7月25日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第196回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
今回はビタペクト3を5個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを2部渡しました。
これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2437個、セルロースの合計は82個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2139部となりました。
今回で通算212回目の配布となりました。
延べ人数ですが、2437人の子どもにビタペクトを、約73人の子どもにセルロースを、2139家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。
(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215
(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13
(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b
(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1
(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html
(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42
(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)
http://www.belrad-institute.org/
(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80
チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a
今回はミンスク市(チェルノブイリ原発から約350キロ)から2家族が保養に来ていました。
(家族A)
お母さんが3人実子と4人の親戚の子どもを引率していました。この家族には3個のビタペクト3を渡しました。
今回の測定結果は以下のとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しています。
母親(チェルノブイリ事故発生時2歳)19ベクレル
長女 (8歳)20ベクレル ○
次女 (8歳)21ベクレル ○
三女 (4歳)26ベクレル ○
男子(12歳)18ベクレル
男子(11歳)14ベクレル
女子 (9歳)13ベクレル
男子 (7歳)18ベクレル
このうち9歳の女の子はミンスクではなくゴメリ(チェルノブイリ原発から約140キロ)在住です。
お母さんに子ども達の健康状態についてお話を伺いました。
長女は骨髄腫です。他の子供たちは比較的健康。
5年前に長女が白血病にかかっていることが分かり、入院。治療が始まりました。投薬を続けた結果、現在は退院し、普通に生活を送っていますが、薬は手放せないうえ、骨がもろくなって(骨の中のカルシウムがどんどん溶けてしまうと言う症状が出ます。)骨折を起こしやすいので、常にカルシウム剤を飲み続けているそうです。
治療用の薬、カルシウム剤、ともにベラルーシでは高価で、家計の負担になっているが、仕方がないとお母さんは話していました。
難病患者に対する手当をもらっているそうですが、とても足りないということでした。
いつまた重症化するか分からないと医者からは言われています。
今回は保養に来ていませんが、お父さんはチェルノブイリ原発に近いゴメリ州の村の出身。事故が起きた後、ゴメリ州のべトカ(チェルノブイリ原発から約150キロ)に強制移住となりました。その後さらにミンスクへ移住。
その後お母さんとミンスクで出会って結婚。子ども達はみんなミンスク生まれのミンスク育ちだそうです。
お母さんはゴメリ在住の親戚の女の子のほうが内部被爆が少なかったことに驚いていましたが、大きな差があるわけではありません。
チェルノブイリ原発から近いかどうかなんて今や関係なくなっているのが実情です。
(家族B)
お母さんが3人の実子と3人の親戚の子どもを引率していました。この家族には2個のビタペクト3を渡しました。
今回の測定結果は以下のとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しています。
長女 (8歳)15ベクレル
男子(14歳)19ベクレル
男子(12歳)20ベクレル ○
女子 (6歳)23ベクレル ○
このお母さんには5歳の長男と生後6ヶ月の次男がいます。
しかし長男は小児麻痺で座ることができず、WBCの測定が受けられませんでした。次男もまだお座りができないため、お母さんはSOS子ども村で2人の子どもと留守番。測定を受けていません。
14歳と12歳の男の子はモズィリ(チェルノブイリ原発から約90キロ)在住です。
長男は生後半年の定期健診で発達の遅れが見つかり、小児麻痺と診断されました。
座れないのでベビーカーに乗っていますが、特別なベビーカーが必要で、それは国から無償で支給されるものの、申請手続きがお役所仕事で、たらい回しにされ、2年後ようやくもらえました。
しかし部品があちこち抜けたりする不良品で、親が自分で修理したり改造したりしたそうです。
5年後に車椅子がもらえるらしいのですが、座れるぐらいにまでよくなってほしいと願っていました。
この家族のお父さんもかつてチェルノブイリ原発から約110キロの地点にある汚染地域の村に住んでいました。事故後強制移住で、親戚はばらばらに。お父さんの家族はミンスクに移住して、その後はずっとミンスクで暮らしているそうです。
どちらの家族の場合も父親が幼少期に被爆していると思われますが、事故後およそ20年や25年経過して生まれた子どもに障害や骨髄腫などの難病があることと、因果関係があるのかないのか分かりません。
分かりませんが、このブログに記しておきます。
今回も子どもたちに折り紙、折り鶴、折り鶴の作り方(千羽鶴プロジェクト)、日本語で子どもの名前を書いた絵葉書、お母さんたちには着物で作った巾着袋をプレゼントしました。
画像は記念撮影した様子です。(家族Bの長男は写っていません。また保養とは関係のない子どもが1人写っています。)
