妙齢乙女の純情つれづれ

妙齢って本当は若いお嬢さん。身も心も乙女☆で純情一直線な…でも微妙なお年頃のアタクシが“恋愛・結婚”について思うコト。

罪作り

2018-10-13 22:48:13 | 日記
期待しちゃいけない。
そうわかっているのに。
こうして、会えないと、落ち込む。
切なくて、哀しくなる。
それは、期待している、せいだ。
会えるかもしれない、という期待。
彼が会いたいと思ってくれているだろう、という期待。
彼が会いたい、と思うくらいに好いてくれているだろう、という期待。
勝手に、期待して、全部裏切られた気になって。
彼は私のことなんて、好きじゃないのね。
彼は私に会いたくないのね。
だから、会えないのね。
と、うちひしがれる。
すべて、期待が悪さしているの。

あながち、この分析は間違ってはいやしないだろう。
私が彼を想うように、彼が私のことを想ってくれていれば。
きっと、こんなことになりはしないだろうから。
私は彼に会えないと辛いけれど、彼は辛くない。
そういうことだ。
まあ、男女差もあるし、個人差もある。
彼の都合もあるだろう。
ただ、たとえ火の中、水の中、じゃあないということ。
そして、そうじゃなければ、私と彼は難しいということ。
これは紛れもない事実だ。
そこまで含めて、まるっ、と悲しい。
まるっ、と切ない。

こんなに好きなのに、な。
でも、これは自分勝手な感情。
彼は私にこんなに恋心を与えてくれたけれど、私は彼に同じだけの恋心を与えてあげられなかったことが、哀しく、残念だ。
私は何をどうすれば、彼にそれを与えられたのだろう。
私が私である限り、それは難しいことだったのではないか。

仕方がないから、私は彼に愛を与えるの。
ありったけの愛を。
もう、恋心は食べ尽くして酸っぱすぎて胃もたれしてしまった。
だから、私は愛を育て、育てては彼に与える。
それは、ひどく痛みを伴うこともある。
こうして、彼に会えない時。
彼が誰かと共にいるであろう時。
その時すらも、彼を想って喜ぶこと。
彼が私よりも一緒にいて楽しい人と、楽しい時を過ごせていて幸せなら、私も幸せだ。
心で涙を流しながら、穏やかに微笑んで過ごすことは、なかなかに、辛い。
でも、もう、そんなことしかしてあげられないからさ。
私が、あげられるものは、もうそれ以上のものは、ない。
彼が、私の子供だったら良かったのに。
そうしたら、きっと、こんなに痛みを伴わずに、私はもっと、もっと、彼を公明正大に愛せただろうに。

でも、それも期待の裏返しだ。
私は、彼と出会った時に、そんな期待は抱ける筈もない、と頭で理解できていたはずなのに。
ついつい、期待が、どんどんエスカレートしていってしまったのだろう。
だから、恋までしてしまった。
恋が、こんなに酸っぱく、苦しくて辛くて、でも蕩けるほど甘く、夢のように幸せで楽しいものだと知れたのは、本当に彼のおかげ。
結論、恋はどういう味かはわからない。
レインボー色に、姿形風味も変幻自在だからだ。
嬉しいだけのものじゃない。
でも、して良かった。
また、したいか、と問われれば、一瞬悩んでyesと答えるだろう。

でも、本当は、もう恋はしたくない。
彼を愛しているから。
彼と愛し合って、死んでいけたらいいのに。
ほら、それが、悪さをする期待というやつだ。
彼と愛し合って、死んでいく…これは、この離婚花盛りのご時世に結婚以上の要求度だ(笑)。。。
期待というやつは、罪作りなやつだなー。



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