最近、第一次宗門問題についていろいろと調べていたのだが、その中で非常に意外に思ったことがある。
それは、山崎正友の除名処分の時期である。
青山樹人氏の「宗教はだれのものか」という本に収録されている年表によると、山崎正友の除名処分は『昭和55年9月6日』になっている。そこに至るまでの一連の流れを記しておくと、以下の通りとなる。
・昭和54年 4月24日 池田会長が勇退して名誉会長に。北条浩氏が第4代会長に就任。
・ 5月 3日 第40回本部総会
・ 14日 山崎、法華講大講頭に就任
・ 7月22日 日達法主、急逝
・ 8月 6日 阿部日顕、67世法主に就任
・ 9月25日 日顕、山崎の本山への出入りを禁止
・ 11月13日 山崎『週刊文春』に日顕の相承疑惑手記を発表
・昭和55年 5月 山崎、創価学会から3億円を恐喝
・ 6月 7日 学会、警視庁に山崎を告訴
・ 9月 6日 学会、山崎を会員除名処分
そして、翌年1月には逮捕され、2月には東京地検に告訴されている。
この年表からわかることといえば、山崎正友はかなり遅い時期に除名処分を受けているということである。
例えば54年の11月には相承疑惑手記を発表していたり、さらには55年6月には学会に告訴されているにもかかわらず、除名されたのはそれよりも3ヶ月も後のことなのだ。
もちろん、様々なことが明らかになったのは随分後のことだろうし、当時としては宗門との共存が重視されていた等の時代背景的なものはあっただろうと思う。
しかし、池田先生の会長辞任から1年と5ヶ月、山崎正友は創価学会員であり続けたのである。
この事実は何を物語るのだろうか。
ちなみに創価ネットワークの年表によると、原島嵩の除名は同年7月16日となっており、山崎正友よりも2が月近く早く除名処分となっているようだ。
今年で池田先生の会長辞任より30年となる(4/26・小野さんより指摘をいただき、言葉遣いを改めました)。我々当時を知らない(記憶していない)世代は、先生の綴られる歴史を学ぶのはもちろんのこと、「何故そのようなことが起こったのか」「何故防ぐことができなかったのか」といった視点を持つことも必要であるように思う。
魔は巧妙に人心に入り込み、あたかも「正論」であるかのように篭絡してゆくものであるからだ。
それは、山崎正友の除名処分の時期である。
青山樹人氏の「宗教はだれのものか」という本に収録されている年表によると、山崎正友の除名処分は『昭和55年9月6日』になっている。そこに至るまでの一連の流れを記しておくと、以下の通りとなる。
・昭和54年 4月24日 池田会長が勇退して名誉会長に。北条浩氏が第4代会長に就任。
・ 5月 3日 第40回本部総会
・ 14日 山崎、法華講大講頭に就任
・ 7月22日 日達法主、急逝
・ 8月 6日 阿部日顕、67世法主に就任
・ 9月25日 日顕、山崎の本山への出入りを禁止
・ 11月13日 山崎『週刊文春』に日顕の相承疑惑手記を発表
・昭和55年 5月 山崎、創価学会から3億円を恐喝
・ 6月 7日 学会、警視庁に山崎を告訴
・ 9月 6日 学会、山崎を会員除名処分
そして、翌年1月には逮捕され、2月には東京地検に告訴されている。
この年表からわかることといえば、山崎正友はかなり遅い時期に除名処分を受けているということである。
例えば54年の11月には相承疑惑手記を発表していたり、さらには55年6月には学会に告訴されているにもかかわらず、除名されたのはそれよりも3ヶ月も後のことなのだ。
もちろん、様々なことが明らかになったのは随分後のことだろうし、当時としては宗門との共存が重視されていた等の時代背景的なものはあっただろうと思う。
しかし、池田先生の会長辞任から1年と5ヶ月、山崎正友は創価学会員であり続けたのである。
この事実は何を物語るのだろうか。
ちなみに創価ネットワークの年表によると、原島嵩の除名は同年7月16日となっており、山崎正友よりも2が月近く早く除名処分となっているようだ。
