オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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半世紀前(1975)のアーケードマシン(2)メダルゲームその1

2025年01月19日 20時17分13秒 | 歴史

半世紀前に稼働していたコインマシンにはどんなものがあったかを、1975年11月に刊行された「'76 遊戯機械名鑑」(以下、76年名鑑)から見て行く本シリーズ、今回から第2部の「メダルゲーム」に入ります。

メダルゲームというジャンルがAM業界に確立されたのは1972年(関連記事:「メダル」と「メダルゲーム」という呼称についての備忘録(1)」ですが、「76年名鑑」が刊行された1975年11月時点でのメダルゲーム機器のほとんどはまだ英米からの輸入品でした。

「76年名鑑」では、メダルゲームを、
・「スロットマシン その他
・「マスゲーム機
・「その他のメダルゲーム機
の3つの章に区分しています。

【スロットマシン その他】
当時のメダルゲームの主役であるスロットマシンはそのほとんど(感覚的には98%)が米国Bally社製でしたが、Bally製品には豊富なバリエーションがあり、プレイヤーには十分な選択肢が与えられていたので、それで飽きるということはありませんでした。

76年名鑑にはスロットマシンのページは10ページありますが、うち8ページ半がBally製品で占められており、残りの1ページにセガの4機種、最後の半ページに米国Jenningsの2機種となっています。

Ballyの8ページ(上)と、BallyとJenningsで半ページずつ分けられた1ページ(下)。ワタシはここに掲載されているBallyの機械の殆どを実際に見たことがあり、さらにここに掲載されていない機種もたくさんあって、まったくBallyの一人勝ちと言っても良い状況だった。

セガ製品は1ページ4機種が掲載されていますが、うち2機種は風営機「オリンピア」で、1機種は海外向けからの転用である「ウィンザーシリーズ」の一つ「アズテック」です。ここまでは理解できるのですが、最後の1機種「ボーナスライン」はワタシにとって謎が多い機種です。

セガのスロットマシンは1ページ4機種。風営機「オリンピア」2機種に、海外向けからの転用である「ウィンザー」はわかるが、Bally製品のコピーと思しき「ボーナスライン」には、そのテクノロジーや開発意図に謎が残る。

と言うのは、「ボーナスライン」は1973年に発売されたBallyの模倣品関連記事:【補足】前回提示したいくつかの謎について続報)で、払い出し機構にホッパーを使用しており、この時点でセガは既にホッパーの技術を得ているにもかかわらず、その後にセガが発売するマスメダル機にはホッパーが使われていないのです。

では「ボーナスライン」は海外のカジノ向けで特別だったのかと言うとそれも怪しく、セガは1969年にガルフ+ウェスタンに買収されてからは海外カジノ向けのスロットマシンの新規開発をやめているはずです。

ひょっとすると当時のホッパーは高価でおいそれとは使えなかったとか、当時のホッパーは電気的に制御していたのでコントロールが難しかったとかなどの理由を想像するのですが、真相はどうなんでしょうか。

「その他」としては、ビンゴ・ピンボール(関連記事:sigmaのフリーペーパー「ビンゴゲーム入門」(1985))が、2ページに渡り5機種が掲載されています。うち4機種はBally製で、新製品があるわけでもなく、どういう基準で掲載機種を決めているのか謎いです。もう1機種はセガの風営機「スキル・ボール」(関連記事:スキル・ボール(初の国産ピン・ビンゴ)と大岡山のオリンピアセンターの記憶)で、1975年時点ではまだ現役だったことが窺われます。

「その他」としての2ページ。Ballyのビンゴ機(上)と、セガの「スキル・ボール」(下)。sigmaの「ビンゴイン」の一号店ができたのは76年名鑑が発刊された1975年だが、ビンゴはなぜかそれ以前から日本国内に普及し、ファンが存在していた。

 

(つづく)


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