ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第140回」

2012-10-25 |   ビタペクト配布活動
 10月25日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第140回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はビタペクト3を10個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は1966個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1790部となりました。
 今回で通算152回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、1966人の子どもにビタペクトを、1790家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a



(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80



 今回は2家族グロドノ市(チェルノブイリ原発から約が400キロ)から、1家族がミンスク市(チェルノブイリ原発から約350キロ)から、SOS子ども村に保養滞在していました。それぞれの家族にお話を伺いました。

(家族A)
 グロドノ市から来たお母さん(事故発生時5歳)が4人の子どもを引率していました。この家族には3個のビタペクト3を渡しました。ただ末っ子は測定の日に風邪をひいてしまい、お母さんはその看病のため、SOS子ども村に居残り、子ども3人しか測定していません。
 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。
 
長女(11歳)29ベクレル ○ 
次女(8歳)24ベクレル ○
長男(6歳)21ベクレル ○

 健康状態についてお母さんにお話を伺いました。
 長女だけが胃痛をよく訴えるので、最近検査入院しましたが、原因は分かりませんでした。医者からは消化のよいオートミールのおかゆを食べさせるように、とか胃によいハーブティーを飲ませるように、と言われただけで退院したそうです。胃痛は治まっていません。
 さらに慢性頭痛を抱えていますが、やはり原因は分かりません。
 他の子どもは健康、ということでした。

 お母さんはグロドノ市の近くにある村の生まれで、実家は畑もあるし、牛も飼っていて、いつもその牛乳を飲んでいたそうです。
 今でも実家の両親が作る畑の野菜やりんごをもらって、子どもたちと食べています。当然、食品の測定をしたことがありません。
 グロドノ市は汚染地域に指定されたことはありませんし、今も安全な地域とされています。そのため測定をしようという意識も低いようです。
 このような体内被曝の結果が出て、お母さんは初めて放射能のことを考えるようになった、と話していました。おそらく食品からの被曝が原因だろうと思うけれど、どれが汚染されていたのかはっきり分かりません、とも言っていました。これは確かにいちいち食品の測定をしないと学者でも分かりませんよね。
 お母さんの説明によると、野菜類は実家の畑で採れたもの、果物類は商店や市場で売られているもの、魚類は好きではないのであまり食べない、牛乳や乳製品は昔は実家の乳牛のものをよく飲ませていたが、最近子どもたちがあまりほしがらなくなったので、以前ほど与えていない、ということでした。
 肉類は安売りのものを買っている、ということでしたが、最近ベラルーシの経済状況が悪くなり、一般市民の収入も減ったので、とにかく安売りのものばかり探しては買う、という人が増えました。その結果安売りの肉屋が登場し、町の路上で販売しているそうです。私としてはこれは危険ではないか、と思いました。不自然に安い肉はちゃんと放射能の測定をしているかどうか疑わしいからです。もっともこの家族の被曝の原因がこの安売り肉なのかどうかはっきり分かりません。
 このように国の経済状態が悪くなると、被曝する可能性が高くなると思います。極端に安い価格の食品には注意しないといけない、と思いました。


(家族B)

 グロドノ市から来たお母さんが3人の子どもと保養滞在していました。この家族には2個のビタペクト3を渡しました。
 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を渡しました。
 
母親(事故発生時6歳)12ベクレル
長男 (8歳)23ベクレル ○
次男 (3歳)29ベクレル ○ 
三男 (1歳)22ベクレル 

 1歳の三男も20ベクレル以上の測定結果でしたが、年齢制限のため、ビタペクト3をあげていません。
 お母さんはゴメリ州ジトコビッチ地区(チェルノブイリ原発から約190キロ)の出身で、結婚後にグロドノ市に引越ししたそうです。
 子どもたち3人はよく風邪をひくそうです。お母さんは第2子妊娠中に高血圧になり、今は薬を飲み続けています。
 そのほか特に持病などはないそうです


(家族C)

ミンスク市から来たお母さんが5人の子どもと甥っ子1人と保養滞在していました。この家族には5個のビタペクト3を渡しました。
 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を渡しました。
 
母親(事故発生時5歳)19ベクレル
長男 (9歳)25ベクレル ○
次男 (7歳)26ベクレル ○ 
長女 (5歳)27ベクレル ○
三男 (4歳)23ベクレル ○
四男 (1歳)20ベクレル
甥  (6歳)24ベクレル ○

 1歳の四男にはビタペクト3を渡していません。
 お母さんの話によると、5人兄弟全員がアデノイド肥大だそうで、このうち次男はアデノイドの切除手術を受けました。
 これ以外には特に健康上に問題はないそうです。
 しかしお母さんは7歳のとき水腎症という病気のため、腎臓を一つ取る手術を受けたそうです。
 その後、腎臓が一つしかないから、医者に「結婚しても子どもは作るな。妊娠中大変なことになる。難産になる。」と言われたそうです。
 確かに妊娠中は大変だったようですが、無事出産。今は5人の子どものお母さんになっています。お医者さんの言うことをまともに聞かなくてよかったですね。妊娠中は医者から中絶まで勧められたそうです。ひどい話ですね。
 甥っ子は測定をした後、風邪をひいたので、ミンスクのお母さんが家につれて帰ってしまったそうです。せっかく保養に来たのに残念ですね。
 甥っ子は特に持病もなく、普段は元気にしているそうです。
 ビタペクト3は必ずこの甥っ子(のお母さん)に渡すよう頼んでおきました。

 今回は保養の途中で帰宅した子どもや、昼寝をした子どももいるため、全員画像に写っているわけではありません。
 そして子どもたちに折り鶴や折鶴の作り方を説明した紙(千羽鶴プロジェクト)、折り紙用の紙、お母さんにはアクリルたわしなどをぷれぜんとしました。古い着物をほどいて巾着袋にして寄贈してくださった方がいたので、それもお母さんに渡しました。またきれいな日本の絵葉書の裏に子どもたちの名前を書いて渡すととても喜んでいました。

 そして、今回は特別なことがありました。日本のテレビ局が取材に来ていたのです!
 今まで日本の雑誌の取材を受けたことはあっても、日本のテレビの取材は初めてのSOS子ども村。ついにお茶の間に保養滞在しているベラルーシの子ども達が登場です。
 子ども達はカメラの前でも緊張したり恥ずかしがったりせず、元気いっぱいな子どもたちばかりでした。
 放映の日時が決定しましたら、このブログでもご案内しますので、ベラルーシでの保養の取り組みについてぜひご覧ください。

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や巾着袋など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。