ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

クレー射撃ワールドカップ・ファイナルがミンスクで開催  その11

2008-10-06 | ベラルーシ生活
 しかも普通に銃を構えるのではなく、このように背中のほうに構えて撃っても、ちゃんとクレーに当たるんです! (さすがに一度に撃つクレーの数は2枚まででしたが。)
 他にも頭の上で銃を持って撃ったり、ピストルみたいに片手で撃ったり、銃身の先に木炭(しかも2個)を載せて、それを銃を振って空中に飛ばした後、2連発で命中させて黒煙を上げたりしていました。
 (木炭って撃つと黒い煙みたいに細かくなってしまうんですね。)

クレー射撃ワールドカップ・ファイナルがミンスクで開催  その10

2008-10-06 | ベラルーシ生活
 しかしなかなか10枚全部には命中しない・・・
 でも3回目のチャレンジでついに10連発で見事命中。
 すごい!
(画像では最後の1枚にまだ命中していませんが、その後地面に落ちるまでに全てのクレーを的中させました。)

 それにしてもこの人、毎日こんなことばかり練習しているのか・・・
 S夫に「こんなことできる? 私なんか1発も当たらないよ。」と言ったら
「今までやったことないよ。自分も練習してみようかな? もしかするとできるかも。」
と言っていました。(^^;)

クレー射撃ワールドカップ・ファイナルがミンスクで開催  その9

2008-10-03 | ベラルーシ生活
 閉会式にも行ってきました。閉会式ではイタリア人による射撃ショーなるものを見ることができました。
 レナート・ラメロというこの方、ショーとしてのクレー射撃をしています。
 私は生まれて初めて見ました。世の中にはこんなショーがあるのね。

 例えばクレーを一度に何枚も放り投げて、地面に落ちるまでに全部撃ってしまう、という妙技を見せていました。
 これはクレー10枚を一度に放り投げたところです。
 本当に全部的中するのかな?

クレー射撃ワールドカップ・ファイナルがミンスクで開催  その8

2008-10-03 | ベラルーシ生活
 開会式の立食パーティーでのフルーツのコーナーがとてもきれいな盛り付け(しかもすごい量)だったので、記念に写真を撮りました。
 フルーツポンチがとってもおいしかったです。(^^)
 その後、遅れてやってきたS夫もちゃんとお食事いただけました。

クレー射撃ワールドカップ・ファイナルがミンスクで開催  その7

2008-10-03 | ベラルーシ生活
 開会式の最後に立食パーティーがスポーティング・クラブ内のレストランで催されました。
 超豪華メニューをご覧ください。
 ちょうどこのときロシアの選手の銃を修理するため、S夫が修理工房に行ってしまい、車で会場に来ていた私とY子は終わるまで待たされることに・・・
 するとゲラシチェンコ選手(クラブのオーナー)が
「待っている間、立食パーティーへどうぞ。」
と言ってくれたので、ラッキー!!! 
 参加選手でもないのに、おいしいお料理をたくさんいただきました! ああ、幸せ・・・(^^;)

 手前に写っているのはカワカマスの中身を皮だけ残してくりぬいて、すり身にして味付けしたものを元通り皮に詰めて魚の形に戻してから蒸して輪切りにした料理です。

 それにしても、すごい豪華メニューで、ベラルーシのレストランだからって馬鹿にはできませんですよ。
 私としては
「ポッキーみたいなのがカマスに挿してあるけど・・・あれは何?」
と気になったのですが、ウエートレスさん(全員英語ぺらぺら。でも私にはロシア語で話して・・・)に尋ねたら、
「飾りで食べられません。」
というお答えでした。(^^;)

