特別に城内の一角に運び込まれたお姉さんの元へ。
三角座りで泣き崩れるアイザックと、その横で胡座をかくカルロスさんを見つめ、ここは水を差さずにそっとしておくかと、部屋から離れた。
敵軍の動きが安定していないとハチベエさんに言われたのを思い返し、二階にあがりながら、何となく考える。
世の中は戦国時代じゃない。
悪を駆逐するために人は殺すが、それとこれとは話が違う。
勇者御一行、特に私の力に正面からぶつかってきた結果、簡単にのされてしまった。
その部分で、恐怖心を抱く者は多いだろう。
そしてそれが多ければ、軍の士気や行動に支障が出てくる。
戦国時代でも勇者はいたのだろうが、その頃に比べれば、私の存在は恐ろしいものだ。
然も不動明王の化身だし、相手が動揺しだすのも訳ない。
我ながら最強だなとにやにや笑いながら、いつもの部屋に入り、一息吐く。
どうやらハチベエさんがせっせこと働いていたようで、部屋から見えるゴーストタウンの死体は、殆ど取り除かれていた。
ハチベエさんも大変だなと視線を外し、ベルト外して、刀をその辺に置き。
軽くストレッチをやり始める。
と、ややあって襖が開けられ。
おっとそちらを見ると、アーロンが。
「主が何をしておるのか、少し気になってな。」
幾ら人間に近い魔物でも、どこか犬らしい性格のアーロンは、そのまま私のところまでくると、すっと座り込んだ。
本当は猫派だがと思いつつも、ストレッチをやめ、同じくしゃがみこみ、その頬辺りを両手で触る。
もふもふとした感触と、尻尾を振るアーロンに癒されながら、暫くもふもふタイムに興じ。
お互いに横になり、ただひたすらもふもふし続け。
それなりの時間が経った時、アーロンがすやすやと寝だした時、アイザックが入ってきた。
どうもーと軽く挨拶をするも、泣き疲れているのか、随分と低いテンションで返され。
そそくさと部屋の隅に行き、なかの甲冑を外し出す。
あれ、今日はもういいのかと、寝たまま顔を上にあげる。
と、一瞥をくれ、小さく肯いた。
「確実に相手は動かないだろうって……。だから今日は動かなくていい……。」
鼻声になっているアイザックに、そうと返し、何となくそのまま見続ける。
籠手を外しおえたあと、てきぱきとした動きで上を脱ぎ、胴当などを手際よく外してゆく。
肩や首辺りなどにもあるため、それらを先に外し、最後に胴当を外す。
いつもイーサンは自室で外しているため、こうしっかりと見たことはない。
軽々と扱っているが、慣れていない人間からすれば、大分重たいのだろう。
と、胴当も外し終わったアイザックは、一息吐き。
案外引き締まっている身体に視線を外し、右手でアーロンの首もとを撫で。
またちらりと視線をやった時。
アイザックの背中に、大きな傷跡が。
えっと眼を丸くし、その傷跡を見つめる。
左側の脇下辺りから、右側の横腹辺りまで。
これでもかと一直線に引かれた傷に、何があったんだと眉間に皺を寄せる。
だが、脛当なども外し終えたため、すぐに上の着物も着直し、その傷は黒い着物に遮られてしまった。
また溜息を吐き、その場に座り込んで、外した甲冑の類を片付けてゆく。
恐らく、昔につけられた傷跡なのだろう。
姉の自殺によるダメージは大きいだろうし、気にはなるが、今問うのはやめておこうと、やっとこさ視線を外した。




150,酷い昔話



昼飯を食べ、またアーロンをもふもふしながら時は過ぎ。
カルロスさんも同じ部屋に泊まることになり、適当な着物をハチベエさんから受け取り。
ついでに色々と話そうかなと思いつつ、渋い色の着物を左手に、私が主に使っている部屋の右側にある個室まで行き。
軽くノックをして、返事を聞きながら襖を開ける。
「着物、ハチベエさんから頂きましたよ。」
刀の手入れをしているカルロスさんに微笑みかけ、少しなかに入る。
と、ある程度終わったのか、すぐにやめると、ありがとうと言い。
置いときますねと、正座をしながら畳の上に置き。
「ずっと思っていたが、とても勇者とは思えない美しさだな。お家関係は抜きに、イーサン君が羨ましい。」
口調もアイザックとは正反対なんだなと思いつつ、正座のままカルロスさんに向き直り、そんなとかぶりを振る。
同じく、くせ毛をオールバックにしているため、余計にアイザックと似た感じだ。
ただ、口元のほくろや鋭い目つきだけは違う。
無論、年も違うため、どこか落ち着いた雰囲気があり、寧ろ私の方が縮こまってしまう。
と、徐々に苦笑いになってゆき、最終的に頬を掻きながら。
あらと小首を傾げていると、急にとんでもないことを言いだした。
「女人にこんな事を聞くのもなんだが……親父のせいで気になるんだ……。その、旦那君はオスとして、どうなんだ……?」
オスとして……? と矢庭に身体が熱くなる感覚に、一気に冷気を強め。
例の披露宴での台詞を思い返しながら、あのそのと右往左往と。
気になるのはいいんだけど私は好きじゃないんだよと思いつつ、遂には白い息まで。
「あ、ごめんな。流石に答えられないよな……。」
慌てて謝るカルロスさんに、いや私が普通じゃないだけでと両手をぶんぶん振り、結局会話は途切れ、やっとこさ落ち着いた私は、冷気を弱めた。
「……あの、イーサン君はどうしているんだ? 戦力は二人しかいないという情報を聞いて、真っ先に九条さんとイーサン君を思い浮かべたのだが、すぐにイーサン君じゃなく我が愚弟だと新たな情報が来て……ずっと疑問に思っていたのだが。」
ああ、答えられないのであれば答えなくていいというカルロスさんに、いやとかぶりを振る。
どうせいつか言う事だ。
今言っても結果は変わらない。
そう、少し拳を握り、黄色い瞳を見つめ返す。
「イーサンは、実は……脅迫性自己破壊症候群という精神病で……。今回の戦で軍師を引き受け、ストレスやプレッシャー、そして仲間三人に指示を出した結果、三人共瀕死状態になってしまい……それで、今まで抑えられていた症状が全部出てきて……壊れてしまって……今、トウキヨ街の精神病棟で……軟禁されてます……。」
話しているあいだ、徐々にあの部屋にいたイーサンを思い返し、膝のうえで拳を握りながら俯き。
ぐっと歯を食いしばりながら、氷と皮膚の拳を見つめる。
「申し訳ない……。なかなか相手の気持ちがくめなくてな……。」
いやとかぶりを振り、少し鼻を啜りながら顔をあげる。
笑みも消え、申し訳無さそうな面持ちのカルロスさんに、エマの事も告げ、今はお互いに支え合っていくしかないことを告げ。
ただ、酔いとは言え一線を越えた関係だけは、打ち明けずに。
案の定暗い色を見せるカルロスさんに、少し微苦笑を見せ。
「多分、今のアイザックにとっては、お兄さんの存在も支えになってくると思います。私なんかよりも、ずっと。だから、何かあれば言いに来てください。愚痴とか相談とか……私が代わりに聞きますから。」
私よりも辛いのはアイザックだ。
だからこそ、カルロスさんには。
と、ややあって、そうだなと笑顔を取り戻し。
それから適当な談笑を交わし、じゃあ失礼しますと言いおき、部屋から出た。
「辰美君……。」
あらと顔をあげると、無表情なアイザックが。
何と小首を傾げる。
ややあって、首筋を掻きながら。
「小豆って、呼んでもいい?」
え、それだけと少し笑いながら言うも、うんと返ってくるのみ。
ああまぁ自由に呼んでくれていいと言うと、無言で肯き、ゆっくりと歩き出した。
何とも言えない雰囲気に、流石に笑顔も消え。
少し猫背な後ろ姿を見つめ、すっと視線を外しながら反対側に向かって歩き出した。

@@@

また適当に時間を過ごし、晩飯を食べ。
風呂も入り、はぁと溜息を吐きながら布団に倒れ込む。
今日も今日で、色々とあったなと、自分の右手を見つめる。
と、ややあってアイザックもやってき。
結局同じ空間に寝ることになったなと視線を外し、仰向けになり。
明日もイーサンに会いに行こうか知らんと思いつつ、軽く眼を瞑る。
が、衣擦れの音と共に、気配が動き。
またかとふっと眼を開ける。
案の定、アイザックが上に。
だが口元は笑っておらず、そうすぐには襲ってこない。
「……お兄さんには何も話してないし、ダメだって言ったよな?」
ややあって、少し歯を食いしばり。
「駄目なんだよ……。女性を愛でないと、精神的に保たないんだよ……。昔から、いや、ボクが壊れた時から……。姉さんがいつも庇ってくれて、優しくしてくれたから……」
そこで一度区切り、ふっと口角をあげ。
「姉さんの代わりになるような女の人に、餓えに餓えてた……。そんななか、姉さんに似たタイプの小豆君に出会って、ボクの渇きを満たしてくれるエマに出会って……。解る……? エマがいない今、姉さんに似た感じの小豆君に甘えるしか……道はない……。」
悲しげな、儚げな笑みに、流石に何も言えず。
ただ、軽く下唇を噛む。
そういう理由か。
そういう理由で、女たらしなのか。
ほぼ依存、いや、病気と言ってもいい。
だが、環境が環境だ。
病気になっても仕方がない。
仕方がないんだ。
そう、赤い布を見つめ返し。
「そんなに言うなら……。」
好きにしてくれと、軽く溜息を吐いた。

連日の出来事に、本音を聞いた私は、アイザックの背中にくっつきながら、また溜息を吐いた。
微かにへこんでいる大きな傷。
それに指を這わせ、思ったよりも歪んだ環境だったんだなと、今更ながらに思う。
イーサンの方が辛い思いをしていたのだと思っていたが、本当はアイザックの方が重たい。
恐らく、何も言わずに、上手く女性に甘えてきたせいで、辛い思いを吐きだすことをしてこなかったのだろう。
それ故に、訊いても適当に返し、何もそんなに辛い人生を送ってきた人間ではないことを、私たちに錯覚させてきた。
だが、よくよく考えてみれば、虐待なんかよりも酷い家庭環境だ。
精神的に壊れても仕方がない。
「その傷、やっぱ気になるよね。」
あっと傷跡から手を離し。
「言いたくないんなら言わなくていい。いちいち詮索はし──」
「ごめん、聞いてほしい。」
ぐっとこちらに向き直り、その大きな手を頬に。
少し驚くも、聞いてほしいと言うのであればと、その左手の甲に、自分の右手を重ねる。
「……あの爺に斬られたんだよ、十五の時に。」
予想外の事実に、思わず声を漏らす。
と、苦笑を漏らして。
「大太刀で容赦なく斬られたんだよ。頭イかれてるでしょ? 勿論病院に搬送されて、緊急手術。普通の外科の魔術じゃ間に合わないし、何より血の量が尋常じゃなかったらしい。その時は流石に気絶してて解らなかったけど、結構ヤバかったって……。それで、斬った父さんが訴えられるところだったんだけど、そういう汚い力でもみ消されてね……。結局、ボクの刀傷は事故による傷にされたんだよ。酷い話でしょ?」
苦笑混じりに語っているも、私は笑えない。
十五の息子を、大太刀で斬った。
それだけでも十分なのに、更にもみ消しただと?
やっぱり殺すべきだと、無意識のうちにアイザックの手を握り。
「ただ言うことを聞かなかったっていうだけで斬られたんだよ。本当、あの人こそ死ねばいいのに。」
ふっと殺気の籠もった声音に、ああと低く返事を返す。
「他にもあるんだろ、色々と……。」
「……うん。暴力や軟禁は当たり前。然もその時からホワイト家がどうこうって言われてたし。何回かアイツのせいで骨折もしてる。あと……十六の時に無理矢理女の人とさせられて……然もその女の人もクズでさ、ボクが嫌がってるのに、強引に……。これ、今考えたら強制猥褻とかなんとか……その辺の犯罪になるよね。」
そんなにかと、ただ溜息を吐き。
「辛かったんだなとしか言えない……。ごめん……。」
「いやいいよ。聞いてくれる人がいるだけで気が楽だし。それに……強制猥褻の話とかは、エマに話してないしさ……。一番怖かった時なんだけど、流石に話せないでしょ?」
「まぁ……。というか、十六ならそれなりに抵抗できただろ? 相手は女性だし。」
「いや……相手も小さい頃から鍛えてて、然も二十歳を越えてたから……。幾らボクが男でも、少年と大人じゃ色々と違うでしょ。」
「二十歳を越えてた……? 強制猥褻どころの話じゃないだろ……。未成年者とやるのは結構な罪だぞ。」
「うん……だから、もしボクが訴えてたら、それを計画した爺も女性も切腹されてたと思う。女性の方も戦国時代からある名家出だったから、そんなお家に泥を塗るようなことをしたら、政府の判断も押し切って切腹させる……。」
「それくらい……酷い話だったのか……。」
「うん……。勿論嫌だって言ってたから、最終的に猿ぐつわをされて、上に乗られて。両手も頭のうえで縛られてね……。気持ちいいとか興奮とか、そんなのじゃない。ただただ怖かった。流石に泣いてたし、女性のいやらしい目つきも気持ち悪かったよ……。」
「そう、か……。でもアンタ、女たらしだろ? その辺は大丈夫なのか?」
「流石に承諾を得てから遊んでるし、近い年の人しか選んでないよ。」
「まぁ、そうか……。と、とにかく……女性恐怖症にはならなかったのか……?」
「んー……一時期はなってたよ。だからそれもあって、ゲイの道に行ったんだよ。同じ男しか信用できないって。それで、本当は高二になるのに高一として転校して、当時十六歳のイーサン君とフィリップ君に会ったんだよ。本当、あの時のイーサン君は死ねと殺すが口癖で……ことあるごとに死ねって言われててね。然もホワイト家の長男……と言っても向こうは一人っ子だけどね。まぁ、例のホワイト家の人間だったから、余計に怖かったんだけど……面倒なもんでさ、案外可愛い顔付きだったから……。小豆君も知ってるとおり、イーサン君によくくっついててね。死ねとか殺すとか言われた時は流石に嫌な気持ちがしたけど、何か一人だけ違ったんだよ、イーサン君だけね。それもあってずっとくっついてたんだけど、徐々に教師とかからやられてね。比べられるのを。それからかな。ボクが本当は女性に……特に綺麗な姉さんみたいなタイプの人に餓えてたって気づいたのは。行方をくらました後も、ただただ女性と酒と刀を求めてね……。」
「そうなのか……。全部繋がってたんだな。元ゲイってのも、女たらしってのも……。然も妙に落ち着いてるのも、何か肯ける。」
「……まぁ、今は殺せる理由があるから……姉さんのことは凄く悲しいけど、小豆君を護りながら片を付けるよ。爺とね。」
そう、ふっと抱きつかれ。
少し驚きつつも、ああと言いながら、相手の背中にも腕を回した。
相変わらず、痛々しい傷跡を感じながら。

コメント

ひきこもりんね

2018-10-23 11:19:59 | 小説
ひきこもりとは、様々な理由をつけて外に出ない病気。更にビビりや心配性まであると、余計に出なくなる。

外に出ようと考えてはいるものの、また結局ひきこもってしまう。輪廻とも言うべき病気だ。




やめろ、来るな。
来るんじゃねぇ。
いやだ、もうやめろ。
これ以上僕を苦しめないでくれ。
お願いだ。
やめてくれ。
来ないでくれ。
違う、僕はびょうきなんだ。
違う。
違う違う違う。
やめろ。

また僕は枷を。
貸せって枷を。
がしゃりと鳴る。
両手両足。
遠い親戚。
僕は未だに。
もがき続ける。
けれどいずれ解る。
これが病気だって。
僕はやめた。
音と共に。

知らない。
これが現実か。
これが悪夢か。
果たして自分はどうなりたい。
どうありたい。
死ぬか生きるか。
早く決めろ。
結局怠惰に傲慢に惨めに死ぬ。
なら健康に誠実に惨めに生きろ。
それでいい。
それでいいんだ。
太陽光に晒せ。
己の醜態を。
世間に晒せ。
己の希望を。
けど違う。
僕は死ぬ。
惨めに死ぬ。
ああ違うって。
生きるんだよ。
ほら太陽光に。
違う。
死ぬんだ。
ずっと枷に繋がれたまま。
違う!
そんなのは駄目だ!
うるさい。
僕はこのままでいい。
これで暮らしていけるんだ。
違うって!
早くこっちに来なよ!
うるさい。
僕の勝手だ。
早く!
うるさい。
こんなのは違うよ!
うるさい。
ねぇ、ほら!
うるさい。
うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい。





ほら、またなった。
また死んだ。
このまま生き続けなきゃいけないのに。
ほら。
本当、莫迦なんじゃねぇの。
コメント

#33 ビビり転生者は幸不幸の狭間で葛藤を~愛は彼らを救う~

2018-10-22 11:18:46 | ビビり転生者は幸不幸の狭間で葛藤を~愛は彼らを救う~
元の小説は「小説家になろう」にて連載中。
https://ncode.syosetu.com/n8771eu/


前回のお話はこちら。
https://blog.goo.ne.jp/nekomaru14/e/caf947508ed9278dda8dad6cd9b0919d

#1の記事はこちら。
https://blog.goo.ne.jp/nekomaru14/e/e9c7b8c249a7ede51228b3129ba64778

キャラメーカーによるキャラクターのイメージ画像集はこちら。ネタバレ注意!!
https://blog.goo.ne.jp/nekomaru14/e/ed15c8a663b710b6e3f51cbcda3aac14






第141話 2018年から2019年へ




アイザックとエマも帰り、午後の静かな時間に、ラリーに告げる。
魔物とは言え、とても毛が柔らかい狼。
子どもたちからの人気も高く、最近は居間にいることが多い。
「アーロンって名前、どう?」
そう小首を傾げると、少し顔をあげて、ああと肯いた。
「わざわざ名前までくれるとは。数百年のうち、こうも幸せなことはない。十二分に尽くす所存だ。」
すっと顔を下げ、ゆっくりと眼を瞑るラリー……いや、アーロン。
幸せ、その単語に口角をあげ、右手でその頭を撫でる。
と、両耳が外に向き、微かに尻尾が動く。
幾ら話せる魔物でも、根本は犬なのかと思いつつ、静かな時間に欠伸を漏らす。
ちょっと寝るかと思い、アーロンの横にゆっくりと横向きになると、徐に動き出し。
あれと見ていると、私にくっつく形で丸くなった。
その僅かな呼吸の動きと温さに、右手を首もとにやり、柔らかな毛を撫でながら眼を瞑った。

はっと眼が覚めた時には、辺りは夕闇になっており。
アヴァにおはようと言われ、寝過ぎたと起き上がりながら呟く。
イーサンの溜息も余所に、欠伸を漏らしながら軽く伸びをし。
そして、また平和な時間は流れ。
晩飯も終わり風呂も終わり、いつも通りに寝て朝起きて。
その繰り返しのなか、フィリップがシロにプロポーズしたらしく、嬉しそうなシロがうちに来たこともあれば、暫く国のことで首都にいると、オーカサ街からマッサンと数人の部下が来たこともあれば、病気と闘いながらも、やっとこさ侍の魔術を宿したアイザックは絶賛鍛錬中ということもあれば、何とか狐の封印に成功した曇葉さんと銅香が帰還したこともあれば。
その繰り返しのなか、日は二千十八年の最後へ。
大晦日らしい日に、ドングリーズに指示を出しながら大掃除をし。
左手だけでも手伝うというイーサンに、仕方ないなと苦笑を漏らし。
案外器用なアーロンのお陰で、廊下の拭き掃除などもすぐに終わり。
はぁと溜息を吐き、レオナルドさんとソフィアさんの来訪に驚きつつ、少し賑やかに時間は過ぎ。
この時季によくある特別番組を見つつ、レオナルドさんとソフィアさんも交えて、晩飯を食べ。
寝そうになるドングリーズのために、あれこれと相手をしながら。
年越しそばを作り出すソフィアさんとアヴァの背を一瞥し、ずっと流している笑ってはいけないを見つめ。
イーサンに言われ、今日だけなと返し、台所に行き、日本酒こと古風酒を取り出し。
ソフィアさんの声に苦笑を返し、仕方ないですよと言いながら、お盆に杯やぐい飲みを乗せ。
お待たせと言いながら机の上に置き。
早速酒瓶を開けると、レオナルドさんはノアを促し。
先にレオナルドさんからお酌をすると、ノアは謙虚ながらもお礼を言い。
すっかり私の父親認定されたなと、二人のやり取りから視線を外し、正座のままもう一つ持ってきた瓶を持ち。
「飲む?」
小首を傾げると、左手で杯を持った。
アイザックもそうだが、何だか互いにボロボロだなと思いつつ、その赤い杯に透明な酒を注ぎ。
程々のところで止めると、軽くお礼を言いながら、ぐっと仰いだ。
弱いくせにと小さく溜息を吐き、瓶を机のうえに置く。
頑張っておきているドングリーズの背を見つつ、ぼうっと時間を過ごし。
遂に零時前に。
やはり、ホワイト家は年越しの時にRHKの番組にするらしい。
だが、孫が笑ってはいけないを見たいと豪語しているため、それも仕方なく。
今年はたっちゃんのお陰で色々変わったと、息子とは反対に酒に強いレオナルドさんが笑い。
確かにそうですねと笑いながら返し、レクシーを左腕に抱いていると、アーロンが静かに鼻を近づけ。
おっとレクシーの反応を見ていると、興味津々に手を伸ばし。
軽く眼を瞑りながら動かずにいると、きゃっきゃと笑い出した。
おーと自然に口角があがり、アーロンも少し嬉しそうに笑みを見せ。
アヴァとソフィアさんの声が鳴り、できたての年越しそばが並ぶ。
半分寝かけているドングリーズだが、そばの登場に少し元気を取り戻し。
親父のせいでべろべろに酔っ払ったイーサンに絡まれながら、ノアもアヴァもソフィアさんも揃ったところで。
テレビの上にかけてある時計を見つめながら、数を数える。
「五……。」
「四……。」
そう、みんなで声を合わせ。
遂に、秒針が一になり、ぴたりと零時に全てが合う。
年越しだーとはしゃぐドングリーズに、ほら大人しくしてと軽く注意をし、少しさがって、真っ先に頭をさげた。
「明けましておめでとうございます。本年も、どうぞ宜しくお願い致しますっ……!」
二千十八年は私にとってもこの国にとっても、一番歴史が動いた一年だ。
ストーカーに轢き殺されて、天照大神に拾われて、不動明王の化身として転生して、アヴァと出会って、リアムと出会って、イーサンと出会って、ノアにも出会って、そしてそのストーカーが災いとして来て……。
元勇者御一行である佐藤さんやレオナルドさん、サリヴァンさんに出会い、姉がいるせいで忍になれずにメイドになったエマと出会い、戦いの真っ最中にイーサンを狙うアイザックと出会い。
ストーカーを倒して、大怪我を負って、アイザックと仲間になって、麿様とお会いして、夏祭りが来て。
まさかお面屋のババアがなと思いつつ、少し甘酸っぱい記憶に。
ワンダフルライフの二人に出会ったのもここだなと、今やすっかり慣れてしまったイーサンの姿に、あの時はとにかくどぎまぎしていて。
そしてソフィアさんと会い、次の災いが来た。
躍起になって走り回って、どういう訳か脳闘が宿って、曇葉さんと獣人族のセイマラに会って。
やっとこさ終わったかと思えば、リアムもライリーもいなくなって。
エマの里が全滅して、アイザックと距離をつめて。
銅香とも会って、葬式がひらかれて、泣きながら謎の青年に出会して、少し騒動がありながら、研究者に子どもはできないと言われて。
それからだ。
一気に変わったのは。
ドングリーズを養子として引き取るために、早々に婚約を結んで。
結婚式をやろうとした結果邪魔されて、今やトレードマークになっている氷の腕になって、ノアが辞めて。
とにかく、数え切れない程の出来事が、この一年で沢山起きた。
不幸も呼んだかも知れない。
だが、確実に幸福も呼んでいる。
相容れなかった人間たちが、私の存在だけで、次々に出会い。
しっかりと幸せを掴んでいる。
然も神様のお陰で赤子まで。
まるで物語のような出来事に、みんなの挨拶に耳を傾けながら、イーサンに微笑みかける。
だが、酔っぱらってるせいか、私の気持ちは伝わらず。
やっぱりかと軽く溜息を吐き、年越しそばに向き直る。
と、肩をふっと組まれ。
少し驚き、右を向く。
何とも言えない横顔を見つめていると、左肩を軽く叩かれた。
慰めるような、どこか優しいそれに、ふっと口角をあげた。




第142話 話し合い



二千十九年、一月元日。
グリッド寺院に初詣をし、アイザックとエマの二人に挨拶をしに行き、フィリップとシロの元にも行き。
佐藤さんとサリヴァンさんにも、ハチベエさんにも、スコット先生にも。
とにかく色んな人に挨拶して周り、おせち料理を食べつつ、すぐに時間は過ぎ。
私たちからのお年玉に喜ぶドングリーズに微笑みかけ、とにかく忙しく。
二日目もまた忙しく。
勇者という理由で呼ばれることもあり、更には神仏たちが連日話しかけてくるせいで一回ぶっ倒れ。
回復し始めたお陰で右手が使えるようになったイーサンに呆れられながら、また時間は過ぎ。
三日目の朝。
文が届いた。
そこには、例の集会が。
「私とイーサンでか……。然も私だけ刀を? 不穏だな……。」
まるで大河ドラマに出てくる戦国時代のような内容に、眉間に皺を寄せる。
会自体は一月の十五日。
服装は何でもいいが、私以外の者は武器を持つなと書かれている。
更に、イーサンの魔術に対しても。
麿様に向けなければ、いつでも発動していいと。
無論、私の魔術も同じ内容で。
また、私とイーサン、そしてマッサンだけは胡座、それ以外は正座をとも。
誰かが麿様を狙う可能性が高いということだ。
恐らく、麿様に一番近い位置に、私とイーサンとマッサン、そしてハチベエさんが座るのだろう。
当日は赤ちゃんお預かりの人に来てもらうかと、イーサンを手招きし、文を見せながら軽く説明をした。

@@@

無論、十五日になるまで特別なことはなく。
アイザックの父親も何も動かないなと思いつつ、渋めの色の着物に着替え。
髪を高く結び、ベルトを帯の上から巻き、左手でぐっと上に傾ける。
安定感のあるその動きに一つ息を吐き、懐中時計や扇子、ハンカチ類を懐に入れ。
ノアとアヴァに軽く告げ、いつもの半獣人族の人を呼んでおいてと言いおき、黒めの着物を着たイーサンと肯きあい、外に出た。
マフラーだけ赤く風に靡き、傷も塞がった右手を一瞥し、眉間に皺を寄せながらも城へ向かう。
少し盛り上がった縦傷は痛々しく、横腹に加えて、また傷ができたなと胸中で溜息を吐いた。
城前の大通りまで無言で歩いてゆくと、既に何人かの大名がおり、そのなかに、スーツ姿のマッサンを見つけた。
近づき、何やら止まっている大名たちと同じく、マッサンの横に。
「お、やっぱアンタさんも来たか。」
正月以来のマッサンに、ええと肯き、左手を刀の柄に乗せながら。
「大分警戒してますね。」
視界に映る多種多様な人間たちに、眉間に皺を寄せる。
「そりゃあ、将軍が疑われとるんや。アンタら特殊部隊を自由にしとかんと。」
「そうですね……。あ、マッサンはマツ組として?」
ふっと左を見ると、白髪をオールバックにしたマッサンは、ああと肯いた。
「ホンマはオーカサ街の大名も参加するつもりやったんやが、大名よかワシの方がええってんで。武闘派ちゃうし、プロ連中からしたら素人やけど、一応火器術と体術はある程度身につけとるからな。」
「火器術ってのは……銃の扱い方ですか?」
「せや。あ、アンタさん、銃の使い方知っとるんやろ? 近々貰えるはずやで。サブマシンガン。」
ああ、例の話かと思い出し、待っときますと返事を返した時。
ハチベエさんの声が鳴り、ちょっとしたざわめきが止み。
「もう始まるみたいやな。アンタらも気ぃつけや。魔物を引き入れとるし、何せ、出来ひん赤ん坊出来たんやから。その辺を人質に外れた事言いだしても、挑発には乗ったアカンで。」
そんなマッサンの声に、低く解りましたと肯き、ちらりと右を一瞥する。
と、赤い瞳と目が合い。
微かに肯きあった。
すっと正面に向き直り、ハチベエさんの茶色かかった瞳と目が合う。
どこか武士らしい鋭さに視線を外し、マッサンと共に、歩きだした。

