2月28日、記事「セガのマスビンゴゲーム(2) グループビンゴ(Group Bingo,1975)」に、「ファンさん」という方からこのようなコメントをいただきました。
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(前略)昔のメダルゲームってすごく夢がありました。今でもいろいろなマシンを思い出します。左右のランプが点滅し、どちらの点灯状態で止まるかを当てる「マッチマップ」や、ビデオポーカーではない機械式(反転フラップ式っていうんでしょうか?)のポーカーなんかはすっごく興奮しました。
もし、これらのカタログなどの資料がありましたら(貴殿の主旨とは違うかもしてませんが)記事にして頂けたらと思います。
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拙ブログは、デジタル社会となった現代に、歴史の深い地層に埋もれこのままでは永遠に忘れ去られてしまいかねない古いコインマシンの情報をブログとして残すことで、その保存と、あわよくば拡散のタネとすることも目的の一つとしておりますので、ファンさんのご希望はこの趣旨のど真ん中、ボウリング用語で言えばジャストポケットを突いております。良い機会をいただきましたので、今回から数回にかけて、初期の国産メダルゲーム機からいくつかを掘り返しておこうと思います。
拙ブログでは既に何度か主張していることですが、日本のゲームセンター業界に、今でいう「メダルゲーム」というジャンルが登場したのが1969年、定着したと言えるのが1972年、そして国産のメダルゲーム機が発売されるようになったのが1974年です(関連記事:初の国産メダルゲーム機の記憶)。セガはこの年に4機種、翌75年にも4機種を発売しました。
【セガ・1974年発売】
・ファロ (Faro)
・シルバーフォールズ (Silver Falls)
・ダブルアップ (Double up)
・ハーネスレース (Harness Race)
【セガ・1975年発売】
・マッチマップ (Match'em-Up)
・グループビンゴ (Group Bingo)
・スピナコイン (Spinna Coin)
・プントバンコ (Punt Banko)
これらのうち、ファロとグループビンゴの2機種については過去の記事である程度詳しく触れました(関連記事:初の国産メダルゲーム機の記憶、 セガのマスビンゴゲーム(2) グループビンゴ(Group Bingo,1975))ので、今回は「マッチマップ」について述べようと思います。
コメントでファンさんがおっしゃっていた「マッチマップ(Match'em Up)」とは、セガが1975年に発売したシングルメダル機です。
マッチマップの筐体画像。1975~6年頃に発行された「セガ・メダルゲーム・マシン総合カタログ」より。
「マッチマップ」は、メダルを1枚投入すると、ガラス面の最下段に描かれた左右二つの絵柄が交互に点灯するので、プレイヤーはコンパネにある左右二つのボタンのどちらかを押して点滅を止め、押したボタンと点灯する絵柄の左右が一致すれば勝ち、異なければその場でゲームオーバーになるというゲームでした。ゲーム中には、効果音として、低い音とそれより少し高い音が絵柄の点灯に合わせて鳴っていたように思いますが、定かな記憶ではありません。
ゲームに勝った場合、プレイヤーは、「PAY」ボタンを押してメダル2枚の配当を受け取ってゲームを終了するか、もしくは「UP」ボタンを押して配当のすべてを賭けて次のステップに進むかを選択しなければなりません。「UP」ボタンを押すと、今度は一段階上に描かれている左右の絵柄が同じように交互に点灯を始めるので、やはり左右二つのボタンのどちらかを押して点滅を止めます。勝てば受け取れる配当は4枚となり、負ければそこでゲームが終わります。
マッチマップのガラス面のアップ。最下段から最上段まで全6段階が示され、各段階にはギャンブルテーマの絵柄2つが左右に分かれて配されており、ゲームではこれが交互に点灯する。それぞれの段階の最も右側に、その段階で勝てば得られるメダル数(2、4、8、16、32、64)が表示されている。
ステップアップは最大で5回まで可能で、最後まで勝ち続ければ配当のメダルは64枚になりました。現在の子供用メダルゲーム機の最高払い出し枚数が99枚であることに比べれば、この64枚という数字は「たったの」と思いますが、同じ年に発売された大型メダルゲーム機「グループビンゴ」でさえ最高払い出し枚数は96枚だった時代ですので、当時としてはこれでも十分にスリルあるゲームだったのでしょう。とは言うものの、ワタシはたぶん1975年ころに「マッチマップ」を少なくとも一度は遊んでいますが、あまりにも単純すぎる上に、インチキをしているに違いないと信じていたため、熱中するには至りませんでした。
マッチマップがどの程度普及したものかはわかりませんが、少なくとも「ファロ」のように、どこでも見られる機種ではなかったように思います。業界誌アミューズメント産業の75年12月号には、同年に行われたトレーディングショウに出展されたメダルゲーム機としてマッチマップの類似品「ビッグチャンス」が掲載されています。ガラス面のデザインはオリジナルの「マッチマップ」よりもわかりやすくなっているとは思いますが、ワタシはこの機種を実際にロケーションで見た記憶がありません。ビッグチャンスの出展社であるエスコ貿易の社長は、後にセガの社長となる中山隼雄氏で、この時期既にセガとは取引があったはずなので、ひょっとするとOEMなのかも・・・??