クレー射撃ワールドカップ・ファイナルがミンスクで開催  その6

2008-10-03 | ベラルーシ生活
 男子トラップ競技で優勝した選手の表彰式です。
 すごく大きいガラス製の文字通り「ワールドカップ」が授与されました。

 後で(いろいろ事情があり)スウェーデンの選手の優勝杯を運ぶのを手伝いました。落としたらえらいこっちゃ、と思いながら運びましたよ。それを見ていたアメリカ人の選手に笑われた・・・(笑わなくてもええやん。それにしても、みんな、私のこと「何者?」「どこの国の人?」と思って見てただろうなあ・・・)
 この選手は試合直前に眼鏡が壊れて、S夫が修理しました。銃だけじゃなく、こんなものまで直してるんだね・・・。

クレー射撃ワールドカップ・ファイナルがミンスクで開催  その5

2008-10-03 | ベラルーシ生活
 試合第1日目の競技である男子トラップ決勝の後、スポーティング・クラブ内にあるレストランのテラスで、開会式が行われました。
 たぶん一番おもしろかったのは、参加国18カ国の国旗とスポーティング・クラブのシンボルマークの旗を両腕につけたダンサーの皆さん。
 スポーティング・クラブのシンボルマークの旗をつけたダンサーが、どこの国旗よりも目立っていました。(^^;) この画像では真ん中に写っている人です。
 (ダンス自体は大したことなかった・・・うちの子のほうがよっぽど難しいことができるわ・・・と思った。Y子本人は客席真ん前のど真ん中で食い入るように見ていましたが・・・。)
 

クレー射撃ワールドカップ・ファイナルがミンスクで開催  その4

2008-10-02 | ベラルーシ生活
 選手の足元にあるネットは発射後の弾の空ケースを入れる(捨てる)かごです。
 (やっぱり、射撃の画像を撮影するのは難しい・・・)

 私が見学したのは、男子トラップ競技決勝で、ロシアの選手が2名、イタリア、ハンガリー、中国、スウェーデンの選手が出場していました。
 結果はスウェーデンの選手が1位、中国2位、ロシア3位でした。

 北京オリンピックのメダリストがほぼ全員来ていましたよ!

クレー射撃ワールドカップ・ファイナルがミンスクで開催  その3

2008-10-02 | ベラルーシ生活
 テレビ局などマスコミも大勢やってきました。
 私も一生懸命、写真を撮ったのですが、射撃の画像を撮影するのは難しかったです。
 クレーは普通目立つように蛍光オレンジ色に着色されています。
 内部に着色粉が詰められ、命中すると粉が広がって煙みたいに見えるパウダークレーを使用していましたが、後で画像を確認すると、その煙ばかりが何とか写っていました。

 その後、テレビでスポーツニュースを見ていると、アナウンサーが冒頭で
「ドバイの王子は(出場権がなく)この大会に参加しませんでした。」
と言ったので、S夫と失笑してしまいました。(^^;)
 もっと他に報道することないのかねえ・・・
 それよりベラルーシの選手のことを報道してほしい・・・。

クレー射撃ワールドカップ・ファイナルがミンスクで開催  その2

2008-10-02 | ベラルーシ生活
 これは男子ダブルトラップ競技の様子です。
 射撃の試合は見ていると、ドキドキしますね。
 でも同点の選手が2人(以上)になって、「2位決定戦」とか「4位決定戦」になって、2名の選手だけが射撃をするというのは、もっと緊張します。一騎打ちみたいで、見ている分にはこっちのほうがおもしろいかも。 

 クレー射撃にはトラップ、スキート、ランニング・ターゲット、ダブルトラップといういろんな種類があるのですが、
「トラップって何だ? 詳しく知りたい。」
という方はこちらのサイトを参考にしてください。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC%E5%B0%84%E6%92%83


 この大会には日本人選手は参加しませんでした。ワールドカップのファイナル大会なので、出場権のある選手だけが参加できるのです。
 いつか日本人選手がベラルーシでの国際試合に来てほしいですね。

 

クレー射撃ワールドカップ・ファイナルがミンスクで開催  その1

2008-10-02 | ベラルーシ生活
 2008年9月25日から10月1日まで、ミンスクでクレー射撃ワールドカップ・ファイナル大会が開催されました。
 クレー射撃の国際大会が行われたのは、ベラルーシではもちろん初めて、いや、旧ソ連でも初めてなんだそうです!
 開催場所はミンスク市郊外にあるクレー射撃場「スポーティング・クラブ」(このクラブについては後ほど詳しーくレポートします。お楽しみに!)
 