城の二階にある、大河ドラマで見るような部屋に通され。
案の定、簾のかかった麿様の近くに座り。
刀をいつでも抜けるように、ベルトを外し、自分の左側へ。
右にイーサンが座り、私の正面にハチベエさん、その横、イーサンの正面にマッサンが座った。
後に続く大名は、やはり大河ドラマと同じく、麿様に向き直る形で一つの塊のように。
麿様から見れば、右に私たちが、左にハチベエさんとマッサンが座っており、更に奥に大勢の大名が。
恐らく、麿様からすればとても恐ろしい光景なのだろう。
自分を疑い、殺さんとしている人間が、この場にいるかも知れない。
幾ら私たち四人がいたとしても、戦国時代の将軍でもない麿様がこれに堪えられる訳がない。
何も起こらなければいいがと思いつつ、胡座をかき、眉間に皺を寄せる。
と、ハチベエさんの声と共に、不穏な空気のまま始まった。
「まず、上様が魔物だと言っている大名は。少しでも思っておるのであれば、手をあげよ。」
低い声に、多少のざわめきがあがり。
ややあって、ゆっくりと手が。
ぱっと見ただけでも五人以上はいる。
それだけの街が、少なくとも将軍を疑っているということか。
ややあって、溜息混じりにハチベエさんが話を進め。
「手を下げよ。今あげた者らは、全員“東北の大名だな。”」
その声に胸中で驚きつつ、大名の方を見つめる。
私はともかく、目つきの悪いイーサンとマッサンに見つめられているのだから、大名たちにもそれなりの恐怖心はあるはずだ。
いつ動きだすか解らない。
然もイーサンの方は遠距離技を持っているし、右の拳が畳に向いている今、ちょっとつけるだけで痛めつけられる。
そんななか、手を挙げた者たちは、微かに返事を返した。
「……では、何故上様を疑っておるのか、訳を述べよ。」
一番重要な部分だ。
ここでハッキリと反抗しなければ、起爆装置は解除できない。
ぐっと拳を握り、反応を待つ。
暫く静寂が流れ、ややあって、一人の大名が。
「ホカドウ街の者でございます……。」
「ホカドウか。話せ。」
「……将軍様は、ずっと簾の奥にいらっしゃる。姿を見せれないのか、ずっと。そこがまず引っかかる部分。また、“魔物の引き入れに対してやけに寛容的である部分が、何とも言えず……。”」
少し震えた声のあと、静寂が流れる。
確かにそうだ。
これには何も言えない。
疑われても仕方ない部分だ。
だがと、少し身を乗りだし。
「何も全員を引き入れている訳ではない。まず私が見極めて引き入れていますし、今回の魔物も既にいる魔物も、特別な動きは見せていません。偶々というより、将軍様の御前に行く前に篩にかけていますから、そこを省いて寛容的と言うのは幾ら何でも乱暴すぎます。以上。」
ふっと姿勢を正し、腕を組む。
ノアもアーロンも、私が話し合い、大丈夫だと判断したあとに他の人たちの意見も訊き、最終的に将軍に決めてもらった。
それにノアの時は先代だしと、眉間に皺を寄せる。
「なら、貴方が寛容的ですな。」
私に向けられた低い声に、横目で右を見る。
イーサンが少し猫背になっているため、背筋を伸ばしている私には、こちらに視線をくれる一人が。
「寛容的も何も、敵だと判断した魔物は駆逐していますし、何より会話を交わしてきちんと判断した上で引き入れています。寛容的と言うのであれば、何も考えずに魔物を次々と引き入れないと。助けてくれと言われればすぐに引き入れる。これこそが寛容的な考えでは。いや、こんなのは寛容的じゃない。貴方方の言う寛容的は、所謂バカ。そんな堅苦しい熟語では表現できない。私はそんな、誰とでも仲良くなれるとは思っていませんし、何も考えず、何も見ずに判断していません。そもそも、偶々二人の魔物が現れた程度で、寛容的だの何だの言わないでほしい。一度や二度、似た境遇の魔物が偶然いただけであって、基本は駆逐すべきものと考えています。」
最後に溜息を吐き、視線を外した。
刹那。
「運に頼れば何でも許されると思っておるのか!」
と、だんと鳴る音と共に轟き、反射的に左手で刀を掴み、右手を柄にやり、右足だけをぐっと前に出し、左足はつま先を立てて、右をきっと睨みつける。
静寂が流れ。
イーサンも動いており、右の拳を既に畳につけて固まっている。
と、ややあって、感情的になって立ち上がった一人が、怯えた表情でべたりと座り込んだ。
一つ溜息を吐き、その状態のまま。
「私は不動明王の化身だ。運に振り回される人間に対して、運に頼るなとはなんだ。勇者一人の詳しい情報も調べずに来た、ということだな。」
低く唸り、一人一人の眼を見てゆく。
ざわめきもなく、ただ誰も何も言えず。
普通は勇者の事も調べてくるだろうと溜息を吐き、すっと柄から手を離し、ゆっくりと座り直し。
未だに拳をつけて固まっているイーサンの肩を軽く叩き、もういいよと呆れ気味に呟く。
と、ややあって姿勢を戻し。
こちらに一瞥をくれた。
明らかに機嫌の悪い面持ちに、視線を正面に戻し、ハチベエさんを促す。
調べてもいないし勉強もしていない。
そんな連中と有意義な議論はできない。
また腕を組み、話は進む。
「他に理由は。」
ややあって、また違う人間が。
「アタキ街の者でやんす。」
「……なんだ。」
ハチベエさんの低い声に、少し肩を震わせ、ゆっくりと。
「米の献上に関して……。うちとニイタガー街だけ、ちと厳しい気がするんですが……。」
「気のせいだ。それに今回の話には関係がなかろう。」
冷たい声に、苦虫を噛み潰したような顔で。
少し気にはなるが、確かに今回の話には関係がない。
どうしてそれが魔物と繋がるのか。
他にいい理由はないのかと、頬を掻く。
「他は。」
と、ややあって、また一人。
「転生者は赤子ができないと聞きました。なのにどうしてできているんでしょうか。」
来たかと、深く溜息を吐き、左肘を脚に乗せ、苛立ちを抑え込むようにして、左手で目元を覆うイーサンの背に手を乗せる。
「それがどう繋がるのだ。」
相変わらずの冷たい声音に、発言した一人は、そのまま続ける。
「できないのにできた、ということは、実は勇者じゃなくて魔物。そして魔物を引き入れているという部分で、最初から手を組んでおり、じわじわと蝕んでいっているのではと。ということは、将軍も実は魔物で、既に国を乗っ取ろうとしているのではと。女ですし、本性がサキュバス辺りなら、一人の男性を虜にすることも訳ないでしょう。」
その台詞に、ふと一つの紙を思い出す。
アヴァのストーカーに関する話で、私だけ家に帰った時。
扉に貼られていた紙に、確か。
まさかとぐっと睨みつけると、意味深長に一瞥をくれ、すぐに外した。
お前の仕業かと歯を食いしばり、じっと睨みつけていると。
また。
「ほら、あんなに怒っているんですから、図星なんでしょう。」
刹那、がたりと壁にかけてあった時計が落ちる。
えっとみなの注目が行く。
時計のあった柱が、明らかに震えている。
その異様な光景に、はっとしてイーサンの方を見ると。
相変わらず左肘を脚に置いたまま、右の拳がしっかりと畳に。
遂にキレさせたかと、立ち膝になり、背中を軽く撫でながら、またじいっと睨みつける。
今度は口を紡ぎ、全ての意識を視覚へ。
無論、驚いた表情のそいつは、私に気が付くとひっと声をあげ。
大人しくなった奴に、溜息と共に視線を外した。
と、柱の揺れも終わり。
また視線をやると、頬杖をつき、右手は畳から離れており。
変な妄想は勘弁してくれと、また胡座をかいて腕を組んだ。
ややあって、ハチベエさんが大きく言う。
「こじつけ論ばかりではないか。そんな程度の理由で上様を魔物なぞ……貴様ら東北の大名共よ、切腹の命が下っても言い訳はできぬぞ。」
その台詞に、流石の私も否定はせず。
ただ横目で大名たちを見つめるのみ。
ややあって、大名の一人が立ち上がり、きっと全身に力を入れるも、お辞儀をするや否や、そそくさと部屋から出ていった。
なんだと眉間に皺を寄せると、それに続く形で、恐らく東北側の大名たちが去ってゆき。
ハチベエさんの慌てた制止の声も無視し、数人の人間が消えてしまった。
ざわめきは勿論おこり、ただ唖然として開け放たれた襖の先を見つめるのみ。
「っ……切腹は決定したな。」
更に低く冷たい声に、一瞬ざわめきが消え。
嫌な空気のまま、また静寂が流れる。
疑心暗鬼になりすぎて精神がやられているのか、きちんとした理由もなく、ただ一時の感情論に任せて。
こじつけ論もいいところ。
妄想論もいいところ。
こうして話し合った結果、東北側の大名たちは、確実におかしくなっている。
恐怖によるものかは解らないが、少なくとも、訓練された許可つき職業よりも精神は弱い。
然も東北はホカドウも入れれば大きい。
もし戦争にでもなったら。
少数相手とはいかなくなる。
厄介なことになったなと眉間に皺を寄せ、ハチベエさんの低い声を小耳に、小さく溜息を吐いた。




第143話 業と銃と戦



晴れない気持ちのまま解散し、夕闇が立ち込めるなか、家に帰り。
ノアだけに色々と告げ、そのまま時間は過ぎ。
本当に大丈夫なのかと、夜も老けた時、イーサンからの誘いにのり。
互いに不安をかき消しながら、翌朝へ。
この日は特別なこともなく、アヴァからの話で、今年度の初歩学校にドングリーズを入学させることになった。
小学校にあがる七歳の一歩手前、六歳の時に入る最初の学校のことで、馬術や許可つき職業、魔族や魔術、更には子どもができる過程……所謂性教育までもするのだとか。
但しどれも簡単なもので、名前の通り、初歩的なものを一年で教えてくれる。
そして小学校では更に難しく教えてゆき、実際に馬に乗る授業や、それぞれの職種のプロに直接教わる授業もあるそう。
イーサンに訊いてみると、確かにやったと肯き、中学からは更に高度に詳しく教えられるとか。
無論、十五、六で見合いをする風習が残っているため、きちんとした本格的な性教育は、十五になる前に殆どやるらしく、少しぎこちなく答えてくれた。
また、戦闘許可がついている職業があるため、ある程度の体罰は許されており、それなりに厳しい教育なのだとか。
一般人でもそれなりに精神が強くなければ、魔物や神獣による避難もできない。
取り敢えず、入学までに五人の夢を訊いておかねばならない。
もし許可つきを目指すというのであれば、この時点から訓練を受けなければいけないからだ。
人を、同族を躊躇なく殺すという訓練を。
本当に戦争にならないよなと思いつつ、日は過ぎてゆき。
一月の二十五日。
アイザックから、一回手合わせをして欲しいと頼まれ、渋々ながらも肯いた。
場所は砂浜でと言われ、動きやすいチャイナドレスにし、流石に寒いと羽織りを着てマフラーを巻き、ハチベエさんから貰った竹刀を片手に。
と、案の定イーサンに止められ。
カクカクシカジカでと告げると、溜息を吐かれ、俺も行くと言いだした。
いやいいよと苦笑を漏らすも、一向に聞いてくれず。
溜息を吐き、じゃあ解ったと言い、何かあれば預かり人を呼べよとアヴァに言い残し、外に出た。
イーサンと海の方に行きながら、竹刀を軽く見る。
鍛錬で何度か使ったが、特別がたは来ていない。
急に何なんだろうなと呟き、右手に持ち、肩に乗せた。
と、暫く歩き。
着物姿にマフラーを巻いたアイザックを見つけ、軽く手を振る。
と、案の定驚いた様子で、ぎこちなく振りかえしてくれた。
小走りに近づくと、イーサンを指し。
「なんで……。」
苦笑を漏らすアイザックに、心配だからなと答えるイーサン。
仕方ないよと促し、手合わせって、何すりゃいいのと小首を傾げる。
「んー、本当は剣道のスタイルでやりたいんだけど、辰美君はできないでしょ? だからいつも通りのスタイルでさぁ。」
そう言いつつ、口角を少しあげて。
解ったと言い、互いに向き直り。
アイザックは左手で竹刀を持ち、右手を柄に。
まるで抜刀前のポーズに対し、私は右手に竹刀を持ち、軽くあげているのみ。
と、アイザックに指示を出され、イーサンが手合わせの合図をきることに。
赤い布のせいで相手の眼は見えないが、その余裕そうな笑顔に、こちらも口角をあげ。
「試合、開始。」
と同時に、ばっと地面を蹴る。
そして竹刀を左肩の上までやり、にっと笑いながら、相手の首もとを。
がんと少し甲高い音。
はっとして、慌てて左足を出し、左手も柄へ。
肩幅に開いた脚のまま、いつの間にか首もとを護るように移動した相手の竹刀を一瞥する。
相変わらず柔和な微笑みで。
相手は腕だけを動かして防いでいるのに、私ときたら、大雑把に飛びかかり、余裕綽々に受け止められた。
嘗ての雪女との鍛錬を思いだし、すぐさま後ろに退く。
と、相手は両手で竹刀を持ち、こちらに刃先を向けて。
流石は元剣道部だなと、にっと口角をあげ。
同じく、右足を少し前に出し、両手で竹刀を持ち。
じりじりと、相手の見えない瞳を見つめながら、微かに動く刃先を一瞥し、スキを探す。
が、幾ら観察しても、スキは見えず。
嘘だろと、手汗が冷気になり。
白い息を吐きながら、何とか近づこうとするも、何とも言えない威圧感を感じ、すぐに退いてしまう。
きちんと一から教わったアイザックと、神仏からの力とアクションゲームの記憶だけでのし上がってきた私では、ハッキリとした差がある。
時々力だけで押し込む私に対し、アイザックはその技術だけで無駄もなく倒してゆく。
イーサンに比べてもやしっぽいのも、恐らくそこまでの力がいらないから。
積み上げてきた技術のみで、力もいれず、簡単に相手の急所を貫く。
たまに見るアイザックの戦い方が少し舞いっぽいのも、恐らくそれらが原因になっているのだろう。
力じゃない、業。
そりゃあ脳筋の私は敵わんわなと、震える両手に歯を食いしばり。
ほぼ躍起になって竹刀をあげ、雄叫びをあげながら、素早く近づく。
面だ。
それを取れれば。
が。
視界が上を向き、首辺りが押される感覚。
えっと下を向くと、相手の竹刀が、明らかに自分の首に。
そんな、幾ら何でもあのスピードをと、眼を丸くしながらアイザックの方を。
相変わらずにやりと笑う口元が、静かに動く。
「ギリギリ。剣道ならダメなんだけど、まぁ剣士同士の手合わせだから。もしこれが真剣なら、今頃三途の川にいるよ。今回はボクが剣道に持ち込んだから、それに合わせて無理に慣れてないことをした。だからその分のハンデはあるけど、勇者がこれじゃ、色々心配だよ。ずっと思ってたけど、辰美君は刀の重さと自分の力だけで押してるだけで、本当の剣術は全く知らない。だから単調なんだよ。刀の扱い方じゃない。どっちかっていうと、大剣の扱い方だね。まぁ、幾ら勇者と言えど女性だし、あんな長い刀を扱うなんて難しいしね。かと言って長さを変えれば、距離感が掴めなくてスキができる。だから長さはあのままで、扱い方を大剣から打刀に変えた方がいい。慣れればできるよ。長い刀でも。ボクも太刀だしさ。まぁ、今のままでもいいとは思う。十分強いしさ。ただ、きちんとした剣道の業もものにしたら、もっと正確に高威力に戦えるよ。例え狭い場所でも、少ない動きでできるし。あと、それらを修得すると自然と威圧感が出てくる。ボクが剣道に変えた途端、辰美君は焦り始めたよね。実はあれ、剣道の業を極めればできるんだよ。難しい話だけどね。ただ、辰美君ならすぐに修得できるよ。剣道の真髄にまで行けると思う。」
すっと首から感覚が抜け、いつの間にかとめていた息を大きく吐き出し。
やはり見破られていたかと、両腕を下げ、竹刀を右手だけに持ちながら深呼吸をし。
あ、ごめんねと言うアイザックに、いやいやとかぶりを振る。
流石としか言いようがない。
少ない動きで、然も一歩も踏み込まず。
威圧感と業かと思いつつ、すっと差し出された左手に眼を丸くする。
「ボクも正直怖かったよ。迫力というか、多分転生者特有の威圧感があるんだと思う。一見してボクの方が勝ったように見えるけど、内心ヒヤヒヤしてたよ。単調なくせに、動きが読めないからさ。だからまぁ、お互いに、ね?」
軽く小首を傾げるアイザックに、そうだったのかと呟き、その大きな手に、氷の手を重ね。
互いに軽く握り合い、見えない瞳を見つめ。
にっと笑うと、同じくにっと笑い。
じゃあ、時間がある時にアイザックに教えて貰おうかなと言いつつ、手を離し、仁王立ちで待っているイーサンの方へ。
後からついてくるアイザックは、ハチベエさんじゃダメなのと。
ハチベエさんは違う事で忙しいからと、軽く振り返って微笑みかけると、ああそうかと呟き。
正面に向き直り、戦闘用ブーツに絡む砂を見つめつつ歩く。
「じゃあ、したい時に電話してきてよ。夜中でもいいし。」
視線を足元から外し、イーサンに軽く帰ろうと目配せをやり。
「解った。病人なのに、ごめんな?」
道に出るための短い階段をあがりながら、右を歩くイーサンを一瞥し。
「いやいいよ。結構落ち着いてきてるからさ。それに、辰美君の戦い方も何かに活かせるだろうし。」
軽く欠伸を漏らしつつ、早足で私の左に来たアイザックに視線をやり。
「盗る気だな。」
「活かせると思ったら無言で盗るよー。」
くすくす笑うアイザックに、冗談っぽく呆れたようなポーズをやり。
まぁ、いつでも待ってるからさと言う相手に、ああと肯いた。

@@@

アイザックと別れ、頑張らねばなと意気込みながら家に帰り。
また時間は過ぎて。
平和なまま、然しどこかぴりついた空気に時たま眉間に皺を寄せ。
一月も終わりの日を迎えた時、ハチベエさんから呼ばれ。
レクシーと私だけで城に行くと、一丁のサブマシンガンを貰った。
ハチベエさん曰く、特別に改造したもので、例え手放したとしても、付与された魔術によって私の手に戻ってくるのだとか。
サブマシンガンのMP5Kに似た形だが、中身はまるっきり違うらしい。
威力もあり、片手でも扱えるよう、もう一つ魔術が付与されており、それはある程度のロックオンを自動でしてくれるのだとか。
ふぅんと言いながら、トリガーに指をかけずに片手で構えてみる。
しっかりと照準は見えるが、サブマシンガンなら、特別なエイム力はいらない。
相手がデカいやつなら、多少適当でも当たるだろう。
と、腕を下ろし、弾やホルダーなども受け取り、お礼を言いながら家に帰った。
自室の文机に置き、また平和な時間に戻り。
また特別なことはないなと、一月も終わり、二月へ。
と、子どもたちの将来の夢を訊いていた時。
黒電話の音が鳴り響き、家事をしているアヴァの代わりに、受話器をとった。
「もしもし。」
『すまん、ハチベエだ。実は話があってな。』
「はい? 何ですか?」
『いや、ここでは話せぬ。是非とも城に来てほしい。イーサン殿と共に。』
どこか神妙な声音に、嫌な空気が頬を撫でる。
ややあって、解りましたと返し、受話器を置いた。
電話では話せないようなこと。
然もイーサンまで。
何なんだと思いつつ、庭でカツの相手をするイーサンに話しかける。
軽く事情を説明すると、すぐに解ったと言い。
カツには申し訳ないが、これも仕事なんだと慰め、アヴァに告げ、自室に行き。
何かあっては何だから、刀ではなくサブマシンガンを持っていこうと、何個か貰ったベルトのなかから、太股につけるタイプのものを。
着物の下、右の太股にきちりとつけ、ホルダーの中に安全装置がついたサブマシンガンを入れ。
弾の入ったケースや懐中時計を懐に、軽く髪を一つ結びにマフラーをとって。
既に待っていたイーサンに一つ謝り、早く行こうと下駄に足を滑らす。
そそくさと外に出、鍵がしめられる音を後ろに、また左側を歩く。
一体なんの話なのか。
あの低く冷たい声からして、大分重大な話らしい。

と、暫く歩き、城に入ると、早速ハチベエさんに手招きされ。
二階にある一つの部屋。
少し狭いが、大きく重たいダイニングテーブルと、同じ暗い色の椅子が並んでおり、入り口の正面には戦国時代のような旗と扇子が。
その嫌に暗く威圧的な空間のなか、適当に座ってくれと言われ。
入り口付近にある椅子に座ると、私の正面にハチベエさんが腰掛けた。
何の話ですかと、少しマフラーを緩めながら促すと、ハチベエさんは難しい顔のまま、淡々と話しだした。
「実は、東北側の大名たちが“戦争を仕掛けてきたんだ。”ナノガ街に一つ大砲を打ち込まれてな。被害も大きい。すぐに応戦すべきだという声があがっておるのだが、何せこっちは何の準備もできておらぬ。取り敢えず、首都にいる者、そして将軍はオーカサ街で匿うことにしたが、優秀な軍師が出てこぬ。侍の名家であるグレイ家にも話をやったが、返答はない。恐らく、“グレイ家とその傘下の家は東北側についた。”かと言って、アイザック殿は経験がない。だから……同じく戦国時代で活躍したホワイト家の……イーサン殿に……。」
恐る恐る訊いてくるハチベエさんに、ただ固まるのみ。
やはり来たかと、ぐっと歯を食いしばる。
然もグレイ家とその傘下の家は東北側に?
何を考えてるんだ?
もしや、絶対に将軍側につく私とイーサン、そしてアイザックを殺すために……。
本当に何を考えてるんだ、あの爺はと、拳を握り込む。
「俺が、軍師ですか……。」
唖然とした、どこか間抜けな声に、ああそうだったと顔をあげる。
ああというハチベエさんに、然しと身を乗りだす。
「イーサンも経験はありません。なのに出来るわ──」
「やる。」
は? と間抜けな声を出しながら、右を向く。
が、そこには口角をあげて。
何でと眼を丸くするも、不適な笑みのまま、静かに肯いた。
「やらせてください。そんな奴ら、すぐに叩きのめしますよ。」
どこか人が変わったかのような台詞に、無茶はするなと言おうとするも、ぐっと右手を掴まれ。
妙な、何とも言えない威圧感に、言葉が詰まる。
何で、何で軍師なんて難しいこと。
そう思っても、話は進む。
なら、戦争は今月の三日、節分の日にしようと、二人の会話も余所に。
何で、という単語しかなく、ただ唖然とするのみ。




第144話 戦争の幕開け




二月一日の午後から、私の反対も押し切って、計画は始まった。
住民、将軍家、貴族などは許可つきと警鳥隊の援護をうけながら、馬車で次々とオーカサ街へ。
無論、アヴァとノア、そしてドングリーズとレクシー、預かり人もオーカサ街へ行くことになり、フル装備のまま、門前へ。
ある程度の荷物を持ったみんなに、軽く手を振り、近づく。
と、ドングリーズが抱きついてき。
自然と口角があがるが、これから戦が始まるとなると、それもぎこちなく。
しゃがみこみ、みんなの頭をそれぞれ撫で。
「マツ組の人たちによくしてもらうんだよ。」
オーカサ街には警鳥隊も行き、マツ組と共に護衛にあたる。
シロが束ねる武闘派連中も集まるため、それなりの戦力にはなるのだとか。
ノアもいるし、恐らくは大丈夫だろうと、最後に微笑みかけ、腰をあげる。
「気をつけてね。」
そう呟きながら、左胸の下に手をやる。
ああと、同じく左胸の下に手をやり、ノアに向き直った。
「イーサン君にも、無理はしないでと伝えておいてください。」
ふっと微笑むノアに、解ってると微笑みかえし、最後に預かり人の元へ。
抱えられたレクシーに、暫く大人しくしてなよと言い、預かり人に向かって、深く頭を下げた。
「申し訳ない気持ちでいっぱいです……。」
と、柔らかい手が頬を伝い。
ふっと少し顔をあげると。
柔和に微笑み、赤ちゃんのことはお任せくださいと、小さく肯いた。
そのどこか安心する面持ちに、すみませんと言いながら顔をあげ、ゆっくりと後退りしてゆく。
何で戦になるのかな。
醜い人間同士の殺し合いなんぞ、負のものしか生まない。
だが、私が幾ら吠えても話は進む。
今まで以上に早く。
何でなんだよと歯を食いしばり、わっと踵を返し、ママという声も余所に、走り出した。
止めたい。
止めたい。
止めたい……。
だが、イーサンもハチベエさんも止まってくれない。
まさか今度の災いが戦争なんてと、そのまま海まで駆けていった。

暫く一人で泣いていると、夕闇が訪れ。
いい加減城に戻らなきゃなと、立ち上がり、涙を拭いながら歩き出す。
首都に残るのは、私たち勇者御一行とハチベエさん、援護であるアーロンとシロ、銅香、そして許可つき職業の人たち。
元勇者御一行は不毛だと言って参加せず、せめてオーカサ街にいる人たちを護ってくれと言われ、渋々ながら援護に向かった。
作戦が素早く進むなか、イーサンとハチベエさんはずっとあの重苦しい部屋におり、試しに行ってみても無視されるのみ。
何で急にと歯を食いしばり、ゴーストタウンと化した街の中を歩いてゆく。
と。
「小豆殿よ。人間も同族を殺すのか。」
アーロンと出会し、少し驚きつつも、ああと肯いた。
「然も、今回は罪のない者同士で……いや、国に逆らった、国に刃を向けた者は、全員駆逐対象になる……。」
ああ、じゃあ今回殺すのは、いつも通りの悪じゃないか。
そうだ、国に刃向かったんだ。
罪のない街に大砲を撃ち込んだバカたちだ。
そう思い始めると、今までの気持ちは消え、どこか清々しい気持ちが。
すっと顔をあげ、ああと息を吐く。
「悪だ、殲滅だ。地獄をつくればいい。」
なんだ、簡単な話じゃないかと、口角をあげる。
アーロンの呆れた声も余所に、けたけたと笑ってみせる。
バカだった。
ここまでやれば、東北側の人間は全員駆逐対象になる。
一般人はともかく。
いや、場合によっては一般人もか。
いつも通りだ。
いつも通り。
何も、悪い事はしていない。

@@@

二月二日。
相手の軍勢を加味したうえでの軍略は、思ったよりも困難を極めていた。
何せこの世界には、魔術がある。
職種も多く、ただの軍略では上手くいかない。
アイザックとエマ、シロ、銅香と共に、例の部屋へ。
入り口の正面に座るイーサンは、脚を机の上に投げ出し、眉間に皺を寄せていた。
沈黙、というより、イーサンの独り言が静かに流れる。
「ナノガ辺りに近距離中距離遠距離で置くか……それか魔法使いで結界張って……。つーか相手にはいってんのか? 将軍がどこにいるか……。いってないんだったら、真っ先にこっちに来るだろうし……。なら、地形を利用して、草原に近距離を先頭に中距離遠距離で配置させるか。木もあるし、スナイパーを高い位置に設置して、使役系の魔法使いを最後に持っていって……忍で奇襲をかければ、相手の軍は動揺するはずだ……。あとは海だが、こっちは精々船だろうし、氷が使える魔法使いと遠距離を砂浜に置いときゃ、どうにかなるだろ。相手の船に遠距離がいても、海を凍らしてそのままそいつらもやっちまえば……。ついでに水系は城の周りに配置させて、何人かの遠距離と回復系を自由にさせて、臨時でも動けるようにすりゃ、ある程度の応急処置はできる……。あとは職種毎だが、ここは本人たちが一番よく解ってる……ある程度の指示を出しときゃ、自分たちで動くだろ……そこまでバカじゃねぇ……。空からの可能性もあるし、やっぱ屋根のうえに遠距離を置くか……。来ねぇのならどっちかに加勢に行けるだろうし……。あとは……相手の奇襲……。首都の壁に動きを感知して知らせるような術がありゃいいんだが……それか、結界で護っておくか。だがあんまりやりすぎると魔法使いの魔力が無駄に削れる……無駄は減らしてぇな……。」
また広がった黒髪を一瞥し、椅子の上で膝を抱える。
ぶちくさと独り言を垂れるイーサンは、どこか異様な雰囲気がある。
何かがブチ切れた、そんな感じだ。
唐突に連なる唐突だが、今更。
もっと早くに伝えておけば、対策が出来ていたかも知れないと、一つ溜息を吐いた。
今日の夜、城のなかにある客間で寝、すぐさま軍を配置するらしい。
アーロンだけは自由にしておき、私たちはイーサンの指示に従って動く。
基本はこの部屋で戦況を見守る、という形だ。
結局、固まった戦略もないまま、私たちは部屋から出。
嫌な予感が冷気を強めながら、無気力に時間は過ぎ。
その間にそれぞれの鍛錬をし、私はアイザックに業を教えてもらいながら、夜へと。
奇襲が来るかも知れないという懸念もあり、海側と草原側に、魔法使いによる強烈な灯りが連なった。
数え切れない程の魔術を全て加味したうえでの戦略。
戦国時代の軍師は、恐らく現実世界の軍師よりも優秀なのだろうと思いつつ、優秀なのかどうか解らない軍師を見つめ。
あてがわれた部屋のなか、戦闘服のまま、武器だけ横に置いて。
頭上の灯りを一瞥し、どうなるのか解らない災いに、少し近づく。
四つん這いでとまると、こちらに背を向けていた軍師は、ふっと振り返り。
「……これも、災いだって。」
そう呟くと、矢庭に背中と首の後ろを押され。
えっと眼を丸くするうちに、相手の身体の上に。
甲冑が外された着物を少し掴み、上目遣いに。
「誰も死なせねぇ……絶対、勝鬨をあげてやる……!」
決心したような声音に、ぐっと歯を食いしばる。
こんな高難易度な戦略ゲームで、初心者が勝つ訳がない。
幾ら、駒が良くてもなと、着物をぎゅっと握った時。
わっと押され、両手を掴まれながら、下に。
「……ごめん……。」
視界に映る、どこか悲しげな面持ちのあと、唇に感覚が走った。

@@@

二月三日。
例の部屋で、私とアイザックだけイーサンの横に立ち、忙しく動く作戦たちに眉間に皺を寄せる。
取り敢えずの配置は完了したが、相手がどうでるのか解らない。
安定しない空気を肌で感じながら、嫌な時間が過ぎてゆく。
と、一つ、外から狼の咆哮が。
眼を丸くし、ぐっと歯を食いしばる。
「やっと来たか……敵軍が……。」
少し掠れた声に、遂にかと、虚空を見つめる。
どうなる。
押せるか、押せないか。
それか、押されてしまうか。
どうなる。
私たちは一人でも最低プロ十人分の力を持つ。
例え銅香とシロだけ出陣するとしても、それは十二分にこちらが劣勢状態にあるということ。
それが、エマもアイザックも、私もとなると……。
ほぼ自軍は全滅。
私たちだけで何とか押せるぐらいの、劣勢。
勝ったとしても、犠牲者は多い。
誰もここから離れない。
その状態が、一番いい。
本当に大丈夫なんだよなと、一つ溜息を吐いた。
暫くその状態で時間は過ぎ、時計の針は十時を指した。
狼の咆哮が聞こえたのは、確か九時前。
一時間ぐらいかと、軽く身体を動かし。
このまま、誰も動くなと願いつつ。
刹那、襖が勢いよく開け放たれ。
えっと眼を丸くすると同時に、がたりと椅子が鳴る。
駆け込んできた一人の騎士は、狼狽した様子で。
「“神獣使いを確認しました! 押されています!”」
と同時、クソと言う声が轟き、軍師は舌打ち混じりに叫んだ。
「シロとエマ、銅香が行け! テメェらで行けんだろ!」
急に呼ばれた三人は、肩を飛び上がらせると、互いに顔を見合わせる。
が、早く行けと更に怒鳴られ、驚きつつも、三人とも動きだし。
騎士も去っていったあと、一気に開いた空間に、眉間に皺を寄せる。
神獣使い。
召還用の神獣を使い、然も術者本人も戦うという最強最悪の職種。
まさかここで出てくるのかと、数少ない神獣使いがいない自軍に、溜息を吐いた。
またべたりと椅子に座り込んだ軍師を一瞥し、嫌な予感に、腕を組ながら人差し指で二の腕を叩く。
同じく最強レベルの三人で、果たして行けるのか。
いや、エマは一度ギルガメッシュをやったし、恐らく行ける。
ああ、絶対に行けるはずだと、頭を掻いた。



第145話 劣勢に参る救世主



エマ・スチュアート、数人の騎士と侍に身体を刺され、瀕死状態。
シロ、神獣に吹き飛ばされ、瀕死状態。
銅香、数人のガンナーに身体を撃ち抜かれ、瀕死状態。
早口で告げられたそれらに、心臓の鼓動が速くなる。
嘘だろと、混乱する脳みそに、両手が震える。
刹那、がんと大きな音が鳴るや否や、ばきばきばきと音を起てて、ダイニングテーブルに痛々しい亀裂が走った。
はっとして軍師の方をみると、頭を抱え、右足で机を蹴ったまま固まり、大きく舌打ちをかました。
やらかした。
完全に、相手の戦略に乗せられてしまった。
と、少し肩が揺れたかと思うと、微かに笑い声が聞こえてき。
えっと眼を丸くしながら見つめていると。
頭から手を離し、上を仰ぎながら、大きく笑いだす。
その狂気に満ちた面持ちと共に、逆さに落ちる髪色が、異常なほどに。
銀から黒へ変わってゆくかと思えば、次は真っ白な色が浮き上がり。
愉快な程の笑い声に、顔を歪ませることしかできない。
ふっと上を見ると、両手を柄に乗せたまま、ただ口をかたく噤んで。
エマが滅多刺しにされ瀕死状態、然も眼前でエマに指示を出した親友が、狂気に満ちたまま笑い転げているのだ。
何も言えないに決まっている。
私も言葉が浮かばず、ただ両手の拳に力を入れながら、初めて聞く笑い声に歯を食いしばる。
と、ややあって笑い声はぴたりと止み。
ゆっくりと顔を元に戻すと、無気力に。
「やっちまったよ……なぁ……お前ら……。」
掠れた声に、何も返さず。
ただ、殆ど黒と白になった髪を見つめる。
「……何で、止めなかった……。」
えっと少し返すと、赤い瞳だけがこちらに。
どこかおかしいその光に、眉間に皺を寄せる。
「何で、俺を止めなかった……。軍師になることを……。」
いや何でって、アンタがと反射的に言おうと身を乗り出した時。
「イーサン君が言いだしたんでしょ。辰美君はずっと止めてた。止めろって。なのになんで他人のせいにするんだよ。自分から言って、自分で失敗したんだろ。」
冷たく突き放すような声音に、上目遣いに見ると、赤い布を巻いたアイザックは、仁王立ちのまま溜息を吐いた。
と、イーサンは口を紡ぎ。
また静かに頭を抱え。
騎士からの報告にも、耳を塞いだ。
「押されています! このままだと城に……。」
「辰美君が行く。」
えっとアイザックに視線をやると、一つも動かず、口だけを。
「一番強い人間が行けば、後はどうにかなる。アーロン君もいるだろうし、いざとなればボクを呼べばいい。それに……今イーサン君を一人にしたら、暴走する。」
サブマシンガンも氷も体術も刀も使えるため、刀しか使えない自分よりも私を選んだのだろう。
仕方ないがと、眉間に皺を寄せ、相変わらず頭を抱えているイーサンを一瞥し、すぐさま部屋を出た。
一階まで駆け下り、右の太股につけたサブマシンガンを一瞥し、刀も手甲鉤もしっかりと確認する。
開け放たれた扉からは、既に地獄が見えていた。
石畳に散る血、血、血。
屋根の上に仰向けで、刀が折れ、地面に腕だけ残して。
誰のものかも解らないそれらのなかに、一歩踏み出す。
と、血を浴びた狼が飛び出してき。
すぐに互いに認識すると、肯きあった。
アーロンは私の前に一回とまり、近づいてゆくと、私の左へ。
そのまま早口に。
「海の方はおらぬ。あとは草原だけだ。あと、貴殿らの仲間は生き残った回復使いと共に、すぐさま近くの病院へと運ばれた。生きるか死ぬかは解らぬ。ただ、神獣使いとやらはまだ草原に残っておる。そやつをやれば、あとは簡単だ。」
情報ありがとうと早口で言い、草原へ一直線に。
血生臭い匂いに眉間に皺を寄せながら、地獄のなかを。
所々家が半壊しており、燃えたあとがある。
大分激しい戦いだったんだなと、軽く舌打ちをかました。
確かにイーサンの指示によるものだが、元凶は戦争を仕掛けてきた東北側だ。
止めていたのに止めろと言ったり、狂気地味た笑い声をあげたり、どこかおかしい香りがするが、それも仕方ない。
プレッシャーで一時的におかしくなっているだけだと一つ息を吐き、門前へ。
更なる地獄に、左手を鞘に、右手を柄へ。
そして、ばっと地面を蹴る。
吹き抜ける風に、にぃっと口角をあげ、こちらに刃を向け、驚いた面持ちを見せる奴らを見据える。
「アーロンは自由にやれ! 死なない程度にな!」
叫びながら、刀を抜き、アイザックから教わった通りに、無駄な動きはせず。
まず、一番近い騎士から。
甲冑。
なら、その隙間を。
素早く刀を突きの構えにし、相手の眼を見据えたまま、すっと腹辺りの隙間に刃を入れ。
しっかりとした感触を右手に、少しとまってすぐに引き抜き、右から来た白刃に対して、左足を出しながら左手も柄に添え、ぐっと斜めにやると、甲高い音が鳴り響く。
「いいな、これ……。」
そんな独り言を垂れ、ぐぐぐと身体を近づけ。
顔が近くなる。
と、怯えた表情を見せ、がくんと相手の力が抜けたところを狙い、上手く刀を動かし、相手の剣を下に抑えつけ、すぐさま離し、相手の首を横切りに。
死んだか死んでないかは確認せず、さっと振り返り、また防ぐ。
甲高い音と、反抗するその力を味わいながら、先程と同じく、刀だけを動かして。
そしてまた首をはね、次は後ろから来た気配に向かって素早く逆立ちをし、両足をあげる。
と、踵に入った金属にあたり、甲高い音が響き。
そのまま感覚だけで白刃を受け止めている左足とは逆の足の踵を手の辺りっぽいところに横から叩きつけ、わっと手放したのを感じ取り、すぐさま足を下げて身体をあげ、振り向くと同時に右腕を伸ばし、呆気にとられた面持ちのまま首はとぶ。
と、矢と弾の気配を感じ取り、すぐさまイメージ。
私を包むように氷の壁。
そして左足から地面を少し伝い、わっと視界は氷一色に。
のあと、からりと落ちる音や、弾の弾かれる音が響き。
にやりと笑いながら、そのまま待つ。
幾ら予備を持っていたとしても、遠距離組は撃てる数が決まっている。
それが無くなれば、こちらのものだ。
ややあって、少しずつ音が少なくなってきた時。
RPGを撃ち込む時の音を微かに捉え、ヤバいと思いつつも、上を見上げながらイメージ。
左足から常に氷を出して、スケボーのように空中を
そしてぐっと上にあがると共に刀を仕舞い、壁が蒸発し、RPGの弾道を下に見つけながら、吹き荒む風に、右手を太股へ。
サーフィンに乗る時と同じポーズをしつつ、下に銃口を向け。
ぐっと銃が勝手に動く感覚を覚えながらも、トリガーに指をかける。
氷の動きは私の視界からと指示を脳内でとばし、トリガーを引く。
連射される小気味よい音と微かな反動、そして銃が勝手に動く感覚を右手に感じ取りながら、素早く空中を動いてゆく。
白い息を吐き出しながら、蛆虫のように血を咲かして倒れてゆく相手に対し、にっと更に口角をあげる。
私たちに刃向かったくせに、女一人に殺されやがって。
平和を壊し、エマとシロと銅香を傷つけ、イーサンを壊したお前らに、慈悲なんてない。
幾ら大名からの圧力で動いていたとしても、そんなのは言い訳にならない。
「ああ……全員怯えながら死にさらせ!」
大きく曇天に向かって吠え、自然と込み上げてくる笑い声を、声帯に。
素早く弾倉を変え、また動きながら次々に殺してゆく。
手も足も出ないか。
そうだな、ああそうだよ。
お前ら素人が、私に敵う訳がない。
気持ちいいくらいに笑い声をあげながら、ただただ高威力に改造された鉛玉の雨を降らしてゆく。
血が咲き、肉が散り、絶望と恐怖に固まった顔が転がる。
そして最後、唖然とする神獣と術者に向かって。
サブマシンガンをホルダーに入れ、左腕を引き。
神獣の背に乗る術者に向かって、飛びかかれるように計算し、あれこれとイメージしながら、鉤爪を鳴らして。
これが最期だと、口を開け、一際大きく口角をあげながら。
ばっと飛び上がり、見開いた瞳で、呆けた顔をぶらさげる術者を見据え。
近づく相手の顔、じゃなくその首もとを一瞥し、お前のせいだと大きくゆっくりと口を動かして。
その左手の鉤爪を相手の首へ。

