ハイル禅師語録

ハイル禅師語録で奇跡の開運

精神修養の様な試練

2018年04月12日 | 教え
質問者:ハイル禅師 普通の宗教でも
一種の精神修養の様な試練は必要なのでしょうか?

私:神に真剣に向かう際 自分の気持ちを極める為には
必要な手段ではありますが 現代人は嫌がる風潮に有ります

つまり海岸で座禅レースなどをやっていると
傍目から見て変なことをやっていると思われてしまうなどです

昔は菊理姫大神様に参詣すると願いと逆のことが起こるから
国常立大神様同様に敬遠された事がありました

だが縁結び祈願でも悪縁で別れる運命なら早く別れた方が
良いとの深謀遠慮による功徳だったという場合が多い 

つまり霊格が高く受け皿がある人で無ければ
誤解してしまう訳で霊格が高い人は後日証が出て得心する

元々菊理姫大神様も国常立大神様も観音様に化身しますから
御魂を鍛える意味で器の大きい人に厳しい試練を与える事が多い

また菊理姫大神様は十一面観音に化身されるから
十一面観音像は女神のような容姿が多いのはこれが理由です

だから深見東州氏も観音様である菊理姫大神と鬼神と呼ばれた
国常立大神に厳しく修行をさせられた訳です

しかし現在は高級神も現代人の精神レベルに合わせて
即物的な功徳等を色々と授けてくれるようになりました

それでもある一定の自分の努力が必要ではあります


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