 S夫は今年、スポーティング・クラブに転職し、現在はクレー射撃選手のために銃の整備や修理の仕事をしています。
 そしてこのスポーティング・クラブこそ、あのドバイの王子が練習していた射撃場なのです。(この王子についてはこちらの記事をご覧ください。この記事中に出てくる「スポーツクラブ」というのが「スポーティング・クラブ」のことなのです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/a3109c4e99dfe3bca0ffacdc48cc1aec


 スポーティング・クラブのHPはこちら。(ロシア語・英語) 

http://www.klub.by/


 日本語でのスポーティング・クラブの紹介が読みたい方は、このブログ内記事をごらんください。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/8bb62e023a5761ccaa2fb95c950a586c


 国際射撃スポーツ連盟の公式サイト内でもクレー射撃ワールドカップ・ファイナル大会の画像や動画が見られます。 

http://www.issf-shooting.org/default.aspx?mode=issf-tv&menu=16&mod=&pane=0&inst=0


 クレー射撃でこんな立派な国際試合がベラルーシでも開催されるようになったんですねえ。すごいことですよ、これは。

 クレー射撃をするのは、銃や消耗品である弾や特別な技術が必要な設備を持つ射撃場の使用料金などなどを考えれば、どうしても「お金持ちがするスポーツ」というイメージです。
 日本では麻生総理がモントリオール五輪に日本代表で出場した時代に比べれば、クレー射撃への入門の敷居も低くなったと思います。でもやっぱり、お金がかかるスポーツですよね。
 今ですらこんな記事をブログで投稿する私も、日本にいた頃は
「クレー射撃? すごく難しそう。こんな競技、どこで練習しているんだろう?」ぐらいにしか思っていませんでした。つまり、とても遠い世界のように感じていました。

 日本でもこうなのですから、当然ベラルーシでも「お金がかかる」という理由で競技人口は非常に少なかったのですが、最近はその数が増えてきました。
 ベラルーシも格差社会で、貧富の差が広がってきて、金持ちはますます金持ちになってきています。
 そういう富裕層からクレー射撃を趣味として始める人が出てきました。もともと森と湖の国ベラルーシは狩猟がさかんなところです。エアピストルやライフル射撃でオリンピックのベラルーシ人メダリストは意外とたくさんいるのですが、クレー射撃で国際的な水準に達している選手と呼べるような人は、今のところごく少数です。

、今年の北京五輪では初めて、しかしたった一人のベラルーシの代表選手が出場しました。それがアンドレイ・ゲラシチェンコ選手です。(競技種目はスキート)
 ゲラシチェンコ選手は初出場で34位という結果に終わりましたが、ロンドン五輪を目指してほしいですね。 
 そのゲラシチェンコ選手がスポーティング・クラブのオーナーを務めています。
 ゲラシチェンコ選手についてはこちらの北京オリンピック公式サイトをご覧ください。

http://results.beijing2008.cn/WRM/ENG/BIO/Athlete/3/217483.shtml

 
 今回のワールドカップファイナル大会には18カ国が参加しました。ベラルーシの選手はゲラシチェンコ選手一人だけなのに、ベラルーシが開催国になるとは・・・
 それだけ(ベラルーシとは言え)会場になったスポーティング・クラブのレベルが高いからだと思います。
 それについては、これから少しずつご紹介しますが、まずは私が見学できた(勉強になりましたよ。)試合の様子などをご覧ください。


チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第80回」

2008-10-01 |   ビタペクト配布活動
 9月29日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村での第80回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト2を10個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2は合計1528個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1180部となりました。
  
 今回で通算90目のビタペクト2の配布となりました。
 のべ人数になりますが、現時点で1528人分のビタペクト2、そして1180家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)

http://www.belrad.nsys.by


 
今回、2家族が保養のためSOS子ども村に滞在しており、お話を伺いました。

(家族A)

 ミンスク(チェルノブイリ原発から約350キロ)から来た家族・・・と言っても普通の家族ではありませんでした。詳しくは後でご紹介します。
 この家族には4個のビタペクト2を渡しました。 
 それぞれの体内放射能値は次のとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。

母親    22ベクレル  
長男15歳 12ベクレル
長女 3歳 47ベクレル 
女子16歳 23ベクレル ○
男子 9歳 30ベクレル ○
男子 9歳 17ベクレル ○
女子 8歳 16ベクレル ○
女子 3歳 24ベクレル 
女子 3歳 22ベクレル 

 この家族は家庭タイプ孤児院の一家です。このような家族がたくさんの子どもを引き取って育てる代わりに、国が福祉手当を支給する制度がベラルーシでは奨励されています。
 そして、今度は「子どもの町」という制度が始まりました。これはこのような家族がばらばらに住むのではなく、一箇所にまとまるよう住居を支給する、という制度です。この家族はミンスク市レーニンスキー区に作られた子どもの町の住民です。
 SOS子ども村とよく似たシステムですが、こちらは国営です。
 現在このような家族が10家族まとまって暮らしています。家族によって子どもの数はそれぞれ違います。
 この家族のお母さんは10年前から家庭タイプ孤児院を始め、今まで12人の里子を育ててきました。もう社会人になったり、大学生になったりしている子どももいます。
 今は2人の実子と6人の里子を育てています。しかも病気の子どもを中心に引き取っているそうです。お母さんは子育てが大変なので、子どもの町の里親として国から給料をもらっており、また子どもたちは6歳以下の場合は月に約8000円、6歳以上の場合は約8500円の福祉手当てを受け取っています。
 
 お母さんは生まれつき心臓に異常があり、二人の子どもも遺伝しているのか長男も心臓に異常、長女は心臓の血管に腫瘍があり、大きくなったら手術する予定だそうです。さらに長女は血液循環がうまくいかずに、気を失って倒れたりすることもあるそうです。
 自分も子どもも病気を抱えているのに、引き取った里子たちもそれぞれ病気や障害があります。
 9歳の男の子(30ベクレル)はひきつけをよく起こし、視力に問題はないものの斜視です。もう1人の9歳の男の子は膝の関節に異常があり、正常な歩行ができません。
 8歳の女の子は落ち着きがなく、情緒不安定で、去年小学校に入学しましたが読み書きや数字を覚えられず、この9月から再び1年生に編入されました。
 3歳の女の子(24ベクレル)はとても痩せており、なかなか体重が増えません。
 もう1人の3歳の女の子は心臓が弱いそうです。
 16歳の女の子だけが健康だそうです。

 お母さんは自分も体が健康ではないのに、里子たちのために病院へ検査に連れて行ったり、薬を買ったりと毎日が大変そうでした。
 普通の孤児院から健康上に問題のある子どもばかりを引き取っているのですが、多くの子どもは引き取られてすぐは、大量にご飯を食べるそうです。
 1歳や2歳で引き取って、食事を作るとびっくりするぐらいの量のスープを1日3回たいらげるので、びっくりした、食事作りがとにかく大変だった、とお母さんは話していました。
 どうしてこうなるのかというと、引き取られる前、生みの親と暮らしていたころ、ちゃんとした食事を与えられず、常にお腹がすいている状態が続いていたので、食べるものが目の前にあれば、
「またお腹がすくときのために今のうちに食べて蓄えておかないと・・・」
という体質になってしまって、冬眠前の動物のように食べてしまうのだそうです。
 SOS子ども村の孤児たちも、引き取られて何年も経つのに、いまだに枕の下に食べ物を隠す子がいるそうです。