@@@

雨の降るなか、死体と血のなか、髪を解き、天を仰ぐ。
口角をあげ、けたけたと笑い。
「あーあ……。」
すっと口角をさげ、顔をさげて振り返る。
ちまりと座り、私を待つ狼を一瞥し。
「無駄な殺し合いだな。」
はぁと溜息を吐き、門に向かって歩き出した。
無駄だ。
無駄すぎる。
みんな、家族を持って、未来ある子どもたちにプロの技を教えていたのに。
誰のせいか。
バカな大名たちのせいだ。
だから嫌だって止めたのに、誰も聞いてくれないで。
前夜にやった後、確かにイーサンは後悔していた。
狂った自分が嫌だって。
何でも、昔に一度似たような事をしたらしい。
出来そうもない大役を自ら引き受け、結局大失敗した。
その時は平和な大失敗だったが、今回は違う。
前々から思っていたが、イーサンはもしかしたら、何か……。
ああそんなことはないとかぶりを振り、アーロンと共に、城まで戻った。

濡れたまま、殺伐とした城内を、二階にあがり。
例の部屋の襖に手をかけ、すっと開ける。
が、そこには。
微動だにしないアイザックに、抱きつきながら、口付けを。
今や何とも思わなくなった光景だが。
「……ねぇ。」
恐らくアイザックは気づいているのだろうが、イーサンを受け止める訳でもなく、まるで人形のように動かない。
だが、イーサンの方は気づいていないようで。
いや気づく気づかない以前に、精神的におかしくなっているような。
何時までもくっついたままのイーサンに、一つ溜息を吐き、素早く後ろに回りこみ。
すっと右手で手刀を作り。
その首筋に、叩きこむ。
と、失神した身体はすぐに倒れ込み。
鈍い音と共に、横に倒れたイーサンを一瞥し、アイザックに向き直る。
やっと動いたと思いきや、ただ口元を手の甲で拭ったのみ。
「全員やった。神獣使いが大将だったみたい。取り敢えずは安全だろうが、まぁ多分、暫く麿様もみんなも帰ってこない……。」
まだ相手には軍がいるだろうし、恐らく、私たちで首都を護りながら残党を駆逐してゆくのだろう。
然も今は三人共戦闘不能、一人は精神的に戦闘不能。
アーロンとアイザック、私だけが主な戦力だし、これ以上のプロは使えない。
元勇者御一行を無理に戦場に立たせれば、恐らく何の抵抗もせず、寧ろ殺される。
曇葉さんも丸禅さんも、神主さんも、寺院、神社、神殿の人たちは皆反対派で、渋々ながら一般人を護っている。
獣人族のセイマラだって、恐らく反対派だろう。
限られた戦力、然もそのなかの一人は病人。
本当に地獄だなと思いつつ、赤い布を見つめ返す。
「エマは。」
どこか冷たい声音に、アーロンからもらった情報を、そのまま話す。
と、ふっと動き出し、一つ溜息を吐いた。
「イーサン君を責める気はないけど……まぁ、取り敢えず良かった……。」
少し口元に笑顔が戻り、エマのことがあって微動だにしてなかったのかと思いつつ、笑みを返す。
「流石に死体の回収はできないし、ハチベエさんからの指示を待ちながら、身体を休めよう。アンタもそんだけ強張ってたんだから、疲れてるはずだよ。」
軽く欠伸を漏らしながら言うと、そうだねと肯き、イーサンの方に視線をやった。
同じくやると、どこか安らかな面持ちのまま。
「どうするの?」
「んー……取り敢えず、家に一回帰る。そうすぐに次の軍は来ないだろうし、コイツこそ休ませないとな。」
そう言いつつ、ぐっと腕を引き、力の抜けた身体をよたよたと支える。
と、肩に手をおかれ。
えっと左を見ると、いつも通りの面持ちで。
「ボクが運ぶよ。」
いいのかと言うも、うんと返されるのみ。
じゃあと少しずつ離れ、アイザックがイーサンの身体を支えると、軽々とおんぶをし。
行こうと促されるがまま、血と雨に濡れた髪を軽く纏めて、部屋を出た。

コメント

#32 ビビり転生者は幸不幸の狭間で葛藤を~愛は彼らを救う~

2018-10-21 10:47:03 | ビビり転生者は幸不幸の狭間で葛藤を~愛は彼らを救う~
元の小説は「小説家になろう」にて連載中。
https://ncode.syosetu.com/n8771eu/


前回のお話はこちら。
https://blog.goo.ne.jp/nekomaru14/e/878a2be61ff2270838c4c1edc7c1240e

#1の記事はこちら。
https://blog.goo.ne.jp/nekomaru14/e/e9c7b8c249a7ede51228b3129ba64778

キャラメーカーによるキャラクターのイメージ画像集はこちら。ネタバレ注意!!
https://blog.goo.ne.jp/nekomaru14/e/ed15c8a663b710b6e3f51cbcda3aac14





第136話 相棒のために



翌朝、いつも通り病院に呼ばれ、取り敢えずラリーと名前をつけられた狼に、アヴァのストーカーのことなどを軽く話し、レクシーを抱っこ紐に家を出た。
ラリーの事は、恐らくハチベエさんから話が行っていることだろう。
ちょっとした騒ぎから、また世界に関係しそうな事柄が出てきた。
魔族の反抗まであれば、本当に世界は乱れてしまう。
それに、魔族が反抗する程の出来事とは、何なのだろうか。
魔術は元々悪も善も関係なく、それに宿ればそれを主にする。
だから悪から逃げようとしても、元々決まっていないため、さほどおかしくはない。
然し、元々悪として世界中から睨まれている魔族が、となると。
ノアは反抗は反抗でも少し違う。
だがラリーは正真正銘、産まれた時から魔族を、自分の種族を嫌ってきた。
これはまた問題が生まれたなと思いつつ、受付まで行くと、私だけ呼吸器科から呼ばれていると言われ。
あらと小首を傾げながらも、イーサンと一緒に呼吸器科の診察室前まで。
ベンチに腰掛け、レクシーをあやしつつ待っていると。
ホワイトの姓で呼ばれ、看護士に促されるがまま、一つの診察室へ。
そこには以前、緊急時に助けてくれた先生が。
何だろうかと思いつつ、先生の眼前にある椅子に腰掛ける。
「本当なら自分で治してって言うところなんですが、流石にこの状況では無理でしょう。なので今回だけ特別に、こちらで風邪を治そうかと。」
柔和に微笑む先生に、驚きと嬉しさを覚えながら、お礼を言いつつ会釈を返した。
と、何を言うでもなく、右手を掴まれ。
ただぼうっとそれを見つめていると。
矢庭に身体が軽くなる感覚。
喉も透き通り、微かな頭痛も消え。
ややあって、静かに右手から離れた。
ぱちくりと自由になった右手を見つめ。
「もう魔術を使っても支障はないですよ。ああ、今回のは無料にしておくので。お大事に。」
そう微笑む先生に、驚きつつもお礼を言い、診察室を出た。
看護士に言われ、そのまま隔離病室へと向かう。
魔術って便利だなぁと、試しに右手をイーサンの首筋へ。
然し特に反応も見せず、何と言われただけ。
いや何もと返しながら、右手を離した。
何もかもが通常に戻ったのかと思いつつ、少し暑くなった羽織りを脱ぎ、会話もなく進んでいった。
暫く歩き、フィリップに呼ばれるがまま、例の診察室へ。
よいしょと椅子に座り、どこか暗い面持ちのフィリップを待つ。
ややあって、淡々と語りだした。
「神獣化の方は何とかなってるけど、肺の方がね……。該当する病気が出てこないんだよ。肺胞に炎症があるって感じなんだけど、それがまた微妙でさ。肺炎ともまた違うんだよね。ウイルス性にも見えるし、病原体が動いてる感じなんだよね……。まぁ、取り敢えずの治療はしてあるから、暫くは大丈夫だと思う。ただ、もしかしたら入院期間が延びるかも。それだけは把握しておいて。」
少し微苦笑を浮かべるフィリップに、ただなるほどと肯き、いつも通りにアイザックの元へ行こうと席を立った時。
ぴたりと止まって振り返るイーサン。
「そういや、シロとは上手くいってんのか。」
ああそういえばと、私も振り返る。
と、フィリップは後頭部を掻きながら、苦笑を漏らした。
「たまに喧嘩したりするよ……。全然解らなくてさ、女心とか。色々やってるし、嫌われてはないんだけど。」
あははと自嘲するフィリップに、ただ微苦笑しか返せず。
同じく女心が解らないイーサンは、まぁ頑張れと言いおいて、そそくさと廊下に出た。
扉を開けつつ振り返り、軽く会釈をし。
「程々がいい時もあるぞ。」
と一言おいて、同じく廊下に出た。
何もアドバイスをしてやれない私たちは、真っ先に隔離病室へと向かった。

@@@

「小豆……。」
既にエマがおり、暗い面持ちに、微苦笑を返した。
幾らか楽になったのか、ベッドの横まで来ると、少し手をあげ。
「昨日は大変だったらしいね……。」
あれ、知ってるのかと思いつつ、まぁなと苦笑を漏らす。
「取り敢えず落ち着いたし、風邪も治してもらった。」
そうなんだと、少し掠れた声で呟き。
会話が途切れる。
こんな状況で話せることなんてないよなと思いつつ、ベッドから離れる。
と、エマが二の腕を掴みながら、訊いてきた。
「これも、“小豆のせいなんじゃないかって思うんだけどさ。”間違ってるかな、私。」
ふっと振り返る顔には、いつもの色がない。
ああ、恐らく私のせいだと言える訳もなく、ただ見つめ返す。
刹那、わっとエマが近づいてき、両肩を掴まれ。
えっと眼を丸くしていると。
「どれもこれも小豆のせいだよね! 転生者とか不動明王の化身とか……そんな生温いものじゃない。ただの“悪魔だよ!”」
更に眼を丸くすると、イーサンがエマの腕を引き。
よたよたと私から離れ。
目線だけはこちらにやりながら、右手でイーサンの胸ぐらを掴む。
ただ緑色の瞳を見つめ返し、悪魔という単語を咀嚼する。
だが、不味い味しかしない。
と、エマが舌打ちをかまし。
「やっぱりあの時に離れてたら良かった……そしたら、アイザックも私も、こんなことにならなかったのに!」
わっと吠える声に、素早く右手で顔を掴むイーサン。
と、そのまま無理矢理顔の向きを変えられ。
緑色の瞳は、私から離れた。
少し胸を撫で、ただその光景をぼうっと。
患者の咳を漏らす声も余所に、睨み合う二人。
大丈夫なのかと思っていると、矢庭にイーサンが押し倒し。
えっと眼を丸くする。
四肢を固定されたエマは、大きく歯を食いしばって。
然も涙を流して。
少し複雑な気持ちに苛まれながら、レクシーの背を軽く叩く。
「……事実じゃん……。小豆が不幸ばかりよん──」
「黙れ。だからって小豆を責めんな。アイツは何も悪くねぇんだよ。」
「はぁ……? 存在自体がわる──」
刹那、言葉を言い終わらぬうちに、軽く呻き声をあげる。
エマの左手を掴む手が、少し筋張り。
ゆっくりと手首に移動すると、がっと力を入れる。
更に呻き声をあげるエマに、流石に堪えきれず。
わっと飛び出し、その背に左手を乗せ、しゃがみこんだ。
「もういいだろ。エマだって辛いんだ。」
だが、どちらも私の存在がいないかのように。
苦痛に顔を歪めながら、エマは吠える。
「お前もいつか解るよ! 死ぬかも知れないのに、よくもまぁずっといれるな!」
「黙れ! 俺がどうするかは俺が決めんだよ!」
更にぐっと力を入れたせいか、エマが更に声をあげ。
「やめなよ……。こんな所で争ってる場合じゃないだろ……。」
咳混じりに鳴る声も余所に。
もうやめろってと、右手を頬に。
だがやはり、私の存在がいないかのように。
「カッコつけてるだけで、本心では嫌ってるんでしょ! 嫌だもんね! こんな悪魔!」
「だから黙れって! 小豆は悪魔なんかじゃねぇし……頭イかれてんだろっ……!」
裏返る声に、ぐっと歯を食いしばる。
「イかれてんのはどっち?! 普通嫌だよ! 不幸ばっかで……大切な人を窮地に貶めるような存在なんか!」
また黙れと叫ぶや否や、頬にやった右手に、嫌な鼓動が伝ってくる。
はっとして顔を覗き込むと、涙混じりに眉間に皺を寄せて、紫色に模様を躍動させていた。
慌てて左手を離し、両手でその頬を掴む。
と、赤い瞳がこちらを向き。
「ダメだって……。エマも、言いたいことは解るが……。」
ふっと視線を移し、緑色の瞳を見つめる。
ややあって、右頬にやった左手から、躍動する感覚は消え。
もう一度向き直ると、模様が収まった横顔が。
何とも言えない表情に、両手を静かに離す。
と、鼻を啜りながら立ち上がり。
ゆっくりとエマに向き直ると、微妙な、複雑な面持ちのまま、左手首をさすりながら立ち上がった。
ぴりりとした空気を肌で感じながら、腰をあげる。
エマの言いたいことも解るし、恐らくイーサン自身も理解している。
だからこそ、聞きたくなかった。
だからこそ、涙混じりに叫んだ。
仕方ないことだが、恐らく今回のは、私のせいじゃない。
世界が、運が、そうさせた。
私のせいじゃない。
ふらふらと、何を言うでもなく病室から出てゆくエマを見つめ。
静かな扉の音が鳴ったあと、少しぎこちなく、イーサンの方を見る。
うなだれたまま。
最近また太くなった黒髪の筋を一瞥し、アイザックの方へ。
ベッドの横まで来ると、ごめんと微苦笑を浮かべた。
だが、仕方ないよと言って、淵に置いた右手に手を重ねて。
大きな手を一瞥し、また明日にでも来るからと言いおき、軽く握りかえした。

@@@

イーサンの魔術がどれほど回復しているのか、暗い微妙な気持ちのまま、グリッド寺院に向かった。
右を歩くイーサンを一瞥し、右手で手探りで探し。
ふっと手を繋ぐと、確かに強く掴まれ。
互いの数珠が当たる音に、空を見上げた。
悪魔、ねぇ。
そんな生易しいものかな。
もっと邪悪なものだと思うな。
だって本人は意図していないのに、幸せを運んでいるのに、そこにいるだけで不幸を呼んでくるのだから。
寧ろ自分が魔王なんじゃないかと、強く歯を食いしばった。
暫くその状態で、安心感のある寺院の門をくぐり。
その辺にいるお坊さんに、丸禅さんの名を告げると、すぐに本堂へ。
いつもの千手観音像に手を合わせていると、お待たせしましたとやってきた。
すっと腰をおろしたのを確認し、右を一瞥してから、脳闘の具合は大丈夫なのかどうか見れますかと小首を傾げ。
ああそういうことですかと、柔和に微笑みながら肯き。
イーサンに向き直ると、手を合わせ、眼を瞑った。
静寂が流れ出し、少しレクシーに微笑みかけていると。
「程々に回復しておられます。恐らく、使用しても影響はないかと。」
一日で回復するならストレスフリーに、というだけであって、ストレスがあっても数日安静にしていれば、ある程度は回復してゆくのだろう。
良かったと少し溜息を吐き、お礼を言いながら立ち上がる。
イーサンの方を見ると、やはり微妙な面持ちで。
ケアでもしてやらないとなと思いつつ、下駄に足を滑らす。
と。
「もしお時間があるのであれば、稲荷神社に行くことをお勧めします。」
次の災いが見れるでしょうと言う丸禅さんに、解りましたと言い、軽く会釈を返しながら、歩き出した。




第137話 人格者と夜中の猫



稲荷神社。
寺院とは違い、神像の前に座るだけで、神様の方からやってくる。
と、いつも通りに脳内が光り。
『体調不良だったようだな。話そうにも話せない状態だったから、少し心配したぞ。まぁともかく、次の災いはな、来年の二月……丁度節分の時にやってくる。この時も赤子たちを守ろう。』
節分……鬼みたいなものかと思っていると、心境が知られてしまっているため、ああと返事を返された。
『あ、殿方の方は今いるのか? いるのであれば話したい。』
いますよ。
というか、いつにも増して緩いですね。
『え? ああまぁ……仏のように厳格な口調にすれば、それなりに貫禄も出てくるかなと思ってな。でも疲れたから普通に喋る。ただお主たちからすれば厳格な口調でも、我々からすればお主の言う普通の口調と同じだからな。で、殿方呼んでこい。話したい。』
解りました。
一旦戻りますよ。
と言いおき、ふっと眼を開ける。
神仏によって個性があるんだなと思いつつ、立ち上がり、扉付近で突っ立っているイーサンの肩を叩き。
「神様が話したいって。一般人でもできるのか解らんが、まぁ話したい話したいってうるさいから。」
『聞こえとるぞ。』
脳内に響く冷たい声に、ぎくりと肩を震わす。
そういや寺院などにいなくとも話しかけてきたなと思い、胸中で謝りながら、手を引いた。
特に何も言わずに、先程と同じく神像の前に座り。
右側に座るイーサンを一瞥し、手を合わせて眼を瞑った。
相変わらず光り。
『有り難い。というか、お主の旦那、ハンサムだな。』
神様まで言うんですか。
『いいだろ。それだけお主の旦那がハンサムなんだよ。自慢できるぞー。』
フランクすぎないか……。
『うるさーい。これが楽なんだ。で、今から旦那の方に話しかける。お主らのように特殊じゃないから、恐らく精神的に驚くだろう。多少様子が変でも、あまりうるさくするなよ。』
と、脳内に響き渡る声は消え。
ふっと眼を開け、両手を下げながら右を向く。
特別変化はない。
少し近づくと、赤い瞳と眼があい。
「何か、変なこと起こってないか? こう……脳内に光りが来たり、女性のテンション高い声が響いたり。」
「いや、何も……。」
どこか眠そうな面持ちで、かぶりを振る。
あれ、もしかして何もしてないのかと思いつつ、身体を離した。
と、床についた右手に、感覚。
んえと見てみると、少し傷の多い左手が重なっていた。
様子が変でも気にするなと言われたしなと、視線を外す。
と思った矢先、ぎゅっと右手を握られ。
また視線をやる。
手の甲から掴まれた状態で、大丈夫なのかと視線を上へ。
どこか顔の赤い横顔。
先程までの微妙で複雑な色はない。
もしやと思い、脚を崩して、ぐっと近づく。
と、やはり顔を背け。
何とか顔を覗こうとしても、無理。
溜息を吐きながら離れ、左手でレクシーの背を軽く叩く。
予想外の変化に、横目で一瞥しつつ、また溜息を吐いた。
夏祭りの時でもしなかった初々しさに、少し違和感を覚えた。
そもそも性格が違いすぎるし、こういうのはフィリップ辺りがする反応だろと、レクシーに笑いかけ。
「変だなー。」
と話しかけると、そうだなと言うようにきゃっきゃと笑った。
と、手の甲にあった感覚が、ぐっと手首に。
えっと右を向くも、相変わらずの横顔。
幾ら人格が違うと思っても、ここまでされては、こっちも妙な気持ちになる。
初々しいというか不思議というか、いや寧ろ気持ち悪いというか。
どちらにせよ、早く元に戻ってほしいのだがと思っていると。
矢庭に動きだし、何を言うでもなく顔を近づけてき。
えっと眼を丸くした時には、口付けをされ。
太ももを這う右手に続き、口が離れ。
恥ずかしがり屋なのかキス魔なのか、何となく人格がブレているような気がして、少し眉間に皺を寄せる。
面持ちは相変わらず赤いまま。
と、左手が後頭部にいき、また口付けをされながら押され。
いやレクシーいるんですがと、更に眉間に皺を寄せつつも、仕方なく仰向けになる。
気持ち悪いというか、どこか違和感の塊のような。
何とも言えない微妙な気持ちに、ただ眉間に皺を寄せるのみ。
暫くその状態で時はすぎ。
やっとこさ離れた時。
むっと睨むと、急に顔を歪ませ、何かを堪えるようにして、私の横でうずくまり。
なんだと上半身をあげる。
「イーサン?」
恐る恐る左手をその背にやる。
熱くはないが、時折大きく息を吐き出して、頭を抱えて。
神仏の声は脳内に直接響く。
然もこちらの心境や考えは、全て見られている。
脳みそや精神が慣れていなければ、恐らくびっくりして拒絶反応を見せてしまうのだろう。
人格がブレたり、頭を抱えたりするのも、恐らく拒絶反応の一つ。
大丈夫だとは思うが、心配の念は消えない。
左手でさすりながら、少し振り返り、神像を一瞥する。
本当に大丈夫なんだよなと、また眉間に皺を寄せ。
暫くして、徐々に落ち着いてきたようで、徐に起き上がり。
眼で追いながら、その場に座り、後ろ手に身体を支える相手に小首を傾げる。
「どうだ?」
右手でレクシーの背を軽く叩きつつ、返答を待っていると、小さく肯いた。
「聞こえてきた……。ただすぐに消えたな……。」
取り敢えずは成功したのかと、一つ安堵の溜息を吐いた時。
脳内に一つの光り。
おっと慌てて眼を瞑る。
『なかなかに手強いぞ。元々現実主義だったようだな。』
神仏とか信じてないと、やっぱり難しいんですか?
『ああ。ただ、お主と会って多少は信じているらしいな。その分やりやすいが……何せ独特すぎて……。襲われる前でよかったな……。』
襲われる前?
『人格にブレがあっただろう? あれは本人の隠れた人格なんだよ。お主の旦那の場合は、ツンデレのデレデレ人格と恥ずかしがり屋人格と発情期のオス人格だな。それらがごちゃごちゃしてたんだよ。つーかお主の旦那……性に関係する人格ばっかだな……。特に発情期のオスって……。今まで見たことないぞ、こんな人格。』
発情期……。
『ん、あっ……お、落ち込むなよ?! 普通は出てこない部分だからな、安心しろよ?!』
解ってますよ、解ってます。
けど……何か気持ち悪かった……。
『わー! ごめん! 我のせいだな! ごめん!』
大丈夫です……。
で、どうなんですか?
まだ普通には喋れない感じですか。
『あ、あぁ……まぁ、また日を改めてだな。なるべく早く我々に慣れてほしいものだが。あ、我と話せるようになったら、どの神仏でも話しかけれるようになる。これから役に立つだろう。お主たちには少し辛いだろうが……ま、まぁ……そういう旦那も新鮮でいいぞ……な?』
いや、気持ち悪いです。
取り敢えず、また明日来ます。
と言い残し、ふっと眼を開けた。
少し恐る恐るイーサンの方を見るも、大分落ち着いたようで、軽く髪を撫でつけながら一瞥をくれた。
発情期のオス人格もそうだが、ツンデレのデレデレ人格は何なんだと思いつつ、もう今日は帰ろうと笑みを見せた。

@@@

その日の夜中。
奇妙な音を庭先から聞き、はっと眼を覚ました。
暗闇のなか。
聴覚に集中し。
砂利を踏みしめるような足音。
大分小さな音だが、確かに歩くような音だ。
もしやと思い、掛け布団も剥いで起き上がる。
ストーカーに、場所は割れている。
然もみな寝静まっているし、ノアは爺のせいで爆睡、イーサンは何を言わずともバカ。
頼りになる二人が今すぐ動けない状況に、子どもたちも無防備な時に来られては厄介極まりない。
とにかく、気持ちを戦闘に切り替え、四つん這いで、猫をイメージしながら動きだす。
相手に悟られてはならない。
縁側まで、ゆっくりと。
風邪は治ったし、私一人でもどうにかなる。
だが、迫力には欠ける。
居間まで出、暗闇のなか、月明かりだけを頼りに。
子どもたちの寝る布団の上、頭の上を行き、そっと障子を開け、いつもの縁側を確認し、更に息を殺しながら、ゆっくりと。
そしてラリーを確認。
幾ら番犬と言えど、相手の音は随分小さい。
聴覚に集中しなければ、ここまで静かでなければ、そうそう聞こえることはない。
そう、ふっと顔を出し、庭を見つめる。
だがいない。
もっと奥、家の後ろか。
このまま庭に出て、ラリーを起こすか。
獣というだけでも腰を抜かすはずだ。
よしじゃあ起こすかと、ゆっくりと、石のうえにある草履に足を滑らす。
少し大きな草履のまま、ラリーに近づき。
軽く右手で頭を撫でる。
と、ふっと眼を開け。
月明かりを反射する蒼い瞳を見つめ、小声で事情を説明する。
「承知した……。」
ぐっと起き上がり、伸びを一つすると、徐に歩きだした。
ラリー一匹でもそれなりの効果はあるだろうが、何せ盗みも不法侵入もされてるのだ。
チャンスがある時に取り押さえねばと、上を見上げ。
素早く跳躍。
からんと瓦が鳴り、少しどきりとするが、どうやら大丈夫なようだ。
そのまま姿勢を低くし、屋根の上を歩いてゆく。
庭の奥、玄関から見て後ろ。
うちの庭はL字になっており、奥の方まで行くと、小さな竹藪と塀があり、L字の先端部分だけ隣の家と繋がっている。
いざとなれば、そこから塀を越えてお隣さんの庭に行けるのだが。
竹藪の方にも、塀を越えて行ける。
然もそのままグリッド寺院まで繋がっているから、入り込むのも逃げるのも上手くいけるだろう。
一般人だと難しいが、少し訓練をすれば、一般的な塀くらいは越えられる。
結構危険だなと思いつつ、屋根の端までき。
ふっと下を覗き込む。
と、やはりいた。
黒い着物に手袋とマスクをして。
どうやら靴はスポーツ用のスニーカーらしい。
イーサンと言い争っていた時に見たが、案外体躯もよく、多少は鍛えているようだ。
これから塀も越えられるなと、すっと眼を細め。
微かな狼の唸り声を小耳に。
アヴァと子どもたちの部屋は二階にある。
私とイーサン、ノアは部屋にいてもすぐ動けるように、一階に部屋をつくったが。
少し登りやすくなっているし、何より二階には窓がある。
そこから侵入されれば、逆に不利になってしまう。
すぐに動けるように一階にしたのに、皮肉なことだなと、気づかれないようにヤンキー座りで左腕を下げ。
人差し指だけを、そいつに向ける。
登ってくるような仕草をすれば細い縄で拘束。
そうイメージをし、視界にそいつを捉え。
言葉でなくとも、私からの視覚情報でも動けるように訓練を重ねた。
一番楽なのは言葉による引き金だがと思いつつ、じっと見つめる。
刹那、ばっと奴の顔がこちらを向き。
すっと、狂気じみた紫色の瞳と眼があい。
ヤバいと慌てて後ろに引き下がる。
無論、視界から奴は外れた。
心臓の鼓動が速まり、軽く息を切らしながら、瓦屋根の端を見つめる。
見られた。
確実に見られた。
どうする。
ここは強行突破で──
男のひっという声。
はっとして、慌てて端に行き、下を見る。
そこには、腰を抜かす男と、姿勢を低くして唸り声をあげるラリーが。
やはり、か。
今ならいけるか。
ここで逃せば、またやってくる。
よし、やろう。
そう決心を決め、ばっと屋根から飛び降り、ラリーの前に着地し、左の人差し指をそいつに向け。
縄。
絶対に逃がさないような、強靱な縄。
イメージを膨らませ、一歩ずつ近づく。
流石に怯えの表情を見せ、後ずさろうとするも、砂利の音が無駄に響くだけで。
そして十分に近づいた時。
拘束。
刹那、指先から氷の縄が現れ、瞬きをする間に、相手の両腕と共に身体を縛り上げた。
よしと一つ息を吐き、縄と手を切り離し、素早くその先端を左手に持つ。
「ラリー、アンタのおかげだ。」
少し振り返ると、狼は一つ欠伸を漏らし。
「貢献せねば、信用は得られぬだろう。取り敢えず、こやつの事はワシが見ておく。人族のそういう組織がいるのだろう。」
話が早いなと少し笑い、じゃあと、縄を引っ張り、無理矢理立たせる。
男を注視しながら戻ってゆき、いつもの庭先にまで戻ると、ぱっと縄を離し、遠隔操作で両足首も拘束。
夜中でも警鳥隊が動いてくれれば良かったんだがと思いつつ、無理矢理座らせ、はぁと溜息を吐き。
その男の横に、ラリーはまた丸くなり。
ややあって、縁側から家のなかに戻った。
振り返り、すっと一瞥をやると、紫色の瞳とあい。
ぞっとするような狂気を見つけ、慌てて眼を離し、障子を後ろ手に閉め、わっと布団に倒れ込んだ。



