社長ノート

社長が見たこと、聞いたこと、考えたこと、読んだこと、

産経抄 産経新聞

2014-12-28 07:30:23 | 日記
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 年の瀬の季語である「煤(すす)払い」は、平安期にはすでにあった風習とされる。江戸時代は12月13日がその日とされ、江戸の城内も町中も総出で、はたきとほうきを持った。大掃除が落着すれば、家の誰かをつかまえて胴上げする習慣まであったという。
 察するに灰神楽が立つような一日だったろう。『江戸川柳飲食事典』(渡辺信一郎著、東京堂出版)によると、胴上げの後は鯨(くじら)汁に舌鼓を打ったというから文字通りの「打ち上げ」である。〈江戸中で五六匹喰(く)ふ十三日〉の句が年中行事としての重みを今に伝える。
 清潔な場所を好む年神様にとって、しめ飾りは「清掃済み」の証文となる。きのうも小欄で触れたが、慰安婦報道で日本をおとしめた朝日新聞と、STAP細胞問題に揺れた理化学研究所が駆け込みで会見したのも年神様にいい顔をするための「煤払い」だったか。
 ゆく年に置き去りにしたい重荷や過ちは誰にでもある。ただし、朝日の会見は折に触れ自己保身の色がにじんだ。頭を下げるしかない場面で、「重く受け止める」の常套(じょうとう)句で逃げ切ろうとした。煤を払うどころか、わざわざ煤を吸い込むとは。世話が焼ける会社だ。
 ゆく年に流してしまえない、悲しみと怒りもある。9月下旬に噴火した御嶽山(おんたけさん)の山頂付近では、取り残された登山客が雪解けを待っている。北朝鮮による拉致問題はまたもや年を越す。紙面を通して関係者の苦悩を伝えてきた報道の側が、先に煤払いとはいくまい。
 歳末の季語には「煤逃げ」もある。大掃除に及び腰の旦那衆が、屋外に避難するさまをいう。〈煤逃げをするにネクタイ締めにけり〉森田公司。よくある年の瀬の情景を、奪われてしまった人々がいる。せめて年神様の加護を、と切に願おう。

春秋 日本経済新聞

2014-12-28 07:27:52 | 日記
 NHK紅白歌合戦の第1回は1951年に開かれた。ホームページなどではそう解説している。しかし実はその6年前、終戦を迎えたその年の大みそかに、「第0回」にあたる生放送番組があったのだという。題名は「紅白音楽試合」。もちろんテレビなどない時代だ。
 社会学者の太田省一さんが昨年出版した「紅白歌合戦と日本人」で経緯を解説している。2人の若手局員が新しい時代にふさわしい音楽番組を考えろと命じられた。1人は素人のど自慢を企画し、今も続く。もう1人はプロ歌手の男女対抗歌合戦を思いついたが、GHQ(連合国軍総司令部)に企画書を却下されてしまう。
 合戦(battle)は軍国主義的だから、という理由だったそうだ。題を「試合」に変えようやく実現にこぎ着けた。優勝旗や選手宣誓など、からっとしたスポーツ番組のような演出は「歌合戦」時代も目立つ。そこには時代の希望があった。男女対等の戦いも米国式民主主義を伝える役割を果たしたと太田さんはみる。
 ヒット曲が減り、紅白の視聴率もかつてほどではない。作詞家のなかにし礼さんは近著で、戦争中のように全国民が知る歌などというものがある方がおかしく、今の方が健全だと説く。ただし「同時にそれは作品に力がないことも示す」とも。今年の紅白はテーマに全員参加で歌おうと掲げた。今の時代の希望を描けるか。