ねこ吉のよしなしごと

どうでもいい事ばかり書いていますが・・・。すっかり備忘録になってます。

ユニチカ記念館へ・・・。

2016-02-04 22:40:45 | 旅行 お出かけ
(ユニチカ記念館の正面玄関)

昨日は節分。


ここ数年、尼崎の大覚寺の節分会に出かけ、昆布だるまを納めて、新しい物を買っている。
昨日もたぬ吉と、10時頃家を出た。

昨日は、大覚寺の他に行きたい所があった。

大物にあるユニチカ記念館
朝ドラ「あさが来た」で玉木宏演じる新次郎のモデル、広岡信五郎が作った会社「尼崎紡績」は現在のユニチカ。
毎週水曜日に無料見学できるということをネットで知った。

尼崎駅ホームで降りて記念館に電話し、本日見学できるかどうかを確認し、尼崎駅から歩いて行けるかどうかを聞いた。

「大物駅で降りてください。」とのこと。普通電車で一駅乗った。
記念館までの地図をプリントしてきたけど、三叉路、五叉路、判りにくい道だった。
「地図が読めない。」と言われ散々馬鹿にされながら、たぬ吉について行った。



記念館の裏手。入り口はこちら側だ。やっと見つかった。

尼崎で最古の洋式建築らしい。

レトロな建物を見るのが好きなねこ吉は、洋館をあちこち見て歩いてる。
洋館建築としてはかなり簡素だな。まぁ、工場の本社事務所だったらしいからこんなもんかな・・・。



玄関右手にあったドア。開けてみたいな。
入り口で記帳したら、前の人は名古屋の人だった。びっくりポンやわ。

先週あたり、ドラマの中でも尼崎紡績の名前が出ていたせいか、見学者が次から次と入ってくる。
夫婦、女同士、カメラを持った男の人。皆ねこ吉と同年配か、もっと年がいっている。

大同生命の資料展を見に行ったときも、同年配の人が多く来ていた。

朝ドラの力恐るべし。



2階の資料室。何故か窓が全部開いている。
寒い!外にいるのと変わらんわ。



一番左が広岡信五郎初代社長。
玉木宏には似てないな・・・。



明治26年、当時の尼崎紡績は大阪電話交換局から特別に許可をもらって自社で大阪から尼崎の工場まで電柱を建て、電話線を引いたらしい。
そのことが、尼崎は兵庫県であるにもかかわらず、現在でも市外局番が大阪と同じ06になった要因と、もらった冊子に書いてあった。

ねこ吉は尼崎生まれの尼崎育ち。
市外局番が大阪と同じ06なのは不思議だと思ってた。
謎が解けたわ。

見学を終えて外に出たら、同年配の人が記念館に向かって歩いてくる。
当分毎週水曜日、多くの人が訪れるだろう。

帰りは、大覚寺のある寺町まで、地図を見ながら、たぬ吉に方向感覚を自慢されながら歩いた。

無事たどり着き、昆布だるまを納めた。

いつもの枡千で天ぷらを買って帰った。


追記

ユニチカといえば、1964年東京オリンピック、女子バレーボール「東洋の魔女」
ねこ吉もテレビの前で夢中で見てたなぁ。




河西昌枝さんの当時のユニフォームも展示してあった。



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