第138話 張り紙



翌朝。
イーサンとノアにあれこれと告げ、二人とラリーで警鳥隊に突き出してくれと頼み、レクシーに乳をあげようと視線を外した時。
「は……?」
間抜けな声に、えっと振り返る。
が、開け放たれた障子の先には。
血溜まりと、粉々に砕け散った氷のみ。
すっと心臓が締め付けられるような感覚に、眼を丸くする。
なんでだ。
なんで。
ただの氷じゃないんだぞと、蒸発し、戻ってくる冷気を感じながら。
然も、血溜まり。
然も、ラリーがいない。
立ち尽くす二人の背を一瞥し、レクシーの温もりに、生唾を飲み込んだ。
「僕だけは不死身ですが……ラリーは……。」
呟かれる声に、舌打ちが重なる。
「殺されてても仕方ねぇよ。とにかく、犯人を見つけなきゃなんねぇ。ノアなら相手も容疑駆逐対象にはなるが、まだ国のもんになってねぇ魔物なら、相手は犯罪者のまま。せめて容疑駆逐対象にしてくれりゃあいいんだが、こんだけ血が出てんだ、どこかに血痕があるはず。もし犯人の血も混じってるんだったら、有益な証拠や情報になるかもな。あと小豆、犯人の服装とか覚えてんだろ。眼の色も特徴的なら、それだけで人間は絞れる。ただ……狂った人間だった場合、今回のでスイッチが入れば……更に危険性はあがる。逆鱗に触れたっつーか……いや、小豆は悪くねぇんだけど、そういうのはあるからな。取り敢えず、小豆と俺で警鳥隊本部に行くから、ノアは絶対に家から出るな。子どもたちが外に出たいって言っても阻止しろ。アヴァさんも基本は居間に。いざとなればうちの親父かお袋に電話してください。あと、通信機が小豆か俺の部屋にあるんで、それでシロを呼ぶのもありです。こっちは相手が気づかない場合もあるんで、手当たり次第に電話をかける気持ちでいてください。」
早口で言いながら、あれこれと動き回る。
私も忙しく動き、レクシーに笑いかけながら、オムツや懐中時計を懐に入れ。
抱っこ紐に乗せ、かちりと後ろ手にとめ。
マフラーを左手に、髪留めの紐を右手に、ああと振り返るイーサンを一瞥し、そそくさとその横を通り過ぎる。
「相手が刃物とかの凶器を持って襲いかかってきたら、容赦なく反撃しろ。ただし殺すな。ある程度なら正当防衛になる。ただ、明らかに傷をつけられたり、これはやらないと危険だと判断したら殺せ。裁判沙汰になってもいい。俺らが何とかする。」
マフラーを肩にかけ、下駄に足を滑らせ、素早く扉に手をかける。
後ろからの足音を小耳に、外の風に身を晒し。
少し右にズレ、紐を右手に髪を軽く一つ結びにし。
マフラーをとり、両手で巻きつけながら、鍵を持ったイーサンを一瞥し。
最後に、いざとなれば俺らの武器を使えと言いおき、外に出ると、がちゃりと鍵を閉めた。
鍵を懐にしまいながら歩きだすイーサンに合わせ、身体の向きを右にし、丁度横に来た時に歩きだす。
然し、いつも私が左側を歩くため、妙な違和感と共に、少し速度をおとし。
後ろから左側に行き、また速度をあげた。
袖のなかで腕を組むイーサンを一瞥し、右手をレクシーの背へ。
「アイザックもエマも動けるなら、俺らの代わりにいてくれねぇかって頼めるんだがな……。」
靡く赤いマフラーを少し眼で追い、何とも言えない横顔を見つめる。
「仕方ないだろ。まだシロやレオナルドさんがいるだけいい。」
「……なぁ。」
ふっと視線を外したと同時に言われ、少し間抜けな声を返す。
「……小豆はどう思ってんだ。昨日の、エマの発言。」
ああと苦笑を漏らし、レクシーを一瞥し、そうだなと息を吐いた。
「悪魔なんて生温いものじゃないなって思ってる。まだエマは優しい方だし、ああなるのも肯ける。同じ状況になれば、私も言うだろうし……。」
「……そうか。なんか、情けねぇな。」
「いや、どっちも仕方ないって。イーサンの気持ちもエマの気持ちも、根本は変わらないんだよ。大切な人を護るっていうのは。これが私とアイザックでも、多分変わらない。」
「……。」
「自分だけ感情的になって、魔術まで使い出そうとした……その部分で悩んでるんだろ?」
「ああ……。」
「バカだなぁ。いや、バカ真面目か。何度も言ってるが、アンタの反応は普通なんだよ。だから自分を恥じなくていい。今の私だから仕方ないと思えるけど、前の私なら、多分アンタよりも先に動いてたと思う。それでアンタが止めてくれる。それが逆だっただけだし、私もアンタも変わったんだよ、色々と。まぁとにかく、アイザックの病気が良くなれば、エマに謝ればいいと思うぞ。そんだけ思いつめるなら。エマも多分、後々自分を悪く言うだろうし。」
な? と少し顔を覗き込むと、ややあって肯いた。
そんな暗い顔すんなってと、軽く肩を叩き、正面に向き直る。
まだ私は落ち着いてきたが、逆にイーサンは危うい感じだ。
氷だと言われて無気力に生きてきたのに、たった数ヶ月で護るべきものが増えた。
それだけで気持ちは変わるし、本人からすれば、私は絶対に手放せない人間。
だからこそ感情的になったのだろうが、このまま、この状態で大丈夫なのか。
下手すれば暴走に近いことになる。
本人にとっては辛いが、しっかりと私がケアしていかねばと、軽く手を握った。

@@@

本部、一つの部屋で、刑事部隊隊長と向かい合わせに。
異国のソファで脚を斜めに、あれこれと告げる。
「紫色でした。あと……身長は私よりも高くて、イーサンよりも低い……と思います。平均的な身長っぽいです。あとは……結構体躯が良かったかな……。鍛えられてる感じがしました。武器とかは確認できなかったんですが、マスクに手袋、あとスポーツ用? のスニーカーで、髪型は刈り上げみたいな……。」
手振り身振りであれこれと伝え、最後にラリーの事も言い、すっと口を紡ぐ。
と、隊長は顎に手をやり、ややあって深く肯いた。
「解りました。今すぐに調査しはじめます。できればうちにいて、容疑者からの電話なんかを録音しといて欲しいんですがね……。そうもいかんでしょ? お仲間さんのこともあるし。」
一瞥をくれる隊長に、ああと苦笑を漏らし、右を向く。
相変わらずの横顔だが、ややあって肯いた。
「そういうことなら。別に医者から呼ばれてないんで。」
でも神社のこともあるぞと思いつつ、勝手に進む話に、隊長に向き直る。
最終的に、基本は警鳥隊がやり、容疑駆逐対象にできそうなら引き上げ、いつでも私たちが追えるようにするとのこと。
相手が訓練した人間であれば、警鳥隊だけで捕まえるのは難しい。
かと言って許可つきを向かわせても、逆に差がありすぎて難しい。
なら、容疑駆逐対象にできるギリギリを掠めた直後に引き上げ、私たち被害者側が全力で追えば簡単かつ早い。
今なら二人とも戦えるし、助っ人であるシロもいつでも動ける。
まぁ暫くは警戒しつつだなと溜息を吐き、本部から出た。
と、イーサンがとまり。
振り返る。
「俺だけ病院と神社の方行ってくるから、お前は家で大人しくしてろ。今のお前なら、相手が来てもどうにかできるだろ。」
軽く言うイーサンに、渋々ながらも肯いた。
「アンタも気をつけなよ。何回か相手にキレてるし、一番厄介な奴から襲うって考えるかも知れないから。」
「解ってる。そうなりゃ、俺に傷つけて容疑駆逐対象にしてもらう。」
「はぁ? 気をつけてって言ってんのに……。自分を犠牲にするなよ。」
「……取り敢えず、隊長から言われたこと、忘れんなよ。」
そう言いおき、そそくさと左の道へ向かう。
護るべきもののために、自分を犠牲にする。
その気持ちは解るがと溜息を吐き、家に向かうため、また歩きだした。
暫く無になって進み、いつもの家が見えてきた時。
扉のところに、何か張り紙が貼ってあるのに気がついた。
何だと怪訝に思い、足早で近づく。
が、そこには赤文字で。
「魔物の家……魔族……。」
大きく乱暴に書かれたそれら。
何なんだと眉間に皺を寄せ、それらのなかにある一枚を手にとる。
べりべりと軽く音を起てて離れたそれには、ずらりと赤い文字が。
更に眉間に皺を寄せ、いちから読む。

貴方たち勇者は何も考えていない。
魔物が潜んでいたというニュースが連日報道されたばかりで、国中が疑心暗鬼になっているのに、貴方たちはまた魔物を首都に入れた。
ノアさんのことは今まで信用していましたが、最近疑っています。
いや、ノアさんだけじゃない。
それら魔物を引き入れて匿ってる貴方たち、特に勇者であるクジョウタツミも疑っています。
本当は勇者も、実は既に魔王の手先なんじゃないか。
そう疑っています。
勿論、イーサン・ホワイトも。
一見して嘘がつけない性格に見えますが、本当は最初から嘘を吐いてのうのうと生きているんじゃないですか?
魔物を殺しているから違う。
そんなのは理由になりません。
寧ろ魔王からそう指示を出されているのでは、と疑っています。
ノアさんも、いやノアも今回の魔物も、本当は最初から台本があって、それに沿って、あたかも偶然遭遇したかのように振る舞っているだけなのでは?
貴方の本当の姿はサキュバスなのでしょう?
みんなを虜にする、魔女としてね。
アイザックさんもエマさんも可哀想。
アヴァさんも子供たちも可哀想。
魔物が身近にいたなんて知ったら、どう思うでしょう?
本性を表してください。
そして死んでください。

ぐしゃりと、紙が悲鳴をあげる。
ぐっと歯を食いしばりながら、右手で紙を掴み。
「何が魔物だよ……アンタらの行き過ぎた妄想だろうがっ……!」
疑心暗鬼になるのはいいが、いくら何でもやり過ぎだと、危うく引きちぎりそうになった紙を伸ばし。
くしゃくしゃにはなったが、勇者に対する侮辱として、これをやった犯人を炙り出せるはずだ。
四つ折りにし、他の紙も乱暴に引き剥がし、同じく折りたたみ、呼び鈴を押した。
誰がやったのかは知らないが、こんな人目のつくところに貼りやがって。
名誉毀損で訴えれないかと思いつつ、恐る恐る顔を覗かせるノアに、ただいまと低く言った。

@@@

障子も閉めきった居間。
ドングリーズのどこか晴れない面持ちを一瞥し、紙を座卓に置き、レクシーを抱っこ紐から揺りかごへ。
はぁと溜息を吐き、あれこれと先程までのことを告げ、ついでに張り紙のことも告げる。
と、座卓から紙を拾ったノアが、軽く中身を見ると。
「これは酷いな……いくら何でもやり過ぎですよ。僕が疑われるのは正直仕方ないけど……小豆さんとイーサン君が疑われるのは……。」
後頭部を掻きながら、また座卓の上に置くノア。
アヴァの怪訝な面持ちを一瞥し、下の方で結んだ髪を解きながら、溜息を吐いた。
「証拠にならないかなって思ってな。筆圧とか、そういうのでやった人間割り出せれば……名誉毀損とかで訴えれるだろ。」
顔をあげ、紐を軽く畳みながら、そう小首を傾げる。
その場に座り込むノアは、まぁ確かにと、何とも言えない返事をし。
また溜息を吐き、マフラーと紐を置きに廊下へ。
少し歩いて右側にある部屋が、私の自室だ。
襖を開け、シンプルな部屋のなかへ。
寝室だけは別にあるため、基本的に刀置きやタンス、ちょっとした文机があるのみ。
右側の壁に貼ってある賞状やタツとマリの絵、十一月にみんなで撮影した写真を一瞥し。
紐とマフラーを、入り口付近にあるフックにかけた。
畳の質感を足裏に感じながら、少し右側の壁に近づく。
危険人物αの駆逐に成功したという賞状や、足蹴りで一分間のうちに風船を沢山割るギネスでの賞状など。
数ある額縁と絵のなか、みんなで撮った写真に近づく。
カラーで綺麗に撮られた写真は、私とイーサンが椅子に座り、その周りにドングリーズが立ち、私たちの後ろにノアとアヴァ、ソフィアさんとレオナルドさんが立っている。
レクシーを抱えたまま撮られた写真。
大分柔らかい面持ちだが、今の私はどうなのだろう。
平和になればまた柔らかい雰囲気になるのだろうか。
然も、ここ最近イーサンが笑っていない。
写真に写るイーサンは微かに口角をあげてるが、最近はいつも通りの無表情ばかり。
ノアもアヴァもにこやかな笑顔なのに、今は。
笑える訳がない、そう思っていても、こうして見てみると複雑な気持ちになってくる。
不幸は不幸を連れてくると言うが、もうこれ以上の不幸はいらないぞと、視線を外し、部屋から出た。




第139話 自己犠牲と家族



暫くの間、特別なこともなく時間は過ぎ。
午後へと差し掛かり、流石に心配の念が渦巻く。
どこか暗い雰囲気のなか、外に出たい衝動を何とか抑え込み、一つ溜息を吐いた。
刹那、黒電話が鳴り響く。
びくりと肩を震わせ、怪訝な面持ちのノアとアヴァに視線をやり、ゆっくりと立ち上がった。
ストーカーなのか違うのか、警戒しつつも、黒電話に近づき。
徐に、右手で受話器を。
そして右耳に当て、もしもしと一言。
『刑事部隊隊長です! 先程、“病院通りでアンタの旦那さんが襲われたそうです!”何とか取り押さえようとしてるらしいが……とにかく、今すぐ容疑駆逐対象に引き上げますから、病院通りに向かってください!』
ふっと心臓が締め付けられるような感覚と共に、素早く解りましたといい、がしゃりと受話器を置いた。
そしてそのまま右の廊下へと行き、台所の横を通り、洗面所やトイレの横も通り、自室へと。
素早く刀を取り、帯の上からベルトをしめ、マフラーと紐を左手に持ち、また廊下へ出。
足早にマフラーを巻きながら玄関の方へ。
そして居間に向かって素早く告げ、赤ちゃん預かり人にでも電話しておけと言いおき、靴箱の上にある鍵を取り、紐を口を咥え、戦闘用ブーツを履き。
何も言わずに外に出、素早く鍵をかけ、懐に仕舞いながら病院通りへと駆けはじめ。
紐を咥えたまま、両手でいつも通りに高く髪をあげ、まとまった所で右手で紐を持ち、きゅっとキツメに結ぶ。
軽傷だとは思うが、流石に堪えきれない。
すぐさま殺してやると胸中で吠え。
ひたすらに走ってゆく。

暫く走っていると、怒鳴り声と悲鳴、そして狼の唸り声が。
はっとして、素早く左に折れる。
と、そこから見える景色には。
「イーサン!」
右手の甲から血を流し、身構えるその人に向かって。
そして私の入った道から、病院通りに出る直後。
赤い瞳の一瞥を見受け、左手を鞘に、右手を柄へ。
視線を右側へやりながら、ぐっと口角をあげ。
大きく脚を踏み出しながら、鞘をがんと下に向けると同時に刀を上手く抜き、そのまま左側の首元まで持ってゆき。
右足を前に踏み込み、視界に奴を捉え。
ターゲットを、そいつの首へと。
大きく叫びながら、眼を見開きながら。
そして、ざんと斬る。
左足を出し、右腕を上にあげたままとまり。
ゆっくりと上半身をあげながら、右腕を下げ、同じく右足を前へ。
一つ溜息を吐き、素早く刃を振るって、鞘のなかへ納める。
「いいのか……。」
息の切れた声に、ああと肯く。
「隊長から電話があって、すぐに来た。」
そうかと、少し掠れる声に、また溜息を吐く。
唐突とは言え、イーサンくらいなら、怪我もせずに取り押さえられるはずだ。
然し、確かに傷がある。
ということは、すぐに犯人だと気がつき、わざと傷を負った。
だから自分を犠牲にするなって言ったのにと軽くかぶりを振り、振り返る。
傷が案外深いのか、顔を歪めるイーサンは、首の跳んだ犯人の死体を担ぎ。
右手を庇いつつ、首もとに赤い筋をつくった狼……ラリーに軽く指示を出し。
ラリーが犯人の頭を咥えたのを見届けると、私の心配も余所に、私が来た道へと。
ぶらさがった右手を見ると、とても軽傷とは思えないほどの血にまみれている。
時折石畳に落ちているしと、溜息を吐きながらも、その後に続いた。
幼なじみに対する気持ちもそうだが、全体的に自分がどうにかしなきゃいけないと考えている気がする。
幼なじみが死んだのはイーサンのせいじゃないし、あんな魔物でも神獣でもない相手に立ち向かえる訳がない。
それなのに、自分が情けないから、自分が臆病だからと言って聞かない。
自分に厳しいのか、はたまた背負い込みやすい性格なのか。
どちらにせよ、自分で自分を壊しかねない。
己を犠牲にという気持ちは解らんでもないがと、痛々しい右手に、眼を細めた。

@@@

警鳥隊に渡し、あれこれと告げ、ラリーの傷とイーサンの傷を治すために、また病院通りへと。
ラリー曰く、朝日が昇ってきた時刻に急に首を斬られ、痛みに意識が朦朧としていた間にどこかに連れ去られ、たった今はっきりと抵抗できるようになったのだとか。
何せ傷を負うと意識が少し霞み、自然治癒力、再生力に全神経を注ぎ込む身体になっているため、余計にそうなったのだとか。
特殊なんだなと思いつつも、まぁ生きていて良かったと微笑みかけ。
病院内に入ると、案の定悲鳴があがり。
すぐさま看護士が気が付き、スコット先生の診察室へ通された。
椅子に座るや否や、スコット先生は血に濡れるのも厭わずに右手をとり。
少し人差し指を這わす。
と、微かに痛みに堪える声が聞こえ。
人差し指の動きがとまる。
上目遣いにイーサンを見つめ、ややあって外した。
「甲から掌まで貫通してますね。恐らく大型か中型のナイフで刺されたんでしょう。」
そう、一つ溜息を吐き、少し眼を伏せ。
「貴方の手は一般人に比べてしっかりしてるんですよ。なのでその分修復は難しい。皮も分厚いし、なにより右手は魔術の力が通る道。細胞分裂に対しては何の干渉もありませんが、その細胞分裂のスピードを無理矢理あげる私の術じゃあ、恐らくビックリするでしょうね。そして、例の如く辛い思いをする。」
一呼吸おき、すっと顔をあげると、怒ったような面持ちで。
「ですから、今すぐには治せません。薬と毎日の通院でなら治せますが。一応痛み止めの魔術もその度につけますから、そうそう辛くはないとは思いますが……まぁ、利き手は暫く使えないので、奥さんにでも。というか、こっちにも話は来てますよ。ストーカーのこと。」
また視線を移し、左手で受け止めながら、右手を翳し。
微かに緑色に光ると、血が蠢きだし、蒸発していくように。
そんな魔術まであったのかと思いつつ、スコット先生の声に耳をかたむける。
「イーサン君、貴方、わざと傷を負ったでしょう。脳闘を使いこなせる貴方が、一人の一般人相手にこんな深手を負うことはありません。ナイフに対する体術はありますし、訓練をし続け、更に最高クラスの魔術と一心同体になった今なら、こんなことはありえません。自分を犠牲にするのはいいんですが、程々にしてくださいよ。ルイーズさんの身体は比較的治しやすいんですが、貴方は魔術が特殊なせいで治しにくいんですから。というか、今の貴方は一人じゃないんですよ。奥さんもいるし子どももいる。貴方が居なくなれば、奥さんも子どももどうするんですか? 幾ら強い勇者でも、一人の女性です。貴方や貴方のお父さんみたいに、威圧感だけで人を伏せさせる貫禄はありません。いやまぁ……転生者ですから、ある程度というか、本当に怒った時なんかは貴方以上の威圧感になりますが……。ただそれがいつも発揮できる訳ではありませんし、何よりルイーズさんの心は転生者になっても勇者になっても、乙女のままです。物理的に強くても、精神的に頼りになる人がいなければ、ルイーズさんはすぐに壊れてしまいます。」
少し早口に言いながら、せっせこと手だけを動かし。
血が消えたあとの生々しい傷口に眼を細めながら、巻かれてゆく包帯を見つめる。
ややあって、ぴたりと包帯の端をとめると手を離し、姿勢を正して、イーサンに向き直った。
「自分が如何に大切にされているか、しっかりと理解し、しっかりとルイーズさんを護ってください。勿論、自分を犠牲にしない方法でね。あ、ルイーズさんもですよ? 貴方もその気がありますから。」
急に指をさされ、少し驚きつつも何度か肯き。
また溜息を吐くスコット先生を見つめていると、私の右に座るラリーに向き直りつつ、薬を出すのであとで薬屋に行ってくださいと言い。
そのままラリーの前にしゃがみこみ。
右手を傷口に翳しながら、何やらぶちくさと独り言を。
完全に私の言いたいことを言ってくれたなと思い、視線を左へ。
包帯の巻かれた右手を見つめる横顔に、苦笑を漏らす。
「アンタが無茶した罰だ。完治するまで甘えなよ。」
と、横目で一瞥をくれ、すっと外した。
「これを機に左手も使えるようにする。」
素直じゃないなと更に苦笑を漏らし、背もたれによたれかかった。
取り敢えず、一つの危険は消えた。
だが、あの張り紙を見るに、そう悠長なことはしていられないようだ。
疑心暗鬼のままでいてくれればいいものを、ただの妄想の鬼になってしまっては、無差別に攻撃してくる。
変なことが起きなければいいがと、あれこれと思っていると。
「魔物の方が対応力があったようで、傷跡は残りましたが、完治しました。取り敢えず、毎日風呂前に飲んでくださいね、薬。絶対ですよ。」
むっとイーサンを睨みつけるスコット先生に、私が管理しますよと笑い。
流石にそこまでバカじゃねぇと言われながら、二人を連れて診察室を出た。
ラリーの方は確かに傷が塞がっており、本人も渋い声で不思議なものだと呟いた。
早めに国に認めてもらいたいなと、看護士に言われるがままベンチに。
ベルトを外し、左手で刀を持ち、後から横に座る。
右側に座ったイーサンを一瞥し、特に会話もなく、時間は過ぎ。
ややあって看護士から処方箋を貰い、あれこれと受付で済ませ、そそくさと薬屋に行き。
また少し待ちながら、やっとこさ名前を呼ばれ。
あれこれと軽い説明を聞き、受け取りつつ会釈を返し。
早く家に帰るぞと二人を促して、夕日が出始めた時に、帰路についた。

@@@

「暫く亭主関白でいいから無理するな。な? な? な?!」
徐々に顔を近づけながら、最後には眼を見開いて赤い瞳を見つめる。
と、流石に肯き。
「解ったから……。」
引き気味の面持ちにはぁと溜息を吐き、すっと姿勢を正し。
晩飯も食べ終わった時間、ドングリーズの要望に答え、座卓の横に丸くなるラリーを一瞥し。
軽く欠伸を漏らした。
風呂前に飲めって言われたなと思いつつ、テレビ画面をぼうっと見つめ。
暫くその状態で時間が流れ。
九時頃になった時、サヤとアヤに手を引かれ、なにと小首を傾げる。
「おふろ、ママといっしょに。」
「いつもサヤちゃんといっしょに入ってるから。」
お願いお願いと言う二人に、ちょっと待ってと微苦笑を見せ、振り返る。
赤い瞳と目が合い、ややあって肯いた。
まぁノアもアヴァもいるしと向き直り、じゃあ一緒に入ろうかと、立ち上がった。

多少忙しく着物を脱ぎ、サヤとアヤを先に風呂場に行かせ、せっせこと袖を外し。
お待たせと風呂場に入り、扉をしっかりと閉める。
マリの時と同じく、椅子に座り、どっちが先に洗うかじゃんけんしてもらい。
勝ったアヤの方が脚の間に立ち。
じゃあ髪の毛からなと言いつつ、シャワーを出して。
左足にもたれかかるサヤを一瞥し、アヤの髪を適当に濡らし。
程々のところでシャワーをとめ、シャンプーを両手に馴染ませ。
そそくさと洗い出す。
「ぬー、ママちょっと力つよい……。」
文句を垂れるアヤに、我慢しろと笑いかけ。
「ねー、アイザックのお兄ちゃんはダイジョウブなの?」
左足に思いきりもたれかかるサヤの声に、ああと一瞥をやり。
「取り敢えず大丈夫だよ。心配するほどの事じゃない。」
まだ詳しくは解らないがなと胸中で付け足し、ごしごしと洗ってゆく。
「んー……なんか最近、色々あるの? きょーも刀もってったし、パパ、ケガしてたよね?」
流石に気付かれるわなと胸中で苦笑を漏らし、まぁなと答えた。
「色々大変なんだよ。けど、そこまで心配しなくていい。パパもバカやって怪我しただけだから。」
「な、なにしたの?」
恐る恐る訊いてくるアヤに、んーと全体的に泡を取りながら答える。
「自分が傷を負わなくてもできることを何も言わずに勝手にやって勝手に深手を負ったんだよ。自分を犠牲に動く人だから。まぁようは……自分自身の価値が解ってないんだよ。」
またシャワーを出しながら、そう苦笑を漏らす。
んーと考える素振りを見せる二人に、難しい話だが、まぁ取り敢えずバカやったんだよと微笑みかけ。
パパもバカなのかーというサヤに、泡を洗い流しながら、本人の前で言うなよと返し。
ややあって、アヤの髪を軽く絞り、次来なと促し。
今度はサヤが脚の間に立ち、その合間に一人で身体を洗い出す。
基本的にはサヤとアヤが二人で入り、カツ、タツ、マリの三人で後から入る。
どうして急に一緒に入ろうと言ってきたのかは解らないが、ここ最近怖いものばかり見せているし、一番手っ取り早い甘え方として風呂を選んだのだろう。
本当の理由は知らないがなと思いつつ、せっせこと頭を洗い。
何気ない会話に花を咲かせ、サヤの分も終わり。
ママが終わるまで待つというアヤに微笑みかけ、なるべく早く自分の分もやり。
頭を洗い流した時には、サヤも終わっていた。
髪が長い分、手間はかかる。
ごめんなと微苦笑を見せ、トリートメントもし終え、立ち上がり、素早く身体も洗い。
やっとこさ湯船に入れるようになり、二人を促すと、うぁいとお湯の中へ。
後からゆっくりと入り、二人に挟まれる形で真ん中に座り込むと、多めに入れたお湯がわっと外へ流れ出した。
左腕のどこか不思議な感覚に一息吐き、ここ最近の殺伐とした不安や恐怖を、汗と共に流した。




第140話 退院祝い


風呂あがり、ノアとアヴァも続いて入り、最後にイーサンが。
処方された薬を飲み、そそくさと洗面所へ。
ある程度の止血はされているようだが、利き手が使えないとなると、色々と支障はでる。
こそこそと後をつけ、恐る恐る様子を見る。
何とか左手だけで出来ているようで、帯も難なく解かし。
流石にまだ裸に慣れていない私は、すっと静かに視線を外し、居間へ戻った。
まぁ何かあれば呼ばれるだろうと思いつつ、テレビ画面を見つめ。
その状態で時間は過ぎ。
薬と共に出された包帯を、右手で投げたりキャッチしたりしていると。
あがったと声がかけられ、うんと振り返る。
少し不機嫌な面持ちだが、一人でもいけたらしい。
すっと座り込むイーサンに近づき、包帯を横に、右手をとる。
小さな留め具を外し、なるべく強く握らないようにしながら、包帯を外してゆく。
掌から甲まで大型くらいのナイフが貫通かと、胸中で溜息を吐く。
例え傷を負ったとしても、皮膚を掠った直後に反射神経で避けれるはずだ。
なんで貫通までしちゃうかなと、胸中で愚痴を吐き出しつつ、痛々しく生々しい傷口に眼を細め。
新しい包帯を巻いてゆく。
「キツくないか?」
上目遣いに見ると、テレビ画面を見つめながら、いやと言い。
何を考えてるのか解らないが、利き手が使えないのは厄介だぞと視線を戻し。
何とかかんとか最後まで巻き終わり、きちりと留め具で。
「はい。」
少し欠伸混じりに言い、包帯の束を右手に立ち上がり、玄関側の壁にあるタンスの上に置き。
そろそろ寝るかと少し大きく言うと、みな反応を示し。
じゃあ私とノアで敷くかと言い、アンタは先に寝てなと座卓に手をかけながら。
渋々寝室に行く背を一瞥し、座卓を玄関側の方にまで移動させ、寝室に行き、襖を開け、大きな布団をよいしょと出し。
あとからノアが掛け布団やら何やらを持ち、軽々と敷き布団を広げ。
最後に掛け布団と枕を並べて、一つ息を吐いた。
騒がしく布団に入ってゆくドングリーズを一瞥し、レクシーの方へ。
いつも通りにすやすやと眠る可愛らしい顔に口角をあげ、おやすみなさいと言うノアとアヴァに返事を返し、寝室へ。
ドングリーズがまだ暫くテレビを見るため、居間の電気はそのまま。
ぽふりと布団に倒れ込む。
と、一つ思い出し、右を向くと、まだ起きており。
今のうちに訊いておこうと、そろそろ匍匐前進で近づき。
横目で一瞥をくれ、そのまま少しエビぞりの状態で問いかける。
「どうだったんだ? アイザックのこととか……。」
ああと思い出したように声を漏らし、仰向けのまま答えた。
「神獣化の方は布が上手く作用してるらしくて、定期的に診る程度まで落ち着いてる。肺の方は未だに解ってねぇけど、症状にあう魔術があったらしい。取り敢えずそれで何とか抑えられる、とか……。」
最後に一瞥をくれ、そうかと一つ安堵の溜息を吐く。
「落ち着いてるんならそれでいい。早くいつも通りのアイザックに戻ってほしいしな。」
そう少し笑うと、視線をくれずにそうだなと言い。
特に会話も繋がらず、神社の方はと小首を傾げる。
「何回かはっきり聞こえたけど、まだ返事もできねぇし、すぐに消える。」
案外長くかかりそうだなと呟き、何か言われたかとまた問うと、少しぎこちなく。
「いや……多分、お前が嫌がる話……。」
明らかに何かあるなと眼を細め、更に近づく。
と、一瞥をくれると矢庭に顔を赤くし。
「何なんだ? 教えてくれ。」
ややあって、溜息混じりに答えてくれた。
「隠れ変態だって言われた……。一番オスっぽいとか、何とか……。」
ああと眼を細めると、すっと横になり。
こちらに背を向けて、寝るぞと一言。
特に返す言葉もなく、既に暗くなった居間に一瞥をやり、元に戻り、頭上の灯りを消した。
ふっと瞼を瞑り。
すぐに夢のなかへと。

「ねぇ……。」
「ん?」
「これ……どうすんの……。」
「……秘密にするしか、ないね。」
「っ……仕方ないんだよね、私たち。」
「……。」
「──もあんな事になってさ……癒してくれる人がアンタしかいなくてさ……。」
「仕方ないよ。そんな気付かれるようなことじゃない。」
「……アイザック。」
「なに?」
「やっぱアンタ、女の扱い方上手いね。」
「あーまぁねぇ……。──君と比べてどうだった?」
「……優しすぎた。Sになりきれてない。」
「あれ、そうかな。──君が特殊すぎるんじゃ……。」
「……。」
「……なんか、ごめんね?」
「いや、いい。」
「……いく?」
「……ああ。」
「無理はしないでね。」
「アンタもだよ。病人なんだから。」
「はいはい。解ってるよ。」

