雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

「自立した『普通の市民』による『非暴力直接行動』をも含む『非暴力市民的抵抗(不服従)』について」

2012-07-10 17:40:23 | 非暴力による平和を

今官邸前などで生まれつつあるのは、自立した「普通の市民」による「非暴力直接行動」をも含む大規模な「非暴力市民的抵抗(不服従)」だと、僕は感じています。
この場合「普通の市民」と言うのは、いろいろな意味で「特権的ではない」市民という意味です。地位・カネ・組織・学歴・性別・年齢などに守られることのない「市民」で、「横並び」の「普通」という意味ではまったくありません。
また、「非暴力市民的抵抗(不服従)」と「非暴力直接行動」とは同義ではありません。
たとえば、毎週金曜日夜の官邸前デモを主催している「首都圏反原発連合」のHPに載っているデモ参加の呼びかけの注意事項の一項目にはこうあります。
「この首相官邸前抗議は、あくまで非暴力直接行動として呼びかけられたものです。その趣旨を十分にご理解頂きご参加いただきますよう、宜しくお願い致します。」
この間の主催者側の対応を見ていると、どうやら「非暴力直接行動」という概念を「非暴力市民的抵抗(不服従)」と混同し、さらに「非暴力市民的抵抗(不服従)」を「法令順守」行動と混同しているのではないかという懸念を持ちます。

現に、7月6日の夜7時半過ぎから官邸前交差点近くの地下鉄4番出口付近の車道全体に、警官の規制を振り払って歩道からあふれ出した参加者の、まさに「非暴力直接行動」を、主催者側は警察と自分たちの規制と制止を無視した危険な混乱行動とのみとらえ、警察側の強い指令を認めて7時50分に「解散」宣言をしてしまいました。
またその後、主催者の一部の若いメンバーは、4番出口付近での警官の規制に協力しているとしか見えなかった自分たちの制止行動を「警察の手下」だなどと一部の参加者から悪罵されたとして恨み、規制と制止に従わず車道で「非暴力直接行動」を実行した人びとを「前進バカ」だとか「極左」だとか「一部の変なひと」だとか罵り、絶対にあいつらを仲間だとも思わないし、許さない、とか、来週のデモは中止すべきだとか、「運動はキライ」だとか、300人のデモのころが懐かしいだとか、ツイッターで流しています。
不必要にこういう真面目な若い人を追い詰めてもいけませんが、自分たちが始めた場と運動がこれだけ大規模に発展したことをまるで喜ばず、ただイライラし、後ろ向きになって、こうした幼稚な判断と感情に身を任せるのは、少々情けないですね。
新たな課題が生まれているのは事実ですが、それは運動が主催者の当初の予想をはるかに超えて大きく発展したからこそ生まれた、前向きに克服すべき積極的な課題です。
さすがに主催者の中でもこうした幼稚で狭い後ろ向きの意見は少数のようで、幸いなことに今週の7/13にも官邸前デモが呼びかけられています。

官邸前で300人の小規模なデモから初めて毎週金曜日デモを主催し、僕たちのような普通の市民が参加しやすい形態を工夫して、ここまで大規模なデモが可能になる場をつくってくれた主催者の方々には、改めて大きな敬意と感謝の気持ちを表します。
どうか、下に付記するような「非暴力市民的抵抗(不服従)」と「非暴力直接行動」の関係をしっかりとふまえ、強化される一方の警察の規制にあくまで10万を超え始めた「普通の市民」の抗議参加者の立場に立って、柔軟かつ原則的に対応し、安全確保と共に、これ以上、市民の間での無用な対立や疑心暗鬼を拡大させないようにしていただきたいと切望します。

ガンジーやキング牧師たちの先駆者たちが実践した「非暴力」の市民的抵抗・不服従というのは、一人一人の市民が人間としての尊厳にかかわる自己の良心のみに従って、権力や強者の不正と「非暴力」のありとあらゆる手段で異議申し立てをし、抵抗することです。
「非暴力」行動の中でも「非暴力直接行動」というのは、いざとなれば法令・規則に反してでも(したがって逮捕覚悟で)「非暴力」の抗議行動を行うことです。
7月6日は、警察の規制を振り払い、官邸前交差点近くの車道全体で抗議行動を展開したのですから、明らかに道路交通法違反を僕たちは犯したわけです。
しかし、国民のいのちと暮らし、美しい国土を、根本的に侵しかねない野田政権と原子力ムラの強行しようとしている原発再稼働、推進政策をやめさせるためには、もうそこまでするしかないと僕たちは覚悟を決めたのです。
その僕たちを圧倒的な力を持っている警察や特に機動隊が蹴散らし、逮捕することは、物理的にはもちろん簡単でしょう。
しかし、僕たちの側には、あちら側にはない人間・市民としての道義・倫理性と数の力があります(それしかありません)。
仮に野田政権が警察や機動隊を使ってそうした弾圧に出たとしても、僕たちは暴力は絶対に使いません。
どんなことがあっても、「非暴力」による人間・市民としての道義・倫理性と数の力で抵抗を続けます。
そうした歴史が、首都東京でまさに僕たちの目の前で始まったのです。
いざとなればそうした「非暴力直接行動」も取りながら、知恵と力を合わせてさらに巨大な「普通の市民」による「非暴力市民的抵抗(不服従)」のうねりを巻き起こし、野田政権と原子力ムラに再稼働撤回と脱原発を迫ってゆきましょう!


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