 3歳の女の子3人は、本当に仲がよく、いっしょに粘土遊びなどして、とても楽しそうでした。この子たちにもビタペクト2をあげたかったのですが、年齢のことや投薬治療中だったりで、渡しませんでした。
 大勢の病気の子どもを育てるお母さんにはひたすら頭が下がります。
「ときどき、神経が持たない・・・と思うこともあります。」
とお母さんは話していましたが、それにしても、すごいなあ!とSOS子ども村の職員さんでも感心していました。

 普段は子どもの世話、通院で日が過ぎてしまうので、SOS子ども村でゆっくりできてよかった、ビタペクト2のことも全く知らなかったとお母さんは話していました。

  
(家族B)

 ゴメリ州ジトコビッチ市(チェルノブイリ原発から約190キロ)から来た家族。
 お母さんが4人の実子、そして3人の甥と姪を引率してきていました。
 この家族には6個のビタペクト2を渡しました。それぞれの体内放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しています。

母親    14ベクレル 
長女14歳 16ベクレル ○
長男12歳 16ベクレル ○
次女 6歳 23ベクレル ○
次男 1歳 43ベクレル
姪 14歳 15ベクレル ○
姪 15歳 15ベクレル ○
甥 12歳 20ベクレル ○

 15歳の姪と12歳の甥は兄弟です。
 1歳8ヶ月の次男は放射能値が高かったのですが、年齢が3歳以下のため、ビタペクト2は渡しませんでした。

 お母さんの話によると子どもたちは健康上に特に問題はないそうです。
 珍しくSOS子ども村へ保養に来て、「早く家に帰りたい。」とお母さんは笑顔がありませんでした。
 話を聞けば、このお母さんは第5子を妊娠中で、ぎっくり腰になったお父さんを1人留守番に置いて来てしまったとか、もうすぐ寒くなるので家の冬支度をしたかったのに、こっちに来てしまったのでできない・・・とか愚痴を言っていました。
 自分の家族だけで保養に来ているならいいのですが、もう1人の家族と一緒に暮らさないといけないのも、
「小さい子どもの声が騒がしくて落ち着けない。」
と話していました。気持ちは分かりますが、妊娠中だとどうしてもナーバスになってしまう人もいるから、お母さんが妊娠中は保養に来ないように時期をずらすとかすればいいのに・・・と思いました。
 妊娠していなくて、多子家庭でSOS子ども村へ行きたいという家族はたくさんいると思います。そのあたり、上手に対応できないのかなあ・・・と思いました。  

 今回も子ども達に折り紙や絵葉書、日本人の竹細工職人の方に寄贈してもらった竹で作られた知恵の輪を子どもたちにプレゼントしました。
 絵葉書に日本語で自分の名前を書いてもらって大喜び。
 お母さんたちは
「きれいな手で触りなさい! 絵葉書を汚したらだめ! 家に持って帰るんだから・・・。」
と子どもたちに言っていました。

 画像は記念撮影をした様子です。年齢が上の子どもたちは、SOS子ども村保養滞在中も地元の学校に通っているので、今回一緒に撮影することができませんでした。
 残っていたのは小さい子どもと、風邪をひいてしまった子どもだけ・・・
 そう、ベラルーシはこの9月、ほとんど毎日雨が降り、すごく寒くなってすでにインフルエンザが流行し始めているのです。風邪をひく人も続出。
 SOS子ども村のリリヤ先生は
「ここへは保養に来たんだから、風邪を治して帰るように! もうすぐサーカスに行きますよ。」
と話していました。

 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、絵葉書や手作りの竹細工を寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。