@@@

翌朝。
これと言って出来事もなく、いつも通りに時間は過ぎてゆく。
無論、利き手の使えないイーサンの代わりに、食事の介護までし。
家事なんかも何もかもやらなくていいから、とにかく大人しくしとけと言い。
午後の三時頃、付き添いも兼ねて、病院と神社に行くことに。
レクシーを抱っこ紐に乗せ、完全に戦闘モードの髪型になった高めのポニーテールをし。
少し寒い風にマフラーを巻きながら、歩き出すイーサンに合わせて。
相変わらず左側を歩きつつ、特に会話もなく病院へ。
暫く歩き、そそくさと事務的にスコット先生の診察室へ行き。
特に何もなく、魔術をかけてもらい、そのまま隔離病室へ。
丁度フィリップに会い、シロとの関係は大丈夫なのか、軽く会話を交わし。
エマがいない間に、そそくさと病室へ。
幾分か元気そうなアイザックに安堵の溜息を吐き、軽く会話を交わして。
また来るよと言い残し、病院をあとに。
神社に行く道のりで、イーサンの昔話に少し笑いながら。
これまたそそくさと本殿へ行き、先に私と少し会話を交わしたのち、また人格がブレ始めたイーサンに後ろから抱きつかれ。
だからレクシーいるしと、普段やらないような甘え方に眉間に皺をよせ。
やっとこさ普通に戻ったと思いきや、難しい顔をしだし。
凄い形相に大丈夫なのかと思いつつ、結局中途半端なまま解放された。
何とか一つ返事を返せたが、すぐに消えてしまったらしい。
早く話せるようになってくれないかと思いつつ、帰路へつき。
意外と何もないまま、時間は過ぎた。
アイザックの父親たちも疑心暗鬼の塊も、特別な動きはない。
それか何か大きなことでも考えているか。
そう、ぼうっと過ごし。
十二月もそろそろ終わる時、イーサンの傷も少しずつ和らいできた時、ラリーが公式に勇者御一行援護……シロと同じ立場に認められた時、アイザックの退院が決まった。
ドングリーズの要望もあり、みなで隔離病室まで行くと、嬉し涙を流すエマを見つけ。
ややあって、駆け寄ってくると、わっと抱きついてきた。
少し驚いたが、悪魔だの何だの言ってごめんなさいと言うエマに、大丈夫だよと微笑みかけ。
ほら、イーサンも謝りなよと促すと、ややあって互いに向き直り。
「ごめんな……。」
軽く小首を傾げる相手に、エマは鼻を啜りながらかぶりを振った。
「私こそ、ごめん……。」
と、暫く静寂が流れたあと、イーサンの方から左手を差し出し。
驚く素振りを見せたあと、細い手を重ね。
ぐっと握手を交わしたあと、フィリップの声が轟き。
みなの意識がそちらに向くと、目元に赤い布を巻いて、いつも通り飄々とした態度のアイザックが、ひょっこりと出てきた。
瞬間、エマが名前を呼びながら駆けてゆき、わっと飛びつく。
流石は忍だ。
走ったまま無駄もなく抱きつき、然も脚でもしがみついている。
ただ、その光景に安心感のようなものを覚え、自然と口角があがった。
と、完全には治っていないため、フィリップにすぐにやんわりと注意され。
あっと恥ずかしそうにアイザックから離れた。
ややあって、こちらに来。
私たちの前まで来ると、にっと笑ってみせた。
目元は見えないが、いつも通りの笑顔に、同じく口角をあげる。
と、ふっとイーサンにも笑顔が戻り。
またフィリップが、イーサン君が笑ってると驚き。
いい加減慣れなよとツッコミつつ、はしゃぐドングリーズを一瞥し。
退院祝いでうちで昼飯でも食べるかと言うと、フィリップも肯いた。
特別食事制限もなく、ただ、激しい運動をすると喘息と同じ症状が出ると軽く説明をうけ。
アイザックが下ネタを言いだすのをエマが阻止し、本当にいつも通りなんだなと思い始めると、どうしてか涙が込み上げてき。
何で私がと思いつつ、みんなから顔を背けると、アヴァに悟られてしまい。
結局みんなに知られてしまった私は、アイザックを一瞥し、イーサンの背に隠れた。
何で私がとまた思いつつ、歯を食いしばる。
イーサン君の奥さん結構可愛いよねぇというアイザックに、うるさいと軽く吠え。
笑い声と笑顔が咲くなか、またエマが泣き出し。
同士がいると、レクシーを挟む形で抱き合うと、あぅという可愛らしい声のあとにきゃっきゃと笑い、また周りに笑顔が咲き。
ねぇー早く昼飯にしようぜというカツの声に押されて、フィリップに見送られながら、みなで私たちの家に帰った。

@@@

「アイザックがいてもダメだって。物が握れないんだぞ? というか触っても痛いんだから箸なんて尚更。」
「っ……。」
賑やかななか、いつも通りに介護をし始めると、アイザックに笑われるだのと言って拒否し。
若干苛立っている私は、箸で刺身を掴みあげると、立ち上がって後ろに行き、半ば強引に。
抵抗しようとしても、後ろにいるため意味はない。
左手で軽く頭を叩くと、渋々ながら食べ。
一つ溜息を吐き、要介護の怪我人なんだよと愚痴をこぼし、また座り直した。
案の定、アイザックとエマは苦笑を見せ。
「思ってたのと違うんだけど、ボクの気のせい?」
「なに想像してたの?」
「いや、こう……甘々な声であーんって……。」
「小豆はともかくイーサンが嫌がるよそんなの。」
「あ、そっかぁ。」
本当に何想像してたんだと、二人の会話に溜息を吐き、左手でお茶を飲み。
諦めたのか、食べたいものを指すイーサンに、はいはいと左手で袖を抑えながら掴み。
ん、と無表情に口に運び。
どこか不機嫌な顔に気が付いたのか、視線をくれながらごめんなと一言呟き。
いいよ仕方ないからと返すと、俺のことはいいからお前も食べろと言われ。
渋々ながら箸を変え、そそくさと自分の食べたいものを。
相変わらず賑やかなドングリーズを一瞥し、テレビ画面を見つめる。
取り敢えずは平和になったなと、煮物の味を噛みしめ。
あとは国の事に関してかと、少し離れたところで生肉を喰うラリーを見る。
ラリーなんて名前にしてしまったが、どうせならもっとカッコいい名前にしてやりたいな。
渋い声だしと思いつつ、視線を外し、食べながら考える。
日本名でもいいが、ここは普通に外国の名前で。
ジャックとか、ローガンとか、アーロンとか。
言葉の響きで選んだ方がいいな。
狼だし、低い渋い声的に五十代くらいのイケオジのようなイメージ。
なら、アーロンにするか。
ナフナフの十ぐらいにそんなオジサンキャラクターいたなと思いつつ、結局その名前に決定し。
後で本人に訊いてみようと、賑やかなまま時間は過ぎた。






お知らせ


最新話に大分近づいてきており、今日「小説家になろう」で更新する話でいつも通り、5話で一つになるので明日も5話ワンセットで投稿する予定なのですが、その後の更新に関しては、5話溜まってからの更新になります。ですので……ほぼ週一投稿、って感じですね。毎日投稿は明日で終わりです。但し、最新話は「小説家になろう」にて一日一話投稿を続けております。

まあ、そんな感じで、これからもビビ葛、そして九条さんとイーサン氏を宜しくお願い致します。
コメント

久方振りの写真です

2018-10-20 21:27:49 | 写真
どうも。


ずっとひきこもっていて、写真撮影をしてなかったんですが、今日やっとこさ散歩しに。
腕時計の話もあるんですが、まあ取り敢えず写真だけ投下していきまーす。





























































































































コメント

#31 ビビり転生者は幸不幸の狭間で葛藤を~愛は彼らを救う~

2018-10-20 09:59:22 | ビビり転生者は幸不幸の狭間で葛藤を~愛は彼らを救う~
元の小説は「小説家になろう」にて連載中。
https://ncode.syosetu.com/n8771eu/


前回のお話はこちら。
https://blog.goo.ne.jp/nekomaru14/e/77ede70bb85674065ccfd89aca5ac9a4

#1の記事はこちら。
https://blog.goo.ne.jp/nekomaru14/e/e9c7b8c249a7ede51228b3129ba64778

キャラメーカーによるキャラクターのイメージ画像集はこちら。ネタバレ注意!!
https://blog.goo.ne.jp/nekomaru14/e/ed15c8a663b710b6e3f51cbcda3aac14






第131話 きょうだい喧嘩



少しアヴァに耳打ちをすると、案の定驚き。
恐らくまだ諦めてないと肯き、庭先、特に縁側から見えない奥の方には行くなと念を押した。
驚きつつも肯くアヴァから視線を外し、どうしたものかと溜息を吐く。
通信機でシロと連絡はとれるし、何よりノアに戦闘許可がおりているから、ある程度のいざこざはどうにかなるはずだ。
だが、それでも不安は残る。
大事にならなければいいがと、家事をこなしつつ、時間を潰し。
流石にダルい身体を休ませて、アヴァに晩飯を頼み。
机に突っ伏しながら、テレビ画面を眺める。
と、夕方のニュースに、とある特集が。
それは私とイーサンの話で、ああと苦笑を漏らした。
以前、ある時にテレビ局から電話がかかってき、特集を組みたいと言われたものだ。
ママとパパだーと、本調子を取り戻したドングリーズも余所に、口元を埋め。
街の人々からの言葉で始まる特集に、何とも言えないこっぱずかしい感じが湧き上がってくる。
似た者夫婦。
カッコいい。
出産して柔らかい感じになった。
大好き。
いつまでも幸せでいてほしい……。
そんな数々の声に、軽く溜息を吐く。
幾つかモデルの仕事もこなしたが、そのなかの一枚が使われ。
黒のチャイナドレスに髪を解かして、脚を肩幅に開いて、少し俯き加減にカメラを見つめて、そして左腕だけを肩と同じ高さに掌を上に向けて。
髪を右側に垂らしたその写真は、妙に氷の皮膚が強調されている。
確か、何かを支援する系に使われたようなと思いつつ。
続いてイーサンの方も。
こっちは、警鳥隊のポスター用の写真。
許可つき職業は常に狙っている、というのをテーマに撮られたもの。
頬についた血を手の甲で拭う、戦闘服での仁王立ちだ。
まだ黒髪が出る前のもので、銀髪が巧く赤い瞳を際立たせている。
バストアップ版と全身版、それぞれのポスターがあったようなと思いつつ、簡単な紹介が始まる。
女性勇者、イケメン系美人。
そんな煽り文句ばかり。
無論、イーサンの方も紹介され、またもやイケメン狩人などと言われ。
名家だの何だの、若干長くないかと思っていると、次に移った。
子どもの事や魔術、レクシーの事に、お互いについて。
取材を受けた時の映像も交えながら、とにかくあれこれと。
但し褒められたところばかりで、何だかなぁと思ってしまう。
然も、私が下品なものを嫌うことに、変な願望を抱いているファンがいるようだ。
純粋でいて欲しいだの何だの。
何も普通の状態でそれらが嫌いなだけで、それらしい雰囲気になれば変態になる。
女も変態だ。
生物として当たり前の話。
そもそも夫婦の時点でなぁと溜息を吐きつつ、運ばれてくる皿を少し受け取りつつ、意識は食事へ。
また、カツが飽きたと言ってチャンネルを変えたために、私たちの特集は消えた。
そりゃあ、常に身近にいる人間のどうでもいい情報ばかり。
一般人やファンからすれば未知の世界だろうが、子どもたちからしたらだから何、だろう。
賑やかなバラエティー番組を一瞥しつつ、手を合わせ。
いただきますと声も合わせ、各々のペースで食べ始める。
あ、そういえばと、左の方を向き。
「脳闘が……暴走? した時、何で冷やすんだ?」
ああと一瞥をくれ、テレビを眺めながら答えてくれた。
「魔術自体を冷やすんだよ。頭冷やして冷静になんのと同じだ。熱さだけならいいんだがな、オーバーヒートすると大暴れするから、右の頬に激痛が走るんだよ。お前は本体が左腕にあっけど、俺は右の頬にあるから、頭にもダメージが入る。然も長時間続くと喉辺りの血管が切れるし。多分血圧もあがってるから……鼻血も出てくんじゃねぇの。そこまで行ってねぇけど、まぁ冷やして冷静にさせると、俺も魔術も落ち着くんだよ。」
最後に右頬にある模様を指差し、また食事に戻った。
なるほどなと肯き、同じく戻る。
ということは、あの警鳥隊の青年……魔物は、魔術をオーバーヒートさせる術でも使ったのか。
丸薬によるものも、恐らく魔術が驚いたりしてパニックになったか。
魔術も生きているし、感情もあるだろう。
何かしらの要因でオーバーヒートを起こせば、魔術本体にもイーサンにもダメージがいく。
そのためには、私が、マヤが必要だ。
それらしい素振りを見せたら、戦闘も程々に冷やさないとなと記憶しつつ、テレビに向き直った。

@@@

アヴァにつくって貰ったしょうがの何かをストローで飲んでいる間、ぼうっとテレビを見つめる。
折角温いものでも、長時間手に持っているとキンキンに冷たくなってしまう。
そのため、ストローでちゅうちゅうと飲んでいる。
何となく不自由だなと思いつつ、時間は過ぎてゆく。
刹那、サヤの泣き声。
はっとして廊下の方を見る。
「ママー! かっちゃんがー!」
何なんだと、慌てて声のする方に行く。
と、矢庭にカツが駆けてき。
「アイツが先にやった! おれは悪くない!」
むっと膨れるカツに、サヤが喚く。
「かっちゃんが先! 頭なぐったもん!」
その台詞に、ああと苦笑を漏らす。
よくある喧嘩かと、その場にしゃがみこんだ。
「どっちが先でもいい。取り敢えず、喧嘩で手は出すな。」
怪我させたらダメだしなと付け加える。
だが、サヤの爆弾発言が。
「ママとパパもやってた! でぃーぶいとか言うんでしょ!」
どこでそんな言葉覚えたんだと、深く溜息を吐く。
十一月のある日に大喧嘩し、殴り合いにまで行った時のことだろう。
先に私から手を出したのが悪いが、軽く脳闘を使われ、口のなかを切る始末。
本能的に危機感を感じ、結局白旗を振って終わった。
無論、痣もあちこちに出来、軽いかすり傷も何個かできた。
お互いに互角だったが、傷の多さは私の方が上回り、その後に隣街の銭湯に入った時に、大分騒がれた。
噂話はゴシップになり、鍛錬でも傷を増やしていた最中、遂にはニュースにまでなり。
テレビ局に怒鳴り込んで、私たちは一般人じゃないんだよと叫んだ記憶が。
お陰でイーサンの冤罪も晴れたが、私からやったという事実は曲げられない。
それ以降、鬼嫁としていじられる事が多くなった。
鬼嫁って、と思いつつ、あれはただの喧嘩だし、まだ可愛い方だとサヤに言う。
それでも殴り合いしてたじゃんと言うサヤに、んーと頭を掻き。
「謝れ。先にやった方から。」
後ろからの声に、少し振り返る。
腕組みをして、少し逆光で。
どこか威圧的なシルエットに、カツもサヤもぴたりと黙り込む。
二人に向き直り、苦笑を漏らしながら小首を傾げる。
「私から謝ったから収まったんだぞ。いつまでも非を認めなかったら、立派な大人にはなれない。馬鹿なまま、プライドだけが高くなるんだ。」
な? と二人を交互に見る。
と、ややあってカツが動きだし。
サヤに向き直ると、頭をさげた。
「ごめん……。」
頬についた涙を拭きつつ、サヤも呟く。
「あたしも……ごめんなさい……。」
根はいい子だなと思いつつ、立ち上がって、二人の頭を軽く撫でた。
少し驚く素振りを見せるも、冷たいと騒ぐことはない。
「ほら、テレビでも見よう。」
居間の方に戻りながら、そう促す。
ややあって、徐にだが動きだし。
二人でテレビの前へと。
その背を眺めつつ、ちらりと右を向く。
相変わらず横顔に、苦笑を漏らした。
「まだイーサンの方が大人だよな……。あの時、すぐに手を出したし……。」
いつか直さないとなと、頬を掻く。
「いや、相手が相手だからだよ。アイザックが相手なら、俺から手ぇ出してる。つーか……数年前まで、死ねと殺すが口癖だったし……。」
「え、死ねと殺す?」
幾ら口が悪いからってと、その横顔を見つめる。
「ああ。アイザックにも、初対面で死ねって言ったしな……。フィリップにも何回か言ったし、今思えば黒歴史だな。」
「想像つくけど……私には一回も言わなかったよな?」
「流石に年上には言えないだろ。然も勇者だし。それに、プロになってからお袋に言われたんだよ。口調はともかく、その口癖は治せって……。」
「まぁ確かに……。お義母さん、強そうだもんな。」
視線を居間に戻し、少し咳を漏らす。
ややあって、静かに呟く声が。
「アイザックの野郎、死なねぇよな。」
どこか神妙な声音に、さぁなと、溜息混じりに。
「アヴァが病死するかも知れないって言われた矢先だし、心配の念はあるが……一番辛いのはエマだよ。家族も、里のみんなも失って、やっとこさ常に支えてくれる人ができたっていうのに……。まぁ、死ぬ危険性はないとは言われたが……。」
「……なぁ、その病、もしかしたらアイザックにかかったんじゃねぇの。」
「……。その可能性は、捨てきれない。」
そう言いおき、そそくさと座卓のところに戻り、テレビ画面を見つめながら、ストローを咥えた。
多少思ってはいたが、イーサンもそう思っていたとは。
余計にその可能性が高くなる。
アヴァにかかるはずだった病が、運の乱れでアイザックにかかった。
然も、十年後じゃなくて、今に。
拭えない。
きっぱりと、その可能性はないと言い切れない。
となると、アヴァじゃなくてアイザックが病死する可能性も。
ああ、ダメだ。
ネガティブ思考はやめよう。
まだ、詳しいことは解っていないんだ。





第132話 愛してる者



翌朝、病院から呼ばれ、私とイーサン、そしてレクシーだけで向かった。
神経科を専門としており、その延長線上で神獣化の勉強もしているという担当医から話があり、隔離病室へ続く廊下で、ベンチに腰掛けた。
家族も泊まれる部屋が何個かあり、今はエマが泊まっているそう。
精神的に大丈夫なのか心配しつつ、レクシーをあやしながら、時間を潰した。
と、足音が近づいてき。
ふっと顔をあげる。
「あ、フィリップじゃねぇか。何でお前が?」
先にイーサンが気がつき、数秒差で、私も眼を丸くする。
あれと桃色の瞳を丸くする相手は、白衣を着て、黒縁眼鏡をかけたフィリップ。
医者がどうこうとは言っていたがと、立ち上がるイーサンに続いた。
「いやぁ、僕、神経科の専門医でさ。神獣化の患者が出たって言うから、先に身内の方に色々話しておこうと思って……。」
まさかフィリップがそうだとは思わず、ただそうなのかと肯くのみ。
「あ、ってことは……二人のどっちかが……?」
恐る恐る訊いてくるフィリップに、イーサンが答える。
「アイザックの野郎だ。今までピンピンしてたのに、急にな。」
と、案の定驚きの表情を見せ。
ややあって、溜息混じりに首筋に手をあてた。
「アイザック君かぁ……。結婚したばかりで、然も険悪な雰囲気になったし……。エマさんは大丈夫なの? 披露宴の時も、色々言われてたでしょ……。」
あの場で一部始終を見ていたフィリップは、イーサンの顔色を窺いながらも小首を傾げる。
未だに、優しくなったイーサンに慣れていないようだ。
「エマは病院にいる。家族も泊まれるやつ、あるだろ? あそこに泊まってるらしい。大丈夫なのかどうかは知らねぇ。ただ、アイツも色々抱えてっからな……。」
軽く微苦笑を浮かべると、フィリップは少し眼を丸くしつつ、まぁ立ち話も何だからと、隔離病室の横にある部屋へと手招きをした。
シロとは上手く行っているのか、色々と訊きたいことはお互いにあるものの、まずは重要なことから訊こうと、後に続く。
暫く歩いて、一つの部屋のなかへ。
診察室と何ら変わらない雰囲気のなか、どうぞと言われるがままに椅子に腰掛け。
フィリップも眼前の椅子に座ると、神妙な面持ちで語りだした。
「多分、簡単な説明はスコット先生から聞いてると思うけど……神獣化ってのは、神経に関わる病気なんだ。だから僕は仕事の延長線上で勉強してるんだけど、未だに治療法は見つかっていない。というより、神獣化に適応する魔術がないんだ。外科だと、皮膚や肉の再生が速くなる魔術を主に。内科だと、内臓を透視する魔術を主に。呼吸器系だと、気管支や肺の炎症を抑える魔術を主に。皮膚や心臓、血管系など、それぞれに適応した魔術が主として回ってるんだよ。産婦人科なら解るんじゃないかな。あの胎児に触れる術。実はあれ、禁忌レベルの術なんだよ。胎児だけに触れて、然も成長速度や性別、健康状態、何もかもが一瞬で把握できるんだ。そんなレベルの術に匹敵する魔術を並べてみても……神獣化を治すものは出てこない。完治せずとも、ある程度、安心できるくらいまで治せる魔術はないのかと探してみたけど、それもない。ただ応急処置、そして特殊な布を巻くことしかできない。然も、盲目症は余計に厄介なんだ。神獣の見る世界は違う、という説があるんだけど、その世界を先に見てしまうと、猛スピードで神獣化が広まってしまう。まだ一説に過ぎないから、違う理由なのかも知れないけど、前例があるんだ。盲目症の患者だけは、すぐに神獣化が進むってね……。だから特殊な布も、盲目症用のだけは強化してあるんだ。随分前の話だし、今の物であれば、そう心配する必要はないんだけど……まぁそれでも完治しないとなるとね……。この話は、多分エマさんにはしない方がいい。だから違う人にこうして話してるんだ。布のことぐらいしか話さないでね。何を訊かれても、はぐらかして。あ、あと、肺の方は他の専門医がやってるよ。神獣化の方は既に布の着用を勧めていて、応急処置の魔術もかけてあるから、取り敢えずは大丈夫だと思う。ただ……時々呼吸困難になってるのが心配だな……。ガンとかでもないし、今一番警戒しておかなきゃいけない部分だよ。」
まぁ取り敢えず、アイザック君と話してみよう、と微苦笑を浮かべるフィリップに、暗い気持ちで肯いた。

@@@

エマは精神科で色々とケアをしてもらっているそうで、隔離病室には、私たちとアイザックしかおらず。
余り病気の事は言わず、患者の心のケアをしてと、去り際のフィリップに言われ。
既に目元に赤い布を巻いているアイザックに、微苦笑を見せる。
「ごめんね……急に、こんなことになって……。」
どこか掠れた声に、静かにかぶりを振る。
「謝るな。ゆっくり治していけばいい。」
ネガティブな事は言うな。
嘘でもポジティブな事を。
「……エマは……?」
「精神科にいる。心のケアをしてもらってるらしい。」
「そう……。心配ばかりかけちゃって……流石のボクでもまいっちゃうよ……。」
微かに微笑むアイザックに、何を言うでもなく、口角をあげる。
患者のケアと言っても、浮かんでくるのはネガティブな事ばかり。
何もポジティブな事はでてこない。
そう、少しベッドから離れ。
微妙に苦しい、沈んだ気持ちのまま。
と、イーサンがその手を掴み。
「高一の時、散々死ねだの殺すだの言って……ごめんな……。」
相手が危機的状況なため、流石に申し訳なく思ったのだろう。
例え今思っていないことでも。
「いいよ……。ボクも色々迷惑かけたし……。でも……今がいいならそれでいい……。」
ふっと微笑むその横顔に、軽く歯を食いしばる。
どこか悲しげで儚げで、いつもの飄々とした色がない。
そりゃそうだ、精神的にも大ダメージを負うだろう。
いつまでも意気揚々とはしてられない。
刹那、イーサンが徐に動いたかと思うと。
顔を近づけ、静かにその頬に。
微かな、えっという声も余所に、少し離れると、微苦笑を漏らした。
驚くアイザックに、柔和な微苦笑。
何とも言えない状況に、ぼうっとするのみ。
「異国の挨拶らしい。頬に軽く口付けをするって。詳しくは知らねぇけど……友人でも家族でも、愛してるならよくやるんだってよ。」
少しイーサンらしくない台詞に、堪えきれずに笑い声を漏らす。
現実世界でも見たことはあるが、この世界の異国ではどうなのだろうか。
イーサンの解釈で合ってればいいがと、くすくす笑う。
と、横目で見られ。
なに笑ってんだと、軽く睨まれる。
いや面白いからと言いつつ、少し近づき。
察したのか、ベッドの淵に置いた手を離し。
逆の頬、硝子側にある頬に。
体勢的に少し難しいが、何とか軽くやり、徐に離れた。
「あとはエマに言っておく。それか自分から誘ってみるとか。」
くすくす笑いつつ言うと、微かにいつも通りの色を取り戻して。
「ボクから誘ってみる……ありがとね……。」
微笑みを見せるアイザックに、小さく肯く。
と、あぅとレクシーが手を伸ばし。
今まで関心のかもなかったのにと思いつつ、身を屈め、少し近づける。
ゆっくりとだが、右手を動かし、レクシーの小さな手に触れると。
レクシーが笑った。
今まで以上かも知れない。
そう思うほどに、じたばたと笑みを見せ。
おー? と微笑みかけると、また笑い。
「好きになってくれたかな……。」
「さぁな。俺もよく解ってねぇ。」
「そんなんでいいの……お父さんなのに……。」
声にも少し元気が戻り、自然に口角があがる。
神の子だから、アイザックを癒やすために。
そう考えると、やはり凄いんだなと、レクシーの頬に触れるアイザックを一瞥する。
赤い布。
本当にこんな布で、進みが遅くなるのか。
半信半疑だが、私たちには何もできない。
そう、暫くの間、適当に会話を交わし。
もうそろそろ帰るよと告げ、病室から出る。
と、丁度フィリップと出会し。
明日も来ると会釈を返して、帰路についた。

結局シロとは上手く行っているのか、あれこれと訊けなかったなと、秋雲を一瞥し。
少し咳を漏らしながら、マイペースに歩いてゆく。
刹那、右を歩いていたイーサンがぴたりと止まり。
慌てて脚を止め、どうしたと振り返る。
そこには、披露宴で見せた恐怖と焦りの面持ちが。
まさか狐か何かがと、ばっと正面に向き直る。
だが、そこにいたのは。
「ふぅん、落ちこぼれの次男坊に会ってきたのかな。それにしては随分と余裕そうだが。」
顎髭を触る、あの黄色い瞳。
どこか暗い面持ちの姉と兄を連れて。
奴は、あの父親は、私たちを見下すような眼で。
ぐっと見つめ返す。
一体何をしにきた。
どうせ、アイザックの逆鱗に触れるようなことを言いにきたのだろう。
折角、いつもの笑顔を見せてくれたのだ。
ここは通すわけにはいかない。
「死ぬ可能性はありません。ですから、貴方方は見舞いに行かなくても大丈夫だと思いますよ。心配する程ではありませんから……。」
低く言い始めると、案の定右手を掴まれ。
軽く後ろに引かれるが、最後まできちりと言い、その瞳を見続ける。
「……いや、別に心配なんぞしていないんだけどね。落ちこぼれが落ちこぼれになっただけだ。死のうが生き残ろうが知ったこっちゃないが、グレイ家の恥なのだから、病死してくれると有り難いんだけどね。」
すっと細められた瞳に、歯を食いしばる。
実の息子を何だと思ってるんだと、吠えたい気持ちを抑え込み。
「残念ながら……アイザック君の担当医は彼の友達です……。そんな、友人を殺すなんてこと、できる訳ないでしょう……。それに何より、私たちが許さない……。エマも私も、イーサンだって……。今のアイザックは、私たちに、政府に、国にとって必要な人間です……!」
下から睨みつける。
ぐっと前に出ると、腕だけでなく肩も掴まれ。
「お前……何やってんだ……!」
押し殺した声も余所に、ずっと、睨み続ける。
こんな親なんか、こんな人間なんかいらない。
今の価値で言えば、アイザックの方が高いんだ。
いや、価値以前の問題だ。
私たちにとってアイザックは必要不可欠。
欠けてはならない、唯一無二の仲間だ。




第133話 親というもの



「……ふぅん、国にとっても、ね。」
また冷たい視線。
いい加減気づけ。
自分が、落ちこぼれだと言った息子よりも下の立場だとな。
そう、ぐっと睨み続けていると。
「父上……もうお止めください……。」
震えた声。
はっとして、男の後ろに立つ姉の方に視線をやる。
うつむいたまま、拳を握りしめて。
「何を。」
男の低い声。
威圧的なそれに、少し肩を飛び上がらせる。
然し、姉は、お姉さんは一歩も退かず。
「もう解りきっていることです……父上とアイザックに、明らかな差があることは……!」
ぐっと更に拳を握り、決心したように、顔をあげた。
歯を食いしばりながら、少し涙を見せて。
「アイザックの方が国に貢献してます。父上、貴方よりも。そしてそのアイザックを助けたのは、貴方が嫌うホワイト家のお嫁さんです。然も勇者。然も転生者。解りますか? 貴方よりも、アイザックの方が必要とされているんです。勇者に、数少ない勇者に! 人間を価値で決めるのは嫌いですが……今回だけは言う! 数少ない人間に必要とされている、同じく数少ない、唯一無二の人間。それだけで、貴方よりも価値はあります! アイザックが死ねば、一体何人の人間が悲しむか、想像できますか?! 今や一人の勇者御一行、英雄の、ヒーローの一人なんです! 誰からも見放されているのは、今は貴方一人です!」
ぐっと睨みつけるお姉さんに、男は流石に眼を丸くし。
ややあって、お兄さんの方も。
「俺もです、父上。いい加減にしてください。というか、アイザックが落ちこぼれになったのって、アンタのせいですよね。ホワイト家の息子の方が優れているからって、何度もアイザックを責めて……もうその時点でアイツの精神はやられてたんですよ。高校に、十七なのに一年生で入った時も、アンタらの見えないところで泣いてましたから。父上は自分を何だと思ってるんだって、愚痴ってくれましたよ。」
首筋に手を当てながら、少しつり上がった眼で、父親を見続ける。
父親は無言。
無論、私も睨み続け。
いつの間にか、肩からも腕からも手は離れていた。
初めての反抗なのだろう、お兄さんの面持ちはポーカーフェイスだが、微かに手が震えている。
どう出る。
ここで退いてくれればいいものだが。
と、ややあって、父親は大きく嗤いだし。
「まさか貴様らも落ちこぼれの道を?! ハハハ! 面白いな! ああ、今日は退こう。勇者様になにされるか解らないからな。」
ちらりと向けられた視線に、歯を食いしばる。
去ろうと動きだす男を見続け。
ぎこちなく続く二人を一瞥する。
そして、背を向けて歩きだす三人に対し、ふっと肩の力を抜いた。
「大丈夫なのかよ……。」
後ろからの呟きに、さぁとかぶりを振る。
できれば二人とも救いたいがと思いつつ、気が張っていたせいで身体がダルく、頭を抑えつつも、イーサンを促した。
「何かあれば知らせが届く。今の二人なら、警鳥隊への通報くらいは出来るはずだ。父親への反抗ができたんだから。」
心配する程じゃないと、徐に歩き出した。

@@@

アヴァとノアにもあれこれと伝え、やっとこさ落ち着いた時。
黒電話が鳴り響く。
ダルく、動けないため、代わりにイーサンが出た。
「もしもし。」
後ろからの声に、ダルいながらも振り返る。
受話器を右耳に、居間からは横顔が見え。
玄関とも続く廊下の、玄関側居間側、縁側、更に奥へ続く十字路になっており、そこの居間から見て右側の角に置いてある。
と、矢庭に舌打ちをかますと、何も言わずに受話器を置いた。
戻ってくるイーサンを眼で追う。
「なに?」
溜息を吐きながら座ると、面倒くさそうに答えてくれた。
「例のアイツ。アヴァさんの。」
ああと視線を外し、テレビ画面を見つめ。
「電話番号まで特定したのか……。」
「ああ。まぁ、迷惑行為しだしたら、警鳥隊にでも言えばいいだろ。」
いやそれがと、溜息を吐く。
「盗まれた……アヴァの下着……。」
は? と呆けた声のあと、ややあって溜息と舌打ちが。
「お前、先に言えよ……。犯罪だぞ。」
「ごめん……。」
少し咳を漏らし、そう呟く。
まぁ後でやっとくと言いおき、会話は途切れた。
問題ばかりだなと、また溜息を吐いた。
アイザックのこと、その親のこと、ストーカーのこと、そして不穏な動き。
狐に関しては曇葉さんたちがやってくれているから、それほど注意しておかなくても大丈夫だろう。
ただそれでも、問題ばかり。
狐が現れてから、何かが狂ったような。
いや、私が来てからかも知れない。
ああ、ネガティブ思考だ。
だから止めろって言ったのに。
いい加減治さなきゃって。
ぐっと歯を食いしばり、自分の腕に、額をつけた。

