ゴメリ州立図書館のホールでイオシフ・ゴシケーヴィチについてレクチャーをしてきました。
この図書館の公式サイトで、レクチャーの様子が報告されています。
この画像だけだと、本当にゴシケーヴィチの話をしているのかどうかよく分かりませんが、特にゴシケーヴィチが函館に建てた通称「ロシア病院」についてお話しました。
ちなみにゴシケーヴィチは現在のゴメリ州にある村で生まれたので、ゴメリ州立図書館にはゴシケーヴィチ関連の文献資料は他の図書館と比べて多く集められています。
しかし、日本でどんなことをしていたのかについて詳細や、また日本人の視点から見たゴシケーヴィチ像といったものは、ロシア語に訳されていない部分が多いので、レクチャー出席者のみなさん(地元の大学関係者、図書館関係者の方々)にとっては、知らなかったことも多かったようです。
「ロシア病院」には若かりし頃の新島襄が通院していたこともあり、内部の様子や病院食についての記録が日本語で残っているのですが、ロシア語に訳さないとベラルーシ人は分からないので、その研究(というより翻訳作業)を私がしたものを、今回発表できる機会を得られました。
日本語の資料を閲覧するためにご協力くださった同志社社史資料センターの方々には深謝しております。
レクチャーを聞きに来てくださったゴメリ市民の反応がとてもよかったので、もっと詳しく調べてロシア語でまとめたものを、この図書館に寄贈するのがいいように思いました。
(引き続きがんばります。私にとってライフワークのようなものになるかもしれません。)
ゴメリ州立図書館はゴシケーヴィチに関する資料を収集していますので、チロ基金が購入した「日本文化に対するキリスト教の介入」を1冊寄贈しました。詳しくはこちらです。
この図書館の公式サイトで、レクチャーの様子が報告されています。
この画像だけだと、本当にゴシケーヴィチの話をしているのかどうかよく分かりませんが、特にゴシケーヴィチが函館に建てた通称「ロシア病院」についてお話しました。
ちなみにゴシケーヴィチは現在のゴメリ州にある村で生まれたので、ゴメリ州立図書館にはゴシケーヴィチ関連の文献資料は他の図書館と比べて多く集められています。
しかし、日本でどんなことをしていたのかについて詳細や、また日本人の視点から見たゴシケーヴィチ像といったものは、ロシア語に訳されていない部分が多いので、レクチャー出席者のみなさん(地元の大学関係者、図書館関係者の方々)にとっては、知らなかったことも多かったようです。
「ロシア病院」には若かりし頃の新島襄が通院していたこともあり、内部の様子や病院食についての記録が日本語で残っているのですが、ロシア語に訳さないとベラルーシ人は分からないので、その研究(というより翻訳作業)を私がしたものを、今回発表できる機会を得られました。
日本語の資料を閲覧するためにご協力くださった同志社社史資料センターの方々には深謝しております。
レクチャーを聞きに来てくださったゴメリ市民の反応がとてもよかったので、もっと詳しく調べてロシア語でまとめたものを、この図書館に寄贈するのがいいように思いました。
(引き続きがんばります。私にとってライフワークのようなものになるかもしれません。)
ゴメリ州立図書館はゴシケーヴィチに関する資料を収集していますので、チロ基金が購入した「日本文化に対するキリスト教の介入」を1冊寄贈しました。詳しくはこちらです。