アミューズメント産業の75年12月号に、「ビッグチャンス」の部分。
(つづく)
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(前略)昔のメダルゲームってすごく夢がありました。今でもいろいろなマシンを思い出します。左右のランプが点滅し、どちらの点灯状態で止まるかを当てる「マッチマップ」や、ビデオポーカーではない機械式(反転フラップ式っていうんでしょうか?)のポーカーなんかはすっごく興奮しました。
もし、これらのカタログなどの資料がありましたら(貴殿の主旨とは違うかもしてませんが)記事にして頂けたらと思います。
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拙ブログは、デジタル社会となった現代に、歴史の深い地層に埋もれこのままでは永遠に忘れ去られてしまいかねない古いコインマシンの情報をブログとして残すことで、その保存と、あわよくば拡散のタネとすることも目的の一つとしておりますので、ファンさんのご希望はこの趣旨のど真ん中、ボウリング用語で言えばジャストポケットを突いております。良い機会をいただきましたので、今回から数回にかけて、初期の国産メダルゲーム機からいくつかを掘り返しておこうと思います。
拙ブログでは既に何度か主張していることですが、日本のゲームセンター業界に、今でいう「メダルゲーム」というジャンルが登場したのが1969年、定着したと言えるのが1972年、そして国産のメダルゲーム機が発売されるようになったのが1974年です(関連記事:初の国産メダルゲーム機の記憶)。セガはこの年に4機種、翌75年にも4機種を発売しました。
【セガ・1974年発売】
・ファロ (Faro)
・シルバーフォールズ (Silver Falls)
・ダブルアップ (Double up)
・ハーネスレース (Harness Race)
【セガ・1975年発売】
・マッチマップ (Match'em-Up)
・グループビンゴ (Group Bingo)
・スピナコイン (Spinna Coin)
・プントバンコ (Punt Banko)
これらのうち、ファロとグループビンゴの2機種については過去の記事である程度詳しく触れました(関連記事:初の国産メダルゲーム機の記憶、 セガのマスビンゴゲーム(2) グループビンゴ(Group Bingo,1975))ので、今回は「マッチマップ」について述べようと思います。
コメントでファンさんがおっしゃっていた「マッチマップ(Match'em Up)」とは、セガが1975年に発売したシングルメダル機です。
マッチマップの筐体画像。1975~6年頃に発行された「セガ・メダルゲーム・マシン総合カタログ」より。
「マッチマップ」は、メダルを1枚投入すると、ガラス面の最下段に描かれた左右二つの絵柄が交互に点灯するので、プレイヤーはコンパネにある左右二つのボタンのどちらかを押して点滅を止め、押したボタンと点灯する絵柄の左右が一致すれば勝ち、異なければその場でゲームオーバーになるというゲームでした。ゲーム中には、効果音として、低い音とそれより少し高い音が絵柄の点灯に合わせて鳴っていたように思いますが、定かな記憶ではありません。
ゲームに勝った場合、プレイヤーは、「PAY」ボタンを押してメダル2枚の配当を受け取ってゲームを終了するか、もしくは「UP」ボタンを押して配当のすべてを賭けて次のステップに進むかを選択しなければなりません。「UP」ボタンを押すと、今度は一段階上に描かれている左右の絵柄が同じように交互に点灯を始めるので、やはり左右二つのボタンのどちらかを押して点滅を止めます。勝てば受け取れる配当は4枚となり、負ければそこでゲームが終わります。
マッチマップのガラス面のアップ。最下段から最上段まで全6段階が示され、各段階にはギャンブルテーマの絵柄2つが左右に分かれて配されており、ゲームではこれが交互に点灯する。それぞれの段階の最も右側に、その段階で勝てば得られるメダル数(2、4、8、16、32、64)が表示されている。
ステップアップは最大で5回まで可能で、最後まで勝ち続ければ配当のメダルは64枚になりました。現在の子供用メダルゲーム機の最高払い出し枚数が99枚であることに比べれば、この64枚という数字は「たったの」と思いますが、同じ年に発売された大型メダルゲーム機「グループビンゴ」でさえ最高払い出し枚数は96枚だった時代ですので、当時としてはこれでも十分にスリルあるゲームだったのでしょう。とは言うものの、ワタシはたぶん1975年ころに「マッチマップ」を少なくとも一度は遊んでいますが、あまりにも単純すぎる上に、インチキをしているに違いないと信じていたため、熱中するには至りませんでした。
マッチマップがどの程度普及したものかはわかりませんが、少なくとも「ファロ」のように、どこでも見られる機種ではなかったように思います。業界誌アミューズメント産業の75年12月号には、同年に行われたトレーディングショウに出展されたメダルゲーム機としてマッチマップの類似品「ビッグチャンス」が掲載されています。ガラス面のデザインはオリジナルの「マッチマップ」よりもわかりやすくなっているとは思いますが、ワタシはこの機種を実際にロケーションで見た記憶がありません。ビッグチャンスの出展社であるエスコ貿易の社長は、後にセガの社長となる中山隼雄氏で、この時期既にセガとは取引があったはずなので、ひょっとするとOEMなのかも・・・??
アミューズメント産業の75年12月号に、「ビッグチャンス」の部分。
(つづく)
ところで、「あまりにも単純すぎる上に、インチキをしているに違いないと信じていたため」の部分、なんとなくわかるような気がします。右ボタンを押した時、点灯しているのがハッキリわかるのに左に映ってしまうことがあったような気がします。
また「ビッグチャンス」なるものは初めて見ました。こんなのがあったんですね。でも絵柄的にはマッチマップの方がいいですね。
この続編も楽しみにしていますので、ぜひぜひ続けてください。
マッチマップの当たり目を決定する機構は全くの謎ですが、ランプの点滅は単なる演出に過ぎず、ボタンを押した時点で決定されたゲーム結果に従ってランプを点灯させていただけではないかと思います。現代において同じ機械を作るとしたら、もう少し疑念を持たれない演出を行うと思いますが、この当時はメーカーの意識がそこまで及ばなかった、良く言えばのどかな時代だったのかもしれません。
次回は、やはりセガが同時期に発売したシングルメダル「ダブルアップ」と「スピナコイン」を取り上げる予定です。もしご記憶のエピソードでもあればまたお聞かせください。