暫くそのまま時間はすぎ、時々居眠りをしながら、辺りは夜へ。
晩飯も食べ終わり、ぐだぐだと時間を潰し。
と、またやらかした。
マリがまた、タツの絵にあれこれと付け加えていたのだ。
溜息を吐き、後ろから近づく。
「マリ。」
低く言うと、びくりと肩を飛び上がらせ。
恐る恐る振り返るマリに対し、腰に手を当てながら。
「人の作品に手を出すな。何度言ったら解る。」
今回で三回目。
いい加減やめてくれと、じっとマリを見つめる。
が、うつむくと、矢庭に泣きだし。
はぁとまた溜息を吐く。
「泣きたいのはタツの方だ。いっつもいっつも……作品を触られたら嫌だろ? いい加減解れ。」
そう小首を傾げても、泣くばかり。
聞いてるのか聞いてないのか。
「なぁ? 聞いてるか?」
だが返事もしない。
イライラとした気持ちのまま、その場にしゃがみこむ。
「解れ。何回言えば気が済むんだ? なぁ。返事くらいしろ!」
軽く叫ぶと、びくりと肩を飛び上がらせ。
刹那、急に立ち上がると、廊下の方へ走り出した。
えっと眼を丸くする。
無論、イーサンもアヴァもノアも、何だと反応を見せる。
慌てて後を追うも、マリの速さは尋常じゃなく、あっという間に、玄関が勢いよく閉じられる音が轟く。
右手を口元に、何度か咳を漏らしていると、どたどたと。
「お前何やった?!」
少し裏返る声に、かっとなり、右を睨みつけながら吠える。
「何もやってない! 勝手に出てったんだよ!」
はぁ? と舌打ち混じりに言われ、むっと眉間に皺を寄せながらも、素早くノアに指示を出すイーサンを見つめ。
そそくさと草履を引っ掛け、何を言うでもなく、外に出て行った。
静寂が訪れ、肩に感覚が走る。
「後はイーサン君に任せましょ。ね?」
アヴァの柔和な微笑みを一瞥し、渋々ながらも、居間に戻った。
案の定、タツは悲しげな面持ちで絵を見つめ。
何とも言えない気持ちのまま、はぁと腰をおろした。
マリだけは少し難しいとは思っていたが、まさか飛び出すとは。
少し言いたい事が伝わらなかったり、何個かやって欲しいことを言ってもできなかったり。
他の子に比べて、どこか難しい部分もありつつ、然し天才的な能力を発揮しつつ。
絵に関しては天才と言っても過言ではないのだが、マリの部屋を片付けると、必ずしも怒って大泣きする。
それからマリだけは自分にやらせているが、何せ片付けが苦手なのか、いつも汚い部屋で。
イーサンにも一度怒られていたが、泣くばかりで改善もしようとしない。
何度か言ったものの、これも無駄に終わった。
本当に扱い方が解らないなと、溜息を吐き、その場に仰向けに倒れ込んだ。
個性は尊重したいが、これは幾ら何でもなぁと、今までの苦労を、全て溜息に落とし込んだ。

@@@

暫くし、熱も冷めた私は、流石に心配の念が渦巻き。
アヴァの声も押し切って、羽織りを両手で抑えながら、玄関先へ。
外の風は冷たく、ぶるりと震える。
髪を少し押さえつつ、周りを見渡してみるが、イーサンもマリもいない。
一体どこまで行ったのだろうか。
幾らマリが悪くても、流石に謝らないとなと思い始めた矢先。
「小豆!」
聞き覚えのある声に、はっとして右を向く。
然し、そこには狼狽した面持ちのイーサンだけ。
駆けてくる相手に、少し近づく。
と、息を切らし、止まったあとも大きく深呼吸をして。
イーサンがこれだけ疲れてるということは、大分走り回ったということか。
それなのに、マリがいない。
嫌な予感が渦巻くなか、どうだったと小首を傾げる。
ややあって、息も切れ切れでかぶりを振った。
「いねぇっ……。どこを探してもっ……はぁ……もう喧嘩とかそういうんじゃねぇよ……。これ……っ……警鳥隊行きの話だ……。」
両膝に手をつき、咳を漏らしつつも息を切らし。
警鳥隊行き。
ということは、事件にまでなる話。
ふっと心臓が締め付けられるような感覚に、歯を食いしばる。
「お前もマリも悪くねぇって……今は探す方が先だ……。然も夜だし……自然も多いから、結構厄介だぞ……。まぁいい……お前は家で待機しとけ……。風邪が悪化したらそれだけでやっ──」
「私も探す。」
「はぁ……?」
少し顔をあげるイーサンに一瞥をやり、ぐっと拳を握りしめた。
「私のせいでもあるんだ。探さない訳はないだろ。」
ややあって、またうなだれながら、徐に上半身をあげ。
「バカかよ……。」
「バカでいい。とにかく、私も探すから。」
すっと視線をやると、口を開けながら息を切らして、少し苦笑を漏らした。
「何言っても聞かなそうだな……。まぁ取り敢えず……俺は先に警鳥隊に言ってくるから、帰ってくるまで待っとけ……。解ったな……。」
身体の向きを変えつつ言うイーサンに、ああと返事を返した。
そしてまた、軽く走りながら去ってゆく背中に、溜息を吐いた。
ごめんな、マリ。
絶対探し出すから、生きとけよ。
そう、ぐっと右手の拳を握りしめ、家のなかに戻った。




クラウン&ベンツで三宮を~スピンオフ~


車と夜の街に関係する短編を書きたかったので、いつもの四人にやってもらいました。一応スピンオフとして投稿。
目色や髪色は一般的な色にしてあります。名前はそのまま。




クラウン十三型のシルバー。
そこの運転席に、一人の男性。
右手をハンドルに乗せ、窓から吹く風に黒髪を靡かせ。
夜の神戸を、信号機の青と共に、アクセルを踏みだす。
黒いサングラスにフォーマットなスーツ姿の彼は、特に笑うこともなく、車内に微かに流れるJazzに耳を傾けて。
夜の街に光り輝く洒落た灯りのなか、彼の乗るクラウンは、優雅にクラシックに走り続け。
どこかを目的地に、時折何かを探すように。
と、暫く走り続けた時、右に折れる。
そして駐車場を見つけ、地下へと続く道を降り。
左手でサングラスを取り、オーバーヘッドコンソールに入れ、駐車券を取り。
左手でハンドルを、右手で手探りながらサンバイザーに挟み込み。
周りを見つつ、左手から右手へ。
暫く駐車場内を走り、出入り口に近いところに見つけ、上手く車を動かし、ギアを変更。
バックしつつ、右手だけでハンドルを操作し、モニターに映る映像も見ずに、ミラーのみで。
すっと無駄なく駐車し、ギアを変え、助手席に置いた長財布を取りながら、エンジンの切れたクラウンから降り。
きちりとロックをして、財布を内ポケットに、歩きだした。
身長の高い彼は、切れ長の眼が氷を連想させるような。
どこか冷たくもハンサムな彼は、革靴の音を響かせながら、外へと向かった。

@@@

三宮の喧噪に揉まれつつ、一つのアクセサリー屋に。
然しそこは高級店。
とても、アクセサリーを好むような面持ちではない。
ということはだ。
早速店員に話しかける。
「程々にいい値段の指輪ってありますか。シンプルな。」
低めの声に、女性店員は笑顔を見せながら、早速案内しだした。
アクセサリーに関しては無知、然もぱっと見金持ちに見える。
だからこそ、女性店員は笑顔でそそくさと対応し出したのだろう。
女性店員に促されるがまま、適当な値段の指輪を紹介される。
無表情に話を聞くも、九十万程度の指輪を指し。
「これで。あとこれのもう一個、明日取りに来れるっての、できますか。」
シンプルだが案外高い指輪に、女性店員は嬉しさを笑顔にし、はいと肯いた。
どうやら誰かにあげるらしく、然も二つとなると、ますますその線は濃くなる。
少し待ちながら、軽く欠伸を漏らす彼。
他の女性客からの視線も無視し、会計を済ませ、紙袋を受け取り、そそくさと店を出て行った。
また喧噪に揉まれながら、駐車場に戻ってゆく。
どこか気だるけな様子のまま、静かな駐車場内まで来、反響する足音と共にクラウンの元へ。
そしてロックを解除し、運転席に座り、左手で紙袋を助手席へ。
右手でシートベルトをやりながら、左手をそのままオーバーヘッドコンソールにやり、サングラスを取り出し、かちりと鳴ったシートベルトから右手を離し、左手だけでサングラスをかけながら、エンジンをつけ。
静かに唸るクラウンのハンドルに右手を。
そしてゆっくりと走り出す。
駐車場の出口へ向かいながら、軽く左手首の腕時計を確認。
針は九時十分前を指しており、視線を戻しながら溜息を吐いた。
とんとんと軽く人差し指でハンドルを叩いたところを見ると、少し予定よりも遅れているか。
相変わらずの無表情のまま、駐車券を入れ。
金も払いつつ、あがったバーに合わせて地上へ。
左右を見つつ、ゆっくりとタイミングよく道路に出、そのまま大通りへと。
流れに乗ったクラウンに右手だけをのせて、左手でハンドルについたボタンを少し操作し。
モニターに、小豆という名前と共に、繋がるような、電話画面のようなものが映り。
その状態のまま、運転しつつ。
と、ややあって、女性の声が。
『もしもし?』
凛とした声は機械越しに。
周りを見つつ、口だけを動かす。
無論、窓は締めてある。
「今向かってる。どこにいんだ?」
『駅にいる。結構待ってるんだが……。』
「ごめん。なるべく速く行く。」
『いや、焦るなよ? あと煽られてもキレるなよ、絶対。』
「解ったって。じゃな。」
『もう……まぁ待ってるから。じゃ。』
ぷつりと切れた電話に、特に操作もせず、そのまま走り出す。
そしてjazzを軽く流し、夜の街を駆け抜けた。

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メルセデス・ベンツ・Eクラス五型のブラック。
そこの運転席に、一人の男性。
ハンドルの下部分に両手を乗せ、黒髪をオールバックに。
夜の神戸を、信号機の青と共に、アクセルを踏みだす。
車用のサングラスに茶色のスーツ姿の彼は、少し機嫌が良さそうに、車内に僅かに流れる昭和の曲に耳を傾けて。
夜の街に光り輝く洒落た灯りのなか、彼の乗るベンツは、重たく力強く走り続け。
どこかを目的地としているのか、はたまた適当に流しているのか、どちらか解らない飄々とした態度で、彼は走りつづけ。
と、何かを見つけたのか、急にウィンカーを左にやり、タイミングを見計らってハンドルをきった。
そのまま走り、ややあって一つのコンビニエンスストア前で、更に左にウィンカーをつけ。
歩行者がいなくなると同時に駐車場へ。
どうやらただの気紛れでよったらしく、空いたスペースに入るように車を移動させ、ギアを変えて両手でハンドルを動かしはじめる。
ミラーのみを使い、すっとベンツを止め、サングラスを頭のうえにやりながらあれこれとやり。
シートベルトを外すと、懐から一つの携帯電話を取り出した。
スマートフォンとガラケーを使い分けている彼は、その黒いガラケーで一つの電話番号にかけ。
左耳にやりながら、ドアを開け、徐に外へと出る。
ややあって、ガラケー越しに女性の声が。
『もしもしー?』
その声に返事を返しながら、右手にガラケーを持ち、ぐっと左腕を軽くあげて、腕時計の針を一瞥した。
針は約九時半頃。
元の通り、ガラケーを左手に持ち替え、けだる気に。
「今どの辺?」
『今ー? 今は駅周辺。ロータリーの方がいい? もう来る?』
「んー……まぁそうだねぇ、ちょっと予定より早いけど、ドライブがてら。」
『解った。じゃあロータリーで待ってるね。』
「はーい。じゃねぇ。」
最後に一つ欠伸を漏らし、ガラケーを少し操作して、ぱたりと閉じ、懐に仕舞いながら歩き出した。
ついでに何か買うのだろう。
ベンツにロックもかけず、そそくさと店内へ。
暫く歩き、ブラックコーヒーとミントガムを片手にレジへ。
高身長である彼は、柔和な面持ちで、ハンサムながらもどこか飄々とした雰囲気で。
内ポケットから長財布を出して払い、商品が入った袋を右手に、財布をポケットに戻した。
と、店員がお釣りを渡そうとするも、左手で制し。
「募金しといて。」
そう笑顔を向け、レシートだけ受け取りながら、そそくさと店をあとにした。
言われた通りに募金箱に入れた女性店員は、少し彼のことを眼で追い、どこか惚れたような面持ちで。
罪深い男だ、などと言う性格でもなく、彼は運転席に乗り込むと、袋から缶コーヒーとガムを取り出し、早速かちりと音を鳴らして一口。
ホルダーに置き、シートベルトを右手で、サングラスを左手でさげ、エンジンをかけた。
そしてギアを変えつつ、両手でハンドルを軽々と操作し、タイミングを見計らって道へ。
すっと流れに乗り、三宮駅へと向かう道のりを進んでゆく。
また流れだした昭和の曲に耳を傾けながら。

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ロータリーでハザードをつけて止まり、窓を開け、軽く右手を出すと。
その付近で待っていたのであろう一人の女性が。
ショートヘアに大きな瞳、可愛らしい面持ちの彼女は、低めのヒールを鳴らして駆け寄ってきた。
と、その後ろから、更にもう一人。
こちらはまさしく大人の女性とも言える、大きめで少しつり上がった眼とロングヘアのクールな面持ち。
スタイルも良く、高いヒールを鳴らして、少し驚きの色を見せた。
彼もおっと左手でサングラスをあげ、軽く会釈を返す。
「さっきそこで会ったんだ。まさか小豆も来てるなんて。」
「ってことは、イーサン君も来るってことかなぁ。」
「ああ、ずっと待ってるんだが……まぁちょっと早く来すぎたかな。」
「大丈夫なの? 女性一人でさぁ。」
「いや、一応剣道とボクシングやってるし……。そこまで弱くないぞ、私。」
「アハハ、そうだったねぇ。でー……ボクとエマはこのままモザイクまで行くんだけど……。」
「え? 私とイーサンも同じところに……。」
「ありゃ、じゃあ四人で行く? イーサンがどう言うかは解んないけど。」
「そうだな……でも多分、何も言わないと思う。ただのデートだって言われたし。」
そう会話を繰り広げる三人は、どうやら友人同士らしい。
またイーサンと言われた一人も、いつものメンツなのだろう。
ならその一人が来るまで待っておくかと、彼は出した右手で後部座席を指し。
「レディーを立たせておくのは良くないでしょ。イーサン君の車が来るまで座ってなよ。」
柔和に微笑む彼に、クールな彼女はベンツの後部座席を一瞥し。
じゃあお言葉に甘えてと、ゆっくりとドアを開けた。
無論、キュートな彼女はベンツの前を通り、助手席へと回ると、そそくさと座りこみ。
二つの閉まる音が鳴ったあと、彼は右腕を戻し、窓をそのままにハンドルに手をかけ。
「少し移動するよー。多分ナンバープレートと車種は知ってると思うから、来てもすぐに解ると思う。」
欠伸混じりに言い、ハザードを消して、少しアクセルを踏み。
あまり邪魔にならないところにベンツを止めると、動かないようにギアなどを変え、またハザードをつけた。
既に談笑に花を咲かせている女性二人を一瞥し、缶コーヒーの最後を飲み干し、少し外を見つめる。
と、暫くして。
後部座席に座る彼女の携帯が、鳴り響く。
「イーサン君かもねぇ。」
そう呟くと、スマートフォンを取り出す彼女は、当たりと少し笑った。
右耳に当て、もしもしと話しだす。
駅にいる、結構待ってる。
煽られてもキレるなよと言う彼女の台詞に、助手席に座る彼女が、彼の方を向き、少し呆れるような仕草をしてみせた。
それに気がついた彼も苦笑を見せ、はいはーいと電話をきる彼女の声を背後に、同じ仕草をしてみせる。
と、後部座席に座る彼女はスマートフォンをバックに仕舞い、運転席の肩辺りに手を添えて、前の二人に対して言った。
「来るって。どの辺にいるのか解らんが、多分この調子だと……。」
「十五分か二十分かなぁ。大体だけどねぇ。」
同じく車を運転する彼が、すっと予想をたてる。
流石だなと言う彼女は、身体を戻し、左手首にやった腕時計を一瞥した。
そしてややあって、また話しだす女性二人の声を小耳に、サングラスをメガネクリーナーで拭いた。

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ややあって、彼の予想通り、九時を少し過ぎた辺りで、ロータリーに一台のクラウンが。
ミラーでそれを確認し、窓から右手を出し、少し振る。
そして後部座席に顔を向け。
「今なら出れるよぉ。」
丁度車の動きがない今、後部座席の彼女に対してそう言うと、彼女は左手にバックを持ち、ドアを開け。
降り立ちながら、クラウンに対して軽く手を振った。
と、予想外の登場に、クラウンの運転席に乗る彼は、窓から顔を出し。
「お前……なんでアイザックの車に……。」
ベンツの黒塗り、そしてナンバープレートでそれが友人の車だと判断したのだろう。
だがまさかその車から、自分の友人、いや恋人が出てくるとは。
唖然としつつも、近づいてくる彼女を眼で追い。
「アイザックとエマもデートに行くらしい。駅で待ってたらエマと会って、それから暫くしたらアイザックが来て、アンタが来るまで待ってたんだよ。」
と、彼は何かきもちわりぃなと呟き。
視線をベンツのリアにやりながら、軽く溜息を吐いた。
「まぁそれで……二人ともモザイクに行くらしくてさ、私たちも行くし……四人でダブルデートしないかって……。」
少し恐る恐る訊いてくる彼女に、顔を引っ込めた彼は、横目で一瞥をやると、右手をハンドルに乗せつつ、まぁと肯いた。
「お前がいいなら。」
駄々も捏ねずにすっと肯定を見せる彼に、彼女は解ったと笑顔を見せ、ベンツの方へ。
そして運転席のところまで行き、何やらあれこれと軽く話し。
最後に手を振って、高いヒールのまま軽く駆けてき。
そのまま助手席の方から素早く車に乗り込む。
無論、承諾を得た相手のベンツは、ハザードを一回消し、素早く二回点滅させて動きだした。
それに合わせ、サングラスを掛け直し、左手でハザードを消し、かちりと鳴るシートベルトの音を左耳に、アクセルを踏み。
ベンツの後に続きながら、左手で少し懐を確認する。
そこには確かに、アクセサリー屋で買った指輪が、いや婚約指輪が、確かに身を潜めていた。
道に出たベンツに続き、流れを見ながら上手く後ろにつき。
車内に静かに鳴るjazzを彼女の好みに変え、少し、右手の人差し指でハンドルを叩いた。



第134話 捜索隊



悶々とした気持ちのまま、レクシーを抱っこ紐の上に乗せ、背中を軽く叩きながら、マフラーもし。
ノアもアヴァも待っておいてと言いおき、懐中時計を懐に入れた時。
玄関戸の開く音に続き。
「小豆! 行くぞ!」
背中を押されるような声に、はいと返事を返し、素早く玄関へ。
懐中電灯を右手に待つイーサンを一瞥し、気をつけてという鈴声に、軽く右手をあげ。
下駄ではなく、戦闘用のブーツを履き。
素早く外へ。
閉められる扉を一瞥し、微かに騒がしい街並みを見つめる。
「警鳥隊から寺院、城の方にも伝えておいてくれって。シロも動くと思う。取り敢えず、俺から離れるなよ。」
足早に歩きだすイーサンに続き、解ったと呟く。
レクシーを一瞥し、逸る気持ちを抑え、周りを見ていく。
と、一人の黒服。
こちらに手を振るのは、警鳥隊の人間。
「お二人さん! 草原の方に行くんで、ハチベエさんと行動してください!」
そう叫び、すぐに踵を返す警鳥隊。
ハチベエさんがもう動いているのかと、走れるかと少し振り返るイーサンに、うんと肯き。
右手をレクシーの背中に当てながら、髪も結ばずに、走り出した。
暫くその状態で走りつづけ、門前まで来ると、早速ハチベエさんが。
既に何人かの人間がおり、騒がしいなかで、茶髪を少し束ねたハチベエさんについてゆく。
軽装用甲冑に刀を携えて。
その背を見つつ、マフラーに口元を埋めた。
「何があったのかは訊かぬが、まぁ……親というのは大変なんだな。」
何気ない言葉にも、返す言葉はなく。
ただ、そうですねと視線を逸らすのみ。
無論、会話は続かず、既に草原にいる警鳥隊の電灯や提灯の灯りが、あちこちで動き。
レクシーにとってはとても温い身体も、私にとっては冷たく。
微かに白い息を吐きながら、草原へと。
イーサンが懐中電灯をつけ、ハチベエさんの指示により、首都を囲む壁沿いに捜すことに。
二人の後を追いながら、軽く眉間に皺を寄せて。
茂みのなかや岩の影など、それらしいところを捜してゆく。
マリの名を呼ぶイーサンを一瞥し、脚で軽く掻き分けつつ。
全くいないと解ってゆくうちに、嫌な予感と心配の念は募ってゆく。
ハチベエさんも捜してくれているが、なかなか見つからない。
一体どこにいるのか。
五歳の子で、内気な性格。
そう遠くにはいかないはずだ。
独りが怖いらしいマリなら、街のどこか、家の近くにいる。
然し、街中を走り回ったイーサンが見つけられなかった。
と、言うことはだ。
やはり嫌な予感が、心臓を締め付ける。
誰かに、攫われた。
その単語が渦巻き、歯を食いしばり。
今まで現実なのか夢なのか解らないような、信じがたい心境は消え、これが現実なんだと突きつけられる。
逸る気持ち。
半ば躍起になって、茂みを掻き分け。
マリと、名前を呼ぶ。
だが反響するばかりで。
気持ちは高鳴る。
ヤバい、ヤバいヤバいヤバい。
誰でもいい、マリを見つけて。
ただただ、暗闇と懐中電灯のなかで、茂みを、岩を、木の上を。
刹那、大きく反響する声。
「子供用の草履だ!」
そう叫ぶ声に、はっとして振り返る。
赤い瞳と眼が合い、互いに肯き。
茶髪を翻して駆け出すハチベエさんに、何を言うでもなく。
二人の背に、息を切らしつつ。
少し咳を漏らして。
お願い、生きてて。
お願い。
死ぬなんてこと、許さないから。
ぐっと眉間に皺を寄せ、広い草原へ。
そこには元勇者御一行やシロの姿もあり。
そのまま駆け寄ると、あっとみな気がつき。
「大丈夫かいな。」
あの独特な着物姿ではなく、至って普通の姿で、シロが呟く。
視線を草履を見つけたという警鳥隊の人間にやりながら、いやとかぶりを振る。
「大丈夫じゃない……。」
軽く痛む頭に顔を歪ませながら、振り返るイーサンに一瞥をやり。
その手に持った草履に。
ああ、マリのだ。
あの子だけ、足が小さいから。
ぎこちなく、肯く。
と、矢庭に指示が轟き。
警鳥隊と共にハチベエさんも動きだし、あっと振り返る。
「レオナルド殿かシロ殿と動け。」
そう短く残し、すぐさま駆け出し。
草履に視線をやり、ややあってその横顔を見つめる。
「うちは犬ちゃうからアレやけど……ある程度ならいけるで。ちょっと貸し。」
動きだすシロに視線をやり、ああと草履を渡すイーサン。
両手で受け取ると、鼻を近づけ。
くんくんと嗅ぎながら、尻尾をふにゃふにゃと。
ややあって顔をあげ、ありがととイーサンに返し。
周りを見渡しながら、鼻をひくつかせ。
多分こっちやと指差す方を向き。
いつの間にか来たレオナルドさんに一瞥をやり、行こうと呟き。
イーサンとシロを先頭に、少し早足で歩き出した。
右を歩くレオナルドさんには、暗い面持ちが。
幾ら養子と言えど、孫に変わりはない。
まだ怒り狂う程じゃなくて良かったと思いつつ、レクシーの背を、軽く叩いた。

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時折シロが鼻をひくつかせ、更に夜目と聴覚を使い、警鳥隊たちよりも離れたところまで来ると。
森のなか、一つの洞窟を見つけ。
シロが、そこで止まる。
えっと眼を丸くするも、耳と尻尾を動かすのみ。
懐中電灯が暗闇を照らすが、奥の奥は見えず。
「本当にここなんだよな。」
低く唸るような声に、耳を動かしながら肯く。
「このために履いてきたんや。脚刃をな。」
モンク用に造られた、ブーツ型の武器。
つま先や足の甲、踵などに刃がついているのが殆どだが、私の戦闘用ブーツも同じ部類に入る。
モンクの資格も持つシロは、私たちの怪訝な面持ちも見ずに、ずかずかと進んでゆく。
慌てて後を追い、暗闇に少し怯えながら。
懐中電灯の照らす先しか見えず、ホラーゲームか何かのように。
レオナルドさんがいるのを確認しつつ、照らされる先を見つめ。
数個の足音が、静かに反響してゆく。
刹那、シロの怒鳴り声。
はっとして眼を見開く。
と共に空気が流れ。
わっと飛び出したシロが、ハイキックを。
かました後。
一瞬の動きに驚きつつ、懐中電灯に照らされた相手を見つめる。
アッパーを喰らった時と同じように、一人の男が。
そしてそのまま倒れゆく。
と思いきや、その首に、あげた脚とは反対の脚のすねを。
がんと上手く入り、そのまま私たちから見て右に吹き飛んでいった。
鈍い音が鳴るなか、シロが振り返りながら吠える。
「突き進むで! ついてき!」
と、矢庭に走りだすシロに、慌てて私たちもついてゆく。
揺れる電灯の灯りは、真っ白な髪をうつして。
が、がくりと脚から力が抜け。
えっと混乱するなか。
そのままその場に止まり。
重たい身体に、歯を食いしばる。
頭痛が酷く、咳が出て。
「小豆?!」
イーサンの声のあと、ひょいと視界が動く。
ふらふらとするようなおも怠いなか、相変わらずのお姫様抱っこに、左手を口元へ。
「たっちゃん、無理しなくていいんだよ。」
そう、少し笑うレオナルドさん。
頼もしい面持ち。
親子揃って姫様抱っこが好きなのなと、背中に伝う太い腕に、少し安堵の溜息を吐いた。
その状態で暫く走り続け、時折、シロが魔物や駆逐対象を打ちのめしてゆき。
一番奥、広い場所へと出ると。
「厄介やな……こりゃあ……。」
そこには、暗闇に浮かぶ、数々の眼。
赤く煌々と輝くそれら。
微かな唸り声からして、獣型の魔物か。
電灯が照らす。
と、案の定狼のような魔物が。
イーサンの舌打ちが響き、シロがぐっと身構える。
刹那、全てが動く。
右から魔物二匹。
シロが素早く二匹の頭を蹴り、更に左から来る相手に駆け寄り、少し跳んで、両足で二匹の頭を踏みつけ、更にこちらに飛びかかってくる一匹に、バク転で素早く近づき、二回目のバク転の時にあげた脚を、一匹の頭に当て、そのまま魔物を下敷きに姿勢を正して立ち上がり。
一瞬間に起こったそれらに、私たちも相手も戦慄を覚え、飛びかかってくる者は消えた。
と、シロが徐に歩きだし、慌ててイーサンが後を追う。
無論、レオナルドさんに抱っこされている私は、ただぼうっと周りを見るだけで。
電灯が辺りを照らし。
ゆっくりと動く視界に、歯を食いしばる。
狼たちは唸りながら、少しずつ道をあけてゆき。
何なんだと、混乱しかしないなか。
異様な光景に、少し咳を漏らした。
と、シロが止まり。
何だと視界を動かす。
そこには、大きな、竜よりも大きな狼が横たわっていた。
無論、電灯に照らされた狼は、ゆっくりと瞼をあげ。
何とも言えない恐怖に、眉間に皺を寄せる。
どうして魔物のなかに来たんだ。
シロは一体、何を感じて。
そう思考を繰り広げようとした時、耳を立てながら、大きく吠えた。
「人の子を返せ! ワシらのもんじゃ! 貴様らにやる権利はない!」
大丈夫なのかと周りを見るも、赤く光る瞳は変わらない。
と、大きな狼が、少し顔をあげ。
「……ならば、“ワシを殺せ。”」
至って普通に反響する、しわがれた声。
その渋い声音に、シロが相対する。
「殺すだけでええんか。なら最初から子供を奪わんとき!」
轟くドスの効いた声に、狼は何も言わず。
ややあって、更に顔をあげた。
電灯に照らされる。
そこには、狼の脚のあいだに、眼を瞑ったマリが。
あっと眼を丸くし、レオナルドさんに降ろしてもらい。
慌てて駆け寄る。
が、肩を掴まれ。
「何やられるか、解らねぇんだぞ。」
そんな声も余所に、歯を食いしばる。
生きてる。
確かに生きてる。
良かったという安堵と共に、霞む世界に、左手で涙を拭った。
と、狼の声が静かに響く。
「……魔族は忌み嫌われる存在。どうしてそんなものに産まれたのか。数百生きてきたワシは、魔王から離れて日が長い。悪とは何か、善とは何か。そればかりを考え、今や同じ境遇の者たちに慕われる日々。だがよくよく考えれば、魔族は世界を乱す。秩序を護るため、ワシらに刃を向けるのは当たり前だと気がついた。だから殺せ。彷徨える子羊を庇ったに過ぎない、ワシらをな。」
どこかで聞いたことのあるような台詞に、えっと顔をあげる。
その蒼い瞳は、とても魔物の瞳じゃない。
シロも黙り込み、肩に置かれた手も消え。
「……ノアと、同じじゃねぇか。」
呟かれた声に、ああと合点がいった。
長年生きてきた魔物で、然も魔王から離れて日が長い。
まさしくノアと同じ。
まさかと、その瞳を見続け。
世界は崩壊しはじめている。
そして今は、魔術の反抗が問題視されている。
だが、ここで魔物の反抗が現れはじめても、何もおかしなことはない。
同じ理由、同じ境遇であれば。
悪から逃げるために、自分から逃げるために。
だからこそこんな所で、然も殺せと言ったのか。
それに、庇っただけだと言っている。
確かに、マリには特別な傷はない。
視線をマリにとし、一歩近づく。
咎める者はいない。
そう確信した直後、わっと駆け出し。
再度、良かったと言いながら。
狼の脚の間に入り、マリの前に、べたりと座り込む。
可愛らしい顔に、少し砂がついて。
幾ら難しい子でも、子どもに変わりはない。
そう、ゆっくりと右手をあげ。
柔らかい頬に。
と、冷たさで眼が覚めたのか。
うんと瞼を開けると、私に気がつき、少し驚き。
「ごめんな……マリ……。」
涙を堪えながら、ふっと笑みを見せる。
ややあって、じわじわと泣き出しながら、わっと右側に抱きついてきた。
正面にレクシーがいるためだ。
冷たいのにと思いつつ、ごめんなさいと叫ぶマリの頭を撫で。
良かったと、また安堵の溜息と共に、吐き出した。



第135話 確かな親子愛


イーサンに抱えられたマリを一瞥し、狼に向き直る。
やはり、到底魔物とは思えない眼差し。
「……私たち人間に味方する気はあるのか?」
人間の子どもであるマリを庇っていたのだ。
引き入れられる可能性は高い。
三人とも何も言わず、右手をレクシーの背にやったまま、蒼い瞳を見つめ返す。
ややあって、更に顔が近づき。
迫力のある狼の顔に多少怖じ気づきながら、左手を。
ふわりとした毛並み。
狼に似ているだけで、毛並み自体は猫のような。
「……不動明王の化身か。ならばワシを救ってくれぬか。端から魔王の言いなりになどなりたくなかった。いや、そもそもワシは、魔族に背いていた。ここ数百年で殺したのは、同族のみよ。」
渋い声に、そうかと肯く。
やはり魔族の反抗か。
そう思いつつ、振り返る。
イーサンは、ややあって視線を逸らし。
シロは、まぁまぁと渋々肯き。
レオナルドさんは、眼を伏せた。
微妙な反応だが、既に魔物は仲間にしている。
だからこそ全否定はできない。
大丈夫だ。
救えるはず。
そう、ゆっくりと狼に向き直る。
「ワシを慕う者たちには、自分たちで殺すように指示を出す。本能で生きながら、精々抵抗する理性しかない。生かしておいても辛いだけだ。貴様ら……いや、貴殿らが望む大きさになれる。番犬にでも使うがいい。」
少し微笑む狼に、渋々ながら肯いた。
ノアやこの狼のように高い知能があれば、理性も本能も悪に抵抗できる。
だが、殆どが本能で生きる彼らからすれば、生き地獄だ。
これも仕方ないと、じゃあ帰るかと、左手を離し、振り返る。
何とも言えない面持ちの三人。
シロだけが肯き、レオナルドさんもイーサンも、何も言わずに歩き出した。
その三人の背を見つめ、特に何も言わず、歩き出す。
と、しゅううと鳴る音。
うんと振り返ると、あの巨大な狼が、一般的な大型犬となんら変わらない大きさになっていた。
どういう種類なのかは知らないが、恐らく大分強い魔物なのだろう。
正面に向き直り、唸り声も止んだ暗闇のなかを、懐中電灯だけで戻っていった。
暫く歩き、洞窟から出る。
そのまま一言も話さず、眠りこけるマリを一瞥し、門の方へと。
徐々に近づいてくる灯りの数々に、シロが駆け出し。
近くにいた佐藤さんのところまで行くと、こちらを指差してあれこれと。
無論、佐藤さんの顔がこちらを向き。
ややあって、大きく吠えた。
見つかったと。
それによって、ハチベエさんや警鳥隊の人間が駆け寄ってくる。
流石に脚も止まり。
「一体どこに……。」
少し息を切らすハチベエさんに、イーサンが振り返る。
月明かりのなかに輝く赤い瞳に、事の経緯を、簡潔に告げた。
そして少し振り返り、狼を促す。
ざわりとした周囲の声と共に、狼はゆっくりと前に出。
ハチベエさんのところまで来ると、そこに座った。
ざわめきはまだある。
ややあって、狼は淡々と語り出す。
「敵意はない。いや、人間など相手にできるか。一度も殺したことがない、罪のない者を。然し同族なら何度も殺した。奴らはワシに牙を向けた。時に魔術を使って。だからこそワシは同族を殺した。こんなもの、この世界にいてはならぬと。」
今頃、この狼を慕っていた魔物たちは、殺し合っているのだろうかと思いつつ、ハチベエさんを見つめる。
苦虫を噛み潰したような面持ち。
既に魔物はいるが、今の状況にまた魔物を引き入れるのは、流石にリスクがある。
だが、それでも私は助ける。
明らかに違うのだ。
瞳の輝きが。
無垢な瞳とでも言おうか、とにかく魔物のそれではない。
と、暫く虫の声だけが鳴り。
ややあって、ハチベエさんは渋々ながら肯いた。
「拙者は何も言えぬ。麿様もどうせ肯くことだろうし……。」
軽く溜息を吐いたあと、警鳥隊に指示を飛ばし、そそくさと踵を返した。
無論、警鳥隊の人間も徐々に戻ってゆき。
最終的に、私たちだけが残った。
取り敢えず帰ろうと促し、ゆっくりと歩き出す。
佐藤さんも特に何も言わず、私と狼を先頭に。
「そんなに心配なのであれば、枷でもするがいい。ワシは長らく動いておらぬから、そう強い力は出ぬ。」
相変わらず渋い声に、街の灯りを見つめ。
「まぁ大丈夫だよ。いざとなれば駆逐すればいい。」
佐藤さんの声に、ややあってレオナルドさんが肯く。
「そうだな。考えすぎだ。」
わははと笑うと、徐々に暗い雰囲気は晴れてゆき。
門に近づくにつれ、何時もの調子に戻った。

