妙齢乙女の純情つれづれ

妙齢って本当は若いお嬢さん。身も心も乙女☆で純情一直線な…でも微妙なお年頃のアタクシが“恋愛・結婚”について思うコト。

疑似恋愛

2015-03-16 00:52:23 | 日記
手相を見てもらった。
なぁに、本格的なものではない。
販促イベントの一環として、の気軽なものだ。
私としては芳しい鑑定内容ではなかった。
が。
当たっていることは当たっているように思えた。
自分で自分を鼓舞して…疑似恋愛のようになっている、と。
確かに、その通りだ。
こんなにも恋愛に憧れているのに。
ちっとも恋愛できそうになくて。
私は疑似恋愛をビタミン剤にしている。
でも、それがそんなに悪いこととも思えない。
でも、褒められたことでもないのは承知している。

今週末は、デートの梯子。
悪いことなんてしていない。
だって、誰とも付き合っているわけじゃあない。
でも、おかげで、婚活には多少なりとも良く作用してくれている…気がする。
いいもん、今日、うまくいかなくたって後で抱き締めてくれる人いるもん、ていう余裕。
仮初めの関係にせよ。
思い詰めずに済む気がする。

疑似恋愛、万歳。
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ひいなに思う

2015-03-03 19:31:15 | 日記
ああ、忙殺されているうちに、今年もあっという間に3月。
今日は女の子のお祭り、雛祭り。
で?

甘酒、飲む日じゃあない。
人形を飾るための日ではない。
その側面もあるけれど、女の子の無事の成長を祝い願う日。
そして、その無事の成長、とは嫁入りを示すと言うのか。
ならば、私は無事ではない(笑)。。

幼い頃、私は雛人形が大好きだった。
すべて飾ると、部屋の半分は占めようか、という豪勢な雛人形は私の憧れの世界。
大人になるまで。
いや、なっても、だ。
いまだに私の理想の王子様の顔立ちは雛人形の男雛のお顔。
私は十二単をいまだに羽織り、澄ました顔で扇を振りたい。
私の憧れ、そのもの。
数年前も買おうとしたっけ。
惚れ込んだ雛人形。

雛人形を愛でていた幼い頃。
まさか、私がこんなに縁遠いとは思わなかった(笑)…
家族の誰もが、だろう。。
相応の年になったら、然るべき人と出会い、御内裏様とお雛様、よろしく金屏風の前に立つと信じて疑っていなかった。
みんなに愛されて、不安なんて何一つも、悩みなんて何一つもなかった日々。
ナイフの刃と手首を交互に眺めるような大人になるなんて、思ってもいなかった。
辛いなー、成長って。
まあ、みんながみんなではないだろう。
私のように幸せに縁遠い人は、かな。
でも。
じゃあ、幸せって何なのか?
私の中で、一つ結論がある。
自分にないもの、を幸せと感じるのじゃないか。
その実、幸せは、きっとイマなのだ。
メーテルリンクの青い鳥のように。
家にいる鳥が幸せの青い鳥。
だけれども。
自分にないもの、足りないものを、もっともっと補いたくて、人間が人間としてある。
経済活動しかり。
生殖行動しかり。
自分と違うから他者を求め、よりよい生活のために経済活動を行う。
それが人間。
その探求力が弱い人もいるけれど、それはもっと身近に、頭の中に青い鳥がすでに住まう幸せな人。
疑問も欠乏も感じずにいられる、という稀有な才能。
今の私には羨ましくさえある。
だが、残念なことに私は欠乏を感知してしまった。
だから、辛い。
私は傍からみたら幸いなことに幸せとうつるだろう。
五体満足で、確かに幸せだ。
だけれども、私は幸せを感じずにいる。
きっと、結婚したら、今度は独り身の幸せを羨ましく思うのだろう。
なぜなら自分に欠乏しているものだから。
とにかく、この欠乏感を退治しないことには先に進めない。
女の子の幸せが結婚だなんて思わない。
ただ、なくて苦しいものを私にください。
そうすれば、私は幸せかどうかはさておき、無事でいられると思うから…

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