ねこ吉のよしなしごと

どうでもいい事ばかり書いていますが・・・。

15回目の震災記念日です。

2010-01-17 21:36:34 | 思い出
あの日からもう15年も経ってしまったんだなぁ・・・。
写真は朝、ベランダの前で騒がしく鳴いていたヒヨドリ。

アンジェラ・アキの手紙~拝啓 十五の君への曲と共に関西電力のCMが流れている。

震災の年15歳だった娘は高校受験をひかえていた。
確か3学期が始まって、実力テストが済んで受験校を決める最後の三者面談の前に
地震が起きた。

その日から中学校も小学校も休校。何時始まるか判らなかった。
今まで通っていた塾も閉鎖されてしまい、ねこ吉は娘を何処で勉強させようかと悩んだ。

避難先の西宮の中学校に編入したけど、数日通った後

「もう、私はあの学校には行かない!」と娘は宣言して行かなくなってしまった。

ねこ吉の住んでいた地域よりはマシというだけで西宮も被災地だったし、編入してきた子の
面倒までみる余裕が無かったのだろう。

2月20日だったと思う。マンションの電気が復旧したので家族で戻ってきた。
中学校は被災者の避難所になって自分の教室には入れなくなっていたけど、
空いた教室で友達と自習しながらお喋りする方が気が落ち着くみたいだった。

併願する私学に願書を出しに行った帰り、梅田の三番街で娘とランチを食べた。

わが目を疑った。
ねこ吉の住んでいるところから梅田まで、阪急電車で25分ぐらい。
たったそれだけしか離れていないのに、ここは何事も無かったように賑やかで
いつもの大阪。
水もガスも電気も不自由じゃないんだ!
25分で天国と地獄。ショックを受けて瓦礫の街に帰ってきた。

受験の前日、何とかお風呂に入れてやろうと湯船に電気の棒を突っ込んで
お湯を沸かしたけど、水温が低いので大変だった。
カセットコンロでお湯を沸かしてポットに入れてお風呂場に持っていって、それで洗髪した。
一日がかりだった。

1995年3月20日合格発表の日。
まず、たぬ吉と娘が高校に向った。
高校までの交通があちこち遮断されているので、阪急電車、JR、バスと3つを乗りついで
約2時間かかった。

ねこ吉は息子を小学校に送り出してから出発することになっていた。
今のように携帯電話が我が家に無くて、公衆電話からかけてくることになっている
合否の電話をはらはらしながら待っていた。
そのときテレビのニュースで地下鉄サリン事件が起こったことを知った。
とんでもない恐ろしい事件だった。
それまでワイドショーでは震災関連のことばかり放送していたのに、その日を境に
一変してサリン事件を伝えるようになった。


学校の近くの公衆電話が混んでいて、随分並んでいたらしい。
無事合格したとの電話で、ねこ吉は嬉しかった。

4月、ねこ吉は憧れのセーラー服を着た娘と入学式に行った。
桜はまるで何事も無かったかのように、例年通り綺麗に咲いていた。


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