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帰ったあと、それなりに泥がついている私たちは、先に風呂に入った。
イーサンが先に、その間にマリを起こし。
「風呂、一緒に入るからな。その間だけ頑張って起きとけ。あとは寝てていいから。」
な? と微笑むと、欠伸を漏らしながら肯いた。
他の子どもたちは既に寝ており、アヴァもいつも通り先に。
ノアだけ起きており、庭先で丸くなる狼を一瞥すると、少し苦笑を漏らした。
「また凄い魔物を……。」
何だ知ってるのかと、マリを軽く抱っこしながら振り返る。
ややあって、肯いた。
「数百年前から生きている伝説の魔物です。神獣であるフェンリルの下位みたいなものですが、魔王にも従わず、ずっと隠れて生きてきたと……。まさかここで関係してくるとは。フェンリルの下位と言っても、魔族のなかで言えば最高クラス。数ある竜をも凌駕してしまう程の魔物ですよ。ほら、身体の大きさを変えられるでしょう? その能力はフェンリルからのものらしいです。なので名前も、フェンリラリーと言うんですよ。ふざけた名前ですけど、まぁ正直……僕でも敵わないかな。」
そう、縁側の先を見つめながら語るノア。
ノアでも敵わないと言うぐらい。
そこまで凄い魔物だとは思わず、同じく縁側の先に視線を移すと。
「あがったぞ。」
少し眠そうな声に、ああと返事を返し、そそくさとマリを抱えたまま、風呂場へ。
何とか頑張って起きているマリの着物を脱がし、洗濯物かごに投げ入れ、素早く自分も脱ぎ。
眼を擦ろうとするマリの手を慌てて制し、変わりに左手の親指でやってやる。
泥だらけの手でやってしまうとダメだ。
それに、氷のおかげか、左手だけには汚れがつかない。
不思議なもんだなと思いつつ、マリの手を引き、風呂のなかへ。
きちりと扉を閉め、木の質感が漂うなか、シャワーのお湯を出し。
椅子に座り、マリを脚の間に立たせ、正面を向いてもらいながら、左手でシャワーを、右手で頭を。
風邪は未だに完治していないものの、流石に洗わないのは汚い。
マリを抱えた時もそうだが、捜している時も茂みなどに触れた。
幾らタオルで拭いたとしても、汚れは落ちない。
「熱くないか?」
曇る鏡を一瞥し、右手で髪を適当に洗いながら、そう問いかける。
と、ややあって小さく肯き。
少しふらふらとするマリの身体を、多少乱暴に両脚で固定し。
シャワーを止め、角に置いたシャンプーを手に。
軽く馴染ませながら、マリの濡れた髪につける。
「今度は冷たくないか? 脚で挟んでるけど……。」
そう、軽く髪を洗いつつ言うも、だいじょうぶと眠そうに言って、その小さな手を太股のうえに。
微かな感覚にそうかと呟き、きちんと髪を洗い出す。
癖毛だなぁと思いつつ、時折少し咳を漏らして。
と、何となく疑問が過り。
「なぁ、何で出てったんだ?」
多少晴れてきた鏡を一瞥する。
髪を洗う自分と、洗われるマリ。
本当の親子にも見えるが、やはり自分が若いせいか、姉弟のようにも見える。
そう、視線を外し。
「んー……わかんない……。」
「解らないのか。そりゃ困ったな……。」
「……。」
「……マリはさ、私たちのことをどう思ってるんだ?」
「……んえ?」
「私とか、パパとか。ジジババの事でもいいが……まぁ、好きとか、ちょっと怖いとか、そういうの。」
いつも通りに説明してやると、マリは鏡を見つめ。
考える素振りを見せる。
その間に、両手で髪をオールバックにし、手で取れる泡を適当に。
「んー……ママは、怖いけどやさしい。パパも怖い。けどやさしい。でも……“本当のパパとママなのかわからなくなる。”」
予想外の台詞に少し驚きつつ、シャワーを出し、顔にかからないようにしながら、洗い流してゆく。
「ぼくのパパママは、この人たちなのか……時々わからなくなる。ねぇ、ホントにぼくのお母さんとお父さんなの?」
また曇りだす鏡を一瞥し、いやと言葉を濁す。
やはりマリは普通じゃない。
どこかが違う。
急にこんな事を訊いてくるのは、マリが初めてだ。
反応に困り、軽く下唇を噛みながら、流れてゆく泡を見つめる。
「ママ……?」
少し振り返る動きに、ああと我に返り。
「そうだな、今は本当の家族だよ。じゃなかったら、マリを助けに行かないだろ? 私は怒った本人だから微妙な気持ちだったけど……アンタの親父は、真っ先にアンタを捜しに行ったんだよ。」
ふっと先程までの光景を思い返し、シャワーをとめ、濡れた髪を軽く絞る。
な? と小首を傾げると、自由になったマリは振り返り。
大きな瞳で見つめ返してき、ややあってうんと肯いた。
「何かあれば助けるから。」
そう、左手で頭を撫でる。
と、矢庭に抱きついてき。

少し驚くが、ゆっくりとその小さな背に右手をやり。
左手で頭を撫でながら、自然とあがる口角に、鏡を見た。
腹辺りに抱きつくマリと、それを軽く受け止める自分。
頬にある氷の皮膚は、確かに広がっている。
恐らく、左目を無くすということは、この氷の浸食が眼球にまで届き……。
「小豆ー? 大丈夫かー?」
ドア越しの声に、はっと我に返り、大丈夫だと大きめに答えた。
そうかと去ってゆく足音に視線を動かし、さぁ早く綺麗にして寝ようと、マリを促した。

コメント

#30 ビビり転生者は幸不幸の狭間で葛藤を~愛は彼らを救う~

2018-10-19 10:05:16 | ビビり転生者は幸不幸の狭間で葛藤を~愛は彼らを救う~
元の小説は「小説家になろう」にて連載中。
https://ncode.syosetu.com/n8771eu/


前回のお話はこちら。
https://blog.goo.ne.jp/nekomaru14/e/441911218ba84de56a072a44d14d565a

#1の記事はこちら。
https://blog.goo.ne.jp/nekomaru14/e/e9c7b8c249a7ede51228b3129ba64778

キャラメーカーによるキャラクターのイメージ画像集はこちら。ネタバレ注意!!
https://blog.goo.ne.jp/nekomaru14/e/ed15c8a663b710b6e3f51cbcda3aac14




第126話 家内の逆鱗



翌朝。
あっさりし過ぎている災いを怪訝に思いつつ、身体を起こす。
流石にもう起きるだろうと、右を向いた。
「……は?」
そこには、女もののあれが。
赤を主体としたそれは、野郎の上に。
また、は? と言いつつ、近づいて恐る恐る持ち上げてみる。
私のじゃないし、アヴァも流石にこんな、挑発的なものはつけないだろう。
刹那、エマの怒鳴り声。
はっとして、それを持ったまま顔があげる。
と、怒鳴り声と共に二つの足音が廊下を。
「ふざけないで! 家でもこんなことしなかったのに、何で小豆のところでするわけ?!」
「いやだから知らないって!」
「はぁ?! じゃあ何でこんな誘惑するようなブラがあるわけ?!」
「だから知らないって言ってるだろ! 一回冷静になれよ!」
「冷静になるも何も、思いっきり証拠があるの! そうやってしらばっくれてるだけでしょ!」
そんなエマとアイザックの怒鳴り声は、居間まで来ても繰り広げられ。
だから知らないってと言うアイザックに対し、私が手に持ったものと似たものを片手に、仁王立ちをするエマ。
まさか、二人でやったってこと? と、また右を向く。
と、いつも通り起き。
やっと自分で起き上がるようになったイーサンは、上半身を起き上がらせ、寝癖のついた銀髪を揺らして欠伸を漏らす。
コイツもやったのか? と思いつつ、少し身を乗りだす。
「これなに。アイザックと一緒に女でも連れこんだ?」
が、不機嫌そうな面持ちで、はぁ? と言われ。
「しらねぇよ……。」
また欠伸を漏らす。
左手に持ち、ぐっと突き出す。
「じゃあこれは? 私、こんなの持ってないけどな。わざわざ買って来るなんていう意味不明なことしないだろ?」
赤い瞳でそれを一瞥すると、深い溜息を吐き。
「知らねぇっつってんだろ……。あと、覇気使ったあとはストレス与えんなって、酒呑童子から言われてたよな……?」
ぐっと、いつも以上に悪い目つきで睨まれ。
思わず退いてしまうが、明らかにおかしい証拠品に、眉間に皺を寄せる。
「そう言ってしらばっくれてるだけだろ……。」
左手のそれを握りしめ、舌打ちをしながら立ち上がる。
また溜息を吐かれつつ、居間に少し近づき。
未だに言い争う二人を見て、左手のそれを少しあげた。
「イーサンの方にもあったんだけど、やっぱグルでやったんじゃないか?」
すっと眼を細めると、黄色い瞳がこちらを向き。
どこかイーサンと似た目つきに、睨みを返す。
「知らないって言ってるだろ。勘違いも甚だしい。」
視線を外すアイザックに、少し近づく。
「でも何でこれがあるんだよ。おかしいだろ!」
「うるせぇな! んなもん知らねぇっつってんだろ! いい加減にしろ!」
耳を劈く怒鳴り声に、肩を飛び上がらせながら、寝室の方を向く。
息を切らしながら、仄かに暗いなかで、赤い瞳を。
その殺気の籠もった睨みに、私もエマも、少し後ずさる。
「解ったなら大人しくしとけよ、癇癪ばっか起こしやがって。」
舌打ち混じりの声に、ぎこちなく顔を動かす。
同じく恐ろしい程に鋭い黄色い瞳と共に、眉間に皺を寄せ。
結婚式でも見せなかった怒りの面持ちに、肩にかかる感覚を覚え。
「は、はぁ……?」
ぎこちなく、口角をあげる。
じゃあ何であるんだ。
然も二人のところに。
おかしいだろ。
なのにブチ切れて。
何なんだ。
歯を食いしばり、左手に握ったそれを放り投げ、そのまま後ろのエマの手首を掴む。
アイザックとイーサンを睨みつけたまま、ぐっとその腕を引き。
何も言わずに、玄関へと走り出す。
「小豆……。」
震える声に苦笑を見せつつ、手を離して、素早く下駄に足を滑らし。
エマも忍装束のまま、ブーツを片手に。
先に玄関を開け、素早く履くエマを促す。
そして外に出るエマを見、多少乱暴に扉を閉めた。
振り返ると、次は私が手を引かれ。
左手首に絡む黒い手袋を一瞥し、慌てて脚を踏み出す。
何も言わずに走り出すその金髪を見つつ、歯を食いしばった。
何が知らないだ。
あの下着の説明も出来ないくせに。
ぐっと食いしばったまま、流れゆく景色に、結んでいない髪を靡かせた。

@@@

大きな海が広がる砂浜の上で、互いに手を繋ぎながら、遙か遠くを見つめる。
混乱があるまま、ただその優雅な自然に、大きく深呼吸をし。
「……本当に知らないのかな。」
「さぁな。案外演技上手かったりしてな、アイツら。」
鼻で嗤ってやると、くすくす笑い声が続き。
「かもねぇ。仲良くなった感じだし、グルでやってそうだよね。」
「ああ。私もまだ全部のことは知らないからな……。」
「私も。アイザックはともかく、イーサンも何か隠してる感じするし。そんな完璧中の完璧じゃないんだしさ。」
「そうだな……。本当、最悪な状況だよ……。」
うなだれ、足袋に絡む砂を、軽く振り払う。
どうしようかというエマに、少し小首を傾げる。
何か適当に遊ぶとか? と右を向く。
緑色の瞳を細め、微苦笑を浮かべながら、そうだねと肯いた。
じゃあ早速と言わんばかりに、手を繋いだまま海へ。
冬だよ? と笑うエマに、口角をあげる。
波がくるところで止まり、次の波を待つ。
遅れて止まったエマも、同じく並び。
大きく息を吸い、左手を口元へ。
やってくる波と共に、声帯を震わす。
バカ野郎、と。
にっと右を向くと、微苦笑を浮かべつつも、同じく海に向かって。
足袋が濡れるのも厭わずに。
認めろと叫ぶエマに、そうだそうだと続く。
自然は私たちを受け止めて。
微かにある雨雲を見つつ。

その後も、あれこれと二人で遊び回り、エマの奢りで昼も過ぎ。
夕刻に差し掛かるなか、流石に心配されるかなと、顔を見合わせ。
「ちょっと怖いけど、帰る?」
「……そうだな。」
うんと肯き、正面に向き直る。
歩きだすエマに合わせて、下駄を鳴らす。
夕闇が迫るなか、つき始める提灯を一瞥し。
と、眼前から綺麗な女性が二人。
またスタイルのいい人たちだなと思いつつ、通り過ぎる二人から視線を外した。
少し耳が尖っていた気がするが、色々な種族があるこの世界では、不思議なことではない。
そう、少し欠伸を漏らした。
と、先程の二人らしき声が。
「えー! 黒髪の方も格好良かったけどなぁ。」
「いやいや、絶対銀髪の方が格好いいって!」
「んー……何か目つき悪くない? 口も悪いしさ。然もドSでしょ? 嫌いだわー!」
「はぁ?! それら全部がいいんでしょぉ?! まぁ、Mじゃなかったらシンドイだろうね。でも黒髪の方も、何かのほほんとしてて嫌じゃない? もやしみたいだしさぁ!」
「いやいやいやいや! めっちゃ慣れてるから! 然もSとM両方持ってるし! あともやしに見えるけど、結構いい身体してたよ?!」
「何それ、もしかして女遊び激しいの?!」
「ぽいぽい!」
「うわー! マジか! 損した!」
大声で下世話な話をする二人に、思わず脚が止まる。
銀髪、目つきが悪い、口が悪い、ドS……。
黒髪、のほほん、もやし、慣れている……。
ちらりと、右を向く。
怪訝な面持ちで、微かに肯いた。
もしやと振り返る。
が、彼女たちはいない。
どこかに消えたのかと、眉間に皺を寄せる。
正面に向き直り、晴れない気持ちのまま、家がある方に視線を向けた。
「帰る……?」
「……ああ。」
喧嘩になってもいい。
問い詰めねば。
そう気持ちを切り替え、エマの手を引いた。

@@@

「どういうこと?」
「だから知らねぇっつってんだろ。聞き間違いなんじゃねぇの。」
胡座をかくイーサンに、更に詰めよる。
「はぐらかしてるだろ。悪巧みすると演技上手くなるタチじゃないの。」
下から睨みつけると、案の定睨み返され。
まぁまぁというアヴァの声も余所に、四つん這いのまま、更に近づく。
「銀髪の人なんかアンタしかいないぞ。いい加減認め──」
「また何かやられてんだろ。子どもたちの結界術も解けねぇし……。」
すっと細められた眼に、あっと振り返る。
神に護られた子どもたち。
全く起きない子どもたち。
災いは、まだやってくる。
じゃあこれも、誰かに仕掛けられた罠なのか。
だが、忍であるエマにも見つからずに忍び込むなんてこと……。
と、呼び鈴が鳴り響く。
アヴァが慌てて玄関へと向かう。
相変わらず煩いエマとアイザックも余所に、両手を離してその場に座り込んだ。
ややあって、アヴァがきょとんとした面持ちで居間に帰ってき。
「お知り合い? 女性二人が来てるのだけど……エマちゃんと辰美に用があるって……。」
名前を呼ばれたエマが反応を見せ、うんと小首を傾げる。
女性二人なんて曖昧なと思いつつ、徐に立ち上がる。
誰だろうと思いつつ、廊下へと。
後からついてくるエマを一瞥し、玄関の方へ。
と、脚が止まる。
先程すれ違った、あの女性二人と、似ている。
「話があるんだけど、こっち来てくれない?」
ショートヘアの方が、少し手招きをしてくる。
こいつらが、何かやってるのか。
ガチ恋勢かと怪訝に思いつつ、恐る恐る近づいてゆき。
更に手招きをしてくる二人に、エマの方を向き、互いに肯きあう。
ガチ恋勢なら解らせないとなと、下駄に足を滑らせ、開いた扉から外へと。
ややあって同じく左に来たエマを一瞥し、後ろ手に玄関の扉を閉める。
無論、二人を睨みつけたまま。
「お前らだろ。変なことしたの。」
ぐっと眉間に皺を寄せると、二人はけたけたと笑い出した。
何がおかしいと怒鳴りたいのを抑えつけ、返事を待つ。
ややあって、長髪の方が言いだした。
「アンタたちより先に“恋人同士だったのに”。最低だよねー、イーサン君。」
と、続いてショートヘアの方が嘲笑混じりに。
「ホントさいてー。こんなブスよりアタシの方がいいのにさー。」
「言えてる言えてる。こんな乱暴な女なんか、いつかしんどくなるよ。」
けたけたと嘲笑う二人に、右手を握りしめる。
どっちが本当だ。
どっちが偽物だ。
本当に私よりも前にいたとしたら、天命も何もかも捨てて別れてやる。
ぐっと歯を食いしばり、睨みつける。
と、また更に嗤い。
鬼嫁だの何だのと。
左から聞こえる溜息の声に、冷気を強める。
どこまでが本当なのか解らない。
だが、例え偽だとしても、コイツらには死ぬ権利がある。
時、左肩に手がおかれ。
「今から砂浜で殺しあおうよ……。どっちが相応しいかさ……。」
はっとして顔をあげると、ショートヘアを揺らして、意味ありげに微笑む。
どこか狐に似た面持ちに、低く、ああと返した。





第127話 朧月夜



朧月を反射する海を見つめ、自ら容疑駆逐対象だと名乗る馬鹿二人を一瞥する。
何がしたいのか解らないが、殺せるなら殺す。
エマは口元を布で隠し、姿勢を低くする。
腕を組みながら、弱そうな二人に向き直り。
「いいねぇ。女同士の醜い争い。」
にやにやと笑う長髪を、ぐっと睨みつける。
何もできないくせにと、早速イメージを膨らませ。
刹那、長髪の後ろから一本の切っ先。
瞬時に伸びてくるそれに眼を丸くしつつ、慌てて跳躍。
風が舞い上がる感覚に、視界を下へ。
消えている。
さっきの尻尾のようなやつが。
何だと眉間に皺を寄せ、そのまま素早くイメージを。
着地と同時に砂浜を進み脚を拘束。
瞬きをする間に、重力に従って、左足のつま先が砂浜へ。
と同時に小気味よい音。
氷の毒蛇は私が視線をあげる間に、既に相手の脚へ。
そして右足も着地し。
ふっと姿勢を正す。
と同時、氷が蒸発。
えっとまた眼を丸くすると、水蒸気にまみれた人影が、一歩近づき。
慌てて身構える。
次は何だと、視界に集中。
と、水蒸気のなかから、一つの炎。
火炎放射器のような軌道に、身体を右へ。
ふわりと浮く髪が、微かに焦げる。
と思いきや、火柱がそのまま動き。
舌打ちを噛ましながら、膝をおり、身体をぎりぎりまで逸らす。
眼前を、鼻頭をすれすれで通り過ぎてゆく炎。
冷気を強め、熱さを和らげてゆき。
やっとこさ上半身を起こす。
と共に、火柱が消え、またあの切っ先が。
次は二本。
左右から同時に。
左腕と右腕に頑丈な盾をイメージ。
そして左足から地中に潜って相手の穴から体内へ。
脚を肩幅まで広げると共に、両腕をあげる。
そしてほぼ同時に、両方からの甲高い金属音のようなもの。
と、両方からの途轍もない力。
ぎぎぎと、氷が悲鳴をあげる。
ぎぎぎと、腕が悲鳴をあげる。
が、歯を食いしばり。
潰れそうな程に強い力。
食いしばる歯も、己の力で壊れてしまうかのような。
何とか息を吐き出すと、真っ白な煙が視界をちらつく。
刹那、両方から力が消え。
大きく息を吐き出しながら、両腕を前へだらけ。
息を整えつつ、睨みつける。
指示したもう一つがやってくれたらしい。
水蒸気も消えた相手は、首を掻き、震えながら悶え苦しみ。
その口から白い息を吐き出して。
体内に入れば、全てこちらのものだ。
今はどこに。
心臓付近か。
ならそのまま、冷気で覆い尽くしてしまえ。
にっと口角をあげ、左手を徐に相手に向ける。
人差し指で指しながら。
そして、人差し指を、動かす。
刹那、全身が炎へ。
獣の咆哮と共に。
えっと大きく眼を見開く。
相手の身体中から、煌々とした、炎が。
髪が巻き上がり、火達磨になった相手の瞳は、炎のなかでも鋭く光り輝き。
冷気が素早く戻ってくる。
火属性をもかき消せる程に強くしていたはず。
なのに、負けた。
ドライアイスよりも冷たくしていたはず。
なのに、なのに。
火達磨になったまま、まるで炎の神様の如く迫力で、一歩ずつゆっくりと近づいてくる。
思わず後ずさってゆく。
エマの術を叫ぶ声さえも、波の音にかき消されて。
一歩近づけば、私は一歩後ずさる。
なんだ、なんだコイツは。
徒者じゃない。
有り得ない。
どういうことだ。
そう、さがってゆくうちに、足袋に染み込む水の感覚。
然し、そんなことも考えられず。
波の音と共に、素早くさがってゆき。
ついには、膝下まで。
流石に炎を纏ったまま海には入れず。
震える身体に歯を食いしばり、ただやっとこさ来れた安全地帯に、溜息を吐く。
どうする。
ここから出れば、確実にやられる。
かと言って氷を使っても、かき消されるだけ。
炎を越える、更に温度の低い氷。
それか、水。
だが、知ってる人のなかで、それらを扱えるものはいない。
いや、エマがいる。
が、もう既に戦っている。
どうする。
どうすれば。
そう思考を巡らしても、何も出てこない。
寒さに比例して、全身の霜は増える。
未だに待っている相手に、軽く舌打ちをかます。
刹那、火達磨の頭に、何かが刺さる。
えっと眼を丸くすると、それは銅香の持っていた薙刀。
フランケンシュタインのように突き刺さっているのにも関わらず、相手は飛んできた方を向く。
訳が分からず、私もそちらへ。
「なにしてるの、九尾の兄弟。」
着物姿の銅香。
そして、悲痛な面持ちを見せ、そう呟く、雪女。
と、酒呑童子。
途端、獣の甲高い咆哮。
思わず肩を縮こまらせる。
時、雪女が氷を、酒呑童子が炎を。
それぞれの属性で。
それは雨粒が地面を叩く間に。
相手にぶつかる。
と同時に爆発。
水蒸気が沸き上がり、髪が沸き上がり。
エマと相対していたショートヘアが、わっと叫ぶ。
「“兄者!”」
その一言に、眼が見開く。
兄者、だと?
然も雪女は九尾の兄弟と……。
脳裏に二つの影が過る。
と同時、怒りは力へ。
そうか、そういうことかと思いつつ、ぐっと歯を食いしばり。
膝下、左足を中心に、小気味よい音が広がってゆき。
はっとして、ショートヘアの方がこちらを向く。
水蒸気で見えない長髪を一瞥し、ショートヘアの方を睨みつけ。
巨大な、氷の龍をイメージし。
冷気が、全て白い息へ。
小気味よい音が重なり。
霜が連なり。
と、雪女の左手がこちらへ向いたと思いきや、全身にある冷気が、更に強くなり。
多少息を荒げながら、頭上を見る。
巨大な東洋の龍は、狐を睨みつけ。
刹那、水蒸気から九本の尻尾が飛び出し。
それに連なり、ショートヘアの方からも九本。
素早く、矢のように龍に迫る。
が、左腕をあげ。
「蹴散らせ……。」
かれた声を絞り出す。
と、龍は口で手で、それらを弾き。
怯む二匹に、更に声を荒げる。
「殺せ!」
叫ぶと共に、白い息が視界をちらつき、小気味よい音と重低音が鳴り、炎が舞い上がり、狐が本性を見せ、エマが術を叫び、銅香が術を叫び、雪女が笑い声をあげ、酒呑童子が雄叫びをあげ、炎は天へ伸び、狐の鋭い牙がこちらに向き、龍の両手が伸び、獣の咆哮が轟き、震える左腕を息を切らしながら押さえ込み、噛みつかんと駆けてきた狐の頭に龍の手がおり、エマの叫び声と共に水が炎を襲い、残った火が龍の顔を抉り、銅香の叫び声と共に更なる水が巻き上がり、雪女の冷笑が吹き荒れ、酒呑童子の源振が舞いあげ、ぱきぱきと小気味よく広がる頬の氷に息を吐き出し、じっと猛り狂う狐を見つめ、冷笑が水が炎をかき消し、狐は血を吐きながら小刻みに震え、最期の最期にその尻尾をこちらに向けようと吠えた刹那、龍のもう片方の手が、狐の頭を思いきり押しつぶした。
ぐしゃりと鳴る嫌な音に、それらは静まり返る。
全てが氷に包まれたかのような感覚のまま、押しつぶされ、更に凍らされた二匹を見つめる。
冷気が一斉に戻ってくる感覚を覚えつつ、一歩、海のなかを歩く。
雪女と酒呑童子の晴れない表情を気にしつつ、また一歩。
刹那、眼前が暗闇に。
力が抜け、意識が朦朧とし。
なんだ、と思っている間にも……。

@@@

はっと眼が覚めた時には、いつもの景色が広がっていた。
寝室に、居間が続いて。
と、ぶるりと寒気がし、布団を首もとまで。
左頬に違和感を覚えつつ、慌ててやってくるアヴァを眼で追う。
「大丈夫?」
心配そうな面持ちに、取り敢えず大丈夫だと肯いた。
視線を動かすと、居間と寝室に続く襖のところに立つイーサンと、眼があった。
結局狐に騙されただけだったなと、視線を外す。
「ご、ごめん……。」
ぼそりと呟く。
アヴァが離れてゆくのを、少し眼で追う。
ややあって、眼前にしゃがみこみ。
一瞥をやる。
「俺も、ごめんな。」
静かな声音に、口元を布団のなかに埋める。
「……子どもたちは?」
「結界術だけ解けた。詳しい話は明日、グリッド寺院で話すってよ。」
「そう……。エマとアイザックは帰ったのか?」
「ああ。」
「……アイザックの癖は?」
「……。」
返事がないことに、視線をやる。
伏せた瞳に、少し近づいた。
「またやられた。ギリギリで離れてくれたけどな。大分辛そうだったし……責めるに責めらんねぇし……。」
少し微苦笑を浮かべるイーサンに、そうかと呟き。
前々から思っていた疑問を、静かに訊く。
「幼なじみの墓とか、どこにあるんだ?」
と、案の定少し眼を丸くし、ややあって答えた。
「海の上にある。神殿が管理してる水上のやつな。ここ数年行ってねぇ……。」
「じゃあ行こう。近いうちに。」
「はぁ? 急に行ってもおかしいだろ……。」
視線を逸らすイーサンに、身を乗り出す。
「私が幼なじみと会いたいんだ。ほら……何か複雑だろ? この関係……。」
苦笑を漏らすと、ややあって、渋々ながらも肯き。
「近いうち、な。取り敢えず明日は重大な話ばっからしい。お前が風邪ひいてても連れまわすからな。」
そう言いつつ立ち上がるイーサンを眼で追い。
解ったよと言うと、徐に居間へと戻り。
アヴァのお腹空いた? という声と共に、日常生活に引き戻された。




第128話 夢現に誘われて



「へっくしゅ! あー……寒……。」
グリッド寺院の本殿。
曇葉さんが来るまでのあいだ、完璧に風邪をひいた私は、着物に羽織り、そしてマフラーを巻いて縮こまっている。
例の赤ちゃんお預かり人が首都に滞在中なため、レクシーのことは預けてきている。
同じくマフラーを巻くイーサンを一瞥し、少し左頬に触れた。
明らかに広がっている氷の皮膚に、白い息を吐き出す。
と、曇葉さんがお待たせしましたと言いながら、静かにやってきた。
眼前に座り込む曇葉さんを眼で追いつつ、少し姿勢を正した。
多少服装が変わっているが、相変わらずの安心感に、小さく溜息を吐く。
「では早速本題に入りますぞ。今回駆逐したのは、“反抗心のある魔術。”随分と前から彷徨い続けていた魔術でしてな、雪女や酒呑童子と同じ類ですぞ。然し、我々術者に宿らず、何年もの間あの姿でいたせいで、魔術本来の無垢な性質が失われ、暴走していたのでしょうな。魔術の原動力は人の夢やネガティブな感情だと言われておりますがな、あの二匹は本当のあやかしになってしまったのでしょうな。人間の肝を食べれば、魔術という不思議な存在に乱れが生じるのですぞ。まぁとにかく……誰に救われることもなかった、悲劇の力とも言いましょうか……。」
一つ数珠を鳴らし、また静かに語りだす。
「それで、“この世界は乱れはじめている”という言葉には、肯くことしかできませぬぞ。前々から千手観音様から教えて頂いたことなのですがな、まさか魔術がそれを言うとは……。いや然し、まだ未来の話。十年後、そうですな、“レクシー殿が十の歳になった時、一番の災厄が訪れるでしょうぞ。”そして……お二方はあの夢をご覧になりましたかな?」
私とイーサンを交互に見る曇葉さんに、もしかしてと少し眼を丸くする。
意味をくみ取った曇葉さんは、神妙な面持ちで肯いた。
「“ウッド殿は病死、エマ殿は殉職、ノア殿とアイザック殿、そしてイーサン殿しか残らず、シロ殿やその他の仲間もみな……何かしらで亡くなるか、永久的に植物人間になるか……。また、ルイーズ殿は左目をなくし、イーサン殿は右腕をなくすことでしょうぞ。これは嫌なお告げですがな、私も、戦にて殉職すると……。”」
俯く曇葉さんに、場違いな程に、自分のくしゃみが本堂に響き渡る。
鼻を啜りながら、それらの言葉を、深く噛み締める。
悪夢は本当だった。
いや、悪夢ではなく、神仏からの警告だったのかも知れない。
そう、何となく右を向く。
何とも言えない横顔に、眼を伏せた。
「ともかく、このお告げは、それらの不幸を回避しろということですぞ。左目と右腕は魔術の使いすぎによる暴走……。エマ殿の殉職やウッド殿の病に関してはまだ詳しく解らないのですがな、これらは回避せねばならないものですぞ。まだ十年も先の話ですがな、儂からは以上ですぞ。」
微かに微苦笑を浮かべる曇葉さんに、十年後かと軽く溜息を吐く。
いつか来る未来。
これはきちんと記憶しておかねばなと、お礼を言いながら立ち上がる。
と、曇葉さんは何かを思い出したようで、慌てて立ち上がり。
あらと小首を傾げると、袖のなかから、二つの数珠を取り出した。
「爺は物忘れが多いもので……。例の魔術除けの数珠でございますぞ。下位から禁忌まで、回復魔法以外の全てをはねのける数珠ですぞ。あくまでも、身体に入ってくる魔術を防ぐものですからな。魔術の攻撃自体は防げませんぞ。」
やっとできたのかと思いつつ、差し出された数珠の一つを受け取る。
両手に絡む白い数珠を一瞥し、イーサンの方を見る。
真っ黒な数珠だなと思っていると、銅香の声が。
「麿様からのお声が……。」
ああと思い出し、曇葉さんに向き直る。
「くれぐれも、お気をつけて。」
低くなる声に、右手首に数珠を巻きつけながら、軽く会釈を返した。

