(1)安部俊幸さんがアマチュアバンド時代に同じコンサートで一緒になったアマチュア活動の財津和夫さん率いるバンドの演奏をホール最後部で聞いていて、リハーサルもなしにいきなり完璧に演奏し歌う財津和夫さんのバンドに驚いた。
財津和夫さんは、ビートルズの曲を演奏した安部俊幸さんに「ビートルズ、すいとっと。あんたたち、かっこよかね」と言った。
【解説】財津和夫さんたちがアマチュアバンドを始めた頃は若者音楽文化としてグループサウンド、フォークブームの時で、福岡では若者はファッションとしてギターケースを抱えて歩いていたといわれて社会現象であった。
財津さん、安部さん、姫野さん、上田さんはそれぞれのアマチュアバンで活動していて、福岡のコンテスト、コンサートでいつも顔を合わせていて互いに音楽技術を競い合っていた。
その中でも財津さんはアマチュアバンドでも一目おかれていて、福岡に財津ありと言われて安部俊幸さんが聞いたのは財津さんが率いるバンド・フォーシンガーズだったと思われるが、安部さんが自らの演奏後にホールの最後部で残ってまで財津さんバンドの演奏を聞いていての感想だ。
当時からリハーサルもなしにいきなり本番ですばらしい演奏をする財津和夫さんの音楽実力の高さを示すもので、その後財津さんは安部さん、姫野さん、上田さんをスカウトしてチューリップとして新時代を切り開いていく。
そのためバンド潰しの財津といわれたが、誰もが財津和夫さんと一度はバンドをやりたいという高い存在だったことがうかがえる。
(2)ステレオ録音が確立されていない時代に福岡の当時RKBラジオディレクターの岸川均さんがチューリップの楽曲の録音で二つの部屋の録音装置を結んで行ったり来たりしてステレオ録音をした時に、財津和夫さんが「僕たち実力がありますから、一発で決めます」と言った。
【解説】福岡RKBラジオディレクターの岸川均さんは、福岡で若者音楽番組を担当して有能な若者バンドに音楽発信の機会を与えていた。名古屋に当時東海ラジオディレクター塩瀬修身さんあり、福岡に岸川さんありといわれてともに財津和夫さん、チューリップと深い音楽的つながりを持ち、よき理解者でもあった。
財津和夫さん、チューリップの音楽的能力、技術の高さ、革新性を見出して、当時まだステレオ録音のシステムが確立していなかった時代に、二つの部屋の録音装置を結んで行ったり来たりしてステレオ録音に挑んだ時の失敗が許されない手の込んだ録音に「僕たち実力がありますから、一発で決めます」という財津和夫さんの自信を示した言葉だ。
財津和夫さんの作詞、作曲能力、チューリップの演奏能力の高さを認め、時代変える期待を込めた岸川さん、塩瀬さんの眼力である。
福岡の音楽文化は岸川から流れてくる。
(3)南こうせつさんが深夜ラジオディスクジョッキーをやっていた時に番組でチューリップの曲がかかり、やはり気になったのかその後チューリップのライブを聞きにいってレコ-ドとまったく同じ音の演奏、歌だったのを聞いて、このバンドの演奏技術は高いとわかった。
南こうせつさん、thank you , very much.
【解説】日本語を洋楽旋律に見事にのせた楽曲の財津和夫さん曲のチューリップの音楽にあたらしい日本のポピュラー音楽の時代の始まりを確信したフォークの南こうせつさんの感想だ。
時代はフォークから財津和夫さん、チューリップ、オフコース、ユーミンなどが先駆者となったニューミュージックに移行して、47年たった今も音楽の斬新性、高さ、能力は変わりがない。
‘財津とチューリップの頃’(Zaitsu and tulip in those days)、だ。
財津和夫さんは、ビートルズの曲を演奏した安部俊幸さんに「ビートルズ、すいとっと。あんたたち、かっこよかね」と言った。
【解説】財津和夫さんたちがアマチュアバンドを始めた頃は若者音楽文化としてグループサウンド、フォークブームの時で、福岡では若者はファッションとしてギターケースを抱えて歩いていたといわれて社会現象であった。
財津さん、安部さん、姫野さん、上田さんはそれぞれのアマチュアバンで活動していて、福岡のコンテスト、コンサートでいつも顔を合わせていて互いに音楽技術を競い合っていた。
その中でも財津さんはアマチュアバンドでも一目おかれていて、福岡に財津ありと言われて安部俊幸さんが聞いたのは財津さんが率いるバンド・フォーシンガーズだったと思われるが、安部さんが自らの演奏後にホールの最後部で残ってまで財津さんバンドの演奏を聞いていての感想だ。
当時からリハーサルもなしにいきなり本番ですばらしい演奏をする財津和夫さんの音楽実力の高さを示すもので、その後財津さんは安部さん、姫野さん、上田さんをスカウトしてチューリップとして新時代を切り開いていく。
そのためバンド潰しの財津といわれたが、誰もが財津和夫さんと一度はバンドをやりたいという高い存在だったことがうかがえる。
(2)ステレオ録音が確立されていない時代に福岡の当時RKBラジオディレクターの岸川均さんがチューリップの楽曲の録音で二つの部屋の録音装置を結んで行ったり来たりしてステレオ録音をした時に、財津和夫さんが「僕たち実力がありますから、一発で決めます」と言った。
【解説】福岡RKBラジオディレクターの岸川均さんは、福岡で若者音楽番組を担当して有能な若者バンドに音楽発信の機会を与えていた。名古屋に当時東海ラジオディレクター塩瀬修身さんあり、福岡に岸川さんありといわれてともに財津和夫さん、チューリップと深い音楽的つながりを持ち、よき理解者でもあった。
財津和夫さん、チューリップの音楽的能力、技術の高さ、革新性を見出して、当時まだステレオ録音のシステムが確立していなかった時代に、二つの部屋の録音装置を結んで行ったり来たりしてステレオ録音に挑んだ時の失敗が許されない手の込んだ録音に「僕たち実力がありますから、一発で決めます」という財津和夫さんの自信を示した言葉だ。
財津和夫さんの作詞、作曲能力、チューリップの演奏能力の高さを認め、時代変える期待を込めた岸川さん、塩瀬さんの眼力である。
福岡の音楽文化は岸川から流れてくる。
(3)南こうせつさんが深夜ラジオディスクジョッキーをやっていた時に番組でチューリップの曲がかかり、やはり気になったのかその後チューリップのライブを聞きにいってレコ-ドとまったく同じ音の演奏、歌だったのを聞いて、このバンドの演奏技術は高いとわかった。
南こうせつさん、thank you , very much.
【解説】日本語を洋楽旋律に見事にのせた楽曲の財津和夫さん曲のチューリップの音楽にあたらしい日本のポピュラー音楽の時代の始まりを確信したフォークの南こうせつさんの感想だ。
時代はフォークから財津和夫さん、チューリップ、オフコース、ユーミンなどが先駆者となったニューミュージックに移行して、47年たった今も音楽の斬新性、高さ、能力は変わりがない。
‘財津とチューリップの頃’(Zaitsu and tulip in those days)、だ。