ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

拘束されていた大学生が罰金を払って解放される

2020-09-10 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報

 逮捕されたコレスニコワ氏の解放を求めるデモ集会が9月9日ベラルーシ各地で行われました。

 そのうち、ミンスクの地下鉄マリノフカ駅でデモをしていた人たちが治安部隊に拘束されました。

 その中の6人はベラルーシ医大の学生(全員女性)でした。みんなまとめてオクレスチナ収容センターへ護送されました。

 翌日9月10日、ベラルーシ医大の学長と学部長数名がオクレスチナ収容センターへ向かいました。

 しばらくして、675ベラルーシ・ルーブル(約300ドル)の罰金を支払うことによって、解放されることになり、6人全員罰金を支払いました。

 そして午後の授業には出席しました。(退学処分にならなくてよかったですね。)うち一人は講義室の真ん中を白赤白の旗を持って歩いたりと前から目立っていたそうです。

 午後、授業に出てくると、その場にいた学生は拍手で出迎えました。一方で、

「デモに出て、拘束されて、それで何か社会が変わったって言うの? 罰金を国に払ったりして。そのお金が治安部隊のボーナスになるのに。結局は治安部隊を助けているじゃない。」

と言う意見の学生もいます。

 拘束されていた間、学生は夜中、上半身はTシャツ一枚の格好で、上着を着させてもらえず一晩中震えていたそうです。(あ、下はちゃんとズボンやスカートをはいていました。)

 大学内でまた歌を合唱していると学長がやってきて、大学内では歌を歌ってはいけません、と注意しました。

 もともとこの学長は、学生が自分なりの意見を持つのはいいが、大学内でデモ集会をするのは禁止と話していました。どうせするなら、大学以外の場所でしなさい、とも言っていたそうです。

 それで、地下鉄の駅の近くのデモ集会に参加していたら、他の人たちといっしょに拘束されてしまいました。そして学長自ら収容センターまで出向くことになり、そのことが報道されました。

 

 高層マンションの間にロープを張って、白赤白の旗を掲げていた住民も罰金が課せられるそうです。

 罰金刑が増えています。全部治安部隊の給料になるのでしょう。

 

 試合に「暴力反対」のスローガンが書かれたお揃いのユニフォームを着たサッカーチーム「クルムカチ」には、3375ベラルーシ・ルーブルの罰金が言い渡されました。

 罰金の理由はスローガンの内容ではなく「試合時間が長引いたことへの責任」だそうです。

 

 ノーベル賞作家アレクシエーヴィチは、

「私はベラルーシから離れない。」

と話しました。

 家の窓から外を見ると護送車が2台も止まっています。

 ただ私が思うには、やろうと思えばとっくにアレクシエーヴィチを拘束、そしてどこか国境近くへ連れて行って、国外退去させられるはずです。簡単なことです。

 しかし、それをせず家の窓の見えるところに護送車を置いているのは、やはりアレクシエーヴィチがノーベル賞作家で世界的に有名人なので、無理やり拘束そして国外退去などさせると、世界中から非難されるので、わざと無理な拘束はしないでいるのではないでしょうか。

 そして護送車を近くに止めて、恐怖心を煽り、アレクシエーヴィチが怖がって、自らどこか外国へ行くのを待っているのかもしれません。

 しかしアレクシエーヴィチは「私はベラルーシから離れない。ベラルーシ人を尊敬している。」と堂々と述べました。また国連に監視団の派遣を要請しました。

 

 逮捕されミンスクの留置場にいるコレスニコワ氏は、弁護士を通じて、拉致され拘束されたときに、国外への退去を強要された、と話しました。拒否してもどっちみち国外に出される、生きて出るか、バラバラになって出るかの違いがあるだけだとKGBに言われたそうです。

 さらにベラルーシ国内に残ると、最長25年の刑務所暮らしになると脅されたそうです。

 

 新党「共に」設立をババリコ氏と発表していたコレスニコワ氏が逮捕されたら、元大統領候補の一人だったアンナ・カノパツカヤ氏が、別に新党、国民民主党を設立する予定で、手続きを始めたと発表しました。

 

 今日もベラルーシ各地でデモ集会が行われています。

 歌を歌ったりする平和的なデモ集会もあります。治安部隊がやってきて、取り囲んでいますが、デモ参加者は自分たちが飲んでいた紅茶やクッキーなどをいくつか治安部隊のすぐそばに持ってきて、「よかったら食べてくださいね。」などと話しかけています。 

 この集会の会場になった団地の住民に対して24300ルーブルの罰金だそうです。消防法違反だそうです。

 


ベラルーシのコロナウイルス感染者73591人。死者数732人

2020-09-10 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報

 9月10日の書き込みです。

 ベラルーシのコロナウイルス感染者数は73591人になりました。1日の新規感染者数は189人です。

 死者数は732人です。

 72203人が回復しました。

 161万件を超える検査数となりました。

 