@@@

「ガスマスクはないだろ……ガスマスクは……。然も私の使ってた頬当って……。」
いつもの部屋にて、ハチベエさんから多少強引につけられた嘗ての頬当を正しつつ、袖のなかで腕を組む。
籠もる自分の声に鼻を啜りつつ、麿様の登場を待つ。
と、ややあっていつもの簾にシルエットがうつり。
ヨイショヨイショと言いつつ、腰をおろした麿様に向かって、両手を畳の上に、頭をさげた。
「あげよ。」
少しつくったような声に、徐に顔をあげる。
「ガルスとグルスの駆逐作戦と今回の災い、ご苦労であった。して、魔物の動きだが……いや……“東北の方で、不穏な動きがあるのじゃ。”疑心暗鬼になっている者たちだろうが……一度、大名を集めて、不満分子が何かを話し合おうと思うておる。無論、重臣も揃うぞ。いつかはまだ決めていないのじゃがな。ああ、異常種のことは依然として解らぬ。ただ……“何か嫌な予感がするのじゃよ。”むー……考えてもキリがないの……。まぁとにかく、魔物による疑心暗鬼は絶えぬ。麿たちも本当の悪を炙り出しておるのじゃが……なかなか出てこないものでな。」
はぁと溜息を吐く麿様に、今回の件は知っているのかと、少し身を乗り出す。
「世界が乱れておる、じゃろう? 麿は政を行う人間。世界の事や魔術のことは、麿ではなく曇葉殿から訊くのが一番よいぞ。恐らく今後も、それらに関して曇葉殿から呼び出しがかかるじゃろう。とにかく、貴殿ら二人も重臣として出席するのじゃぞ。日にちは決まり次第文を書く。風邪が悪化せぬよう、暫くは大人しくしておれ。」
そう言いおく麿様に、お礼を言いながら頭を下げ、そそくさと部屋から出た。
城の正門に向かう間、ガスマスクこと頬当を外し、それを右手にまたくしゃみを漏らした。
「話聞くだけなら……アンタだけで良かったじゃん……。」
ちらりと右を向くも、微苦笑を浮かべた横顔があるのみ。
正面に向き直り、鼻を啜った。
「十年後なら……十五か。」
「レクシーからしたら立派な兄と姉だけど、一番面倒くさい時期だな……。さっむっ……。」
魔術の使いすぎもあり、体感温度は大分低い。
頬当を左手に持ち替え、少しでも温もろうと、右腕を絡める。
「特にカツはめんどくせぇだろうな。」
「典型的な反抗期男子だと思う……。ただまぁ、反抗したら殺されるから、案外大丈夫だったりしてな……。」
そう、何気なく、他愛のない会話をしつつ、緩やかな坂をくだってゆく。
右手に触れる数珠に、少し視線をやると、黒々と光る玉の羅列が見えた。
魔術の反抗かと、視線を外す。
もう既に反抗心のある魔術を宿しているが、他にも縋ってくる魔術は、どうしたらいいのだろうか。
魔術は世界の中心にあると言われる樹から産まれていると教えられたが、時間が経てば樹に戻れるのだろうか。
世界は乱れはじめている。
然も、転生者が神の子を宿した。
然も、不動明王の化身が。
まるで私が転生したと同時に、何かが狂い始めたかのような。
例え私が関係していなくとも、タイミングがそうさせてくれる。
今回の災いだけは、大きく世界に関係しているなと、軽く咳を漏らした。

もう後はないなと言いつつ、そそくさと家に転がり込み、預かり人にお礼を言い、アヴァが入れてくれたお茶を啜った。
寝てるのがいいと言われ、渋々ながら寝室に行き、ぽふりと倒れ込む。
おもだるい身体に溜息を吐きつつ、仰向けになる。
開け放たれた襖から見える居間の景色を、何となく見つめ。
絵を描くタツとマリ。
アヴァとままごとをするアヤとサヤ。
レクシーをあやすイーサンにちょっかいを出すカツ。
そしてそれらを見つつ、分厚い本を片手に、縁側の座椅子に腰かけるノア。
その何気ない風景に、少し想像を膨らます。
遊びにきたエマとアイザックも加わって、ドングリーズが騒がしくなって。
癖が発動するアイザックに対し、イーサンが怒鳴りながら抵抗して。
苦笑いを浮かべるエマが、何とか落ち着かせて。
と、アヴァが昼飯をつくり、大きな座卓を彩る料理が並び。
それらを囲みつつ、賑やかに昼餉をし。
最終的に酒が出てきて、大笑いをするエマと、酔って饒舌になったイーサンと、同じく饒舌になったアイザックがやかましく。
子どもたちの前でも下品な話をしだす二人に、アヴァが苦笑を漏らして。
ややあって、レクシーがわんわん泣き出して、酔っ払い三人が慌てだして。
酒に強いノアが、酒瓶を片手に、レクシーの横たわる揺りかごを少し揺らし。
一瞬収まるものの、また泣き出すレクシーに、あれと苦笑を漏らして。
普段なら冷静なイーサンも、ひっくと肩を震わすのみで。
と、アヴァが誰かを呼び。
イーサンが振り返る。
茶色かかった長髪に、氷の左腕をもって。
自分は溜息を吐き、酔っ払いを押しのけてレクシーを抱え上げ、そして、寝室にやってくる。
その氷の女神ともお母さんとも言える出で立ちに。
刹那、アヴァとエマが、ふわりと消えた。
はっと、自分が振り返る。
レクシーは、泣いたまま。
更に、アイザックとノアがその場に座り込み。
いつの間にか、イーサンの右腕は無くなって。
よくよく見れば、アイザックもイーサンも、更に大人びた面持ちで。
ややあって、玄関の方から、見慣れない五人が。
一人は坊主にして、青い瞳を鋭く、頬に大きな湿布を貼って。
如何にも反抗期らしい少年だ。
もう一人は髪を伸ばして、黒い瞳を外して、その耳にじゃらじゃらとピアスをつけて。
如何にも不良らしい少女だ。
もう一人はショートカットにして、桃色の瞳を伏せて、眼鏡を外して。
如何にも文学少女らしい少女だ。
もう一人は癖毛を少し束ねて、黒い瞳どころか背まで向けて、右手にスケッチブックを持って。
如何にも芸術家らしい少年だ。
最後の一人は、イーサンのようなショートカットで、緑色の瞳を伏せながら、一歩こちらに近づき。
何かを言いたい。
けれど言えない。
そんな面持ちで、頭を垂れ。
刹那、自分の右腕からレクシーが消え。
イーサンに寄り添うように、黒髪を腰辺りまで伸ばした、肌の白い少女が、現れた。
自分は、身体の向きも変え。
と、その少女が振り返る。
少し薄い赤い瞳。
大きく、多少つり上がった眼。
長いまつげに、猫のような口。
左目の下にほくろを。
そして、右頬にある、微かな模様。
少女は、ゆっくりと自分の方へ動き。
徐に抱きついた。
ややあって、自分はその両腕で、少女を抱きしめる。
と、その左目から、氷の玉が零れ落ち。
ころころと、畳の上を転がってゆく。
と共に、その左目から、ぽたぽたと赤いものが流れはじめ。
いつの間にか消えた五人の少年少女。
抱き合う二人に、左腕だけを、自分の背中にまわして。
中身のない右の袖が、微かに揺れる。
その三人を見つめる二人は、徐に立ち上がると、親子を庇うようにして、更に腕をまわし。
そのまま、春の陽光と共に、静かに、砂絵のように、彼らは消えた。



第129話 ストーカー



欠伸を漏らしながら、瞼をあげる。
どうやらそのまま寝てしまったようで、重たい上半身をあげた。
と、耳を劈く怒鳴り声。
「うるせぇ! 次来たらぶっ殺すからな!」
えっと眼を丸くすると共に、レクシーが泣き始め。
慌てて起き上がり、揺りかごを覗き込む。
お腹が空いたのか、おむつをかえてほしいのか。
あたふたと乳をあげてみても、拒否。
じゃあおむつはとかえてみても、一向に泣き止まない。
そして玄関の方から響き渡る、二つの怒鳴り声。
何なんだと、痛む頭を抑えながら、レクシーを左腕に、廊下の方へ。
と、そこには泣き崩れ、ノアに抱きつくアヴァと、イーサンと口論を繰り広げる男が。
ドングリーズも怪訝な面持ちでそれを見つめており。
見慣れない男を、ぐっと睨みつける。
「だから来んなっつってんだろ! 迷惑なんだよコッチは!」
大分怒っているイーサンを一瞥し、溜息を吐く。
また変な輩が来てるのかと、咳を漏らしながらその横へ。
と、男の顔がこちらを向き。
レクシーの泣き声がうるさいだの何だのと、甲高い声で喚きだし、痛む頭を抑えながら、大きく舌打ちをかます。
「事情は知らないけど、これ以上喚くようなら警鳥隊に来てもらいますよ。こっちは戦闘のせいで大人しくしとかなきゃいけないのに……これで次の戦闘に支障がでたら、どうしてくれるんですか。私、勇者なんですけど。」
あとお前のせいで泣いてんだけどと付け加えると、矢庭に顔を青ざめ。
最後にイーサンが追い討ちをかけると、慌てて踵を返し、わたわたと去っていった。
乱暴に閉められる扉を見つめ、溜息を吐く。
と共に泣きやむレクシーを一瞥し、振り返ると、ノアに支えられて居間に戻るアヴァが。
何か嫌なことでもあったのだろうかと、同じく戻るイーサンとドングリーズに続いた。
未だにノアにくっつくアヴァに苦笑を漏らし、レクシーを揺りかごに戻して、少し遊んでやり。
笑みを取り戻したレクシーに笑いかけ、アヴァに向き直る。
溜息を吐くイーサンを一瞥し、何があったのか、その横にしゃがみこみ。
あまりアヴァを刺激しないように、耳元に囁く。
「何があったんだ……?」
すぐに顔を離し、口元を覆いながら咳を漏らす。
早く治ってほしいものだがと思いつつ、同じく耳元へ。
「あのストーカー野郎の時……避難先で出会したんだってよ……。まぁあれだ……お前の嫌いなやつだ……。向こうは偶々首都にいたらしくてな……わざわざ調べてアヴァさんに会いにきたんだとよ……。その避難先で色々とあって……抵抗した時に顔を引っかかれてな……。あったの、気づいてたか……?」
ふっと少し離れるイーサンを見、うんと肯く。
確かにあった。
何か避難先であったのだろうかと思っていたが、まさかそんな事情があるとは。
然もストーカー野郎の時に、アヴァのストーカーを……。
少し怖気が走るが、すぐに返す。
「いつもアヴァが出るから……それで、泣いた……?」
「ああ……。急に泣き声が聞こえてきてな……。慌てて追い払おうとしたんだが……訳の分かんねぇこと言い出すし……。」
「イーサンでも無理なら、私はもっと無理だな……。取り敢えず地位が使えて良かったが……アンタもノアもいない時はいないし……。」
「そんときゃアイザックでも呼べばいいだろ……。通信機持ってんだから……。」
「んー……。厄介なことになったな……。」
半分独り言のように、膝を立ててアヴァの方を見る。
相変わらずノアにくっつく背中に、眉間に皺を寄せた。
私はともかく、アヴァは一般人だ。
ある程度の防御はできても、経験も訓練もない人間が、対人で本気を出せるわけがない。
私とノアは根っから、イーサンは訓練。
然しアヴァは護身術と棒術だけ。
幾ら鍛えても、気が弱ければ負けてしまう。
然もすぐに泣いたということは、大分トラウマを抱いている。
何もない日に、イーサンもノアもいない時はある。
その時に来られては厄介だし、私が勇者だと言っても引き下がらない可能性も。
今回偶々そうなっただけ、という場合もある。
そうなるとますます厄介だ。
下手に手は出せないし、魔術も勿論使えない。
刃も向けてはいけない。
殴るのも蹴るのもダメ。
いや、向こうからくれば、ある程度の暴力はいい。
然しその暴力も、寝技などの拘束するようなものしか基本はダメ。
動きを封じるために殴りや蹴りを使ってもいいが、これもまた微妙なラインだしと、うんうんと眉間に皺を寄せて考えまくる。
「なるべく家にいる。それでいいだろ。」
ぽんと肩に置かれた手に少し咳を漏らし、まぁそうだなと、呟いた。

@@@

何とかアヴァも落ち着き、ダルい身体を引きずりながらも時間は過ぎてゆき。
体温計で計ってみても、魔術のせいで正確な体温は出てこない。
熱があるのかないのかも解らないまま、夜も老け。
また布団の上で眼を瞑る。
そして翌朝。
いつも通りに過ごす。
何もない。
ただ、あれこれと警戒しつつ。
刹那、黒電話の喧しい音が鳴り響く。
アヴァには何も出るなと告げているため、代わりに私が受話器をとり。
「もしもし。」
軽く咳を漏らしつつ、そう言うと、いつもお世話になっている病院の名前が告げられ。
『アイザック・グレイさんが緊急搬送され、只今隔離部屋にいます。エマさんの要望で来てくれと。』
何だと眼を丸くし、慌てて返事を返して、受話器を多少乱暴に置いた。
焦る気持ちを抑えつけながら、居間に向かって素早く告げる。
と、みな眼を丸くし。
早く行くぞと叫びつつ、あれこれと忙しく動きだした。

レクシーを左腕に、羽織りを翻し、病院への道のりを。
ドングリーズもついて行くと言いだし、渋々ながら、全員で行くことになった。
騒がしい街並みのなか、ただただ早足に。
時たまレクシーに一瞥をやって。
暫く無言で歩き続けていると、病院につき。
受付に告げると、すぐに案内され。
隔離病室がある廊下に差し掛かると、一つのベンチのうえに。
うなだれる金髪に、咳を漏らしつつ駆け寄る。
すっとしゃがみこむも、エマは顔を覆ったまま、小さくかぶりを振った。
「原因不明……死ぬのか生きるのかも解らないって……。」
震えた声に、ぐっと歯を食いしばる。
遅れてやってきたドングリーズは、エマの姿を見、慰めるように静かに集まった。
腰をあげ、少し離れる。
そして、エマと反対の壁に、硝子がはめ込まれた病室が。
魔術では対応仕切れないものは、全て異国の機械を取り入れている。
よく見る口元を覆うものだけでなく、様々な管が連なり。
まるで眠っているかのように眼を瞑るアイザックを見つめ。
また、軽く咳を漏らした。
ふっと肩にまわる腕に、右を見る。
何とも言えない横顔に、眼を伏せた。
馬車による簡易的な救急車はある。
恐らく、それで運ばれてきたのだろう。
ついこの間までピンピンしていたのにと、レクシーを一瞥する。
と、今までアイザックに無関心だったレクシーが、小さく声を漏らしながら、その手を伸ばし。
何かを訴えかけるかのように、その赤い瞳をこちらにやり。
何だと少し眉間に皺をよせた矢先。
「すみません! 生死の確認はとれました!」
そう叫びつつ駆け寄ってくるのは、狼狽した様子のスコット先生。
振り返り、息を切らしながら立ち止まるスコット先生を見つめる。
立ち上がるエマを一瞥し、続きを待った。
ややあって、腰に手を当てながら、神妙に。
「少なからず、死ぬ可能性はありません。然し、未だに原因は不明のまま……。」
はぁと溜息を吐くスコット先生に、取り敢えずは大丈夫なのかと、軽く息を吐く。
へなへなとまたベンチに座り込むエマ。
心配そうな面持ちのアヴァとノアを一瞥し、また病室の方に視線をやろうとした刹那。
「勇者に会わせてくれと言う人が!」
看護士の一人が、そう叫びながら駆けてくる。
勇者? 私に? と眉間に皺を寄せると、スコット先生が代わりに対応を見せる。
「一体どこの誰ですか?!」
と、看護士は立ち止まると、息を切らしつつ早口に。
「小さい女の子です! 会いたいとしか言ってくれなくて……。」
「小さい女の子……。親御さんは。」
「居ません。とにかく、勇者と会わせてと……。」
「っ……ルイーズさん、断ってもいいんですよ!」
ばっと振り返るスコット先生を一瞥し、女の子ぐらいなら大丈夫だと肯く。
恐らくファンか何かなのだろう。
死なないと解れば、ある程度の余裕はできる。
渋々ながら解ったというスコット先生に会釈を返し、イーサンにも一瞥をやり、駆けてきた看護士と共に足早に向かった。
少しおもだるいし、やっぱりイーサンも引っ張ってくれば良かったかと思いつつ、看護士の案内により、受付のところに座る一人の少女を見つけ。
お礼を言い、去ってゆく看護士を一瞥し、一歩その少女に近づく。
と、徐に少女の顔がこちらに向き。
「!」
脚がとまる。
息がとまる。
眼が見開く。
少女は、嗤う。
途端、何も考えずに踵を返し、しんどいのも忘れて、元の道を走ってゆく。
隔離病室に続く廊下は、殆ど人がいない。
木を打ち鳴らす自分の足音を小耳に、咳を漏らす。
ヤバい。
見ちゃいけないものを見た。
そう歯を食いしばる。
だが、徐々に身体が辛くなり。
重たい身体。
頭が痛く。
乱れる息と共に、咳が大きく。
思わず脚をとめ、壁にある手摺りに、右手をおく。
レクシーが、あぅと言う。
掠れる息を吐き出しながら、ゆっくりと顔をあげ。
大丈夫だと微笑みかける。
刹那、ぞわりと背筋が疼く。
ふっと眼を丸くし、咳さえもとまる。
「久しぶりだねぇ……小豆ちゃん……。」
嘘だ。
嘘だ嘘だ嘘だ。
眼が更に見開かれ、冷気が白い息になって。
手足が震える。
恐怖によって。
レクシーの手が、左の裾を、小さく掴む。
と同時に、イーサンの名を呼び。
枯れた声に、流石に咳も漏らして。
またうなだれる顔に、ぐっと手摺りを握り込む。
と、また更に背筋に。
「何もできないんだ……またあの日と同じように、あの銀髪を頼るんだ……でも何であの銀髪なんだ……? お前には他にも仲間がいるだろ……。」
うるさいと叫びたいが、咳にまみれて。
痛む程に、まだ冷笑に慣れていない時のように。
と、ふわりと空気が流れ。
「なっ……なんでお前が……。」
驚くような声に、背後から、嫌な笑い声が響いてくる。
「クククッ……久しぶりだな……。“狐に呼び戻してもらったよ……。”」
刹那、背中が押される。
だが、それは頼もしいものだとすぐに判断し、手摺りから右手を離すと共に脚を踏みだす。
笑い声が反響する。
人が少ないことが、やけに幻想的に見えて。
振り返りもせずに、咳を漏らしながら駆けてゆく。
すぐさま舌打ちが響き、自分の足音に、更に足音が重なり。
とにかく、走る。
そして、右の角を曲がり。
見えてくるスコット先生の背中に、アヴァとノア、ドングリーズ、エマを見つけ。
右手を口元にあて、咳と息を激しく。
と、それなりに近づいた時、スコット先生が気がつき。
白衣を翻して。
眼を丸くし。
更に、アヴァもノアも、エマさえも気がついて。
スコット先生に視線をやり、その横を通り過ぎ、ばっと振り返る。
と共に、ノアが煙に包まれ。
イーサンが大きく左足を出し、勢いよく振り返り。
咳と息が更に荒くなり、右手を胸の上にやりながら、その場に座り込み。
獣の咆哮も余所に、痛む気管支に、胸ぐらを掴み。
肩に走る感覚に、スコット先生の声。
震える手に、大きく肩を動かして。
怒鳴り声と共に、少女の奇声。
嫌な記憶が脳裏を過り。
スコット先生の叫び声と共に、看護士の声が連なり。
足音煩く。
何でだと、死にそうな程に辛いなか、木の木目を見つめる。
狐に呼び戻してもらった、だと?
まさか、そんな訳はあるまい。
お前は消えたはずだ。
然も狐はやった。
やったから、私はこうして風邪をひいて……。
でも、いる。
確かに、ここにいる。
男性の分厚い手が、半ば強引に、口と鼻を覆う。
顔をあげたまま、涙を滲ませて。
レクシーを庇うように抱えながら、気管が透き通るような感覚を覚えつつ。
あの武器が、あの切っ先が。
全力を出せないノアに向かって。
危ないと眉間に皺を寄せると同時に、イーサンが踵落としで軌道をずらして。
すぐさまノアが反撃して。
噛み千切られて、もう左腕もないのに。
奴は嗤う。
けたけたと。
何とも言えない恐怖に、更に眉間に皺を寄せて。
流石のスコット先生も、何も咎めずに。
何もかも喧しく。
遂には、エマまで参戦して。
壁が、床が血で汚れても。
誰も咎めず。
すっと、口元から手が離れ。
透き通った空気が、肺を支配する。
「取り敢えずは治めましたが、無理な動きはしないでくださいね。元々魔術の技で酷使していたので、今の状況だと、余計に危ないですから。」
緊張感のある声音に、お礼を言いながら、その女の子を見つめる。
あの姿と何ら変わらない。
あの笑みと何ら変わらない。
だが、魔術を宿し、明らかに強くなったイーサンに対しては、焦るような面持ちを浮かべて。
エマという新たな仲間も加わり、奴の狼狽した様子だけはあの日とは違う。
然し、どうして狐が。
というより、狐はまだ生きていたのか。
然も一番最初の災い、然も私がここに来る原因となった災いを呼び起こして。
何がしたいんだ。
また人間は自分たちを捨てたと、ただひたすらに怒り狂って、私のトラウマを呼び起こしたのか。
どうしてそんな事を。
さっさと樹に戻ればいいものを。
そう、ぐっと歯を食いしばった刹那、がくりと銀髪が揺れる。
その場に矢庭にとまり、顔をうなだれて。
どうして急にと眼を丸くする。
エマとノアのお陰で、切っ先がイーサンに向くことはないが。
スコット先生も、助けてくれた先生も、小さく呟く。
「様子がおかしい……。」
「何か持病があるとか……。」
と、スコット先生がこちらを向き。
「思い当たる節はありますか。」
ちらりと一瞥をやり、思い当たる節と復唱しつつ、その背中を見つめる。
右手だけを顔に当てて。
肩が大きく上下に。
あっと声を漏らし、またスコット先生に視線をやり。
「脳闘です! 何回か魔物のせいで苦しみましたが……恐らく、技を使ったあと休まなきゃいけないのに使ってしまったから……。」
と、大きく肯いたスコット先生が、イーサンに向かって声を荒げる。
「魔術は使わないで! 今寺院などに連絡を取っていますから、貴方は大人しくしといてください!」
辛いながらも振り返り、小さく肯く。
手摺りを伝いながらもこちらにやってくるイーサンを見つめ、眉間に皺を寄せる。
ストレスも与えてしまったし、然も今は休ませるべき魔術を無理に使った。
ふと脳裏に過る言葉に、ぐっと歯を食いしばる。
魔術の使いすぎで、右腕が無くなる、と。




第130話 大人たちの疾走



病室、硝子がはめ込まれている壁まで来ると、そのままずるずると座り込み。
苦しそうに息を切らすイーサンを一瞥し、大丈夫なのかと女の子の方を向く。
ノアもエマも余裕そうだが、威力のある神獣たちは皆大きく、小型や中型しか使えないため、なかなか全力投球できず。
エマも、心配の念があるせいか、時たま術の発動に失敗し、両手をぶらぶらとさせることも。
アヴァや看護士がドングリーズを庇っているため、飛び火はない。
だが、一向に良くならない戦況に、小さく舌打ちをかます。
狐のせいで魔術が使えなくなった私たちに、アイザックが原因不明のもので倒れて、エマが精神的に参って、然も私のトラウマを呼び起こして。
不幸が連なっているのか。
皮肉なことに、アヴァのストーカーが来た直後に、嘗てのストーカーがやってきた。
世界は崩壊し始めていると言うが、その運や奇跡さえも、狂い初めているような気がする。
刹那、廊下中に響き渡る叫び声。
ドスの効いたそれは、安堵感を与える。
「招かねざる者、その身を示せ! 我が仏道に背く外道め、不動明王の呵責に正されよ!」
女の子が声のした方を向き、エマもノアも、動きがとまる。
数珠を絡めた手を合わせ、静かに歩いてくるのは、ドウラ寺院の和尚さん。
私と一番近い位置にいる不動明王をまつった寺院の、和尚さん。
と、ぴたりと動きをとめ、瞑った眼をかっと見開く。
と同時、まるで和尚さんに纏わりつくかのように、不動明王の姿が一瞬波打ち。
「極楽浄土へ、その身を示せ。」
和尚さんの声と、不動明王の声が重なり。
刹那にして、女の子が、奴が苦しみだし。
首もとに残った右手をあてがい、顔を上に向けて。
あえぎながら、どさりと両膝をつき。
唖然として見つめていると、最後の最期に、こう叫んだ。
小豆の旦那はこの俺だ、と。
そして、事切れ。
ばたりと鈍い音を起てて、その場に倒れ伏した。
何が旦那はこの俺だだ。
こっちはもう、婚約も何もかもしてんだよ。
そう、静まる廊下のなか、その相手を見る。
未だにうなだれ、息を切らして。
これは酒呑童子から怒られるなと思いつつ、後は任せてくださいという和尚さんに一瞥をやった。
奴の側にしゃがみこみ、手を合わせる和尚さん。
と、その眼が上目遣いにこちらを見。
外れた。
何とも言えない一瞬の目線に、二人の先生にお礼を言いつつ、ふらふらと立ち上がり。
静かなお経を小耳に、イーサンの前にしゃがみこむ。
冷や汗をかき、大分辛そうに。
恐らく身体も熱いのだろう。
マフラーを乱暴に取ると、矢庭に右手を掴んでき。
少し眼を丸くするものの、揺れる銀髪を見つめる。
「冷やせ……。」
掠れた声に、ああと慌ててその右手を首筋へ。
今の私は常に全身が冷たい。
氷とほぼ同じ冷たさだ。
一番冷たいのは氷の皮膚だがと、その状態のまま、暫く。
と、何とかある程度動けるようになったのか、軽く手招きをしてき。
「首筋だけじゃ無理だ……。何でもいいから……。」
早くと辛そうに言うイーサンに、じゃあとマフラーをとり、脚のあいだに入り、後ろからのハグと同じ要領で。
前だとレクシーの分だけ冷やせない。
全身が冷たいはずだから、背中でもいける。
慌てて結んだ一つ結びの髪も右にやり、レクシーを右腕にかえ。
左腕を、後ろ手にその首筋へ。
普通の人間なら、この時点で冷たすぎると離れるはずだ。
だが、それでも熱さは変わらないのだろう。
両腕が腹辺りまで来る感覚に、視線を動かす。
取り敢えずいいと言われたエマは、ふらふらとベンチに戻り、ノアは子どもたちを慰め。
スコット先生と呼ばれてきた先生は何やら話し合い、一瞬忘れかけていたアイザックの方へと。
白い四辺に散らばる紅を一瞥し、お経を唱え続ける和尚さんと、あの日と変わらない奴を見つめ。
今のこの状況を見れば、奴は発狂するはずだ。
然もこの赤子がイーサンとの子だと言えば。
更に暴走しだすに違いない。
まだギリギリ気づかれなかったから良かったものの、気づかれていれば、もっと悲惨な事になっていたかも知れない。
そう思うと、運が良かった方としか思えない。
はぁと溜息を吐き、ダルい身体に、妙にあつい人肌を感じて。
今まで以上に、嫌な、重たい問題があるなと視線を奴から逸らした。
と、暫くその状態のまま時間はすぎ。
流石にもう大丈夫なのではと思い始めた矢先。
「ごめん……ありがとな……。」
幾分か楽になった声音に、身体を離して振り返る。
模様が微かに波打っているものの、苦しそうな色は見えない。
その面持ちに良かったと笑みを見せ、ゆっくりと立ち上がる。
相変わらず大人しいレクシーを一瞥し、同じく徐に立ち上がるイーサンを見つめ。
解いたマフラーを適当に巻き付けながら、硝子の奥へと視線を移す。
と、微かに瞼が動いた気がし。
えっと眼を丸くし、硝子に近づく。
どうしたと溜息混じりに言うイーサンに、振り返りもせずに見ていると。
徐に、瞼が動き。
その下から、いつもの黄色い瞳が。
慌てて振り返り、スコット先生に眼を覚ましたと叫ぶ。
と、案の定エマが反応を見せ。
スコット先生ともう一人の先生は、驚いた様子で奥へと駆けてゆき。
翻る白衣から視線を外し、右に来たエマの横顔を見。
「アイザック……。」
震える声に、レクシーを左腕に、右手をその金髪へ。
温もりなんてない。
死人よりも冷たい私の手でも、エマはぐっと下唇を噛み。
また硝子の向こうへ。
既に何人か先生がおり、意識がしっかりしているのかどうか、あれこれとやっているようで。
僅かに肯くところを見ると、脳に異常はないのか。
と、先生がこちらを指差し。
ふっとこちらに。
少し眼を丸くして、管が繋がった左手を、軽くあげる。
が、矢庭に咳を漏らし。
先生たちが怪訝な面持ちで。
静かに泣き始めるエマを一瞥し、音のない景色に、眉間に皺をよせる。

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「……奇病です。“神経系神獣化盲目症”という、神経が神獣と同じになり、最終的に身体も脳も全て何かしらの神獣になってしまう、珍しい奇病です。いや、難病、かな……。アイザックさんは盲目症という、先に眼が神獣化してしまうのですが、一番治療法が解っていない箇所なんですよ。ただ、神獣化を抑える特殊な布はあります。赤い布で、両目を覆うようにつけるのですが、風呂などでない限りはずっとつけておいて欲しいんです。ああ、特殊なものなので、普通に周りは見れますよ。なので、ある程度は大丈夫だと思うのですが……。どうやらもう一つ患っているようで……。ほら、ここ最近咳をよくしてたでしょう。あれです。肺の方にあるんですが、こっちはまだ判っていなくて……。まぁ、神獣化に比べたら大丈夫だとは思いますが。」
神妙な面持ちのスコット先生に、そんなと顔を覆うエマ。
神獣化。
そんな病があるのかと、歯を食いしばる。
「とにかく、ここから先は神獣化に詳しい方が担当医になります。まだ若い方ですが、鬼才レベルの医者ですよ。」
苦笑を見せるスコット先生にお礼を言い、看護士に促されるがまま、受付の方へ。
待っていたアヴァたちにも告げ、その横に腰かける。
珍しい奇病。
いや難病。
とにかく、厄介な事になったなと、軽く溜息を吐く。
時、ドウラ寺院の和尚さんが近づいてき。
おやと少し身を乗り出すと、手を合わせ、ややあって、和尚さんは神妙な面持ちで語り出した。
「只今、曇葉殿と銅香殿が狐退治に向かっておりまする。狐退治と言っても、魔術を樹に戻す……いや、封印と言った方が的を得ているか……。とかく、曇葉殿と銅香殿に後を任せ、回復に専念を。ああ、狐がこう何度も仕掛けてくるのは、魔術がネガティブな気持ちや感情をエネルギーの主としている……まぁ諸説紛々としていて真が見えぬのですが……。それらを吸い、莫大なエネルギーとし、人類を滅ぼそうとでも考えたのでしょう。だから怒りを、恐怖を生み出し、運良く悲しみも頂こうか知らんと……。」
なるほどとただ肯くことしかできず、また背もたれによたれかかった。
子どもたちも大人しく、周りの雑多な音が少し流れ。
ややあって、和尚さんが柔和な笑みを見せて。
「無論、雪女も酒呑童子もおりません。故に、何かあれば私のところへ。ああ、曇葉殿に言われて、暫くはグリッド寺院におりますから。私の名は丸禅と申します故、曇葉殿の門徒連中に言えば宜しいかと。」
そう言いおき、ではと一礼して去ってゆく和尚さん……丸禅さん。
今回ばかりはお坊さんたちに頼るしかない。
例え私たちで出来るとしても、今の状況では魔術どころか刀も振るえない。
アイザックの事もあるし、いい加減イーサンも休ませなきゃなと、溜息を吐いた。

暫く無気力に、事務的に事は進み。
取り敢えず一週間入院。
エマの希望もあり、仕事は休み。
もし何かが来た場合は、シロ、そして特別にノアの戦闘許可もおりた。
また、嘗てモンクとして活躍したワンダフルライフの店主も、いざとなれば出陣するという。
レオナルドさんも私とイーサンが回復するまでの間、魔物駆逐の仕事は休みになった。
今回ばかりはお坊さんたちに、大人たちに頼るしかない。
そう、病院に残るというエマに手を振り、家に戻った。
静かな時間のなか、レクシーを寝かせ、庭先に出る。
空を見上げると、どんよりとした雨雲が。
家のなかで干すかと、早足で洗濯物を取り入れる。
が、一つ足りないことに気がつき。
「まさか……。」
下着類を吊しているところに、あったはずのパンツが。
然もアヴァの。
嘘だろと少し咳を漏らす。
が、雨の匂いを感じ取り、そうこうしていられないと、アヴァに手伝ってもらいながら、洗濯物を全て家のなかへ。


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