妙齢乙女の純情つれづれ

妙齢って本当は若いお嬢さん。身も心も乙女☆で純情一直線な…でも微妙なお年頃のアタクシが“恋愛・結婚”について思うコト。

補足。

2018-08-05 14:20:30 | 日記
趣味は、いつでもやめる自由が私にあることを。
胸に刻んで置くこと。

仕事は、そうそう簡単にはやめられない。
生活の糧であり、責任もタイミングも伴う。

でも、趣味は違う。
今日にだって、やめるのは自由だ。
だけれども。
仕事と違って、生命の糧になっているうちは、やめてはいけない。
私の根幹が揺らいでしまう。

また、私が趣味をやめたからとて、世の中は困ることなどなにもないと思うべきだ。
私がやめたから、さぞ困るだろう、などという稚拙な感情も捨てよ。

私が、私の生命の根幹にも値する多くの愛を注いで、そして、注ぐに値しないと悟った時。
その時は、その趣味からさっさと撤退すればいい。
愛を受けていることに気づけない、もしくは、価値を見出ださないのであれば、それは今後も多大なる情熱とコストを注ぐに値しない趣味なのだから。
自分の気持ちをみつめて、大事にすること。
心の声を聞き漏らさないこと。
私が心地好いうちは、たとえ愚かでも続ける。
私が価値を見出ださなくなった時は躊躇せずに撤退すること。
情に駈られてはいけない。
それさえ、守れれば趣味は楽しい。
趣味は持つべきだ。

たったこれだけのコストで、まるで天国にいるような幸せも、生きている喜びも感じることができるのだから。

恋愛を、経験してみてわかったことがある。
恋愛は、決して楽しいだけのものじゃない。
きっと、不安のない恋愛はそれだけトキメキが少ないと思うから。
このアップダウンこそが恋愛だとするならば、恋愛は楽しいだけのものじゃない。
上がり続けるだけのジェットコースターが成立しないのと、同じだ。
下がるからこそ、上がり、上がっては落ちる。
そして、コースを終えて、もう嫌だ、となるか。
また乗りたい、と思うかだ。
でも、恋愛からのみ得られる喜び、というのも捨てがたい魅力で。
それは魔法のように、当たり前の日常、光景を甘美に輝かせる。
いつも通る道のアスファルトさえ輝いて見えるような、そんな気持ちの高揚は恋愛からしか得られないと思うのだ。
それは多分切なさの度合いに比例するのではないか、と私は思っている。
恋愛が楽しければ楽しいほど、切なさの量も増える。
離れがたい思いや、報われない思いが、恋愛を盛り上がらせる。
まあ、楽しいだけの恋愛をしたことがないから、なのかもしれないけれど。
楽しいだけの恋愛ってないんじゃないかな、って私は思う。
一挙手一投足が気にならないのは恋愛ではないと思うし、一挙手一投足が気になれば不安や猜疑心と隣り合わせになると思うから。
たとえ杞憂にしても、なにかしらの負の感情が湧いてくるのが恋愛なのじゃないかと思う。
その意味で、恋愛と結婚は別、だの、一番好きな人とは結婚しない方が幸せ、というのは理解できる。
冷静に、尽くしてもらえるもの。
でも、それと恋愛の醍醐味はイコールではない。

決して、恋愛は、楽しいだけのものじゃあないけれど、私は恋愛を経験できて幸せです。
無事に、愛という趣味にまで昇華させつつあると思います。
でも、愛はまだ、永遠のものではない。
ライフワークにしたいと思うかどうかは私とあなたと、ご縁次第。

それを忘れずにいなければいけない。
…という補足の覚書。

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