いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
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自衛隊日報公表。 publication of daily reports of the self-defense forces

2018-04-17 19:53:49 | 日記
 (1)03年7月、当時の小泉政権下でのイラク復興支援特措法により04年から06年7月まで陸上自衛隊がイラク・サマワに派遣された。「非戦闘地域」に限定しての活動が条件で、当時「非戦闘地域」定義を求められた小泉首相は「自衛隊が活動するところが非戦闘地域だ」と逆説的(paradox)なロジック展開で煙に巻いていた。

 当時のニュース報道からも陸上自衛隊サマワ宿営地周辺に迫撃砲、ロケット弾が着弾するという緊迫した事態もうかがえた。

 (2)国連PKO活動で南スーダンに派遣された陸上自衛隊活動では派遣日報からは「戦闘」という文字が使われて、国会で野党からこれを追及されて当時の稲田防衛相は「法的な意味での戦闘ということではない」との説明答弁をして、国と国との戦闘行為ではないとの場違いな苦しい法律解釈論を展開して問題視しなかった。

安倍政権は現地の部族間戦闘行為が激化する中で派遣責任が問題となる中で、任務終了したとして南スーダンPKO派遣部隊の撤収を決めた。

 (3)陸上自衛隊のイラク派遣活動はニュース報道などで宿営地周辺の緊迫した事態、様子は伝えられていたが06年7月に任務が終了して、その後特に国会で問題となっていたわけでもなかったが南スーダン日報にからんでか昨年に野党が防衛省に資料請求(報道)をしたところ「不存在」(同)と回答されて、国会でも当時の稲田防衛相が調査したが確認できなかったと答弁していた。

 ところが事態は今年になって当初1月に自衛隊内で日報存在が確認されて、これが3月31日に後任の小野寺防衛相に報告されて2か月余り遅れの公表となった。
 さらにすぐ翌日には実は1年前にすでに同日報の存在は確認されていたことが発覚して1年以上も自衛隊内で公表されずに放置されていたことがわかった。

 (4)近年の防衛省内の制服組の立場、地位の向上によるシビリアン・コントロール低下が現実のものとなって顕在化していた。昨年2月に「不存在」とされたイラク日報は最近次々と各部隊で発見されて435日分、1万5千ページ(報道)が公開された。

 「戦闘が拡大」(日報報道)との記述もあり、ここでも防衛省は「(国または国に準ずるものによる組織的な武力攻撃という)法的な意味での戦闘行為になるようなものではない」(同)と説明している。

 (5)昨年南スーダン日報問題で「戦闘」が使われたことに敏感(sensitive)に反応しての防衛省のイラク日報「不存在」回答だったのだろうが、発覚後の法的に問題はない戦闘発言を聞く限りでは(それが適切ということではないが)、日報存在を否定するような問題とは思えなかった。

 当時の稲田防衛相が防衛省内で調査が継続されている中で、国会で日報は確認できなかったと説明答弁したことが判明(報道)しており、稲田防衛相が安倍首相、政府の自衛隊による集団的自衛権行使の推進に支障が出ることを考慮しての独自の判断だったことが考えられる。

 (6)稲田防衛相は安倍首相の保守強行思想、理念に近く、当時取りたてられていただけに、思想、思惑を支持、擁護したと受け止められる自滅行為だった。

 

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