最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。
今回はビタペクト3を5個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを2部渡しました。
これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2437個、セルロースの合計は82個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2139部となりました。
今回で通算212回目の配布となりました。
延べ人数ですが、2437人の子どもにビタペクトを、約73人の子どもにセルロースを、2139家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。
(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215
(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13
(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b
(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1
(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html
(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42
(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)
http://www.belrad-institute.org/
(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80
チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a
今回はミンスク市(チェルノブイリ原発から約350キロ)から2家族が保養に来ていました。
(家族A)
お母さんが3人実子と4人の親戚の子どもを引率していました。この家族には3個のビタペクト3を渡しました。
今回の測定結果は以下のとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しています。
母親(チェルノブイリ事故発生時2歳)19ベクレル
長女 (8歳)20ベクレル ○
次女 (8歳)21ベクレル ○
三女 (4歳)26ベクレル ○
男子(12歳)18ベクレル
男子(11歳)14ベクレル
女子 (9歳)13ベクレル
男子 (7歳)18ベクレル
このうち9歳の女の子はミンスクではなくゴメリ(チェルノブイリ原発から約140キロ)在住です。
お母さんに子ども達の健康状態についてお話を伺いました。
長女は骨髄腫です。他の子供たちは比較的健康。
5年前に長女が白血病にかかっていることが分かり、入院。治療が始まりました。投薬を続けた結果、現在は退院し、普通に生活を送っていますが、薬は手放せないうえ、骨がもろくなって(骨の中のカルシウムがどんどん溶けてしまうと言う症状が出ます。)骨折を起こしやすいので、常にカルシウム剤を飲み続けているそうです。
治療用の薬、カルシウム剤、ともにベラルーシでは高価で、家計の負担になっているが、仕方がないとお母さんは話していました。
難病患者に対する手当をもらっているそうですが、とても足りないということでした。
いつまた重症化するか分からないと医者からは言われています。
今回は保養に来ていませんが、お父さんはチェルノブイリ原発に近いゴメリ州の村の出身。事故が起きた後、ゴメリ州のべトカ(チェルノブイリ原発から約150キロ)に強制移住となりました。その後さらにミンスクへ移住。
その後お母さんとミンスクで出会って結婚。子ども達はみんなミンスク生まれのミンスク育ちだそうです。
お母さんはゴメリ在住の親戚の女の子のほうが内部被爆が少なかったことに驚いていましたが、大きな差があるわけではありません。
チェルノブイリ原発から近いかどうかなんて今や関係なくなっているのが実情です。
(家族B)
お母さんが3人の実子と3人の親戚の子どもを引率していました。この家族には2個のビタペクト3を渡しました。
今回の測定結果は以下のとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しています。
長女 (8歳)15ベクレル
男子(14歳)19ベクレル
男子(12歳)20ベクレル ○
女子 (6歳)23ベクレル ○
このお母さんには5歳の長男と生後6ヶ月の次男がいます。
しかし長男は小児麻痺で座ることができず、WBCの測定が受けられませんでした。次男もまだお座りができないため、お母さんはSOS子ども村で2人の子どもと留守番。測定を受けていません。
14歳と12歳の男の子はモズィリ(チェルノブイリ原発から約90キロ)在住です。
長男は生後半年の定期健診で発達の遅れが見つかり、小児麻痺と診断されました。
座れないのでベビーカーに乗っていますが、特別なベビーカーが必要で、それは国から無償で支給されるものの、申請手続きがお役所仕事で、たらい回しにされ、2年後ようやくもらえました。
しかし部品があちこち抜けたりする不良品で、親が自分で修理したり改造したりしたそうです。
5年後に車椅子がもらえるらしいのですが、座れるぐらいにまでよくなってほしいと願っていました。
この家族のお父さんもかつてチェルノブイリ原発から約110キロの地点にある汚染地域の村に住んでいました。事故後強制移住で、親戚はばらばらに。お父さんの家族はミンスクに移住して、その後はずっとミンスクで暮らしているそうです。
どちらの家族の場合も父親が幼少期に被爆していると思われますが、事故後およそ20年や25年経過して生まれた子どもに障害や骨髄腫などの難病があることと、因果関係があるのかないのか分かりません。
分かりませんが、このブログに記しておきます。
今回も子どもたちに折り紙、折り鶴、折り鶴の作り方(千羽鶴プロジェクト)、日本語で子どもの名前を書いた絵葉書、お母さんたちには着物で作った巾着袋をプレゼントしました。
画像は記念撮影した様子です。(家族Bの長男は写っていません。また保養とは関係のない子どもが1人写っています。)
最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。