詩「広島」を日本語に翻訳しました

2020-09-10 | ベラルーシ文化

 今日、9月10日にベラルーシ文化芸術大学で第2回ベラルーシ文化国際学術会議が開催される予定でした。

 ベラルーシ文化芸術大学の助教授、ユリヤ・ヤロツカヤ先生と共同論文を執筆し、この会議上で発表することになり、登壇を依頼されていたのですが、開催は中止になりました。

 理由はコロナウイルス感染拡大防止のためです。ただ論文は今月中にまとめられ出版される予定です。論文集の出版を会議開催に代えるという連絡が大学側から来ました。

 私はベラルーシの詩人シャルヘイ・ジャルハイの詩「広島」をベラルーシ語から日本語に今回翻訳していました。それを論文の中で取り上げ、二カ国語で会議の席上朗読する予定だったのです。

 今日、発表できなかったのは残念ですが、論文集の中に翻訳が掲載されるのはありがたいことです。ただ発表する予定が延びてしまいました。そこで、このブログ上で「広島」は発表したいと思います。

・・・・・・・

広島

 

石の廃墟の上で

永遠に

君の姿は戻らない

死と苦しみの

広島。

灰は

混乱を生き埋めにし、

そして、安寧は見つからず

私たちの心の底で澱となる。

広島。

私たちは愛し、忘れない

私たちは探し続け、望みを捨てない

私たちは信じ、支えよう。

私たちは支えよう

広島を。

一分、

黙祷の一分で哀悼を捧げよう

起こったことを思い出しながら・・・

ほんのわずかな時間であっても、

広島に。

兵器による永遠の静寂、

世界の黙祷

記憶を讃えよう

君の犠牲を

広島の。

いつか時が来る。

春、花が世界中に咲く時が

そして、再生し復活する。

君の静かな栄光が

広島の。

 

・・・・・・・

 シャルヘイ・ジャルハイ(Сяргей Дзяргай. 1907-1980)によるベラルーシ語原詩はこちらです。

 

Хірасіма

На каменні руін тваіх

Адвіты 

На вечныя векі

Смерць і пакуты,

Хірасіма.

Попел жывы 

Поўніць бязмежжа

І, не знаходзячы спакою,

Асядае ў нашіх сэрцах,

Хірасіма.

Мы любім і помнім,

Мы шукаем і спадзяемся,

Мы верым і змагаемся.

Змагаемся,

Хірасіма.

Адна хвіліна,

Хвіліна жалобнага маўчання 

У памяць таго, што было, – 

Гэта вельмі мала,

Хірасіма.

Вечным маўчаннем гармат,

Цішынёй вечнага міру

Ушануем памяць

Ахвар тваіх,

Хірасіма.

Прыйдзе час:

Ўся зямля будзе ў веснім цвеце

І адродзіцца, уваскрэсене

Ціхая слава твая,

Хірасіма.

 

 引用先 Дзяргай С. Чатыры стыхіі, Мастацкая літаратура, Мінск, 1988, ст. 39-40 

この作品は1957年に書かれました。(どうしてこの年に「広島」という詩をベラルーシで書いたのか不明ですが、この年はアメリカでプラムボブ作戦という核実験が繰り返し行われていた年なので、報道を見て広島の原爆のことを想起したのかもしれないですね。)

 1行目の「石の廃墟」というのは原爆ドームのことだと思います。

 私の同僚の図書館司書の話によれば、作者のシャルヘイ・ジャルハイ(1907−1980)はベラルーシで特別有名でも人気のある詩人というわけではないそうです。ミンスク生まれミンスク育ちで文芸雑誌の編集長をしながら、ロシア語やポーランド語の詩をベラルーシ語に訳したという功績のある人です。

 おそらく来日したこともなく、広島に何かゆかりのある人だとも思えません。

 そうであるにも関わらず「広島」という題名の詩を書いたのはなぜなのでしょう。

 それはやはり、反戦、反核、そして平和を願う強い気持ちから、この作品を書いたのではないでしょうか。

 ベラルーシの詩人がずっと以前に、「広島」という詩をベラルーシ語で書いてくれていたこと、日本人の私は全く知りませんでした。

 しかし、この詩がアジア諸国を紹介する本に再録されたのを偶然、職場(図書館)で見つけて、日本語に翻訳しようと思いました。

 翻訳したので今日、ベラルーシ文化国際学術会議上で発表したかったのですが、残念ですね。

 出版を待ちたいと思います。このブログ上で一足早く発表することにしましたが、読んでくださった日本の皆様、ありがとうございます。

 ベラルーシの詩人が広島の原爆について思いを馳せ、被爆者に心を寄せて書いた詩だと思います。

 ベラルーシから日本へのその思いを日本人の私は大切に受け止めたいと思っています。