逮捕されたコレスニコワ氏の解放を求めるデモ集会が9月9日ベラルーシ各地で行われました。
そのうち、ミンスクの地下鉄マリノフカ駅でデモをしていた人たちが治安部隊に拘束されました。
その中の6人はベラルーシ医大の学生(全員女性)でした。みんなまとめてオクレスチナ収容センターへ護送されました。
翌日9月10日、ベラルーシ医大の学長と学部長数名がオクレスチナ収容センターへ向かいました。
しばらくして、675ベラルーシ・ルーブル(約300ドル)の罰金を支払うことによって、解放されることになり、6人全員罰金を支払いました。
そして午後の授業には出席しました。(退学処分にならなくてよかったですね。)うち一人は講義室の真ん中を白赤白の旗を持って歩いたりと前から目立っていたそうです。
午後、授業に出てくると、その場にいた学生は拍手で出迎えました。一方で、
「デモに出て、拘束されて、それで何か社会が変わったって言うの? 罰金を国に払ったりして。そのお金が治安部隊のボーナスになるのに。結局は治安部隊を助けているじゃない。」
と言う意見の学生もいます。
拘束されていた間、学生は夜中、上半身はTシャツ一枚の格好で、上着を着させてもらえず一晩中震えていたそうです。(あ、下はちゃんとズボンやスカートをはいていました。)
大学内でまた歌を合唱していると学長がやってきて、大学内では歌を歌ってはいけません、と注意しました。
もともとこの学長は、学生が自分なりの意見を持つのはいいが、大学内でデモ集会をするのは禁止と話していました。どうせするなら、大学以外の場所でしなさい、とも言っていたそうです。
それで、地下鉄の駅の近くのデモ集会に参加していたら、他の人たちといっしょに拘束されてしまいました。そして学長自ら収容センターまで出向くことになり、そのことが報道されました。
高層マンションの間にロープを張って、白赤白の旗を掲げていた住民も罰金が課せられるそうです。
罰金刑が増えています。全部治安部隊の給料になるのでしょう。
試合に「暴力反対」のスローガンが書かれたお揃いのユニフォームを着たサッカーチーム「クルムカチ」には、3375ベラルーシ・ルーブルの罰金が言い渡されました。
罰金の理由はスローガンの内容ではなく「試合時間が長引いたことへの責任」だそうです。
ノーベル賞作家アレクシエーヴィチは、
「私はベラルーシから離れない。」
と話しました。
家の窓から外を見ると護送車が2台も止まっています。
ただ私が思うには、やろうと思えばとっくにアレクシエーヴィチを拘束、そしてどこか国境近くへ連れて行って、国外退去させられるはずです。簡単なことです。
しかし、それをせず家の窓の見えるところに護送車を置いているのは、やはりアレクシエーヴィチがノーベル賞作家で世界的に有名人なので、無理やり拘束そして国外退去などさせると、世界中から非難されるので、わざと無理な拘束はしないでいるのではないでしょうか。
そして護送車を近くに止めて、恐怖心を煽り、アレクシエーヴィチが怖がって、自らどこか外国へ行くのを待っているのかもしれません。
しかしアレクシエーヴィチは「私はベラルーシから離れない。ベラルーシ人を尊敬している。」と堂々と述べました。また国連に監視団の派遣を要請しました。
逮捕されミンスクの留置場にいるコレスニコワ氏は、弁護士を通じて、拉致され拘束されたときに、国外への退去を強要された、と話しました。拒否してもどっちみち国外に出される、生きて出るか、バラバラになって出るかの違いがあるだけだとKGBに言われたそうです。
さらにベラルーシ国内に残ると、最長25年の刑務所暮らしになると脅されたそうです。
新党「共に」設立をババリコ氏と発表していたコレスニコワ氏が逮捕されたら、元大統領候補の一人だったアンナ・カノパツカヤ氏が、別に新党、国民民主党を設立する予定で、手続きを始めたと発表しました。
今日もベラルーシ各地でデモ集会が行われています。
歌を歌ったりする平和的なデモ集会もあります。治安部隊がやってきて、取り囲んでいますが、デモ参加者は自分たちが飲んでいた紅茶やクッキーなどをいくつか治安部隊のすぐそばに持ってきて、「よかったら食べてくださいね。」などと話しかけています。
この集会の会場になった団地の住民に対して24300ルーブルの罰金だそうです。消防法違反だそうです。