今年で池田先生の会長辞任より30年となる(4/26・小野さんより指摘をいただき、言葉遣いを改めました)。我々当時を知らない(記憶していない)世代は、先生の綴られる歴史を学ぶのはもちろんのこと、「何故そのようなことが起こったのか」「何故防ぐことができなかったのか」といった視点を持つことも必要であるように思う。
魔は巧妙に人心に入り込み、あたかも「正論」であるかのように篭絡してゆくものであるからだ。







沖浦教祖は樋田氏のことを「立派な方ですよ」と評価し、学会幹部は「樋田はナルシストだ」「話が長すぎる」と酷評したことで、沖浦見解と真っ向から対立。
矛盾した見解を手がかりに、後に「時間の重要性」で話した「決意をしたら、実現すべき時間を設定し、その期間内で自分の質量を向上させることによって、自分自身の限界を打ち破る大きな原動力が生まれる」ことを発見できた。
また、そこから、沖浦教祖はとんでもない「ご都合主義者」であることもわかった。
私はその「時間の重要性」を発見できたことで、「人に求められる人間」への第一歩を踏み出すことができた。今後もあぐらをかかずに頑張っていく決意である。
「時間の重要性」によって、「長すぎる話で広宣流布が進んだ試しがない」ことも知り、逆に限られた時間内で勝つため、自分の言葉をうまく簡潔にまとめて対話する習慣を身に着けることによって、その熱意と行動でもって相手から共感が得られることも可能にした。
現在では沖浦そのものを叩くのは容易なことである。
私は「人の間違いを叩く人は多い。しかし、人の間違いを慈悲で包容できる人は稀」と、凡夫と仏の境涯の違いを明らかにし、「富士宮ボーイ参加者のほとんどは、自分や他人の間違いを、成長へのバネとして変えていく信心と実践が根本的に欠如しているから、沖浦が出現・増長したのである」という事実をもって、「包容力のなさが命取り」だと指摘した。
沖浦旧シンパは、「他人の間違いにはやかましいが、自分の間違いに気がつかない」というような、組織メンバーの人間関係を分断させてしまう疑いがもたれる「あら捜し行為」をしている者たちが多い。
これは「組織破壊の魔の所為・破和合僧の大罪」である。
反対に、「自分の欠点・失敗・間違いを、これからの成長のバネだととらえ、チャンスに変えていく実践ができる人、またそのチャンスを他人に植え付けることができる人は、人から求められる人材になれるのである」ことも知ることができた。
人間の欠点・失敗・間違いをチャンスに変えていける信心と実践、その能力を身につける習慣をつけることが、「人に求められる自分への第一歩」になるのである。
またまた、少し疑問点を……「山崎正友に払った三億円」についてです。平成に入ってからも、一億七千万円を金庫に入れたまま捨てるという事件(金庫に入れた一億七千万円を捨てるという事故?)もありましたが、考えれば考えるほど謎ですよね……。多くの人からのご意見ご感想をいただきたいです。
そちらのブログの文章をそのまま転載なさったようですが…コメントの返しようがありません。
ご容赦ください。
疑問点、とのことですが、どの辺りが疑問なのか判りかねます。
山崎正友に何故三億もの大金を支払ったのか、ということなら、その疑問は少々ナンセンスではないかと思います。
何故なら、「恐喝されたほうに弱みがあったから、金を出したんだろう」という考え方は「被害者に対するバッシング」となってしまうからです。
さらにいえば、三億円は「顧問弁護士の退職金」として山崎が要求したものであり、要求を呑まなければ再び宗門との諍いが激化することは必定、という状況もあったと思います。
それと申し訳ありませんが、ここで「多くの人からのご意見ご感想」を求めるつもりはございません。
私および私の投稿に対してのご意見はお受けしますが、「真相を究明できない事柄に関して、憶測のみで感想を言い合う」という状況は避けたいと思っております。
どうぞご理解くださいませ。
ありがとうございました。