妙齢乙女の純情つれづれ

妙齢って本当は若いお嬢さん。身も心も乙女☆で純情一直線な…でも微妙なお年頃のアタクシが“恋愛・結婚”について思うコト。

幸せとは。

2018-07-30 11:54:06 | 日記
幸せ、だと思うのです。

彼と会えた後の余韻は私を幸福の絶頂に連れて行ってくれる。
ただし、彼から冷水を浴びせられるような発言がなければ、だ。

最近、彼と会うと…冷水を浴びせられるような発言はほぼなく、彼の愛を感じることが心なしか増えた気がする。

彼が私に会いたい、と思ってくれている気持ちが真実で。

私ほどじゃあないにせよ、彼が私と離れ難い気持ちでいることも本当だと、僅かながら信じられるのだ。

だから、最近、彼と会えた後の数日は、とても心安らかに、彼の余韻に浸れる至福の時。
幸せだけれど、心を乱され、切なさに身を捩っていた日々とは、だいぶ違う感情。

そうかといって、彼との未来が拓けているわけでもなく、彼との逢瀬を思う存分楽しめているわけではまったくない。
だから、至福の時はそう長くは続かないのであるが。。。

数日もすると、また欠乏感でいっぱいになるのだから。
でも。
それこそが奇跡なのだ。
私が、誰かに会いたくて、一緒にいたくて、心臓が押し潰されそうになるほど切なくなる、なんてことが起こるとは。


私は、幸せなのです。
たとえ、この瞬間に私の人生が終わることがあるとしても。
心から愛した人に巡り会えたことは、人生の奇跡であり勲章だと思うのです。
その人と、まがりなりにも愛を交わせたことは、私の生きる意味に匹敵することです。
生きてきて良かった、と。
自分の生に感謝ができたのです。
そして、いまなお、生きる喜びを感じるのは、この奇跡あればこそ。

自分の生を肯定できることは、本当に素晴らしく、有り難いことだと、思うのです。
そして、そんなことを感じるほどの愛を抱かせてくれた彼に感謝しか、ないのです。

彼は、特別なことをしてくれたわけではありません。
もてなしてもらった覚えもない。
だけれども。
彼が、ありのままの彼でいてくれて、そのありのままを私にさらけ出してくれて、私を求めてくれることに、私は喜びを感じているのです。
多分、それが、彼にとっての特別だから。
そして、それを喜びに感じる私は、多分おかしいくらいに彼のことが好きなのです。
だから、私はとても幸せなのです。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